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山の神に出会った日。

2016年4月2日早朝、山形県 最上郡 鮭川村 京塚地区。

山の神は、9人の子供達と共に家々を練り歩いていた。

山の神勧進(やまのかみかんじん)。
山形県最上地方に今なお残る風習である。
普段はお社(地区によっては公民館)に祀られている「山の神」を子供達が背負い、家々を巡り、そしてお社に戻される風習だ。

P1
「山の神」御神像を背負うのは年長者、「一番大将」といわれ、御神像と共に木製の斧を持つ。
体力的に厳しいのか、ちょうど私が現地に到着したときに背負う一番大将(京塚地区では2人で担当する)が交代中だった。
その他の年下の子は、男根形の御神像を持って歩く。

P2
御神像の近影。
付き添いの保護者の方に見学のお許しを得たところ、「さあ、どうぞ拝んで下さい。」と言われ、そうする。
御神像の頭部は朽ちている。
訪問先の家々で御神酒をかけられるためだ。(不鮮明ですが、動画に収録してあります)

P3
子供達は家々を訪問、住民達は手を合わせ、時には柏手を打って山の神を参拝する。
中に入るのは一番大将、他の子は玄関口でその様子を見守る。
子供達の口上は、次の通りだ。

『 山の神の御法楽(ごほうらく)、一升賜り勧進 』

付き添いの保護者の方にお話を伺う。
本日のメンバーは小学1年、3年、5年の計9名。
30~40代くらいのお父さんでしたが、いわく「昔は子供が一学年5~6人いたので30~50人くらいで町をまわっていた。今は少なくなりました。」
女の子の参加は認めていない、という。

2016年4月2日、鮭川村京塚地区で撮影した動画を下記に掲載します。

約100軒近い京塚地区をまわるのは1日がかり、ちょうど子供達が休憩に入ったのを見計らって見学させていただいたお礼を述べ、次の金山町・山崎地区へ向かう。


山形県最上郡 金山町 山﨑地区下の山の神は、

K2
中学生らしい一番大将はミノをまとい、背負われる山の神は石造りの女性像である。

K6
金山町を見下ろす雄大な神室連峰は厚い雲の中、強い風の中、子供達は山の神を背負い集落を練り歩く。
二番大将は大きな御神像、他の就学前の幼児たちは小さな御神木を荒縄で引きずっていく。やはりここでも女児の参加はみられない。

K3
子供達が押す一輪車には、訪問先で御賽銭(御祝儀)を受け取る一升枡。なかなかの年代物である。

金山町山崎地区の山の神勧進を記録した動画はこちら。
こちらの地区の子供達の口上は、

『山の神勧進(かんずん)、三升五合はかれっちょ、はかれっちょ』 です。


動画1分07秒から収録してあるように、歩いている途中、地元の方に「参拝させて下さい」と呼び止められ、参拝していかれる光景がみられた。 地元の方の山の神に対する篤い信仰心がうかがえる場面でした。

山の神勧進は、私が見学してきた他にも様々な地区で行われている。
少子化ゆえ、女児の参加を認めている地区もあれば、子供が少なくても女児の参加は今後も認めない、という厳格な地区もある。

 ここで明記しておきたいのは、私が見学させていただいた光景、御神像を背負って家々を廻るという行為は、「山の神勧進」という行事の一部にすぎないということだ。

 いずれの地区でもお社から御神像を取り出す儀礼(京塚地区では新しい着物を着せる「おめしかえ」という段階を踏む)があり、そして家々を廻ってもらっていく御賽銭(御祝儀)は、多くの場合、大人達は関与せず一番大将を中心とした子供達で分け合う。

 「山の神勧進」は素朴な山の神信仰であると同時に、御祝儀(金銭)のやりとりを通じて実社会へ子供達が踏み出す通過儀礼の役割を果たしているといえよう。
 21世紀の今もなお、農村に脈々と伝わる山の神信仰の一部を見学させていただいた日でした。

 今回の見学行に際して、新庄市商工観光課様、鮭川村観光協会様には非常に詳細な情報を提供いただき、深く感謝の意を表します。
 また鮭川村京塚地区の皆様、金山町山崎地区下の皆様、両地区の子供達に、あらためて感謝の意を表します。 

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