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黒砂糖をめぐる人々

鹿児島、薩摩といえば、お菓子フリークな私としては「黒砂糖の土地」。

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鹿児島に赴任して最初に手を出したのは、「げたんは」。
「げたんは」とはその形状から「下駄の歯」が語源である。
小麦粉・卵で練った生地を焼いて黒砂糖の蜜にひたした素朴な菓子。
昭和12年開業の老舗「南海堂」のげたんは、気取ることも無く鹿児島のコンビニ「エブリワン」で売っている。

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ふくれ菓子。
小麦粉と黒糖を練った生地を蒸したもの。
鹿児島のスーパーで売っているが、もともとは手作りする家庭が多い。
おばちゃん達のお茶請け、という位置づけの菓子だ。
味付け・風味は当然その家庭ごとに異なる。

公立図書館で郷土料理の資料を読みあさると、たいてい「ふくれ菓子」が採り上げられているが、作り方も母から娘へ、特に教えるということはなく「見て覚えろ」 「母の作り方を自然に覚えた」という家庭が多い。
典型的日本人社会をみる思いがする。

鹿児島のスーパーでも黒砂糖はコーナー一面を占める。

さて、以前から記憶に残る、山形での黒砂糖のエピソードを紹介しよう。

薩摩の兵士が攻め込んできた戊辰戦争。
激戦とされる「越後戦」での出来事だ。

山形県・川西町に玉庭という集落がある。
戊辰戦争当時、玉庭の人々が「玉庭武士団」を結成、戊辰戦争に従軍した。
その中に14歳の兵士がいた。

越後戦の最中、戦傷者をいれた籠の中から、少年を呼ぶ声がするので近寄ったところ、全身血にまみれた兵士が 「お前にやる」 と何かを手渡した。

「何だ」と聞き返すと、兵士は少年の目をみて

「黒砂糖」

と言い残して死んだ。
死の間際に、少年兵に黒砂糖を渡した男。
彼にとって、黒砂糖はどんな価値をもつものだったのだろう。

少年の名前は小池熊吉、玉庭村(当時)初代村長となった人である。

日本の砂糖生産史を調べると、明治維新から戊辰戦争の頃はまさに日本各地で砂糖の増産が始まりかけた時代。
私個人の推測であるが、当時の情勢、東北の貧しい社会から、男が死の間際に渡した黒砂糖は敵方の薩摩産のものではないかと考えているが、真実を知る術は無いだろう。

 血で血を洗う戦場で、黒砂糖を手にする人々。
 そんな人々によって築かれた日本の現代、私たちは豊富な黒砂糖を、何不自由なく味わうことができる。


参考文献
 読売新聞社山形支局編著『山形の峠』 昭和53年
 鬼頭 宏執筆論文『日本における甘味社会の成立 : 前近代の砂糖供給』 上智經濟論集2008年3月号

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