【訃報】チョモランマ女性第2登の潘多 女史、逝去
1975年にチョモランマ女性第2登に成功した、中国チベット族の登山家、潘多(パンドゥ) 女史が3月31日、糖尿病による併発症のため亡くなりました。75歳でした。
チョモランマ登頂を果たし、ベースキャンプで祝福される潘多女史(右から3人目)
潘多氏は1939年チベット自治区チャムド生まれ。1958年から登山を始め、翌1959年にムスターグ・アタに登頂、国家体育勲章を受章するとともに中国国家登山隊隊員に選出されました。
1961年にはコングール峰に登頂、女性としての到達高度記録を保持、しかしその代償として凍傷のため足指5本を失うことになります。
そして1975年5月、日本女子エベレスト登山隊の田部井淳子女史がネパール側から5月16日に女性として初登、5月27日に潘多女史が第2登、北面からの女性初登を果たします。
1975年のチョモランマ中国隊は、そもそもは1966年に予定されていた登山隊でしたが文化大革命のため延期となった経緯があります。
75年の登山隊発足当時、潘多女史は既に3人の子供、末っ子は生後六ヶ月の乳児を抱える母親であり、また「体格も良くなって」いましたが、厳しいトレーニングを重ねてチョモランマに入山、アタッカーとして見事に登頂に成功します。
2度にわたり中国の名誉国民体育賞を受賞、チョモランマ登山後は長年にわたり国家体育局に勤めました。
1998年に江蘇省体育局の公職を退職しましたが、2008年の北京オリンピックでお元気な姿をみせておりました。
中国メディアでの報道は、当然ながら「第2登」ではなくチョモランマ北面からの女性として「世界初」登頂というタイトルで報道されています。
2014年、中国では民間人女性、新疆ウイグル自治区等の漢民族以外からもチョモランマを目指す女性が現れています。潘多女史の意思は、将来の中国女性登山者に引き継がれていくことでしょう。
偉大な先達のご冥福をお祈りいたします。
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コメント
潘多さんの訃報、知りませんでした。
中国登山界にとって、大きな大きな存在であったお母さんを亡くしたような、そんな報せです。
投稿: Kashiwa S | 2014.04.02 19:02
re: Kashiwa様
ごぶさたしております。
<<中国登山界にとって、大きな大きな存在であったお母さんを亡くしたような、
そうですね。
女性の社会進出が比較的に進んでいる共産国家であること、国威高揚という命題があったことを差し引いても、当時の中国の社会情勢からして潘多さんがチョモランマ登頂に成功された事は、大変な苦労があったことは想像に難くありません。
中国メディアの追悼記事を幾つか確認しましたが、やはりご指摘のように、中国の登山関係者にとって「大きな大きな存在」だったようです。
投稿: 聖母峰 | 2014.04.04 22:21