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今月のキム・ジャインちゃんは

K1
プロ野球・韓国シリーズ第1戦の始球式に登場です。
(10月24日、サムスンライオンズVS斗山ベアーズの試合にて)


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鮭つかみ取り大会

毎日毎日、3DSでゲーム漬けの息子と娘。
息子は生き物が好きで「リュウグウノツカイ」とか「ヤドクガエル」とかマイナーな生物の名前もよく知っているのだが、全てゲームで覚えた名前。
父親がブナ林ガイドだの山岳ガイドだのやっている割に、息子はバーチャル世界にどっぷり漬かっているという情けない状態。
このままではいかん!

 そんな子供をほったらかしに、時折拝見しているブログ「あかねずみの月山だより」で話題になる、鮭ふ化養殖場での様子をみて「あー今年は鮭つかまえてみたい」。
 山形では毎年、水産資源調査を目的に鮭釣りが解禁になるのだが、残念ながら私は釣り堀以外の釣りを知らない。
 いろいろ情報収集しているうちにみつけたのが、

鮭のつかみどり大会 山形県遊佐町観光協会

 27日、家族皆で会場へ。
 私達は12時30分開始のつかみ取り第3ステージに割り振られる。
 冷たい強風と小雨の中、昼12時、駐車場を早めにでて会場へ。

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遊佐中学校裏の河川公園内の水路がつかみどりの会場。ここに鮭が放流される。

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12時30分、ルール説明の後、子供達から先に水路に入る。

そして、つかみどり開始。

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開始早々、60cmはあろうかという大物に息子がしがみつき、娘が応援。

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娘も中堅サイズをゲット。通常はつかみどりで鮭をゲットした後、スタッフが棒で鮭の頭を殴り大人しくさせるのだが、たまたま娘の周囲にスタッフがおらず、暴れる鮭をそのまま水揚げする娘。

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家族して鮭3本ゲットの図。息子が一番の大物を捕らえ、すれ違う知らない方からも声をかけられたようで息子は終始ご機嫌。

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捕まえた鮭は会場で塩をすり込んでもらい、持ち手の穴付き大型ビニール袋に入れてくれます。
受付の案内で教えてもらった遊佐町のAコープに鮭を持ち込み、さばいてもらい、山形に帰りました。

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本日の我が家の食卓。
娘の強い希望で鮭のムニエル、それから私のリクエストで三平汁。

20代の頃、年末年始は1人で北海道の利尻、知床、日高に足を伸ばしていました。
下山後、札幌の食堂で三平汁を食うのが楽しみだったのです。

それから、
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鮭つかみどり大会「大抽選会」で娘が2回も当てた、レトルトパックの遊佐カレーを食す。このレトルト、ネットで検索したら1袋910円・・・パブリカをメインに煮込んだ、野菜の甘みによる甘口カレー。

夜、息子が学校に毎日提出している日記帳をのぞいたら、「つかみどり、またいきたい」と書いてある。
帰宅してから初めて知ったのだが、息子は国語の授業でちょうど「鮭の一生」について勉強しているらしい。
今すぐゲーム止めろといっても無理だろうけど、生き物や自然は本物を体験させていきたい。

悪天候の中、運営にあたられた遊佐町の大会関係者の皆様には感謝申し上げます。

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【山岳ガイドの子育て情報】
山形県遊佐町 鮭つかみどり大会アドバイス

 鮭のつかみどりにはチケットが必要(前売券600円、当日券700円。抽選会の抽選券を兼ねる)。例年、当日券は開催日前に売り切れるようですので、前売券を予約した方がベター(遊佐町観光協会サイトの入力フォームから申し込み可)
 開催日約一ヶ月前にはウェブサイトで告知が始まるようですので、シーズンになったらマメに観光協会サイトをチェックしておきましょう。(私は今回9月中旬には申し込んだ)

遊佐町観光協会

 チケット受付時間は9:30~11:00となっていますが、会場に早めに到着して早めに受け付けを済ませた方が良い。私達は10時に会場到着、受付したところ、既に第1、第2回は満員、12:30からの第3回を割り当てられ、10時から昼まで、遊佐町のスーパーで早い昼食を済ませたりと待ち時間が長くなってしまいました。
 また会場最寄りの駐車場があまり大きくなく、車が一杯になると少し離れた遊佐中学校の方に駐車を指定されますので、駐車の事を考えても早めの会場到着が吉。

 会場受付では軍手の配布あり。服装は長靴に上下の雨具着用がベストと思われます。例年は晴れていたようですが、今年(2013年)は冷たい強風・時々雨、気温12度という悪天。着替えと防寒対策はしっかりと。

 放流された鮭は結構おとなしかったので、小学校低学年~幼稚園児でも楽しめると思います。捕まえられなかった子供さんのために、制限時間後半になるとスタッフの方が網で鮭を捕まえていてフォローしてくれます。

 捕まえた鮭は会場で塩をすり込んでくれ、手提げ型のビニール袋に入れてくれます。
 受付時に、鮭をさばいてくれる場所として遊佐町内のAコープを紹介してくれます。Aコープの鮮魚売り場に持ち込み、鮭をさばく手数料は1本につき500円。三枚おろし、切り身、アラは持ち帰りか等々、リクエスト可能。私達は鮭3本を頼み、保冷用の氷と発砲スチロール箱をサービスで付けてもらいました。

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ロシア流「連続登山」、ウリ・ビアホ東壁新ルート開拓

今夏のカラコルムではトランゴ山群はじめ素晴らしいクライミングが展開されました。
欧米のクライミングサイトでは、ウリ・ビアホにおけるイタリア隊の新ルート開拓がもっぱらとりあげられていましたが、10月に入り、当ブログでも紹介したロシアのデニス・ベレテニン、ユージン・バシュキルツェフの2人組による「連続登山」の模様が公表されました。

 ロシアでは連続登山(連続登攀)を「F1グランプリ」と称しています。その言葉の由来ははっきりしませんが、世界各地を転戦するF1レースと、次々と山を巡ってクライミングを続ける連続登山のイメージを重ね合わせているものと推測されます。
 過去にもパミールやロシア国内のビッグウォールを舞台に「F1グランプリ」と称して、西側のクライミングメディアで紹介されていない素晴らしい登山が展開されてきましたが、ベレテニン、バシュキルツェフのペアはカラコルムでその手腕を発揮しました。

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デニス・ベレテニン

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ユージン・バシュキルツェフ

 その内容は、トランゴ・リ(6545m)を高所順応のために登り、続けてトランゴ・ネームレスタワーのスロベニアルートをウォーミングアップ(!)として登攀、そして最後にウリ・ビアホ東壁に新ルートを開拓して登頂、という凄まじい内容です。

●トランゴ・リ(6545m)
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左がトランゴ・リ(6545m)、右がグレート・トランゴ

2人は7月26日、トランゴ・リに高所順応のため登頂。

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トランゴ・リの雪壁を登るバシュキルツェフ

●トランゴ・ネームレスタワー スロベニアルート
Name
トランゴ・ネームレスタワー(6239m) 赤線は2人が登攀したスロベニアルート

 トランゴ・リを登り終えた二日後、2人はネームレスタワーに取り付き7月30日に登頂、バシュキルツェフの表現では「1日半」で登攀を終え、8月1日10時(モスクワ時間)には衛星電話でロシアの山岳関係者に下山報告を済ませています。

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ネームレスタワー上部岩壁にて

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ネームレスタワー上部岩壁にて
彼らがウォーミングアップと称してネームレスタワーを選んだのは、上部に不安定な雪氷壁もなく、純粋に岩のクライミングに専念できるからとのこと。

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当ブログでも紹介した、エターナル・フレームを登る韓国女性隊。彼女達とは並んで登り進んだようです。

●ウリ・ビアホ(6109m)東壁 新ルート開拓
Uli
ウリ・ビアホ東面の概要
左より、黄色線が88年イタリア隊ルート、青色線が79年アメリカのジョン・ロスケリーらの初登頂ルート、赤色線が今回のベレテニン、バシュキルツェフによる新ルート、緑色線が06年ドド・コポルドらによるディレティシマルート

今回の遠征は、クライミング技術と体力にモノをいわせた遠征にみえますが、バシュキルツェフの手記によれば、「非常にかつ慎重に、準備と山の研究を重ねた」とのこと。装備も徹底的に軽量化を図ったそうです。

Ice
ウリ・ビアホ東壁の最初の関門、取り付きのクーロワール。2人は慎重に落石のタイミングを見極め、早朝に出発しました。

Ice2
下部の氷のセクションを登る

Rock1
ウリ・ビアホ東壁上部の様子

Rock3
彼らは5日分の食糧を携帯し8月8日に登り始めましたが、上部で悪天に捕まってしまいます。
雪まみれのデニス・ベレテニン

Sum
ウリ・ビアホ頂上直下の様子

Uli2
2人のたどったライン。
上部で悪天となり苦しめられたものの、8月14日、頂上に到達。ルート内容は6C+ A2 26ピッチ。
悪天となってからの登頂~下降は相当危険なものだったらしく、手記の中では「弾丸がたっぷり詰まったリボルバーでのロシアンルーレット」と評しています。

 ロシアは西側諸国にあまり知られていないビッグウォールを幾つも擁しており、今回のような「F1グランプリ」と称する、ヨーロッパアルプスで展開されているクライミングとはまた異質のクライミングが展開されています。
 ロシア流「連続登山」が今後カラコルムやネパールヒマラヤでどのように展開されていくのか、ロシアのクライマーの活躍に注目すべき点だと思います。

関連リンク
Каракорум. Район Транго. 2013. Часть III. Ули Бьяхо. Ледовый кулуар. by MOUNTAIN.RU

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あだたら高原スキー場 ゴンドラリフト冬季運行休止

 山岳メディアでも東北の雪山登山コースとして掲載される、福島県・安達太良山。
 従来よく紹介されてきた「ゴンドラ利用」の安達太良山ですが、今冬、あだたら高原スキー場のゴンドラリフト「あだたらエクスプレス」が冬季運行休止になる模様です。理由は「諸般の事情」とされています。

あだたら高原スキー場 ウェブサイト

以下記事引用開始
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あだたら高原スキー場 2013-2014スノーシーズンのゴンドラリフト運行休止について

今シーズンは諸般の事情でゴンドラリフト「あだたらエクスプレス」の運行を休止いたします。
尚、ファミリー・初心者様から好評をいただいております、スノーエスカレーターは今季1基増設し「キッズパーク」を更に充実させサービス向上を図ってまいりたいと存じます。
何卒ご理解頂きます様お願い申し上げます。
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以上記事引用終わり

 今冬、雪山登山としてゴンドラ利用の安達太良山登山を計画されている方、どうぞご注意下さい。

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フランス人ペア、アンナプルナ南壁登攀に成功

 今季のウエリ・シュテックによるアンナプルナ南壁単独登攀は、海外の一般紙でも報道されるほどのインパクトでしたが、さらに続けて2人パーティーによるアンナプルナ南壁登攀が達成された模様です。

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アンナプルナ南壁登攀に成功したフランスのステファン・ベノア(Stéphane Benoist)、ヤニック・グラツィアーニ(Yannick Graziani) 画像は2010年アンナプルナにトライした際のもの

 2人は10月17日に壁に取り付き、ルートはウエリ・シュテックと同じ、ジャン・クリストフ・ラファイユとピエール・ベジャンのラインをたどり、24日朝、頂上に到達したもの。詳細についてはまだ明らかにされておらず、各国のクライミングメディアも彼らの下山待ちというところ。

 彼らはシャモニの山岳ガイドで、ステファン・ベノア(Stéphane Benoist)は2003年テレイサガール北壁、2005年チョモロンゾ、2008年ヌプツェ南壁に新ルート開拓、ヤニック・グラツィアーニ(Yannick Graziani)は2005年チョモロンゾ北峰・中央峰初登、2009年ネムジュン南壁などの経歴があります。
 2人は2010年にアンナプルナ南壁ジャパニーズルートにトライしましたが悪天のため6800mで断念。今回が二度目のトライでした。

 アンナプルナ南壁は、70年のイギリス隊による初登により8000m峰バリエーションルートの象徴的存在となりましたが、それゆえ、80年代にはアルパインスタイルで試みられるようになります。
 82年、ルネ・ギリニ、そしてイギリスの枠を越えて各国のクライマーと組み活躍していたアレックス・マッキンタイアがアルパインスタイルでトライしますが、マッキンタイアが落石により惨死。
 84年、マッキンタイアらのルートをスペイン(カタロニア)のエンリック・ルーカスらのペアがアルパインスタイルで成功させます。エンリック・ルーカスの記録は日本のクライミングジャーナルにも掲載され、たった2人でアンナプルナ南壁を陥した記録に驚愕した記憶があります。
 
 単独と2人パーティ、その精神的プレッシャーの差異はアルパインクライマーの爺にドヤ顔で諭されなくても結構ですが、過去トップクライマー達がアルパインスタイルや様々なスタイルで挑み、幾人もの尊い命が失われたアンナプルナ南壁においては、今回の2人の成功も素晴らしい成果に違いありません。 

関連リンク

Le Guide Niçois Stéphane Benoist et le guide chamoniard Yannick Graziani, ont atteint, jeudi matin, par la face Sud le sommet de l’Annapurna (8.091 mètres) by Kairn.com2013.10.25

Annapurna, due alpinisti francesi ripetono “Lafaille route” sul versante sud by Montagna.tv2013.10.25

(追記)ウエリ・シュテック、アンナプルナ南壁から単独登頂 by 雪山大好きっ娘。+ 2013.10.11

フランスペア、アンナプルナ(8091m)南壁をアルパインスタイル第2登 by 雪山大好きっ娘。+ 2013.10.26

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リラックスしましょうよ。

 知らない人にとってはクライミングって、スリルと恐怖だけの世界と思われているようですが・・・クライミング中、「あ~、いい景色だな~」って思う時ってありますよね。

 で、アメリカ・ユタ州のクライマー、ダリン・スミス(Dallin Smith)は岩壁に椅子を作っちゃいました。

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The recliner for climbers: Rockface chair offers stunning views… for anyone willing to scale 350 feet up a mountain by Dailymail 2013.10.17

ユタ州・ロックキャニオンの岩場約350フィート(約100m)の高度に固定されたリラックスチェア。
工業デザイナーのダリンが自宅リビングに置く椅子を考えてるうちに、岩場で・・・と思いついたらしいです。

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高度約100m地点でのんびりするダリン・スミスのガールフレンド。

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足下の眺め。

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ダリン・スミス考案の「岩壁チェア」近影。
自作の金属製フレームに、2本の使い古しクライミングロープを流用しています。
Dailymail の記事では製作に数週間と掲載されていますが、別のメディアではちびりちびり作りながら完成させたとのこと。編まれたロープは、二日間かけて編んだという苦心作。

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岩壁から夕陽を楽しむダリン・スミス

この椅子、ダリン・スミスとガールフレンドが楽しむために一週間、壁に残置したらしいのですが・・・地元のクライマーが残置したことにお怒りの様子でして、すぐに撤去、今はガレージに保管されているとのこと。Dailymail記事の結びは、ダリン・スミスがeBayでこの椅子を売り出す可能性に触れています。

 まあ「壁に変なもん残置すんなよー」というのもごもっともですが、ポーターレッジじゃなくて椅子でのんびりしたい気持ちも、何となくわかりますよ、ね。

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白い月山

10月×日、月山へ。
本日は、私が所属している月山朝日ガイド協会のガイド養成講座の講師として入山。
ガイド志望のAさん、Bさんと3名で姥沢コースを歩く。

姥沢のリフト下駅で受け付け。
予定時刻より早めにやってきたAさん。
ガイド養成講座に参加した理由をそれとなく伺うと、高い志(こころざし)を秘めている。

 普段の私なら、「養成講習会の講師なんて、会のエラい人やってりゃいいじゃんじゃかじゃーん」と考えるのだが、今回ガイド協会の横山事務局長から打診を受けた時、自分自身を違った角度で見直すためにも、講師を経験する必要がある、と考え直した次第。

 この日のテーマは「ガイディング総合」。
 従前の講習会で経験を幾度か積んだお二人にガイド役を割り振り、実際に姥沢コースを歩いていただく。
 
 月山の月光坂より上は積雪があるだけでなく、低温と風で硬く締まっている。所々は氷化している。
 牛首から先、岩の上は乾いているのでまだ行ける、と私は判断したが、月光坂のガレ場が始まるあたりから、登山道が積雪で埋まっている。

 Bさんから、今履いている靴では不安がある旨、申し出を受ける。
 よく見てみると、比較的丈の浅い靴で愛用の靴なのだろう、ビブラムもかなり減っている。
 本日の講習はあくまでも無雪期のガイディング講習であり、また登頂も目的ではない。
 
 それ以前に、参加者に無用な不安を与えたのは講師失格である。
 ガイド役としてリードしてくれたAさんにここで引き返すことを申し上げ、Bさんには講師として不安を与えた事をお詫びする。現在地から雪の無い牛首手前まで、私がピッケルを手に、時にはカッティングしながらリードして引き返す。
 
 積雪の事を知らないのだろう、午前中の遅い時間帯にもかかわらず、多くの他登山者のすれ違う。
 団体登山を意識した講習を依頼されていたのだが、やはり3人パーティーでは体験できる事にも限界がある。
 そんな状況でも、AさんBさん共に「後ろから他の方来ています」「すれ違いますので、ちょっと山側によけましょう」と声をかけあいながら、ガイド役を果たしてくれていた。

 予定より1時間ほど早くリフト下駅に下山。
 ここで振り返りとミーティングを行い、解散。

 お二人と別れ、姥沢駐車場からあらためて月山を眺める。

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 月光坂より上が白くなった月山。もう稜線は冬の装いだ。

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姥沢駐車場脇を埋め尽くすブナの実の殻。今年は豊作だ。

 限られた時間の中で、テーマを絞っても、自分の経験を伝え人を指導するのは、難しい。
 行動中は参加者お二人をフォローするため、美しい鳥海山が望めても、遠く粟島が日本海に見えても、カメラを取り出す余裕など無い。
 下山後、目前の白い月山は、ガイドとしてのこれから、会社の仕事、父の入院、その他もろもろで押しつぶされそうになる自分の内心を解きほぐすに十分な風景だった。

 それから月山を離れ、月山朝日ガイド協会事務局で事務手続き後、自宅でシャワーを浴びてから父のいる病院へ。そこで現実に戻る。
 

本日の月山→自宅→病院の車中で聴く曲は、ビリー・ジョエルの『And So It Goes』。

And every time I've held a rose
It seems I only felt the thorns
And so it goes and so it goes
And so will you soon, I suppose


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ロシア隊、Tengmoche(6500m)登攀成功か

 ウクライナのマリナ・コプティバら3名がトライしていたネパールのTengmoche(6500m)、こちらも関係者のコメントによれば、10月11日現在、3名は登攀に成功した模様。

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赤い円が3人の登攀している位置を示す(10月7日)
当初予定していたラインよりも壁に入り込んでいます。

3人からの情報によれば、悪天候の中、52時間かけて、ろくに睡眠も食べ物も摂っていない状態とのこと。
ルートの詳細は不明ですが、ルートは「愛の戦争」(Война за любовь)と命名。
「愛の戦争」とは直訳的なんですが、ロシアのポップスの題名にもなっており、壮絶な登攀内容に反して、洒落た意味合いがあると思われます。

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登攀中に●歳の誕生日を迎えたガリーナ・シビトークの画像。
マリナ・コプティバといい、ロシア圏の女性クライマーはセクシーショットがお好きなようで・・・

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Uzun Brakk(6422m)初登

病院の爺はほっといて、バリバリ更新します。

当ブログでは、まだアメリカ・西ヨーロッパのクライミングサイトが嗅ぎつけていない記録を紹介します。

パキスタン、ビアフォ氷河に位置するUzun Brakk(6422m)が南西壁から初登頂されました。

Uz2
Uzun Brakk(6422m)南西壁、赤のラインが登攀ルート。

成功したのはチェコのOndra Mandula と Jirka Plizi Pliska のペア。
2人は6月22日にベースキャンプ設営、8月8日に登頂。
ルートは6b, A1, M5、斜度70度の氷壁を越えての登頂でした。

Uz1
登攀に成功したOndrej Mandula と Jirka Plizi Pliska

Ondrej Mandula氏はトレイルランナーとしても精力的に活躍しているようです。
今シーズンは春のTalung峰といい、チェコのクライマーが活躍していますね。

このUzun Brakk峰は早くからクライマーに目をつけられ、1980年、スコットランドのビクター・サンダースら2名が北東面からトライしました。
 天下のアメリカン・アルパインジャーナル1982年版には登頂と記載されていますが、イギリスのAlpine jounal1981年版を確認しますと、残念ながら頂上直下で退却したことが報告されています。
 さらに1993年6月にはアメリカのジム・ドニーニ、ジャック・タックルという強力なペアが南西壁に取り付きますが、彼らも頂上直下で悪天のため退却。今回のチェコのペアは、南西壁へのトライとしては2隊めでした。


 動画最後の場面、ベースでのウクレレ演奏がステキです。 

関連リンク
Uzum Brakk (6422m)  by Lezec.cz 2013.10.10

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【Czech's climber, Ondra Mandula and Jirka Plizi Pliska , they have completed south-west face on Uzum Brakk (6422m) in Pakistan. Information sauce Uzum Brakk (6422m) by Lezec

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48hours

実父の入院記録ですが、私自身のアーカイブとして残します。

手術日が決定。
それ以前から姉に 強 く 言われていたことが

「病室は個室用意してね」

父は以前にも動脈瘤やらペースメーカー埋込やら何やらで入院しているのだが、麻酔から覚めた後の回復が遅く、錯乱がひどいらしい。相部屋だと錯乱した父が騒ぐので、他の患者さんに気を遣ってしまうとのこと。

錯乱がひどいらしい、というのは、その時私は例によって長期出張のため、病院にいなかったのだ。
病室は個室、さらに(父の錯乱時にそなえて)男手が欲しい。

Yar1
という姉、母、カミさんの連合軍から手術日に備えるように厳命。
ずっと仙台に通いの現場が続いているのだが、職場の理解も得て手術日と翌日に休暇を得る。

そして手術日の午前8時、病院集合。
父は歩いて手術室に入り、私、姉、母の3名は待合室で待機。
手術予定時間は約10時間。

午前、親戚の叔母さん、姉のお義母さん訪問、対応。
たぶん本日は泊まり込みで付き添いが必要、体力のあるお前に決定というわけで、私は一時帰宅し、仮眠をとるべく病院を離れる。

自宅で1時間ほど寝ていた昼前、携帯の音にたたき起こされる。姉からだ。
医師にとっても不測の事態があり、手術中断、家族を呼んで同意を得てから手術続行中とのこと。
また何かありそうだから病院に戻れという姉の指示。

虫の知らせというやつだろうか。
私は以前に某8000m峰から下山して以来、高所の低酸素のために脳細胞がやられたのだろう、睡眠中に「夢」を見ないようになった。
だが先程の仮眠中は何かに追われる夢にうなされていたのだった。
それはさておき長期戦を覚悟、読みかけの本、資料、パソコンをまとめて病院に戻る。

姉とは歳が6つ離れている。
そのせいか、付き合いも友人同然だ。
姉は小学生の頃からの読書家で、私の読書観に影響を与えた人物。
シャーロキアンで、待合室での私との会話も「古書店でホームズの本を見つけた。でも高い。アマゾンで買った方が得か?」で議論となる。

Img_0459m
この病院、山形の田舎娘が狂喜して行列を作るスタバの店舗がある。
スタバのコーヒー飲みながら、読みかけの登山関連の資料を読み終える。

夕刻、姉の旦那が挨拶に来る。
手土産は、
Img_0460
スタバのコーヒー。
本日はスタバ三昧。

前述の手術中断で時間は延び、午後11時30分、看護士に呼ばれる。
3人で手術室の手前のルームに行く。
そこには摘出したばかりの臓器。
担当の若い医師があちこち臓器をいじりながら、手術の概要と結果、今後の方針の説明。

日付も変わらんとする深夜、精神的に疲れた状態で父の臓器を目前に話を聞くのもシュールだが、それ以上に長時間頑張っていただいた医師の方には頭の下がる想いで一杯。
説明がおわり、何度も医師に頭を下げ、部屋を出る。

手術後の父は看護士の目の行き届く部屋「回復室」に収容された。
ここで姉と母を帰し、私は父の隣にエキストラベッド(一泊300円也)で寝る・・・はずだった。

モンベルのムーンライト1型より狭っ苦しいベッドに横になるどころではなかった。
15~30分おきに、ひっきりなしに看護士が父の身体に付いている点滴・薬剤の調整に来る。

そして始まった、父の錯乱。
さっそく、鼻につながれていたチューブを手で外してしまった。
父の胴体には、抜けば命に関わる薬剤注入のチューブがつないである。
12時半頃、担当医師が「遅い時間に申し訳ありませんが・・・」とやってきて、錯乱時に身体を拘束する拘束具を使うことに関する誓約書にサインする。24時間休み無く父の身体を見てもらい、申し訳ないのはこちらの方なのだが。

数名の看護士がやってきて、父の身体を起こし、簡易なカギの付いた身体拘束具で身体をベッドにくくりつける。

それまでの看護士さんのイメージ↓
Nurse

今、目の前で父の身体をガシガシ拘束している看護士さんのイメージ↓
Nurse2

目を覚ましたものの、父は朦朧としていて、
「車はどこだ」
「●●(住所)さ帰らんなね」
と、病院に入院していること、手術を受けたことを 全 く 認 識 し て い な い 様子。

チューブを外そうとする父を抑え、薬剤を入れ替える看護士さんがひっきりなしに訪れて午前2~4時を過ごす。
寝るヒマ無し。

夜明け。
ようやく静かになったと思いきや、午前5時前あたりから、再び父の錯乱がひどくなる。
両腕を固定しているバンドが気に入らないらしく、
「外せ!外せ!」
と声を荒げる。
Ram1
ウチの父、絶賛大暴れ中。

仕方なくナースコールで看護士を呼び、看護士さん(女性)から「このチューブ、外せないんで我慢してなあ」と言われると、
Ram2
トラウトマン大佐に投降したランボー並に大人しくなる。

30分経過、再び
Ram1
絶賛大暴れ中。

息子の説得虚しく、ナースコールで呼んだ看護士が声をかけると、
Ram2
おとなしくなる。

以下、午前6時頃までこの繰り返し。
父も疲れたのか、少しおとなしくなった午前8時30分、姉と母が付き添いのため訪問。
ふたたび父が錯乱し始める。
姉いわく、
「前回と言ってること全くおんなじ。」
と慣れた様子。
付き添いを姉に代わってもらい、私は病院レストランで朝食。

父が入院するたび、ここの病院レストランの洋食モーニングセットが楽しみ。
前回と同様、洋食セットを注文。
Img_0461
大きなガラス窓のそばで、パンを食べる。
外は雨模様だが、厚い雨雲が途切れ、日光が差した。
それもすぐに遮られ、日射しは消えた。

姉は午後から外せない用事があるので、午前中に私は仮眠をとり、母と私で二日目を付きそうことになる。
自宅でシャワーを浴び、少し眠る。

二日目。
父が朦朧としているのは、あいかわらず。
昨夜と違いおとなしくなっているので、付き添いは母におまかせ。
私は待合室でパソコンを立ち上げ、ネットに接続して溜まった山関係のメール処理。

夜、エキストラベッドは母に譲り、私は待合室のソファで一夜を過ごす。
午前2時頃、警備員さんから起こされた。不審者対応だろう。こちらも「付添者」のバッジを提示し、引き続き待合室で過ごさせてもらう。
警備員さんも恐縮していたが、むしろ申し訳ない。
トイレに立つと、ナースステーションには夜勤の看護士さん達。
眠れない人間もいれば、仕事で眠らない人々もいる、大型病院。
昔好きだった女の子が大病院の看護士だったり、介護士だったりして(以下省略)

病院入りして48時間経過、3日め。
医師とも話をし、我々家族はいったん帰宅することになる。

私は会社ではリストラ寸前会社員ではあるが、プライベートではヒマではない。
帰宅して仮眠をとり、所属している山岳ガイド協会関連で必要な資料を得るため、市内の図書館に通う。
図書を検索中、携帯が鳴る。
母が病院へ行きたいとのこと。

ほんのわずかな時間、やりたいことも自由にやれない苛立ち。
図書館で用を済ませ、母を拾い病院へ。
そこで父の様子をうかがい、明日も引き続き母が付き添う事に決定。ながらく付き添ってくれた姉も休ませたいため、私が母を送ることになる。

今回は、長い闘いになりそう。
母を実家に車で送る。
車中、母の話しかけには適当に返事をし、気を紛らわせるためiphoneに入れてあるショパンのベストセレクションを聴きながら、実家に向かう。

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打毬(だきゅう)

8月末、実父が体調を崩す。
入院・検査の結果、それなりの大病であることが判明。
医師、家族、本人を交え、今後の方針を協議、10月中旬に手術決定。

その手術を控え、実父の身辺整理のため、私が奔走することになる。
平日は宮城県仙台に通いで土木作業、休日は老いた親の手足になって雑用を片づける日々。

10月6日、気晴らしに山形市の豊烈神社で開催される「打毬」を見に行く。

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山形市・豊烈神社の打毬会場

打毬とは、西洋でいう「Polo」のことである。
紀元前のペルシャに源を発し、西洋に伝わってポロ、東洋にはシルクロードを伝わり古代中国、朝鮮半島を経て日本に「打毬」として伝わった。

現在、日本において打毬が開催されるのは3カ所のみ。
宮内庁、青森県八戸市の長者山新羅神社、そして山形県山形市の豊烈神社である。

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神社裏手でスタンバイする打毬技士。
ルールは白方と赤方の2チームに分かれ、「毬杖」と呼ばれる先端を半月状に曲げたステックでピンポン球大の「毬」を会場奥のゴール(孔)に馬上から投げ入れる。
揺れる馬上から的に毬を入れるのは至難の業だ。
毬の補給は1人2玉まで。先に6玉入れたチームが勝利となる。

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まさに的に毬が入らんとするの図。

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やがて両チーム入り乱れての毬入れとなる。

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勝利した白方、凱旋する女性騎手。勝利した側は馬に乗ったまま退場する。

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敗れた赤方は、馬から降りて退場。あくまでも武士の作法に則った行事である。

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毬を扱う「毬杖」。紐の張り具合により、網の深さを加減する。

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山形・豊烈神社の打毬は山形豊烈打毬保存会の皆様によって受け継がれている。会員約20名ほど、凛とした女性騎手も幾人か。

歴史的には、八代将軍徳川吉宗が練武を目的に打毬を再編・再興したものである。
そして江戸時代、山形は「左遷」の地。
戦国時代は名君・最上義光が奮闘したが、江戸以降はあまりぱっとしない殿様方が代々城主を務めてきた。(え?ボク何か失礼な事書いてます?)
「天保の改革」でずっこけた水野家が山形にとばされたが、同時に水野家は山形に打毬を伝える。
以来、この山形の地で打毬は静かに受け継がれてきた。

打毬を見学するのは、私にとって今日が初めて。
自分の暮らす土地で、こんな伝統行事が続いているのだなあと認識を新たにする。

参考文献:山形豊烈打毬保存会編著 「打毬の話」 昭和43年1月刊(平成21年復刻版)

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打毬 Dakyu (Ancient Japanese polo)

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Dakyu is said to have begun in Central Asia, and travelled west to Europe to become the modern day game of polo. The same ancient game however is said to have also travelled east to China where it became Dakyu, and finally reached Japan via the Korean Peninsula during the 8th or 9th centuries.

Subsequently, in the Nara and Heian periods, Dakyu came to be played at the Imperial Palace around the time of the Tango Boy's Festival (May 5). During the Kamakura period the game declined, but by the time of the Edo period, Tokugawa Yoshimune, the eighth Shogun of Tokugawa government, promoted the game as a form of exercise for warfare on horseback and new methods of competition were devised, leading to its resurgence.

From the Meiji period, ancient traditional forms of equestrianism were increasingly challenged by more practical European forms, and Dakyu once again underwent a transformation and was modernized somewhat, but in the stables of the Imperial Household Agency, Dakyu is still practiced and preserved in the former popular mid-Edo period style.

Dakyu is played on a field 20m by 50m, on which five riders on each team attempt to score "goals" against each other. There is only one goal post, on which banners (red and white) are raised when a team scores a goal. The game is concluded when 12 balls (11 balls and one final goal) have been played.
(Description from Imperial Household Agency Website)

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It's only three place in Japan that a festival is held.
The Imperial Household Agency, Hachinohe City Aomori Pref., and Yamagata City,Yamagata Pref.in whichi I live.

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Dakyu has been designated as an intangible folk-cultural property at Yamagata pref.
In Yamagata City, it's held in 6 October every year in Houretu shrine.

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Yamagata Houretu Dakyu meeting, there are 20members,several female members are included. They have inherited the tradidional event.

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The team which won leaves a stadium on a horse.

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The team which lost leaves a stadium go down from a horse.
This is an event by the manners of the samurais.

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本日のおすすめCM

元ネタは韓国メディアなんですが、スコッチ・ウイスキー「デュワーズ」のテレビCMです。

日本のサイトでは、永瀬正敏はじめ、いわゆる芸能人・作家といった人を宣伝に起用しているのですが、グローバルマーケティングキャンペーンの一環として公開された動画は、非常に渋い作りになっています。

LIVE TRUE. Dewar's - True Scotch since 1846

Dewar's True Stories: Alex Honnold, Free Climber

自分の信念に人生の価値をおき、その情熱を語る。
軽薄なタレントの空虚な笑顔ではなく、その生き方に語らせるという広告。

デュワーズが選んだ1人が、アレックス・オノルドです。
クライミングの場面はむしろ一部で、岩、そして大自然と対峙する静かな光景が、それゆえに非常に印象深く残ります。

日本のメディア関係者に言いたい。
いい加減、バラエティ番組でクライマーをイロモノ扱いするのは止めていただきたい。
クライマーは奇人変人ではありません。まあキチガイ左翼もいるけど。

岩や壁、山と向き合う「人」を描いたCMなんて、広告会社の糞共が牛耳る日本のメディア上では、まだ期待できそうにありませんね。

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