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『そこにも春の雨は降っていた』 韓国山岳誌が取材した福島の今

 韓国の3大登山月刊誌の1つ、MOUNTAIN誌2014年4月号において、原発事故後の福島を正面から取材した記事が掲載されました。
 韓国メディア、山岳メディアはマメにチェックしていますが、竹島・いわゆる「慰安婦」問題を巡る最中にも、韓国の登山雑誌は結構な頻度で日本の山の紀行記事を掲載しています。
 しかし、原発後の福島を取材した山岳雑誌・記事はこれが初めてでしょう。
 以下に引用します。

そこにも春の雨は降っていた by 月刊MOUNTAIN 2014年4月号

以下記事引用開始
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[海外リポート]そこにも春の雨が降っていた
原発事故から3年の福島3泊4日の記録
文 ミン・ウンジュ

P1
▲原発事故から3年を迎えた福島の人々は、孤立ではなく復旧と復興を願っている。

 登山家は、必然的に環境保護者である。大自然を愛し、保護と保存に力を尽くさない者は、どんな険しい山を登ろうとも、彼はすでに登山家ではないからである。人間は地球の主ではなく、自然を破壊する権利がないことを知る人にとって、「福島」は痛切な地名である。
 2011年3月11日、日本の東北部にM9.0の大地震と津波が発生した。死亡、行方不明者が2万人に達する津波の影響で、福島第1原発の4基が連鎖爆発した。しかし、今もなお、福島県には、200万人の人々が住んでいる。他の地域に避難した人口はわずか3%程度にしかならない。避難民たちが孤立感やストレスに耐えられずに戻ってくる場合も多い。
 彼らは放射能と同様に、外部の人々の暴力的な視線が恐ろしいという。福島県の人々が望むのは孤立ではなく連帯であり、隠蔽ではなく復旧と復興である。福島観光交流会で行われた今回の視察旅行も、現地の状況を誇張せずに知らせようとする市民の意志から始まった。原発事故から3年を迎え、福島の素顔と対面してみる。

P2
▲裏磐梯ロイヤルホテルのロビーで視察団を歓迎する地元の人々。様々な交流行事が行われた。

福島に行く、近くて遠い道

 今回の取材は、日本の東北運輸局観光課と福島県庁の後援で行われた。かつて金浦から福島空港まで直行便があったが、原発事故の後、定期路線が全面運行停止している状態だ。現在、韓国から福島県に行く方法は2つ。東京の空港に入国した後、東北新幹線に乗る。または仙台空港から東北新幹線に乗る方法である。東京からは約1時間30分、仙台から約20分を要する。記者は羽田空港からJRを利用し、東北新幹線に乗って福島県郡山駅に到着した。駅前には3~4人の公務員が長靴を履いて雪を片付けていた。ちょうど下校中の小学生たちも見えた。全世界が心配しているのを知ってか知らずか、ぱっとしない天気でも子供たちは三々五々に陽気に歩いていった。みんなマスクをしている理由を尋ねると、中国からの微細な粉塵のせいだという。
 郡山から会津若松まで約46km、バスで20分ほどかかる。ここには幕末の戊辰戦争の激戦地として有名な天守閣、鶴ヶ城がある。鶴ヶ城付近には郷土民芸館があり、伝統的な民芸品の着色体験ができる。「赤べこ」と呼ばれる赤い牛の人形は、会津地方の土俗玩具として幸運を運ぶ、子供たちの守護神である。

P3
▲福島のスキー場には、子供を連れた家族単位の観光客が多い。

 美しい堀に囲まれた鶴ヶ城は、しかし、観光客がほとんどいない。郷土資料館に改修されている5階には、四方が開けた展望台があったが、微細粉塵のせいで窓は堅く閉められ、ガラス越しに周辺の風景を眺めることができた。福島交流会の佐藤のぞみさんは「微細粉塵がなくても、観光客が減ったのは事実」と打ち明けた。

P4
▲東山温泉 原瀧旅館の懐石料理。これ以外にも様々なバイキング料理を楽しむことができる。

 この日は、1300年以上の歴史を持つ東山温泉に宿泊した。曲がりくねった路地にある原瀧は、きちんと管理された伝統的な旅館である。高級感のある畳の部屋で、バイキング形式で用意された鍋料理を含む会席料理を味わうことができた。夕食の材料を前に、視察団は皆歓声をあげたが、海の幸には誰も手を出さなかった。見かねた旅館の女将さんが慎重に言葉をかけた。
「福島の食材は、日本のどこよりも徹底した検査を受けます。皆様がお召し上がりの料理はすべて安全です。安心しておいしくお召し上がり下さい。」
 放射能危険の根源地が、逆説的に最も安全な食卓の保証を受けるという意味だ。それでも箸を躊躇する視察団に、女将さんが戻ってささやいた。
「私達も、毎日これらを食べています。」

P5
▲FLSフリースタイルスキーの試合を観戦する人々。熱を帯びた応援と同時に、選手たちのサインをもらう競争も繰り広げられた。

心配と同情ではなく、「人の訪問」を待っている

 福島は、温泉と同様にスキー場で有名である。県内に25のスキー場があり、雪質に優れ、様々なゲレンデがある。初心者からベテランまで、自分に合ったスキー場を選択することができる。記者は二日にわたりアルツ磐梯、グラン・デコ、猪苗代、リステルスキー場などを見学した。穏やかな天気にもかかわらず、雪質は最高の状態であり、週末を迎え、家族単位のスキーヤーが多く見られた。韓国のスキー場とは異なり、初級者コースは長く多様で、子供達にスキーを教えるには適した環境だ。多くのスキー場を自由に利用できるパスカードがあり、様々なゲレンデを体験したい韓国のスキーヤーたちにも人気の観光地だったが、現在の韓国では、福島を対象にした旅行商品が全くない状態にある。

P6
▲韓国のチェ・ジェオ選手が素晴らしいエアの演技を示す。

「年間4~5万人だった韓国人観光客は、大震災の後、3~4千人に激減しました。ほとんどのスキー場がある会津地域は、福島原発から約100kmほど離れていますが、同じ福島県という理由で避けられています。」
星野リゾートのマネージャーである中島のぞみ氏が説明した。彼は、福島のスキー旅行が安全であると確信するが、それでも不安を感じる人々に無理に勧めてはならない、と述べた。ただし、ここを訪問する少数の人々でも福島を良い思い出として残すことができるよう最善を尽くすだけだ、と。

P7
▲雪だるまの行列には、人々の訪問を望む福島の人々の心が込められている。

 3月1日、猪苗代スキー場では2014 FLSフリースタイルスキーワールドカップの決勝戦が開催された。ウインタースポーツの基盤が強固な日本らしく、1000人余りの観覧客が集まって自国選手の熱烈な応援はもちろん、世界ランキングの有名選手たちの素晴らしい演技に拍手と歓声を送った。韓国の男子選手として、チェ・ジェオ選手が出場して14位を記録した。ワールドカップが開催された猪苗代スキー場は、入り口からゲレンデまで小さな雪だるまが並んで建っていた。出場選手たちや観光客を歓迎し、応援する意味で、地域住民が作った雪だるまである。

P8
▲明治政府の命令で解体されたが、1965年に再建された天守閣。難攻不落と名高い国指定史跡である。

反日と嫌韓を乗り越える道は民間交流だけ

 裏磐梯のホテルと福島市いやしカフェで行われた交流会には、多数の地元の市民が参加した。彼らは韓国における福島への懸念をよく知っていた。福島商工会主事のサトウ・タカシ氏の挨拶は、韓国人が感じる不安と脅威への謝罪で始まった。
 「福島は巨大な災害を経験し、今復興に全力を傾けています。その過程で、近い国である韓国に大きな心配をかけたことについて、大変申し訳なく思います。今、福島はほぼ回復した旅行先として、安全な旅先になったと自負しています。率直に言って私たちは、より多くの韓国国民が福島を訪問していただきたいと願っています。単純に観光業界のためではなく、人が生きるためには人の訪問が必要だからです。」
 「福島にきさったごとを歓迎します(福島にようこそ)」という佐藤さんの言葉とともに始まった交流会は、リラックスした雰囲気で進められた。視察団や地元の人たちと共に食事をし、互いに気になる部分を尋ねた。
 ジャパントラベルエージェンシーに勤務するマツダさんは「権力者たちの政治論理に左右される反日と嫌韓を乗り越え、日本と韓国が親密な隣国になるためには、普通の人々が民間交流を通じて連帯するしかないと思います」と語る。韓国語通訳のヤスダ・ヨウコさんは、震災時に福島で直接体験した鮮やかな記憶を聞かせてくれた。

P9
▲視察団と地元交流会の人々の記念写真

「3月11日、ビルの10階で勤務中に大震災が起きました。幸いなことに建物は崩壊しませんでしたが、人が倒れるほどの揺れで壁に深刻な被害がありました。しかし、私たちは、週末後の月曜日にはいつものように出勤しました。電気が停まりエレベーターの代わりに階段を利用しなければならず、あちこちヒビの入った建物が不安でしたが、仕事が滞っていたんです。多くの福島県の人々が地震後も私たちのように、通常のように生活したことが分かっています。実際には、福島は大地震と津波では深刻な被害は受けていません。実質的な苦痛は原発事故の後に起こったんです。
 現地で直接感じる放射能の脅威と政府発表の信頼性について尋ねると、ヤスダ・ヨウコさんは声を低めた。「いっそ信じたいですね。疑い始めれば住むことができないですから。福島には、家と家族があります。特に年配の方が故郷を去ることは不可能に近いです。放射能に対する市民の立場は様々ですが、願いは1つです。私たちは、ここで暮らし続けたいと思います。」

P10
▲福島市の静かな住宅街で「いやしカフェ」を運営する韓国人チョン・ヒョンシルさん

 ヤスダ・ヨウコさんは福島市の「いやしカフェ」を経営する韓国人チョン・ヒョンシルさんに韓国語と韓国料理を学んだという。翌日カフェで会ったチョン・ヒョンシルさんは綺麗なシェフの服装で胡麻油の香りが香ばしいハーブの和え物を作っていた。彼女は早稲田大学で日韓の神話比較論を研究した学者であり、韓国と日本の間で様々な文化活動を進めてきた活動家である。いやしカフェは、津波と原発事故という災害で傷ついた避難民の心を慰めるため、2年前にオープンした。ここでチョン・ヒョンシルさんは韓国語を教え、韓国の薬膳料理で被災者を慰め、日韓文化交流に力を入れている。「福島で報道される韓国人の過剰な懸念が、かえってストレスになっています。福島は死の土地と呼ばれたり、200万人の福島の人々はすべての癌で死ぬつもりだなどと、放射能に対する歪曲・誇張された情報で地元の人々を傷つけないで欲しいです。」

廃墟を濡らす春雨が降る

 仙台空港への途上、津波水没地域であるユリアゲ(閖上)という小さな集落に立ち寄った。
 災害から3年が経ったが、ここは相変らず広大な廃墟そのままだった。道端には未だ片付けられていない瓦礫が、引越荷物のようにきちんと包まれている。丘の上には慰霊塔と追慕碑だけが、立ち去った人々を寂しく見送っている。かつては日本でも最高の赤貝が採れる漁村として有名だったという閖上は、津波の傷が回復しても、水産物市場の喧噪は戻らないだろう。福島原発が遠くないからだ。

 福島原発事故から3年。日本政府は原発再稼動に転換しようとしている。報道を介して伝わる情報では、核施設を支持する極右が勢いづくとか、原子力災害の危険性は隠されて経済論理と国家主義が頭をもたげているという内容が大部分だ。韓国も核施設の自国の危険性に目を向けるよりも、福島の放射能が及ぼす悪影響と日本産食品の安全性にだけ、関心を示している。
 雨の中、追悼碑では日本のNHK放送局職員たちが特集番組のための撮影を行っている。
 まだ日は寒い。福島の春は、いつ来るのだろうか。

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以上引用おわり

 このように、月刊MOUNTAINの記事は登山記事ではなく、福島の観光地をメインとした取材記です。
 韓国の訪問団が旅館の海の幸になかなか手を付けなかったこと、旅館の女将さんの言葉も赤裸々に伝え、福島に住み続けようとする人たちの声を掲載しています。
 韓国の一般メディアのヒステリックな原発報道とは、一線を画するものです。

 少し福島を訪れた程度で「福島の人は騙されている」とツイッターとやらで暴言を吐くクライミングライターを称する輩や強制移住を訴える鼻息荒い方々にはご理解いただけないでしょうが、福島の方々の「ここで暮らし続けたい」という願いは否定されるべきものではない、と私は考えています。

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