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ヒムジュン(Himjung)南西壁の記録

 ピオレドール・アジア2012を受賞した、ヒムジュン(Himjung)南西壁の記録は韓国の山岳雑誌『山』、そしてピオレドール・アジアを主催する『人と山』に掲載されました。

 月刊『山』では隊長であるキム・チャンホ氏が2009年春、「ダイナミック釜山」登山隊でマナスル登頂に成功後、下山途中にヒムジュンの存在を知ったきっかけ、またヒムルン・ヒマール山群一帯に関するネパール政府の混乱した標高や名称などの問題にも言及し、マクロな視点から登山隊の記録を報じています。
 一方、ピオレドールアジアを主催する『人と山』は、隊長キム・チャンホ氏とペアを組んだアン・チヨン氏の手記という形式で、臨場感あふれた記事を掲載しています。
 ここでは『人と山』のアン・チヨン氏の手記を紹介します。

第7回ピオレドールアジア受賞 ヒムジュン(Himjung)初登攀 by 月刊『人と山』2012年12月号

以下記事引用開始
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第7回ピオレドールアジア受賞
ヒムジュン(Himjung)初登攀

頂上は、将来に踏み出した第一歩だった

キム・チャンホ、アン・チヨン、ネパール未踏の最高峰初登頂

文/アン・チヨン(韓国ブワントゥ(Wand=岩壁)クラブ)写真ヒムジュン登山隊

 韓国の登山家だけでなく世界の山岳界にも名前すら知られていないヒムジュン(Himjung)、その前人未踏7,140mの頂上にキム・チャンホ、アン・チヨンのペアが立った。彼らは南西壁から4泊5日のワンプッシュスタイルでクライミングを展開した。韓国は1962年初のヒマラヤ進出以来、今年は50周年となる年だ。先人達の道を刻み、海外遠征50年周年という韓国山岳界において、未来への第一歩を踏み出そうとこの登攀に向かったと彼らは語る。<編集者 注>

P2

 9月29日、4,800mのヒムジュンのベースキャンプに到着したキム・チャンホ兄(訳者注:兄とは韓国での年長者への敬称。血縁関係ではない)と私は、以前ギャジカン日本隊がベースを設けたと推定される場所を整地してテントを張った。10月2日ベースキャンプ入りして5日目、プジャを行う。質素に行われたプジャは新しく作ったチョルテン(Chorten)に食糧と装備を捧げ、登攀の安全を祈った。10月4日、壁の下部に可能なルートを見出すため、若干の装備と食糧を持ちベースキャンプを出発。3時間程度のモレーン地帯と下端部の氷河を通過して150m余りほどのクーロワールを登ると再び中段部の氷河が始まる。

 私たちが歩く氷河側は天候が良いものの、空は激しい風に雲が早く流れている。冬が近づくシーズン、ヒマラヤのジェット気流が吹きそうな兆しだ。時間を見ると午後4時位。壁の取り付きまでは、さらに進まなければならない様子で、チャンホ兄と私はここでビバークすることにした。堆石と氷が混じった場所をスコップとアックスで削り出し、2人用テントを張った。すぐそばの凍った水溜りを掘って、水を得ることができた。

 10月5日、煩わしい程に乱れたクレバスの間を安全を期して注意深く渡り、上段部の氷河がほぼ終わり、登攀開始地点である大雪田まで2時間ほど登る。そこにテントを張りルートを把握した後、ベースに下山した。出国前に可能に見えた南西稜と南西壁の間に、私達は頂上に伸びる柱状岩稜を選択した。落石の危険から安全で、ビバーク地の期待できるルートだった。南西稜はネムジュン北稜と合流するコルから始まり途中にピナクルもあり、登攀距離が長くなる。

 ベースキャンプで十分に休息を取ったチャンホ兄と私は10月9日、取り付き下のビバーク地(6,050m)に一日ぶりに登り登攀準備をした。前に設けておいた軽い2人用テントは登攀時に使うため、3人用の少し広いテントに取り替え、ハーケンと各種確保用具の重さを考慮して数量を決めた。

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強風を突き抜けて壁に

 10月10日、クライミングを始めなければならない日なのに一晩中悪天が朝まで続いた。風が吹き少し雪も降る。天候は良くなくても登ってみる必要があるが、問題はガスがたちこめて視界が効かない。私達はひとまず待機することにして3人用テントで時間を過ごしていた。午前10時頃、天気が少しずつ晴れてきた。ひとまず装備を取りまとめ、壁の下に行き状況を探ることにした。「登ろう!」壁の下に行った私達は短く言葉を吐き出してクライミングを始めた。ヒムジュン南西壁の下段は岩壁で技術的なミックスクライミングが必要だった。チャンホ兄のビレイで私がリードして3ピッチを登攀した時、再びガスがわき始めた。視界がどんどん効かなくなる中でクライミングが困難となり、午後2時頃ビバーク地に下降した。

 10月11日、ビバーク地で朝5時に起床、ストーブに火をつけた。薄氷が凍りついたテントの中で装備と食糧を取りまとめ、二重靴を履く。寝袋は一つだけ持ってきて二人で一緒に使うことにしていたし、マットレスは半分に切っておいた。今日は天気が良いことだけを望んだ。氷河を横切って壁が始まる急なガリーでアイゼンを履き、チャンホ兄のビレイで私が先に登り始めた。

 ヒムジュン南西壁下段部は岩場だが、平均傾斜80度の傾斜角に各所にルーフがたちふさがり、クラックの中は雪と氷がぎっしり詰まっている。ナイフハーケンとカムを設置してミックス区間を突破していく。手袋をはめたまま岩についた雪を払い、ホールドを探す。少しずつ手袋が濡れる心配はあるが、スペアは持ってきていた。岩の間に凍りついた氷壁はあるものの氷は薄く、落氷のため登攀するには危険だった。その氷壁の左、岩と氷がミックスしたルートを選んで登った。最初は岩が大部分を占めていたが登るにつれ氷と雪に変わり始めた。時々、小さい落石の音が聞こえる。想像以上に支点を設置するのには大丈夫だった。ピッチの終了地点は岩にスリングを巻いたり、支点を2カ所以上とり荷重を分散させた。主にナイフハーケンと小さいカムを多用した。

 第3ピッチの岩壁地帯を通過すると、第4ピッチから第6ピッチまでは硬い氷壁が多い区間だ。アイゼンの爪も入らない程に丈夫な氷で、下手をすると体力消耗も激しい危険がある区間だ。この区間を速く通過すれば疲労を軽減できるという考えで速やかに登攀を進めた。登攀中の支点にはアイススクリューを多用し、ビレイポイントでは岩壁に近づき岩場で確保した。

 私たちは軽量な7mm×50mのダイニーマ1巻、6mm×50mのケプラー1巻を使った。第7ピッチの氷雪と岩が混じったミックスクライミング地帯でスピードが出始めた。このように第12ピッチまで落石危険がある岩壁を右にトラバースして、氷雪壁区間へと登っていく。壁は静かで、私たちの息づかいとハーケンを打ち込む音がヒムジュン南西壁に響く。第13ピッチ上部は主に氷雪壁で大きい雪庇が見える。そして頂上部は黒と灰色の岩が入り乱れた巨大な岩壁が両側に広がっている。私たちが選択したルートは大きな雪庇の右側を通過して岩壁の中で顕著な雪氷壁に沿って尾根に登るルートだった。

 このピッチで私は大きな落石に遭遇した。ヒムジュン東峰の稜線から岩が崩れ落ちた。ぼやけた砂埃を起こし、かなり大きな石が幾つか落ち始めた。私がいる所までは距離があり、落石を避ける余裕があった。大きい石は私の両側に落ち、小さな石の破片は避けられず、壁に伏せて頭を下げた。身体をぴたっと縮めたまま、数秒後に石がザックに当たり、ロープが張られる感じが体に伝わる。

 しばらくして私は下を見て、チャンホ兄は上を見て、お互いが無事か目で確認する。「大丈夫か?」岩にスリングを巻きビレイしているチャンホ兄の問いに「はい」と答えて再び登り始める。これ以上、言葉は必要ない。チャンホ兄の視線を背中に感じながら、ワンステップ、ワンステップ、再び登る。

風が吹いているが空は澄んでいる。ヒムジュン南西壁の向い側にはネムジュン峰がそびえる。今回のクライミングでは軽量化のために無線機をビバーク地に置いてきたため、意思疎通には大声で叫ばなければならなかった。その代わり、GPS機能が内蔵された衛星電話を一台持ってきた。ネパール政府の地図でまちまちなヒムジュンの高度を測定するためである。時々岩に視界をさえぎられ意思疎通がうまくいかないが、ある程度は感覚で知ることが出来る。南西壁の中間に巨大な雪庇があり、その下にテントを設営する予定だったが傾斜がとても強く設営できそうにない。再び雪庇の右側を廻り、氷柱が形成されている氷壁をトラバースして雪庇の上に登る。しかし、ここもキャンプ地としては良くないため、さらに登ってみることにした。

 第14ピッチからはチャンホ兄がリードして登り始める。約300m程の離れたところに横に長く広がったクレバスが見える。おそらく大きな雪庇の上のリッジから続く最後の部分が、氷雪壁の重さで割れているようだ。ビバーク地(6,770m)を探し、休める場所を期待した。

 1.5m程の高さの隙間が長く広がり、最も良さそうな所を整地して900gの2人用テントを張る。上部からはスノーシャワーや頂上部の岩場から落ちてくる落石もあるが、ここはそんなリスクを避けることができる良い場所だった。テントが傾斜で転がり落ちないよう、テントの片側をスノーバー4本で固定、雪を固めて丈夫にした。

 上を見ると白い氷雪壁が繋がっていて、尾根上の様子も視界に入ってくる。クレバスの中に下がったツララを溶かして水を作ることができた。だが、テント入口の前は二人がやっと立てる狭い空間で、墜落に常に注意をしなければならなかった。

P4

5日間の速攻登山、そして頂上

 ヒムジュン南西壁は朝9時頃に日が昇り夕方は遅く日が沈む。夕日があたりテントの中が温かい。マナスル、アンナプルナ、ダウラギリ山群まで広がるパノラマは壮観だった。午後4時を少し過ぎて私達は装備を外し、しばらくテントの中で疲れを癒すために1時間ほど睡眠をとった。テントを照らした太陽は西側の山群に少しずつ沈み、気温は急激に下がる。夕方、ヤク肉を味噌で混ぜ合わせたチゲを作り、乾燥米で食事をとり、早めに眠った。

 チャンホ兄と私は寝袋一つでテントの中の寒気に耐え、夜は良く眠れなかった。気温がマイナス22℃以下に下がり、ジェット気流が下降し強風が吹きまくった。寝袋一つに頼りお互いの身体を密着させている間、チャンホ兄の体温が私に伝わり、それなりに暖かさを感じることができた。一晩の寒さで薄いテントの中は氷でいっぱいだ。寒さに耐え互いに背中合わせの身体で背を丸くして寝ているうちに、10月12日明け方5時になった。朝は簡単なスープを作りチョコバー一つを半分ずつ分け合って食べた。テントのスペースが狭くチャンホ兄は外で装備を着け、私はテントの中で装備を一つ一つ着用する。50mロープを半分にたたんで結び、私がリードで登り始めた。ビバーク地は高度計で6,770mを示している。

 あたりは明るかったが光がささず、気温は低い状態だ。私はおよそ30分ほど登り左手が凍ってくる痛みを感じて左手だけ厚い手袋に取り替える。20m上にチャンホ兄の荒い息づかいが感じられる。頂上につながる稜線に登るとヒムルン・ヒマール(7,126m)とラトナチュリ(7,128m)などヒマラヤ山群が展開している。下降気流が下に吹き込み雪の粉が顔に当たる。左に不安定な岩壁があり、さらにその上の岩稜を行く。頂上直前のピッチを残し、私達は暖かいお湯とチョコバーを分け合って食べた。

「こちらの稜線を越えて登れば頂上だ」チャンホ兄はアイコンタクトで最後のピッチを私に任せ、ビレイの準備する。私は頂上へ向かって力強く足を踏み出し、チャンホ兄の心を推し量る。息を切らせて頂上に立ったのは、ネパール現地時間午前9時5分頃だった。頂上はナイフリッジで立ち上がることはできない。馬乗りになって座り、私は雪面にアイスアックスを打ち込み、チャンホ兄をビレイした。

 ますます近づくチャンホ兄の笑顔がとても嬉しい。私達は頂上で合流し、子供のように抱き合って歓呼して喜んだ。青く澄んだ空、頂上のまぶしい日差しが私達二人を歓迎しているようだった。共に感激したその瞬間は、いつまでも心に残るだろう。この日私達はビバーク地に下山して熱いお茶を飲み、再び懸垂下降を始めて壁の取り付きのビバーク地に降りて行った。
 10月13日、5日間の登攀を終え、チリンとテンジンが待つベースキャンプに下山した。

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▲南西壁を登攀するキム・チャンホ隊長。遠征隊は軽量化のため、軽くて強力な6mmケプラーロープをメインロープに使用した。(画像、キャプションは月刊『山』2012年11月号より)

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▲ドライツーリング技術を利用して岩壁を登るアン・チヨン隊員(画像、キャプションは月刊『山』2012年11月号より)

Py3
▲ヒムジュン頂上に座り歓呼するキム・チャンホ隊長(画像、キャプションは月刊『山』2012年11月号より)

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以上記事引用おわり

 『人と山』に寄稿したアン・チヨン隊員の経歴は、2005年ロブジェ西峰南西壁新ルート開拓、2006年には日本隊と同時に入山して協力しながら登攀を進めた冬季ローツェ南壁隊に参加、最高到達点まで登攀。2009年には中国グロスバナー北壁新ルート開拓、2011年にはキルギスタンTeketor峰4441m北東壁に新ルート開拓など、韓国でもトップレベルの高所・ビッグウォールクライマーです。

 『人と山』に掲載された記事を注意して読むとわかりますが、ギャジカン日本隊や画像にあるようにラトナチュリ、ネムジュン等々、日本隊の記録を詳細に調べていることが伺えます。
 
 アン・チヨン氏の手記の中で、落石をやりすごしながらパートナーのキム・チャンホ氏と短く受け答えをし、『これ以上、言葉は必要ない。』と書いている場面は、アルパインクライマーなら頷けるところでしょう。

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