« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

いのち

An
ラファエロ・サンティ 『システィーナの聖母』(部分)

 夜。
 病院で、担当医師から父の余命宣告を受ける。
 「その時」の対応について医師と確認を行い、バリウムをジョッキで飲んだような重苦しさを抱えて帰宅。

 帰宅した私を待っていたのは、息子、娘が通う小学校校内で生徒が亡くなった、という通知だった。
 通知には明記されていないが、周囲から伝わる情報で、自ら命を絶ったらしい、という事を知る。

 しかも御遺体の第一発見者は、息子と大の仲良しのA君だった。

 緊急搬送された病院が、私の父が入院している病院。
 その時、父の検査に付き添っていた姉が、救急車で搬送された児童の保護者の悲痛な叫び声を聴いていた。
 姉はドラマの撮影かと思ったほど、悲痛な叫び声だったらしい。

 小学生が、学校で、自ら命を絶つ。

 ささやかながらでも、微力ながらでも、自然を通じて子供達に「何か」を感じ取ってもらいたい。
 そういう思いで少年自然の家行事に関わってきたのだが、自分の子供達の通う学校で、子供が自ら命を絶つ。
 
-------------

 その年、ギラギラした名誉欲に憑かれて登ろうとした山は、頂上には届かなかった。
 朝、2人で出発し、夜、1人で戻った。
 8200mのテントに帰り着き、無線機のスピーカーから聴いた、帰着を喜んでくれた仲間達の歓声。

 翌朝、救援に来てくれたシェルパと合流。
 テントの吹き流しから顔を出した。
 その時見た、太陽の日射し。
 呼吸をしているだけで感じる、「生きている」「生かされている」喜び。

 人は、8000mより上を「デスゾーン」と呼ぶ。
 私はそう思わない。
 8200mで理屈抜きに実感した、あの生きている喜び。

 時は流れて。
 1年2ヶ月にわたり、鳥取県のダム建設現場で過ごした日々。
 ダムに沈むであろう清流で遊ぶ子供達の姿に、高所登山ではなく、野外教育の道に進むことを考えた日々。

 それから10数年。
 多くの人と出会い、子供達と野外で過ごす経験を積んできた。

 それは私のうぬぼれに過ぎなかったのだ、という無力感。
 1人の小学生が、学校で自殺したという現実。
 
 私自身、自殺を考え、手首にカミソリを当てて逡巡したこともある。
 その私が8200mで全身で感じた、生きている喜び。
 あの喜びは私の中で完結してしまい、子供達に伝える術も無く努力もしていなかったのだ。

 ------------
 翌々日、作業現場から真っ直ぐ学校に向かい、緊急保護者説明会に参加。
 そこでは事実関係の説明は簡潔に済まされ、子供達へのケアの話が中心だった。

 学校を出るとマスコミの記者が待ちかまえていた。
 竹内力なみのオーラを発しながら歩いていたのだが、なぜかカメラマンと記者に捕まえられる。
 彼らは開口一番こう尋ねる。
 「学校側の説明には納得されていますか?」
 「ええ、納得してますよ」
 どうも彼らの頭の中は『学校 vs 保護者』、という構図でいっぱいらしい。
 適当に答えて記者を振り切るが、背後からは記者達の態度にキレたらしい若いママの「他の人さ聞いでけねっ!」(他の人に聞いて下さい!)と怒鳴る声が聞こえる。
 ワイドショーそのままの光景。

 知己を自殺で亡くした時、ある人からこう言われた。
 「自殺ってさ、とても何か言いたいことがあるってことなんだよね」
 小学生の彼は、何を言いたかったのだろう。


 そして翌朝。
 病院から呼び出しの電話が来た。

 どんよりと曇った朝、私は父の最期を看取った。 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

おまいら!野口啓代ちゃんのセクシーカレンダーが発売されるぞ!

え゛え゛っ!!
イギリスの大衆紙Mirrorに野口啓代ちゃんのセクシーショットがぁぁぁぁぁぁ!!!

Noguchi

スケベ外人どもに啓代ちゃんの素肌が晒されるなんて~
と早合点する前に、下記の記事を読むべし。

Pictured: Sexy female climbers take charity calendar to new heights in caravan shoot by Mirror 2013.11.20

 これはクライマーによる癌撲滅・対策研究費チャリティーの慈善団体CAC(Climbers Against Cancer)がチャリティーを目的に製作したカレンダーの写真。
 イギリス、アメリカ、ドイツ、オーストリア、フランス、日本の女性クライマーが文字通り「一肌脱いだ」写真でカレンダーを製作したもの。カレンダー販売による収益は全額、国際癌研究基金に贈られます。

 CACは2011年、進行性癌と診断されたクライマー、ジョン・エリソンが立ち上げた基金で、その活動は欧米、東欧を中心に広がり、従来の募金方法はTシャツ販売が主でした。
 CACのウェブサイトには、アジアからは安間佐千、キム・ジャインらがCACのTシャツ姿で掲載されています。

 さて、今回の『the world's best female climbers』のカレンダーでは前掲の野口啓代さんの他、

P1
Sierra Blair-Coyle (アメリカ)

Ap
Alex Puccio (アメリカ)

Ml
Melissa LeNevé (フランス)

Sc
Shauna Coxsey (イギリス)

 その他、Anna Stöhr (オーストリア)、Juliane Wurm (ドイツ)、Mina Leslie-Wujastyk (イギリス)、Meagan Martin (アメリカ)、Angie Payne (アメリカ)、Alex Johnson (アメリカ)、Kati Peters (アメリカ)、Leah Crane (イギリス)が被写体となっています。撮影は女性カメラマンのキャロライン・トレッドウェイ、撮影場所はアメリカ・コロラド州、セットとなったトレーラーハウスはアレックス・ジョンソン所有のものだそうです。

 ちなみに野口啓代さんのビキニ姿写真、「東洋人」としてビジュアル的に映えるのか、ポーランドのクライミングサイトの記事も飾っておりますです。

 さあ日本のクライミングジムオーナーの皆様もぜひ、美しき女性クライマーのカレンダーを!
販売サイトはこちら イギリス・ヨーロッパ内では20£、海外からの購入は25£で販売中。

 あ、書くなよ!
 ツイッターとかに絶対書くなよ!
 これが女性アルパインクライマーの写真だったら製作はビジュアル的に無(以下省略)

【関連サイト】
CAC(climbers against cancer)公式サイト
PIN-UPS AGAINST CANCER(CACサイトでの女性クライマーカレンダー製作に関する声明)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ピオレドール・ロシア2013ノミネート (Piolet d’Or Russia 2013 the 14 nominations)

 ピオレドール・ロシア2013にノミネートされたクライミングが去る11月12日、主催のロシア山岳連盟によって発表されました。ノミネートされたチームは14隊。
 今年はパミールやシベリアなど、西側諸国にあまり知られていないビッグウォールのクライミングが中心となっています。

1.アクスウ(5217m)北壁クーロワール・ルート(6B)冬季登攀 ブリヤート隊
ダーシャ・アユセーエフ、エフゲニー・グラツィノフ、ウラジーミル・ラジェンスキー、
1. Winter ascent Aksu (5217) north face couloir (Buryatia team, Moshnikov route 6B) 
 Dashi Ayusheev , Evgeny Glazunov, Vladimir Ladyzhenskii.
P1
黄色のラインが今回の登攀ルート

2.キルギスタン・アルアラチャ渓谷 フリーコリア(4740m)北壁クーロワールルート(6A) クラスノヤルスク隊
ボスチェンコ、ロギーノフ、プロコフィェフ、プゴーフキンら4名
2. Ascent Mt.Free Korea(4740m) north face couloir ( Krasnoyarsk Team ,Semiletkin route 6A) O. Hvostenko, Loginov, D. Prokofiev, A. Pugovkin.
P2

3.ピーク4810北西壁左中央ルート(6B) サンクトペテルブルグ隊
3. Odessa peak(4810peak)NW face(6B), St. Petersburg Team, D. Chugunov, Anoshkina, I. rain, A. Zybalov.
P3

P4810
予期せぬアクシデントで1人一日700ccの水分制限、ジェットボイルの性能で燃料節約という節制の中のクライミングだったようです。

4.シベリア・西サヤン山脈 ズヴェズダ(2265m)北東壁(6A) トムスク隊
4. Zvezdnij(2265m) NE face ascent(6A) Team Tomsk, Temerev IM, Kovalev AV, Kopitov FA, Lebas EM, Novosel AV.
P4

5.Slesova峰(通称ロシアンタワー)北西壁(6A) プリモルスキー隊
5.Slesova NW face (6A) Team Primorsky Krai, Krasnolutsky AV, Bobrov JS Ishchenko AV
P5

6.パミール サバ峰(5300m)北壁(6B) ロストフ隊
6. Sabah (5300m) north face (6B) Rostov Team, AS Vasiliev, Antoshin AV Osipov, ID, Shipilov VV
Sabah
右より、1985年バシュキーロフ 6A(紫)、1986年モシュニコフ 6A(青)、1985年プロトニコフ 6A(緑)、2013年ワシリエフ 6B(赤)

7.ウリ・ビアホ(6109m)東壁 「ロシアンルーレット」( 6A-6B)アルパインスタイルによる開拓・登頂 イルクーツク隊(デニス・ベレテニン、ユージン・バシュキルツェフ)
7. Uli Biaho(6109m) East face "Russian Roulette"first ascent (6A-6B) alpine style, Irkutsk Team (D.Veretenin, E. Bashkirtsev)
P7
東壁中央、赤のラインがベレテニンらのルート

8.ネパール・ヒマラヤ テンカンポチェ(6500m)北東壁"War of Love"ルート登攀 サンクトペテルブルグ隊(マリナ・コプティバ(ウクライナ)、ガリーナ・シビトーク、ペトロワ・アナスタシア)
8. Nepal Himalaya Tengkanpoche(6500m) NE face "War of Love"route(VI, 6B,A2) ascent by alpine style, St. Petersburg Team, . M.Kopteva, G.Cibitoké, A.Petrova.
P8

Ten
17~18ピッチを行く 悪天候に悩まされながら達成された、ロシア&ウクライナ女性3人組の登攀
※訳者注 ロシアの多くのサイトで 「Tengkanpoche峰初登」と表現されていますが、同峰は2008年4月スイス隊によって北西壁、同年11月に日本・松本CMC隊によって北東壁が完登されています。 ロシア登山連盟が公開している登山隊報告では、過去のスイス隊、日本隊の存在を認識しているものの、北東壁を登った日本隊に関しては明確な情報を得ていない様子が記述されています。

9.ネパール・ヒマラヤ クスムカングル南西壁初登 サンクトペテルブルグ隊(アレクサンダー・ルチキン、スラバ・イワノフ)
9. Nepal Himalaya Kusum Kangur SW Face first ascent "Falling into the void"route(6A) alpine style. A.Ruchkin S.Ivanov.
P9
クスム・カングル南西壁

Kk
クスム・カングル南西壁18ピッチめを登る

10.ネパール・ヒマラヤ キャゾ・リ(6188m)東稜 ウラジーミル・ベローソフ、マリナ・コプティバ
10. Nepal Himalaya Kyajo Ri (6188m)East ridge (6A)alpine style, V.Belousov, M. Kopteva
P10

11.ハンテングリ(7010m)南壁 Svyrydenkoルート(6B) アルパインスタイルによる登頂 クラスノヤルスク隊
11. KhanTengri(7010m)south face Svyrydenko route(6B) First alpine style ascent by Krasnoyarsk Team. Pugovkin A. Yanushevich A., G. Kalita, A. Zhigalov.
P11

Han
ハンテングリ南壁Svyrydenkoルート下半部の岩壁を登る隊員

12.アクスウ(5217m)北壁(6B)、イスカンデル峰他の連続登山 トムスク隊 イワン・テメレフ、ヒョードル・コピトフ、ワシーリー・テレヒン
12. Aksu (5217) north face(6B), Iskander peak, continuous climbing expedition, Tomsk Team, Ivan Temerev ,Fedor Kopitov, Vasily Terehin
P12
アクスウ北壁

Aksu2
イスカンデル峰でのクライミング メンバー3名は世界のビッグウォール(アクスウ、トランゴ、エルキャピタン)を登攀するプロジェクトを手がけています。

13.キルギスタン・アルアラチャ渓谷 フリーコリア(4740m)北壁Ruchkinaルート(6A)冬季登攀(17時間で登頂) トムスク・ブリヤート隊 A. チュリュポ、E.グラズノフ
13. Ascent Mt.Free Korea(4740m) north face Ruchkina route winter climbing(17hour), alpine style. Tomsk and Buryatia Team, A. Tyulyupo, E. Glazunov.
Fk13

14.キルギスタン アクサイ・アルアラチャ渓谷 クラウンピーク(主峰4860m)第6峰西壁初登(5B) クラスノヤルスク隊 ボスチェンコ・オルグ、イゴール・ロギノフ
14. Crown Peak(Main peak 4860m) 6th tower west face first ascent(5B) Krasnoyarsk Team, Hvostenko Oleg, Igor Loginov.
P14

Fk1
クラウンピーク第6峰西壁 ミックス帯を登る


以上の14隊がノミネートされています。

少し補足します。

 2,13のキルギスタン、「フリーコリア(Свободная Корея)」峰は1957年に南東側から初登頂され、当時の東西対立を反映して「自由朝鮮」と命名されました。北壁は1959年に初登され、旧ソ連の「登山競技」の舞台として登られました。北壁は18本ものルートが開拓され、現在では冬季単独登攀も試みられている、ロシア圏のクライマーには非常にポピュラーな岩壁。その規模、形状、難度からグランドジョラス北壁に似ていると言われています。その山名から、国交回復後に韓国からもクライマーが遠征しています。

 11のハンテングリ南壁・南西バットレスとも呼ばれるSvyrydenkoルートは82年に初登されましたが、従前の隊は2~3週間かけた包囲法で登頂したのに対し、今シーズンのクラスノヤルスク隊は4泊のアルパインスタイルで登頂した事が評価されています。

 7のベレテニン、バシュキルツェフらによるウリ・ビアホ東壁は、悪天に見舞われた登頂~下降から「ロシアンルーレット」とルートが命名されました。

 その他、テンカンポチェ、キャゾ・リ、クスム・カングル等、ネパールヒマラヤでの記録が目立ちますが、これは今年ナンガパルバットBCで発生したテロ、クライマー射殺事件と無関係ではありません。先のナンガBCでの事件からパキスタンを避け、幾人ものロシア人クライマーがネパールヒマラヤに目標を向けた模様です。

 これから発表されるロシアのクライミングアワード「クリスタルピーク」、またウクライナのマリナ・コプティバが精力的に遠征クライミングを展開していることから、ロシア圏の女性クライマーを対象に贈られる「スチール・エンジェル」、これら二つのアワードも、ピオレドール・ロシアとかなり重複しそうな状況です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トーマス・フーバー、CD出したらしい。

いやあ私ハイカーなもんでクライミングなんておっかない世界ぜんぜん知らないんですがぁ。
もしかしてクライマーの皆さん、もうご存じでした?

あのフーバー兄弟のトーマス・フーバー、バンド組んでて、今秋アルバムCD出したらしい・・・

Extremklettern und Rock´n´Roll:Album "Endless" von Plastic Surgery Disaster by volksstimme.de 2013.11.8

To2_2
今秋発売のアルバムジャケット↑

To1_2
バンド「Plastic Surgery Disaster」の面々

あのトーマス・フーバーがっ!というクライマーの皆様、試聴したい方はこちらの試聴サイトどうぞ。↓
http://www.musicline.de/de/player_flash/4047179815529/0/0/-/product

トーマス・フーバーいわく「講演会は幾度も経験あるがレコーディングスタジオは初めて」らしいですが、結構楽しんだ模様。若かりし頃はドアーズやらニルヴァーナやら聴いてたらしいです。

この「Endless」、既に日本国内ではアマゾンやHMVで発売中。

いや、私もクソ暑い山形の夏山シーズン、ドアーズ聴きながら車走らせることはあるけど、最近は歳でストレス解消のためバロック音楽中心でございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中国の龍勇、ネパールの未踏峰 Bamongo(6400m)登頂

 中国のクライマー龍勇(Liu Yong)が10月30日14時、ネパール・ロールワリン山群の未踏峰Bamongo(6400m)に登頂を果たしました。

 刘勇完成尼泊尔境内6000米级未登峰 by 中国戸外資料網BBS 2013.11.8

Bamongo峰(6400m)は2002年にネパール政府が解禁したピークで、龍勇はシェルパのミンマ、ペマを伴い、16時間かけて登頂したとのこと。

Bo2
Bamongo(6400m)頂上にて

Bo3
稜線から望むBamongo峰

Bo1_2
登頂した龍勇 

 今回の登頂に関して、中国のクライミングサイトでは「中国民間人クライマーがヒマラヤ南側(ネパール側)で果たした初の未踏峰登頂」と位置づけています。
 私個人の持論として、従来は中国のナショナルチームとして非常に高所順応に長けたチベット人クライマーが国家体育局の方針として高峰のピークハントに動員され、優れた才能がいたずらに浪費されてきたと考えています。
 既に中国「民間人」クライマーが四川省や雲南省の山で優れたアルパインクライミングを展開していますが、今後はネパールヒマラヤでの活躍も期待されます。

 龍勇は2012年の本家ピオレドールの審査員に選出されている、中国のベテランクライマー。四川大学大学院出身、栄養学と高所医学のエキスパートでもあり、スークーニャン山群はじめアルパインクライマーとして中国国外の山でも活躍してきました。
 このBamongo峰遠征直前には、クライミングのためにスコットランドの岩場に遠征しています。
 
------------------------------------------
Bamongo(6400m) Nepal ,first ascent by Chinese climber Liu Yong.

On 30 October 2013 Liu Yong ,Mingma and Pema made the first ascent of Bamongo(6400m), Rolwaling valley, Himalaya, Nepal. Liu Yong is Jury of Piolets d'Or2012.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

キャンプ場に暮らす人々 ~シェールオイルは、人々を幸福にするのか?~

 日本の経済学者やエコノミストと呼ばれるおっさん達が、アメリカのシェールガス、シェールオイル「革命」とやらで、マスコミでブイブイ言ってるようだ。

 それでは、その「革命」原油産出地の実態はどうなのか?
 日本のネクタイ締めた評論家どもが、経済という「数値」でしか語ることはないシェールオイル産出地の実態が、今夏 The Fiscal Times で明らかにされている。

The Dark Side of North Dakota’s Oil Boom by The Fiscal Times 2013.8.16

以下超訳
------------------------------------------------------

1
(訳者注:画像人物の顔は伏せてあります)

 カナダ国境から7マイル(訳者注:約11km)、ノースダコタ州・ウィリストン。

 新開発の技術により、何百万バレルもの原油生産が可能になり、地域経済に数百万ドルの利益をもたらした。
 過去5年間に450万バレルの石油が生産され、75,000人以上の雇用を産み出している。地方税を潤し、数百もの新規事業に拍車をかけた。
 この地域の昨年の平均賃金は、2002年の24,841ドルから3倍以上となる78,364ドルとなった。

 どんな所でも人々が働き、金が使われていく。売りに出されて数秒後には、家は買われていく。車のディーラーにはトラックの新車の在庫は無い。レストランはかつて無いほどに忙しい。マックでさえ、アメリカでもトップクラスの売上げを記録した店舗となった。

 しかし、誰もが石油ブームの恩恵を受けているわけではない。

 トレントン湖キャンプ場。一見、典型的なアメリカのサマーキャンプスポットのようだ。湖のそばに木製のピクニックテーブル、芝生のキャンプ場にテントがあり、遊具も備えられている。
 だが、滞在している人々、家族の大半は休暇で来ているわけではない。彼らには住む場所がないのだ。

 ユタ州からやって来た7家族のうちの1家族、3歳の幼児と11ヶ月の乳児を連れた彼らは、バンと小型テントに住みこんで2週間になる。
 他の人々と同様に、アンダーソン一家はノースダコタ州で良い雇用先を見つけた。父は溶接工として働いていたが、寝室3部屋の物件でこの地域の平均家賃月3000$をまかなう余裕はない。企業が労働者用に用意した通称「丸太小屋」と呼ばれるプレハブ住宅も、賃貸料は月額約2000$を要する。アンダーソン一家は、キャンプ場が閉鎖され気温が劇的に低下する9月1日までに、住む場所を探さなければならない。

 原油ブームに沸くノースダコタ州のホームレス(車両に寝泊まりしている人々を含む)の人数を把握するのは困難だ。
 ノースダコタ州の「ホームレス連合」によれば、2008年の832人から今年1月で1433人、72%増加した。比較するならば、ノースダコタの8倍の人口を擁するミネソタ州のホームレス人口が約2500人である。


新興都市の誕生

 問題は需要と供給の問題といえる。2007年、ウィリストンは人口約13,000人の草原にかこまれた小さな田舎町であり、80年代の短い原油ブームが去った後は衰退の一途だった。それが、全国各地から何千もの人間が集まる原油ラッシュの中心地になろうとは、誰が想像したことだろう。

 求職者が来て、使用可能な住宅は満杯になり、家主は家賃を2倍、3倍に引き上げても物件は売れていった。寝室2部屋のアパートも月約500$から2500$にはね上がり、古くからの住人でも低所得者やカードの信用履歴に問題がある者は、生活のためにキャンピングカーやテント暮らしをすることになった。
 ある時から、地元のウォルマートの駐車場はトレーラーパークのようになり、図書館の敷地はキャンプ場のようになった。
 しかし、不況時のテント村とは異なり、住人のほとんどが仕事を持っていたのである。

2
ウォールマート駐車場を占拠する、ホームレス達の車両(The Fiscal Times、画像はgoogle mapより)

 2012年の記録では、市では4億7000万ドル相当の建築許可を出している。しかし建築のペースが追いつかず、その一方で新たな人口の流入は止まらなかった。たとえ多くの新しいアパートが建ったとしても、賃料は下がらない。
 2012年には、買物客からの多くの苦情を受け、ウォルマートは駐車場からホームレスを一掃した。市は、自動車、テント、施錠されていないトレーラーに宿泊することを禁止した。

 地元「救世軍」スタッフのヨシュア・スタンスベリーは語る。「彼らはここで生活して最後の所持金も使い果たしました。どこにも行くことができないんです。」

 原油ブームまでに家を購入していなかった、多くの古くからのウィリストン市民もまた、自身がホームレスとなり、キャンピングカーに住んでいる。10年にわたり、寝室を3部屋備えたアパート住まいだったロンダ・コームズと彼女の家族は、突然に家主が家賃を倍の3500$に増額したため、今は親の住む実家の裏庭にキャンピングカー住まいである。
 ロンダはウィリストンで育ち、地元のカーペットクリーニング会社で働いている。夫は、公園やレクリエーション地区で働いている。「私達は共働きですが、私も彼も油田とは縁がありません。」彼女は地元メディア紙に語った。「36のこの歳になるまで、この街の欲望のために家族と堪え忍ばなくちゃいけないなんて、思いもしなかったわ。」

 市にはホームレスの収容施設は無い。市議会は建設を議論したが、多くの住民は、完成した際にアメリカ各地から多くのホームレスが集まることを懸念する。

 町の小さなルーテル教会では、雨の中、男性の集団が中に入ろうとドアの側にうずくまって待っている。中では、靴下がイスにぶらさがり、寝袋がテーブルの間の床に押し込まれ、敷かれている。現在、約29人の男女がここで夜を過ごす。教会は市のホームレス収容施設になりかけてる。別の協会では、56人が教会に宿泊、廊下にまで宿泊者があふれ出ていた。 市当局はその状態を規約違反と判断、人数を29人に制限した。

 暫定的な「避難所」を運営するジェイ・ラインケ牧師は、教会にシャワー施設が無いため閉鎖される危機に直面している。
 「彼らは家族に奉仕する夫であり、父親なんです。彼らには収入が必要であり、働く意欲を持っています。救いの手をさしのべるのは、私達の義務です。」
 教会は毎日、新たな訪問者で満杯になる。「彼らを追い出さなければならないなどと、想像できますか?」と風速40マイルの雷雨が外で降り続くドアを示し、彼は語る。

 地元の救世軍は流入者を助けるため、2010年の40,000ドルから2012年には196,000ドルに予算を増額した。しかし住む家が無ければ、できることにも限界がある。
 「私達は、避難所としてではなく、食事のような基本的なニーズで支援しています」スタンスベリーは語る。
 (中略) 冬は気温が-40度になることもあり(訳者注:原文では-40°Fとあるが、ノースダコタ州の年最低気温は摂氏-40度のため表記ミスと思われる)、速やかに居住地を持たないことは生命の危険を意味する。
 「私はフロリダとジャマイカ出身の人々に説明しました。冬に慣れている人々でも、ノースダコタの冬は違います、と。」

 市当局が教会の避難所を閉鎖するならば、ラインケ牧師は段階的に縮小するため、1ヵ月の猶予を与えると言う。 多くの人々が仕事や家を見つけていくが、それ以上の人々が彼の教会にとどまり、日雇い労働も見つけられず、多くの男たちが何ヶ月も教会で夜を過ごしていった。そして、牧師は彼らに退去するよう頼まなければならなかった。
 数人の男性は、教会を出た後に行方不明となった。
 そして彼は、彼らが自ら命を絶つことを心配する。「ここは厳しい場所です。彼らは自分たちの人生を変え、私達の支援を必要とする人々なのです。」

--------------------------------------
以上引用おわり

 昨年10月、日本の秋田県においてシェールオイルの試験採掘が成功した際、ちょうど私は長期出張で秋田市に滞在していた。
 日本の主要メディアの「これで石油問題が解決する」といわんばかりの大騒ぎぶりには首をかしげたものだ。地元の秋田魁新報などは冷静な見方を示していた。
 
 ここで注意されたいのは、今回The Fiscal Timesが報じた「The Dark Side of North Dakota’s Oil Boom」は、住宅の供給が追いつかないという労働(環境)問題であり、エネルギー問題ではない。
 しかし日本の経済学者やエコノミストが数字を挙げて「革命だ」「エネルギー供給の改革だ」などと論ずる、アメリカのシェールオイル生産の陰に、こうした労働者問題が潜んでいることを忘れてはならない。

 アメリカのアウトドア販売店REIからアメリカ政府の内務省長官にヘッドハンティングされたサリー・ジュエルおばちゃんは、ネイティブ居留地問題から象牙密輸対策、国立公園保全まで、全米各地を飛び回って活躍中。
 元・石油技術者のサリーおばちゃん、「一夜にして化石燃料から自然エネルギーへの変換など不可能」と断言し、環境保護論者が懸念する、シェールオイル・ガス開発に不可欠な「水圧破砕技術」を容認する姿勢を取っている。

 最新の情報では、アメリカ国内のシェールオイル・ガス開発も、価格が下落方向に進み一段落している段階である。
 しかしThe Fiscal Timesが報じたようなホームレス達は、社会格差という点では日本より遙かに深刻な問題を抱えるアメリカ社会においては、原油開発が継続される限り減少することはないだろう。
 彼らのその後については、どのメディアにも報じられてはいない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ピオレドール・アジア2013、日本隊2チームによる共同受賞 (Two Japanese teams share Piolets d'Or Asia 2013)

 昨日掲載したピオレドール・アジア2013は審査の結果、山野井氏・野田氏ペアによるプスカントゥルパ隊、花谷氏らキャシャール峰サウスピラー隊の共同受賞となりました。

 ピオレドール・アジア授賞式については、韓国の中央日報が詳細にとりあげています。

 황금피켈상 아시아 시상식, 일본 푸스칸투파 동봉-카이샤르 남릉원정대 공동 수상 by 中央日報2013.11.14

以下引用開始
-----------------------------------------------

Cy1

14日午後8時、世宗文化会館で開催された第8回ピオレドール・アジア賞において、日本のプスカントゥルパ東峰(5644m)遠征隊とキャシャール(6770m)南稜遠征隊が共同受賞した。プスカントゥルパ隊の山野井泰史(48)と野田賢の2人組は、ペルー・アンデス山脈にあるプスカントゥルパ東峰の新ルートをアルパインスタイルで開拓した。やはり日本の花谷泰広隊長をはじめとする3人の遠征隊は、ネパールのキャシャール南稜に新ルートを開拓した。
 
 受賞者の山野井泰史は「これからも生涯をかけて(山に)登りたい。皆さんも生涯、山を楽しんでください」と語った。花谷泰広は「大きな賞をいただき、本当に感謝しています」「韓国に初めて来ましたが、歓迎していただき感謝しています。日本ではこのように大きな山岳イベントを見たことがない。とてもうらやましい」と感想を述べた。このほか、最終候補には、韓国のアムプー1峰(6840m)遠征隊をはじめ、中国の扎拉雀尼峰(5482m)遠征隊が候補に挙げられ、韓・中・日3国が競合を繰り広げた。近年、北東アジア圏のクライマーたちがアジアを越え世界の舞台で活躍していることを示した。ピオレドール・アジア賞は今年最も優れたクライミングを成し遂げたチームに授与され、アルパインスタイルのチームに限定して選ばれる。アルパインスタイルとは、小人数でベースキャンプから頂上まで一気に登るクライミング方式である。

 このほかに、第4回ピオレドールアジア生涯功労賞に故パク・ヨンソク(1963-2011)が選ばれた。パク・ヨンソクはヒマラヤ8000m峰14座完登、南・北極点到達を達成して登山文化の発展に貢献した功績が認められた。代理受賞者として出席したパク・ヨンソク未亡人ホン·ギョンヒ氏は、「登山家の心に残った登山家パク・ヨンソク隊長、そんなお父さん、そんな夫を心から尊敬します。そして今日はあまりにも多くの事が懐かしい」と涙ながらに語った。
(後略) キム・ヨンジュ記者
-----------------------------------------------
以上引用おわり

授賞式の模様については、次のように報道されています。

Cy3
パク·チャンス記者 14日午後、ソウル鍾路区世宗路 世宗文化会館で開催された「人と山創刊24周年記念式」でホン・ソクハ(右)「人と山」代表が、日本の登山家・山野井泰史に第8回ピオレドール・アジア賞を授与している。
(中央日報 http://joongang.joins.com/article/211/13140211.html?ctg=)

Cy4
パク·チャンス記者 14日午後、ソウル鍾路区世宗路 世宗文化会館で開催された「人と山創刊24周年記念式」でホン・ソクハ(右)「人と山」代表が、日本の登山家・花谷泰広に第8回ピオレドール・アジア賞を授与している。
(中央日報 http://joongang.joins.com/article/212/13140212.html?ctg=)

Cy2
パク·チャンス記者 14日午後、ソウル鍾路区世宗路 世宗文化会館で開かれた「人と山創刊24周年記念式典」で、第8回金のピッケル賞アジアを共同受賞した日本の登山家花谷泰広(左)と山野井泰史が記念撮影をしている。
(中央日報 http://joongang.joins.com/article/224/13140224.html?ctg=)

-----------------------------------------------
Piolets d'Or Asia 2013: Puscanturpa east(5410m) and Kyashar (6,770m),South Pillar

The Piolets d'Or Asia2013 was awarded to two ascents, Puscanturpa east(5410m) in Peru climbed by Yasushi Yamanoi and Masaru Noda , and Kyashar (6,770m),South Pillar in Nepal climbed by Hiroyoshi Manome, Yasuhiro Hanatani, Tatsuya Aoki. Two Japanese teams share Piolets d'Or Asia 2013.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ピオレドール・アジア2013ノミネート (Piolets d'Or Asia 2013, the nominations for the 8st edition)

 14日午後6時(現地時間)、韓国ソウルにおいて、韓国の山岳誌『人と山』が主催するピオレドールアジア2013が発表されます。日本からはROCK&SNOW誌の萩原編集長が審査員として参加されています。

今回ピオレドールアジアにノミネートされたチームは、次の4隊です。

Sfp
ペルー・アンデス プスカントゥルパ東峰 南東壁 新ルート開拓(700m / ED+ VII M5) 山野井泰史、野田賢

Ky
ネパールヒマラヤ キャシャール峰サウスピラー 「The NIMA Line」開拓 (2200m / ED+、M5、5.10a) 花谷泰広、馬目弘仁、青木達哉

Ch1
中国 雲南省 白馬雪山・扎拉雀尼峰 東壁 新ルート開拓(1300m / WI4+ AI3+ M5) 李元(Li Yuan)、張小輝(Zhang Xiaohui)、鄭朝輝(Zheng Chaohui)、2013年1月27日登頂

Am2
ネパールヒマラヤ アンプー(Amphu)1峰 南西壁から初登頂 (1300m / WI4 AI5 ED2 XI ) アン・チヨン、オ・ヨンフン、キム・ヨンミ 2013年10月9日登頂

以上の4隊です。

そしてピオレドールアジアの第4回生涯功労賞は、
Pak
8000m峰14座登頂、南北両極点踏破、エベレスト南西壁にコリアルートを開拓、2011年にアンナプルナ南壁に新ルート開拓中に行方不明となったパク・ヨンソク氏に決まりました。御遺族により受賞が行われる予定です。

---------------------------------------------
Piolets d'Or Asia 2013, the nominations for the 8st edition

The Nominated Ascents

Puscanturpa east(5410m), south-east face(700m / ED+ VII M5) Peru, Yasushi Yamanoi, Masaru Noda(Japan)
Sfp

Kyashar (6,770m),South Pillar(2200m / ED+、M5、5.10a) Nepal, Hiroyoshi Manome, Yasuhiro Hanatani, Tatsuya Aoki(Japan)
Ky

Baima Xueshan, Zhalaqueni(5,429m) east face(1300m / WI4+ AI3+ M5) China , Li Yuan, Zhang Xiaohui, Zheng Chaohui (China)
Ch1

Amphu 1(6840m) south-west face(1300m / WI4 AI5 ED2 XI )Nepal , An Chi-young, Kim Young-mi, Oh Yeong-hun (Korea)
Am2

This year, the 4th Piolets d'Or Asia Lifetime Achievement Award will go to Korean alpinist, Park Young-seok(1966-2011).
Pak_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

介護日記 ~2013年11月

【食事前後の方はこの記事飛ばして下さい】

10月×日、夜
 仙台で現場作業を終え、爺の病室へ。
 ちょうど紙おむつを交換中。
 もともと便秘気味だったこともあり、下剤を使用したところ、液状の便が頻発するらしい。
 まだ「塊」が腸内にあるようで、男性・女性の看護士ペアで対処。
 男性看護士はビニール手袋をはめ、指で「それ」をかきだす。
 老いた爺の現実を突きつけられる。

 老人介護の現実は、我が家にとって2度目の事である。
 初めての介護は私が小学生の時、祖父が痴呆の症状を示し始めた頃。主に母が対処した。
 正直な告白をすれば、下の世話を目の当たりにして戸惑う自分がいる。
 一方、「仕事ですから」と、笑顔で対処する男性看護士。
 
 親子の情って、なんだろう。

 
10月×日、現場作業休みの日
 平日は母・姉に付き添いしてもらっているので、それ以外の日(私の山行日を除く)はなるべく私が付き添いを担う。 
Img_0466
 病室から見えるのは、曇り空。

10月×日、休日
 本日は昼に姉と交代。
Img_0463
 帰路、実家に立ち寄る。
 近所のシロシキブを眺める。最近は花を愛でる余裕も無いことに、今さらながら気が付く。

11月×日、連休前
 週末、本日も仙台の現場作業を終えてから病院直行。
 数日前まで私の顔を見るなり「お前、さぶろうだべ?」と息子の存在も認識できない様子だったが、ようやく家族の顔は認識できるようになる。ただし、コミュニケーションには程遠い状態。
 ここ数日、なにやらよくしゃべる。
 「ひとりでやまさいぐなよっ!」
 (共通語訳:1人で山に行くんじゃないよっ!)

 けっ、つまんねえことは意識が正常になるらしい。


11月×日、文化の日連休
 病院からの帰路、実家に立ち寄る。
 実家周辺の家屋が次々と取り壊されている。
 私が幼かった頃の風景が少しずつ消えていく。

Img_0468mm
 山形市営グラウンドの今。
 いつのまにか、解体工事が始まっている。
 小学生の頃、携帯ゲーム機なんて無かった頃。
 このグラウンドは誰でも出入り自由だった。冬は学校帰りの小学生たちが、プラスチック製の安価な「ミニスキー」(長靴に装着する、短身のスキー)で滑る遊び場だった。
 人間も、建物も、老いて消えていく。

11月×日、息子と朝日少年自然の家行事参加
 朝、車に荷物を積み込む。
 フロントガラスが、
Img_0469
 しっかり凍っている。
 冬は近い。
 自然の家行事から帰り、疲れ切った息子を家に運び、私も仮眠をとってから病院へ。

11月×日、公休
 公休を取り、平日の病院。
 朝っぱらから、実母から「干し柿吊し」を頼まれる。
 しかも農業用コンテナ3箱分。
 セックスと金欲に彩られた大都会・東京に住むアウトドアライター君にはご理解できないでしょうが、地方都市に住む「長男」はこき使われる。
Img_0476
 晩秋の情緒に浸る心の余裕も無く、さっさと吊し終え、それから車のタイヤ交換。
 「乾いた道路でのスタッドレスタイヤ走行は避けましょう」とか、どこのおぼっちゃんが書いているか知りませんが、ここ雪国では峠越えの機会がある仕事や生活の必要上、早めのタイヤ交換が必要。
 しかも私の性格なみに暗い雲が漂い、雪が降るのは時間の問題。
 冬タイヤに替え、GSでタイヤの空気圧チェックとエア充填を済ませ、病院へ。

 本日は市役所から担当者が来て「介護認定」の予定。
 定刻、担当者である綺麗なお姉さんが来訪。
 爺の会話能力、日常生活の支障程度、病歴などを確認、私と実母から爺の現状について聞き取り。それで「介護認定」作業終了。
 爺の介護生活も、新たなステージに進む・・・・かどうか。
 所用のため、午後は実母に爺を任せ病院を出る。

Img_0478
 山下達郎の曲ではないが、激しい雨は雪に変わっていた。

 午後は自宅の固定電話で保険屋さんに電話かけまくり。所属するガイド団体の会員と保険談義になり、私自身も勉強のため、不明点を確認。こういうのは、やはり平日休みでないとできない。
 iphoneを買い換え、LTEにしてしまったおかげで無料通話分が無くなり、時間のかかる「問い合わせ」にはiphoneは電話代が気になり使いづらい。音声通話料が安い某社に寝返ろうか画策中。

 夕方、体調管理も兼ねている心療内科で
Cyu
 今年は早めにインフル予防接種を済ませる。
 身体が資本の土木作業員&山岳ガイド、予防接種は毎年必須。
 そして夜、実母を迎えに病院へ。

|

息子と化石掘り

 山形県朝日少年自然の家『地球の歴史探検隊!』に息子と参加。
 毎年書いているが、おそらく朝日少年自然の家で最も応募が殺到する行事、今年も定員満杯後、申し込みの電話に対してお断りせざるをえない状況だったとのこと。

 うちの息子は恐竜好きなうえに、3DSのゲームで化石採掘のシチュエーションがあり、脳内で化石掘りは簡単なものだと思っているらしい。先日の鮭つかみ取りに引き続き、バーチャル世界に漬かった息子に実体験させるべく2人で参加。一般参加者の申し込み殺到行事のため、私はサポーター(ボランティアスタッフ)として参加となる。

Img_0470
今年も多くの御家族の皆さんが参加されました。
出発前、大江町中央公民館での「出会いの集い」にて。

Img_0471
 大江町中央公民館で、最上川河畔で発掘された「ヤマガタダイカイギュウ」の復元像を見学、山形県立博物館の先生のレクチャーを受けます。最近は生意気な口をきく息子「でっかいセイウチだろ」

Img_0472
 朝日町 「用(よう)」地区にてダイカイギュウ発掘現場、そして「用のはげ」と呼ばれる露頭を見学してから、朝日町某所の化石採掘地に移動。
 ここは某企業様の私有地のため、解放されるのはこの日、一年に一回だけ。

Imgp1152
 ぬかるんだ造成地の山道に足をとられながら採掘地に移動、みんなお楽しみの化石採掘チャレンジ。

Imgp1154
 息子も、慣れないチゼルハンマーとタガネでシルトの壁をクリクリと掘り出す。
 ゲームの化石採掘(ゲームの中では、ノジュールをかち割ると化石が出てくる仕組みになっている)と違い、根気よくシルト層を掘る作業に、息子も始めは戸惑っている様子。

 私が化石の端が出たところを「ほら、ここ、貝の丸いとこだよ」と教えながら共同採掘。
 なんとか二つ、化石を掘り出しました。

Imgp1153
 掘り出した後は、山形県立博物館の先生に鑑定してもらいます。
 初めての息子、ワクワク感よりドキドキ感が伝わります。

 となりの親子連れ、小学校低学年くらいの女の子が、
 「おかあさーん、ちょっと来て~」
 と助けを求めてると、下で岩を割っているお母さんが、
 「ちょっと待って!今何か出てきたからっ!」
 と、父兄の方も子供そっちのけで夢中になる。化石採掘の魔力ですな。

1時間半ほど採掘して現場を退出、お弁当タイムになります。
Img_0474
昨年は昼頃から晴天でしたが、今年は朝から晴天に恵まれました。絶好のランチタイム。

その後、
全員で大江町中央公民館に戻り、「別れの集い」をして解散です。

本日の私達の成果は、
Imgp1155
左がオオノガイの一種でちょうつがいの所が少しずれていて珍しいらしい。右がエゾタマガイの一種の子供ではないかとのこと。葛沢シルト層、約700万年~800万年前のものです。

 ちなみに、化石の掘りっぱなし・私物化は倫理的にどうしたものかと私は考えてますので、昨年もそうですが掘り出した化石は子供に持たせ、担任の先生を経由して教室で他の子供達にも見てもらうことにしています。

 実際の化石掘りを体験した息子は、「今度化石掘りっていつあるの?」と興味津々な様子。

 山形県内では最近、ジオパーク認定をめざす動きが鳥海山と月山で進められています。
 それはそれで、従来の環境教育で地学分野が乏しい現状に不満を持つ私には嬉しい動きなのですが、看板や展示品を眺めるだけでは、子供達の関心をひくことはできません。
 子供たちが露頭に触れ、化石や鉱物に手を触れられる、実体験できる地学実習の場を増やして欲しいと思っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

キム・ジャインちゃん、レッドブルと契約

キム・ジャインちゃん、レッドブルとスポンサー契約を締結です。
アンゲラ・エイター、デビッド・ラマらを支援してきたレッドブルですが、アジアのクライマーとしてはキム・ジャインちゃんが初となります。

Red

'클라이밍 여제' 김자인, 레드불과 후원계약 by etoday 2013.11.5

 今回の契約では、レッドブルは海外遠征支援、トレーニング器機提供、選手活動補助費支給などが予定されています。
 
 ちなみにこちらが先日のプロ野球韓国シリーズ始球式の模様↓


 動画開始2;00あたりから、緊張しきった表情のキム・ジャインちゃんの投球が始まるのですが・・・
 ちょ、ちょっと、この図体でけえ球審、邪魔だっ!
 我らがキム・ジャインちゃんの勇姿が見えんではないか!

 ちなみに韓国のウェブ上では、「クライマーだけあって腕力が違う」「笑顔可愛い」等々の反響があったそうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『山と共に人と共に』 田辺 治 追悼集

Imgp1151m
 このたび御縁があり、故・田辺治氏の追悼集『山と共に人と共に』を信州大学学士山岳会様より、お送りいただいた。

 2010年ダウラギリで雪崩に遭い亡くなられた田辺治氏の経歴については、ここで多言を要すまい。
 追悼集はHAJの尾形好雄氏を筆頭として、信州大学学士山岳会の方々の追悼文を中心に編纂されている。

 数多くのヒマラヤ遠征を続けた田辺氏の人柄について、多くの方々がその暖かい人柄を語っている。
 私にとって最も深く印象に残るのは、「クライマー・田辺治」ではなく、ヒマラヤ通いを始める前の姿、「サラリーマン・田辺治」を語った小林元紀様の追悼文。
 田辺氏は信州大卒業後、株式会社ミツカンに入社し、サラリーマン生活を送っていた。

 以下引用開始
-----------------
 彼は学校を卒業した後は、ミツカンに就職し普通のサラリーマン生活を始めたそうです。この会社は、古い歴史のある地域に親しまれた名門会社のひとつです。ヒマラヤに行く話があり一度ぐらいは行ってみたいと思い、会社にはこれ一度きりですからと休暇をお願いし、それはなんとか認めてもらったそうです。(中略)
 普通のサラリーマンが長期休暇を取ってヒマラヤに行くなど普通の企業では考えられないことです。
 「会社辞めますか?山止めますか?」二者択一です。迷いにまよい、会社からは約束が違うと言われながらもヒマラヤはあきらめられなかったとか、結局会社を辞めることになったと言っていました。

 話の端端に、最初の山行を認めてくれた会社にはありがたかったし、その割に自分はわずかな勤めの間売れる商品を開発できなかったなと、会社には済まなかったと言っていました。
----------------
 以上引用おわり

 田辺氏といえば、数々のヒマラヤ遠征を重ね、世間離れしたイメージを持っていた。
 小林氏の一文に記された、田辺氏自身の言葉による勤め先そして仕事への想い。
 この一文は、やはり勤務先に遠征登山参加を認めてもらった会社員の私にとって、その人間像をより身近に感じさせる文章である。
 その行間に、社会人であること・クライマーであることの狭間に揺れ動いた姿を伺うことができる。
 
 かくいう私は、田辺治氏とは面識は無い。
 山岳部の後輩がマカルー東稜に挑み登頂成功、帰国してから「田辺さんって、途中のキャラバンで・・・」と、おもしろおかしく田辺氏の話を聴かせてくれた。
 後に8000m峰14座登頂を果たす彼、楽しそうに話す様子は、当時既にエベレスト南西壁冬季初登を果たした田辺氏から数多くのことを学んだ証しでもあるんだろうなあ、と私は感じていた。
 
 追悼集をお送り下さった信州大学学士山岳会 金子様、澤田様はじめとする皆様に深く感謝申し上げます。
 あらためて、ダウラギリで亡くなられた田辺治氏、山本季生氏、本田大輔氏のご冥福をお祈り致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チャイナドレス 秘められた民族史

Ch 11月4日、東北芸術工科大学を訪問。
謝黎コレクション展 北と南ま混淆 ~旗袍(チャイナドレス)に隠された近代中国の歴史~』を見学。
爺の介護生活と家族サービスの合間に時間をやりくりして、ようやく公開最終日に間に合う。

 これは東北芸術工科大学専任講師・東北文化研究センター研究員である謝黎(しゃ・れい sha rei)先生が所持している約800着のうち、150着をセレクトして展示したもの。
 
 チャイナドレスといえば、スリットに太ももも露わなセクシー系を思い浮かべる方がほとんどと思われるが、今回展示されているのは、清朝末期の王宮のドレスから、1920~40年代のチャイナドレスがメインである。
 そもそもチャイナドレスは清朝社会の旗人(満州族を中心とする貴族階級)が着用していたワンピースに由来する。清朝時代、ワンピース型の旗袍(チャイナドレス)は満州人、ツーピース型の「上衣下裳」は漢人が主に着用していた。

 展示品の中には、漢人のツーピース「上衣下裳」に似せたワンピース型の「奇装異服」なるものが現れ、チャイナドレスが次第にツーピースからワンピースに変遷していく歴史が伺える。

 会場内は写真撮影厳禁。
 野帳に特筆すべき解説文をメモっていたところ、一人の女性が近寄ってきて詳細に説明してくれる。
 ひととおり解説を伺ってからお名前を尋ねると、この展示会の企画者である謝黎先生ご本人であった。
 展示会に行く前から抱いていた疑問点について質問させていただく。

 文革の時代、チャイナドレスは大陸では完全に消滅したのではないか、という問いに対し、文革の弾圧により、多くのチャイナドレスが鋏で切られ、廃棄されたという。所持していること自体が生命の危険を意味した時代であり、今現在この会場に展示されているドレス自体、貴重な残存品であるとのこと。

 そしてスケベオヤジみなさま共通の疑問点、「チャイナドレスのスリットの長さって、何か決まりとかあるんでしょうか?」
 先生の回答: スリットの長さは流行や歩きやすさで左右された。チャイナドレスの職人は、映画に登場する女優のドレスを参考に作っていた。戦前の上海では、ヨーロッパ・フランスのファッション情報が三ヶ月遅れで上海に伝わっており、ヨーロッパのファッションの影響も受けていた。 一時期、現代風の太もも上までスリットのあるドレスを一人の女優が着用して話題になったものの、生活上支障があるため、すぐに廃れた。チャイナドレスのスリットは、もともとは騎馬民族の衣装から影響を受けたもの。ちなみにチャイナドレスはエリ、袖、スリット長で年代が区別できる。
 等々の解説をいただきました。

 企画者本人である謝黎先生と直接お話できるのが、こういった展示会見学のありがたさである。
 もうひとつ、展示会やマスコミに流れていない情報として、我が山形県・米沢の産品である織物、通称「米織(よねおり)」も、戦前チャイナドレスの生地として輸出されていたらしい、というお話も伺う。

 文革で消滅しかけたチャイナドレスは、80年代の改革開放政策と同時に現代中国に復活する。
 改革開放政策開始から約十年後、中国登山のために四川省・成都に滞在したときのこと。
 登山隊は観光客とは区別され、いわゆる「招聘ビザ」で国家体育局から招かれるという形式で中国に滞在する。
 宿泊先のアレンジはすべて中国当局にお任せ状態。成都では予定していた宿に諸事情で泊まれないとのことで、アメリカのカーター大統領も宿泊した錦江飯店というホテルに宿泊「させられ」ることになった。
 その錦江飯店のエレベーターガールがとても綺麗な女性で、ばっちりチャイナドレス姿だったのだ。
 当時まだ20代で性欲と食欲の塊だった私は、しっかり彼女とツーショット写真を撮影してもらってました。

 展示会の帰り、実家に立ち寄り、その時の写真を確認してみると、錦江飯店の彼女は膝からかなり上に切れ込んだセクシーなチャイナドレスを着こなしている。
 
 『旗袍は私たち日本人が理解する表面的なものではなく、民族間の価値の抗争と変化の融合を見事なまでにみせてくれる』
 展示会の中で東北文化研究センター教授・田口洋美氏は総括している。
 まさにそのとおりなのだろう。
 そう思う一方、文革で弾圧され、消滅したはずのチャイナドレスが90年代初頭には豪華ホテルで外国人客の接客という舞台で「中国の象徴」として用いられていた点に、満州族の衣裳すらを文化として呑み込んだ漢族のしたたかさを、私は垣間見る気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山の幸

山の帰り、川魚専門店に立ち寄る。

Imgp1145
山形県尾花沢市 森山養魚場

なんといっても目を引くのが、
Imgp1144
店頭にならぶ、ウグイの焼き干し。

Imgp1142
一串に3尾のウグイ。これで一串150円。
川魚らしく苦みが強い、お子ちゃまよりも大人向けの味。
この日はメインのウグイから揚げじゃなくて、実家の婆が好きな鯉の甘煮を買っていきました。
どちらかというと、「岩三郎」ブランドでの鯉の甘煮が知られているようです。

さて、この日の山行では、今年豊作といわれるブナの実がとても目に付いたので、
Imgp1141
ブナの実を採取。

ブナの実は生食もできますが、今回はブナの実ローストして、おつまみに。
殻ごと炒って、食べる時に皮をむく方が多いようです。
私はナッツ感覚で食べてみたいので、
Imgp1147
NHK Eテレ『NHK音楽祭2013 ワーグナー ガラ・コンサート』でワーグナーを聴きながら、ひたすら皮を剥く作業。
皮を剥きながら、虫食いの実をはじいていく。
農家育ちの割に、管理栄養士なもんで得体の知れない食べ物には保守的なカミさん、「これ喰えるの?」
胡桃が大好きな娘は興味津々で、面白がって一粒を生食、ヒマなので皮むき手伝ってくれた。
「トリスタンとイゾルデ」の“前奏曲と愛の死”が終わる頃、ようやく皮むき完了。

Imgp1148
フライパンで炒ると、プチプチと可愛い音とともに、はじけて薄皮が破れてくる。
焦げないうちに火から下ろし、ほんの少し塩をふる。
お味は、クセの無い、ほんのり甘い味。
胡桃大好きな娘は、「味薄い。」 おいおい、お前は市販おつまみの胡桃の食い過ぎだっつーの。

ワーグナーを聴きながら、山の幸を堪能する秋の夜。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

晩秋の山

その山は、奥羽山脈の片隅にある。

Imgp1128
出発時は日射しも暖かい。

中腹を登高する頃には、空は厚い雲に覆われ、晩秋の山らしくなる。
山頂では冷たい風に吹かれ、愛用の極薄ジャケットを着込む。
本日の目的は、既にガイドブックでは紹介されているのだが、2万5千地形図に記載の無い近道ルートを歩くこと。
稜線から一気に約200m下る。
フィックスのトラロープが延々とベタ張りされている急斜面をひたすら下る。
軟らかい土の斜面に落ち葉が覆い、慎重さが要求される。

約15分程で下り終えた場所は、気持ちの良いブナ林だった。
Imgp1134

さらに進むと、湧水地がある。
Imgp1135
病床の父に飲ませてあげたいネーミング。
歩き進むにつれ、そこが幾つもの湧水が存在する湧水地であることを知る。

緊張を強いられる急斜面の後、心をほぐしてくれる、美しいブナ林と湧水群。

Imgp1136
S字にカーブを描く流水、静かな水面に映るブナ林、頼りなさげな薄い板の橋。
まるで日本庭園のようだ。

いくつもの流水を渡り、登山口に到る登山道に合流する。
Imgp1137
鮮烈なまでのピンクと紅。マユミの木。

Imgp1139
私とは逆コースを周回してきた、2人の女性登山者が林道を先行する。
晩秋の東北の山、林道歩きもまた良し。

車で山麓に戻る頃、フロントガラスに雨粒が落ちてくる。
本日も、穏やかな晩秋の山で過ごせました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »