« 【映画】Wild 邦題『わたしに会うまでの1600キロ』 | トップページ | バーチャル・ライフ »

Bernadette McDonald著 『 ALPINE WARRIORS 』

Hyo 壮大な、叙事詩である。
 Bernadette McDonald著 『 ALPINE WARRIORS 』 を読了。
 同書は、第二次世界大戦後からユーゴ内戦を経て現在に至るまで、ヒマラヤ登山を中心に据えたユーゴスラビア(新生スロベニア)の登山史をまとめた本である。

 過去に幾つもの高所クライマーの本をまとめているBernadette McDonald女史は、トマジ・フマルの伝記『TOMAZ HUMAL』を執筆するに伴い、西ヨーロッパ・アメリカでも知られざる優秀なクライマーを産みだした旧ユーゴスラビアに関心を持ち、それが本書執筆のきっかけとなったと後記に記している。

 ユーゴスラビアは当時のソ連とも一線を画す独自の社会主義路線を歩む国家であり、国内に険しいユリアン・アルプスを擁し、そこからヒマラヤを目指す多数の優秀なクライマーを輩出した。
 ユーゴ初のヒマラヤ登山として企画されたのは、日本が初登頂を狙っていたのと同年1956年のマナスル。しかしマナスル計画は政府からの援助がカットされ挫折、1960年、インドのナンダデビの許可を取得、しかし手続き上の問題で登山隊はトリスル7120mをめざし、登頂に成功する。
 そしてユーゴスラビアのヒマラヤ登山「黄金世代」が始まる。 

P1_2
帰国したトリスル登山隊を迎える、熱狂のリュブリャーナ市民

 同書の特徴として、ユーゴスラビアが産んだ名クライマー、ナイツ・ザプロトニク(Nejc Zaplotnik 1952~1983)とその著書『POT』の文章が本書全般にちりばめられている。

 ナイツ・ザプロトニク。
 日本ではあまりなじみのないクライマーであろう。(私は幸いにもある書籍をきっかけに名前だけは知っていた)
 旧ユーゴの登山関係者では知らぬ者はいない、そしてその著書『POT』 (スロベニア語で道、峠を意味する) は著者Bernadette McDonaldが取材した、あらゆるクライマーが所持していた本であった。
 著者は本書を執筆するため、スロベニア語版しか無かった『POT』をわざわざ翻訳者に英訳してもらう手間をかけ、所々にその文章を引用し、クライマー達の心情とその生涯を描いている。

Nejc2
 ナイツ・ザプロトニク(Nejc Zaplotnik 1952~1983)、その著書『POT』
 スロベニアの偉大なクライマー、アンドレイ・シュトレムフェリをして、「私の登山人生は二つに分けられる。ナイツ・ザプロトニクの死ぬ前と死んだ後だ。」と言わしめた。

 1960年代半ばには既にローツェ南壁を目指す構想を持っていた彼らは、次の目標としてマカルー南壁を目指す。

Makalusouthface1975
 1975年、ユーゴ隊が成功したマカルー南壁とそのライン

 1975年、ユーゴ隊はマカルー南壁に成功。
 同年、ガッシャブルム1峰の未踏の南西稜に成功。
 1979年、ロー・ラからのエベレスト西稜完全トレースに成功。

 優秀なクライマーと「1人が頂上に立てば、それは登山隊の成功」という組織力で次々と8000m峰に挑み続けるユーゴ登山隊。
 そこに暗雲漂うのが、誰もが知るトモ・チェセンのローツェ南壁登攀である。

 本書のトモ・チェセンに関する記述の多くは、Nicholas O'Connell著『Beyond Risk』のインタビューと重なっており、ほぼ同じ内容である。
 トモ・チェセンのローツェ南壁『疑惑』に関しては、当ブログをお読みでそれなりに山をやっている方には今更説明を要すまい。

 本書で注目されたいのは、トモ・チェセンに対するマルコ・プレゼリのコメントである。
 プレゼリは一連の疑惑に対して力強く 「I believe him.」 と言い切る。

 「(疑惑に対して)皆、写真写真というが、写真などフォトショップでどうにでもできるだろ。それは彼の問題で私の知ったことでは無い。」
 「それが真実だとは私は言わない。私は信じている、と言うんだ。アルピニズムの根幹を成す「信頼」を信じているんだ。何が真実かは彼が背負うべき問題で、私の問題ではない。」
 
 と、コメントの最後はあいかわらず突き放した言い方のプレゼリ節全開である。
 ローツェ南壁疑惑といえば日本では池田常道氏のフィルターを通した「見解」が漂っているわけだが、アルピニズムの根底を支える「信頼」を打ち出して「believe」と言い切るマルコ・プレゼリの見解も深く印象に残る。

 さて、世界各国の登山界を揺るがしたローツェ南壁「疑惑」を受け、ユーゴ登山協会はじめ、既得権を得ていた、それまでの「黄金時代」を支えていたクライマー達も批判の矢面に立たされる。

 「8000m、8000mってうるせーよ、アルピニズムの課題は他にもたくさんあるだろクソ爺!」
 (↑あくまで当ブログ流表現ですが、新旧世代のクライマー間で激しいやりとりがあったのは事実)

 と、新世代として台頭してきたのが皆様ご存じ、マルコ・プレゼリ。
 マルコ・プレゼリ氏に関しては来日経験もあり、そのお人柄も交流あるアルパインクライマーのセンセイ方には知られているので割愛する。

 ローツェ南壁疑惑で揺れる90年代初めから、ユーゴスラビアは不幸な内戦状態に陥っていく。
 そんな中、クライマー達はある者は兵士として、山岳地で兵士を導くガイドとして、ある者は難民として巻き込まれていく。
 戦乱の中でも、ユーゴのベテランクライマーであるビキ・グロシェリはアンナプルナ南壁登攀を計画。
 難民として避難中の岳友を探しだし、南壁に誘う言葉に考えさせられる。

 「おい、戦争のまっただ中より、アンナプルナの方が安全だろ?」

 民族浄化と称する凄惨な婦女子への暴行、虐殺が横行する日常を生き延び、クライミングに生きがいを見いだした者もいる。

Slavko_2
スラビコ・スベティチッチ(slavko svetičič 1958~1995)

 徹底したソロクライマー、生涯にわたり1200ものルートをフリー、エイド、アイス、冬夏問わず単独登攀を続けたスラビコ・スベティチッチ。 日本ではあまり知られていないソロクライマーは、世界各地で驚異的なソロクライムを成し遂げるが、1995年、ガッシャブルムⅣ峰西壁に単独で取り付き、行方不明となる。後日、韓国隊により壁の中で遺体が発見される。

Tomaz_humar
トマジ・フマル(Tomaž Humar 1969~2009)

 そして、やはり戦乱の中を生き延びてクライミングに身を投じたトマジ・フマル。
 著者Bernadette McDonaldは既に前著で彼をとりあげているだけに、本書後半にてトマジ・フマルが置かれた境遇を詳しく述べている。
 ダウラギリ南壁単独登攀で一躍スーパースターとなった彼だが、登攀の模様を中継したりとメディアに魂を売り渡したと批判され、2005年、ナンガパルバット峰ルパール壁での遭難・救出劇によって「サーカス」とまで嘲笑されることになる。
 失望の中、スポンサーも離れ、離婚して家庭も破綻したトマジ・フマルはアンナプルナ東峰南壁ソロなどの記録を残しながらも、2009年にランタンリルンに単独で取り付き、つきあっていた彼女に「さよなら」を、ベースのコックに「もう終わりだよ」と衛星電話で伝え、生涯を終える。

 Bernadette McDonald著『Freedom Climbers』と同様、本書の最終章は登場したクライマー達、またはその遺族達のその後についても丁寧に取材され記述されている。
 新生スロベニアではマルコ・プレゼリが若きクライマー達を育てる側になり、ハグシュ北壁でピオレドールを受賞、プレゼリもピオレドールのような賞に少し寛容になったと書かれている(笑)

 前著『Freedom Climbers』では、ナチス・ドイツやソ連に国土を蹂躙されたポーランドの岳人達の活躍が描かれていたが、本書では政治的には真逆に国家が分裂、凄惨な内戦を経験した旧ユーゴスラビア、後のスロベニア、クロアチアの岳人達が描かれている。

 かつての日本と同様、「1人が登頂すれば、それは隊全体の成功であり栄誉」と明言するユーゴスラビア初期のヒマラヤニスト達。
 やがて時が進み、「自分が頂きに立ってこその成功」(トマジ・フマル)という世代への変化、8000m峰登頂からより困難な岩壁へ、単独登攀その他クライミングスタイル重視へ、というクライミングの流れ。

 人口2000万人ほどの旧ユーゴスラビア、ヨーロッパの小国がいかにして優秀なクライマーを輩出し、ヒマラヤ登山大国となったのか。
 内戦という政治の混乱に翻弄されながらも、自らの夢、自らが信奉するアルピニズムを信じて行動する男達の、熱い、長い物語が本書にある。
 なお本書は2015年バンフ・マウンテンブックスコンペティション・登山史部門でグランプリ受賞。

参考資料: 柴 宜弘著『ユーゴスラヴィア現代史』岩波新書1996
参考関連サイト:
 TOMAZ HUMAR 当ブログ2011.07.16
 FREEDOM CLIMBERS 当ブログ2012.07.06

マルコ・プレゼリ講演会 「灰とダイヤモンド」 雪山大好きっ娘。2.0 2007年11月7日記事

 ユーゴスラビア隊が手掛けたトリスル峰西壁ユーゴスラビアルートに関して、仙台山岳会が1981年に第2登に成功しており、当時の記録は仙台市在住の登山家・坂野様により公開されております。
 トリスルⅠ峰西壁(7120m)登頂 ウェブサイト東北アルパインスキー日誌

|

« 【映画】Wild 邦題『わたしに会うまでの1600キロ』 | トップページ | バーチャル・ライフ »

山岳ガイドが読む本」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21370/62729438

この記事へのトラックバック一覧です: Bernadette McDonald著 『 ALPINE WARRIORS 』:

« 【映画】Wild 邦題『わたしに会うまでの1600キロ』 | トップページ | バーチャル・ライフ »