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備前焼

岡山出張で私が滞在していたのは、まさに備前焼の窯元が集中する「伊部」(いんべ)という街。
煉瓦製の煙突が街のあちこちに林立したそれは、まさに陶芸の街である。

私は陶芸に関してはよく知らない。
「備前」といえば、今では高価な骨董で知られるらしい。
図書館で書籍を調べても、芸術としての「備前」をとりあげた書籍が多い。

備前焼の特徴は、釉薬(うわぐすり)を使わず焼き締め、通常の陶器よりも硬いといわれる。
その特徴を生かし、明治時代から土管の生産でも知られてきた。

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街のあちこちにみられる、薪の山。
備前焼は明治以前は共同窯が主体で、個人で窯を持つようになるのは明治以降である。
最近は薪の入手も難しいらしい。アカマツを主体に、岡山県北、鳥取、広島から購入したものが多い。

明治から大正にかけて、備前の土管は主に西日本の鉄道局に採用され、戦前の西松組や間組にも納められるようになっていった。

昭和初期の不況で一気に土管の売れ行きが落ち込み、朝鮮半島で塩田用のタイルとして売り出すものの、品質検査ではねられて契約を打ち切られ失敗、そして太平洋戦争に突入。戦争末期は陶器製の手榴弾、地雷、軍用水筒などの生産を続けた。

今でこそ人間国宝だの古美術などで売り出す備前焼も、そんな時代をくぐり抜けてきたのである。

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伊部駅前の公園に置かれた土管(チーズ、T型の配管継手)を利用した花壇。
伊部の街を歩いてよく観察すると、備前の街を支えた「土管」が民家の庭先や花生け等に見ることが出来る。

陶器製の土管は、耐食性があり自然素材ということもあり、結構利用されていたらしい。
私は下水道の文献や土木施工管理士のテキストでしか知らない。地中配管材としては、塩化ビニール管にとって代わられたのが現実であろう。

土木作業員の私には、ギャラリーと称する店で高価な値札を付けた備前焼よりも、人々の生活を支えた土管の方が素晴らしい。そもそも、人々の生活を支える道具でありつづけることが、備前焼本来のあり方なのではないだろうか。

参考文献
 田村善次郎・宮本千晴監修『宮本常一とあるいた昭和の日本19 焼き物と竹細工』
 上西節雄・中村昭夫著『窯別ガイド 日本のやきもの 備前』
 前川満著『岡山文庫207 備前を歩く』

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