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キンヤンキッシュ東峰、陥つ

ちょいと大阪の暑さで死にかけているので、短くお知らせします。

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キンヤンキッシュ南西壁

 パキスタンのキンヤンキッシュ東峰(7400m)が2013年7月19日、オーストリアのハンスヨルク・アウアー(Hansjörg Auer)・マティアス・アウアー(Matthias Auer)兄弟、スイスのシモン・アンターマッテン(Simon Anthamatten)のパーティーによって初登頂されました。

First Ascent of Khunyang Chhish East (7400m) by Altitudepakistan 2013.7.21

E’ di Auer e dei fratelli Anthamatten la prima salita del Kunyang Chhish Est by Montagna.tv 2013.7.23

 キンヤンキッシュは1971年、アンジェイ・ザワダ率いるポーランド隊により初登されましたが、東峰は以後も未踏を誇り、特にその南西壁は「カラコルムの課題」として幾多のクライマーの挑戦を退けてきました。
 2006年9月にはスティーブ・ハウス、ヴィンス・アンダーソンの黄金コンビが挑みましたが頂上まで300m残したところで敗退。
 暗いニュースの続くカラコルムでは久々のビッグタイトルでしょう。

 なお日本ヒマラヤ協会の飛田和夫氏がキンヤンキッシュ峰には執念ともいえる挑戦を繰り返していることは、日本人クライマーなら忘れてはなりません。

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六甲山横断

日曜。
本日の目的は、六甲山横断。
六甲山南麓の阪急芦屋川駅から六甲山最高峰を経由して、北側の有馬温泉に下山する古典的なルート。
六甲山山域では色々訪れたい場所があるのだが、先週まで酷暑の中、疲労した日が続いており体調を勘案してこのルートを選択した。

朝5時30分、阪急芦屋川駅を出発。
ボルボやベンツ等が並ぶ豪邸街を通り抜け、六甲山山中へ。
滝の茶屋を通過し、藤木九三のレリーフを見る。そこに歴史を感じる。

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六甲山を象徴する、白い花崗岩が露わになった登山道にさしかかったところで朝日を浴びる。

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マサ化(風化)した花崗岩は、素晴らしいほどにシューズのフリクションが効く。
一見、険しい登山道でも快適に登れるのだ。
山麓から森に覆われ、土の上を歩くのとは異なり、ぐいぐい高度を稼ぐことができる。

こんなフィールドでハイキングや登山を覚え始めた人は幸せだ、と思う。

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六甲山を覆う笹の多くはミヤコザサ。
雪の多い山形の山を覆うチシマザサと異なり、春の成長期に伸びた一本の茎が大きくなるだけで、枝葉を出さない。
そのためだろうか、笹に覆われた山肌も東北のそれに比べてスッキリとしている。

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駅から歩き始めて1時間、風吹岩に到着。
岩の上からは素晴らしいまでの神戸港そして街並みの眺め。
え?画像?
毎度ですが、素晴らしい光景は御自分でいい汗かいてご覧下さい。
風吹岩には子猫の集団が住みついていた。

さらに雨ヶ峠を経て七曲がりの登り坂へ。
周囲は蝉の声、ウグイスの声、
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時折、道端を飾るオカトラノオの白い花を眺めてひたすら登る。

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幾つもの沢筋を越える。
六甲山といえば、前掲の白い花崗岩の縦走路しかイメージできなかった。
こうして水の音を聞きながら登ると、六甲山が豊かな自然に恵まれたフィールドであることを痛感する。

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若い栗の実。もうコクゾウムシが狙っているのか?

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ア・ケ・ビ。まだ若い実ですね。

気温27度。
風は涼しいとはいえ、汗だくになって車道が通じている「一軒茶屋」に到着。
登り切った、まさにグッドタイミングなところで
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自販機の誘惑に負けた・・・

つべたいスポーツドリンクで水分補給し、六甲山最高峰に向かう。

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最高峰に通じる車道の入り口には、アジサイが沢山。
六甲山には「三名花」と呼ばれる花がある。
ツバキ、ムクゲ、そしてアジサイだ。

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六甲山最高峰に通じる車道を登っていると、上から「やった!俺はやったんだ!」という叫び声が聞こえる。

叫び声の主は、自転車(ロード車)でここまで登ってきたらしい男の子だった。
そのナルシストっぽい叫びも、この暑さと山の上では、若さだけを感じる。

8時20分、六甲山最高峰931mに到着。
すぐに有馬温泉方面に下山。

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六甲山最高峰から有馬温泉までは、魚屋道(ととやどう)と呼ばれる古道をたどる。
白い花崗岩が露出した南側とは対照的に、昼なお暗いような、樹林帯がトンネルを形作る道だ。
木漏れ日に映える緑色を楽しみながら下山を続ける。

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頂上で出会った方の話によれば、やはり夏の六甲山は暑さで人が少ないらしい。
花も少ないが、小さい萩のような花(正式名称不明)がところどころに咲いている。

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下山するにつれて、ほぼ水平に近いようなつづら折りの道が続く。
この魚屋道(ととやどう)は、瀬戸内海から有馬温泉に魚を供給するために利用された道とされている。

しかし六甲山の歴史をひもとくと、登山道開拓の歴史は、そのまま人々の欲望の歴史であることがわかる。
江戸時代も半ば、幕府は法令を改正、役人・大名は宿場の通過料を半額または無料とした。
それでは宿場町が維持できないため、町民・農民に対しては通過料を値上げし、宿場以外を通ることはまかりならんという改悪である。

当時、いわゆる「灘の酒」を作るために米が必要だった。
宿場の通過料の負担に耐えきれない農民たちは、こぞって六甲山中に抜け荷(いわゆる密輸)ルートを拓き、物資を運んでいった。
そのルートが代官所によって取りつぶしにされれば、別のところにルートが拓かれる・・・という繰り返しだったらしい。
こうして瀬戸内海と北摂地方を南北に分断する六甲山は、人の往来が激しくなっていった。

人は、お経や呪文やお祈りだけで生きていける訳ではない。
カネも食べ物も必要だ。
山岳信仰による隆盛を極めた山形県各地の山々を登ってきた私にとって、「抜け荷」という現実的な目的のために開かれていった六甲山の歴史は興味深い。

頂上から1時間20分ほどで、有馬温泉に下山。
下山口には別世界のようなリゾート温泉施設が建ち並んでいるが、さらに下っていくと、
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昔ながらの街並みがありました。

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こうみえても1970年代生まれですが、ちょっと懐かしい感じの本屋さん。

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有馬温泉から大阪・梅田行きの高速バスチケットを購入した後、「金の湯」で汗を流す。

六甲山。
たしかに開発された山々ですが、豊かな自然と歴史をそなえた、良い山でした。

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石橋商店街日記

 先の記事にコメントを頂戴いたしましたが、7月中旬から大阪は池田市と箕面市にまたがる石橋地区に滞在しておりました。大阪大学の近くにある、山形県人の私にはなかなか味のある地区でした。

7月×日
 メチャメチャ蒸し暑い日。
 現場作業からボロボロになって戻る。

 ソ連のボストーク宇宙船の操縦室みたいな宿のユニットバスはもう嫌だっ!

 というわけで、仕事から帰り、部屋で休憩してから銭湯通いが日課となる。
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 毎夜、私の疲れを癒してくれた「平和温泉」。
 ミストサウナと水風呂に交互に入る。
 風呂上がり、銭湯の休憩場でボーッとしているのが至福の時。
 
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 石橋商店街は食い物屋・総菜屋が異常に多い。
 銭湯帰り、いつもの総菜屋で半額タイムセールを狙い総菜を買うのも日課になる。

7月×日
 今日も銭湯帰り。
 甘いモノが喰いたくなったので、石橋商店街の和菓子屋「三松」へ。
 商店街の和菓子屋はどこも「土用餅」で餅菓子を売り出し中。
 さきほど銭湯で一緒だった、ヤンチャそうな若い奥様と小さい女の子と出くわす。
 女の子は自分から花の形をした生和菓子を指さし、買ってもらっていた。
 私は、
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 夏らしく「梅饅頭」を買う。
 緑も鮮やかな生地の中は、薄い白あんで包まれた梅の砂糖漬け。
 サッパリ系の和菓子でした。

7月×日
 今日も殺人的な蒸し暑さ、あまりに身体が汗でベトベトなので宿でシャワーを浴びてから外出。
 本日は石橋商店街外れにある古書店「太田書店」へ。
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 大阪大学近くの古書店らしく、大学の各科の教科書で満ちあふれている。
 文庫本は希少本が多い。中公文庫の貴重な山の本もいくつか。文庫本は「絶版」「初版」など几帳面に包装に記入され、売値にもしっかりプレミアが付いている正統派な古書店。
 狙っていた山岳書はさほどめぼしいものは無かったが、郷土資料として六甲山の本を買い求める。
 それから本日も、銭湯→タイムセールの総菜買い物というワンパターンな日々。

7月×日
 仕事から戻り、所用で郵便局へ。
 帰路、またまた石橋商店街を眺めながら銭湯へ。
 いつもより少し時間が速いので、和菓子屋「松屋本舗」が営業中。
 店舗前にあったのが、
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「ひやしあめ」。
 東北ではほとんど飲む機会の無い、関西方面の飲み物。
 麦芽でできた水飴に水または湯を加え、ショウガを入れた甘い飲み物だ。
 私が初めて「ひやしあめ」を経験したのは、やはり出張で訪れた島根県の某観光地だった。
 大阪ではこんな風に商店街で売ってるんだ~と思いつつ、さっそく店のおばちゃんに一杯注文する。
 ここ松屋本舗の「ひやしあめ」はガッチリとショウガが効いていて、暑い夕方に飲んでも爽快感がある。

 あれ?
 和菓子屋の前で「ひやしあめ」飲んでるって、よそ者まる出し?
 そう思っていたところ、石橋駅改札出口から押し寄せてくる人々の中から、ワイシャツ姿も決まった初老の公務員風男性が「ひやしあめください」と買い求めていた。さらに続けて中年女性もそれに続く。
 あー、「ひやしあめ」ってポピュラーな飲み物なんだ。

 ちなみに翌日、
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 池田市内のローソンでもパックの「ひやしあめ」発見。
 でもショウガのパンチの効かせ方は、店頭販売の「ひやしあめ」が最高なのでした。

7月×日
 今日も銭湯通い。
 時間帯はいつもより遅かったのだが、部活帰りだろうか、野球のグローブを持った中学生の集団で大にぎわい。
 日本各地出張の度、近くにあれば銭湯に好んで行くが、たいてい年寄りばかりで静かなところが多い。
 ここ大阪は違うなあ・・・
 今日も帰りは総菜屋でいつもの豆腐ハンバーグとフルーツサラダを買って帰る。


こんな商店街生活がもう少し続く予定だったのですが・・・
泊まっている宿が「東南アジア」テイストな宿でして、設備が古くてネットも繋がりにくい、お湯はでない、洗面所はすぐ水が溜まる、フロント担当者がアジア系外国人で精算等細かい話ができない、駐車場が確保されてない時がある、等々の理由で、ついに親方が「我慢できん!宿移る!」というわけで、大阪某所に宿を引っ越すことになってしまいました。

さよなら石橋商店街。

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飯豊連峰・登山口通行止め情報【2013年7月18日現在】

2013年7月17日~18日にかけての豪雨により、飯豊連峰登山口に通じる道路も被害を受けているようです。

詳細はこちらをご覧下さい↓

「緊急情報」 林道川入線通行止めのお知らせ 山都地区グリーン・ツーリズム推進協議会ブログ 2013.7.18

飯豊朝日連峰の登山者情報

山形県側でも、大日杉登山口に通じる橋が冠水して通行止めの模様です。

道路状況、復旧工事に関する状況は流動的ですので、飯豊・朝日方面への登山を計画される方は地元自治体にて状況確認の上、お出かけされることをお勧めいたします。

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朝日連峰・林道通行止めのお知らせ【2013年7月18日現在】

山形県西川町の西川山岳会様より、朝日連峰登山口に通じる林道通行止めのアナウンスがありました。
2013年7月17日~18日にかけての豪雨により、林道で土砂崩れが発生、朝日連峰でもポピュラーな日暮沢登山口、渋い山行好きの方に好まれる障子ヶ岳・天狗方面に通じる南俣出合登山口に通じる林道が通行止めの模様です。

以下引用開始
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朝日連峰登山道路(林道)情報(7/18現在)

7月17~18日の豪雨による林道決壊・・・車両通行不可

7月17・18日の集中豪雨により、朝日連峰登山口の林道が大きく決壊し通行できなくなっております。

**日暮沢登山口(竜門山、大朝日岳方面)は、根子集落より約300m先の林道に大きな土砂崩れが発生し、林道も決壊した模様。

**南俣出合登山口(障子ヶ岳、天狗山方面)は、大井沢原集落よりの林道約1km先の大井沢橋が決壊し、その先の林道は確認不能。

両登山口とも、復旧の見通しはたっておりません。その後の情報は、下記へ問い合わせください。

西川町役場商工観光課 TEL;0237-74-2111
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以上引用終わり
出典:西川山岳会ウェブサイト

今回の豪雨は山形県各地に被害をもたらしている模様です。
朝日連峰方面だけでなく、山形県内外の山でアプローチに林道がある山域では、地元自治体に状況を確認されることをお勧めいたします。
また、マイナーな山域では地元役場も被害を把握していない場合があります。
夜間の林道走行は危険な状態も予想されます。
どうぞ入山には慎重に、安全な登山を楽しんで下さい。

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スカポンタンだかトランピンだか

朝日連峰特集とかいうので、トランピンだかアンポンタンとかいうアウトドア雑誌を読んでみた。

え?
銀玉水、「通り過ぎちゃった」でスルーですかい?

たかが水場、されど水場。

学生時代に水文学(すいもんがく)を専攻した身、そして地元ガイドとして言わせてもらえば、あの標高で、あの植生で、地下水涵養にも乏しいはずの環境なのに、あれだけの水量が花崗岩から湧き出る「自然の神秘」とも言える水場なんですけどね。

東京もんの商業誌って、お気楽ですね。

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本日より、

本日よりしばらく大阪府某所に住み込みです。

山形県人にとっては大阪なんて外国に等しいよ・・・

親方と夕食&酒を摂取した後、宿の付近を散策する。

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車両進入禁止、八百屋さん、服屋さん、クスリ屋さん等々、由緒正しい『商店街』が!

嗚呼!
好奇心がウズウズするっ!

親方と宿に戻った後、1人で夜の探検。

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 記念すべき大阪滞在初日の夜、『韓国伝統茶・多香(タヒャン)』にてオミジャ茶を注文。
 私の背後では、店の顔なじみらしい在日コリアンの女性客たちが日本語と韓国語のチャンポンでテレビのバラエティ番組を楽しんでいる。

 日本の感覚でいう「お茶」には程遠い、酸味と苦みの効いたオミジャ茶は、私にとっての大阪の印象そのもの。
 明日も酷暑の大阪でおしごとがんばろう。

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紅花摘み

14日朝5時。
無言でひたすら、紅花の花を摘み取り続ける。

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7月中旬。
山形では、紅花の開花が最盛期。

縁あって、アグリビジネスを展開する株式会社アイ・タックルの畑で紅花摘み作業の手伝いを行う。
ジブリの映画『おもひでぽろぽろ』でも主人公が作業に従事していたので、ご存じの方も多いかと思いますが、紅花はトゲトゲで覆われているため、朝露に濡れた棘が軟らかい早朝から作業が始まる。

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株式会社アイ・タックルの紅花畑

 この日集まったボランティア作業員は私を含め5~6人くらい(広い畑で時間差で作業に来ていた方がおられたので正確人数は不明)、アイ・タックル社員さんと共に無言でひたすら紅花の花びらの収穫。
 腰に「はけご」をつけ、オレンジ色になった花びらを摘み取っていく。
 空は今にも雨が降りそうな曇り空。
 近くの里山・大岡山も、低くたれ込めたガスに包まれている。

 周囲のカッコウやキジの鳴き声をBGMに、ひたすら摘み取り。

 やってみて初めてわかったのだが、
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 上記画像のように、畑の紅花は腰から膝の間くらいの高さ、花を摘み取るには中腰にならざるをえず、時間の経過とともに腰にくる。
 作業開始して30分くらいすると、あちこちから「腰が・・・」のつぶやき声がもれる(笑)

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ちなみにジブリの映画や観光協会の紅花畑の写真だと、紅花はこれくらい↑の高さ。

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午前5時から初めて1時間後のはけごの中。100gにもならない。
山形で紅花栽培が盛んになった理由として研究者が様々な理由を挙げているが、そのうちの一つが山形県人のねばり強さだという。トゲトゲの痛みに耐え抜き、換金作物として出荷できるようにするためには、どれほどの労力が要求されるのだろう。
 江戸時代に生まれていたら、私には絶対無理。

 予定では午前10時くらいまで作業が予定されていたようですが、この後強い雨のため作業中止、朝食のおにぎりとお茶、株式会社アイ・タックルで運営している農場『とまとの森』のトマトをいただき、解散となりました。
 ちなみに午前5~7時までの作業で、三人のはけごにつみ取った紅花をネットにまとめ、約300g。
 これは花びらを煎餅のように加工する「紅餅」にして出荷されるそうです。

 株式会社アイ・タックルの皆様、貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。

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今回、紅花摘み作業従事を思い立ったのは、昨年の金沢長期滞在にさかのぼる。

私はもともと、山形県が紅花を観光名産として売り出す姿勢が大嫌いだった。
理由は簡単、紅花栽培の現場なんぞ見たこともない。さらに、現代の日本社会において、紅花はいったい何の原料に用いられ、どんな産業に貢献しているのか?「紅花の里」などと宣伝文句は立派だが、その紅花が何の役に立っているのか、明らかにされていないではないか。単なる過去の遺物ではないのか?
そういう思いがあったのだ。

 その意識が変わったのは、金沢滞在に端を発する。
 昨冬、金沢にウィークリーマンション住まいすることになり、当然の如く金沢市内の和菓子屋を次々とのぞいていくことになるのだが、金沢を代表する和菓子屋といえば、老舗中の老舗、「森八」。
 日本三大銘菓にも数えられ、森八を代表する菓子が「長生殿」。
 長生殿は300年余りの歴史を持つ落雁だが、非常にシンプルな和菓子である。地元金沢市民にとっても日常の菓子というわけではなく、「よそ行き」の菓子というポジションである。
 この長生殿は白と紅の2種類があるのだが、この着色に用いられているのが山形県産の紅花である。

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 山形のローカルメディアや観光関係者は一切伝えないが、遠く離れた金沢で、山形の紅花が高級菓子の生産を支えているのだ。
 森八は一時期経営が傾き、その動向は石川県の地方紙でもトップで報じられる程だったが現在はなんとか持ち直している。
 余談ではあるが、上記画像は森八の広告によく用いられている写真。
 長生殿を載せている高坏(たかつき)は森八に代々伝わる蒔絵仕立ての物で、長生殿専用の器なのだが、経営不振によりついに古美術商に手放すことになった。
 しかし古美術商の機転により高坏は転売されず保存され、森八が経営を立て直した際、経営者に無事戻されたというエピソードがある。

 これら様々な歴史と人間模様に彩られた菓子の材料に、山形の紅花が使われている。
 自分の不明を恥じると共に、紅花栽培の一部、花の摘み取りを実際に経験しておきたいと思ったのだ。

 そもそも山形の紅花栽培は明治時代に一度完全に途絶えた。
 関係者の尽力により、宮内庁行事に用いられるために復活、栽培が続けられ、現在に至っている。

 もっとも、それらの出来事は表舞台の一コマにすぎない。
 紅花が中東からシルクロード経由で仏教と共に日本に渡って以来、農業にたずさわる人々は朝露に濡れた紅花摘みを、棘の痛みに耐えながら気の遠くなる時間にわたり繰り返してきたのだろう。
 ちょっぴり、それを体験してみたかった、休日の早朝でした。

参考文献:
『金沢の和菓子』 千代芳子著 十月社刊 1994
『あなた、私も闘います』 中宮紀伊子著 叢文社刊 2002

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紅花摘みをやってみたい方へ

7月中旬になりますと、山形県各地で紅花関係のイベントが多くなります。

関連リンク:心が和む紅花のみち2013年版(山形県観光物産協会サイト)

私は観光イベントではなく産業としての紅花摘みの現場に興味があったので、株式会社アイ・タックルのボランティア作業員募集に申し込みました。
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関連リンク:株式会社アイ・タックル 感謝御礼! 最上紅花収穫お助け隊 募集 
最上紅花「収穫お助け隊」募集強化!

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 今シーズンは「さすらいの現場作業員」に専念するつもりでしたが、もう5月頃からありがたいことにガイドオファーを頂戴するわけでして・・・
 月山朝日ガイド協会事務局長の横山さんから直々に連絡いただき、引き受けたのが月山縦走。

 関東某所からお客様がいらっしゃったが、ついでに停滞前線も月山の真上にいらっしゃいましてございまする。

 羽黒側、月山八合目駐車場に早朝到着。
 風と雨、視界の全く効かない濃いガス。
 お客様の中にも「バスに残る」意志を示す方が現れる中、添乗のSさんと協議。
 経験上、この気圧配置下で天候回復は見込めないこと、上部に行けば確実に風が強くなること、仏生池小屋まで行っても天候は変わらないと予想されることを進言。
 私も、昨年のような後悔はしたくない。
 添乗のSさんは即断でお客様に行程変更を説明。
 ツアー登山の在り方が変わっていることを実感する一こま。
 代替案として、弥陀ヶ原湿原を半周散策し、その後に月山・姥沢にバス移動、山形県自然博物園のブナ林を散策することとなった。

 今回のガイドは私と月山朝日ガイド協会の「植物エキスパート」前田さん。
 弥陀ヶ原でも前田さんの丁寧な解説にお客様達が聞き入る中、私は「モウセンゴケ」解説の変化球で対応(笑)。
 風と雨が強くなる中、バスに戻る。
 駐車場では、普段よくツイッターを拝読させてもらっている東北の若手エースガイド、佐藤さん率いる某社ツアーの一団とすれ違う。
 私には私の、佐藤さんには佐藤さんの判断がある。悪天の中、同じ「ツアー」の安全を祈る。
 (その後ツイッターを拝読すると、やはり雨と風で仏生池小屋手前で引き返された御様子だった。)

 姥沢の山形県自然博物園に転進。
 バスの中では、登山中止の判断を歓迎するお客様の声も聞こえる。
 相変わらずの雨の中、月山のブナ林を興味深くご覧いただけた様子でホッとする。
 
 ブナ林を歩いていて、沢山の美しいキクラゲに遭遇。
 私と前田さんで、お客様10名ずつ引率していたのだが、話題は茸・山菜から一気に放射線量の話題になった。
 やはり気になるのが放射線量、自分たちはいいが、子や孫に対して気軽に山の幸を差し出せないのが辛いという。
 皆さんの会話に、今の現実を思い知る。

 雨のブナ林を散策後、博物園スタッフの倉本さんらに了解を得て、施設内でお昼休憩。
 その後、月山山麓で前田さんと共にお客様たちをお見送り。
 それからガイド協会事務所で諸手続、前田さんと別れて業務終了。
 最後に博物園を訪れ、お昼休憩で利用させてもらった事で倉本さんに挨拶。

 ひととおりの事後処理を終え、山形に戻る。
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 ここのところの現場仕事と、今日のガイドでヨレヨレになった私には、夕食に並ぶナス漬けが御馳走です。

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モンゴルにおける仏教 その過去と現在

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 先日、山形大学人文学部 人間文化学科の中村篤志准教授からメールをいただく。
 モンゴル人の研究者アルタンザヤー博士(Л.Алтанзаяа Ph.D.、モンゴル国立教育大学教授、東北大学客員教授)をお招きして講演会があるので、いかがですかという大変ありがたいお誘い。
 中村先生とは面識はありませんでしたが、月山エコプロつながりの御縁で、チベット仏教関連の講演ということでもし関心があれば・・・とお声がけくださった由。

 平日の14時から開催という講演会で、中村先生からは「平日開催で社会人の方には難しいかもしれませんね」というフォローのメールまで頂戴したのだが、そこは先月に土日ぶっとおしで働いた身、どうにか休暇をもぎとり、山形大学へ向かう。

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 講演前の予備知識として、モンゴルにおけるチベット仏教の概略史を講義される中村先生

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 講演はアルタンザヤー博士(右)が話し、中村先生(左)による通訳で進められた。

 私の乏しい知識では、中華人民凶悪国のチベット虐殺・侵攻以来、彼の地では宗教弾圧が進んだため、モンゴルはいわばチベット仏教の貴重な「文化保存」の場であった・・・と記憶していた(うろ覚え)
 本日のアルタンザヤー博士の講義は、19世紀、1800年代・清朝統治時代のモンゴルにおけるチベット仏教の社会的地位とその行方に関するものだった。

 モンゴルにおけるチベット仏教に関しては、作家の司馬遼太郎がだいぶハチャメチャなことを書きまくっているようだが、モンゴル人であるアルタンザヤー博士から説かれる講義は、私にとって大変貴重でありがたいものであった。
 特にチベットとモンゴル、二つの地域における仏教の行く末の違いは、チベット(農耕)とモンゴル(遊牧)という民族文化の違いが大きく関わっているというお話は興味深いものだ。

 アルタンザヤー博士のお話の中でも、20世紀の社会主義政権下では宗教に関する研究もほぼ不可能だったらしいが、「宗教は社会に影響を与えるものであり、良い面と悪い面の表裏を持つ。宗教を信じる「人」に焦点をあてて研究を進めていく必要があろう」とおっしゃる。

 日本のネット上でよくみかけるチベット仏教の物知り屋さんとは異なり、「人間」に焦点をあてていこうというアルタンザヤー博士の言葉に深い感銘を受けた。 

 講演後、他の大学関係者とお話に忙しそうな合間をぬって、なんとか中村先生にご挨拶。
 さらに、会場を管理していた大学職員が高校時代の同期生だったことも判明、数十万年ぶりで再会。
 今日一日で、これだけ「御縁」ができるのもチベット仏教のありがたい思し召しに違いない。
 オンマニペメフム。

関連リンク:山形大学東洋史研究室

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【速報・訃報】ポーランドのアルトゥール・ハイゼル、遭難か 【Polish climber Artur Hajzer presumed dead on Gasherbrum】

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 ポーランドのベテラン高所クライマー、アルトゥール・ハイゼル(Artur Hajzer、51歳)がガッシャブルム1峰で亡くなった模様です。
 複数のポーランドメディアが一斉に伝えていますが、情報が錯綜していること、また死亡の原因が明らかにされておらず、今回の遠征のパートナーであるマルチン・カッツカン(Marcin Kaczkan)の証言でハイゼルの死が伝えられている状況です。
 ポーランド山岳会(PZA)が声明を出しておりますので、こちらが今現在もっとも信頼できる情報でしょう。

PZA message from 09/07/2013 by PZA

以下記事引用開始
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カラコルム・ガッシャブルム1峰における事故に関するポーランド山岳会の声明

 7月7日(日曜)、アルトゥール・ハイゼルとマルチン・カッツカンはガッシャブルム1峰(8068m)登頂を目指しC3(7150m)を出発。7600m地点に到達した時点で強風のため登頂を断念、引き返した。
 彼らはC3(7150m)に戻り、無線でベースキャンプのコックと交信、さらにC2に下降すること、全て順調であることを伝えた。

 当日、7月7日午前11時(現地時間14時)、アルトゥール・ハイゼル夫人であるイザベラ・ハイゼルが携帯のショートメッセージで 「マルチン・カッツカンがジャパニーズクーロワールで滑落」 という連絡をアルトゥール・ハイゼルから受信。その後アルトゥール・ハイゼルとの連絡は途絶えた。

 当時ガッシャブルムのベースキャンプに滞在中のドイツ隊リーダー、トマス・レムリに救助活動を依頼。7月7日から8日の夜間にかけてハイポーターをC2(6400m)に派遣した。しかし強風と雪のため、ベースキャンプに戻ることとなった。
 8日から9日にかけての夜、天候は回復。朝、C1(6000m)から出発したロシア隊のメンバーがマルチン・カッツカンを発見した。

「アルトゥール・ハイゼルが亡くなった」トマス・レムリとの無線交信でマルチン・カッツカンが語った。

引き続き、この悲劇的な情報を確認中である。
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以上引用おわり

このように、ポーランドの複数メディアも

・最初に「マルチン・カッツカンがジャパニーズクーロワールで滑落」とアクシデントを伝えたのはアルトゥール・ハイゼル。

・翌日、ロシア隊がマルチン・カッツカンを「発見」、様態は不明

・マルチン・カッツカンが「アルトゥール・ハイゼルが亡くなった」との無線での証言

以上のような断片的な情報が伝えられているのみですが、登頂断念後、2人に何らかのアクシデントがあったことは間違いない模様です。

今回の遠征はポーランドのベテランであるアルトゥール・ハイゼル、若手クライマーながらウルブコらと組んで冬のK2やブロードピークを経験しているマルチン・カッツカンがペアを組み、ガッシャブルム1峰、2峰の連続登頂にアルパインスタイルで挑むという意欲的な計画でした。さらに今回の登山は来るべき冬季登山の偵察も兼ねていました。
 今回ハイゼル、カッツカンが予定していたルートは次のようなものでした。
ガッシャブルム1峰
G1
ガッシャブルム2峰
G2

 アルトゥール・ハイゼルは1962年生まれ、他のポーランドの岳人と同様、タトラ山脈、ヨーロッパアルプス、そしてヒンズークシュで経験を積み、87年2月、ククチカらと共にアンナプルナ冬季初登、他にもククチカやルトキェビッチらと共に8000m峰遠征を重ねました。特筆すべきはシシャパンマ、マナスル、アンナプルナ東峰の新ルート開拓等が挙げられます。
 今年悲劇的な結果に終わったポーランド隊によるブロードピーク冬季初登にも関わり、ポーランド山岳会の8000m冬季登頂・長期計画に深く関わっていました。
 先のブロードピーク初登が示すように、ポーランドにも強力な若手高所クライマーが育っていますが、今回の事故でハイゼルが亡くなった事実は、冬季8000m峰登頂を目指すポーランドのみならずヒマラヤ登山の世界において大きな損失といえるでしょう。

【Polish climber, Artur Hajzer died Gasherbrum 1. He and Marcin Kaczkan will climb G1 and G2 one season by alpine style. 07/07/2013, Artur Hajzer send short mail to his wife,"Marcin Kaczkan fallen Japanese couloir." After that his connection stopped. 09/07/2013,Russian climber found Marcin Kaczkan.
German expedition leader Thomas Laemmle, he communicated on radio in BaseCamp, Marcin said "Artur Hajzer dead"
  Information sauce  PZA message from 09/07/2013 by PZA

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月山 残雪状況【2013年7月7日現在】

2013年7月7日現在、月山・姥沢ルートの残雪状況です。

G20130707

【姥沢ルート】
 姥沢のリフト裏に登山道があります。
 月山では珍しく水場が豊富なルートで私も好んで登りますが、2013年7月7日現在、東側斜面に幾本もの雪渓が現れ、傾斜のきつい雪渓を横切ることになり、滑落の危険があります。雪面は硬くなっていますので、アイゼン無しのキックステップでも危険です。
 さらに上部の傾斜が緩い地帯には案内ロープが無いため、視界不良時には迷いやすくなります。
 次に登山者が集中する7月中旬の土曜・日曜も、同じ状態と予想されます。
 月山が初めての方、雪上歩行の経験の無い方には、リフト利用による入山を強くお勧めします。

 姥ヶ岳の残雪は、登山道分岐から姥ヶ岳直下まで。
 視界不良時のために案内ロープが張られていますが、あくまでも道迷い防止のロープです。体重をかけて手がかりにしないでください。
 雪上歩行に不慣れな方は、迷わずアイゼンの携行をお勧めします。

 「牛首」から先、および月山頂上直下の「月光坂」取り付き、傾斜のある雪渓があります。
 気温の状態によってはキックステップでも可能ですが、雪に縁遠い地方から来られた方、雪上歩行に不慣れな方には、短い距離ですがアイゼンの使用をお勧めします。

 
【羽黒側ルート】
 山岳信仰の参拝者が多く訪れるルート、 主な残雪箇所は

1,「畳石」より10分ほど手前の地点、長さ50~60mの残雪有、案内ロープ有
2,仏生池小屋から徒歩15分ほどの地点、長さ15m程の残雪有、案内ロープ無、少し傾斜があるので注意
3,モックラ坂手前、長さ20m程の残雪有、案内ロープ無
4,頂上稜線、木道終了点からすぐ残雪、山頂まで雪が続きます。 案内ロープ有り、山頂神社脇の空き地そばまで案内ロープが張ってあります。
 残雪の始まり・末端は雪融けで下部が空洞になっているため、要注意です。
 羽黒側の残雪はアイゼン無しでも可能と思われますが、一部ブロック状になって登山道を塞いでいる残雪もありますためご注意下さい。

【湯殿山ルート】
 湯殿山神社からの登山ルートは残雪のためお勧めできません。(姥沢リフト乗り場、登山道分岐の「金姥」にも同様の掲示があります)
 筆者は今シーズンまだ未踏査ですが、登山ルートの上部の沢筋が残雪で埋まっているとルートファインディングが難しく、初めて入山される方には、まだお勧めできない状況と思われます。

【花の様子】
 現在、ずばり羽黒側が百花繚乱状態でお勧めです。
 姥沢ルートはこれからというところ、姥ヶ岳稜線のニッコウキスゲは多くがまだ蕾状態です。
 
羽黒側ルート7月5日踏査、姥沢ルート7月7日踏査
なお当記事の記述はあくまでも私の観察によるものであり、月山朝日ガイド協会の公式見解ではありません。
ここに記載した残雪状況も、天候・気温により日々変化するということをご了解下さい。

 最近、登山者の方の言動を聞いていて気になるのですが、自分で状況を判断し、装備を用意し、使いこなすのも登山の楽しみの一つです。
 7月の月山はまだまだ残雪が豊富です。
 不安な方は、しっかり装備を準備して、おいで下さい。

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月山、梅雨。

羽黒側から月山へ。

梅雨。
「悪天」とひとくくりにされる雨の山。
生き物たちには恵みの雨。

Imgp0900m
エサをくわえたアカハライモリが登山道を横切っていく。(弥陀ヶ原)

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石になりきったヒキガエル。(弥陀ヶ原)

Imgp0910m
登山道を横切るカタツムリ(仏生池小屋脇)

風雨の中、頂上稜線へ。
ガスで視界の効かない残雪を行く。

Imgp0922m
かすかに足を動かす、エゾハルゼミ。
初夏に生命を謳歌したであろうエゾハルゼミが、まもなく生を終える。


頂上からの帰路。
プライベートの時は、仏生池小屋で熱いコーヒーを飲むのが楽しみだ。
特に、こんな風雨の日には。
Imgp0925m

外は、風の音が唸るほどの強風になってきた。

Imgp0926m
熱いコーヒーを飲み、小屋の中から大荒れの外を眺める。
まるで他人事のような、不思議な感覚。

同じく小屋で休憩していた中年女性2人組は、バスの待ち時間を計算しながら、下山の相談をしている。
さて、私も下りることにしよう。

雨と風、乱れ咲く花々と水を得た生き物たち。
そんな梅雨時の月山。

※コメント欄に御指摘をいただき、2枚目の画像は当初「ツチガエル」と表記しておりましたが、「ヒキガエル」に訂正いたしました。(2013.7.14)

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