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チェコ隊、Talung峰(7349m)北西ピラーを初登

 詳細な日時はまだ明らかにされていませんが、チェコのMarek Holecek、 Zdenek Hrubyペアが、東ヒマラヤ・カンチェンジュンガ山域のTalung峰(7349m)北西ピラー初登に成功した模様。

Czechs did first ascent on NW pillar Talung 7349m, Himalayas by Czechclimbing.com2013.5.28

Talu

 彼らはアルパインスタイルで壁に取り付き、4度のビバークを経て頂上に到達。
 登攀距離2500m、グレードはM6+,WI6とのこと。

 Talung峰は1964年に西面から、オーストリアのフランツ・リンドナー、シェルパのテンジン・ナンダにより初登頂。
 再登は1991年、カンチェンジュンガ南西稜を目指して入山したマルコ・プレゼリ、アンドレイ・シュトレムフェリのペアが西壁を登攀、プレゼリのみ登頂。2002年にチェコのPetr Koulouch がプレゼリのルートから単独で登頂しています。

ブラックダイヤモンドの陰に、女あり。

今、皆さんがお使いの登山用品。
どんな人が設計したのか、考えてみたことはありますか?

アメリカ、ブラックダイヤモンド社の試みを以下に紹介します。

Industrial design students light the future for female adventurers by Brigham Young University News Release

以下記事引用開始
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女性冒険家達の未来を拓く、工業デザイン女子学生チーム

P1
Tressa Furner、Raquel Eisele、Kassie Walburger、Cecily Sumsion、Jenn Siggard らで結成された BYU 工業デザインチーム「Femme Den」

 「ピンク色にして、大きさを縮める。」
 それが女性用ギア設計における解答ではない。
 賢明な企業は、真に女性の視点を持つことが女性の市場開拓に有効であることを見抜いている。
 5人の女子学生で結成された工業デザインチームは、アウトドアギアメーカー・ブラックダイヤモンド社製品のために新たな開発を行った。

 「最初は女性のためにデザインすることは意識してませんでした」ユタ州ドレーパー出身、工業デザイン専攻のセシリー・サムションが語る。
 「でも研究を進めるうちに、巨大なマーケット、特にアウトドア産業に市場があることがわかったんです。」

 研究チームは、特に女性用の軽量ランプの必要性を見出し、4つの製品を産み出しました。

 ◎テーブルライトを兼ねたブレスレッド
 ◎手首に装着でき、ジャケットに掛けることも可能、そしてヘッドライトとしても使用可能なブレスレッドタイプのライト
 ◎薄型でポケットサイズのライト
 ◎ヘルメットをかぶる女性の頭髪にも適応するストラップを備えたヘッドライト

 学生の研究グループを「Femme Den」と呼ぶブライアン・ハウエル教授は、男社会のアウトドア・ギアメーカーと女性主導によるデザインのコラボを追求したいと言う。
 「私は彼女たちの研究成果に満足してますし、ブラックダイヤモンド社もそうでしょう。」

 製品は女性のために設計され、アウトドアで活動する女性達が抱える可能性のある、異なるニーズに対応する。一例を挙げれば、研究チームによれば、女性達はキャンプ生活を好む一面があるものの、暗くなった際に現在のヘッドライトのような、目もくらむように明るいライトは興ざめするものである。

「人との関わりを助ける製品を作りたかったんです」
ポケットサイズのライトを開発したサムションは語る。「友人とより長く語り合えるような雰囲気を作る製品なんです。」

野外で安心感を抱くことが出来る軽量のブレスレッドを開発したテレッサ・ファーナーは、
「ここ何年か、男性の思考様式に合わせて工業デザインを考えていましたが、やっていても楽しくなくて不満が募っていました。このプロジェクトでは女性用のデザインを通じて、私自身の才能を再発見できました。」

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以上引用おわり

彼女たちが開発した製品は次のようなモノです

P2
Kassie Walburgerがデザインした、女性用ヘッドランプ

P3
Tressa Furnerがデザインしたライト・ブレスレッド

P8
Raquel Eiseleがデザインした、ブレスレッド兼用ヘッドランプ

P7
Cecily Sumsionがデザインした軽量薄型テーブルランプ

P4
Tressa Furnerの設計段階における試行錯誤の様子

P5
製品について検討中の「Femme Den」メンバー

P6
研究メンバーJenn Siggard制作による、開発製品のディスプレイセット。

 さて、ここで注目されたいのは、ブラックダイヤモンド社の新製品ということではなく、企業がこうした学生という若い才能を積極的に取り入れていることですね。
 ちなみに記事の舞台となっているBrigham Young University(ブリガムヤング大学)は、モルモン教が出資運営する私立大学で、日本の有名どころでは水泳の長崎宏子さんが留学されていたようですね。

 昨年は土方作業の忙しさにかまけて記事にしませんでしたが、アメリカでは「アウトドアウェア」のデザインコンペなるものが開催されてまして、企業のスポンサードの下、やはりデザイン専攻の女子学生達が才能を競っていた様子が報道されていました。
 登山やアウトドアの経験はもとより、きっちりデザインの基礎を学んだ若い才能がこうしてアウトドア業界に進出していることは興味深いことです。

 日本の山岳メディアでは、やたらと「ギア・インプレッション」なる記事が多いんですが、掲載されるのはアウトドアライターと称する輩やガイドによるモニター記事がほとんどですね。
 実際に道具を用いるユーザーからの視点はもちろん大事なんですが、道具の使い勝手を検証するならば、設計者自身による声や思想もストレートに伝えて欲しい、と思うのは私だけでしょうか。

ルイ・ラシュナルの最期

 本件は私自身のアーカイブとしてアップします。
 どういう経緯か不明ですが、フランスのサイトでルイ・ラシュナルが事故死した当時のニュース映像がネット上にアップされました。

La mort de Lachenal by ina.fr

 なお36秒の動画中、後半において逝去されたルイ・ラシュナル氏御遺体の映像が含まれますので、閲覧される方ご注意下さい。
 ルイ・ラシュナルといえばスキー滑降中クレバスに転落し死去とされてますが、動画では収容された御遺体に数々の勲章が飾られ、かのモーリス・エルゾーグが見守っている姿が映されています。

 ラシュナルといえば、古書店で入手した『若き日の山行』かな。
 数々の素晴らしい登攀記録よりも、自分の手で造りあげたという自宅の写真が印象に残っています。

秋田おしごと日記2013年5月・その2

5月×日
 リストラ寸前不良社員なのに、現場作業精鋭部隊に引き込まれて秋田に住み込んで3日め。

 秋田市街で美人に出会う確率を、花に例えますと、

 秋田市市内↓
G
(ゴッホ「前景にアイリスのあるアルルの眺め」)

 仙台市内↓
S

え?
ボク何か事実と違うこと書きま(以下省略)

5月×日
 初夏の暑さに慣れてないので、みんな結構疲れがたまる。
 ちょうどそんな折、一時帰宅していた若手社員Y君から土産をもらう。
Img_0340
都電もなか
結構有名な菓子らしい。
疲れたところに甘いモノ、美味しくいただきます。
学生時代、私は水道橋駅近くの山形県の学生寮に住んでました。(今はもう取り壊されてありません)
部屋の窓を開けると、そこには春日局のお墓というステキなロケーション(笑)
同じ建物、同じ屋根の下に1階が女子、2階・3階が男子という夢のような環境でしたが、色気のある話など私には無く、寮に帰れば、海外登山に向けて排気ガスの少ない夜にランニングという生活。
ランニングコースの途中に荒川都電を横切る箇所があり、懐かしく食べた次第。

5月×日
 洗濯物が溜まる。
 しかもビジホには、おりしも開催中のスポーツ大会に参加する某高校野球部員、サッカー部員も宿泊。
 先輩や自分たちの洗濯物を抱えた坊主頭の運動部員達。
 我々現場作業員。
 そしてビジホには、コインランドリーが2台。
 Gf
 今、壮絶な闘いが始まる・・・

5月×日
 秋田生活、夕食は某激安スーパーで総菜を買い込む。

Img_0341
さすが秋田、山菜コーナーがあり、蕗の水煮が多く並べてある。
蕗も下ごしらえ大変だもんね。

5月×日
 今日も激務が終わり、いつもの激安スーパーに立ち寄る。
 昨日は無かった「宮城県産サメのステーキ」なるものがあり、速攻購入。150円也。
Img_0344
 
 4年前に長らく滞在した北九州で食べた「フカの湯引き」と比較したかったのでした。
 「フカの湯引き」はゴムのような食感で酢味噌で食べたのに対し、こちら「サメのステーキ」は生臭さを消すためでしょうか。プンプン臭うガーリックソースで味付けされてます。食べてみるとサバのような締まった食感。
 秋田でもサメって食べるんですね。

ヒラリーとテンジンがツイッター始めました。

「冒険の共有」とか称して昨今はリアルタイムで登山活動をツイッターでダダ漏れさせる自称登山家もいるようですが・・・・

頭が高い!

あのヒラリー様とテンジン様が、エベレスト初登頂をツイッターで配信中である!

Twitter feed enables 'live' re-enactment of 1953 Everest ascent by grough 2013.5.23

Tw

 これはIT時代の現代、歴史を学ぶ方法を見直し、次世代へ継承したいという目的で社会起業家のThomas Ketchellらが始めた、過去の出来事を「ライブ」発信する hstry.org という試みです。

 ツイッター、そしてふんだんに当時の画像をちりばめたツイッター形式のブログで、エベレスト初登頂を目指す1953年のイギリス隊の活動を、史実を元に「ライブ」発信しています。

 今現在の公募隊にあふれたエベレストに辟易している方、行列が続くエベレストの現状しか知らない若い方、ぜひご覧下さい。

ツイッター @Everest1953

FOLLOW THE LIVE REENACTMENT OF THE 1953 ASCENT OF MT.EVEREST BY EDMUND HILLARY & TENZING NORGAY

ちなみにイギリス隊のエベレスト初登頂は5月29日。
29日まで、未踏の世界最高峰に人間が到達する模様をどうぞお楽しみに。

今週から、

さすらいの現場作業員、
Img_0338mi
先週は秋田県能代市、今週からは秋田県秋田市にしばらく住み込みです。
画像は、秋田のスーパーの総菜コーナーでたいてい売ってる「牛乳寒天」。
能代市のウェブサイトにもとりあげられてます。
こちらではお茶うけや箸休めという位置づけらしい。

は?
山の話題?
また今度。

月月火水木金金

日々、多くの方々にアクセスいただき、ありがとうございます。

 当ブログでもとりあげてます、韓国の「哲人」キム・チャンホ氏が20日、エベレストに無酸素登頂を果たし8000m峰14座全て無酸素で登頂を果たしましたが、残念ながら帰路、同時に無酸素登頂を果たしたソ・ソンホ隊員がC4で眠ったまま翌朝死亡が確認されたとのことです。ソ・ソンホ隊員は8000m峰12座登頂を果たしているベテランでした。そのようなソ・ソンホ氏が亡くなるという現実を前に、あらためて、エベレストの無酸素登頂という行為がいかに人体に負担をかける行為なのか、認識させられます。

 私も恥ずかしながら8000m超でボンベの酸素が切れラリパッパになった経験がありますが、少なくともエベレストの無酸素登頂という行為は、どっかの口先三寸の坊やが宣伝文句に使うほど容易な行為ではない、と私は考えます。

 といろいろ書きたいネタはありますが、現場作業が

Zo
↑ロメロ監督映画のゾンビ並に押し迫ってますので、ブログ更新引き続きテキトーになります。

 皆様、初夏の良い季節に、良い登山を。

衝撃!有史以前にアイスクライミング技術は確立されていた!【ネタです】

アイスクライミング技術の中でも、飛躍的に登攀レベルを高めた「ダブルアックス」。
ええっ!?

Iceclimb1
ワルター・セキネルが編み出す前、有史以前に人類はダブルアックスを駆使していた事が判明しました!

・・・というのはネタでして、英米合作のファンタジー大河ドラマ『Game of Thrones』の劇中で、標高差200mの氷の垂壁を登るシーンが話題になってます。

An Ice Climber Fact-Checks the Epic Ascent of the Wall in Game of Thrones by Wired.com2013.5.8

Got
 『Game of Thrones』はジョージ・R・R・マーティン著『氷と炎の歌』を原作としたファンタジードラマで、架空の大陸、文明を背景に、ある王国の王位継承にまつわる興亡を描いた大河ドラマです。
 日本でもスターチャンネルで第1シーズンが放映。
 今回話題になった「The climb」は第3シーズンの6話めのお話。
 いちおう時代設定は今から約1万年以上前のお話なのですが、氷にねじ込むプロテクション、ヒロインはなにやらシャフトがカーブした今風アックスを用いています。
 いやあアイスクライミングって歴史が深いなあ(棒読み)

 主人公とヒロインを含む大勢が氷の壁に挑みますが・・・
 これ誰かクライミングシーンだけ動画サイトにアップしてないかと検索したら、あれ?有名どころのClimbing誌ウェブサイトがとりあげてました。
 その動画はこちら↓
 

やっぱり、墜落 → ロープ切る、という毎度おなじみ陳腐な演出・・・
Climbing誌ウェブサイトのコメント欄に『This smells a lot like Vertical Limit』とあるのが笑わせてくれますです。

【速報】ロシアのアレクセイ・ボロトフ亡くなる

Al
 今春デニス・ウルブコと組んでエベレスト南西壁に新ルートを開拓予定だった、ロシアのアレクセイ・ボロトフが亡くなったとロシアの信頼できる山岳関係者筋が伝えています。
 公式発表はまだありませんが、標高5600mにて亡くなったとのこと。

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5/15 20:00追記

AFP通信に関係者が語ったところでは、クーンブ氷河のアイスフォールで「遺体で発見された」とのこと。
ネパール政府関係者Gyanendra Shrestha氏のコメントとありますので、アレクセイ・ボロトフが亡くなったのは確実のようです。

Russian climber dies on Everest  by saudigazette2013.5.15

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5/15 20:25追記

シェルパの証言として、15日の朝、クーンブ氷河でクライミングのトレーニング中に落石によって亡くなったと伝えられています。

Boulder crushes rock climbing Russian to death by TheHimalayanTimes2013.5.15

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5/16 0:05追記

 ロシアの複数のメディアが、ロシア山岳連盟関係者のコメントとして、デニス・ウルブコの証言を伝えています。
 それによれば、アイスフォールのフィックスロープが破断して300m転落、即死とみられるとのこと。

 アルパインクライマーの方は既にご存知のとおり、アレクセイ・ボロトフ(1963年ロシア・スベルドロフスク出身)はロシアを代表する高所クライマーとしてマカルー西壁、ジャヌー北壁、テレイ・サガール北壁などを登攀した強者でした。

情報が錯綜しているようですが、まことに残念な情報です。

Marina Koptevaペア、Kyajo Ri(6186m)東壁に成功か

Ma1
 ウクライナのビッグウォール・クライマーMarina Koptevaがモスクワのウラジーミル・ベローソフとペアを組み、ネパール・ヒマラヤ、キャゾ・リ Kyajo Ri(6186m)未踏の東面にアルパインスタイルで挑み、5月13日、頂上に到達した模様です。

Восточное ребро Kyajo Ri. Вершина. by ExtremeUA 2013.5.13

Ka
 Kyajo Ri(6186m) はチョーオユーの南、メラピークやアマダブラムに隣接した場所に位置し、これまでにも公募隊が入っているピークです。
 主な登攀史としては、上記画像左のスカイライン(東南稜)を2005年にアメリカ隊が成功した他、画像中央の東面のライン2(中央)をニュージーランド隊が、ライン3(右)をイタリア隊がトライしましたが、いずれも敗退していました。

Kaj
Koptevaとベローソフの二人は従来の隊よりも南寄りのラインを選び、標高差1000mを登り頂上に到達。当初の計画では南西稜を下降予定でしたが、報道では登攀ルートを下降、現在は悪天のため下山は明日以降になるとのこと。
 

今日から、

さすらいの現場作業員生活の始まり。

Img_03341
本日より、しばらく秋田県に住み込みです。

テントがゴミ袋に変身!Glad Tent

昨秋、「野外フェス」とかいう乱痴気騒ぎのゴミ問題を取り上げましたが。

野外フェスって何だ? 2012.9.19

さすがに社会問題になりかけている膨大な廃棄物に対して、画期的なテントが登場しました。

Glad Tent doubles as a giant garbage bag by Gizmag.com2013.5.9

Gladtent
 GladTent。
 テントがそのまま、ゴミ袋になるという製品です。

Gl2
 ゴミを回収した後、テントが大型ゴミ袋になり、ゴミ箱にポイできるという仕組み。

 まずはデモ画像をご覧あれ。

 このテント、アメリカはマイアミに拠点をおく広告代理店Alma advertising agencyが企画し、台所のゴミ袋メーカーGlad社が製造、テントはGlad社のGlad ForceFlex というゴミ袋と同じプラスチック系素材でできています。
 このアイデアは、優れた発明品を表彰するAdweek Project Isaacで入賞しています。
 残念ながら商業ベースでの発売は予定されていないとのことですが、環境への意識が高まるアウトドア業界で、どっかで製品化されないもんでしょうか。
 

娘のレモネード

社内失業から一転、現場作業の精鋭部隊に借り出された私。
あ~初夏までこの勤務体制かなと思いきや・・・

「あ、明日から△△の現場行ってな。」
と、親方から突然言われる。
「身体小さいお前でないと入れない場所あるんだって」

身体が小さい・・・理由はそれだけですか・・・・

というわけで、二日後には残雪もまぶしい某山麓の現場。

数十年前に作られて以来、誰も手を触れてない施設の解体・整備作業。
うちの部署、縦にも横にも体格がいい人ばかりなもんで、消去法で選ばれた私。
狭い空間を潜り抜けて解体したり、溶接したり・・・

Mic_3
『ミクロの決死圏』な二日間を過ごす。

ヨレヨレになって帰宅。
晩飯を喰っていると、娘が「レモネード飲む」と言う。

ちょうど今開催されている、日本三大植木市とは名ばかり、山形市の子供たちにとって年に一度のはじける季節「薬師祭」でレモネードの屋台が出ていたらしい。
カミさんの話では、屋台のレモネードの味を覚えた娘、買うと一杯300円と高いので自分で作るようになったらしい。

早くも反抗期な娘だが、「お父さんにも作って」と頼むと素直に作ってくれた。

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疲れきった私には、もうレモンの酸味も薄く感じるのだが、娘の手作りなので美味しく飲む。

レモネードは私も小さい頃、姉の手作りのそれを飲んでいた。
もともとは、NHKでやっていたテレビドラマ『大草原の小さな家』と原作本の影響が大きい。
私も姉の書棚からかっぱらった

Ci1_2
『小さな家の料理の本』(バーバラ・M・ウォーカー著、本間千枝子・こだまともこ共訳)は大事に持っている。
ちなみにこの本、横山勝丘氏が講演会で上映した画像の中で、アメリカ・クライミングトリップ中のキャンピングカーの書棚に置かれていたのをよく覚えている。

さらに原典にあたりたかったので、ローラ・インガルス・ワイルダー本人のレシピをとりまとめた、

Ci3
『ようこそローラのキッチンへ』も読んだことがある。

前述の『小さな家の・・・』は、いわば劇中の「母さん」の料理、『ようこそローラの・・・』は実際にローラ本人が作ってきた料理のレシピ、という違いがある。

西部開拓時代の農民の食事、山の食事に応用できないかと思ったんですが・・・
当時のレシピを読むと、人数がハンパじゃないんですね。
レモネード3リットル分とか、アイスコーヒー50人分(笑)とか。

それだけ、当時は人と人との結びつきが大事な時代だったんですね。

で、話はレモネードに戻るわけですが、『大草原の小さな家』なんてドラマも本も知らない娘がレモネードの虜になる。
国も時代も超えて、子供たちにとっては魅力的な飲み物なんだ、と思わされた夜でした。

さて、明日は丸一日トラック野郎を務める予定ですので、しばらく山の話題は封印です。

戦争終わるとアウトドアメーカーでリストラ始まる、ステキな国

「平和あっての登山」とは、某勤労者山岳連盟の爺が唱えるお題目ですが、海の向こうアメリカでは、

 戦争終わる
  ↓
 アウトドアメーカーのおじさんおばさんクビになる

 というステキな現実が待ちかまえていました。

From its gritty urban setting, Outdoor Research makes gear for going outside by Puget Sound Business Journal 2013.4.25

以下記事引用開始
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 アウトドア産業で帽子生産では第2位を占めるアウトドア・リサーチは、その規模にふさわしくシアトルの工業団地Sodoに会社を構えています。
 1980年代初めに開業したアウトドア・リサーチは第一大通り南の7階建てビルにあり、背後には道路一本隔ててシアトル港があります。
 建物一階を小売店、執行部は最上階に、そして衣類やギアを作る製造部門が中間階に置かれています。

 今年の初め、イラクとアフガンから軍が撤退するにあたり連邦政府が予算をカット、軍がアウトドア用品の購入を縮小したため、アウトドア・リサーチは人数は明らかにしていませんが労働者を解雇しました。
 現在、約200人の正規従業員とパートタイマーを雇用しています。
 会社は生産拠点を中国からシアトルにシフトする事を計画し、それが消費市場の範囲を拡張するとマーケティング・ディレクターのチャールズ・ロズナーはコメントしています。
 例えば、アウトドア・リサーチは南部の暑い気候向けのウェア販売を強化するため、ジャクソンビル(フロリダ)のブラック・クリーク・アウトフイッターズと提携を結びました。
「私たちは北西部以外にも業務を拡張するため努力しています」とコメントするロズナーは、会社が今年の年末までに再び従業員を雇用し始めることを期待しています。

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以上記事引用開始

 私もアウトドアリサーチの保温ポーチを登山用ランチバッグに使っている程度なのですが、立派な軍需産業だったんですね。詳しくは記事に添付された画像が物語っています。こちら↓

P1
アウトドアリサーチで軍用手袋を縫製するマニュエル・セグラさん (中央) @BUSINESS JOURNAL PHOTO by Marcus R. Donner

P2
軍用帽子、手袋はアウトドアリサーチの製造フロアで一緒に生産されています。 @BUSINESS JOURNAL PHOTO by Marcus R. Donner

P3
ヤン・ムンさんが製造フロアで大型ロールからフリース生地を裁断しています。ムンさんは画像左の大型カッターで幾枚もの生地を重ねて裁断します。@BUSINESS JOURNAL PHOTO by Marcus R. Donner

P4
部分的に完成したグローブは裏返しにされ、ゴアの裏地と接着する次のセクションに運ばれます。@BUSINESS JOURNAL PHOTO by Marcus R. Donner

P5
軍用の「コンボイ」グローブは、手の形に合わせてカーブ加工するため、熱した金型に被せられます。@BUSINESS JOURNAL PHOTO by Marcus R. Donner

P6
軍用グローブのゴアテックス裏地を接着する作業員クエさん。@BUSINESS JOURNAL PHOTO by Marcus R. Donner

 こうして見ると、うわぁアウトドアリサーチって手作りっ!と言いたいところですが、従業員は移民らしきアジア系の中高年がほとんどの様子。
 以前、アウトドア・クライミングメーカーがいかに軍需産業として役割を果たしているか、『雪山大好きっ娘。』のえのきど。様にご教示いただいた事がありましたが、戦争から撤退→需要減という動きがモロに雇用状況に反映するんですね。
 頭がお花畑な日本のアウトドア関係者には平和の象徴とされる野外活動。それを支えるギアメーカーが、戦争終結とともにリストラが始まるというのもなんとも皮肉な話です。

結局エベレストの乱闘騒ぎってさ。

 なぜか日本の山岳・アウトドアサイトではまるで沈黙中、海外のクライミングサイトでは話題沸騰中のエベレスト乱交あいや、乱闘騒ぎ。

 これってヒマラヤ登山始まって以来の、クライマーとシェルパとの関係を象徴する不祥事だろ!
 
 ウエリもモローも女性ガイドもみんな言うことバラバラじゃんじゃかじゃーん!

 これ絶対ロクソノで池田老人が皮肉まじりでネタにする!絶対そーだそーに違いない!

 んーんーんーと悩んでいると、私がお世話になっている大先輩から一言。

『モノ落とす→謝る→治療対応する、普通そうだろ』

と赤胴鈴之助の真空斬りなみに(古いネタですんません)、まさに一言でバッサリ。
大先輩からそう言われて頭の中に光が差す単細胞な私。

いやーそうですよね。
スペインのDESNIVELではわざわざモローら3人とシェルパ約70名が交わした「和解協定書」の画像までアップされてましたけど(もうあまりに馬鹿馬鹿しいのでURL掲載する気もありません。ご覧になりたい方はどうぞ御勝手に)、この問題に関して「シェルパと、シェルパに依存しないアルパインスタイルのクライマーの関係」に話をもっていきたい方もいるようですが、結局は人としての誠意が問われるということでしょうか。

ちなみに、今回の乱闘騒ぎは今後のヒマラヤ登山に影響を及ぼす大問題だと考えるマジメな方には、登山もあまり知らない有名通信社が配信する記事より、アメリカ山岳会が配信した以下の記事を紹介します。エベレスト、そしてガイド登山に関わる著名な方がコメントしています。

Everest: Then and Now by The AAC 2013.5.1

Everest 50-NGA-VIMEO MASTER from National Geographic Magazine on Vimeo.

「女性登山家」ではなく「登山家」でありたかった 韓国イ・ミョンヒ

H 韓国の月刊『人と山』で連載中の、先鋭クライマーを詳細に取り上げる「韓国山岳界の未来を問う」。
 第1回は当ブログでもとりあげたキム・チャンホから始まり、今月5月号は連載5回目、韓国を代表する女性アルパインクライマー、イ・ミョンヒさんです。

 イ・ミョンヒさんに関しては一昨年、日本でも岳人誌掲載の恩田真砂美さん執筆による韓国登山界の記事で紹介されましたが、もっと日本でも知られていい存在だと思います。
 出産・育児、女性というハンディを乗り越えて自分のクライミングを実現する姿は、生活環境や登山を取り巻く文化が大きく異なる欧米の女性クライマーの姿などよりも、同じアジア圏のクライマーとして共感を呼ぶものがあります。

韓国山岳界の未来を問う その5 イ・ミョンヒ by 月刊「人と山」2013年5月号

 以下記事引用開始
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韓国山岳界の未来を問う その5 イ・ミョンヒ

イ・ミョンヒが歩んだ道

「女性登山家」ではなく、「登山家」でありたかった

カラコルム、アルプス、南米の岩塔を登った女性ビッグウォール・クライマー

本文・写真 イ・ミョンヒ

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1992~1999年 ソニンボンからエルキャプ・ノーズへ

 山好きな女子高校生だった私は、1992年に友人と北漢山、白雲台を登りそびえ立つ仁寿峰と初めて対面した。巨大な岩峰それ自体も魅力的だったが、人が蟻のように岩にへばりついて、身をくねらせて登っていることにさらに驚いた。全身に鳥肌が立つように、クライマー達を目撃した瞬間、クライミングへの好奇心と憧れが風船のようにふくらんだ。インスボンを登るクライマーがまるで神のように感じられた。
 私もそこに一度登りたかったが、現実の壁のように、岩壁を登る術など私には無かった。残念に思いながら万景台を目指した。そこで道に迷った私は、幸いなことに家族と共に登山中のタイタン山岳会のソン・テソンさんと出会い、彼の助けを借りて万景台リッジを登ることが出来た。生まれて初めて岩を上下に移動して感じたスリルは私を興奮させた。

 それから一年。
 私はタイタン山岳会に入会した。私などとても及ばない先輩方は、女も男も区別せずにスパルタ式に鍛えてくれた。有無を言わせずギアを持たせられ、「行け」と叫べば「はい」と答えて共にクライミングを開始した。特にチェ・チョルサン先輩は私をより一層強い登山家で育てた。

 彼に強制(?)され、難ルートをリードしたものの墜落、顎を怪我したこともあったが、クライミングの楽しさに比べれば怪我などなんでもなかった。
 毎週末に山に通うと、地下鉄で宗教の勧誘に頻繁に出会った。彼はある日、私を見て決心したように「どこに行くんですか?」と問いつめてきた。その時私は「仙人峰チムニー教ですから、道峰山に行きます」と冗談のような答を言った。この言葉に特に間違いはない。当時、山は私の信仰であり宗教だった。

 10年かけて国内で岩や氷を登るにつれて自然に欲が出た。大きな壁に行きたいと切実に思った。折良く、友人のチェ・ミソンと意気投合した私は、アメリカでのクライミングを目指して準備を始めた。しかしビザの問題が足かせになって彼女と共に行くことは叶わなかった。ビッグウォールの夢は1999年、清華山岳会の先輩方とヨセミテ行きの飛行機に乗り実現した。1000mの巨大な壁は、私の予想よりも遙かに厳しかった。登攀が遅くなり、食糧と水が不足すると体力が急速に低下した。夜遅く、腰掛けられるテラスにたどり着いた。天の助けか、クラックに缶詰を見つけた。あまりにも空腹だった私たちはクラックから缶詰を全て取り出して全部食べた。
 翌朝、そこがトイレだったことがわかった。前日おいしく食べた缶詰の缶をじっくり見てみると、干からびた排泄物が付いていた。それでも大丈夫だった。ビッグウォールでのサバイバルはそんなものだった。

 男性メンバー3人と共にしたノーズ登攀は5日目、頂上で終止符を打った。しかし喜びではなく物足りなさの方が大きかった。三日分だけの食糧を準備した判断ミスが原因で経験した苦痛。準備を怠った者にビッグウォールがどれほど過酷なのか、骨にしみるほど感じたクライミングだった。

P3

2001年、自分を見つめ直したマルチ4遠征

 パキスタンヒマラヤのマルチ4遠征(隊長ソ・ギソク)に参加した。100日間にわたり5000~6000m級のピークを5座登頂する無謀な(?)計画を実現するためである。
 隊員は、食事さえ済ませればクライミングに出かけるソ・ギソク、イム・ソンムク、キム・チャンホ、チャン・キホン、チェ・ソクムン、イ・ビョンジュら、めざましいスピードで成長中のクライマーだった。
 女性メンバーは私だけだった。高所が初めての私は遠征序盤から高所順応に苦労し、顔がパンパンに腫れ、嘔吐した。
 
 しかし何より大変なのは、男性と一緒に前人未踏の岩壁を登らなければならないことだった。体力・技術、どれ一つとっても太刀打ちできなかった。荷物も沢山担げず、ペースも遅く、体力も不足しクライミングもうまくいかなかった。なぜ私はここに来たのか?弱気になる自分に向かい合うたびに自分に腹が立った。だが、兄たちは(訳者注・他男性隊員の敬称。血縁関係ではない。以下同様)その度に初めてならそんなもんだ、順応すれば良くなると慰めてくれた。

 遠征最後、私はヒンズークシュ山脈の未踏峰ムスタム(5620m)にソ・ギソク、イム・ソンムク兄とチームを組んで挑戦した。私たちは降り注ぐ雪崩と落石を避けて三日間登り、頂上直下に到達した。
 しかし、頂上を目前に私たちは下山を決定した。理由は私のためだ。体力が低下し、生理を終えて10日後に出血が再発したからだ。兄たちは青白い顔で震えている私を置いて登ることができなかったのだ。ギソク兄が「申し訳ない」と下降しようと言った。
 世界初登を目前に、私のために下山を余儀なくされたことが申し訳なかったし、耐えられないほど自分が女という事実に腹が立った。

 これまで私は「女性登山家」ではなく「登山家」でありたかった。
 下降し、複雑な想いが頭を離れなかった。前進キャンプに降りてきた私はテントの陰に隠れ、自責の念で声を上げて泣いた。悲しみが沈むとすぐに、女性だけチームを設けてアルパインスタイルの登山を目指せばどうだろうかという考えが浮かんだ。
 お互いをよりよく理解できる女性たちとビッグウォールを登れるならば、そこに意味があり美しいアルピニズムの実践だと考えた。

 初夏に始まった遠征は小麦が熟す頃、幕を閉じた。マルチ4遠征登山で、高所ビッグウォール・クライミングは技術も重要だが、これを支える強い精神力と体力がベースにあってこそということを悟った。

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2006~2008年 女性だけのチームで登ったアルプス、南米のビッグウォール

 2001年のマルチ4遠征を終えた私は、その年12月、クライマーのチェ・ソクムンと結婚した。2002年には息子のチェ・ポゴンが生まれた。
 育児のために山に行けない時間が長くなるにつれて、ストレスがますます激しくなった。眠っている子供が理由もなく憎くなり、母乳を与えている自分自身が嫌になった。毎日のように泣き、死にたくなった。
 鬱病にかかった私を見て一番驚いたのは、私自身と夫だった。
 ひとまずは生きるべきだ、との判断で、両親にポゴンを任せて私は母乳の搾乳機を持ち歩いて再びクライミングを始めた。自然に鬱病は改善し、以前の明るい姿に戻ることが出来た。

 以来、私は子供が眠っている時間を利用して運動を再開した。結婚前よりもさらに熱心に、より激しくトレーニングを重ねた。体力が付き、2001年に思い浮かんだ女性だけのチームによる遠征を企画する機会が訪れた。
 ビッグウォール・クライマーのキム・ジョンスク、チェ・ミソン、キム・トンエと共に、2006年アルプスの壁を登ることにした。私たちは一ヶ月かけてモンブラン・デュ・タキュル北壁、エギーユ・ディ・ミディ北壁、グランドジョラス北壁、モンブランの順に登った。お互いに登る実力も同じで、心も通い合い、男性と登るよりも様々な面で面白い遠征だった。登山の経験が多くなくて些細な問題で意見の衝突はあったものの、それは互いにロープを結ぶ瞬間、問題ではなかった。付いていく登山ではなく、お互いが遠征隊長になった私たちはベストを尽くして壁を登り、また登った。

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2006年、ヨーロッパアルプスに向かった「アジュマ(おばさん)遠征隊」左よりチェ・ミソン、キム・トンエ、キム・ジョンスク、そして出産・育児を乗り越え笑顔の戻ったイ・ミョンヒ(月刊MOUNTAIN 2006年4月号より)

 アルプスに続く私の挑戦は2008年のパタゴニアに繋がった。イ・ミョンソン、ハン・ミソンとパイネ中央峰を目指した。このピークは夫チェ・ソクムンが登頂した山だった。
 私たちが初めにクライミングを計画し、準備した時、このピークに女性だけのチームとして登頂するかどうかは関心外だった。女性だけのチームによる初登を狙ったクライミングが無かったからだ。
 パタゴニアの風は想像を超えた。天候の変化もあまりに急だった。28時間寝ないで行動したものの、私たちは頂上まで100mを残して強風に阻まれ下降した。

 数日後、再度クライミングを始めた私たちはクライミングのスピードに成否を賭けてパイネ中央峰の頂上に立った。安全に下降した私たちは次の目標であるアルゼンチンのセロトーレに移動した。登山期間は半月ほどしか残っていない私たちには、登る機会は一度だけだった。
 岩壁に取り付いた時に悪天が襲来した。私たちは五日間、壁に閉じこめられた。これ以上、登る術は無かった。この時、私はハン・ミソンとこの壁を再び登ることを固く約束した後、下山を決めた。

 パタゴニアのクライミングを通じて感じたことは、クライミング自体も難しいが壁の取り付きまで行くコースもクライミングに劣らないものだった。40kgの荷物を担いでベースキャンプに向かうとき、私たちは苦行者のようだった。壁へのアプローチもクライミングの一部であり、目標を成し遂げようとする人々のプロセスであり、努力であることを知った。パイネ中央峰を女性チームとして初めて登ったという事実は、帰国後に知らされた。

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2009年~2011年 クラッククライミングを再び学ぶ

 女性だからといって山の高さが低くなったり、簡単になったりはしない。登山は登る人がどのように登るかによって成功または失敗する。
 南米から帰国した私は軽量速攻登山で悩んだ。自然の危険要素が多い場合、それを避けるための最良な方法は、速度を担保することができるフリークライミングだった。登攀力の向上を目指した私の最初の目標は、雪岳山「赤壁」のエコ~独奏道をフリーで登ることだった。(訳者注:雪岳山「赤壁」とは雪岳山にある岩壁で海外遠征を目指すクライマーらが挑む中級以上の壁とされる。エコ道(5.11c)、独奏道(5.8/A2))

 このクライミングを着想したきっかけは、このルートをフリー化したソン・ジョンジュンさんだった。彼は私と共に赤壁を登り、十分完登することができると励ましてくれた。
 ソウンサンの「場合によっては難しい(5.13a/b)」を登った私は、その勢いに乗じて2009年9月、女性で初めて赤壁をフリーで登ることに成功した。トレーニングを始めて2年目の成果だった。私はこのクライミングを通じて、クライミングは自分自身に対する洞察であり、これ以外に目標を成し遂げる方法はないことを悟った。
 同時に、失敗が怖くて行動しなければ、どんな経験も達成感も得ることができないという事も知った。

 フリークライミングの向上のため、2010年にアメリカツアーに出かけた。ユタ州のインディアン・クリークとザイオン国立公園、ヨセミテの幾つかの岩場を廻り、私は再びクラッククライミングを学んだ。どのようなヒントもテクニックもかなわない困難なクラックを登り、私はさらに初心に戻った。
 インディアン・クリークの30mクラックにはボルトが一つも無かった。終了点にだけボルトがあった。ザイオン国立公園のルートは確保支点が最初から無かった。クライマーが支点を作らなければならない。自然保護のためのクライミング文化に衝撃を受けた。私の足りない点が明らかになり、今後どのような登山をするのか、もう一度考えてみた。

 アメリカから戻った私は2011年、アルプスファン(fun)遠征をハン・ミソン、チェ・ミソン、ソ・ファヨン、キム・ヨンミと共に計画した。パタゴニア遠征を控えてトレーニングのためでもあった。後輩達と共にアルプスの壁を登ることが出来たのは明らかに私にとって幸運だった。私は岩壁を登って共感したかったのだ。
 私たちはアルジャンティエール、エギーユ・デュ・ミディ南壁、グラン・キャプサン、ダン・ジュアンの順に登った。グラン・キャプサンを登ったときには37時間にわたり靴を履いたまま壁に取り付いていた。寒さ、空腹、困難、危険、このような苦難は私の夢が叶っていく過程の人だから喜んで迎えた。

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2012年、3度目の試みでフイッツロイ頂上へ

 パタゴニアは私に「待つ」という言葉をプレゼントした。韓国山岳会主催でハン・ミソン、チェ・ミソンとチームを組んだ私は4年ぶりにパタゴニアを訪れた、2008年強風でセロトーレに失敗したので、今度はぜひ登ってみたかったのだ。しかし私たちが到着する数日前にコンプレッサールートが破壊され、クライミングはほとんど不可能だった。 
 第二候補だったフイッツロイのクライミングを目指した。私たちの努力にかかわらず、壁の状態と天候が悪く、登頂に失敗した。

 3次登頂を試みる前に失敗を分析し、徹底的に登る準備をした。シュラフとテントを省き、羽毛服とビバーク装備だけにまとめて軽量化に努めた。スープ一本で一日を耐え凌いだ。1000mの垂直の壁に女3人だけだったが、孤独ではない。
 私たちは知っている。「生」の最も幸せな時間を共に過ごしていることを。
 空が開かれたクライミング4日目、とうとう頂上に立った私たちは歓喜した。人生の地平が広がったようだった。さらに熱く生きるべきだ、と生きる意思がこみあげてきた。

 それまで、私は一度も山を変えることなどできない。
 山は高さと困難さか変えられるような対象ではないのだ。
 変わらない岩壁を変化させる方法、それはただ私をより成長させる以外にない。
 クライミングの難しさは、登る困難よりも、惑う心を平静に保つことだ。揺らぐ心が変わらずに私を助けてくれたのは、友人のハン・ミソンとチェ・ミソンの2人の存在だ。もし2人がいなければ、私はフイッツロイの頂上に立てなかっただろう。

 遠征登山は強い人が集まったからといって強くなるということはない。弱い人が集まったからといって弱いチームになるということでもない。
 私はそれをパイネでのクライミングを通じて思い知らされた。登山で最も重要なのは、お互い励まし合い、勇気を与えてくれるパートナーであることを。

 彼女たちと登った壁が懐かしくなる、この頃だ。

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イ・ミョンヒ(40歳)

タイタン山岳会所属

競技指導者2級、生活体育指導者3級

経歴
1999年ヨセミテ、エルキャピタン・ノーズ
2001年カラコルム マルチ4遠征隊
2006年ヨーロッパアルプス
2008年パタゴニア パイネ中央峰女性チームとして初登、セロトーレにてクライミング
2009年アイガー北壁
2009年雪岳山赤壁エコ道~独奏道フリークライミング(女性初)
2009年ヨセミテ、エルキャピタン・ノーズ(16時間40分)、インディアン・クリーク
2011年ヨーロッパアルプス
2012年パタゴニア フイッツロイ登頂

入賞
2005年全国アイスクライミング選手権リード部門女子1位
2007年全国アイスクライミング選手権リード部門女子1位
2011年全国アイスクライミング選手権リード部門女子1位
2004~2007年エクストリームライダー・エイドクライミング大会女子リード部門1位

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以上記事引用おわり

 イ・ミョンヒさんに関しては出産・育児を乗り越えた2005年頃から韓国の山岳メディアでも幾度か取り上げられているのですが、当ブログでもイ・ミョンヒさんがパネラーだった故ゴ・ミスン追悼座談会の様子を収録しています。

韓国の高所クライマーの現在・未来 2009.9.27

 この時の座談会では、

 『気の合うパートナーとトランゴタワーのようなところを登攀したいです。 事実優れた山登りをしようとするなら女同士は難しいです。 どうしても男性のパートナーが良いですね。』

 と本音をもらしているのですが、2011年には再び女性同士のチームで海外のクライミングに挑んでいます。日本の「GIRI GIRI BOYS」のような通称で、韓国メディアでは「アジュマ(おばさん)遠征隊」というタイトルがよく用いられています。
 ご主人でアラスカで素晴らしいクライミングを展開しているチェ・ソクムン氏もこの「韓国山岳界の未来を問う」第三回に連載され、ご夫婦が次に目指すものは何なのか、注目です。

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