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弘前にて

岩木山の帰路、弘前市内に立ち寄る。
市街地に入ると、味噌屋や酒屋、ときには崩れかけた廃屋など、とても古い様式を今に残す建築物に目を奪われる。

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弘前で和菓子の老舗といえば、大阪屋

今春の金沢滞在で古くから伝わる和菓子の店を幾つか訪れ、古来の建築様式を見てきたが、この大阪屋も外装はもちろん、売り場も古い様式を残している。

ただし、今日は12月30日。
年末年始の贈り物か、正月用に和菓子を買い求める客で店の外は路上駐車の車がひっきりなし。
売り場も女性客でごったがえしている。
あらかじめ注文している客も多く、店の人はテキパキとさばいているが、「お寺さんに持って行くので包装は・・」など細かい注文のお客様も多い。

売る方も買う方も殺気立っているので、和菓子好きの方、弘前の大阪屋訪れるのは年末年始は外した方が吉。

私も正月用に生菓子買った他、どら焼きを一個購入。
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この大阪屋のどら焼き。
普通のどら焼きよりも小型で分厚い。
皮はぴっちりと閉じられ、よく売られているどら焼きのように餡が見えたりしない。
なんといっても特徴があるのは皮だ。
生地が密で、凄い歯ごたえのある皮なのだ(不味いという意味ではない)。
目隠しして各社のどら焼きを食べさせられても、大阪屋のどら焼きは一発で当てる自信がある。
そんな特徴のあるどら焼きです。ぜひお試しあれ。

大阪屋を離れ、地図を片手に運転しながらもう一つの目的地、「富田の清水」(とみたのしつこ)を訪れる。

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弘前の民家密集地の真ん中に位置する「富田の清水」

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以前訪れた山形県遊佐町「神泉の水」のように段々に水槽が別れている。
昭和初期まで「紙漉き」に利用されていた富田の清水は、一段・二段めが飲用、三段めが米・野菜の洗浄、洗顔、四段めが紙漉き、漬け物樽用水、五段・六段めが洗濯、足洗い用と決まっているそうです。(小屋掲示板より引用)

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湧水口。
口に含んでみるとやや温かい感じ。
登山用の温度計で測定すると、気温4.0度、水温は13.7度。
いわゆる「夏つめたく冬あたたかい」ってやつですね。

ここ富田の清水は地形学的には弘前台地、砂礫の多い地域に分類され、周辺の岩木山や大鰐山地から地下水が供給されているのでしょう。
これだけ民家密集地に位置しながら、月に一度実施される水質分析で大腸菌、一般細菌が検出されないというのも驚異的です。

あるガイドブックには「こんな街の中に湧き水が」という一文がありましたが、それは本末転倒というものです。
人が生きるために「命」ともいえる水があればこそ古来から人が集まり、村が、町が、そして今に到る都市が形成されたに違いありません。
「この水のおかげで」という人々の感謝の念が、永い時代を経ても大事に湧水を守ってきたのでしょう。

他にも見所の多い古都・弘前ですが、年末の雑事の待つ山形をめざし、雨に濡れながら車に乗り込みました。

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華鈴守

あっさりと岩木山を諦め、ついでなので岩木山神社に参拝。

今年の現場作業の安全、山の安全を感謝。
ついでに家族、山仲間、山岳部OBの諸先輩方、仕事仲間、周囲の人々の安全と健康祈願。

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本道から駐車場を望む。
長い登り坂の参道。
降り続く雨が、硬く締まった積雪をさらに滑りやすくし、歩きにくい。

露天商はまだ準備中。
明日の大晦日には、たくさんの人々でにぎわうのだろう。
すれ違う老人はくたびれたのだろう、さかんに太ももを拳骨で叩きながら下りていく。
参拝を終えて下ると、登り坂で息を切らせている家族連れ。

みんな、苦しい思いをしながらも参道を登り、祈る。

おみくじ・お守り売り場でふと思った。
ここは岩木山神社、「岩木山」の名が付いている。
今春訪れた白山比咩(しらやまひめ)神社みたいに、高山植物のお守りなんかないかな?

で、ありました。
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『華鈴守』、初穂料800円也。
色は赤、白、青の3種類あり、いろんな山の花が書いてあるのですが、お恥ずかしい、ガイドやっていてもわかりません。
巫女さんに、
「すみません、描いてあるこの花はなんの花ですか?」
と尋ねるが、

巫女A「・・・・」
巫女B「・・・・」
巫女C「・・・・」

皆知らないらしく、可愛らしい巫女さん達の表情から「やべえ、誰もわかんねーよ」という不味い空気を嗅ぎ取る。
と同時に、ガイド中に花の名前を聞かれて答えられない、あのまずい空気を私自身も思い出してしまったので、
「あ!いいですいいです!これください!」
と、縁起良さそうな赤い華鈴守を求める。
赤い華鈴守は上記画像のように、コマクサとスズランの絵柄です。
他の二種はリンドウか何かだったような・・・

山の花が好きな方、岩木山神社に参拝する機会があれば、ぜひご覧になってみて下さい。

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岩木山にて

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訪れるのが一日遅すぎました。
低気圧の団体様が接近中、ご機嫌ナナメな岩木山。

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相当発達した前線なのか、異常なまでの暖かさ。
スノーシューを履いて樹林帯を進む。
枝上の積雪が溶け落ち、ピチピチと水滴の音でにぎやかだ。

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公園のような、樹林の回廊を進む。

一時間ほど登高したところで急激に温度が下がり、冷たい風が吹き始める。
それまでの暖かさで緩んだ積雪がドスッドスッと音をたて、あちこちで落ちていく。
岩木山はほぼガスに覆われている。
天候は雨。
空模様も、雪の状態も最悪だ。

気圧接近前のわずかな好天を期待したが、見事に外れたようだ。
天気図からは天候悪化は確実と判断、コーヒーを飲んでから引き返す。
「行けるところまで、とりあえず」
という判断は、私の選択肢には無い。
また来れば良い。
それだけのことだ。

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本日の立ち寄り湯は、嶽温泉の「小島旅館」。日帰り入浴は350円也。

玄関には槇有恒氏の色紙が額に飾られている。
『山は悠久に坐し 孜孜として務むる者を抱く』

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旅館内、エレベーター前、そして浴室前には正月飾り。
干物のハタハタ、松葉を常緑樹の葉で包んだお供え物。
山形ではみられないお供えスタイルに、ああ津軽に来たんだなあと実感。

硫黄の香る湯で、山よりも今年の現場作業の疲れを癒しました。

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旅のお供

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冬期休暇。
現実逃避に古ぼけた『コナン』シリーズ、
郷土の自然観を先人に学びたくて茂吉の『赤光』をチョイス。

ちょいと、おでかけしてきます。

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Rock&Snow No.58

Rs 神よお許し下さい・・・
この忙しい年末だというのに・・・
カルト雑誌ROCK & SNOW 2012冬号 を読んでしまいました・・・

心に残ったのは、編集後記の蓑和田一洋氏によるパトリック・エドランジェ逝去に関する短文。

「欧米では日本と違い冒険・探検・登山に対する評価が高い」
などというキチガイ左翼の本★勝一みたいな幻影を未だに抱いている人は、パトリック・エドランジェ氏すら寂しい晩年を送ったという現実をかみしめるべきだろう。

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【訃報】 ビル・フォレスト(Bill Forest)、雪山に逝く

 アメリカの名クライマーであり、数々のクライミングギアそしてMSR社スノーシュー開発に関わったビル・フォレスト(Bill Forest)が、去る12月21日、コロラド州にある自宅周辺をスノーシューで散策中、亡くなりました。
 居合わせたハイカーらによりCPRが施されましたが、残念ながら息を吹き返すことはありませんでした。
 享年73歳でした。

Climbing legend Bill Forrest dies while snowshoeing by marinij.com2012.12.28

ビル・フォレストといっても、日本ではご存じの方は少ないかもしれません。
1970年代からアメリカではトップクライマーとして知られ、1970年にロングスピーク東壁ダイヤモンドウォールの単独初登、1972年にはコロラド・ブラックキャニオンのペインテッド・ウォール(花崗岩の大岩壁に貫入岩の模様が美しい)初登、1980年にはジョン・ロスケリー、ロン・カウクらと共にカラコルムの鋭峰ウリ・ビアホを登攀しています。

その一方でビル・フォレストは登山用具の開発にも力を注ぎました。
初めてコパーヘッドを開発した他、ヘッド交換可能で岩・氷に対応できるハンマーを製作、レイ・ジャーダインの「フレンズ」開発にも関わっていました。
またアウトドア愛好者にとっては、なんといっても98年にカスケードデザイン(MSR)と共同でスノーシュー開発を手がけた功績は大きいでしょう。

今年5月、初登したペインテッド・ウォールに、40年ぶりにクライミングパートナーであるクリス・ウォーカーと再訪した記事が地元のデンバーポスト紙に掲載されていたことが私には記憶に残っていました。

Climbing duo Bill Forrest and Kris Walker mark 40 years since making news with Black Canyon's Painted Wall climb by DenverPost 2012.5.1

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1972年「Empire」誌表紙を飾るビル・フォレスト(左)、クリス・ウォーカー(右)、右画像は40年後に壁を再訪した2人(出典:The Denver Post紙)

クライミングの実績と共に、用具の開発でアウトドア愛好家にも自然にふれあうことの素晴らしさを伝えたビル・フォレスト、その言葉を追悼記事から引用しましょう。

『Climbing for me is the finest sport in the world. It's a beautiful thing.』

どうぞ安らかに。

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わすれもの

岩手山から下山、電話でカミさんに下山報告。
ふと気になったことを確認。

私『あれ?クリスマスでみんなでケーキ喰うのって、今日だっけ?明日25日だっけ?』

カミさん『きょ・う・で・す。』 (即答)

昨夜出かける時は「調べモノがあるんで岩手県立図書館寄って帰るから夜遅くなる」と言って家を出たのだが・・・普段出張で家にいない分、クリスマスくらい自宅にいないとそのうちヤバいことになりそうである。

盛岡市内を訪れる予定はキャンセル、他人様やおまわりさんに言えないスピードで東北自動車道を南下、午後6時前、自宅到着。
岩手郷土料理「そばひっつみ」とか堪能しようと店もチェックしてたのにぃ~

父親業は、冬の岩手山登るより大変だ。

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今年のクリスマスケーキ。
画面右上で絡んでいる手は、バカ娘とバカ息子がケーキ飾り鈴の取り合いで格闘しているところ。

山で過ごす方も、下界で過ごす方も、メリークリスマス。

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若者たち

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23日深夜に山形を発ち、24日、岩手山を馬返しから往復。
今シーズン新調したウェア、ギアの試用を兼ねて冬の山頂へ。
気象予報では寒気が流入するといわれていたためだろうか、入山者も少なく、静かな山。
山頂稜線の外輪山で気温は-13.7度、ウチの夫婦仲ほどに冷え込んでいる。

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冬の岩手山は冬富士に似ている。
火山性の地質が巨大な霜柱を発達させるのだろう。
冬富士で馬返しからの登山道でみられるのと同様、ここ岩手山でも、素晴らしく発達した霜柱が1合目までの登山道の脇を飾り立てる。

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午前中、激しく軽い雪が降り注いだものの、すぐに晴天となった。
山頂をめざす頃、西側からいかにも凶暴そうな雪雲が迫ってくる。
真っ平らで目標物も乏しい不動平で視界が効かなくなると厄介だ。外輪山に上がり、下山、不動平をぬけるまで行動食を摂る以外は休まず動き続ける。

外輪山は完全に氷化し、基本に忠実に、アイゼンを確実に決めなければならない状況。
吹きだまりではスネまでのラッセルとなる。
不動平から下り、中腹のガレ場ではアイゼン歩行も気が抜けない。
東北の山では数少ない、アイゼン歩行の良きトレーニング場だ。

昼過ぎ、下山。
馬返し登山口で、東北大の学生という4人の男子学生さんと少し話す。
山岳部なのか登山サークルなのかは聞かなかったが、これから岩手山に登るという彼らに
「外輪山、ガリガリに凍ってるんで、どうぞ気を付けて」
と言うと、笑顔で
「いやあ、かえって楽しみです」
と答えが返ってきた。

楽しみです、という言葉に不快を感じることもなく、「ああ、これって「若さ」なんだなあ」と不思議と感動してしまった。
その返答に、今の私には失われてしまった何かを感じたのだ。
岩手山を登ってきた感激も吹き飛ぶほどに。

車に乗り込み、馬返し登山口を離れる。
少し下った場所で、やはり一台の車から登山装備を降ろし、入山準備をしている若者達がいた。

ここ東北でも、学生山屋は健在なようだ。

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笑 う な 。

日本全国1億2千万キム・ジャインちゃんファンの皆様、こんにちわ。

 去る11月18日、スロベニア・クラニでクライミングW杯最終戦が開催され、女子リード部門では我らがキム・ジャインちゃんが惜しくも4位、メダル圏内にくい込めなかったのですが・・・

 キム・ジャインちゃん不振の原因が判明!!
 悪いのはこいつです↓
  
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キム・ジャイン、「江南スタイルが流れるから、スロベニアの観衆が・・・」 by Xports news 2012.11.20

以下記事引用開始
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 スポーツクライミングでは選手が競技をするとき、様々な音楽をかけておく。キム・ジャインが入場すると、世界的に流行している『江南スタイル』の音楽が流れてくると同時に観客席から笑いが起こった。
 キム・ジャインは、決勝でスロベニアの観衆のために集中力が乱れたという事情を打ち明けた。この点についてキム・ジャインは、
 『私が登る番になって、「江南スタイル」の曲が流れました。この曲は個人的に好きでなじみの曲なんですが、スロベニアの観衆が急に笑い出しました。笑い声が大きくなって集中力が乱れましたし、クライミング途中で心を整え、再び集中し始めました」と語った。

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以上引用おわり

Kw ←記事掲載の、冬の装いのキム・ジャインちゃん。

・・・メンタル面の重要性はプロクライマーであるだけにじゅうぶんわかっているはずですので、言い訳というよりは「観衆の笑い声」にだいぶ戸惑ったんでしょうね。
 そのパフォーマンスに、我々の想像以上に精神面が影響するゴルフの大会なんかですと、観客のマナーも厳しく問われてますよね。

 クライミングW杯における背景音楽や選曲の事情など、詳細は知りません。
 日本では羨望もこめて、「欧米ではクライミングコンペは観客も多く盛り上がっている」とはよく言われますが、観客が多ければ、それだけ観客の態度がクライマーに与える影響も大きいという実例ですね。 

参考動画『PSY Gangnam Style 日本語字幕版 』

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【訃報】モーリス・エルゾーグ氏、逝去 その光と影

 1950年、人類初の8000m峰登頂をアンナプルナ1峰(8091m)で達成したフランスのモーリス・エルゾーグ氏が12月13日、老衰のため亡くなりました。93歳でした。

Décès de Maurice Herzog by kairn.com 2012.12.14

モーリス・エルゾーグ、死去 by ウェブサイト 雪山大好きっ娘。+様 2012.12.15

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アンナプルナ登頂直後のエルゾーグ氏

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晩年のエルゾーグ氏

 アンナプルナ初登の代償として重度の凍傷で手指を切断、登山から引退後はフランスのスポーツ大臣、シャモニ市長、IOC委員を務めてました。

 日本の登山者の皆様にとっては、なんといってもその著書『処女峰アンナプルナ』が全てでしょう。

 しかしその一方、エルゾーグ氏にはダークな話題がつきまとっていました。
 アンナプルナ登山に関する書籍出版の権利を巡っての遠征隊メンバーとの確執がありました。
 フランスの著名な山岳ジャーナリスト、 Yves Ballu氏が自身のブログで明らかにしていますが、『処女峰アンナプルナ』の著述内容についても、ガストン・レビュファが不満を抱いた箇所に書き込みしたページを公開しています。
 
 スペインの登山サイトDesnivelのエルゾーグ氏追悼記事には、2010年に取材されたエルゾーグ氏インタビューが掲載されています。
 レビュファ氏について問われたエルゾーグ氏は、

 『しかし彼は「異邦人」でしたね。たしかにいい男でしたが、距離をおいていました。本質的に、彼は北欧の人間ではなく地中海、マルセイユの人間ですからね。』
 
と、冷めた見方をしています。それも、出版物を巡る確執が裏にあったのではないか、と私は個人的に推測します。ちなみに『処女峰アンナプルナ』の冒頭、メンバー紹介でも 『ガストン・レビュファは、山男としてはけがらわしい生まれというわけだが、ガイドなんだから、なおさらのことだ。かれは海辺で生まれたのだ。山案内人組合は、かれからこの汚点を洗い落とすのに、ずいぶんひまがかかった。』と、ユーモアにしては随分ときつい表現で書いています。(日本語訳は近藤等氏)

 山岳ジャーナリストの江本嘉伸氏が話題にしていますが、登頂写真のこともエルゾーグ氏のもうひとつの顔を象徴しています。

 エルゾーグの登頂写真といえば、ぼやけた感じで小さなフランス国旗を掲げている写真を皆さんご記憶でしょう。
 しかしながら、アンナプルナ頂上で撮影されたエルゾーグの写真はあの一枚だけではありません。

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左端が日本人読者にもおなじみフランス国旗を掲げたエルゾーグ、左から二枚目もフランス国旗、真ん中がフランス山岳会旗、そして右の2枚のショットは、エルゾーグ自身が幹部として勤めていたタイヤメーカーKléber Colombes社の社旗。(画像出典:Yves Ballu氏ウェブサイトより)
 邦訳の『処女峰アンナプルナ』登頂シーンでは、フランス国旗と山岳会旗を持ってきていたという記載はありますが、勤務先の社旗については触れられていません。ラシュナルがエルゾーグに対してイライラしながら「気でも狂ったのか?早く降りよう」と急かす状況だけ描かれています。

 『処女峰アンナプルナ』に文学性を感じ、感銘を受けた方には申し訳ありませんが、エルゾーグは登頂という成果を 最 大 限 に 「 利 用 し て 」 社会進出を果たしたともいえるでしょう。

 もっとも、それが1950年のアンナプルナ隊に加わったクライマー達を貶めることにはなりません。
 31歳の若きリーダー、エルゾーグに率いられた面々に、フランス山岳会ヒマラヤ委員会から与えられた任務は

「ダウラギリとアンナプルナ、未踏の8000m峰あるんだけど、どっちか選んで登ってな。ちなみに参考資料も地図もなんも無くて、山麓までのルートもよくわかんないから、現地で調べてがんばってね。じゃ。」

 という、今では考えられない未知の世界に踏み込まなければならない登山でした。
 そんな未知・未踏への憧れ、そして人類初の8000m峰登頂を果たした記録について、世界各国の山屋が熱狂したのも当然といえましょう。

 エルゾーグの記した『処女峰アンナプルナ』の内容に関してはその後も議論が沸き、最近も当ブログでとりあげましたが、娘であるフェリシティ・エルゾーグ女史が「登頂は偽りではないか」というテーマで私小説を書き話題になりました。
 光だけでなく影も多いエルゾーグ氏ですが、そのインタビュー内容は登山から早く引退したとはいえ、山屋の風格を感じさせます。91歳で宇宙への憧れを語り、前述のスペインのDesnivelのインタビューは、こう締めくくられています。

Q.今までの人生に満足されていますか?
エルゾーグ.もちろん。私は自分の人生にとても満足していますよ。

(原文:
 Q: ¿Ha merecido la pena todo lo que ha vivido?
 A: Por supuesto. Estoy muy satisfecho de la vida que he tenido.)

登山史を飾った偉大な先達のご冥福を祈ります。

当ブログのエルゾーグ氏に関する過去記事
あの人は今 モーリス・エルゾーグ(Maurice Herzog)
英雄 ~山で何が起きたのか、誰も知らない~

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ヒムジュン(Himjung)南西壁の記録

 ピオレドール・アジア2012を受賞した、ヒムジュン(Himjung)南西壁の記録は韓国の山岳雑誌『山』、そしてピオレドール・アジアを主催する『人と山』に掲載されました。

 月刊『山』では隊長であるキム・チャンホ氏が2009年春、「ダイナミック釜山」登山隊でマナスル登頂に成功後、下山途中にヒムジュンの存在を知ったきっかけ、またヒムルン・ヒマール山群一帯に関するネパール政府の混乱した標高や名称などの問題にも言及し、マクロな視点から登山隊の記録を報じています。
 一方、ピオレドールアジアを主催する『人と山』は、隊長キム・チャンホ氏とペアを組んだアン・チヨン氏の手記という形式で、臨場感あふれた記事を掲載しています。
 ここでは『人と山』のアン・チヨン氏の手記を紹介します。

第7回ピオレドールアジア受賞 ヒムジュン(Himjung)初登攀 by 月刊『人と山』2012年12月号

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第7回ピオレドールアジア受賞
ヒムジュン(Himjung)初登攀

頂上は、将来に踏み出した第一歩だった

キム・チャンホ、アン・チヨン、ネパール未踏の最高峰初登頂

文/アン・チヨン(韓国ブワントゥ(Wand=岩壁)クラブ)写真ヒムジュン登山隊

 韓国の登山家だけでなく世界の山岳界にも名前すら知られていないヒムジュン(Himjung)、その前人未踏7,140mの頂上にキム・チャンホ、アン・チヨンのペアが立った。彼らは南西壁から4泊5日のワンプッシュスタイルでクライミングを展開した。韓国は1962年初のヒマラヤ進出以来、今年は50周年となる年だ。先人達の道を刻み、海外遠征50年周年という韓国山岳界において、未来への第一歩を踏み出そうとこの登攀に向かったと彼らは語る。<編集者 注>

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 9月29日、4,800mのヒムジュンのベースキャンプに到着したキム・チャンホ兄(訳者注:兄とは韓国での年長者への敬称。血縁関係ではない)と私は、以前ギャジカン日本隊がベースを設けたと推定される場所を整地してテントを張った。10月2日ベースキャンプ入りして5日目、プジャを行う。質素に行われたプジャは新しく作ったチョルテン(Chorten)に食糧と装備を捧げ、登攀の安全を祈った。10月4日、壁の下部に可能なルートを見出すため、若干の装備と食糧を持ちベースキャンプを出発。3時間程度のモレーン地帯と下端部の氷河を通過して150m余りほどのクーロワールを登ると再び中段部の氷河が始まる。

 私たちが歩く氷河側は天候が良いものの、空は激しい風に雲が早く流れている。冬が近づくシーズン、ヒマラヤのジェット気流が吹きそうな兆しだ。時間を見ると午後4時位。壁の取り付きまでは、さらに進まなければならない様子で、チャンホ兄と私はここでビバークすることにした。堆石と氷が混じった場所をスコップとアックスで削り出し、2人用テントを張った。すぐそばの凍った水溜りを掘って、水を得ることができた。

 10月5日、煩わしい程に乱れたクレバスの間を安全を期して注意深く渡り、上段部の氷河がほぼ終わり、登攀開始地点である大雪田まで2時間ほど登る。そこにテントを張りルートを把握した後、ベースに下山した。出国前に可能に見えた南西稜と南西壁の間に、私達は頂上に伸びる柱状岩稜を選択した。落石の危険から安全で、ビバーク地の期待できるルートだった。南西稜はネムジュン北稜と合流するコルから始まり途中にピナクルもあり、登攀距離が長くなる。

 ベースキャンプで十分に休息を取ったチャンホ兄と私は10月9日、取り付き下のビバーク地(6,050m)に一日ぶりに登り登攀準備をした。前に設けておいた軽い2人用テントは登攀時に使うため、3人用の少し広いテントに取り替え、ハーケンと各種確保用具の重さを考慮して数量を決めた。

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強風を突き抜けて壁に

 10月10日、クライミングを始めなければならない日なのに一晩中悪天が朝まで続いた。風が吹き少し雪も降る。天候は良くなくても登ってみる必要があるが、問題はガスがたちこめて視界が効かない。私達はひとまず待機することにして3人用テントで時間を過ごしていた。午前10時頃、天気が少しずつ晴れてきた。ひとまず装備を取りまとめ、壁の下に行き状況を探ることにした。「登ろう!」壁の下に行った私達は短く言葉を吐き出してクライミングを始めた。ヒムジュン南西壁の下段は岩壁で技術的なミックスクライミングが必要だった。チャンホ兄のビレイで私がリードして3ピッチを登攀した時、再びガスがわき始めた。視界がどんどん効かなくなる中でクライミングが困難となり、午後2時頃ビバーク地に下降した。

 10月11日、ビバーク地で朝5時に起床、ストーブに火をつけた。薄氷が凍りついたテントの中で装備と食糧を取りまとめ、二重靴を履く。寝袋は一つだけ持ってきて二人で一緒に使うことにしていたし、マットレスは半分に切っておいた。今日は天気が良いことだけを望んだ。氷河を横切って壁が始まる急なガリーでアイゼンを履き、チャンホ兄のビレイで私が先に登り始めた。

 ヒムジュン南西壁下段部は岩場だが、平均傾斜80度の傾斜角に各所にルーフがたちふさがり、クラックの中は雪と氷がぎっしり詰まっている。ナイフハーケンとカムを設置してミックス区間を突破していく。手袋をはめたまま岩についた雪を払い、ホールドを探す。少しずつ手袋が濡れる心配はあるが、スペアは持ってきていた。岩の間に凍りついた氷壁はあるものの氷は薄く、落氷のため登攀するには危険だった。その氷壁の左、岩と氷がミックスしたルートを選んで登った。最初は岩が大部分を占めていたが登るにつれ氷と雪に変わり始めた。時々、小さい落石の音が聞こえる。想像以上に支点を設置するのには大丈夫だった。ピッチの終了地点は岩にスリングを巻いたり、支点を2カ所以上とり荷重を分散させた。主にナイフハーケンと小さいカムを多用した。

 第3ピッチの岩壁地帯を通過すると、第4ピッチから第6ピッチまでは硬い氷壁が多い区間だ。アイゼンの爪も入らない程に丈夫な氷で、下手をすると体力消耗も激しい危険がある区間だ。この区間を速く通過すれば疲労を軽減できるという考えで速やかに登攀を進めた。登攀中の支点にはアイススクリューを多用し、ビレイポイントでは岩壁に近づき岩場で確保した。

 私たちは軽量な7mm×50mのダイニーマ1巻、6mm×50mのケプラー1巻を使った。第7ピッチの氷雪と岩が混じったミックスクライミング地帯でスピードが出始めた。このように第12ピッチまで落石危険がある岩壁を右にトラバースして、氷雪壁区間へと登っていく。壁は静かで、私たちの息づかいとハーケンを打ち込む音がヒムジュン南西壁に響く。第13ピッチ上部は主に氷雪壁で大きい雪庇が見える。そして頂上部は黒と灰色の岩が入り乱れた巨大な岩壁が両側に広がっている。私たちが選択したルートは大きな雪庇の右側を通過して岩壁の中で顕著な雪氷壁に沿って尾根に登るルートだった。

 このピッチで私は大きな落石に遭遇した。ヒムジュン東峰の稜線から岩が崩れ落ちた。ぼやけた砂埃を起こし、かなり大きな石が幾つか落ち始めた。私がいる所までは距離があり、落石を避ける余裕があった。大きい石は私の両側に落ち、小さな石の破片は避けられず、壁に伏せて頭を下げた。身体をぴたっと縮めたまま、数秒後に石がザックに当たり、ロープが張られる感じが体に伝わる。

 しばらくして私は下を見て、チャンホ兄は上を見て、お互いが無事か目で確認する。「大丈夫か?」岩にスリングを巻きビレイしているチャンホ兄の問いに「はい」と答えて再び登り始める。これ以上、言葉は必要ない。チャンホ兄の視線を背中に感じながら、ワンステップ、ワンステップ、再び登る。

風が吹いているが空は澄んでいる。ヒムジュン南西壁の向い側にはネムジュン峰がそびえる。今回のクライミングでは軽量化のために無線機をビバーク地に置いてきたため、意思疎通には大声で叫ばなければならなかった。その代わり、GPS機能が内蔵された衛星電話を一台持ってきた。ネパール政府の地図でまちまちなヒムジュンの高度を測定するためである。時々岩に視界をさえぎられ意思疎通がうまくいかないが、ある程度は感覚で知ることが出来る。南西壁の中間に巨大な雪庇があり、その下にテントを設営する予定だったが傾斜がとても強く設営できそうにない。再び雪庇の右側を廻り、氷柱が形成されている氷壁をトラバースして雪庇の上に登る。しかし、ここもキャンプ地としては良くないため、さらに登ってみることにした。

 第14ピッチからはチャンホ兄がリードして登り始める。約300m程の離れたところに横に長く広がったクレバスが見える。おそらく大きな雪庇の上のリッジから続く最後の部分が、氷雪壁の重さで割れているようだ。ビバーク地(6,770m)を探し、休める場所を期待した。

 1.5m程の高さの隙間が長く広がり、最も良さそうな所を整地して900gの2人用テントを張る。上部からはスノーシャワーや頂上部の岩場から落ちてくる落石もあるが、ここはそんなリスクを避けることができる良い場所だった。テントが傾斜で転がり落ちないよう、テントの片側をスノーバー4本で固定、雪を固めて丈夫にした。

 上を見ると白い氷雪壁が繋がっていて、尾根上の様子も視界に入ってくる。クレバスの中に下がったツララを溶かして水を作ることができた。だが、テント入口の前は二人がやっと立てる狭い空間で、墜落に常に注意をしなければならなかった。

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5日間の速攻登山、そして頂上

 ヒムジュン南西壁は朝9時頃に日が昇り夕方は遅く日が沈む。夕日があたりテントの中が温かい。マナスル、アンナプルナ、ダウラギリ山群まで広がるパノラマは壮観だった。午後4時を少し過ぎて私達は装備を外し、しばらくテントの中で疲れを癒すために1時間ほど睡眠をとった。テントを照らした太陽は西側の山群に少しずつ沈み、気温は急激に下がる。夕方、ヤク肉を味噌で混ぜ合わせたチゲを作り、乾燥米で食事をとり、早めに眠った。

 チャンホ兄と私は寝袋一つでテントの中の寒気に耐え、夜は良く眠れなかった。気温がマイナス22℃以下に下がり、ジェット気流が下降し強風が吹きまくった。寝袋一つに頼りお互いの身体を密着させている間、チャンホ兄の体温が私に伝わり、それなりに暖かさを感じることができた。一晩の寒さで薄いテントの中は氷でいっぱいだ。寒さに耐え互いに背中合わせの身体で背を丸くして寝ているうちに、10月12日明け方5時になった。朝は簡単なスープを作りチョコバー一つを半分ずつ分け合って食べた。テントのスペースが狭くチャンホ兄は外で装備を着け、私はテントの中で装備を一つ一つ着用する。50mロープを半分にたたんで結び、私がリードで登り始めた。ビバーク地は高度計で6,770mを示している。

 あたりは明るかったが光がささず、気温は低い状態だ。私はおよそ30分ほど登り左手が凍ってくる痛みを感じて左手だけ厚い手袋に取り替える。20m上にチャンホ兄の荒い息づかいが感じられる。頂上につながる稜線に登るとヒムルン・ヒマール(7,126m)とラトナチュリ(7,128m)などヒマラヤ山群が展開している。下降気流が下に吹き込み雪の粉が顔に当たる。左に不安定な岩壁があり、さらにその上の岩稜を行く。頂上直前のピッチを残し、私達は暖かいお湯とチョコバーを分け合って食べた。

「こちらの稜線を越えて登れば頂上だ」チャンホ兄はアイコンタクトで最後のピッチを私に任せ、ビレイの準備する。私は頂上へ向かって力強く足を踏み出し、チャンホ兄の心を推し量る。息を切らせて頂上に立ったのは、ネパール現地時間午前9時5分頃だった。頂上はナイフリッジで立ち上がることはできない。馬乗りになって座り、私は雪面にアイスアックスを打ち込み、チャンホ兄をビレイした。

 ますます近づくチャンホ兄の笑顔がとても嬉しい。私達は頂上で合流し、子供のように抱き合って歓呼して喜んだ。青く澄んだ空、頂上のまぶしい日差しが私達二人を歓迎しているようだった。共に感激したその瞬間は、いつまでも心に残るだろう。この日私達はビバーク地に下山して熱いお茶を飲み、再び懸垂下降を始めて壁の取り付きのビバーク地に降りて行った。
 10月13日、5日間の登攀を終え、チリンとテンジンが待つベースキャンプに下山した。

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▲南西壁を登攀するキム・チャンホ隊長。遠征隊は軽量化のため、軽くて強力な6mmケプラーロープをメインロープに使用した。(画像、キャプションは月刊『山』2012年11月号より)

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▲ドライツーリング技術を利用して岩壁を登るアン・チヨン隊員(画像、キャプションは月刊『山』2012年11月号より)

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▲ヒムジュン頂上に座り歓呼するキム・チャンホ隊長(画像、キャプションは月刊『山』2012年11月号より)

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以上記事引用おわり

 『人と山』に寄稿したアン・チヨン隊員の経歴は、2005年ロブジェ西峰南西壁新ルート開拓、2006年には日本隊と同時に入山して協力しながら登攀を進めた冬季ローツェ南壁隊に参加、最高到達点まで登攀。2009年には中国グロスバナー北壁新ルート開拓、2011年にはキルギスタンTeketor峰4441m北東壁に新ルート開拓など、韓国でもトップレベルの高所・ビッグウォールクライマーです。

 『人と山』に掲載された記事を注意して読むとわかりますが、ギャジカン日本隊や画像にあるようにラトナチュリ、ネムジュン等々、日本隊の記録を詳細に調べていることが伺えます。
 
 アン・チヨン氏の手記の中で、落石をやりすごしながらパートナーのキム・チャンホ氏と短く受け答えをし、『これ以上、言葉は必要ない。』と書いている場面は、アルパインクライマーなら頷けるところでしょう。

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オルトボックスORTOVOX 3+、リコール

オルトボックス社の雪崩ビーコン、ORTOVOX 3+がリコールとなっています。

Ort_2

RECALL CAMPAIGN ORTOVOX 3+ (オルトボックス社サイト2012.12.7)

2012年10月17日以降に出荷された製品は故障している可能性があり、要チェックとのこと。
同社サイトの こちらのページ でシリアルナンバーを入力してチェックできるようです。

日本の販売元、マジックマウンテンのカタログ(PDF)

 このモデルは探索モード開始から送信モードに自動で切り替わる機能があるのですが、イギリスのアウトドアサイトgroughの記事によれば、手動切り替えで探索モードを継続できるはずが、(故障の)最悪の場合、この機能が働かず捜索を妨げる可能性があるとのこと。

 最近はネットで海外からギアを直接購入する方もおられるようですので、お持ちの方はご確認下さい。

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猿以上、人間未満。

アウトドアのアクティビティで「ツリークライミング」があるのは皆様もご存じのとおり。
私も蔵王でツリークライミングの講習を傍目で見ていたことはあるのですが、まだ未経験。
あれってギアはじめクライミングに通じるモノがあるよなあ・・と思っていたのですが、アメリカでは既にクライミングと融合させたギアが販売されているようですね。

They're Going Ape Over MONKEYS®, New Climbing Product Comes To The USA by PRleap2012.12.8

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モンキークライミング・ハードウェア

大木にベルトでホールドを結びつけるギアですね。
ドイツのメーカーが開発した製品のようですが、たまたまアメリカのニュースサイトでみかけたもので、アメリカでの通信販売サイトはこちら↓

MONKEY HARDWARE

ホールドはこんな感じで
P3
固定するようです。
メーカーサイトを拝見すると、年齢別のセット販売で、4~7歳向けセットで297ドル(約2万5千円)からオートビレイ器付きフルセット2908ドル(約26万円)セットまで様々。
各人のレベルにあわせて、また任意の木に取り付けられることが売りのようです。
紹介動画はこちら(ドイツ語)

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山、高きがゆえに

 来春、カザフのデニス・ウルブコがエベレスト南西壁に「アルパインスタイルで新ルート開拓」を計画していることを明らかにしました。

Denis Urubko: “Voy al Everest a abrir una nueva ruta en estilo alpino” by Desnivel 2012.12.7

 パートナーはアレクセイ・ボロトフ。
 インタビューの中でウルブコは「世界で一番高い山」「新ルートをアルパインスタイルで開拓」を究極のテーマとしてあげています。

 日本の山岳メディアでは、エベレストはもはや登り尽くされた山というのが「識者」の見解ですが、やる人はやるんですね。
 ノーマルルートの大渋滞に関して尋ねられたウルブコは、環境面や渋滞による遭難などはもちろん問題だとしながらも、毛嫌いするわけでなく「椅子の上に留まるだけでなく、実際に行動する(山に登ろうとする)人々」「登山はネパール経済に寄与する」として冷静に受け止めています。 

 ウルブコはインタビューの最後に2013~2014の冬季にシモーネ・モローとなにやら「とても面白い計画」をたてているらしいのですが、それはモローに聞いてくれ、と内緒にしています。

 なお来春のエベレストは、先日ピオレドールアジアを受賞した韓国のキム・チャンホが、無酸素14座登頂の最後として「無酸素による新ルート開拓」を計画しているようです。
 来シーズンも、エベレストは熱い人々であふれるようですな。

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大先輩の教え

12月7日、セックスと暴力に彩られた犯罪都市・東京にて建設関係の資格更新講習。
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犯罪都市の住民はみなダウンジャケットやコートを着込んでいるが、山形から来た私には暑い。
厚着の人々の雑踏を、腕まくり姿で歩く。

夕方。
講習もおわりかけの頃。
強く長い揺れ。地震だ。
参加者達が皆「電車大丈夫か」とつぶやきながら解散する中、私は御茶ノ水に向かう。
御茶ノ水のJR駅みどりの窓口で新幹線の運行状況を確認。
それから、ちょうど今日開催される立正大学体育会山岳部のOB会・納会に挨拶に行く。

私は山形在住なもので、OB会に顔を出すのは数万年ぶり。
現役時代にお世話になったY先輩やF先輩とか来てるかな~
Nomikai
こんな雰囲気をイメージしながら会場の「和民」に到着してみると・・・

Bgjaki
昭和30年代・40年代卒業の重鎮OBがずらり・・・
しかも立正高校山岳部監督で日本山岳会の重鎮、大村先生までご出席・・・

もーお隣のOBにビールつぐのも
Ruac
緊張してました。

とはいえ、そこは山岳部という絆で固められた面々。
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昔話になごやかになるひとときでした。
遅れて、世界で一番高い山に一緒に遠征した工藤君も出席。
おなじ平成卒OBが来てくれてようやくほっとする(笑)。

ところで御茶ノ水の「和民」。
駅から歩くと、「坐・和民」、「わたみん屋」「和民」と、紛らわしい店が幾つも並んでいるのである。
私は最初「坐・和民」に行ってしまい受付で「ご予約ございません」と言われ、結構うろつきながらようやく会場の「和民」に到着したのでした。
飲み会の話が進むうち、どうやら周りの古参OBの方々も私同様、他の「ワタミ」の店で「ご予約ございません」と言われながらこの会場に来たらしい。

「案内どうなってんだよ」
「案内の地図、「坐・和民」になってんぞ」

と古参OB皆様の突き上げの声が交差する中、日本山岳会の重鎮・大村先生が独特の通る声で総括。

Om

梵天丸も、かくありたい。

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ジョン・ロング、クライミングジムで重傷

 エル・キャピタン、ノーズのワンデイアッセントをブリッドウェルと成し遂げたジョン・ロング(John Long)が、去る11月29日、サンタモニカのクライミングジムでビギナーとクライミング中に約10mグランドフォールしました。
 この転落事故によりジョン・ロングは左足首を解放骨折という重傷を負いました。

 LA在住の在米韓国人クライマーから流れている情報で、病室で足首にチューブを挿入され麻酔で眠っている姿の画像なども流出しているのですが、あまりに痛々しい姿なのでここでは紹介しません。

 事故の詳細は明らかにされていませんが、ジョン・ロングほどのベテランでもこのような事故に至る現実を前に、私のような凡人も気を付けなければという想いです。

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2012年4月に撮影されたジョン・ロング(左)、ジム・ブリッドウェル(右)大先生たち

 あれ?
 クライミング嫌いな私の書棚になぜかジョン・ロング先生のFalcon『Climbing Anchor』なんて置いてある・・・
 
 一刻も早い回復をお祈りいたします。

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山の話題いくつか。

この忙しい年末に自宅のプリンタがご臨終。
キャノンBJ200という1999年販売のクラシック機。写真プリントなんかせず書類印刷がメインだし、インクはハードオフで100~300円で投げ売りしているしで重宝してたんですが、ついに観念して家電販売店で在庫処分の複合機を買う。

兼業山岳ガイドなんて小遣い稼ぎと揶揄する田舎山岳会の糞爺がいますが、業務上のコストは結構かかるんだよね。
私の場合、資料のコピー代が年間でバカにならず5円コピー機を利用したり、希少本は図書館でも「禁帯出」になってるから、結局図書館で10円コピーせざるをえない。まあなんだかんだで急ぎ資料をコピーする場面も多かったので、安価な複合機を急遽購入。

で、プリンタの試運転も兼ねて実家の爺婆に頼まれた年賀状印刷しながら、山の話題チェック。
まとめていくつか紹介します。

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スチール・エンジェル2012受賞者決定

11月18日の記事で紹介したスチール・エンジェル2012、今年の受賞者は、

 Sten
Zamin Karor(4303m)北西壁に新ルートを拓いたポーリン、イリーナのペアに決定しました。
(画像右から三人目、受賞決定時のイリーナ)

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『Three Cups of Tea』の共著者David Oliver Relin、自殺

David Oliver Relin, Adventurous Journalist, Dies at 49  by The New York Times 2012.12.3

 当ブログでも以前取り上げました、『Three Cups of Tea』の共著者、David Oliver Relinが自殺しました。享年49歳。
 K2に登り損ねたグレッグ・モーテンソン氏が一念発起してパキスタン各地に学校を作るという感動的な話でしたが、アメリカのテレビ番組でジョン・クラッカワーがグレッグ・モーテンソン氏の行動と本の内容に疑問を提起、アメリカではスキャンダルとなり、裁判沙汰になっていました。
 共著者David Oliver Relin氏の自殺に関して、AP通信の取材にもモーテンソン氏はノーコメントとしています。
 具体的な死因に関しては遺族の意思により公表されていませんが、鬱病に苦しんでいたとのこと。

 『Three Cups of Tea』の問題が、大きな負担となっていたことは間違いないでしょう。

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映画『The Summit』

 ロバート・レッドフォード主催の「サンダンス映画祭」に2008年のK2大量遭難をテーマにしたドキュメンタリー映画『The Summit』が出品されます。
 予告編はこちら↓ 

2008年K2大量遭難に関する記事

雪山大好きっ娘。2.0様 K2で大量遭難2008.8.4

当ブログ
 明らかになるK2遭難の模様
 メスナー爺さん、K2遭難にコメント
 

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ムスターグタワーのロシア隊、「ピオレドール・ロシア」 「クリスタル・ピーク」同時受賞

ロシア山岳連盟が選定する「ピオレドールロシア」。
去る12月1日に選考会・授賞式がモスクワで開催されました。

まずは2012年の「ピオレドール・ロシア」のノミネートされたクライミングを以下に紹介します。

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1. パタゴニア ポワンスノ南東壁新ルート開拓 6B A4 1600m
メンバー M. Davey、S. Dashkevich、E. Dmitrienko Seregin

R1

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2. キルギスタン 天山山脈アク・サイ渓谷 双耳峰4814m 冬季登攀
チムニーウォール西壁 初登攀 5B
メンバー B. Patsevichら3名

R2

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3. キルギスタン カラフシン渓谷連続登攀「F1グランプリ・カラフシン」
イエロー・ウォール峰 Solonnikovルート 5A
Slesova峰 リストラクラックルート 5B
ロシア洗礼1000年祭峰 Potankinaルート 6A
4810峰東壁 Vedernikovルート 6A
4810峰北西壁 Voronovルート 6B
メンバー Denis Veretenin、Eugene Bashkirtsev

R3
左からSlesova峰、4810峰東壁 Vedernikovルート、イエロー・ウォール峰、4810峰北西壁 Voronovルート、ロシア洗礼1000年祭峰 Potankinaルート

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4. ノルウェーStetind北壁 (Norway), 1392m 新ルート「女性の論理」開拓 6A, VI, A2
メンバー M. Koptev, G. Cibitoke

R4

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5. ムスターグ・タワー7273m, (パキスタン・カラコルム),北東壁バットレス初登
メンバー S.Nilov、D.Golovchenko、A.Lange

R5

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6. パミール レーニン峰 7134m 新ルートから登頂
チームリーダー Andrey Lebedev他
.R6

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ノミネートされたのは以上の6隊。
審査の結果、2012年のピオレドール・ロシアに輝いたのは、
Rp1
ムスターグタワーに新ルートを開拓したセルゲイ・ニーロフ(左)、アレキサンダー・ランゲ(中)、ドミトリー・ゴロフチェンコ(右)に決定しました。

なお同隊は、

Rp2
セルゲイ・ニーロフが手にしていますが、2012年の「クリスタル・ピーク」および一般投票でも受賞しました。

「クリスタル・ピーク」はロシアの某登山サイトが主催していることもあり、サイトに会員登録していればWEB上で「一般投票」の権利があります。
 ちなみに私は色々考えながら、ロシア・旧ソ連圏のクライマーであればこそ可能なクライミングとして「ハンテングリ北壁ダイレクトルート」、そしてムスターグタワーに投票しました。(一人2隊まで投票可能)
 他にもSimnang-Himalでの素晴らしいクライミングも「クリスタル・ピーク」にはノミネートされていたのですが・・・

 以前ブログで主張したとおり、私はこういった賞には肯定的な考えを持っています。
 しかし末端のWEB投票とはいえ、いざ選定する立場となると、甲乙など付け難いものですね。

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星空とクラリネット

毎日極寒の現場作業で精神もすさんできた。
日曜朝、息子を連れて山形県朝日少年自然の家へ。

本日の催しは『プラネタリウム一般公開秋冬セレクション』(PDFファイル)
 山形県朝日少年自然の家にはプラネタリウム施設がある。
 春と冬、年二回プラネタリウム公開の行事があり、生演奏付きでなかなか人気がある。
 春は登山シーズン始まり、冬は現場仕事が繁忙期でなかなか行けなかったのだが、今年はピンポイントで休めそうだったので申し込みしておいたのだった。

Img_0234
自然の家のある大江町・左沢(あてらざわ)は雪景色。
人手が入らない柿の木が雪をかぶっておりました。

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今回が朝日少年自然の家デビューとなる息子、天体望遠鏡に興味津々。

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上映前のプラネタリウムルーム。(上映中は携帯・カメラ禁止です)

 子供達は小学校行事で何回かプラネタリウムを経験しているらしいのですが、私は何万年ぶりだろう。
ドームに写される星空もさることながら、クラリネットの生演奏に心身を休めました。

 いつもDSでゲームばかりしている息子に、アンドロメダやペルセウス、メデューサが出てくる神話の世界に少し触れて欲しかったのですが、息子の眼にはどう写ったことやら。

 昼には帰宅。
 現場疲れでしょうか、少し仮眠をとった後、出社して書類整理。
 明日からまたまた現場作業の日々ゆえ、山の話題はてきとーに更新します。

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秋田おしごと日記・2012年11月その3

11月×日
 ビジネスホテル暮らし、夕食は現場作業の帰路、激安スーパーで購入。
 精鋭部隊のリーダー格K君から毎晩、
 「今日は甘いモノ買わないんですか?」とけしかけられながら、ある日2人で目を付けたのが、

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 秋田市の「たけや製パン」が作っている「黒ごまたっぷり ごまあん草餅」。
 K君は「こし餡」の「ごまあん餅」を買い、粒あん命の私は「草餅」を買う。

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小さなのり弁サイズのパッケージに全面黒ごまが薄く敷かれ、その下は小豆餡、その下が餅という三重構造。

「ごま餡」といっても胡麻の風味はそれほど自己主張せず、小豆餡とマッチしてとても美味しい。
秋田県民よ、無理して「バター餅」なんぞ県外に売りこむくらいならこっちの方が断然いいぞ。

月が変わって12月1日。
さすらいの土木作業員たる私、精鋭部隊から一人離脱して山形県内の現場に投入されることになる。
リーダー格のK君からは
「また楽しく仕事しましょーよ」
と声を掛けられ、精鋭部隊の面々にも名残惜しく、秋田を離れる。
高速道を南下、大館からは吹雪、雄勝町のコンビニでは
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もう本格的な雪景色だ。

 精鋭部隊に混じって仕事していたためか、疲労でふっと気が抜け、高速道でもいつのまにか追い越し車線を走っていたりする(笑)
 マメに休憩を入れ、土曜日の夜で誰もいない工場に到着。
 ここで汚れ物を洗濯してから帰宅。

 自宅では家族と、
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娘の手作りのカスタードプリンが待ってました。

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