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さすらいの作業員、南へ

29日。
7t車を駆って埼玉へ日帰り出張。
東北自動車道の南端・川口JCTから外環道に乗り換えるところは何回来ても慣れない。迷路のようだ。
あれって絶対田舎モンへのいじめだよな(笑)

30日。
工事機材を積み替え、10t車を運転して大雪の東北自動車道を南下。
昨日、快晴の下で走った東北道。
太平洋側で晴れることの多い村田JCT以南も本日は大雪、圧雪。
昨日と今日の道路の変貌ぶりは、まさに『天国と地獄』。

幾度か、スリップ事故で大破した車を横目に見ながら、ロングボディの10t車を慎重に走らせる。
さすらいの現場作業員、本日から福島県某所に滞在。

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滞在先の静かな街で買った、『ゼッコーチョーゆべし』
祈願・景気回福の文字がなんともポジティブである。
名前の由来、この街はあのプロ野球選手・中畑清の出身地であることから命名されたらしい。
薄皮のゆべし+こし餡で、食べた感じは温泉饅頭みたいなゆべしでござんした。

いつも多くの方々にアクセスいただき、ありがとうございます。
貧乏ヒマなし、土日もぶっ潰してお仕事のため、ブログ更新テキトーになります。

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みちのくの道祖神

昨年、JMGA関連の用事で幾度か長野県に車で訪れる機会があった。

長野県の路傍で目に付くのが、道祖神。
道祖神は様々な種類があるのだが、信州地方で知られているのが、男女2神が併せて彫り込まれた「双体道祖神」である。

 2体仲良く並んだ道祖神といえば、日本では中部地方が特に知られているのだが、近年になって山形県でも確認された。
 私の勤務先から車で20分ほど走った山形市・鮨洗(すしあらい)地区。

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鮨洗簡易郵便局、道路を挟んだ真向かいにその道祖神はあった。

 この道祖神は平成になって道路拡張工事のため、現在の場所に移設されたものである。
 名号塔、十八夜塔とともに3基並び、天保の飢饉・餓死者供養碑として信仰されている。
 像の前の雪を払うと、地元の方が信仰しているのだろう、古びたお賽銭が幾つか置かれていた。

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 私が訪れた時は判読できなかったのだが、研究者の加藤和徳氏の報告によれば像の左側に「天明四 甲年」と彫り込まれているとのこと。天明四年・甲の年とは1784年を指す。

 前述のように道祖神には様々な種類があり、以前から山形県では自然石、男根に似た石等を用いた道祖神は確認されてきた。
 男女2体の双体道祖神は、山形県内においてはこの鮨洗および近隣の山辺町作谷沢の各1体、計2体が確認されているのみである。

 ウェブサイトで検索すると「道祖神の北限」として福島県が挙げられているが、実際には秋田や宮城でも確認されているようだ。
 私個人の意見では、道祖神の「北限」にさほど意味があるとは思えない。

 長野・山梨に集中的に存在する双体道祖神。
 なにゆえ遠く離れた山形にも存在するのか?
 一つのヒントとして、山形の民俗学研究ではよく知られている、江戸時代に出羽・山形に出稼ぎに来た信州の石工の存在が挙げられるだろう。遙か昔、信州から山形にやってきた石工達は寺院の石碑や石仏に腕をふるった。
 石工という腕一本で食っていく男たちが行くところ、道祖神が造られる可能性があるだろう。
 それゆえ、「道祖神の北限」という表現に、私はあまり意味を感じないのである。

 ただ残念ながら、山形で「信州の石工が道祖神を作った」という明確な証拠は何一つ残っていない。
 造られて200年以上経た現在に至るまで、路傍からどんな歴史を見つめ続けてきたのだろうか。

参考文献:『山形民俗』第17号 平成15年 山形県民俗研究協議会

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ピオレドール2015 生涯功労賞にクリス・ボニントン

ピオレドール2015、生涯功労賞に、ついにあの爺もとい、サー・クリスチャン・ボニントン(1934年イギリス出身)が選ばれた模様です。

Bon

 当ブログをご覧のクライマーの方には今さら解説は要しませんが、クライミング史をふりかえれば、「え?ボニントンまだ受賞してないんだっけ?」という人選でしたね。

Bo1977_2
1977年、あの伝説のバインターブラック遠征時、現役バリバリのボニントン。

 1961年、あのボナッティらが凄惨なクライミングを展開したフレネイ中央岩稜を初登、アイガー北壁イギリス人初登等を果たし、1970年代からはヒマラヤに活躍の場を求め、ヒマラヤ登山史に大きな足跡を残しています。
 
 登山家ボニントンの優れた点の一つとして、遠征隊を企画・マネジメントするその手腕といえます。
 資金調達をはじめ、講演のため遠征登山の写真や文章の版権のマネジメントに至るまで、クライマーであると同時に「ビジネスマン」としても優れた手腕を発揮しています。
 そのため、ヒマラヤ登山から身を引いてからは各種ビジネススクール講師から大学の学長まで務めています。

Beer
 2006年、学長を務めたランカスター大学でのワンショット。 新設された学生向けパブで、役得で早速ビールをたしなむボニントン。いい顔してますな。

 1967年、イギリス北部の海辺の岩塔「oldman of hoy」(ホイの老人)をクライミング、その様子をイギリス全土にテレビ生中継させるなど、なかなかのやり手クライマーでした。

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 2014年、80歳を迎えてもなお現役、47年ぶりにホイの老人(背後の岩塔)を登攀したボニントン。

 今年も文句ない人選ではありますが。
 2009年のワルテル・ボナッティ受賞以来続く本家ピオレドールの生涯功労賞。
 繰り返しますが、ボニントン氏の受賞には納得以外の何物でも無いのですが、いまだ東欧の登山界から受賞者が選ばれていないのは選考に偏りがあると言わざるを得ません。

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安 全 第 一

んー。

これやってみたいんですが。

でもこれ、見つかったら、元請けゼネコンの怖い所長に一発で出入り禁止 or 労基署のおじさんに雷落とされそうな・・・

『建設機械のボルダリング&クライミング』でーす。

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2015年1月日記 週末編

1月第4週。
現場作業精鋭部隊に配属され、土曜日も仕事で潰れるかと思いきや・・・
金曜日の内に2現場を消化、急遽土曜日が休みとなる。

月末に学校のスキー教室を控えた息子、もうスキー教室終わったけど滑り足りない娘、そしてカミさんを連れ、山形のローカルなスキー場『天童高原スキー場』へ。

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 ここ天童高原スキー場は亡き実父の実家に近く、私が小学生・中学生の頃、父にたまに連れて行ってもらったスキー場だ。
 蔵王スキー場、特に私が通う「上ノ台ゲレンデ」は駐車場からのアクセスが不便。
 スキーのスケーティングがまだできない息子に練習させるため、傾斜の緩く、駐車場の目の前がゲレンデである天童高原スキー場を選択してみたのだ。

 スキー場の経営状況の話題は、どっかの性格極悪そうな雪氷学会員のツイッターにお任せするとして、天童高原スキー場はローカルなスキー場ながら、ペアリフトは2基備え、休憩所、レストランも小規模ながらしっかり運営しておりなかなかのものだ。近くの自衛隊第六師団の練習場であることも、恵まれていることなのだろうか。

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 スマホで撮影したので画面ちょっと暗いが、当日は晴れ間にも恵まれ、スキー場脇を占めるキッズランドは多くの子供達、親子連れがソリ滑りで賑わっていた。また小さいながらもレストランの中にはキッズコーナーが設けられている。
 申し訳程度の託児所が作られては消えた蔵○スキー場と違い、親子連れがゆったり遊べるスペースがある。

 ゲレンデは初心者向けは非常になだらかで、所々スケーティングで進まなければならないところもあるが、その分初心者講習には使いやすいのだろう。天童の小学校のスキー教室で多くの子供達が講師に引率されて滑っている。
 ローカルなスキー場には、大規模なスキー場とは違った良さがあるのだなと思わされる。
 
 だいぶスキーに慣れ、今年は蔵王・地蔵岳山頂から滑り降りた娘はゲレンデも、レストランも、蔵王がいいと言う。
 今年は月山の夏スキーに連れて行けるかな。

 日曜日。
 午前中に所用を終え、13時から16時まで、みっちり山形市内でロシア語のレッスンを受講。

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 某公的機関主催でロシア語講座が開催されることになり、受講を決めた。
 2月の休日は貴重なスキー山行の機会なのだが、毎年どうせ年度末の現場作業・出張で潰れがち。
 講師は以前から受講したかった仙台ルースカヤ・シュコラの宮原ラーダ先生だし、今この機会を逃す手は無い。

 ロシア語は思うところあって独習用テキストと辞書は買いそろえていたが、チンタラ自分で黙読するよりも、

 先生「はい、では大滝さん、次の単語を読んで下さい」
 私「はい、え・・・Имя い、イーミャ??」

 と、先生や他の受講生に囲まれて実際にキリル文字に頭悩ませながら言葉を口にする学習では、やはり雲泥の差があった。

 以前ブログに書いたロシアのクライマー、ダリア・ヤーシナの記事でロシア人の名前の男性形・女性形に関してコメントを頂戴し、やはりロシア語の基礎は身につけておきたい・・・と思ったこと。

 ある共産圏クライマーの話題を求めて、某西ヨーロッパのクライミングサイトの情報ソースをクリックしたら・・・現れたのが私のブログだったりする。
 おいおいお前らメディアのプロがアジアの島国の土木作業員のブログを記事のソースにすんのかよ!と思う一方、もっとロシア語が読み書きできれば欧米のクライミングサイトに劣らぬ速度で情報収集できる、と思ったこと。
 
 まあ動機はいろいろです。
 しかしキリル文字、なまじ知っているようなRやNをひっくり返したような文字で、まだ反射的に発音できるほど慣れてない。オリエント急行殺人事件のポワロみたいにはなれませんな。(あ、ネタバレ書いちゃった)

 本日の講習終了後、宮原先生のところに行き、当ブログで時々登場するロシア人クライマーの名前について読み方を教えてもらう。
 ROCK&SNOW誌クロニクルや山渓の池田老人執筆クロニクルに出てくるロシア人クライマーの名前の表記に結構ばらつきがあり、当ブログの表記とも異なっていることから確認しておきたかったのだ。

 久しぶりに中身の無い頭をフル回転させたもんで、山行なみに疲れて帰宅する日曜の夕方でした。

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『鳥海山の空の上から』

Cho 三輪裕子 著・佐藤真紀子 絵 『鳥海山の空の上から』を読了。
以前に当ブログにも書いたように、私は児童文学というやつが 大 っ 嫌 い なのだが、この本はなんとなくタイトルと表紙に描かれた水彩画の鳥海山に惹かれて手に取った。

 ストーリーは、東京に住む小学5年生の小松翔太が、ひょんなことから鳥海山山麓・秋田県矢島町に住む親戚・波江おばさんの家に滞在しなければならなくなる。
 初めての一人旅。
 なにより、なんだか怖そうな波江おばさん。
 正体不明の親戚の少女ユリア。
 
 児童文学とは思えない、大人が読んでも十分楽しめる本である。
 不安に包まれたまま矢島町を訪れ、滞在する翔太の前に、次々と色んな血筋の人々が現れる。
 地方都市ならではの、ややこしい人間関係がよく表現されている。冠婚葬祭の時はホント頭悩まされるんだよ、地方都市の親類縁者の人間関係は・・・

 本書の前半に強く印象に残るのは、波江おばさんの家を訪れた翔太が目にする、幾枚もの遺影が飾られている仏間の光景だ。
 波江おばさんの家に滞在することになる翔太が初めて泊まった翌朝、波江と共に仏壇に飯と水を捧げ、線香をあげる場面がある。ここで波江からご先祖様の話を聞かされる。
 そんな細かい描写に、地方都市のごく普通の光景がよく描かれている。

 某ご神体の滝をクライマーが登った騒動の折、幾人かの著名なクライマーがウェブで 「普段は信仰心など無いくせに」 「仏教神道など関心も無いくせに」という意味の発言をしていたが、所詮はクルクルパーな連中なのだろう。
 仏壇職人の家に生まれ育ち、仏教系の幼稚園で育ち、今現在も神棚や仏壇に御飯や水を捧げるのが日常の私には、仏間と仏壇というのは地方都市の日常において欠かせない風景だ。 

 なにより、ストーリーの背景であり軸でもある鳥海山が大きな存在感を誇る。
 ふとしたことから、翔太、ユリア、波江の3人は鳥海山山腹にある鳥ノ海を目指して鉾立から登り始める。

 そこで重要な役割を果たすのが、ニッコウキスゲである。
 鳥ノ海を見渡せる場所で昼食をとりながら、波江は語る。

 『ニッコウキスゲの花言葉はね、日々あらたに。心安らぐ人。今あたしは花いっぱいの、こんな天国みたいなところにいて、ほんとうに心安らいでいるわ。これもみんな、あんたたちのおかげだね。ありがとう。』
 そして波江はニッコウキスゲの特徴である「一日花」のことを翔太とユリアに教えてくれる。

 まったくの偶然なのだが、昨夏の少年自然の家長期キャンプで月山登山を断念した際、子供達に話したのが、ニッコウキスゲの「一日花」の特徴、そして登山断念から気持ちを切り替えてもらいたいという一心で伝えたのが、花言葉「日々あらたに」だったのだ。

 鳥海山と共にニッコウキスゲも、ストーリーに関わるキーワードになっている。(これ以上はネタバレになるので書きません。)
 ご自身も山屋・テレマーカーである著者・三輪裕子さんにとってニッコウキスゲは特にお気に入りの花であり、本のカバーを外すと、中の表紙はニッコウキスゲで彩られているという凝った装丁になっている。

 大事件もなく、異性が現れるいうのに色恋沙汰もなく、小学5年生の翔太の一夏が淡々と描かれているのが、かえって余韻の残るストーリーとなっている。

 この夏、鳥海山を目指そうとしている方にお勧めしたい「児童文学」の一冊。

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2015年 1月日記 

1月×日
 正月休み明け早々の出張を終え、帰宅。
 
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 季節感は食卓からやってくる。
 今日は七草粥の日、納豆汁。
 私の実家の納豆汁は納豆を煮込むため、映画『スターウォーズ・帝国の逆襲』に出てくるヨーダが煮込んでいる鍋料理みたいにドロドロで見るだけで食欲失せる。
 カミさんが作る納豆汁はあっさり系なので美味しく喰える。
 この納豆汁を食う度、嗚呼冬真っ盛り、と思う。

1月×日
 昨年末の茨城出張で購入した干芋を食べ尽くした。
 山形市内のスーパーで干芋を買い求める。

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 日本国民の一般家庭にも、中華人民共和国の侵略の魔の手が伸びる。

1月×日
 職場の親方が工事機材の修理のため、急遽山梨に大型トラックで出張。
 大の甘党が勢揃いしているウチの職場の若手メンバー、これ幸いとばかりに、

Sin
『信玄餅のプレミアムってすんごい美味いらしいんですよ!』
とさりげなく、桔梗屋のウェブサイトを検索しちゃったりして親方におねだりする。

そして翌日、

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「なんかテレビ番組でも紹介されたとか書いてあったからよ~買ってきたぞ!」
親方が満を持して買ってきたのは、皆が期待していた信玄餅プレミアム で は な く 、同じ桔梗屋の「信玄桃」

微妙な空気の中で(笑)、美味しくいただきました。

1月×日
日曜。
昨年の反省から、今シーズン速攻で予約を入れていたJA寒河江のいちご狩りに子供達を連れて行く。

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 シーズンのせいでしょうか、オフシーズンの時とは違いイチゴ園ストロベリーファームの従業員も複数人で対応している。
 私たちを案内してくれたおばちゃん、もぎとり方から美味しいイチゴの特徴・食べ方まで色々お話してくれる。
 4人かたまってイチゴを取っている私たち家族に、
 「ほら、普段は家でいっしょなんだから、もっと離れてイチゴ取ってっていいんだよ!」
 いやいや、普段父親たる自分が出張でいないんですけど・・・
 それはさておき、オフシーズンとは違いイチゴ園のおばちゃんの接客も楽しく「面倒みてくれる」感じがgoodでした。

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 今年も美味しいイチゴを堪能。
 結構カップルで来ている若い衆も多いようです。30分のデートコースにどーぞ。

参考サイト ヤマガタウェイ ウェブサイト 寒河江市観光いちご園 ストロベリーファーム
※いちご狩り予約の連絡先は、道の駅寒河江・さくらんぼ会館 TEL 0237-86-1811 になります。

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【訃報】 ジャン・アファナシェフ氏 二つの祖国と煙草を愛した男

 フランスの登山家・カメラマンであるジャン・アファナシェフ氏が1月10日、癌のため亡くなりました。61歳という若さでした。

Ja

Jean Afanassieff, premier Français sur l’Everest, s’est éteint by Le dauphine 2015.1.10
(↑上記ニュースサイトは勝手にニュース動画が流れるので音声注意)

 1970年代、グランドジョラス北壁やドロワット北壁はじめヨーロッパアルプスで先鋭的なクライミングを展開。
 1978年にはピエール・マゾー率いるフランスのエベレスト登山隊に参加、マゾーらと共に「フランス人初」のエベレスト登頂を果たし一躍有名になります。

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 エベレスト登頂を果たし下山直後のジャン・アファナシェフ(中央)、ピエール・マゾー(左)、故ニコラ・ジャジェール(右・1980年ローツェ南壁単独登攀中に行方不明)

 前述で 「フランス人初」 とカッコ書きにしました。
 訃報を伝えるフランスメディアや過去のクライミングサイト、ウェブ上では「フランス人初の登頂」とされていますが、ジャン・アファナシェフの両親は父はロシア・サンクトペテルブルグ出身、母は現ウクライナのオデッサ出身。
 幼少の頃に両親がフランスに移住、祖父母、両親皆が家庭の中でロシア語を交わす中で生まれ育ちました。
 東欧某国のクライミングサイトがフランスとロシアの出自に関してインタビューし、彼はこう答えています。

「私はフランスという美しい国を愛しています。そしてロシアという国も理解しようと、ロシア各地を訪れました。東西南北、極東までね。」

 ジャン・アファナシェフはクライマーとして幾つかの8000m峰に足跡を残す一方、ドキュメンタリーカメラマンとしての道を選びます。
 彼の映像カメラマンとしての作品リストを確認すると、シベリアのアムール虎の生態からガスプロム(ロシアの天然ガス企業)まで、幅広いテーマでロシアの自然、社会を撮り続けていたことがわかります。
 そして2002年、ロシア軍の原潜クルスク号の沈没事故をとりあげたドキュメンタリー『Le destin du Koursk』 (クルスク号の運命) で国際的な賞を受賞します。
 軍の原潜事故という国家機密に触れるテーマで、プーチン政権が発足した初めの頃だから可能だった、今ではもう撮影は困難だろう、とコメントしています。
 カメラマンとして、もう一つの祖国ロシアを見つめ続けていたのです。

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2006年、ピエール・マゾー(右)とともにスキーを楽しむジャン・アファナシェフ

 二つの祖国を愛したクライマーは、もう一つ、煙草もこよなく愛していました。
 エベレスト登頂後の言葉、まず「煙草に火をつけたい」が語りぐさになっています。


 エベレスト8300m地点からスキー滑降をも果たし、ベースに下山後、動画の最後で煙草をくゆらすジャン・アファナシェフの姿がしっかり映っています。

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 クライミングを通じてフランスという祖国を愛し、カメラマンという仕事を通じてもう一つの祖国ロシアを愛した男の安らかならんことを。

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韓国・平昌冬季五輪の落とす影

 今は昔、1998年に長野で開催された冬季オリンピック。
 もはや多くの方が忘却の彼方でしょうが、この1998年冬季五輪開催場所に私の住む山形が立候補していました。

 で、1988年に行われた開催場所を決定するJOC委員会の投票で長野は34票獲得して開催決定。
 この時の投票結果、山形は堂々の 0 票

 後年、山形の地元メディアがこの経緯を分析、JOCを牛耳る堤グループの用意周到な根回し工作に田舎者の山形勢はかなわなかったことを明らかにしていました。
 それ以前に、私は山形に決まらず安堵していました。
 なぜなら、主会場になるであろう蔵王連峰が、これ以上開発の手にさらされずにすむからです。

 長野五輪から20年後の2018年に韓国で予定されている、平昌(ピョンチャン)冬季五輪。
 韓国でもスキー競技会場建設を巡り、環境破壊が社会的問題として大きくとりあげられ、月刊山岳誌でもとりあげられる事態となっています。

 長野五輪当時も、まだ気骨ある頃の『山と渓谷』誌が詳細に自然破壊の動向を報じる記事を掲載していましたが、やはり歴史は繰り返されるのでしょうか。
 まずは月刊『人と山』の記事を引用します。

【ISSUE】ガリワンサン関連国会討論会 by 月刊『人と山』2015年1月号

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【ISSUE】ガリワンサン関連国会討論会

 破壊後は復元も困難なガリワンサン、「環境破壊オリンピック」なぜ誘致したのか

 ガリワンサンは500年の歴史の高山性希少生物の自生地として朝鮮時代から保護区域に指定されており、現在も第9等級・環境省指定緑地に該当する原生林である。
 この貴重な山が2018年の平昌五輪における3日間のスキー競技で破壊される危険にさらされている。
 環境破壊だけでなく、財政赤字も無視できない問題だ。
 スキー競技場の建設費用だけで少なくとも1千100億ウォン以上、復元費用は最低1億ウォン以上投与される予定である。
 泣き面に蜂で江原道議会経済建設委員会は、6時間の開閉会式のために、人口4,000人の平昌郡・横渓里に1千300億ウォンをかけての開閉会場を建てるというのに・・・。

文・写真/チャン・ボヨン記者

 去る12月1日午後3時から6時にかけて、汝矣島国会図書館小会議室で『環境破壊、赤字懸念、平昌オリンピックこのままいいのか』をテーマに、国会討論会が開かれた。

 シム・サンジョン議員室、オイリョンフォーラム、緑色連合、文化連帯が主催した今回の討論会には、イ・ビョンチョンさん(山自然の友人オイリョンフォーラム共同代表)、ジョン・フイジュンさん(東亜大体育学部教授)、ユン・サンフンさん(緑色連合協同事務局長)、キム・サンチョルさん(国家財政研究所研究員)、チェ・ジュンヨンさん(文化連帯事務局長)、ナム・ジュンギさん(明日新聞政策チーム記者)が総合討論に参加し、活発な議論を行った。
討論の後は、参加者の質疑応答が20分ほど進行された。

ガリワンサン破壊の現状と復元の限界

 会場でガリワンサン関連映像を視聴した後、イ・ビョンチョン オイリョンフォーラム共同代表の祝辞の後、ガリワンサン破壊の現状と代案摸索に関するイ・ビョンチョン代表の問題提起が続いた。
 まず、イ氏はデータを示し、国際オリンピック委員会(IOC)、組織委員会、江原道、文化体育観光部、環境部、山林庁、国会などによってガリワンサンが破壊されるに至るまで、直接・間接的に関連がある様々な部署の過失と職務放棄に対して冷静に問い質した。

 その中の3点を選び出してみる。 
 IOCは、彼らが提示した環境オリンピックの概念(環境オリンピックとして自然環境と文化社会的環境を破壊することなく、オリンピック大会を計画・建設し、開催した大会が終わった後の環境において肯定的遺産を残すこと)を破り、国家に過度の施設を要求し環境破壊を誘発している。組織委員会も変わらない。
 スキー競技場の代替地として、ガリワンサン以外の龍坪、H1、茂朱、北朝鮮の馬息嶺スキー場など、さまざまな地域をIOCとよく検討しなければならなかったが、それを行わなかった。

 これに関してイ氏は、1998年長野オリンピックの事例を引用した。

「IOCが国立公園内に新しい競技場の建設を主張したが、交渉を通じて既存スキー場である八方尾根スキー場で行うことを貫徹した。また八方尾根スキー場のスタートラインが1,680mであったが、 IOCが競技の質を高めようと 230m 高い1,850mを主張した。組織委は希少な高山植物自生地が破壊されることを理由に拒否、 交渉を通じて 85m 高い1,765mにスタートラインを作った。またスロープ内の希少な植物保護地域はジャンプ台を作って破壊を防いだ」

 非難の矢は、江原道にも向けられた。ガリワンサンの生態系に関する重要性について検討もせずに冬季オリンピックスキー競技場に指定しただけでなく、使用後の復元を国民に約束したにもかかわらず、現在までに復元のための具体的な計画がないという指摘である。
 本当に復元を念頭におくならば、伐採前の地形、土壌類型、植生の生態的指標種、核心種、貴重種、貴重植物および老巨木に関する資料収集をしなければならないにもかかわらず、急いで伐採を許可した。
 また、スキー場建設のために切り捨てた木が40,000本であるのに対し、生態系復元計画によって移植する木はわずか250本に過ぎない。

 批判に続いてイ氏はガリワンサン復元のための具体的な提案をおこなった。
 まず、単純な作業ではなく、土壌生態系の復元をしなければならないという主張である。ガリワンサン地域のように全地域が土と岩石が互いに堆積し植物の根を支えていく地域が破壊されると、他の地域にも影響を与えるのは確実である。
 第二に、ガリワンサンに自生するすべての植物種の種子、発芽、苗、移植などの種別復元処理はもちろん、種と種の間をもフォローする「コンビネーションプロセス」を出さなければならないという主張である。

 しかし、現在のいかなる部署も生態系復元のための十分な立場と具体的な実践項目を出せない状況である。
復元のためのいくつかの提案をしたが、最終的には「破壊される以前以上の完全な復元は当初から不可能である」というのが結論である。

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大規模な国際競技イベントの経済性分析

 大規模な国際競技イベント誘致論者が最も主張する点が、まさに「経済効果」だ。
 国民が競技イベント誘致に熱狂する理由もまさにその点にあり、開会式が織り成す壮大な光景の中に、自分たちの街が「ブランド都市」に格上げした満足感を得る。
 これに対してジョン・フイジュン氏はオリンピック、アジア大会、ワールドカップ、世界陸上大会、F1のような、いわゆる「メガイベント」が経済効果に貢献する点について、一種の「虚像」と皮肉り、観光収入、雇用創出、内需活性化、地域経済の活性化の観点から、その根拠を質して批判した。

 まず観光収入に関して、地域観光業界に持続可能な成長を保証しないという結論である。
 イベント開催当時は、外国人観光客(実は大会関係者)の数が増えるように見えるが、すぐ翌年には例外なく平年レベルに戻ったという点が、ソウル、釜山、大邱、麗水で開催された国際競技イベントの事例で証明された。
 メガイベントが告示されれば、その地域の物価は上昇し人も混むに決まっている。そのため観光客はそのような地域を避ける。実際に、2004年のアテネの観光業者は、観光客が減ったために政府に抗議し、2008年の北京、2012年ロンドンのすべての地域の観光業者の収入には大差がなかったという統計が明らかにされた。

 第二に、雇用創出に関して、メガイベント開催の準備に入ると地域の各所で行われる工事が中断され、競技場などの大会施設を建設するための土木工事に集中するため、雇用の総量は増加しないという結論である。
 韓国の場合、オリンピック、ワールドカップ、アジア大会が開かれたとき、利益を得る業種は、チキン配達店、ビール店、競技場近くの飲食店、限定的ではあるが新型テレビに買い換えることから家電業、その程度だ。
 それ以外は何の関係も存在しないか、むしろ打撃を受けるだけである。特にメガイベントに国民の関心が傾く場合、映画、公演、展示会場などは最初から収入を諦めている。

 第四に、地域経済の活性化に関して、アクティブなどころか、かえって問題が生じるとの結論である。
  2002年ワールドカップ当時、全国に10カ所のサッカー競技場を設けたが、これら競技場は、自治体に年20〜40億ウォンの財政負担を強いて、これは市民にとって多大な税金負担となっている。
 江原道が冬季オリンピック誘致のために1兆6千836億ウォンを投入した「アルペンシアリゾート」は、現在の赤字運営に加えて借金が1兆ウォン、毎日1億ウォンの利子が発生している。

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平昌オリンピック合理的な予算編成のための提案

 最後に、「平昌五輪の改善策と合理的な予算編成のための提案」をテーマにユン・サンフンさんの問題提起が続いた。
 ユン氏は最近の仁川アジア競技大会を例に挙げて、新規のスポーツ施設の建設を最小限に抑える必要があり、建設するとしても規模を最小限に抑える必要があると述べた。
 仁川アジア競技大会の閉幕式が行われた競技場の場合、文化体育観光部が既存施設である文鶴競技場の改修を勧めたが、これを無視して新築し、4千673億ウォンの施設費が追加され、このような無理な投資費用が、最終的に公共料金引き上げ計画発表につながった。

 江原道は、分譲率25.8%のアルペンシアリゾートを建設して、毎日1億3千万ウォンの利子を支払っている。
 にもかかわらず、アルペンシアリゾート内にスキージャンプ、ノルディックセンター、バイアスロン、新規スライディングセンターなど4つの競技場と仲峰(チュンボン)のスキーリゾートを運営しなければならない状況である。
 さらに1千100億ウォンをかけてガリワンサンで3日間のスキー競技を行った後、少なくとも1千億ウォンの予算をかけて施設撤去と復元をすると発表した。
 しかし、冬季オリンピックの競技施設は、一般人が試合を楽しむとはいい難い種目、不人気種目が多く、競技施設の事後活用案を見つけるのは困難である。過度の施設新設は、江原道の財政負担につながることが明らかである。

 代案はある。
 もし国際スキー連盟(FIS)の規定によるツーラン「2Run」規定 (開催地の地形条件上、標高差800mを満たしていない場合は、標高差350〜450mで2度にわたり競技を行う) を導入すれば、局面は全く異なってくる。
 あえて今のようにガリワンサンを破壊することもなく、1千億ウォンの予算浪費も防ぐことができる。何よりも国際競技イベントによる環境破壊国という汚名から脱して、新しい選択肢を示すことができる。

 ツーラン「2RUN」規定の適用のためにはIOCとの交渉力を最大限に発揮する必要がある。 開催が確定している状況にあるだけに、IOC委員の関心を買うために準備した華麗な計画を撤回して、競技場の規模や位置、開会・閉会式のための施設などはすべて現実に合わせて調整する必要がある。

 オリンピックは政治家と資本家に幻想の機会を提供する。一方、開催地の地域住民には、わずかな誇り、楽しさが残るかは不明だが、将来に環境面、経済面の負担を払わなければならない。先行する議論を収束すると、メガイベント誘致による開催地の経済発展は無いか、あったとしても非常に限定的ということが今回の国会討論会の結論である。
 実際に外国では、メガイベント誘致に関しては市民社会の反対が常である。 韓国では、このような認識には未だ遙かに遠いのが実情である。

 本質的に見ると、メガイベントに対する国民的執着は、国土の不均衡な発展がもたらした相対的な剥奪感と疎外感から始まったことがないだろうか?
 地域間格差が減るならば、非常識で非論理的な誘致ブームは消え去るべきであろう。

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以上引用おわり

 このガリワンサン自然破壊問題について韓国メディアを検索していくと、韓国の自然保護運動関係者が実によく日本の札幌冬季五輪による自然破壊、そして1998年の長野冬季五輪におけるスキー競技場を巡る自然破壊、それに伴うスタート地点を巡るIOCとの交渉経緯をよく研究されていることがわかります。

 しかしながら、現況のガリワンサン伐採現場の報道をみるにつけ、平昌五輪スキー会場の計画段階において残念ながら長野五輪の教訓は生かされていないようです。
 古い朝鮮王朝時代から500年以上保護されてきた森と山があっさりと伐採された様子は、こちらのウェブサイトで告発されています。

参考サイト They went and did it! 500-year-old primeval forest at Mount Gariwang unlawfully destroyed for 2018 Pyeongchang Winter Olympics by Gamesmonitor オリンピック神話を暴く ウェブサイト

 また、月刊『人と山』記事で代案としてあげられている「2RUN」競技制に関しては、既に2014年10月の時点でFIS国際スキー連盟会長がチョ・ヤンホ平昌五輪開催委・委員長に対して拒否回答を伝えていることから、実現は困難な状況です。

 既に進められているガリワンサン伐採、実現困難な2RUN制。
 平昌冬季五輪は各国メディアが華々しく報道するアスリート達の姿の陰で、大きな代償を求めることになるでしょう。

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2015年を迎えて

Hituji_2
2015年。
山や自然を愛する皆様にとって、今年も安全で、良い年でありますように。

 昨年は多くの方々にアクセスいただき、たまたま検索で訪れた方、定期的にご覧になっている方、ありがとうございました。
 毎年、年頭に書いてますが、当ブログは遠方にお住まいの山岳部OBに酒席でお話するような感覚でテキトーに書いております。
 今年もマイペースで書いてまいります。

 さて昨年はご縁があり、日本各地の山岳ガイドの方々とお会いする機会がありました。
 そんな方々とお話して思うのは、

 「中高年の登山ブームは去った」
 「登山バブルははじけた」

 といわれる、東京をはじめとする大都会とは異なり、私が活動範囲とする東北の地方都市では、まだまだ登山のノウハウについて学びたい様々な年齢層の方々がおられるということ。
 
 ガイドとして何ができるのか。
 また今年も模索していきます。

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