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【訃報】 劉連満氏 逝去

1960年、中国隊の王富州、屈銀華、贡布らによるチョモランマ北面初登。
自らは登頂を逃したものの、3名の登頂を支えた立役者、劉連満(Liu Lianman)氏が4月27日、下肢の血栓が悪化する病のため亡くなりました。83歳でした。

攀登珠峰英雄刘连满离世 by 網易新聞2016.4.30

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晩年の劉連満氏

 1933年河北省出身、幼い頃に父を亡くし、貧しい家庭に育ちました。
 幼少の頃に黒竜江省に移り住み、成長してからはハルピンの工場勤務を経て消防隊にも務めました。この消防隊勤務が後の運命を変えることになります。

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1950年代、エイドクライミングの練習に励む劉連満氏

 1955年から中国の国家登山隊に加入、旧ソ連のエルブルース山、ムスターグ・アタ、ミニヤコンカと高所登山の経験を積み、1960年、チョモランマ北面に挑みます。
 1960年5月24日、王富州、屈銀華、贡布らと共に頂上アタックをかけますが、第2ステップの岩場の通過に苦しめられます。
 他のメンバーが挑み滑落を繰り返したため、消防隊の経験のある劉連満が自らの身体を「はしご」として他の3名に岩場を通過させ、自らは登頂を断念。
 他3名が登頂に向かう間、力を使い果たした劉連満は王富州宛てに「国家登山隊の目的を皆に果たして欲しい、役に立つだろうから、酸素ボンベの酸素を少し残しておく」旨の遺書をしたためます。

 登頂を果たし下山する3名にサポートされ、劉連満は生還を果たします。

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1960年中国チョモランマ隊当時の劉連満氏

 チョモランマ遠征後は登山界から身を引き、劉連満氏は一労働者としてハルピンの工場に戻りました。
 しかし世界最高峰登頂を果たし栄光に輝いた他の3名と異なり、劉連満氏には過酷な運命が待ち受けていました。
 1973年、病身の妻のため栄養をつけさせようと一匹の豚を購入したことが、「資本主義の手先」として糾弾されます。中国は文化大革命の暗黒時代を迎えていました。

 文革の嵐も過ぎ去り、降格処分されたものの、労働者として静かに暮らしていた劉連満氏が「自己犠牲のシンボル」として再びメディアの脚光を浴びたのは90年代以降。
 2009年には黒竜江省登山協会の終身名誉顧問として迎えられます。

 登山では栄光を支えた人物として、文革で辛酸を舐めた苦労人は、亡くなる間際に「皆仲良く、仕事に励め」と言い残したと伝えられています。

晩年は登山に関する資料を紛失したことが報道されたりしてましたが( 当ブログ記事2008年3月28日 ) 実直な労働者として生涯を終えた、中国登山史に残る登山家といえましょう。

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