【訃報】 史占春氏 逝去
中国登山史の立役者であり、日本の様々な山岳団体が計画した「中国登山」の実現に寄与した史占春氏が、去る1月27日、北京市内の病院にて亡くなりました。85歳でした。
経歴
1929年、遼寧省遼陽市出身。
14歳で東北部チチハルで鉄道工に従事し、 1946年に中国共産党入党。1950年、天津幹部学校入学。
1956年、中国登山隊が組織され、史占春が初の隊長に任命される。登山の経験不足を補うため、ソ連から招かれた指導者の下で登山を学ぶ。同年、中ソ合同隊としてムスターグアタ初登頂。
1957年、ミニヤコンカ峰(7556m)の隊長として5人の隊員と共に中国人初登を果たす。
1960、1975年の2度にわたりチョモランマ中国隊隊長を務める。
1980年の中国領ヒマラヤ対外開放以降、日本の中国登山隊の実現化に大きな役割を果たす。
1960年のチョモランマ中国隊は夜間の登頂で証拠写真も無く、長らく諸外国から成功が疑問視されていました。
この1960年の登山は国家的大事業でした。当初はソ連との合同登山として計画され、装備一式もソ連から提供される予定でした。
しかし中国共産党の元帥を務め国家体育局主任でもあった賀竜(後に文革で軟禁され病死)がこの計画を聞きつけ、中国人のみによる登山隊を主張します。
登山隊の装備品も自分達で調達することを、賀竜が周恩来と劉少奇に直談判、そして史占春氏に「密命」が下ります。史占春氏は当時にして70万$という大金を預けられ、極秘裏にスイスに渡り、登山用品を調達したとのこと。この事を知る人は少ないでしょう、と史占春氏が晩年にメディアに語ったエピソードです。(2007年6月19日付・遼陽県新聞網)
晩年(2007年)の史占春氏と奥様の張玉蘭さん
(画像はいずれも遼陽県新聞網)
史占春氏の著書に『中国登山指南』という中国各地の高峰を紹介した本がありますが、この本のお世話になった日本の岳人も多いはず。(私もHAJ経由で買いました)
その人柄については「日中友好登山隊」で史占春氏のお世話になった諸先輩方の思い出に譲ることにしましょう。
報道によれば、晩年もチョモランマで中国登山隊が遠征・活動中の際は登山協会に毎日電話をかけ、動向を気にかけておられたと伝えられています。
中国登山史、そして日本の中国登山を支えた岳人のご冥福をお祈りいたします。
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コメント
史占春さんって若い頃、本当に鉄道工事に従事していたんですね。1980年のJACチョモランマ隊で総隊長を務めた渡辺兵力さんが史占春さんのことを「満鉄の工夫」って呼んでからかっていたのを思い出します。兵力さんは戦前から戦中にかけて北京大学に勤務していましたので中国語は堪能で中国文化も非常に深く理解していました。お父上は秩父宮の御養係、旧華族でしたから、中国人労働者を見下す気持ちもなくはなかったのでしょうが、実際には史占春さんも生粋のフィールドワーカーで登山界の先達だった兵力さんのことを慕っていたと思います。
投稿: くま太郎 | 2013.01.29 15:08
re:くま太郎様
<<1980年のJACチョモランマ隊で総隊長を務めた渡辺兵力さんが
おおっ、渡辺兵力氏らしく豪快な・・・
私は渡辺兵力氏とは残念ながら面識はありませんが、クライミング誌に掲載された渡辺氏の虹芝寮の思い出や一ノ倉での武勇伝を拝読し、凄い方がいるんだ、と大変印象に残っております。
氏が北京大学勤務とのエピソードは初耳でした。
毎回、貴重なコメントありがとうございます。
投稿: 聖母峰 | 2013.01.29 21:27