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香港のアウトドア用品店

マクリホーストレイルの山歩きを終え、九龍に戻る。
香港の登山・アウトドア用品店の視察。
MTRに乗り換え、MTR油麻地駅で降り、A2出口を出てすぐのビルにあるのが、re:echo戸外体験館

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階段の奥にみえるクライマーのポスター。
店の品物はハイキング、トレイルラン用品が中心。クライミング用品は無い。
イギリスのRab社製品を置いているのが特徴的。

さらに女人街方向へ歩き、香港攀山訓練中心へ。
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看板はあるのだが、登山用品店はさらに女人街近くの角に移転した模様。
(というわけで、地球の歩き方香港13~14年版P.100の地図に惑わされないように)

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閉まったドアに置かれているカードの地図を頼りに「沙木尼登山用品」を訪問。

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人混みをかきわけ、沙木尼(シャモニ)登山用品に到着。

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二階の店舗に続く壁に飾られた登頂証明書、各種表彰状。
どうも香港の高所クライマー、鐘建民氏が関わっているお店ですね。

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ここはクライミング用品も充実。
ネット上では香港の登山用品は安いといわれてますが、私がみた限りでは日本とさほど変わりませんね。

今回香港の登山・アウトドア用品店を訪れた最大の目的は、中国ブランドの進出をみたかったこと。
ここ沙木尼登山用品では、LowAlpineやカリマー等欧米系メーカーがほとんど、韓国ブランドは見当たらず、中国ブランドは Kailas のみでした。

 さて、いつも中国のアウトドアシーンをネットでみているだけですので、中国ブランドKailasの製品を試すことにします。
 あいにくジャケットやザックは間に合ってますので、

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Kailasブランドの高機能性Tシャツを一着チョイス。

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休日でにぎわう店内。
 248香港ドルのTシャツをレジに持って行ったところ、イースター(復活祭)セールで300ドル以上買うと現金払いで3割引になるよ、と言われる。
 併せて、

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 kailasの折りたたみサブザックもチョイス。

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 拡げると14リットルのサブザックになります。
 Tシャツ248HKドル、サブザック68HKドル小計316HKドルが3割引で221HKドル(約3100円)。
 ちょいと中国ブランドKailasも試したいと思います。

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香港の花

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梭羅樹(reevesia) 香港島ビクトリアピークにて

以下は西貢半島・マクリホーストレイルで撮影したものです。
キャプションの無いものは名称不明です。

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マクリホーストレイルの林道でみかけた花

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マクリホーストレイル稜線でみかけた花

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玉葉金花(崑崙花)

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大金鐘の北面にのみ数多くみられたアヤメ?
直径5cm程に小さく、形が派手な割に草の陰に咲く印象的な花でした。

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香港 マクリホーストレイルを歩く

研修3日めは丸一日、待望のフリータイム。
単独行動をとらせてもらい、香港4大トレイルの1つ、マクリホーストレイルを目指す。

香港で山登りといえば、「香港に山があるのか?」と思われる方が大部分かもしれない。
東京都の半分といわれる大きさの香港、総面積約1100km2の6割は山岳地で占められている。
植民地時代に香港警備に当たったのは、ネパールのグルカ兵たち。彼らはチャリティ目的のトレイルラン大会を開催、香港には独自のトレイルラン文化が根付いている。
何より、イギリス統治時代の総督がハイキング好きだったことが香港の山が整備される大きな契機となる。
今回めざしたマクリホーストレイルも、ハイキング好きな第25代総督(1963-1965)マレー・マクリホースの指導により開拓されたものだ。

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赤いラインがマクリホーストレイル。全長100km、10のセクションに分かれている。

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今回の計画は、魅力的な漁師町・西貢(サイコン)をベースに、マクリホーストレイルの中でも豪快な稜線歩きのコース・セクション4を歩き、途中から別の自然歩道『馬鞍山郊遊徑』を経由して西貢に下山する周回コースをたどる。

 ホテルの朝食はキャンセル、早朝出発し、近所のコンビニで買いだし。
 小巴(ミニバス)と呼ばれるマイクロバスを拾い、九龍から西貢に移動。西貢でタクシーに乗り換え、マクリホーストレイル・セクション4の登山口「水浪窩(Shui Long Wo)」へ。

 タクシーを降り、水浪窩に到着。さあここから山歩きだっ!と意気込んで振り向くと、

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 鼻輪も刻印も何も無い、立派な角の野良牛が。
 あーここ日本じゃないよな、と気を引き締めて出発。
 天気はあいにくの霧雨から小雨。

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 キャンプ場のゲートをくぐり、マクリホーストレイル・セクション4は始まる。

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 コースに設けられている道標。500m毎に設置されており、万一遭難した場合はこのナンバーを連絡すればそこに救助隊が駆けつけるという仕組み。関東の丹沢でも採用されているシステムですね。

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 始めはひたすら林道歩き。
 日本のエゾハルゼミのような、セミの鳴き声がにぎやか。

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 霧雨から小雨へ。展望はなし。湿度は100%近い。ファイントラックのアンダーウェアのおかげで不快さは無いが、じっとり汗ばむ天気。

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 道は三叉路や脇道が多いが、要所要所にトレイルの看板が立っている。

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 山道に入る。
 両脇は亜熱帯らしい密集した植生で昼なお暗い感じ。ガスのおかげで幻想的な雰囲気。

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 進むにつれ本格的な山道に。木の根が張り出し、粘土質の道。まるで朝日連峰・古寺鉱泉からの登山道そっくりだ。高湿な天気は夏山の朝日・飯豊を思わせる。日本の夏山にいるかのような感覚。

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 濃いガスで周囲の風景もわからぬまま、森林限界へ。
 道は階段が続く。後述するが、香港人は階段好きなのか?ルートには階段が多い。

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 本来であればこんな豪快な景色が楽しめるはずだったのですが・・・画像左のピークが大金鐘(536m)
(金子晴彦・森Q三代子著『香港アルプス』より引用)

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 稜線にたどり着いてもガスガス。
 視界は効かないながらも、幸い雨は止んでくれた。
 歩いていると、「ホー」とウグイスらしい鳴き声。
 ただし日本みたいに「ホー、ホケキョ」ではなく、「ホー、ホクイック」と聞こえる。
 ウグイスも広東語か?

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 稜線では様々な花を楽しめました。
 特に注目いただきたいのがツツジ。霧雨に濡れて終わりかけでしたが、山肌のあちこちを朱色に染めていました。香港駐在の日本人登山愛好者のグループでも、なかなかツツジの盛りの機会は巡り会えないとのこと。今回の訪問はラッキーでした。

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 またまた階段を下りていきます。
 マクリホーストレイルは自然歩道ということで、山頂は巻いたコース取りになっているのですが、そこは自分も山屋、やはり山頂は踏んでおきたい。
 途中マクリホーストレイルを外れ、大金鐘というピークをめざします。

 結構な勾配の道を登り、
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 誰もいない大金鐘(標高536m)に登頂。
 山頂には測量基準の柱が立っています。
 温度計で測ると気温は20度、長袖の山シャツでちょうどいいほどです。
 反対方向に下山すると、6名ほどのグループが息を切らせて登ってきました。人気のお手頃ピークのようです。

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 大金鐘から下り、再びマクリホーストレイルに合流。
 さらに進み、 昂平(ンゴンピン)と呼ばれる平地に到着。
 
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 昂平(ンゴンピン)で出会った道標。ハイカーのマークがいいですね。
 ここ昂平から少し進んだところで西貢半島を横断する自然歩道「馬鞍山郊遊徑」と交差します。
 この交差点からマクリホーストレイルに別れを告げ、「馬鞍山郊遊徑」をたどって大水井という村に下山。
 分岐点は目立つ看板があり、気をつけていれば迷うことはないでしょう。

Lu
 緑豊かな登山道。
 あっという間に下山するのが、あまりにももったいない。
 前を進む家族連れは年配のおばあさんもいてペースがゆっくりでしたので、アカシアの木の下でランチ。
 サンドイッチとペットボトルのコーヒーでのんびり過ごします。
 大水井へのコースは資料では「エスケープルート」と紹介されていますが、お手軽なハイキングコースなんでしょう、地元のハイカーが結構往来していました。

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 日本国内の山行と同様、帰路はゆっくり自然観察しながら。
 標高が低くなると、またまたセミの声がにぎやかになります。
 途中で見つけたセミの抜け殻。鉛筆の太さほどの、小さいセミの抜け殻でした。

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 視界が効かない行程で、ようやく西貢の街、そして海が見えてきます。
 ずっとガスの中を歩いてきたためでしょうか、とても新鮮な光景に思えてしばらく眺めていました。

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 まず絶対に車など入れない登山道なのですが。。。なぜか現れた自転車・バイク・車両通行禁止の標識。
 香港は不思議だ。

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 最後もやっぱり階段、階段、階段・・・
 こうして山麓の村、大水井に下山。

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 車道にペンキの手書き文字に誘導され、西貢路へ。
 ここで村人たちと共に小巴に乗り込み、西貢に戻ります。

 あいにく視界の効かない山行でしたが、私の香港に対するイメージを覆すに値する山行となりました。

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脂 肪 遊 戯

今年の社員旅・・・もとい、社員研修は五択。

1.熊本・博多
2.香港
3.ニセコ・札幌
4.台湾
5.グアム

昨年は柏澄子さんのツイッターの誘惑でニセコ即決だったが、今年はフリータイム1日確保できる香港に即決。

香港希望の十数名の社員で、成田から香港へ。
入国1日目の夕食は広東料理ということで、尖沙咀のレストラン。

しかし所詮は日本人ツアー客向けレストラン。
そこで出されたビールが缶ビール。

「え?普通は瓶だろ?」
「缶なんてありえねーだろ」

しかも年配社員の酒癖の悪さに中堅社員連中のストレス上昇。

「おい、飲み直そーぜ」
七人の侍の如く、ホテル前に30~40代の中堅社員7人集合。
タクシーで女人街に直行、ストリートの外れに観光客向けでない、いい感じの食堂に皆で押し掛ける。

「おばちゃん、ピーチュウ、セブン、セブンな!」
誰も広東語知らないので、いい加減な英語と北京語と身振りでビール7人分頼む。
「7人分って頼んだけどさ、もしかして・・・」

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不吉な予感が的中、中瓶でなく大瓶の青島ビール7本ご到着。
しかも、どうも雰囲気がおかしい。
店内のたくさんの客の中で、ビールを飲んでいるのは自分たちだけ。
基本的にこの店は肉料理で飯を食う店らしい。
という訳で、壁に書いてある広東語のメニューを適当に注文する。
「おい、なんだあれ?」
全員の注目を浴びたのが、

『 京 都 骨 』

「京都の骨ってなんだ?」
「日本料理か?」
「注文しようぜ」
そして若手のS君が

「きょうとのほね、きょうとのほね!」(日本語)
と指さし注文する。
店のおばちゃんも理解してくれたらしい。
世界は一家、人類は皆兄弟。
で到着したのが、

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骨付きのあんかけ肉。激ウマです。
数時間前に一度夕食を済ませたはずなのに、なんだかんだと青島ビール大瓶7本も空にする。

こうして、香港の長い夜が更けていく。

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山に消えた命、ビル街に消えた命

去る4月18日にエベレストで発生した雪崩事故。
この事故により亡くなったシェルパ達、16名に哀悼の意を表します。

ネット上では
「先進国の登山家に酷使されたシェルパ」
「金持ちの遊びのために生命を危険にさらす職業」
などと評されているが、かつて実際にシェルパ達と山行を共にした者として書いておきたい。

 21歳で初めて経験した8000m峰、私たちは3名のシェルパ、そしてコック、キッチンボーイらと約二ヶ月の登山期間を過ごした。
 経験も実力も不足している私にとって、彼らの強靱な体力に圧倒される日々だった。

 次に訪れた8000m峰では、私たち日本人隊員より先に、一部のシェルパが高度障害に倒れた。
 シェルパの全員が全員、強いわけではない。
 高度障害に倒れた彼らに対して「金を払ってやってるんだ」という意識を持ったことは、少なくとも私は無い。
 なぜなら、当時の私は勤務する会社で 常 に 会社員としての無能さに悩みつつ生きていたからだ。
 高度障害に倒れ、酸素吸入を受けているシェルパを見守りながら、日頃は会社で散々上司に叩かれている自分の姿をダブらせていた。

 もっとも、そんな事は 「外国人が自身のレジャーのためにネパール人を危険にさらした」 という現実の言い訳にはならない。
 なまじ仲間意識を勝手に持ち、彼らと危険な山を目指したことは、否定できない事実である。

 シェルパは今や民族の名称ではなく「職業」の名称である。
 危険な氷河のアイスフォールにルート工作をする。
 それは彼らの職業、ビジネスなのだ。

 今回の雪崩事故を受け、シェルパ達もしくは関係者が補償額の改善を求めたという報道は、不幸の中のわずかな光といえる。
 あえて書こう。
 自らの意思をもって補償やサラリーの向上を訴える機会がある彼らは、ネパールという国家の中では恵まれた存在なのだ。
(恵まれた存在という書き方は誤解を招くかもしれないが、シェルパ達を危険にさらすことを是とする考えは無いことを明記しておく)

 Nepa
ネパール政府の関係事務所に殺到する、海外出稼ぎ希望者達 (Photo by Andrew North BBC)

 皆さんご存じのように、中東カタールでは2022年にサッカーW杯の開催が予定されている。
 現在カタールでは、インフラ整備のため建設ラッシュが続いている。
 その労働力を支えているのは南アジアからの出稼ぎ労働者である。出身地はインド、バングラデシュ、パキスタン、そしてネパールだ。ネパール人はカタールにおける外国人労働者の2割を占める。
 過酷な気候、異なる住環境。
 カタールの建設現場におけるネパール人労働者の死者は、2013年11月現在で400人を超す。ちなみにインド人労働者は過去2年で450人超の死者が出ている。

 人は登山という「遊び」 「レジャー」でネパール人を危険にさらしたという。
 では、サッカーW杯というスポーツ大会、そのインフラ整備の陰で死んでいった400人超のネパール人達の命はどうなのか?

 もちろん命に軽重は無いし、人数が問題では無い。
 世界各地で、最貧国の人々の命が過酷な現場で使い捨てられていることが問題なのだ。

 彼らには保険も無く、健康診断も無い。(シェルパ達は90年代半ばに労組を立ち上げた)
 労働環境改善を訴える場所すら、無い。
 その惨状に、カタールを「解放された刑務所」と発言した在カタール・ネパール大使は本国に召還された。
 なぜか?
 世界でも最貧国のネパールでは、過酷な環境で働く出稼ぎ労働者達は、貴重な外貨獲得源だ。彼らが稼ぎ出す金は、ネパール国民総生産の5割に当たる。
 過酷で非人道的な現場であろうと、雇い主を怒らせては国家が成り立たないのだ。

 先日のエベレスト雪崩事故を受け、シェルパ達の労働環境に憤りを感じる人も多いだろう。
 過去、ヒマラヤ登山でシェルパ達を雇用して登山活動を行った者として、多くの人が感じる憤りなどは素直に受けとめたい。

 しかし同時に、シェルパ達の死に憤りを感じるのであれば、同様に海外の過酷な現場で働くネパール人たちにも思いを巡らせてほしい。

 勝手ながら、私はそう思う。

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関連リンク

Nepal's World Cup trail brings misery by BBC NEWS 2013.11.18

今シーズンのエベレスト登山 by 雪山大好きっ娘+ 2014.4.27

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第29回温海さくらマラソン

4月第三週の日曜は、甘い物食べ過ぎた身体に喝を入れる日。
鶴岡市の温海町で開催される『第29回温海さくらマラソン』に出場。

10kmほど走って身体を動かす。
今年は抽選制の温泉無料券が当たったので、温海温泉瀧の屋で身体をほぐす。
さあ甘い物だっ!と毎年通っている足湯カフェ チットモッシェを訪れたところ、大混雑。
大会パンフには店のチラシも入っているし・・・
嗚呼、すっかりメジャーになってしまった足湯カフェ・・・

今年は足湯カフェの甘い物は諦め、温海温泉に開店したばかりのベーカリー『Ventvert(ヴァンベール)』にてランチを調達。

Img_0687m
今年も桜満開の中、完走できました。

ヴァンベールにて全粒粉スパイシーソーセージパンを購入。
身体を動かした後は、桜を眺めて静かな1人ランチです。

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『そこにも春の雨は降っていた』 韓国山岳誌が取材した福島の今

 韓国の3大登山月刊誌の1つ、MOUNTAIN誌2014年4月号において、原発事故後の福島を正面から取材した記事が掲載されました。
 韓国メディア、山岳メディアはマメにチェックしていますが、竹島・いわゆる「慰安婦」問題を巡る最中にも、韓国の登山雑誌は結構な頻度で日本の山の紀行記事を掲載しています。
 しかし、原発後の福島を取材した山岳雑誌・記事はこれが初めてでしょう。
 以下に引用します。

そこにも春の雨は降っていた by 月刊MOUNTAIN 2014年4月号

以下記事引用開始
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[海外リポート]そこにも春の雨が降っていた
原発事故から3年の福島3泊4日の記録
文 ミン・ウンジュ

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▲原発事故から3年を迎えた福島の人々は、孤立ではなく復旧と復興を願っている。

 登山家は、必然的に環境保護者である。大自然を愛し、保護と保存に力を尽くさない者は、どんな険しい山を登ろうとも、彼はすでに登山家ではないからである。人間は地球の主ではなく、自然を破壊する権利がないことを知る人にとって、「福島」は痛切な地名である。
 2011年3月11日、日本の東北部にM9.0の大地震と津波が発生した。死亡、行方不明者が2万人に達する津波の影響で、福島第1原発の4基が連鎖爆発した。しかし、今もなお、福島県には、200万人の人々が住んでいる。他の地域に避難した人口はわずか3%程度にしかならない。避難民たちが孤立感やストレスに耐えられずに戻ってくる場合も多い。
 彼らは放射能と同様に、外部の人々の暴力的な視線が恐ろしいという。福島県の人々が望むのは孤立ではなく連帯であり、隠蔽ではなく復旧と復興である。福島観光交流会で行われた今回の視察旅行も、現地の状況を誇張せずに知らせようとする市民の意志から始まった。原発事故から3年を迎え、福島の素顔と対面してみる。

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▲裏磐梯ロイヤルホテルのロビーで視察団を歓迎する地元の人々。様々な交流行事が行われた。

福島に行く、近くて遠い道

 今回の取材は、日本の東北運輸局観光課と福島県庁の後援で行われた。かつて金浦から福島空港まで直行便があったが、原発事故の後、定期路線が全面運行停止している状態だ。現在、韓国から福島県に行く方法は2つ。東京の空港に入国した後、東北新幹線に乗る。または仙台空港から東北新幹線に乗る方法である。東京からは約1時間30分、仙台から約20分を要する。記者は羽田空港からJRを利用し、東北新幹線に乗って福島県郡山駅に到着した。駅前には3~4人の公務員が長靴を履いて雪を片付けていた。ちょうど下校中の小学生たちも見えた。全世界が心配しているのを知ってか知らずか、ぱっとしない天気でも子供たちは三々五々に陽気に歩いていった。みんなマスクをしている理由を尋ねると、中国からの微細な粉塵のせいだという。
 郡山から会津若松まで約46km、バスで20分ほどかかる。ここには幕末の戊辰戦争の激戦地として有名な天守閣、鶴ヶ城がある。鶴ヶ城付近には郷土民芸館があり、伝統的な民芸品の着色体験ができる。「赤べこ」と呼ばれる赤い牛の人形は、会津地方の土俗玩具として幸運を運ぶ、子供たちの守護神である。

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▲福島のスキー場には、子供を連れた家族単位の観光客が多い。

 美しい堀に囲まれた鶴ヶ城は、しかし、観光客がほとんどいない。郷土資料館に改修されている5階には、四方が開けた展望台があったが、微細粉塵のせいで窓は堅く閉められ、ガラス越しに周辺の風景を眺めることができた。福島交流会の佐藤のぞみさんは「微細粉塵がなくても、観光客が減ったのは事実」と打ち明けた。

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▲東山温泉 原瀧旅館の懐石料理。これ以外にも様々なバイキング料理を楽しむことができる。

 この日は、1300年以上の歴史を持つ東山温泉に宿泊した。曲がりくねった路地にある原瀧は、きちんと管理された伝統的な旅館である。高級感のある畳の部屋で、バイキング形式で用意された鍋料理を含む会席料理を味わうことができた。夕食の材料を前に、視察団は皆歓声をあげたが、海の幸には誰も手を出さなかった。見かねた旅館の女将さんが慎重に言葉をかけた。
「福島の食材は、日本のどこよりも徹底した検査を受けます。皆様がお召し上がりの料理はすべて安全です。安心しておいしくお召し上がり下さい。」
 放射能危険の根源地が、逆説的に最も安全な食卓の保証を受けるという意味だ。それでも箸を躊躇する視察団に、女将さんが戻ってささやいた。
「私達も、毎日これらを食べています。」

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▲FLSフリースタイルスキーの試合を観戦する人々。熱を帯びた応援と同時に、選手たちのサインをもらう競争も繰り広げられた。

心配と同情ではなく、「人の訪問」を待っている

 福島は、温泉と同様にスキー場で有名である。県内に25のスキー場があり、雪質に優れ、様々なゲレンデがある。初心者からベテランまで、自分に合ったスキー場を選択することができる。記者は二日にわたりアルツ磐梯、グラン・デコ、猪苗代、リステルスキー場などを見学した。穏やかな天気にもかかわらず、雪質は最高の状態であり、週末を迎え、家族単位のスキーヤーが多く見られた。韓国のスキー場とは異なり、初級者コースは長く多様で、子供達にスキーを教えるには適した環境だ。多くのスキー場を自由に利用できるパスカードがあり、様々なゲレンデを体験したい韓国のスキーヤーたちにも人気の観光地だったが、現在の韓国では、福島を対象にした旅行商品が全くない状態にある。

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▲韓国のチェ・ジェオ選手が素晴らしいエアの演技を示す。

「年間4~5万人だった韓国人観光客は、大震災の後、3~4千人に激減しました。ほとんどのスキー場がある会津地域は、福島原発から約100kmほど離れていますが、同じ福島県という理由で避けられています。」
星野リゾートのマネージャーである中島のぞみ氏が説明した。彼は、福島のスキー旅行が安全であると確信するが、それでも不安を感じる人々に無理に勧めてはならない、と述べた。ただし、ここを訪問する少数の人々でも福島を良い思い出として残すことができるよう最善を尽くすだけだ、と。

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▲雪だるまの行列には、人々の訪問を望む福島の人々の心が込められている。

 3月1日、猪苗代スキー場では2014 FLSフリースタイルスキーワールドカップの決勝戦が開催された。ウインタースポーツの基盤が強固な日本らしく、1000人余りの観覧客が集まって自国選手の熱烈な応援はもちろん、世界ランキングの有名選手たちの素晴らしい演技に拍手と歓声を送った。韓国の男子選手として、チェ・ジェオ選手が出場して14位を記録した。ワールドカップが開催された猪苗代スキー場は、入り口からゲレンデまで小さな雪だるまが並んで建っていた。出場選手たちや観光客を歓迎し、応援する意味で、地域住民が作った雪だるまである。

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▲明治政府の命令で解体されたが、1965年に再建された天守閣。難攻不落と名高い国指定史跡である。

反日と嫌韓を乗り越える道は民間交流だけ

 裏磐梯のホテルと福島市いやしカフェで行われた交流会には、多数の地元の市民が参加した。彼らは韓国における福島への懸念をよく知っていた。福島商工会主事のサトウ・タカシ氏の挨拶は、韓国人が感じる不安と脅威への謝罪で始まった。
 「福島は巨大な災害を経験し、今復興に全力を傾けています。その過程で、近い国である韓国に大きな心配をかけたことについて、大変申し訳なく思います。今、福島はほぼ回復した旅行先として、安全な旅先になったと自負しています。率直に言って私たちは、より多くの韓国国民が福島を訪問していただきたいと願っています。単純に観光業界のためではなく、人が生きるためには人の訪問が必要だからです。」
 「福島にきさったごとを歓迎します(福島にようこそ)」という佐藤さんの言葉とともに始まった交流会は、リラックスした雰囲気で進められた。視察団や地元の人たちと共に食事をし、互いに気になる部分を尋ねた。
 ジャパントラベルエージェンシーに勤務するマツダさんは「権力者たちの政治論理に左右される反日と嫌韓を乗り越え、日本と韓国が親密な隣国になるためには、普通の人々が民間交流を通じて連帯するしかないと思います」と語る。韓国語通訳のヤスダ・ヨウコさんは、震災時に福島で直接体験した鮮やかな記憶を聞かせてくれた。

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▲視察団と地元交流会の人々の記念写真

「3月11日、ビルの10階で勤務中に大震災が起きました。幸いなことに建物は崩壊しませんでしたが、人が倒れるほどの揺れで壁に深刻な被害がありました。しかし、私たちは、週末後の月曜日にはいつものように出勤しました。電気が停まりエレベーターの代わりに階段を利用しなければならず、あちこちヒビの入った建物が不安でしたが、仕事が滞っていたんです。多くの福島県の人々が地震後も私たちのように、通常のように生活したことが分かっています。実際には、福島は大地震と津波では深刻な被害は受けていません。実質的な苦痛は原発事故の後に起こったんです。
 現地で直接感じる放射能の脅威と政府発表の信頼性について尋ねると、ヤスダ・ヨウコさんは声を低めた。「いっそ信じたいですね。疑い始めれば住むことができないですから。福島には、家と家族があります。特に年配の方が故郷を去ることは不可能に近いです。放射能に対する市民の立場は様々ですが、願いは1つです。私たちは、ここで暮らし続けたいと思います。」

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▲福島市の静かな住宅街で「いやしカフェ」を運営する韓国人チョン・ヒョンシルさん

 ヤスダ・ヨウコさんは福島市の「いやしカフェ」を経営する韓国人チョン・ヒョンシルさんに韓国語と韓国料理を学んだという。翌日カフェで会ったチョン・ヒョンシルさんは綺麗なシェフの服装で胡麻油の香りが香ばしいハーブの和え物を作っていた。彼女は早稲田大学で日韓の神話比較論を研究した学者であり、韓国と日本の間で様々な文化活動を進めてきた活動家である。いやしカフェは、津波と原発事故という災害で傷ついた避難民の心を慰めるため、2年前にオープンした。ここでチョン・ヒョンシルさんは韓国語を教え、韓国の薬膳料理で被災者を慰め、日韓文化交流に力を入れている。「福島で報道される韓国人の過剰な懸念が、かえってストレスになっています。福島は死の土地と呼ばれたり、200万人の福島の人々はすべての癌で死ぬつもりだなどと、放射能に対する歪曲・誇張された情報で地元の人々を傷つけないで欲しいです。」

廃墟を濡らす春雨が降る

 仙台空港への途上、津波水没地域であるユリアゲ(閖上)という小さな集落に立ち寄った。
 災害から3年が経ったが、ここは相変らず広大な廃墟そのままだった。道端には未だ片付けられていない瓦礫が、引越荷物のようにきちんと包まれている。丘の上には慰霊塔と追慕碑だけが、立ち去った人々を寂しく見送っている。かつては日本でも最高の赤貝が採れる漁村として有名だったという閖上は、津波の傷が回復しても、水産物市場の喧噪は戻らないだろう。福島原発が遠くないからだ。

 福島原発事故から3年。日本政府は原発再稼動に転換しようとしている。報道を介して伝わる情報では、核施設を支持する極右が勢いづくとか、原子力災害の危険性は隠されて経済論理と国家主義が頭をもたげているという内容が大部分だ。韓国も核施設の自国の危険性に目を向けるよりも、福島の放射能が及ぼす悪影響と日本産食品の安全性にだけ、関心を示している。
 雨の中、追悼碑では日本のNHK放送局職員たちが特集番組のための撮影を行っている。
 まだ日は寒い。福島の春は、いつ来るのだろうか。

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以上引用おわり

 このように、月刊MOUNTAINの記事は登山記事ではなく、福島の観光地をメインとした取材記です。
 韓国の訪問団が旅館の海の幸になかなか手を付けなかったこと、旅館の女将さんの言葉も赤裸々に伝え、福島に住み続けようとする人たちの声を掲載しています。
 韓国の一般メディアのヒステリックな原発報道とは、一線を画するものです。

 少し福島を訪れた程度で「福島の人は騙されている」とツイッターとやらで暴言を吐くクライミングライターを称する輩や強制移住を訴える鼻息荒い方々にはご理解いただけないでしょうが、福島の方々の「ここで暮らし続けたい」という願いは否定されるべきものではない、と私は考えています。

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春日記2014年3~4月

更新さぼってた時期のよしなしごと。

3月×日
出張先の広島・呉にて。
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晩飯は各自ということで、呉市の老舗洋食屋「いせや」へ。
創業大正10年、初代は旧海軍の戦艦のコックだったとか。

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「海軍さんのカレー」を喰う。
旧日本海軍は当時としては様々な洋食をメニューに取り入れたことが知られるが、カレーもその1つ。
具は肉とタマネギというシンプルなカレー。
肉はおそらく後入れだろう、カレーの味がしみこまず、しっかり肉の味がする。
老舗の洋食屋といっても、商売勘違いしたラーメン屋と違い敷居が高いなどということはなく、ごく普通の食堂です。
お一人様でもお気軽に。

3月×日
今年も手帳をチョイスする季節。

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登山活動用にシンプルな小型手帳(赤)、日常のスケジューラーとして引き続き能率ダイアリーA5判を購入。
メディアの報道では、4月始まり手帳を使うのは少数派らしい。
今年は「ほぼ日手帳」を購入するか最後まで迷った。
デスクワークのビジネスマンと違い土木作業員の私、会社6時出発なんてのは日常茶飯事で、普通のビジネススケジューラーのような「朝8時始まりの書式」など使いものにならない。
結局、「見開きページの二ヶ月予定表」が捨てがたく、能率ダイアリー購入を決定。
日本能率協会も「経営者・管理職向け」と銘打っているのだが、末端の土木作業員や山岳ガイドにはこの二ヶ月予定表は手放しがたい。

3月×日
鳥取・伯耆大山を登山。
つくづく思ったのが、
Fine
ファイントラックのアンダーウェア「フラッドラッシュスキンメッシュ」の快適さ。
私は人よりかなり汗かきなのだが、行動による汗のための冷え・べたつきが 全 く な い
昨秋から使い始めているが、下山後もサラッとしており快適。
むしろ、このアンダーウェアの上に着用するウェアが汗で湿り、熱を奪うのを感じる程だ。
価格は安くはないが、汗による不快感に悩む方にはオススメ。

4月×日
春は別れの季節。
所有するフィルムカメラ(一眼レフ2台、交換レンズ2本、コンパクトカメラ3台)、備品一式を処分する。
このうちニコンF301は上京した学生時代、目にする風景を残したくてバイトして買った中古品。
ニコンFM10は8000m峰遠征用に、極低温でも使えるようメカニカルシャッターのカメラとして購入。
しかし遠征登山で重宝するのは、軽量なコンパクトカメラだった。
むしろ現場作業、現場監督用カメラのシャッターが作動しないほどの低温下での作業で、FM10だけは作動したため助けられた記憶がある。
もうデジタルカメラ時代。今の私には、フィルムカメラを所有する合理的理由は無い。
「海外ではまだまだ日本製フィルムカメラの需要があります」を謳い文句にしたカメラ買い取り業者に打診したが、私の所有するカメラはもう値がつかず買い取りできない、との回答。
ゴミとして廃棄するのも切ないので、ダメ元で某全国チェーンのリサイクルショップを訪れたところ、「買い取り価格は低いですが・・・」と言われながら買い取りいただいた。
思い出よ、さようなら。

4月×日
サブザックorデイパックを買うため天童市のマウンテンゴリラへ。
いくつものデイパック、サブザックを物色。
某社のザック。小型の割にショルダーベルトが分厚く、パス。
そのザックの裏には、「patagonia」のデイパック。社名みただけで頭痛がする。パス。
店長の誉田さんからは「これどうだ」とマックパックの製品を勧められる。強力な防水生地でザックカバー不要だという。
 いろいろ見て決めたのが、
K2
 マジックマウンテンの「K2 ソロ」。
 誉田さんがわざわざ店舗奥から掘り出し物を出してくれている間、またまた私の一目惚れで購入を決めるという、いつものパターン。誉田さんいつもすみません。
 買ってから後で知ったのだが、山野井泰史氏がK2単独登攀時に用いたザックの復刻版らしい。
 まあハイカーの私には、どうでもいいエピソードだ。
 ゴテゴテした背面、オーバースペックな分厚いショルダーベルト、意味不明なポケット。
 設計思想のよく理解できないザックよりも、私にとってはシンプルであることイコール使い勝手がいいことに他ならない。
 また新しいパートナーと、山に行くことになります。

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朝少サポーターのつどい2014

 週末、山形県朝日少年自然の家にて開催のボラスタッフの顔合わせ・研修会 『朝少サポーターのつどい』 に一泊二日で参加。

 「JMGAの山岳ガイド資格を保有して、本当に自分は何がやりたいのか?」
 昨年末から幾度も自問自答し、野外教育分野に進みたいという自分の原点に戻るべく、久々の参加。
 
 自然の家の研修担当(当時)であり、朝日山岳会の佐竹伸一先生に緊張しながら「子供達のために活動したい」と電話を入れたのが2001年。
 出会った頃は学生だった男の子、女の子も、今は立派な教員。
 自然の家のボランティア活動で出会い、結びつく2人組も多い。
 今回のサポーターの集いでも、二組のご夫婦が乳児を連れて参加。
 避けようと思いつつ、歳のせいか当ブログも社会人山岳会の爺並みに思い出話が多くなったが、赤ちゃんの顔を見ていると、やはり歳月の経過を思う。

 開会行事の後、日本キャンプ協会の石井勝さんを講師に研修1「野外仲間作りゲーム」
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 一本の丸太に乗り、「誕生日順」や「名前のあいうえお順」に整列し直します。
 ルールは「丸太から落ちないで人間が入れ替わること」。

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 三つの「島」の間を、二枚の板を使って渡ります。島と島の間隔より短い二枚の板を「巧く」使って地面に落ちないように渡ります。

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 約15人乗ることができる巨大シーソー。
 地面に触れないようバランスをとりながら乗り込み、さらに両端のグループが入れ替わります。

これら3つのアクティビティに共通しているのは、コミュニケーションと協力が必要とされること。
この活動を通じて、見知らぬ人との関係を築いていきます。

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 昼は自炊、おりからの強風でガンガンに燃えさかる炎での焼きそば。

 午後からの研修はツリーイング体験。
 朝日町の西澤新地、亜希子夫妻を講師にロープクライミング。

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 最初に実演する西澤新地講師。
 私もツリーイングは講習を傍目から眺めたことはあるのだが、体験は初めて。
 昼食の焼きそばを調理している間に西澤夫妻がセッティングして下さっていたのだが、システムを観察するに、丈夫な枝にシングルロープをかけ、同径ロープでフリクションが効くポロネ結び、片足はプルージックのスリングにかけて登る。
 クライミングをやってる方にはご存じ、自己脱出と同じ原理で登ります。

 クライミングなんかおっかなくて関係ねーよ!な私だが、焼きそば喰いながら夫妻のセッティングから気になってたまらず、一番乗りで体験に手を挙げる。

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 私の後、同じロープを登る朝少職員の工藤さん。画像下にあるように、一定の高さを登った後にスリップノットを作り落下防止にします。

 プルージックのスリングに立ち込む
 ↓
 ポロネの結び目を上にずらす
 ↓
 ハーネスでメインロープにぶら下がり、プルージックのスリングを上にずらす

 この繰り返しを延々と続け、ロープを登っていきます。
 やはり初めての方にとってはハーネスに体重を預けたり、スリングに立ち込むという動作は高度感も併せて慣れないようでしたが、皆さんすぐに慣れて楽しんでいる様子。

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 上まで登ったら、プルージックを解除して下に投下、講師の指示に従ってポロネの結び目を握り、同時に講師はムンターヒッチでロープを繰り出し下降、という具合。画面は今まさに下降せんとする奥山所長と、ロープを送り出す西澤亜希子講師。

 基本的にクライミング大嫌いな私ですが、なんだかんだで早めに登り切ってしまいやした。
 フォローしてくれる亜希子さんが下降準備に入るまで、木の上でレスト。
 地面から高さ7~8mは登ったでしょうか。

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 下を向いた風景はこんな感じ。
 時折吹く強風で、ぶら下がった大木もユーラユラと揺れます。
 正直な感想ですか?

Sin_2
 立体機動で自由自在の調査兵団の皆さんは偉大だ。
 (まだ進撃の巨人に凝ってまして)

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 女の子たちも果敢に挑戦。
 ギアはハーネスもメットもシンギングロック。ハーネスはハンギング体勢で楽なように、パッドも厚くてでかいタイプ。

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 風が冷たくなり、フリースを着込む夕方まで皆で楽しみました。

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 登り終え、空いた時間はなかなか上達しない(笑)スラックライン。
 スラックラインのテープを巻いた木には、陽光を求めてカナチョロが登場。

 情報交換会や翌日のプログラム作成会議を終え、二日間の日程終了。
 月山、朝日連峰、蔵王、奥羽山脈と各連嶺が明瞭に見える素晴らしい快晴の下、自然の家を後にしました。

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2014年 宮城県の山開き日程(4~5月)

 宮城県観光連盟による4月7日現在発表の、4~5月に予定されている宮城県内山岳地の山開き日程です。
 概要を以下に記します。

蔵王連峰夏山開きと蔵王エコーライン開通式(蔵王町)
開催日/平成26年4月25日(金)
お問い合わせ/蔵王町農林観光課 TEL/0224(33)2215

禿岳山開き(大崎市)
すぱ鬼首 無料入湯券、バーベキュー券、記念品等がつくイベントとして参加費大人2,000円、子供1,000円。
開催日/平成26年5月25日(日)<毎年5月第4日曜日>(予定)
お問い合わせ/鳴子温泉郷観光協会 TEL/0229(82)2102

栗駒山夏山開き (宮城県側の山開き)
山開き当日9時30分~(予定)から栗駒山「いわかがみ平」登山口にて登山者や観光客の安全を祈願する安全祈願祭も行われる。
開催日/平成26年5月18日(日)<毎年5月第3日曜日>
お問い合わせ/栗駒山観光協会事務局(栗原市田園観光課内) TEL/0228(22)1151

大東岳山開き
開催日/平成26年5月25日(日)<例年5月の最終日曜日>(予定)※予定が変更となる場合がございます。
お問い合わせ/公益財団法人 仙台観光コンベンション協会 秋保支部 TEL/022(399)2111(内線5254)

泉ケ岳山開き(仙台市泉区)
開催日/平成26年4月19日(金)
お問い合わせ/仙台市泉区まちづくり推進課 TEL/022(372)3111

南蔵王夏山開き(白石市・七ヶ宿町)
平成26年5月31日(土)宿泊・6月1日(日)登山 <登山のみの参加も可>
開催日/平成26年5月31日(土)・6月1日(日)
お問い合わせ/白石市商工観光課 TEL/0224(22)1321 七ヶ宿町産業振興課 TEL/0224(37)2177

北蔵王夏山開き(川崎町)
セレモニー会場では、地元山岳会の登山教室なども予定されている。
開催日/平成26年5月25日(日)
お問い合わせ/川崎町地域振興課 TEL/0224(84)2111(内1222)

あくまでも「予定」の日程や参加費が必要なイベントも掲載されております。
詳細は以下のページでご確認の上、ご参加下さい。

みやぎの山開き情報 平成26年4月~5月 宮城まるごと探訪 by 公益社団法人宮城県観光連盟

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2014年 福島県の山開き日程

福島県の福島民友新聞社では、毎春その年の山開き日程一覧を公開しています。

福島県内の山開き日程のページはこちらをご参照下さい。↓

さあ行こう!新緑の山々へ 福島県 山開きガイド2014 by 福島民友新聞社2014.3.31

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芝麻球の記憶

その日、カミさんと子供達は実家に帰っていた。
会社からの帰路、女性社員オススメの台湾料理店「美香居」で夕食をとる。

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このお店、前々から女性社員に勧められていたのだが、私はなかなか足が向かなかった。

そもそも、日本の「台湾料理」って、なんで「激辛」なんだろう?
台北で語学学校に通ったり、自転車で台湾島を縦断したりしてみたが、激辛料理になど出会ったことはない。
とはいえ、日本の地方都市で「サバヒー粥」(「虱目魚」(ミルクフィッシュ)を用いた粥)を所望するのは無い物ねだりだとは重々承知している。
しかし、台湾料理と看板掲げるならばせめて「魯肉飯」くらい作ってほしい。

で、美香居に入ってみる。
従業員は皆あちらの人らしく、店内は中国語しか聞こえない。
私の退化したヒアリング能力では「○○一つ!」 「○○二つ!」と、注文を受けた料理を伝える数詞しか聞き取れない。

メニューには残念ながら魯肉飯は無い。
中国人の客も多いのだろう、メニューの一枚は中国語表記。
「台湾炒飯」を注文。併せて、点心メニューから「胡麻団子」を注文。

台湾炒飯は美味しかった。
でも私には胡麻団子が大事なのだ。

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初めて点心の胡麻団子を食べたのは、学生時代、東京・品川の某高級ホテルで皿洗いのバイトをしていた時だ。

数年後、売れっ子女性タレントが横綱力士との婚約破棄会見をすることになる某高級ホテル。
私は文字通り、残飯にまみれながら、大量の食器や調理器具を洗うバイトにいそしんでいた。

時折、宴会か結婚式か知らないが、残り物や余り物にありつく機会があった。
「ほら、これ喰えよ」
と渡されたのが、胡麻団子(芝麻球)。
その香ばしい美味しさに心奪われながら、「俺は必ず中国に行く」と決意を新たにしていた。

そのバイトは、翌年にひかえた中国領ヒマラヤ遠征のための資金稼ぎ。
バイトを終え、地下階段から賑やかな東京の雑踏に出る。
バブル全盛期、誘惑はたくさんあったはずなのだが、私にはヒマラヤを目指していた記憶しか残っていない。

 階を隔てて、別世界のようなパーティーが開かれている陰で、私はただヒマラヤに行くことだけを考えて皿を洗い続けた。
 そんな合間に口にした、美味しすぎる芝麻球。

 あれから数十万年。
 美香居の芝麻球はカラッと揚げられており、口にするとパフパフという隙間が空いていて歯触りも良く、合格点。
 今、私は仕事で稼いだ自分の金で芝麻球を注文し、食べている。
 初めて芝麻球を喰った私は、夢と野望しかない若造だった。
 
 今の自分の夢や目標って何だろう。
 行きたい山は幾つもあるけど、子供や妻の存在を理由に諦めている自分って何なんだろう。

 いや。
 現実から逃避することにして、今宵は素直に芝麻球を美味しく食べることにしよう。

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【訃報】チョモランマ女性第2登の潘多 女史、逝去

 1975年にチョモランマ女性第2登に成功した、中国チベット族の登山家、潘多(パンドゥ) 女史が3月31日、糖尿病による併発症のため亡くなりました。75歳でした。

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女登山家潘多在无锡去世 by 新華網2014.4.1

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1975年5月27日、チョモランマ北面から頂上に立つ中国隊

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チョモランマ登頂を果たし、ベースキャンプで祝福される潘多女史(右から3人目)

 潘多氏は1939年チベット自治区チャムド生まれ。1958年から登山を始め、翌1959年にムスターグ・アタに登頂、国家体育勲章を受章するとともに中国国家登山隊隊員に選出されました。
 1961年にはコングール峰に登頂、女性としての到達高度記録を保持、しかしその代償として凍傷のため足指5本を失うことになります。
 そして1975年5月、日本女子エベレスト登山隊の田部井淳子女史がネパール側から5月16日に女性として初登、5月27日に潘多女史が第2登、北面からの女性初登を果たします。

 1975年のチョモランマ中国隊は、そもそもは1966年に予定されていた登山隊でしたが文化大革命のため延期となった経緯があります。
 75年の登山隊発足当時、潘多女史は既に3人の子供、末っ子は生後六ヶ月の乳児を抱える母親であり、また「体格も良くなって」いましたが、厳しいトレーニングを重ねてチョモランマに入山、アタッカーとして見事に登頂に成功します。
 2度にわたり中国の名誉国民体育賞を受賞、チョモランマ登山後は長年にわたり国家体育局に勤めました。
 1998年に江蘇省体育局の公職を退職しましたが、2008年の北京オリンピックでお元気な姿をみせておりました。

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北京オリンピックでの潘多女史(五輪旗の手前右から二人目)

 中国メディアでの報道は、当然ながら「第2登」ではなくチョモランマ北面からの女性として「世界初」登頂というタイトルで報道されています。
 2014年、中国では民間人女性、新疆ウイグル自治区等の漢民族以外からもチョモランマを目指す女性が現れています。潘多女史の意思は、将来の中国女性登山者に引き継がれていくことでしょう。
 偉大な先達のご冥福をお祈りいたします。

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