48hours
実父の入院記録ですが、私自身のアーカイブとして残します。
手術日が決定。
それ以前から姉に 強 く 言われていたことが
「病室は個室用意してね」
父は以前にも動脈瘤やらペースメーカー埋込やら何やらで入院しているのだが、麻酔から覚めた後の回復が遅く、錯乱がひどいらしい。相部屋だと錯乱した父が騒ぐので、他の患者さんに気を遣ってしまうとのこと。
錯乱がひどいらしい、というのは、その時私は例によって長期出張のため、病院にいなかったのだ。
病室は個室、さらに(父の錯乱時にそなえて)男手が欲しい。
という姉、母、カミさんの連合軍から手術日に備えるように厳命。
ずっと仙台に通いの現場が続いているのだが、職場の理解も得て手術日と翌日に休暇を得る。
そして手術日の午前8時、病院集合。
父は歩いて手術室に入り、私、姉、母の3名は待合室で待機。
手術予定時間は約10時間。
午前、親戚の叔母さん、姉のお義母さん訪問、対応。
たぶん本日は泊まり込みで付き添いが必要、体力のあるお前に決定というわけで、私は一時帰宅し、仮眠をとるべく病院を離れる。
自宅で1時間ほど寝ていた昼前、携帯の音にたたき起こされる。姉からだ。
医師にとっても不測の事態があり、手術中断、家族を呼んで同意を得てから手術続行中とのこと。
また何かありそうだから病院に戻れという姉の指示。
虫の知らせというやつだろうか。
私は以前に某8000m峰から下山して以来、高所の低酸素のために脳細胞がやられたのだろう、睡眠中に「夢」を見ないようになった。
だが先程の仮眠中は何かに追われる夢にうなされていたのだった。
それはさておき長期戦を覚悟、読みかけの本、資料、パソコンをまとめて病院に戻る。
姉とは歳が6つ離れている。
そのせいか、付き合いも友人同然だ。
姉は小学生の頃からの読書家で、私の読書観に影響を与えた人物。
シャーロキアンで、待合室での私との会話も「古書店でホームズの本を見つけた。でも高い。アマゾンで買った方が得か?」で議論となる。
この病院、山形の田舎娘が狂喜して行列を作るスタバの店舗がある。
スタバのコーヒー飲みながら、読みかけの登山関連の資料を読み終える。
夕刻、姉の旦那が挨拶に来る。
手土産は、
スタバのコーヒー。
本日はスタバ三昧。
前述の手術中断で時間は延び、午後11時30分、看護士に呼ばれる。
3人で手術室の手前のルームに行く。
そこには摘出したばかりの臓器。
担当の若い医師があちこち臓器をいじりながら、手術の概要と結果、今後の方針の説明。
日付も変わらんとする深夜、精神的に疲れた状態で父の臓器を目前に話を聞くのもシュールだが、それ以上に長時間頑張っていただいた医師の方には頭の下がる想いで一杯。
説明がおわり、何度も医師に頭を下げ、部屋を出る。
手術後の父は看護士の目の行き届く部屋「回復室」に収容された。
ここで姉と母を帰し、私は父の隣にエキストラベッド(一泊300円也)で寝る・・・はずだった。
モンベルのムーンライト1型より狭っ苦しいベッドに横になるどころではなかった。
15~30分おきに、ひっきりなしに看護士が父の身体に付いている点滴・薬剤の調整に来る。
そして始まった、父の錯乱。
さっそく、鼻につながれていたチューブを手で外してしまった。
父の胴体には、抜けば命に関わる薬剤注入のチューブがつないである。
12時半頃、担当医師が「遅い時間に申し訳ありませんが・・・」とやってきて、錯乱時に身体を拘束する拘束具を使うことに関する誓約書にサインする。24時間休み無く父の身体を見てもらい、申し訳ないのはこちらの方なのだが。
数名の看護士がやってきて、父の身体を起こし、簡易なカギの付いた身体拘束具で身体をベッドにくくりつける。
今、目の前で父の身体をガシガシ拘束している看護士さんのイメージ↓
目を覚ましたものの、父は朦朧としていて、
「車はどこだ」
「●●(住所)さ帰らんなね」
と、病院に入院していること、手術を受けたことを 全 く 認 識 し て い な い 様子。
チューブを外そうとする父を抑え、薬剤を入れ替える看護士さんがひっきりなしに訪れて午前2~4時を過ごす。
寝るヒマ無し。
夜明け。
ようやく静かになったと思いきや、午前5時前あたりから、再び父の錯乱がひどくなる。
両腕を固定しているバンドが気に入らないらしく、
「外せ!外せ!」
と声を荒げる。
ウチの父、絶賛大暴れ中。
仕方なくナースコールで看護士を呼び、看護士さん(女性)から「このチューブ、外せないんで我慢してなあ」と言われると、
トラウトマン大佐に投降したランボー並に大人しくなる。
息子の説得虚しく、ナースコールで呼んだ看護士が声をかけると、
おとなしくなる。
以下、午前6時頃までこの繰り返し。
父も疲れたのか、少しおとなしくなった午前8時30分、姉と母が付き添いのため訪問。
ふたたび父が錯乱し始める。
姉いわく、
「前回と言ってること全くおんなじ。」
と慣れた様子。
付き添いを姉に代わってもらい、私は病院レストランで朝食。
父が入院するたび、ここの病院レストランの洋食モーニングセットが楽しみ。
前回と同様、洋食セットを注文。
大きなガラス窓のそばで、パンを食べる。
外は雨模様だが、厚い雨雲が途切れ、日光が差した。
それもすぐに遮られ、日射しは消えた。
姉は午後から外せない用事があるので、午前中に私は仮眠をとり、母と私で二日目を付きそうことになる。
自宅でシャワーを浴び、少し眠る。
二日目。
父が朦朧としているのは、あいかわらず。
昨夜と違いおとなしくなっているので、付き添いは母におまかせ。
私は待合室でパソコンを立ち上げ、ネットに接続して溜まった山関係のメール処理。
夜、エキストラベッドは母に譲り、私は待合室のソファで一夜を過ごす。
午前2時頃、警備員さんから起こされた。不審者対応だろう。こちらも「付添者」のバッジを提示し、引き続き待合室で過ごさせてもらう。
警備員さんも恐縮していたが、むしろ申し訳ない。
トイレに立つと、ナースステーションには夜勤の看護士さん達。
眠れない人間もいれば、仕事で眠らない人々もいる、大型病院。
昔好きだった女の子が大病院の看護士だったり、介護士だったりして(以下省略)
病院入りして48時間経過、3日め。
医師とも話をし、我々家族はいったん帰宅することになる。
私は会社ではリストラ寸前会社員ではあるが、プライベートではヒマではない。
帰宅して仮眠をとり、所属している山岳ガイド協会関連で必要な資料を得るため、市内の図書館に通う。
図書を検索中、携帯が鳴る。
母が病院へ行きたいとのこと。
ほんのわずかな時間、やりたいことも自由にやれない苛立ち。
図書館で用を済ませ、母を拾い病院へ。
そこで父の様子をうかがい、明日も引き続き母が付き添う事に決定。ながらく付き添ってくれた姉も休ませたいため、私が母を送ることになる。
今回は、長い闘いになりそう。
母を実家に車で送る。
車中、母の話しかけには適当に返事をし、気を紛らわせるためiphoneに入れてあるショパンのベストセレクションを聴きながら、実家に向かう。
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