« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

冬季ナンガパルバット隊、最終アタックへ

 P1_2
(Photo. http://wspinanie.pl/)

 シモーヌ・モロー(イタリア)、ダーヴィト・ゲットラー(ドイツ)、ポーランドのJustice for allチーム(トマシュ・マツキェビッチ Tomasz Mackiewicz ら4名)が今冬挑んでいる、冬季ナンガパルバット。
 登山期間は約二ヶ月以上、前回の頂上アタックは荒天に阻まれ、シモーヌ・モローの談話によれば今回が最終アタックになるとのこと。

 日本時間2月28日18時現在の最新情報では、本日のナンガパルバットは無風、晴天。
 ダーヴィト・ゲットラーが約7000m付近でC4設営中、トマシュ・マツキェビッチは6900mを登高中。この2名がC4から明日、アタックを目指す模様。
 シモーヌ・モローもC3を目指していたものの、疲労のためC2に下山。このままBCに下降して登頂をサポートするとのこと。

 ポーランドの山岳ジャーナリストJanusz Kurczabは、先日の頂上アタックからの退却を「歴史は繰り返される」と記事を書きましたが、歴史は作られるのか。ここ数日で結果が判明するでしょう。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【訃報】チャーリー・ポーター(Charlie Porter)逝去

 詳細な日時は不明ですが、アメリカのクライミング史に大きな足跡を残しているクライマー、チャーリー・ポーター氏が心疾患により亡くなりました。62歳でした。

Addio a Charlie Porter, pioniere di El Cap by Montagna.tv 2014.2.26

P2
1976年、デナリのカシンリッジ単独登攀後、ミドルトリプル峰にて天候待ちのチャーリー・ポーター(Photo. ROCK and ICE)

 ヨセミテのエルキャピタン開拓時に、その素晴らしいクライミングで知られるようになりました。
 1972年にゾディアックを単独で開拓・初登、同年にシールドをゲイリー・ボガードと初登、1973年にメスカリート、タンジェリン・トリップ初登など、数々のルートを拓いてきました。
 ビッグウォールの他、カナダのポーラーサーカスを初登、1970年代後半は高峰に目を向け、1975年には北極圏のマウント・アスガードを単独登攀、1976年にデナリのカシンリッジ単独初登を果たします。
 ROCK and ICE誌のインタビューでは、実現はなりませんでしたが1976年にK2の単独登攀も考えていたようです。
 またクライミングギアの開発にも関わっています。ヨセミテで活躍していた時代、ナッツを2枚重ねて可動式にしたスライダーの原型のような器具も開発していました。 

P1
晩年のチャーリー・ポーター氏(Photo. SuperTopo)
 
 南米に移住後はヨットで海洋の冒険に乗り出し、チリを拠点としてヨットマンや研究者に海洋情報を提供するなど、冒険に生きた人生でした。偉大な先達のご冥福を祈ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子供達と豆腐を作る (Handmade Tofu)

 以前、娘と共に「勾玉作り」でお世話になった山形県天童市の西沼田遺跡公園主催『豆腐作り』に息子、娘と私の3人で参加。
 イベントのタイトルは『秘伝豆で豆腐を作ろう』。

 会場は調理施設が整った天童市・蔵増公民館。
 
 Imgp1175m
 調理器具と材料がぎっしり並んだ蔵増公民館の調理室。

Imgp1178
 講師は「豆腐作り名人」農家の佐藤先生。
 冒頭で、「ニガリの入れ方」を水で練習します。まんべんなく注ぎ込むのが難しい。

 はじめに「呉汁」を作ります。
Imgp1177
 既に一晩水に漬けた秘伝豆300gを100gずつ、水を加えてミキサーにかけます。

Imgp1179

 ミキサーで作成した「呉汁」。
 あらかじめ鍋で沸騰させておいた湯に呉汁を加え、加熱します。
 棒温度計で95℃を目安に、焦がさないようかき混ぜながら熱します。
 この温度管理がなかなか難しい。私が温度計を持ち、娘はかき混ぜ係、息子は温度見張り係と3人でなんとかこなす。

Imgp1180
 呉汁の「絞り器」。

Imgp1181
 絞り器に濾し布を掛けて、

Imgp1182
 呉汁が95℃に達した頃合いで注ぎ込み、

Imgp1183
 熱い呉汁の熱に耐えながら濾し布を絞ります(と、いいつつ最初は佐藤先生に絞ってもらうw)

Imgp1184
 息子と娘と私の3人で、えいや~っと絞り器をテコの原理で押し下げ、呉汁を搾ります。

Imgp1185
 濾し布に残った、できたての「おから」。秘伝豆を使っているので緑色です。

Imgp1186
 絞り器から出てきたのが「豆乳」。
 冒頭に練習したとおり、鍋に用意した湯に娘が慎重に「ニガリ」を加え、豆乳を投下。
 またまた棒温度計で75℃になるまで温度を管理しながら、ゆっくり一方向にかきまぜます。
 このかき混ぜる作業、速かったり回数が多くてもダメ。ニガリが偏ったりして上手く固まらないとのこと。

Imgp1188
 75℃に達したところで、15分間放置。
 それから「豆腐箱」におたまですくって流し込みます。

Imgp1191
 豆腐箱に流し込み完了。できそこないの茶碗蒸しみたい。固まってくれ~。

Imgp1192
 豆腐箱は、水を詰めたペットボトルを重石として水抜きします。
 ここで抜いた「水」→汁もバットに受け、味噌汁などに利用します。

Imgp1195_2
 水抜き15分、それから豆腐箱から布に包まれた豆腐を、冷たい水を張った鍋の中で取り出します。
 ニガリを抜くため、出来たての豆腐は水に20分程漬けておきます。

Imgp1196_2
 そして私達の豆腐(木綿豆腐)が完成。
 使った材料は大豆300g、ニガリ15cc、水2200cc。これで市販の豆腐2丁ぶんです。

Imgp1198
 佐藤先生が持ち込んだ材料。左から、丹波の黒豆、香り豆、そして今回私達が用いた秘伝豆。

Imgp1199_2
 イベントの締めは皆で試食会。
 左上の小さいカップが「おからチーズケーキ」、隣が「おからポテトサラダ風」、右上が「あからあえ」、左下の紫色の御飯は西沼田遺跡公園で実った「古代米」、右下が手作り豆腐による味噌汁。
 息子、味噌汁がえらく気に入ったらしく、おかわり。
 私の不徳の致すところでウチの子供達は好き嫌いが激しいのですが、普段スーパーで買ってくる食品に対して「自分で作る」行為を通じて関心を持ってもらいたい。そんな思いで子供達と共に参加した次第。

 西沼田遺跡公園の豆腐作り、今年で3年目とのこと。
 定員は小学生10名ということで、受付開始当日に速攻で電話申し込みしたのですが、当日参加した小学生は我が家含めて5名。他は主婦の皆様という参加者構成。
 やはり調理ということで「火を使う」「冷めるのを待つ」という過程があるため、小2の息子は集中力が続かなかったようです。小学生でも高学年向きのイベントですね。
 
 ニガリの入れ方や呉汁、豆乳を熱する温度管理など、豆腐という食品は微妙なタイミングの下に完成する食べ物だということがよくわかりました。
 
 農村の中に位置する西沼田遺跡公園、他にも農業に関わるイベントを毎年開催しています。
 興味のある方ぜひどうぞ。

関連リンク:西沼田遺跡公園

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ソチ五輪狂騒曲 カナダ・ノースフェイス社訴えられる

 「メダルが期待・・・」とさんざん煽り、数日後には「アスリートにメダルの重圧が・・・」と上から目線で解説するマスゴミの糞どもが活躍する冬季オリンピック。
 海の向こう、カナダではあのノースフェィス社がオリンピック商標の侵害でカナダ五輪委員会から訴えられるハメになりました。

 Canadian Olympic Committee threatens North Face with trademark suit by The Globe and Mail 2014.1.21

 問題は、カナダのノースフェイス社がカナダチームの公式スポンサーでないにもかかわらず、「インターナショナル・コレクション」と銘打って、公式スポンサーであるかのようなウェアを製造・販売したことです。

 P3_2
 カナダのノースフェイス直営店店頭に置かれた看板。いやあ動かぬ証拠になってしまいました・・・

P4
 ノースフェイス社ウェブサイトで販売された「インターナショナル・コレクション」の一つ。ナショナルチームを思わせるデザインですね。

P1
 で、ご立腹のカナダ五輪委員会CEOクリス・オーバーホルト氏。1月の報道では法的措置も辞さないとコメントしていましたが、2月に入り提訴と伝えられています。

 これに対してノースフェイス社は、五輪に出場するフリースキーヤー選手をスポンサーとして支援してきたこと(日系カナダ人の坪田由紀選手もその1人)、そして冬季五輪の正式なスポンサーではないことを認める旨のコメントを公表しています。

 何らかの巨大イベントに際して、いかにもオフィシャルスポンサーのような紛らわしい広告を出したりすることは「アンブッシュ・マーケティング ambush marketing」と呼ばれています。
 実は、過去の例ではナイキとか、コカコーラとか、超有名企業がオリンピックや各種スポーツW杯でやらかしてきた行為。
 今回のノースフェイス社は、実際にフリースキーヤー選手をバックアップしてきた実績があるとはいえ、ちょいとやりすぎたようです。
 またカナダ五輪委員会は以前のバンクーバー五輪で大小様々な商標トラブルに巻き込まれた経緯から、今回のソチ五輪に際しても商標侵害には敏感にならざるをえないのでしょう。

 商標侵害といえば聞こえはいいが、結局は金銭トラブルなわけですよ。
 こういう報道を見聞きするにつけ、オリンピックが「アマチュアのスポーツの祭典」とかって、もうブラックジョークですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【訃報】チャド・ケロッグ(Chad Kellogg)、フィッツロイにて死去

 去る2月14日、アメリカの著名なアルパインクライマー、チャド・ケロッグ(Chad Kellogg)がパタゴニアのフィッツロイ北西稜・アファナシェフルートを登攀後の下降中、落石により亡くなりました。42歳でした。

Ck
チャド・ケロッグ近影(Outside誌より)

Chad Kellogg Killed By Rockfall In Patagonia by Climbeing.com2014.2.16

Elite Seattle climber Chad Kellogg dies on Patagonia peak by The Seattle Times 2014.2.16

 シアトルを拠点に活動していたチャド・ケロッグは、レーニア山のレンジャーとして活躍、レーニア山のスピード登頂記録からデナリのワンディアッセント、キルギスタンでの登山競技優勝、当時フランスのマルク・バタールが保持していたエベレストのスピード登頂にも挑むなど、高所登山のスピード登頂を得意としていました。
 やがて中国スークーニャン、南米・アコンカグア南壁の単独による新ルート開拓など、スピード登頂から困難なクライミングへとスタイルを変えてきました。
 私生活では奥様も山の事故で亡くなり、自身も大腸ガンを患い克服するなど、多難な人生を乗り越えてきた方でした。

 フィッツロイでの事故は、懸垂下降中にひっかかったロープが落石を誘発したと伝えられています。
 故人のご冥福を祈ります。
 
関連リンク:チャド・ケロッグ、パタゴニアで落石を受けて死亡 by 雪山大好きっ娘+ 2014.2.19

| | コメント (0) | トラックバック (0)

植物学講座 「山の帰化植物は今」

日曜、山形県立博物館へ。
植物学講座 第1回 「山の帰化植物は今」を受講。

Img_0552mini
会場は中高年でいっぱい。

 山形市野草園の嘱託職員で、山形の植物研究団体「フローラ山形」会員である志鎌節郎氏を講師として、月山と蔵王山の帰化植物(外来植物)と在来植物の植生について聴講。

 特に近年確認された、蔵王山の固有種について詳細が聞けて大変参考になる。
 え?固有種ってどんな植物かって?
 私のガイドネタなんでブログではおしえなーい。

 山形県立博物館では植物学講座として第4回まで講座を予定しています。
 次の第2回は平成26年3月15日(土) 13時30分~15時、「山形にやってきた外国の植物」として鈴木曉氏を講師に開催予定です。
 興味のある方はぜひどうぞ。

参考サイト:山形県立博物館

| | コメント (0) | トラックバック (0)

吹雪のちカルボナーラ

 開店休業中の兼業ガイドとはいえ、甘いもん喰ったり図書館に引きこもりばかりしてる訳じゃありません。
 
 秋田県は田沢湖の温泉に一泊。
 翌早朝から、某山に入山。

Pe1
 同じガイド団体でJMGAの検定員でもある地元遭対の重鎮・小野さん後藤さんと共に、道迷い防止の竹棹、ペナント設置作業のお手伝い。

 私は大型のタブスのスノーシューを愛用しているのだが、それでも膝上まで潜る鬼ラッセル。
 避難小屋までは、コンパスの目盛と針の方位を頼りに進む。
 小屋で行動食を摂り、下山しながら枝にペナント設置。
 低温と雪のため、ブナ林がとても美しく雪化粧しているのだが、カメラを取り出す間もない。
 ペナントの視認状況を確認しながら移動、要所要所でペナントを取り付ける。

 下山後、ミーティングを行い解散。
 田沢湖から山形の自宅までは遠い。
 NHK第2で岐阜大学の安東俊六教授の講演を聴講しながら移動。内容は中国の歌人、陶淵明の歴史的評価とその背景に関する講演だ。

 陶淵明の有名な詩『飲酒其五』がとりあげられる。

結廬在人境(いおりをむすんでじんきょうにあり)

而無車馬喧(しかもしゃばのかしましきなし)

問君何能爾(きみにとうなんぞよくしかるやと)

心遠地自偏(こころとおければちおのずからへんなり)

采菊東籬下(きくをとるとうりのもと)

悠然見南山(ゆうぜんとしてなんざんをみる)

山気日夕佳(さんきにっせきによく)

飛鳥相与還(ひちょうあいともにかえる)

此中有真意(このうちにしんいあり)

欲弁已忘言(べんぜんとほっしてすでにげんをわする)


山気日夕佳。
先ほど見た田沢湖。
厚い曇り空の彼方、雲の切れ目から射す夕暮れの光が照らした水面の美しさを思う。
いや、印象に残るのは、「心遠地自偏」心が俗事を離れていればおのずから僻地にいるかのような境地に達するものだ、というくだりだ。

この一週間、山岳ガイド資格をとりまく諸問題で考えることが多く、ブログ更新もする気が起きない。
今日、ガイド仲間と共に山に入り、改めて考えることもあった。

陶淵明と違い、私は酒は好まない。
精神的に疲れているときは、旨い食事が摂りたい。
湯沢で高速道路を下りる。
街灯も無い真っ暗な町はずれに、その店はある。

It1_2
真っ暗闇の中に、玄関の明かりが灯る店、『イル・トゥルッロ

カルボナーラを注文。
厨房から聞こえる、フライパンに脂がはねる音。
調理されている間、私以外誰もいない店内で、答えの出ない問いを頭の中でグルグルかき回す。
やがてテーブルに出されたカルボナーラ。
ここのカルボナーラは香りと味とで、二度楽しませてくれる。
食事を終え会計。
レジの向こうで、イタリア南部出身のシェフ、フィリッポ氏が「ありがとう」と声を掛けてくれる。
玄関までシェフの奥様がお見送りしてくれる。

そんなお二人が営む店が、まさに積雪に囲まれた秋田の片隅にぽつんと在り続けるのだ。
店を出て車に乗り込み、冷え切った高速道にのる。
自宅まで、まだ先は長い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

盛岡・梅月堂「お茶もち」

 多くの魅力的な山を擁する岩手、資料を得るべく岩手県立図書館に向かう。

 その前に、帰路の長い東北自動車道移動のおやつを調達。

 F2
盛岡、梅月堂。
創業は大正元年(1912年)、創業から百年以上の老舗。

 店を訪れると圧倒されるのが、ショーケースのお菓子よりも店内に掛けられた「早池峰山山開き」記念プレートの数々。ざっと数えても20年以上分はある。
 壁には、額に入ったハヤチネウスユキソウの写真。
 盛岡市内の中心部ですが、マイカーでやってきた和菓子好き登山者にはお勧めの店。
 今回のチョイスは、

F1
お茶餅と揚餡ドーナツ。

 岩手の菓子・伝統食を語る上で「お茶餅」は欠かせない。
 薄く延ばした餅を串に刺したもので、形状は五平餅に似ているといえばいいだろうか。
 お茶餅といっても別に抹茶味がするわけではない。
 岩手でも呼び名は「うぢゃ餅」、「かねなり」、「軍配餅」、「串焼き餅」など様々である。
 「かねなり」とは、「働くことにより美味いものが食べられる目出度い食べ物」の意味。
 盛岡、花巻、北上地方で「お茶餅」と呼ばれる。「うぢゃ餅」が転化して「お茶餅」になったともいわれるが、名前の由来は定かではない。

 農業が主産業だった岩手、良い米は供出され、それ以外の売り物にならないクズ米の処理方法として農家で作られていたという。もともとの材料は、うるち米または蕎麦粉。
 大正10年に凶刃に倒れた盛岡出身の首相・原敬の大好物が、この「お茶餅」。特に蕎麦粉で作ったお茶餅がお気に入りだったという。
 昭和46年に執り行われた原敬50周忌には、350本ものお茶餅が用意され参列客に配られたというエピソードがある。
 
 盛岡市内には他にも「丸竹」など古くからの「餅屋」が目立つ。
 城下町のためだろう、盛岡には魅力的な餅屋・菓子屋が数多く存在するが、それはまた次回の楽しみだ。

 帰路、東北自動車道を走りながら食べた「お茶餅」は、東北らしい塩気の効いた味噌味でした。

参考文献:岩手県高等学校教育研究会家庭部会 編著『岩手の郷土食』1977、盛岡学編集室 編著『盛岡学vol.2』2006

| | コメント (2) | トラックバック (0)

風の岩手山

Imgp1158m
岩手山へ。

最近の降雪から誰も入山していないらしい。
夏道も完全に埋まり、ワカンを付けても膝上・太ももまで埋まる。
時には膝で前の雪を押し固め、そこに足を載せて前進。

そんなラッセルを出発から2時間半、1人で続ける。
ふと人の声が聞こえる。
ふりむくと、そこには屈強な男達の集団。
八幡平山岳救助隊の方々だった。
「トレース使わせていただきました」
というご挨拶を頂戴し、そこから樹林帯上部は救助隊の方々によるラッセルとなる。

Imgp1161m
強まる風の中、ワシワシと交代制でラッセルする八幡平救助隊の皆様。

樹林帯上部の平地で救助隊の皆様は休憩。
そこから再び私が1人でラッセルしながら露岩帯を目指す。
時計は11時47分。
前回ならもう頂上に到達している時刻だが、まだ露岩帯にも達していない。
高気圧の張り出しを期待してきたが、上は視界不良、強風で耐風姿勢を強いられる。

昨年、一昨年の積雪期登頂と同様に考え、日帰り可能と考えた私が甘すぎた。
樹林帯のラッセル、地図とコンパスで微地形を判断しながらの前進に時間を喰われすぎた。
迷うことなく、答えは一つだ。

私が休憩しながら下山を決めた所で、救助隊の皆様も追いついた。
彼らのリーダーらしい方がアイゼン装着を指示している。
声をかけたがために万一の装着ミスを誘発することを避けるため、彼らがアイゼンを付けている間に私は下降開始。

Imgp1162m
雪煙が竜巻のように吹き荒れ、下降中も耐風姿勢をとりながら下山。
登高時、あれほどラッセルに苦労した樹林帯をあっさりと下降、車に戻る。

Imgp1163m
岩手山が好きだ。
多くの名山を通り抜けて、山形から訪れる価値が私にはある。

最寄りの「相の沢温泉」で汗を流す。
登山の労苦よりも、先週で一区切りついた現場作業の疲れを癒し、岩手県立図書館を目指した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »