« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

【速報】月山 姥沢小屋が全壊

月山の姥沢登山口に位置する「姥沢小屋」が暴風と豪雪で全壊したことが1月30日、関係者により確認されました。

月山の姥沢小屋が全壊、屋根吹き飛ぶ by 山形新聞2013.1.31(現場状況の画像あり)

報道によれば今年の営業は不可能とのこと。
今年に月山登山を計画の方で姥沢小屋の利用を考慮されていた方はご注意ください。

---------------------------

 地元の方ならご記憶と思いますが、1991年、姥沢小屋旧館がまるごと50m以上ぶっとばされていた事例がありました。この原因に関しては暴風説が主力となっていますが、あらためて自然の力を痛感させられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Piolets d'Or 2013、功労賞にクルト・ディームベルガー

本家本元のピオレドール2013。
今年のノミネート登山隊はまだ発表されてませんが、生涯功労賞=ワルテル・ボナッティ賞が先に発表されました。
ピオレドール2013、ワルテル・ボナッティ賞はクルト・ディームベルガーに贈られることが決まりました。

Les Piolets d'Or 2013 by Kairn.com 2013.1.28

K1
クルト・ディームベルガー近影

1932年3月16日オーストリア出身。
1957年、ブロードピーク初登頂。かのヘルマン・ブールと行動を共にし、ブールを最後に目撃した一人。
1960年、ダウラギリ初登頂。
8000m峰2座の初登頂を果たし存命する唯一の人物です。
その後もヒマラヤ登山に関わり続け、86年のK2ブラックサマーで生き残ったものの、大切なパートナーであるジュリー・チュリスを失うことになります。
現在は娘さんと共に、引き続きヒマラヤの映像撮影に関わっています。

K3
1960年5月13日、ダウラギリ初登頂時のクルト・ディームベルガー(左端)

私個人の意見としては、ボナッティ賞は今年も納得の人選だと思います。
ポーランドのあのお方は、来年あたりでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【訃報】 史占春氏 逝去

 中国登山史の立役者であり、日本の様々な山岳団体が計画した「中国登山」の実現に寄与した史占春氏が、去る1月27日、北京市内の病院にて亡くなりました。85歳でした。

史占春同志逝世讣告 国家体育総局通知文 

経歴

 1929年、遼寧省遼陽市出身。
 14歳で東北部チチハルで鉄道工に従事し、 1946年に中国共産党入党。1950年、天津幹部学校入学。
 1956年、中国登山隊が組織され、史占春が初の隊長に任命される。登山の経験不足を補うため、ソ連から招かれた指導者の下で登山を学ぶ。同年、中ソ合同隊としてムスターグアタ初登頂。
 1957年、ミニヤコンカ峰(7556m)の隊長として5人の隊員と共に中国人初登を果たす。
 1960、1975年の2度にわたりチョモランマ中国隊隊長を務める。
 1980年の中国領ヒマラヤ対外開放以降、日本の中国登山隊の実現化に大きな役割を果たす。

 1960年のチョモランマ中国隊は夜間の登頂で証拠写真も無く、長らく諸外国から成功が疑問視されていました。
 この1960年の登山は国家的大事業でした。当初はソ連との合同登山として計画され、装備一式もソ連から提供される予定でした。
 しかし中国共産党の元帥を務め国家体育局主任でもあった賀竜(後に文革で軟禁され病死)がこの計画を聞きつけ、中国人のみによる登山隊を主張します。
 登山隊の装備品も自分達で調達することを、賀竜が周恩来と劉少奇に直談判、そして史占春氏に「密命」が下ります。史占春氏は当時にして70万$という大金を預けられ、極秘裏にスイスに渡り、登山用品を調達したとのこと。この事を知る人は少ないでしょう、と史占春氏が晩年にメディアに語ったエピソードです。(2007年6月19日付・遼陽県新聞網)

P1
チョモランマ隊隊長を務めた当時の史占春氏

P2
周恩来総理と面会する史占春氏

P3
晩年(2007年)の史占春氏と奥様の張玉蘭さん
(画像はいずれも遼陽県新聞網)

 史占春氏の著書に『中国登山指南』という中国各地の高峰を紹介した本がありますが、この本のお世話になった日本の岳人も多いはず。(私もHAJ経由で買いました)
 その人柄については「日中友好登山隊」で史占春氏のお世話になった諸先輩方の思い出に譲ることにしましょう。
 報道によれば、晩年もチョモランマで中国登山隊が遠征・活動中の際は登山協会に毎日電話をかけ、動向を気にかけておられたと伝えられています。
 中国登山史、そして日本の中国登山を支えた岳人のご冥福をお祈りいたします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

カラコルム冬季登山隊 ナンガパルバット

本日は今冬シーズン、ナンガパルバットに入山している登山隊について。

いまだ未踏を誇る冬のナンガ峰に、今シーズンは2隊が入山。

ディアミール側には、隊長David Klein(ハンガリー)、Zoltan Acs(ハンガリー)、Ian Overton(アメリカ)、Alex Gavan(ルーマニア)から成る国際チーム。以前にシモーネ・モローとデニス・ウルブコが試みたルートをたどる予定。

またイタリアのDaniele Nardi、Federico Santini、フランスのElisabeth Revolから成るチームもディアミール側に入山している模様。こちらは1月18日現在、近くのガナロピークで高所順応中。

ルパール側には、隊長Tomasz Mackiewicz、Marek Klonowski、Piotr Strzezysz、Adrian Kutarbaから成る4名のポーランド隊が入山、活動中。

Rawalpindi_2
ラワルピンディで準備・休憩中のポーランド隊。

 ルパール側に入山したポーランド隊は有志のコンパクトな登山隊で、ポーランド山岳会のウェブサイトでも全く触れられておらず、大々的にマスコミに取り上げられているブロードピークのポーランド隊とは全く対照的な登山隊。ポーランドのクライミングサイトはもちろん、ヨーロッパ各国のクライミングサイトも、情報源は隊員達の個人ブログが頼りのようです。

参考サイト
 nangadream.blogspot.comczapkins.blogspot.com

 彼らが目指すのは、ルパール壁左端のシェル・ルート。
 メスナー兄弟やスティーブ・ハウスらが登ったルパール壁中央より、一つ岩稜を隔てたリッジでマゼノリッジ上部に合流し頂上に到るルートです。

20061020xnangaschell
ポーランド隊が冬季登攀をめざすシェル・ルート(Photo by czapkins.blogspot.jp/)

 1976年、ハンス・シェルら4名から成るオーストリア隊によって開拓されたルートで、隊長の名前をとってシェル・ルートと呼ばれています。(頑固爺ヘルリヒコッファーの著書では「キンスホーファーの道」と記載されていて実にわかりにくい・・・)ちなみに76年のハンス・シェルらは簡素な隊ながら全員登頂に成功、ナンガ峰第6登を果たし、高く評価されています。メンバーには後にガッシャブルム4峰西壁初登を果たすロベルト・シャウアーが22歳で参加していました。

 冬にルパール壁を目指すという大胆な試みは、1963年の冬にさかのぼります。
 ヘルリヒコッファー率いる登山隊、正確にはルパール壁の偵察隊ですが、1963年1月に入山。冬の積雪、そして雪崩に苦しめられ6000mが最高到達点という結果でした。この遠征は到底登頂は無理、とヘルリヒコッファー本人も本音を著書に綴っていますが、ルパール壁登攀の可能性を見いだせた重要な遠征でした。

 いずれにせよシェル・ルートから冬にナンガパルバットを目指す試みは、今冬注目しておきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

上温湯隆は伝説なのか

 Facebook経由で、ある出版社の方が上温湯隆の記録本『サハラに死す』を「伝説の・・・」と形容している記事が目にとまった。

 上温湯(かみおんゆ)隆とは、1975年、単騎ラクダによるサハラ砂漠徒歩横断中に渇死した青年である。
 その手記は長尾三郎氏により『サハラに賭けた青春』、『サハラに死す』の2冊の書籍として出版され、世界を目指す若者たちから絶大な支持を得た。
 聞くところによれば、山と渓谷社から『サハラに死す』が文庫版として復刊されたという。
 嬉しい限りである。

 しかし、この本は『伝説の』として語られる本なのか。
 私はそこにひっかかってしまう。

 もちろん「伝説」と形容した出版社の方をうんぬんというわけではなく、『サハラに死す』という書籍が「伝説の」として語られることに、寂しさを覚えるのである。

 多賀城から一時帰宅、ある山の資料を得るため実家に立ち寄る。
 実家の書棚には、高校生時代、何度も何度も読み返した2冊がある。

Sa
 出版元はなんと時事通信社。
 2冊とも、遊牧民の服にサングラス姿の上温湯隆を表紙にあしらっているが、『サハラに死す』では上温湯のサングラスがひび割れ、その最期を暗示しているかのようなイラストで芸が細かい。

 私の上温湯隆に関する評価は当ブログで以前、【映画】イントゥ・ザ・ワイルド バカは勝手に死ね。 に書いた。
 それは今も変わらない。
 
 上温湯隆は、様々な将来の夢を抱きながら、サハラ単独横断という冒険の途中で死んだ。 
 高校時代、この書籍を何度読み返したろう。少なくとも、復刻版の解説を務めた角幡氏よりも読んだ回数が多いことは間違いない。
 上温湯隆は若くして死に、永遠に青年のままである。
 私は海外登山を経て、人の「死」に間近に接し、会社に勤め、家庭を持ち、高校生の頃とは考えも変わってしまった。

 死んだらおしまい。
 それが私の上温湯隆に対する評価であることに、変わりはない。
 その一方で、書籍『サハラに死す』、『サハラに賭けた青春』の輝きもまた、変わらないと思う。

 そんな書籍が復刻版として、かろうじて読み継がれている。

 ふりかえれば、70~80年代にかけ、多くの若者達の冒険・探検の記録が単行本として出版されていた。
 ある者は手こぎボートで太平洋横断をめざして。
 ある者は当時誰も成し遂げていないオーストラリアの自転車横断へ。
 ある者は未踏の雪と氷の頂へ。
 そんな書籍が書店や図書館に置いてあったものだが、今はもうそのほとんどが絶版である。
 利益を上げなければならない出版業の世界では仕方のないことなのかもしれないが、現在ではもはや図書館でもそれらの書籍を探すのは困難である。
 彼ら冒険者たちの足跡は、『地平線会議』の発行物でわずかに記録されているにすぎない。

 インターネットも無く、情報も容易に得られない時代、身体を張って海外に飛び出した若者達の記録が現実として失われつつある。
 『サハラに死す』復刊の情報を知り、そんな事を思った。

追記:
Saha2 サハラ横断本ではやたらと『サハラに死す』が持ち上げられているが、上温湯隆に影響を受けた同志社大学探検部の若者2人が1978年に挑戦した記録『サハラ横断-苦闘の4150キロ、178日』もオススメである。 飯田望、児島盛之の両氏のサハラ砂漠への思い入れ、先輩・後輩という立場を越えた衝突など、読み応えのある一冊である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カラコルム冬季登山隊 ブロードピーク

8000m峰14座のうち、冬季未踏峰として残るのはK2、ブロードピーク、ナンガパルバットの3座。

今シーズン、2012~13年の冬のカラコルムにおいては、

ブロードピーク・・・ポーランド隊

ナンガパルバット・・・国際混成隊、ポーランド隊

の3隊が活動中。
Montagna.tvによれば、今冬はK2の登山申請は無かったとのこと。

本日はブロードピークを目指すポーランド隊に関して。

◎ブロードピーク(8051m)
 冬季8000m峰の大御所、クシストフ・ビエリツキ率いるポーランド隊が活動中。
 去る2012年12月21日、登山隊の出発を前に、ポーランドはワルシャワのオリンピックセンターで大々的に記者会見が行われました。

P2
右から、隊長のKrzysztof Wielicki、Artur Małek、Tomasz Kowalski、Adam Bielecki、Maciej Berbeka。(Phot by Janusz Kurczab)

P3
(Phot by Janusz Kurczab)
頂上で掲げる旗(ナショナルジオグラフィック125周年記念旗)を受け取るビエリツキ。
同隊は昨冬のガッシャブルム隊同様、ポーランド山岳会のカラコルム冬季登頂プロジェクトの一環として企画され、ポーランド大統領のバックアップを受けた登山隊。
スポンサーとしてナショナルジオグラフィックが支援しています。

ここで特筆すべきメンバーは、

P1
Maciej Berbeka。(Phot by Janusz Kurczab)

ブロードピーク冬季遠征の歴史の概略

1987~88、Maciej Berbeka、Aleksander LwowそしてAndrzeja Zawadęらによる冬季登頂の試み。88年3月3日、Maciej Berbeka、Aleksander Lwowによって頂上アタックするもLwowは途中脱落、Berbekaが単独で登り続け、登頂が成されたと思われたが、後日8035m地点である事が判明。

2002~03、ファニト・オヤルサバルに率いられたスペイン隊6名が挑戦、6900mに到達。

2006~07、および2007~08、シモーヌ・モローらが試みるも7800mを最高到達点として敗退。

2008~09、および2010~11、アルトゥール・ハイゼル率いるポーランド隊が試みるも7830mを最高到達点として敗退。

今回のポーランド隊はビエリツキ、そして88年に頂上直下に迫ったBerbekaという超ベテランペアに若手3名という組み合わせのパーティー。

1月上旬、寒波がパキスタンを襲いスカルドでは気温-27度を記録した中、ブロードピーク隊は現地入り。
6日間のキャラバンを経て、1月23日にベースキャンプ入りしたとポーランド山岳会のウェブサイトが伝えています。

参考サイト

Konferencja prasowa zimowej wyprawy na Broad Peak by wspinanie.pl 2012.12.21

Zimowa wyprawa PZA na Broad Peak - baza osiągnięta by PZA.org.pl 2013.1.23

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ガバッと刺激いれちゃうよ(井上真央 風)

あー
宮城は寒い・・・
ビジホに缶詰生活。

年度末を控えて忙しい日本全国の土木作業員の皆様、お疲れ様でございます。
エルキャプのエイドクライミング、フックの掛け替え→フォールという動画で気分転換w

| | コメント (0) | トラックバック (0)

歳って何よ。

もう歳だ・・・・

という中高年クライマーの、そこのアナタ!!

フレッド・ベッキーに負けるなっ!!!!

Beckey

 アメリカの文字通り「生ける北米クライミング史」「legend」、フレッド・ベッキー(Fred Beckey)が1月14日、90歳の誕生日を迎えました。ダグ・スコット大先生いわく「北米で最も活躍した探検・登山家」です。

HAPPY BIRTHDAY TO FRED BECKEY by Rock and Ice magazine 2013.1.16

 上記画像、ねーちゃん2人に囲まれた画像は中央ヨーロッパのクライミングサイトにも配信されてますが、個人的には
Be2
 だってロシアの某クライミングサイトでも「手の位置がいいなぁ~」って書き込みあったんだもーん。
 ロシアの同志よっ!!

ちなみに三年前、supertopoの掲示板に掲載されてるフレッド・ベッキーがこちら↓

Be3


は、さておき、まだまだクライミングは現役らしいですよ。
Be4


最近、山に若い人が目立ってきて嬉しいんですが、ちょっと気になることもある。
WEBやブログなんかで、「山岳会辞めます」とか「山止めます」という書き込みをチラホラ目にします。

私が山岳部の先輩から教わったのは、「山は生涯楽しめるスポーツ」。

人生は短いようで長いし、長いようで短いですけど、生涯で登り切れないくらいに山はたくさんありますからね。

人にはいろいろな事情がありますから、登山を止めざるをえない事もあるでしょう。
その時はちょっと休むくらいにして、いつでも山に戻ってきて下さい。
まだまだ私たちの知らない、美しい光景が待っているはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クライマーのための眼鏡『ビレイスペック』 【2013.1.17追記】

クライマーの皆さん、ビレイしてて首痛くなりませんか?

 フランスのkairn.comで「クライミングと首の痛み」として取り上げられていたのが、クライミング時のビレイによる首、頸椎の痛み。
 Kairn.comにリンクされている理学療法セラピストFrançois Grenierのブログでも紹介されていますが、ビレイによって長時間にわたり首を曲げる事によって、頸椎や神経への圧迫、痛みなどの症状が発生することを訴えています。

Douleuraucouescalade
François Grenierのwebsiteより、首を曲げる事により圧迫される関節の様子

 首を痛める症状を防ぐために開発されたのが、

B1
ビレイ用眼鏡、『ビレイスペック』(Belay Specs )

 アメリカのエンジニアでクライマーの Phil Wilkes が製作・販売しているビレイスペック、要はプリズムを仕込んだメガネですね。

B2
ビレイスペック近影

Bb1
一般的なクライミングでの様子(François Grenierのwebsiteより)

Bb2
ビレイスペックを使用することにより、首への負担が軽減される(François Grenierのwebsiteより)

B4
ビレイスペックのウェブサイトの説明では、ビレイ時に顔を上げずにすむため、落石や砂・埃が目にはいることも防ぐメリットがある、としています。
ちなみにお値段は80$、プリズム交換20$(送料別)

ビレイスペックのオフィシャルサイト・販売サイトはこちら↓
http://www.belayspecs.com/

-----------------------
2013.1.17追記
 当ブログにコメントをお寄せ下さるドイツ在住のpfaelzerwein様よりコメントを頂戴いたしました。
 クライミングハートナーの方が同様のギアを使用しているが、『確保者の目線が分らないのでコミュニケーションの妨げ』になるとのご感想を、経験を踏まえて御意見いただきました。
 なるほど、声はもちろん、視線というコミュニケーション、アイコンタクトは重要ですね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ちょいと、

Tea
今週からしばらく宮城県の多賀城市に住み込みます。

日々、多くの方々にアクセスいただき、ありがとうございます。
現場仕事のため、またまたブログ更新てきとーになります。


|

本 二題

Imgp0554m

山形を代表するローカル・アウトドア誌『山歩きの雑記帳』No.16を読む。
今号の内容は、
 樹氷の山(森吉山) 志田郁夫
 早池峰山       下机 勉
 田代岳        佐藤浩二
 鳥海山        佐藤 要
 六十里越街道絵図 木山由紀子
 高校山岳部 山物語 高梨直英
 頭殿山        粕谷俊矩
 山の道草      斉藤政広

 毎号注目しているのは、木山由紀子さんの絵筆による山岳地の鳥瞰図。それはもう五百澤智也の再来とよぶべき作品である。
 「高校山岳部 山物語」の高梨直英氏は山形県内で高校山岳部の顧問を務め、高校山岳部監督の視点から著書を出版されている。また教職の経験に基づき在日コリアンに関する著書も出している。

 今号で最も特筆すべきは、粕谷俊矩氏の頭殿山の記録。サブタイトルは『大島亮吉の「小さな三つの峠」』。
 まだ国道112号など通っていない頃、かつて大朝日岳に通じる道であった頭殿山、そして今は廃村となった集落「萱野」を現地踏査した、貴重な記録。現地踏査を通じ、大島亮吉という存在に対して一歩距離を置いた視線で見詰めている。

Kyo
杏林書院『野外教育入門シリーズ第4巻 障がいのある子どもの野外教育』を読む。

 特筆すべきは、p35~p55にわたり、小林幸一郎・高梨美奈 両氏の共同執筆で視覚障がい児のフリークライミングが取り上げられていること。
 このわずかな枚数に、「視覚障がい」の概論から障がい者のフリークライミングの歴史、事例が詰め込まれている。特に参考になるのは、視覚障がい者のクライミングの実際。山道での誘導や人工壁での方向指示などが簡単ではあるが記載されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ハミッシュ・マッキネス、BBCの一大スキャンダルに巻き込まれる。

 最近、新聞の海外欄の片隅に幾度も掲載されていた、イギリスBBCの名物司会者ジミー・サビルによる「未成年者の性的虐待」というスキャンダルをご記憶の方も多いと思います。
 この事件はBBCの誤報という不手際も含めてBBCの組織全体を揺るがす事件となり、昨年11月にはジョージ・エントウィスル会長が就任二ヶ月で辞任に追い込まれました。このジミー・サビル(昨年10月に病死)による性的虐待は約40年以上にわたり、被害者は300人以上という凶悪なものでした。

 さらに、日本のオールドクライマー(失礼)の皆様ご存じのハミッシュ・マッキネスが、このジミー・サビルの犯罪に巻き込まれていたことが発覚しました。

Hm_2
ハミッシュ・マッキネス近影

Climbing legend who sold Scottish cottage to Jimmy Savile admits being 'hoodwinked' by the child sex abuser by Dailyrecord 2013.1.13

 ハミッシュ・マッキネスが長年使用していたスコットランド・グレンコーにある小屋をジミー・サビルが買い取り、所有していたのです。警察の調べにより、この小屋がジミーの犯行の拠点となっていたことが明らかになり、忌まわしき場所として小屋を解体せよという声が挙がりました。
 これに対しハミッシュ・マッキネスはあくまでも自分はジミー・サビルに騙されていたという立場を強調。
(ジミー・サビルは慈善活動家としても知られ、皮肉にも性的虐待被害者を支援する基金を支援しており、そこにはチャールズ皇太子も関わっていたとか)

Jimmysavile
ジミー・サビル、背景の小屋がハミッシュ・マッキネスが長年利用していた小屋

 この小屋は地元の野外活動家・山岳関係者の拠点でもあることから、地元の山岳関係者からも「ハミッシュ・マッキネス」記念館として再生したいという反論があり、またハミッシュ・マッキネス本人も強く小屋の存続を希望しています。
 それもそのはず、日本のクライマー皆様にもご存じハミッシュ・マッキネスの代名詞ともいえるアックスやギアが、この小屋で設計されたのですから。

 この一件を伝えたDailyrecordはスコットランドのタブロイド紙で、まあ日本でいえば夕刊フジみたいなもの、残念ながら小屋存続の結論までは報じていません。
 凶悪な性犯罪者、しかもBBCには隠蔽の疑惑がささやかれる中、このような愚者のために登山史の一ページを綴った場所が失われる危機にあることは何とも嘆かわしいことです。
 紳士の国なんでしょ?

参考サイト
 ハミッシュ・マッキネス(Hamish Macinnes) オフィシャルサイト

当ブログ あの人は今 ハミッシュ・マッキネス 2008.2.14

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国の哲人、キム・チャンホ

P00 韓国の月刊「人と山」誌13年1月号に『韓国山岳界の未来を問う』という連載が始まりました。
トップバッターとして取材を受けたのは、2012年ピオレドールアジア受賞者のキム・チャンホです。
同誌では三つの記事に分けてキム氏を取り上げているのですが、そのうちの一つ、キム氏と知り合いでもあるイム・ソンムク記者とのインタビュー記事がwebで公開されました。
 同月号の表紙を飾るのは、背景にカップルの姿を配した街角に立つキム・チャンホ。
 この表紙の意味するところは、インタビューの内容を読めばさらに感じ入るところがあるでしょう。

 私が韓国の登山学校で学んだ2005年以来、韓国の山岳メディアはマメにチェックしていますが、表舞台に登場するのはいつも「8000m14座」のタイトルを巡る高所クライマー達でした。
 キム・チャンホ氏の存在はアルパインスタイルでビッグウォールを陥すクライマー、ナンガ峰ルパール壁を登ったクライマーとして注目していましたが、韓国メディアに華々しく登場することはありませんでした。
 グレートトランゴ北東壁、ガッシャブルム4峰東壁を登り、2005年にナンガ峰ルパール壁を登ったキム氏は、2006年を境に高所登山のピークハントに専念、「ビッグウォールクライミングの裏切り者」とまでささやかれる程でした。
 インタビュアーのイム・ソンムク記者にも「彼のアイデンティティーは何なのか聞いて欲しい」と多数の催促が寄せられたというインタビューは、韓国人クライマーにおいても貴重な記事のようです。
 
韓国山岳界の未来を問う トップバッター、キム・チャンホ by 月刊「人と山」2013年1月号

以下記事引用開始
------------------------------

P0

韓国山岳界の未来を問う トップバッター、キム・チャンホ
イム・ソンムクが聞き、キム・チャンホが答える

「無酸素エベレスト・ローツェ縦走であれば満足するだろうか?」
「流れる川のように海にたどり着けば、はっきりと浮かび上がる私が存在する」

文/イム・ソンムク記者、写真/ジュ・ミンウク記者

P1

Q.高所(登山)を選択した理由は何でしょうか?ビッグウォールクライミングに専念していたのではありませんか?その頃の事はいかがでしょうか。

 人ですね。外せないのは、「人」ですよ。光州チームから遠征計画の提案を2000年代初めから受けていました。釜山チームとの遠征はホン・ボソン隊長の要請で2007年にk2から一緒でした。ヒマラヤの旅程が決まったバスに、一人で乗り込んだ私です。兄弟のような隊員達との力を合わせてパーティーを組み、平凡さの中に新しさを追求しました。結局、「キム・チャンホ」と浮かぶ何があるんでしょう。14座完登、もうエベレストだけが残りました。ここを無酸素で登り、意味のあるゴールとしたい。しかし身を震わせて壁と私が対峙するクライミングが、やはり私の道ですね。過ぎ去った過去に恥ずかしくないように、駆け抜けてきました。

Q.30代半ばまで自活していないことに対する他人の視線、経済的困窮が足かせではなかったですか?意図せずとも、登山の結果による利益を望みませんでしたか?

 カラコルム山脈探検3年目、死ぬ思いで「峠」を何度も超えてきました。強盗に遭い木にロープで縛られ、銃声も聞きました。心穏やかならず出発できないことも、幾度もありました。独りぼっちで、カメラやテントに向かい話しかけて氷河を歩き回ってました。ある晩、夢の中に母が出てきました。気を付けろと言ってましたよ。クレバスに落ちて死ぬと思ったその日、母も息子の夢を見ていたんですね。ぞっとするような記憶は胸にしまい、前人未踏のカラコルム踏査を終えて山頂に登りました。世界が私のものでした。服を脱ぎ捨て、カメラと共に踊りまくりましたよ。(しばらく沈黙) その時、名前もわからない氷河で死んでも良いと考えました。私の意思がそうでした。いったい、何を考えていたんでしょうね。

Q.ヒマラヤに向かった20年は過去の旅ですね。一番大変だった時期は?

 30代後半まで自活できない息子で、母に叱られたりしました。2時間ほどずっとひざまずいて説教を聞いたことも多いです。他人の視線もプレッシャーでした。当時の収入は出版社から引き受けた原稿料30万ウォンが全て。その金を惜しんで海外の資料を買って、交通費程度は残る。交通費が無いときは、金浦空港近くの実家まで7時間かけて歩いたこともあります。一度は出版社の先輩に家に行く交通費を借りたりしました。その日も結局自宅まで歩いていきましたが、真夜中に漢江を渡るとき、胸が詰まる思いでした。川の流れを眺めながら考えました。海に行こう。物資の欠乏だけが困窮か?夢に向かって進むのは悲惨、困窮ではない。世間の尺度から計られることに対して耐えられた、原動力でした。

Q.人々にアピールするには、「最高」というキャラクターが必要です。功名心は無かったんですか?
(質問が終わる前に鋭い目つきがきつくなる。プライドに触れる時に出る癖である。)

 よくわかりません。私のクライミングの方式。14座完登を望んだとすれば、タイトルを付けるのが好きな韓国の登山界で、最後に残ったエベレストを今年登頂していれば、世界最短期間(5年10ヶ月、以前の最短時間完登はククチカの7年11ヶ月14日)完登者になっただろう。釜山チームと行動を共にするために、既に登っていたガッシャブルム1峰、2峰、そしてナンガパルバットを再び登りました。それは仲間達との「愛」ですよ。有名になろうと危険を克服する、これくらい惨めな人がどこにいますか!

Q.ほとんどの登山家は垂直の冒険人生を歩んでいく。水平の人生で安定を望むのは、他の見方からすればこれまた当然だ。あえて水平の世界でも極限に望もうとする理由はなんですか?大自然の危険と苦難が続くとき、普通の人間なら堪え忍ぶことすら難しい。死ぬこともある。

 ネパール政府が2001年と2002年に新に解禁した103座のピークに関心を持って分析した登山家がいましたか?いない。韓国登山界の現実です。
 ヒマラヤ登山は学術的な研究からアプローチする必要があります。そして現場での登山は、自分の内面に存在する情熱を、山という舞台で全身で表現する芸術行為だと私は思います。ヒマラヤ登山史は探検から始まった。水平の探検を通じて垂直の情報を得た。
 韓国のクライマーが一番不足しているのは何だと思いますか? どうしてテレイサガール(6904m)だけ登ろうとしたのか。(訳者注:テレイサガール北壁で韓国人クライマーの死亡事故があり、幾度もの挑戦の末、韓国人クライマーによって登られた経緯がある)他の山も数え切れないほどあるのに・・・
 理由は単純です。知らないからです。カラコルム踏査もその延長で探検した。中国、四川省、青海省、そしてネパールヒマラヤと多くの踏査を終えてチベット、インド等の探検を継続する計画です。危険が無いならば、それは果汁の抜けた果物と同じだ。

Q.スポンサーを受ける立場で、経済論理が定着した現在韓国のアルピニズムは、「純粋の典型」でも「商業化の見本」でもない、曖昧なポジションにある。問題点はないと考えますか?

 共生関係だと思います。ラインホルト・メスナー、クリス・ボニントン卿たちも支援を受けたし、企業は彼らの成果で認知度をアップさせた。ただ、手段が目的を支配してはいけない。

Q.アルピニストは単に危険と対等に戦うことに魅了されるのではなく、危険それ自体に魅了される。ただ、行為は計算された冒険だ。登頂率が90%を越える。ある者はクライミングパートナーの能力ではないかと推測する。秘訣は何か?

 運七技三だ(笑)。(訳者注:麻雀用語)登ろうとする山の研究、正確なルート選定、登ろうとする意思が一丸となって登頂するのが正道だ。2003年には6000m峰を4座、単独初登した。この時の登攀記のタイトルは「2人が登る手段を学ぶために、一人で登る」だった。私はザイルパートナーが最大限に能力を発揮できるように助け、彼との「共鳴」を楽しむ。また何よりも大切なことは私の心の静けさだ。安定感、安楽、甘さを押しのけてこそ得ることが出来る。生死が身近にあるところでも、登山家は静かでなければならない。実行とは、死にものぐるいで掴まなければならない、また他の極限でもある。頂上にたどり着くカギは、惑わされない心だ。

Q.クライミングの価値判断の問題です。自分だけの登山をするとなれば問題ないが、これを専門誌や学術誌に寄稿すれば評価されるという話だ。

 「挑戦」という命題を抱えた多くのクライマーがヒマラヤで死んだ。賢明なクライマーは世間の評価ではなく、自分の内面を見る。極限突破というドラマのために心血を注ぐ人間の意思は、北漢山を登る障害者からも見ることが出来る。行為者の問題だ。高度、難易度を論じる前に、我々が見つめなければならない焦点は、私の中の純粋性が内面に躍動する登山か、そうでないか、だ。作ろうとして作られるものではなく、隠しても隠しきれるものではない。他の要素のため、必ず成功しなければならないという負担は無かった。執拗に私自身のテーマだけを捉えて登った。死ぬか生きるかは、運命だ。

Q.もう40代半ばになる。身体の変化はありませんか?

 ないことはないですよ。以前には感じられない寒気を最終キャンプで感じました。自然の摂理です。しかし今年、ヒマラヤのナンガパルバットのマゼノリッジ縦走が成功した。50代の登山家が成し遂げた成功だ。示唆するところは大きい。

Q.来春、14座の無酸素登頂が達成されるとの期待は大きい。その後、どんなテーマを考えていますか。

 探検に赴く理由の一つが未知への「愛」だ。新しいターゲットを見つけて登る一連の過程に私がいる。先駆者の道があってこそ、私が新しい道を模索することができる。長い道が終われば、人影の無いところに行きますよ。

~~~~

 「成熟して丸くなりましたね、強情さよりも柔らかさが目立ちましたよ。今日はここまでにしましょう。明日山で再び話しましょう。」
 キム・チャンホの探検と登山の同一性も未踏峰ヒムジュン南西壁登攀で既に成果が現れたとすることができる。それでも理解の幅を広げる問答が行き来したのは、彼が韓国の未来を登るオピニオンリーダーとしての見識を発揮するからである。14座完登の有終の美を飾るため、キム・チャンホはイタリアの世界的な登山家シモーネ・モローが二度失敗したエベレスト・ローツェ縦走を心の中に抱いているとした。業績を誇示するならば、酸素マスク無しでノーマルルートを登り韓国はもちろん、有色人種初の無酸素完登者になれば十分である。

P2
------------------------------

 ある日本の登山家が「革新とは伝統の延長にある」という意味の事をおっしゃってましたが、このインタビューにあるように、長年にわたり地道な現地踏査を続け、その成果としてルパール壁やヒムジュン南西壁の成果がある。今回の記事からは、キム氏が単なるマッチョなクライマーではなく、ティルマンやシプトンといった系譜に連なるタイプであることがわかります。

 「功名心」という点を尋ねられ、

「有名になろうと危険を克服する、これくらい惨めな人がどこにいますか!」

という答えは、20代の若かりし頃、名誉欲に憑かれて山に登った私自身も耳が痛いところですし、「無酸素単独」とやらにこだわってカネ集めに忙しい似非登山家氏もよく耳を傾けるべき言葉でしょう。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

パノラマナイフ

寝ても覚めても山山山というお方、この包丁をごらんあれ。

Knif

え?
刃こぼれしてる?
いやいや刃先をよーく見てみると、


Knif2
『アイガー』、『メンヒ』、『ユングフラウ』
そーです、山のパノラマシルエットがそのままナイフになった、「パノラマナイフ」。
製造はナイフの本場、スイス製でございます。

panoramaknife オフィシャルサイト(ドイツ語)

ちなみに製造販売されているのは上記画像、「BERNER OBERLAND」ベルナーオーバーランド、「BODENSEE」ボーデン湖、「ZÜRICH」チューリヒからの眺めが製品化されています。
気になるお値段は、グリップが樹脂製のナイフが69スイスフラン(約7000円)、グリップ木製ナイフが79スイスフラン(約8000円)。
メーカーのデモ動画では、ブレッドナイフとして使用していますね。

いやいや、これが正真正銘の「ナイフリッジ」。
普段ヘンテコなギアを紹介する当ブログですが、久々に山屋な皆様に胸を張ってオススメできる道具ですなあ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

Burning Cup

さて今年も あやしい すばらしいギアを紹介したいと思います。

当ブログでは2010年にクライマーの皆様向けに CLIFF HANGER MUG を紹介しましたが、今度は寒い冬にぴったり、山で熱い飲み物が冷えてしまうという方に朗報!

その名も Burning Cup
Burning_cup_1

 イギリスをベースに活動する若手デザイナー Ryan Jongwoo Choi 氏がデザインしたこのマグカップ、画像にあるカップ本体の黄色いボタンを押すと、あ~ら不思議、カップの中の液体が熱くなるという・・・

 Burning_cup_2

Burning_cup_6
 このカップ、中が二重になっていまして、内部は酢酸ナトリウムで満たされています。
 この酢酸ナトリウムという物質、刺激を与えると結晶化し、その際に発生する「凝固熱」で飲み物を保温するという仕組みらしいです。

Burning_cup_5
 このマグカップは2012年のThe spark international design awardを受賞しました。

参考サイト Ryan Jongwoo Choi ウェブサイト

 熱い飲み物、ちびりちびり飲むうちに結局冷えてしまったという経験は誰しもお持ちだと思うのですが、どっかで製品化してくれないもんでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中国四川省 婆缪峰 記録動画『寻梦金字塔』

Ba1
昨年11月に当ブログで紹介した、中国を代表するクライマー何川(he chuan)が四川省スークーニャンの鋭鋒「婆缪峰」(po-miao峰、アメリカンアルパインジャーナルではCelestial Peakと表記)登攀に成功。
その模様が記録動画『寻梦金字塔』(日本語訳「夢のピラミッドを探して」)として公開されています。

なにぶん日本では「重たい」「つながらない」と不評なyoukuですが、回線状態の良い時にどうぞご覧下さい。

紹介記事はこちら

婆缪峰“西部大片”线路记录片《寻梦金字塔》 by 中国戸外資料網2012.12.31
以下記事引用開始
-------------------------------
 ノースフェィス、ブラックダイヤモンドの支援を受けたアスリートであり中国を代表するアマチュアクライマー何川と、“五香芊岩”、“裂缝”らが24時間かけて見事に四川省、婆缪峰に登頂した。
(訳者注:“五香芊岩”、“裂缝”はネット上のハンドルネーム。中国ではHNで登攀記録を公表することが多い)

 伝えられた情報によれば、今回登攀したのは“西部大片”(日本語訳では「西部の大作」)ルートで、西壁から南西稜に到る、上部26ピッチ、下部19ピッチ、5.10A、登攀距離1400m。2007~2011年まで、国内のクライマー古奇志、彭小竜、李紅学、張彧は何度も婆缪峰の登攀を試みたが成功せず、李紅学は遭難、未だ行方不明のままである。何川、“五香芊岩”、“裂缝”の三名は婆缪峰の3年間の沈黙を打ち破ったのだ。

 今回のクライミングでは、何川、“五香芊岩”、“裂缝”3名のクライミングの様子をビデオで撮影、そして“裂缝”が映像処理・編集を担当して、婆缪峰の記録映画《夢のピラミッドを探す》を完成させました。
 記録映画の中では、中国の最も美しく巨大な岩壁であることを知り、その行程は波乱に満ち、ポーターが川に落ちて危うく溺死する場面、下降し始めて落石を受けて「死神が通り過ぎる」恐怖感など、エキサイティングに人々の憧れをかきたてる。

(中略)

山の概略

婆缪峰:標高5413m、四川省四姑娘山観光地区に位置し、登攀の適期は7、8月。
硬質の花崗岩で美しく、人を恐れさせる錐体形の山容、大自然が産んだ美しい産物でチョンライ山脈の最高峰。登攀高度は1400m、迷宮のようなルート、ビバーク地や水に乏しく、激しく変化する天候。婆缪峰は代表的なビッグウォールであり、すばらしい花崗岩の高山の世界である。

登攀史

1982年10月3~9日、Edwards Ville、ヨセミテで有名なAllen Steckらが率いる小規模な登山隊6名が南西壁から登頂。彼らは4785mのC1から約8時間かけて頂上に到達。ルートは5.10c、彼らが記録した高度は5334m。

1985年8月5日、米国AAC会員Keith Brownは単独で婆缪峰の東南稜に新ルートを拓き登頂。28ピッチ、記録された標高は5700m、東面を3日間費やして下降。

1997年、アメリカのJeff Hollenbaugh、Mike Penningsが婆缪峰の南西壁から(10ピッチ、5.9)登頂、標高は5413mと記録。

2004年10月、王斌、伍鹏、王茁ら5名が東面ルートを試み、4600mに到達。

2005年8月、劉喜男、邱江ペアが登頂に成功

2007年8月、小龙らが“自由扶梯”ルートを開拓(18ピッチ)
-------------------------------
以上引用おわり

動画はクライミングの模様をアプローチから下山まで描いています。
約8分の動画に全行程を納めており登頂場面は盛り上がりに欠けるようですが、現代中国クライマーの「今」が描かれていますね。
インタビューが多くクライマー達の心情が語られいるのですが、もうさびれた私の中国語能力では聴き取れません。あしからず。

記事の登攀史にあるように、この山は対外開放された直後の80年代からアメリカの優れたクライマーが入山、数々の記録を残しており、アメリカンアルパインジャーナルにも記録は掲載されています。
その意味では未知未踏の世界ではありませんが、このような山域で経験を積み重ねた中国クライマーが世界に進出するのは、そう遠くない時期でしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

GIRI GIRI BOYS、パタゴニアAguja Pollone山群縦走

ギリギリボーイズの横山・増本ペアがパタゴニアのAguja Pollone山群縦走に成功した模様。

Rolando Garibottiが運営する『PATAclimb』、フランスのkairn.comが成功を報じています。

Giri-Giri Boys traverse Pollone by PATAclimb.com2012.12.30

Les Giri Giri font des leurs en Patagonie by kairn.com 2013.1.3

登攀ルートはこちら↓
Ag_pollone_sit_start

PATAclimbの記事では、天候かルートか、それとも両方か、「バッドコンディション」の中7aの困難なクライミングが続き、

「After a second bivy in a 20-centimeter wide ledge they descended」

だ、そうです。(太文字強調筆者)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『遊歩大全』

Imgp0513m
コリン・フレッチャー著、芦沢一洋訳『遊歩大全』が復刊とのこと。
田舎の山形では復刻版が書店に出回っていないため、旧版を改めて読む。

同書に関しては既に多くのサイト、ブログで語られているので、解説は要すまい。
「バックパッキング」を通じて「歩く」そして「アウトドア」の魅力が語られている。

高校山岳部から登山を始めた私が図書館で出会った、くだけた本。
それがシェリダン・アンダーソン、田淵義男氏共著の『バックパッキング教書』。
バリバリの山屋な山岳部の顧問に指導を受ける一方で、自由な気風を同書から学んだ当時高校生の私が、その流れで『遊歩大全』を手にするのは当然のなりゆきであった。

『遊歩大全』を初めて読んでから数十万年。
いまだに「強烈に」記憶に残っているのがストーブのプレヒートに関する記述だ。
コリン・フレッチャーの記述に、プレヒートで「直射日光で暖める」「手で暖める」という記述がある。

日光で暖める!
手で暖める!

なんておだやかな光景だろう。

私が登山の基礎、そして厳しさを学んだ高校、大学山岳部時代。
高校山岳部では安全のためケロシンストーブ「マナスル」、大学ではガソリンストーブ「ホエーブス625」を使用していた。

こうした登山用ストーブは点火する際、まず燃料を気化させるために「プレヒート」という作業が必要になる。
具体的には、小指大の固形燃料を燃やし、器具の燃料通過管を暖めるのだ。

冬山。
合宿で、極寒のテントで真っ先に起床してストーブを点火するのは下級生の仕事だ。
テントはぎゅうぎゅう詰めなので、シュラフに入りながら点火する、なんて芸当は不可能。
吐息も凍る寒さの中、シュラフから抜け出し、シュラフをたたみ、今自分が寝ていた場所にスペースを作る。
寒さに震えながら固形燃料を二つに折り、ストーブが暖まるのを待つ。
この待ち時間のつらさといったら!

そんな経験を積んできただけに、コリン・フレッチャーの「直射日光」「手の温もり」というプレヒートが、なんともメルヘンチックに、そして強烈に記憶に残っているのだ。

復刻版の『遊歩大全』で、今の若いアウトドア愛好家達は何を得られるのだろう。
同書の内容は、もはや現在の日本には装備や背景など古すぎることは明白である。
カメラを持たない「ノンフォトグラフィーの歓び」など、現在にも通用する「思想」があちこちにちりばめられている。
読む方々の経験やレベルに応じて、同書は-歩く旅に限らない-アウトドアの歓びを学べることだろう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年、正月日記

1月1日。
 毎年、元日の朝はコンビニに新聞を買いに行く。
 ウヨ・・もとい保守派必読紙の産経新聞、金正日死亡の際にはキ★ガイ左翼・和田春樹に寄稿させる極左偏向紙の河北新報(東日本大震災の情報量に優れる)、そして日経の3紙を購入。
 もちろん会社員としてではなく、山屋としてガイドとして、今後のヒントを得るための情報源である。
 
 今年は、
 産経・・・曾野綾子とか冷血ババアの記事は読み飛ばし、秀逸な中国関連記事を集中して読む。特に11面、アメリカの外交問題評議会エリザベス・エコノミー女史による『リーダーなれぬ中国』がとても興味深い。アウトドア新興国・中国のアウトドアメーカーが国内で急成長しているものの、欧米や日本のメーカーに追いつくまでには時間がかかるであろう。そんなことを予想させる内容。

 日経・・・一面の特集記事『アジア跳ぶ』のアンケート結果が興味深い。産経とは対照的に、アジア各国の多くが将来、アジアの中核は日本から中国に移行するであろうことを示唆している。
 私にとって日経でよく読むのは経済記事ではなく、「人」を扱った記事。日経は他紙よりも有名・無名問わず人の生き方を取り上げた記事が参考になる。ちなみに私が日経で真っ先に読むのは後ろの文化欄。
 元日号の中心記事『変身の時 殻を破れ』を読み込む。ここでは北海道の老舗野外学校「ねおす」から釜石に戻り「三陸ひとつなぎ自然学校」を開いた柏崎未来さんの記事が印象に残る。

 午後、年賀状を受け取る。
 facebookを通じて、尊敬する女性登山家が年末になって年賀状作成する様子を知る。彼女の場合はバリバリの会社員の他、クライマー、ガイド、ヨガ指導員と幾つもの顔を持っているので、多忙ゆえの年賀状作成。
 そして私は
Ri
怠惰ゆえの年賀状作成。
元日夜、先日購入したばかりの複合機大活躍。
年賀状を作成し終えて山形中央郵便局に到着したのが午後11時45分。

Img_0260m
もうすぐ日付が変わろうという深夜、郵便局の窓は光を放っている。
追加購入で年賀ハガキを買ったコンビニで、郵便局で、正月も関係なく働き続ける人たちがいる。
ポストに年賀状を投函し、車に乗り込む。
ラジオから流れるユーミンの「A Happy New Year」を聴きながら、帰宅。

1月2日。
 親戚まわり。

1月3日。
 降雪。
 爺の店の除雪。ペースメーカーを埋めた爺に力仕事はさせられないので、先回りして除雪。それから爺の店の蛍光灯の取り替え作業。消耗した蛍光灯、グローランプの数量確認、それから初売りで賑わうホームセンターで、十数本の蛍光灯をまとめ買い。そして取り付け作業を一人で行う。
 めいっぱい朝から働いたので、昼はパン屋で美味しいカレーパンを購入、自宅でゆっくりランチ。

 1日夕方から3日夕方まで、カミさんと子供はカミさん実家に滞在。
 私は昨夏に引き続きカミさん実家滞在を拒否、自宅でのんびり過ごす。
 10年くらい前はテレビ局各局、自然をテーマにした長時間ドキュメンタリー番組を年末年始に流していたものだが、最近の脳みそ腐ったタレントのトーク番組は見るに堪えないので、ここ数年の正月はラジオ三昧。
 NHK第2で視力障害者の山岳会「六つ星山の会」の特集番組を聴く。ガイドとしても非常に参考になる内容。
 夜はNHK・FM「真冬の夜の偉人たち」と題して、ルー大柴が思い出を語りながらのビリー・ジョエル特集を聴く。
 芸能界で下積み時代の自分とビリー・ジョエルの人生を重ね合わせながら、ルー大柴が語っていく。
 ビリー・ジョエルに関するネタはさほどコアなものではないのだが、ルー大柴が自分の下積み時代について、本当に辛かったのだろう、核心部分では
「・・・この話は止しましょう。」
 と、自ら話すのを止めてしまう。
 トークを命とする芸能人が話を止めてしまう。賛否はあるだろうが、その姿勢にルー大柴の人柄をみる思いがする。
 ビリー・ジョエルを聴きながら、冬期休暇最後の夜がふけていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

KFCカトマンズ支店の受難

新年早々は久々のネパールネタ。

栗山千明様がCMしてた頃に当ブログで取り上げましたが、ついにネパール・カトマンズに開店したケンタッキーフライドチキン。
(ちなみに、栗山千明様の前には綾瀬はるかはカツ丼に付いた小皿のタクアン程度にしか思わん。)

Kfc
開業直後、スタバに行列つくる山形市民・・・ではなく、開業直後にKFCに殺到するカトマンズ市民(2009年 AFP通信)

あれから3年、カトマンズのKFCはイバラの道を進んでいたのでした・・・

昨年8月、マオイスト系労働組合がらみのトラブルでKFCカトマンズ支店に『営業停止しなければ支店長ぶっ殺す』という脅迫状が届き、KFC含む外資系ファストフード店が一斉休業。

そして昨年12月。
フライドチキンの材料となる鶏肉をインドから運ぶトラックがネパール国内で焼き討ちに遭うという事件が発生しました。

Dhading farmers seize‚ destroy KFC chicken by The himalayantimes 2012.12.15

過去に当ブログで書いた記事では「チキンの材料はインドから輸入」と書きましたが、鳥インフルの発生により実際はブラジル、タイから輸入した鶏肉(KFCネパール支店談)をインド経由で輸入していたらしいです。

で、これに激怒したのがネパール国内の養鶏農家。
「なしてうぢの鶏肉つがわねんだべがっ!」
と、インドから来たトラック2台を取り囲み、荷物を押収・焼き討ち、トラックのタイヤの空気を抜くなど暴動に発展したもの。
これに対しネパール警察もガス弾で鎮圧、報道では人数はまちまちですが、負傷者も多数発生した模様です。

Kfc2
カトマンズ名物のお祭り・・・ではなく、積荷を焼いて気勢をあげるネパールの農民達

この件についてはネパールの行政が「ホントは鳥インフルで輸入禁止のはずのインドの鶏肉輸入してんじゃね?」とKFCを非難するなど、泥沼の様相を呈しています。

年末のクリスマスから正月にかけてフライドチキン食べた方も多いと思いますが、嗚呼、日本は平和ですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

あけましておめでとうございます

Wk337am
平成25年、新年あけましておめでとうございます。

おかげさまで当ブログも何故か日アクセス数が4桁を超すようになりました。
ここ最近は平日に更新できなくなっているので、「更新お休み」でエロい画像をアップしているからに違いない。

毎年元日の記事に書いていることですが、アクセスランキングとやらには興味ないもんで、「山岳部OBに酒の話題で話しかける」ような気分で書き続けることに変わりはありません。

さすがにここまでアクセス数が多いと、以前みたいに「鬼畜新聞朝日」とか「アカの労山幹部」とかホイホイと書くのもはばかられるので少しはセーブしたいと思います(少しは)
たまに暴走しますので、そんなときはお気軽にコメントご意見お寄せ下さい。

大自然にふれあう皆様方にとって、今年も安全で楽しい年でありますように。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »