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キム・ヨンド『登山家にとって山とは何か』

 当ブログでは時折取り上げていますが、韓国登山界の重鎮キム・ヨンド氏(1977年韓国人初登を果たしたエベレスト韓国隊隊長)が齢88歳ながら精力的に執筆活動を続けています。
 11月はピオレドール・アジア選考会があったからでしょうか、韓国の月刊誌『山』に「ポスト・アルピニズム」という文を、月刊誌『MOUNTAIN』には「登山家にとって山とは何か」と題する文章を寄せています。
 日本でも親しまれている「100名山」、ウィンパーの『アルプス登攀記』を引用した後者の寄稿文を紹介いたします。

登山家にとって山とは何か 月刊『MOUNTAIN』2012年11月号

以下記事引用開始
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登山家にとって山とは何か

文キム・ヨンド 元登山家

 長年にわたり登山家たちと出会い、付き合ってきた。昨今、改めて感じることがある。登山家にとって山とは何であるかという思いであり、問いである。なんとなく不思議と頭を離れない。
 先日、大韓山岳連盟創立50周年を記念してアルピニズムに関するシンポジウムがあったが、熱を帯びて真剣な雰囲気の中で、私は一人「私たちにとって山とは何か」を考えていた。山と人との偶然の出会いから始まった長い歴史をそれなりに知っているので、この問題は無視することはできなかった。
 生涯の半分を北漢山と道峰山が見えるところに住み、後年には水落山の麓に居を移し、常に山が見えることが住宅を決める際の条件だった。山に登るのは、その次の話である。山ほど心を楽にしてくれるものはない。人工物ではなく自然がそうさせるのか。

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 山は自然の代名詞となっている。山・川・草木は自然と呼ばれるが、その中でも山は「自然」の代表格であることを私達は知っている。そして山はただの石と土の塊ではない。
 私たちの人生の象徴であり、例えでもある。私たちが山を好むのは、誰もがそれを意識しているからだと筆者は思う。人に人格があるように山に「山格」があるということだ。
 日本で古典・名著の一つとなっている『日本百名山』の著者は山を選びながら、この「山格」に注目した。彼が彼らの最高峰で誰もが登ろうとする富士山(3776m)を外し、我々の白頭山(2744m)を世界100名山の中に入れたことも、そこに「山格」を見たからだろう。

 250余年の歴史を持つ世界のクライミング史は、アルピニストが山と戦った記録である。未知のピークに対する耐え難い魅力に引かれ、情熱と闘志を注いだプロセスである。アルピニズムという新しい、風変わりな人間の文化がその昔、西欧社会で始まったことには相応の意味がある。山という自然に対する新しい認識があったのだ。
 彼らは登山先進国であり、我々は一歩遅れて山を知っていたが、世界が一つになり、国際社会が形成された今でも、彼らと私たちの距離はなかなか狭まらずにいる。それは、いわゆる登山文化で感じられる。私たちが世界の舞台に進出し、同じ自然を相手に同じ装備と大差ない技術として活動している昨今である。記録面でもかなりのレベルまで上がっているのも事実だ。
 ところが、彼らと私たちの間にはいつも異質であり、不足を感じる。外見は同じなのに、内側からそのような違いがあるように見えるというのは一つの偏見だろうか。

 登山とは山を登ることだ。ところが登山家で、彼ら先進国と私たち後進国の考えと態度が違うようだ。一言で言えば、彼らは山を見るのに、私達は山に登るだけだともいえるだろうか。山を見ずに登るだけでは外道であり、アルピニズムの精神に遠く及ばないと筆者は考える。

 人々は雪岳山を躍起になって登る。誰もが登る大青峰(訳者注:テチョンボン・雪岳山の最高峰)に立ちたいからだ。良い事には間違いないが、ここに気になることがある。
 彼らは登って何を感じ、何を見て下って来るのか。

 雪岳山へのアプローチは、道も風情も多種多様だ。ただし、頂上での感動、そして得られるものは人によって異なり、それも一般的な登山愛好家と登山家とでは大きな差がありそうだ。そうでなければ、「登山家」とはいえないのではないだろうか。

 『登山家は、それぞれの山に故郷を持っている』 と語ったのは日本山岳界の先駆者だったが、その昔エドワード・ウィンパーはマッターホルン初登頂時の大惨事によって長いことアルプスを去ったが、老いてからマッターホルンを懐かしんで帰ってきた。フルッケン山稜を初登したギド・レイはマッターホルンを忘れられず、晩年はマッターホルンがよく見えるところに山荘を建てて一人静かに住んでいた。ボナッティはやはり自分の生涯にわたる登攀記を整理してからもモンブランを再び訪れ、ガストン・レビュファは「星と嵐」でグランドジョラスが夕焼けに輝く荘厳な姿を山荘から眺めていた。
 このような話は、すべて半世紀も昔の西欧のアルピニストの山に対する姿だ。近年、ヒマラヤ8000m峰14座を無酸素で登った初の女性登山家、カルテンブルナーの本を読んで目にとまった箇所がある。ベースキャンプ周辺に野生の花が咲き乱れ、現実の世界とは思えないほどにアマダブラムが夕焼けに輝いていたという。極限的な遠征で、そのように周辺の風景を見つめていることに改めて驚かされる。劇的な人生のまっただ中にあり、周辺の光景がそのように彼女に近づいてきたのかもしれない。
 私はエベレストに遠征してきた多くの登山家たちの口から、クーンブ氷河近くにある、永遠の静けさを秘めた氷河湖の話を聞いたことがない。そこは、1952年のスイス隊が、すべてが不確実だった当時、ベースキャンプにした所で歴史的な場所でもある。

 登山家は一般社会人とは違う。彼らの排他的、独善的な特権意識を、私は肯定したいと思う。その程度の自負と誇りがなくては、私たちは、いわゆる限界に挑戦だの死だのを口にする資格はない。
 ところが、ここに条件をつけたいと思う。登山家は無条件に山を登るのではなく、常に山をみつめなければならない。つまり登山家はアルピニストであると同時にヒューマニストとして、さらにNaturkind(自然)でなければならない。(訳者注:Naturkindとは直訳すると「自然の子」、ニーチェ思想での人間の理想像とされる。筆者のキム・ヨンド氏は大学で西洋哲学を専攻していた)挑戦することにうぬぼれてしまっては意味がない。その昔、トニー・ヒーベラーはマッターホルンに慣れ親しもうとしてル・マートで働き始めた。見るほどに、その北壁が恐ろしかったからだ。
 
 今日、私たち登山家は遠くヒマラヤ奥地に行き、多くの体験を重ねてきた。特別な、貴重な体験を。
 高さ2000mにも満たない低山地帯で育った私達自身を考えれば、驚くべきことだ。ところが、その過程において我々が得たものは何だろうか。成果は明らかだが、残したものは不透明だ。せいぜい「登山報告書」で、素敵な「登攀記」が見当たらない。
 登山報告書と登攀記は異なる。前者は単純な行動の記録であり、後者は山との触れあいの記録である。ここには山と自己との関係、すなわち、その自然に没入した自分の人生の姿がそのまま含まれていなければならない。
 古典中の古典となっているエドワード・ウィンパーの『アルプス登攀記』に出てくる文章は、山岳界の巨人ウィンパーの格別な人生をよく示している。それはこのような文だ。

 『劇が終わった。幕が下がる。読者と別れるに先立ち、山から得た貴重な教訓を申し上げたい。遙か遠くに高い山が見える。「登ることが出来ない」という言葉が自然に飛び出すかもしれない。しかし登山家は言うだろう「そうではない!たしかに遠い。困難で危険かもしれないが、可能なのだ。登山仲間に会い、その山に登った話を聞き、どんな風に危険を回避するか調べてみよう。世界の人々が眠っている間に、登山に行き、山に向かう。長く滑り易く、苦しいだろう。しかし慎重と忍耐によって勝利が得られる。ついに頂上に登ったのだ。』

 ウィンパーのマッターホルン初登頂は19世紀後半の話だ。しかし当時の彼の登攀記が永遠の山岳文献の一つとして残った事にはそれなりの理由がある。他人の文章も読まずに自分のことも書き残さない、今日の私たちの境遇を改めて思う。
 真の冒険と開拓の時代は過ぎ去った。もう私たちに残されたのは、単なる模倣である。そして登山家の意識と行為には、常に独創的なものがあるはずだ。その創造性とは、各自の個性である。私は彼らの創造性を見てみたい。

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以上引用おわり

 キム・ヨンド氏は文中で「登山愛好家」と「登山家」を明確に分けていますが、山に登る私そして皆さんにとって、山とは何なんでしょうか?

 「なぜ山に登るのか」というWHY?ばかりが追求されてきましたが、WHAT、山とは何なのか?
 ともすれば記録第一主義ともみえる韓国の登山界に、自ら「老いた登山家」を自称するキム氏が投げかける疑問は私たち日本人も見過ごしてはならないと思います。


 訳者注:文中で引用されているウィンパー著『アルプス登攀記』の文章に関しては、筆者のキム・ヨンド氏は韓国語訳版、日本語訳版、ウィンパーの原著いずれも読んでいる可能性がありますため、ここでは浦松佐美太郎氏の訳文を参照しながら、キム・ヨンド氏の原文に沿って表記しました。

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