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流れゆく仏

 平成28年7月10日、「流れ灌頂(かんじょう)」を見学させていただくため、山形県東田川郡 庄内町 荒鍋地区を訪れる。

 流れ灌頂。
 本来は、成仏できないとされる妊婦の霊を供養する儀式である。
 現在では、九州・四国など西日本で、灯籠流しなどの形式で残っているようだ。

 ここ山形県の庄内町(旧・立川町)では、本来の姿とは異なるが「流れ灌頂」という名称で小型の舟を流し、有縁・無縁仏、施餓鬼供養を行う風習が残っている。
 郷土資料の文献を漁ってはみたが、この「流れ灌頂」に関する記述は少ない。
 庄内の祖霊を送る儀式として、この目で見てみたかった。

 午前10時半、荒鍋地区公民館で法要が始まる。
 余所者の私はカメラ等記録用具をスタンバイして外で待つ。
 午前11時、地区役員の方々が「流れ灌頂」の主役であるワラで出来た舟、賽銭箱などを持ち、冷岩寺のご住職を先頭に荒鍋地区を練り歩く。

  P8
ご住職の鳴らす鐘の音とともに参列が練り歩く。

P9
地区の方々は賽銭をおひねりにしたり、ポチ袋に用意して参列を待つ。

P10
庄内町・荒鍋地区の流れ灌頂はワラで舟と人形(船頭)を作る。
舟の中にはお供え物がぎっしり詰められている。

荒鍋地区は小さいので、参列は20分ほどで周り終える。
集落を流れる「吉田堰」で舟を流すのだ。

P6
地区役員の方が供物と船頭(わら人形)が乗った舟を流してやる。

動画を撮影して気がつかなかったが、舟をカメラで追っていくと、
P7
橋の上には地区役員はじめ、集落の方々が集まり、皆手を合わせている。
有縁・無縁の霊を供養するため、舟は流れていく。

静かな集落の伝統行事のため、余所者の私はかなり目立ったらしい。
参列について歩きながら、役員の方からいろいろなお話を伺うことができた。

Map
「流れ灌頂」の出発点となる荒鍋公民館は、もともとは川除寺(せんじょじ)という尼寺で、数十年前まで尼僧が住み込みで管理していた場所だった。
昔は公民館の裏手がすぐ最上川だったという。
地形図で確認すると、なるほど公民館のすぐそばが旧河道となっている。

そもそも荒鍋地区が開拓されたのが17世紀、以来、氾濫する最上川との闘いの歴史だった。
この川除寺も18世紀の大洪水を機会に建立されたもので、水害よけを祈願したものといわれる。

舟を流し終わった後、「あやしい人でなさそうだし、こうして行事を研究しに来られたので直会も一緒に・・・」と地区の方に声をかけていただいた。
 恐縮している私に、「直会まで参加するのが流れ灌頂です。」とおっしゃっていただいたのが、庄内民俗研究会の方だった。
 そのおかげで、遠慮して見られなかった公民館に入らせていただき、中にある川除寺須弥壇を拝見することができた。

P3
荒鍋地区公民館内部に設けられている、川除寺、その須弥壇。

P4
地元の方いわく、神仏混交の時代を反映して、神官像が祀られている。

P2
祭壇の様子。
出発前はここにワラで出来た舟を置き、法要を行う。
左の角切り野菜が盛られている椀に注目。
庄内一帯では「アラレウリ」と呼ばれ、餓鬼供養のため火を通さない野菜が盛られる。

P5
荒鍋地区伊藤区長、地区役員の皆様と共に、直会に参加することを許されました。
青菜胡麻あえ、よく味のしみた豆腐とコンニャクの煮物、漬け物などなど、庄内の味です。

口下手な私は皆様の話の聞き役にまわってばかりでしたが、
「大滝さん、内陸でもドジョウ食べる?」
「ええ食べますよ。母が天童出身ですけど、味噌仕立てで・・・」
「おおっ、やっぱり、芋煮でも庄内と内陸で醤油・味噌で味付け違うよね!」
「ドジョウ喰うと精力つくしな」
などなど、静かな農村の話題にあふれていました。

このたびの見学では、情報を提供してくださった庄内町観光協会・観光専門員の齋藤様、突然お邪魔したにもかかわらず、見学では様々な話を賜り、そして直会に列席することを許して下さった荒鍋地区区長伊藤様はじめ地区役員の皆様に深く感謝申し上げます。

P1
帰路、国道から荒鍋地区をふりかえる。
ここ庄内町(旧・立川町)は、その季節風の激しさから、日本でも風力発電の先駆けとなった土地だ。
テクノロジーの先端ともいえる巨大風車が、幾つも立ち並ぶ。
すぐ近くの集落では、何百年にもわたり霊を見送る行事が続けられ、人々は「祈る心」を忘れずに持ち続けているのだ。

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コメント

荒鍋は祖父の生まれ故郷で庄内地震の前に北海道へ両親に連れられて移住したのですが貴重な風習記事で見せて頂きありがとうございます。

彦右衛門 様

 コメントありがとうございます。
 
 流される舟の撮影に気を取られ、ふりかえると橋の上に集落の方々が集い、皆さん合掌している姿に私も敬虔な気持ちになりました。
 
 私が調べた限りでは「流れ灌頂」が行われているのは旧・立川町でも2ヶ所、酒田でモリ供養に合わせて舟を流す行事という形で残っている程度のようです。

 有縁・無縁仏を供養しご先祖を敬う儀式が今後も続いてくれれば、と思っております。

17世紀に開拓された地域ですか。公民館横の神社にも開村350年の碑がありました。公民館も川除寺で尼さんが常駐してたのですか?庄内地震の際に津波が荒鍋まで遡った記録もあるみたいです。
荒鍋の入り口の墓地で御先祖様の墓地を探しましたが古すぎて文字が消えていて分かりませんでした。山形は七月がお盆なのですね?
来年でも訪ねて流れかんじょうを見てみようと思います。
うちの姓は古文書には桓武天皇からでているようです。

彦右衛門 様
 
 山形では市町村によって違いはありますが、だいたい8月半ばのカレンダーどおりの「お盆」です。

<<うちの姓は古文書には桓武天皇から
 おおっ、それは凄いです・・・

 地元の方のお話ですが、公民館そのものが以前は川除寺として、尼僧がお住まいになっていたそうです。

 荒鍋集落の歴史に関しては『荒鍋史誌』という史料があるのですが、山形県立図書館にはなく地元の鶴岡市立図書館に所蔵されており、この中に流れ灌頂に関する記述があるのではと思うのですが、私もまだ未読です。

 夏の日の静かな行事ですが、機会ございましたら、ぜひご覧下さい。

お盆は八月なのに供養をする流れ灌頂は七月に昔からおこなっているんですかね?荒鍋史誌みてみたくなりました。
公民館の隣の神社の石碑にいろいろ書いてあったのですが古くてよく見えなかったのですが親戚が見た時は荒鍋に来る前にどこから来たか書いてあったとか。

彦右衛門 様

<<お盆は八月なのに供養をする流れ灌頂は

 8月の盆とはまた違うようです。
 私も山形県内の伝統行事に関して勉強中の身ですが、舟に有縁・無縁仏、または疫病など災いを託して流すという行事、いわゆる「虫送り」や「病送り」などの行事と重複する所もあるようです。

 庄内一帯で行われている盆の「モリ供養」という土着の信仰行事の一環として、酒田では8月の盆の行事として「流れ灌頂」の名で舟を流す行事もあり、各地で様々な形式があるようです。

<<公民館の隣の神社の石碑に
 ああっ~見落としてました。この記事の流れ灌頂を待つ間、この神社で少し時間を潰していたんですが・・・私も観察眼が足りなかったですね。たしかに由緒ありそうな石碑が並んでいたのは記憶してます。

 庄内地方は私が住む内陸地方とも異なり、仏事に加えて古くからの山岳信仰等々が残り、廃れた風習も多いですが未だ残る行事もあるようです。また機会あれば実際に見学したいと思ってます。

神社の石碑の裏の文字は古くてよくみえないのですが水かなにかでふいてみればみえるかなと思うのですが次に行った時に集落の人に聞いてみてみようかと思ってます。集落の狩川駅側の入り口の墓地も古過ぎて字が見えないのですが祖父一家の北海道へ渡る前の墓地があるはずなのですがわかりませんでした。

彦右衛門 様

 <<集落の狩川駅側の入り口の墓地も
 ちょうど「流れ灌頂」の折り返し地点がその墓地でした。
 地元の方、集落の役員の方々は郷土史に対する造詣も深く、文献を調べるよりも地元の方に伺った方がいろいろおわかりになるかと思います。
 彦右衛門様のご先祖様のお墓が見つかりますよう、願っております。

ありがとうございます。
うちのご先祖様の無縁仏になってるお墓も流れ灌頂で供養されているんですね?何年か前のお盆に札幌へお墓参りに行った帰りに朝新潟に5時30分頃上がって二時間くらいで酒田の港経由で荒鍋に行って見たのですが東京まで帰らなくてはならなかったので神社の石碑とお墓をみてきたのですが時間がなくてゆっくり見れなかったので次回行く時はいろいろ調べてから行こうと思っています。曽祖父母の四代前の遠い親戚の家があるみたいなので訪ねて聞いてみようと思います。

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