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水の都市、広島

広島は、良くも悪くも、『水の都市』だ。

「良くも悪くも」とは、広島という都市が歴史上繰り広げてきた、水と人との関わりを知れば、そう表現せざるをえない。

Hirosima
a:牛田浄水場 b:手押しポンプ撮影地(寺町) c:白神社
黄色線で囲んだ区域1800年代以降に埋め立て・干拓された地域

航空写真や地図を見れば、広島が河川によって成り立った地形であることがよくわかる。

古来、この街に住む人々の飲料水は大田川の河川水であった。
地下水の水質が不良だったためである。

 飲料水が河川水ゆえ、疫病が流行りやすかった。明治時代は年間に1500人近くがコレラやチフスで死亡した記録がある。明治19年には河川水利用の全面禁止、明治38年には市内の井戸の全面封鎖という措置がとられた。

 有志をはじめ官民で上水道敷設の計画が立案されたが、資金難から実現しなかった。
 その状況を変えた一因となったのが、日清戦争だった。
 呉、広島といった軍事施設を支えるため、上水道敷設が実現化したのである。

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 広島市水道局の片隅に保存されている、明治31年に建てられた牛田浄水場(旧)緩速濾過池。現在では貴重な、被爆残存建造物である。

 広島の原爆、台風その他による水害など、様々な危機を水道局職員はじめ市井の人々が乗り越えてきたエピソードは、あまりに多すぎて紹介しきれない。
 天災、人災、様々な障害を乗り越えながら、今現在の暮らしがあることを、水道局の水道資料館で知ることになった。

 広島は三角州の街であり、地下水は水質が不良だとはよくいわれる話である。
 しかし、井戸が全く無いわけではない。

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広島市中区寺町にて撮影 車の脇に手押しポンプがある。

 市街地の、しかも歩道上に唐突に手押しポンプ。

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棄てられたポンプではなく、今も揚水可能な現役の井戸である。

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「コーヨー」の文字。
広島および周辺地域では、広島出身の津田喜次郎(1888~1959)が開発した津田式ポンプ、後に興陽産業製作所が製造を引き継ぐことになる手押しポンプが多く残されている。

かつて広島市街では、未舗装道路で土埃がひどいため、打ち水用に井戸水が用いられていたという。
上水道が発達した現在もなお、井戸水はしぶとく生き残っている。

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こちらは同じ中区にある白神社(しらかみしゃ)。
まだ埋め立て・干拓など施工されるより遙か昔、この白神社は海縁の岩礁だった。(前述の位置図参照)

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白神社の下部に見える、岩礁の名残である広島花崗岩

埋め立て・干拓で人為的に大きく改変され、人々が生きるために都市として発展してきた広島。

街の片隅には、タイムカプセルのように昔の姿を示す光景が残されている。

《参照文献》
 広島市水道局編著 広島市水道百年史
 広島県編著 土地分類基本調査 広島

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