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敗戦国の亡骸 山形に残る松根油乾留釜

「松根油」(しょうこんゆ)をご存じだろうか。

松の根を蒸し焼きにしてタール等不純物を除き、冷却すると油が採取できる。
これが松根油である。
松根油をさらに2度「乾留釜」で熱し分解することにより、航空燃料の代替品となるテレピン油ができる

第二次世界大戦当時、資源に乏しい日本は昭和9年頃から松根油の生産を開始、コスト面で採算の取れる代物ではないのだが、戦局の悪化とともに日本全国各地で一般市民が奉仕活動にかり出され、さらに生産が続けられることになる。

この松根油生産に用いられた乾留釜が、山形市に残っていた。

Img_0854m

山形市の中心街から東に位置する山形市・釈迦堂地区の法来寺の梵鐘。
この法来寺、本来の梵鐘は戦時供出により失っていた。
ここ釈迦堂で松根油の生産が中止された際、残った乾留釜の1つを梵鐘に転用したものである。
それが21世紀の今も使われ、残されている。

Img_0852m
錆ついているものの、穴をふさいだらしい溶接の跡がみられる。

この松根油の乾留釜そのものは、わずかながらも日本各地に戦争遺物として残っているが、寺の鐘として転用され今に残るのは、おそらく岡山県の鈴岳神社と、この山形の法来寺ぐらいではないだろうか。

参考サイト ウェブサイト依代之譜 鈴岳神社

 製造されたテレピン油は、上記サイトではメッサーシュミットMe262のコピーであるジェット戦闘機「橘花」にガソリンとの混合油として用い、12分間の飛行に成功したと述べられている。
 一方、終戦直後に米軍が試験的にジープに用いたところ、精製度が粗悪ですぐにエンジンが止まったことが報告されている。
 いずれにせよ第二次世界大戦末期、国民総動員とはいえ一般市民が提供する程度の松から採取されるテレピン油の量・質など、戦局が悪化した日本にとってはほとんど無意味なものに近かったであろう。
 昭和20年3月、日本政府は閣議決定として「松根油等拡充増産対策措置要綱」、つまりもっと松根油作らんかいワレ、という方針を打ち出す。そして約5ヶ月後、日本は敗戦を迎える。
 
 無能・無謀な当時のエネルギー政策の象徴といえる松根油乾留釜。
 それが地域の人々のよりどころとなる寺の鐘として、約70年もの歳月を経て現存している。

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