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みちのくの道祖神

昨年、JMGA関連の用事で幾度か長野県に車で訪れる機会があった。

長野県の路傍で目に付くのが、道祖神。
道祖神は様々な種類があるのだが、信州地方で知られているのが、男女2神が併せて彫り込まれた「双体道祖神」である。

 2体仲良く並んだ道祖神といえば、日本では中部地方が特に知られているのだが、近年になって山形県でも確認された。
 私の勤務先から車で20分ほど走った山形市・鮨洗(すしあらい)地区。

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鮨洗簡易郵便局、道路を挟んだ真向かいにその道祖神はあった。

 この道祖神は平成になって道路拡張工事のため、現在の場所に移設されたものである。
 名号塔、十八夜塔とともに3基並び、天保の飢饉・餓死者供養碑として信仰されている。
 像の前の雪を払うと、地元の方が信仰しているのだろう、古びたお賽銭が幾つか置かれていた。

Img_1030m
 私が訪れた時は判読できなかったのだが、研究者の加藤和徳氏の報告によれば像の左側に「天明四 甲年」と彫り込まれているとのこと。天明四年・甲の年とは1784年を指す。

 前述のように道祖神には様々な種類があり、以前から山形県では自然石、男根に似た石等を用いた道祖神は確認されてきた。
 男女2体の双体道祖神は、山形県内においてはこの鮨洗および近隣の山辺町作谷沢の各1体、計2体が確認されているのみである。

 ウェブサイトで検索すると「道祖神の北限」として福島県が挙げられているが、実際には秋田や宮城でも確認されているようだ。
 私個人の意見では、道祖神の「北限」にさほど意味があるとは思えない。

 長野・山梨に集中的に存在する双体道祖神。
 なにゆえ遠く離れた山形にも存在するのか?
 一つのヒントとして、山形の民俗学研究ではよく知られている、江戸時代に出羽・山形に出稼ぎに来た信州の石工の存在が挙げられるだろう。遙か昔、信州から山形にやってきた石工達は寺院の石碑や石仏に腕をふるった。
 石工という腕一本で食っていく男たちが行くところ、道祖神が造られる可能性があるだろう。
 それゆえ、「道祖神の北限」という表現に、私はあまり意味を感じないのである。

 ただ残念ながら、山形で「信州の石工が道祖神を作った」という明確な証拠は何一つ残っていない。
 造られて200年以上経た現在に至るまで、路傍からどんな歴史を見つめ続けてきたのだろうか。

参考文献:『山形民俗』第17号 平成15年 山形県民俗研究協議会

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民俗・風土」カテゴリの記事

コメント

 天明2~7年の大飢饉で東北地方では百万人の餓死者を出していますね。続く天保の大飢饉は7年間続き、村々壊滅し死者の数は不明とありました。石塔や道祖神は、かつて村のあったところに置かれた供養塔なのかも知れません。大飢饉の前には噴火が記録されています。御嶽や阿蘇、桜島など、予兆でなければよいのですが。

投稿: かもめ | 2015.01.29 10:32

re:かもめ様

<<天明2~7年の大飢饉で

 歴史書を紐解くと天明の大飢饉では、米沢の名君・上杉鷹山のところでは倹約重ねて準備していたため被害は少なかったと言われてますが、それ以外のところ、奥羽山脈の峠道ではお隣の某藩から食べ物を求めて行き倒れた遺体が転がっていた、なんて記録もあります。ひどかったんでしょうね。

<<大飢饉の前には噴火が記録されています。
 噴火が天候に影響→凶作の原因になったといわれてますね。一方で数々の噴火や飢饉を乗り越えてきた歴史もありますので、火山と共存する人々の姿にも興味があります。

<<御嶽や阿蘇、桜島など、予兆でなければよいのですが。
 御嶽の報道の陰にすっかり隠れてしまいましたが、一昨年あたりから硫黄臭が強くなったといわれている吾妻が気になってます。
 相手は人間の一生よりも遙かに長い数千年単位の地質年代ってやつで活動してますので、いたずらに騒がず・されど油断せず接するべきかなと思ってます。

投稿: 聖母峰 | 2015.01.29 23:02

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