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韓国の『山の歌』

 韓国の山岳雑誌『MOUNTAIN』2013年3月号において、登山学校の老舗ともいえるコーロン登山学校校長イ・ヨンデ氏が『山の歌』に関して興味深いエピソードを披露しています。

登山家たちの哀歓込められた山の歌 by 月刊MOUNTAIN 2013年3月号

以下記事引用開始
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登山家たちの哀歓込められた山の歌

文 イ・ヨンデ コーロン登山学校校長

 近代登山がこの地に根を下ろしてから、いつのまにか80年が過ぎた。歳月を重ね、登山は既に一つの文化に成長し、文学、絵画、写真、音楽、歴史、生態など、さまざまな文化と交わり位置づけられている。

 登山文化の中でも『山の歌』は山屋の伝統、慣習、挑戦の精神、哀歓、生活などが歌の中によく溶けこんでおり、お互いの仲間意識を持たせる役割をも果たしてきた。軍歌が軍人の士気高揚の歌であるように、山の歌は登山家たちの挑戦の精神と哀歓を描いた歌だ。山屋の心を響かせる歌が『山の歌』という名前で呼ばれ始めた年代は定かではないが、解放前の第一世代の登山家たちから始まり、取り上げられてきたことは確かだ。

 レンギョウ峠は涙の峠
 登って下りてきた、あなたの家に
 エイヤ、レンギョウ
 そうさレンギョウ
 今はどこでレンギョウを想っているか

 きちんとした山の歌がなかった時代、日帝統治下の第一世代の登山家たちが愛唱した『レンギョウ峠』の歌詞だ。交通が不便だった時代、北漢山に行くために敦岩洞の電車終点(現在の太極堂ベーカリー前)から歩いてミアリ峠を経て、レンギョウが​​満開の三養洞レンギョウ峠を越えて口ずさんだ歌だ。民謡形式で歌われたこの歌は、九十を超えた元登山家たちに昔を回想させてくれる国内初の山の歌である。
 1970年代初頭、冬のヤンポク山荘の前でたき火を焚いて、キム・ジョンテ先生(1917~1988)が歌っていた情感あふれるレンギョウ峠が今も耳に残っているのは、この歌を最もよく歌っていた人が先生だったからと思っている。

P1
登山者の山の歌は1960~70年代に盛んになった。写真は1970年代初頭、韓国山岳会登山学校における山の歌を歌う光景

日帝統治下で生まれた山の歌、1960〜70年代に全盛期

 祖国光復後の1947年には、楽譜と歌詞が一緒に収録された山の歌風の『朝鮮遊覧歌』が出版された。1930年代、朝鮮半島にあちこちの高山を見つけ探検登山時代を開いた崔南善(チェ・ナムソン)が作詞し、金永焕(キム・ヨンファン)が作曲した歌だ。
 朝鮮の自然と山水の景観を賛美した歌80曲が冊子として出版されたが、当時は一部の裕福な知識層だけが登山をしていた時期だったため、大衆の共感を得られないまま6.25戦乱(訳者注:朝鮮戦争のこと)が始まり途絶えてしまった。

 山の歌が登山家たちの間で全盛期を迎えた時期は、1960年代後半から1970年代後半までである。この時期がピークであったが、炊事キャンプ制限措置がとられた後にはキャンプ場が制限され、山の歌の熱気も徐々に冷めてしまった。
 登山活動が盛んになった70年代には、これに歩調を合わせて山の歌も盛んになった。

「山には心がある山男のねぐら・・・あなたなしで生きられない人は山男だけ」

 当時の登山家たちの間で最も多く歌われた『山男』の一節だ。当時この歌は、登山家たちの情緒によく似合い急速に広がった。
 しかし、日本の山の歌『山男の歌』を翻案した曲であることが明らかになり、徐々に廃れてしまったが、その時代の登山家たちにとっては山の雰囲気あふれる歌だった。

 当時山に通った人々にとって『雪岳歌』、『雪岳、嗚呼さようなら』、『山娘』、『山男』、『登山家の歌』、『隠れた壁賛歌』、『懐かしい山頂』、『あの高い山』、『楽しい山歩きの道』、『遙かなる山頂』、『山の旅人』、『ザイルの情』、『山の物語』、『エーデルワイス』、『ベルネ山里』、『美しいスイスのお嬢さん』、『青い大空にロープを投げろ』など50編余りの山の歌を聴かなかったことはないだろう。音痴を自認する登山家たちも、こんな歌の二曲ぐらいは覚えているだろう。

 この時期に最も愛唱された山の歌は『雪岳歌』(イ・ジョンフン作詞作曲)が断然トップだった。星の光が長い尾を描いて落ちる雪岳山の麓のキャンプサイトで、ウクレレ(ハワイの先住民が使用する弦楽器)の伴奏に合わせて『雪岳歌』を歌えば、「ポンチャック」(訳者注:韓国の大衆民謡の一種)や大衆歌謡だけ慣れていた一般人たちも感動するほどだった。『楽しい山歩きの道』(イ・ジョンフン作詞作曲)は、歌手ギム・ホンチョルのアルバムに収録された歌であり、力強く軽快なテンポの『登山家の歌』は当時、韓国山岳会長を歴任したイ・ウンサンが作詞、キム・ドンジンが作曲した曲です。この歌は韓国山岳会歌が指定され、登山家たちに広く愛唱されている。

P2
 韓国初の山岳会だった白嶺会会誌に掲載されている山の歌の歌詞。ハングルで書かれた『山が呼ぶ』'のほかに日本語で書かれた『働け働け』、『ローレライ』、『モーツァルトの子守歌』などが掲載され、当時の山の歌を伺い知ることが出来る。

 登山家は山の歌で連帯意識を育て、心の痛みを分けあった。また、登山中の苦難に直面したときは、山の歌を介して挑戦の精神を育てて来た。
 1983年、北漢山インスボンを突然の寒波が襲い気象が急変、複数名が凍死した大量遭難が起きたとき、何人かの大学生は毛布をかぶったまま低体温症で意識が薄れるのを防ぐため、一晩中山の歌を歌い、お互いを励まし、危険を克服したこともあった。

 登山家たちは非常にユニークな集団である。彼ら同士通用する世界共通の言語である登山用語があり、コンセンサスを形成する歌まで作って歌っている。
 山屋は山の歌を歌って、集団意識を育て、心の痛みを分けた。また、登山中の苦難に直面した時も挫折せず山の歌を歌って精神を奮い苦難を克服した。当時、現場から生還した人々は「おそらく山の歌がなければ、全員が低体温症で死んでしまっていただろうと回想する。

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以上引用終わり

 月刊MOUNTAINの本文では、この後『山の歌』に関わった韓国の岳人たちの紹介が続くのですが、ここでは割愛します。

 韓国の近代登山を語る上で、どうしても韓国併合後の日本統治時代に触れないわけにはいきません。
 上記記事で大変興味深いのは、二枚目の画像、『白嶺会』会誌にハングルで書かれた歌詞の他、日本語で幾つもの『山の歌』の歌詞が書き込まれていることですね。

 簡単に歴史をふり返ってみます。
 1931年、朝鮮総督府の鉄道局職員である飯山達雄らにより、朝鮮山岳会が結成される。
 1936年、日本人を中心とする朝鮮山岳会に対して朝鮮人が集まり、金曜日に集会を開く山岳会「金曜会」が結成、38年に「白嶺会」と改名する。
 
 左翼プロ市民な方には「日本人VS朝鮮人」という図式が期待されるところですが、実際には朝鮮山岳会においても朝鮮の方々と日本人が一緒に登山を行っていました。
 上記記事の冒頭、『レンギョウ峠』を魅力的に歌ったキム・ジョンテ氏こそ、後に白嶺会の中心人物となり韓国の近代登山史に欠かせない人物です。キム・ジョンテ氏は朝鮮山岳会で日本人と共に山行を重ね、日本でスキーを学び、朝鮮の人々にスキーを広めていきました。
 1930~40年代、日本人によって行われた白頭山冬季登山を朝鮮の人々は忸怩たる想いで受け取ったようですが、1944年に白嶺会は雪岳山の冬季登頂を果たします。
(白嶺会会員ヒ・ソン氏の証言による)
 
 記事中、韓国において『山男の歌』(娘さんよく聞けよ~、というあの歌です)が日本の歌と明らかにされたため、廃れていったという記載がありますが、完全に潰えたわけではないようです。
 先のアンナプルナ南壁におけるパク・ヨンソク氏の遭難を受けて、追悼の意を込めて韓国語で「山男の歌」が歌われているのを動画サイトでみることができます。

 日本人と親交があった人々を「親日」と断罪、その子孫まで糾弾される韓国では認められるのは難しいのでしょうが、白嶺会の会誌に日本語で書かれた歌詞からみても『山の歌』において日本の登山者の影響があったと考えるのは自然なことでしょう。
 この会誌に書かれている歌は『菩提樹』や『ローレライ』など、正統派な合唱曲が並んでいます。
 
 この『山の歌』に関する文章を書いたイ・ヨンデ氏が校長を務めるコーロン登山学校では、「山の歌」の授業があります。そのことは以前韓国メディアで知っておりましたが、イ・ヨンデ氏によれば残念ながら、この度コーロン登山学校でも暫定的な措置ながら、「山の歌」授業は廃止されるとのこと。

 日本でも、稜線のキャンプ場では一人用テントがあふれる個人主義の現代ですから、若者の登山ブームが起こっているとはいえ、寄り集まって山の歌を歌うなんて風景はほとんど無いと思われます。
 かくいう私も学生時代、高校大学と山岳部に所属していながら、合宿中に山の歌を歌うなんてことは ま っ た く ありませんでした。
 
 それから数万年の時を経て、ある旅行社の無雪期シーズン閉めのツアー山行で、主催担当者さんのアイデアでランチタイムに「雪山賛歌」を歌ったことがあります。
 中高年から登山を始めた方にとって、「山の歌」はどんな風に受け取られたことでしょう。
 
 イ・ヨンデ氏の回想に出てくる『レンギョウ峠』とは、こんな歌です。
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 韓国語で「ケナリ」とはレンギョウのこと。
 春に韓国を訪れると、黄色いレンギョウの花があちこちに見事なものです。
 まだ『山の歌』も確立していなかった時代、山屋たちがレンギョウの花を歌ったのも、うなずけるところです。

 こちらは70年代の韓国で爆発的な人気となった山の歌『雪岳歌』。
 知らない奴はスパイだと言われる程の人気だったとか。

 美しくあれ雪岳山、また来るよ、という内容の歌詞です。

 で、私の好きな『坊がつる讃歌』ですが、


 実は山で教わったものではありません。
 就職してから、私の8000m峰遠征を支援してくれた直属の取締役(地質学専門で御自身もよく山に入っていた)が飲み会のカラオケで歌っていたのを聴いて覚えたものです(^-^;

 数多く存在する、皆さんもご存じの『山の歌』。
 もしかしたら韓国の山でも、誰かが同じ歌を歌っているかもしれません。

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