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800万年の光沢

 山形県朝日少年自然の家の毎秋恒例行事 『地球の歴史探検隊!~ヤマガタダイカイギュウと化石掘り~』 にサポーターとして参加。
 自然の家主催行事でも高い人気を誇るこの行事、今年は午前、午後の二部に別れて催行するという。
 伺った話では募集開始と同時、各学校に配布したチラシが行き渡る前に定員40名が瞬時に埋まってしまったため、募集枠を倍増して二部開催にしたとのこと。
 
 今回は私も班付サポーターとして、午前・午後いずれも幼稚園児を含む年少者の多い親子連れをフォローする。

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 午前の部。ヤマガタダイカイギュウ発掘現場を見学。
 山形県立博物館の石黒先生からレクチャーを受けます。

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 その後、山形県朝日町某所で砂岩層・泥岩層の違いなどレクチャーを受けた後、古びた林道の斜面で化石発掘開始。

 初めての方はなかなか化石発掘のやり方がイメージできません。
 最初に私が速攻で掘り出し、

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 こんな風に貝がでてきますよ~、と実物を見せてあげる。
 今回は私が担当する班に自力で掘り出すことができない年少者がいるため、化石がチラリと見える程度に掘り出し、 「ほら、これ化石じゃないかな~」と差し出してみる。 保護者の方も子供達も「こんな感じででてくるんですか」 「もっと出てくるかも」とやる気を出してくれた。 

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 掘り出した化石の鑑定をしてくださる山形県立博物館の伊藤先生。
 鑑定を待つ間の子供達の表情から、ドキドキ感が伝わってきます。

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 自然の家の土屋所長が掘り出した大型の巻き貝。
 今年はウニの化石を掘り出す子供達が続出、ウニ化石の当たり年でした。

 現地での昼食をはさみ、午後の部の参加者たちと合流。
 わずかな時間を利用して近くの公衆トイレへ。
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 今年もこの景色に出会えました。山形県朝日町、椹平の棚田。

 午後に担当した1年生の女の子は、私が最初にサンプルとして見せた二枚貝の化石がツボにはまったらしく、「この石ほってみて~」となついてくれた。
 砂岩の塊に耳をあて、 「なにか音がきこえるよ」 「化石がいびきをかいてねているよ」 と言う。
 採取時間がおわり、駐車場に帰る際に露頭を指さし「ここにまだ化石がねむってるの?」と聞かれる。
 「そうだよ、来年化石掘りにくるお友達のために、まだいっぱい化石眠ってるんだよ」と答えてあげる。

 今日は自分の化石採取は考えず、参加者たちの様子を巡回しながら一日がおわりそう・・・午後の採取時間もまもなくという時、足下に砂岩のフレークが落ちていたので何気なく拾ってみた。
 何かキラリと光る部分が露出している。
 貝の殻かと思ったが、この露頭で採取される貝化石はほぼ石化しているはずである。
 植物の根かと思ったが、光沢が明らかに違う。
 ハンマーで慎重に砂岩を崩すと、

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 サメの歯の化石でした。伊藤先生によればムカシアオザメの歯と鑑定いただきました。 
 化石といっていいのだろうか。エナメル質の光沢も美しく、内部は空洞になっている。
 自然の家でサポーター(ボランティアスタッフ)を始めて10年以上になるが、今までの化石掘りで貝、ウニ、魚の骨はでてきたがサメの歯は聞いたことがない。
 この地層は約800万年前に形成された層。化石掘りの記事で毎回書いているが、現在の学説ではアフリカあたりで類人猿が人間になりかけの時代である。
 800万年もの間、地中の闇の中でこの光沢を保ち続けてきたサメの歯に、感動せずにはいられませんでした。

 化石採取という活動を通じ、子供達や保護者の皆様にも驚きと感動を味わってもらえたこと。
 コミュニケーション下手、氷雪や岩に秀でている訳でもない、ガイドとしての自分に行き詰まりを感じていたが、自分のささやかな行動で子供達に自然の素晴らしさを味わってもらえる。
 少しずつでも、野外教育の現場で経験を積み重ねていこう、という想いを新たにする。

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第11回ピオレドール・アジア 最終ノミネートチーム発表

韓国の山岳雑誌 月刊『人と山』において、今年もピオレドール・アジア最終ノミネートチームが発表となりました。

今年の最終ノミネート内容は次の通りです。

第11回第11回ピオレドール・アジア 最終候補チームプレビュー by 月刊『人と山』

以下引用開始
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 純粋で進歩的な登山を展開した、アジアの若い登山家たちを激励する意図で制定されたピオレドール・アジア賞は今年で第11回を迎えた。
 登山のオスカー賞と呼ばれるこの賞は、過去10年間、アジアの山岳文化をけん引しており、アジアの登山家たちに未来志向的な登山の方向を提示した。つまり、アルパインスタイルによる速攻・軽量クライミングと高度な技術を追求する壁を登る、そして自然を保護し山を尊敬するアルピニズム本来の純度を強調しながら「人為的な支援を受けて成し遂げた登山の結果は、その過程よりも優先することはできない」ということを示し、商業主義に染まった登山に警鐘を鳴らした。

 ピオレドール・アジア賞審査委員会は、今年もこのような原則を実践した候補者のチームをアジア山岳連盟加盟国とアジア各国の登山専門誌から推薦を受けた後、厳正な審査を経て最終候補3チームを選定した。
 夢を叶えるための情熱一つで挑戦を躊躇しないアジアの若き登山家たちに出会ってみよう。


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01 KOREA TEAM

 韓国隊は、今回ネパールヒマラヤのガンガプルナ(7455m)南壁新ルート開拓に挑戦状を叩きつけた。韓国を代表するアルパインクライマーであるキム・チャンホ、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨンがまさにその主人公である。
 彼らはアルパインクライミングにより10月20日、ガンガプルナの頂上に立った。「2016コリアンウェイプロジェクト(KOREAN-WAY PROJECT)」という名前を掲げた彼らの旗は、未知の領域を探索し、過酷な環境の登山に挑戦し、高難度の新ルート開拓によって韓国の登山家の挑戦精神、探求精神を示すというものであった。

 ネパール西部アンナプルナ山群に位置するガンガプルナは1965年にドイツ隊が南面~東稜ルートで初登頂以来、2015年までに24チームが登頂を試み、8隊だけが成功した山である。
 その後の主な登頂ルートは、1971年日本隊の西陵ルート、1981年カナダチームの南西壁ルート、1983年ユーゴスラビアチームの北壁ルートなど5本ある。
 遠征隊を率いたキム・チャンホ隊長は8,000m級の高峰14座を無酸素で登頂した記録を持つ韓国最高のアルピニストであり、チェ・ソクムンとパク・ジョンヨンも抜群の実力を誇る韓国を代表するクライマーである。
 ピオレドールアジア審査委員会は、優れたチャレンジ精神でアルパインクライミングに成功した彼ら3人を今年のピオレドールアジア最終候補に選定した。
 ガンガプルナ南壁新ルート
 対象:ガンガプルナ(7455m)南壁
 ロケーション:ネパール西部アンナプルナ
 ルート:南壁新ルート
 クライミング方式:アルパインスタイル
 隊員:キム・チャンホ、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨン 計3名

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02 JAPAN TEAM

「ゴールデンピラー(Golden Pillar)」は、日本・北アルプス劔岳の黒部渓谷最奥に位置している。
このルートは、長さ380m、総11ピッチであり、難易度は6級である。伊藤仰二、佐藤祐介、宮城公博は、11ピッチを登る過程で9回もハンギングビレイをしなければならなかった。
 彼らは2016年2月25日午後3時から登山を開始、3ピッチを登り雪が積もったテラスに到着した時間は21時。2月26日に頂上まで登り、そこでビバークした。登山中はスノーシャワーを浴び続けた非常に難しい登山だった。
 日本・北アルプスの冬はかなり厳しく、彼らは22日もの間、好天を待ち続けた。ここでは大雪が降ることでも有名である。一部の人々は、黒部渓谷に入り劔岳を登ることはヒマラヤを登ることよりも難しいと言う。
 ピオレドールアジアのターゲットが必ずしもヒマラヤなどの高山に限定される必要はない。
 ピオレドールアジア審査委員会は、過酷な条件を克服し優れたクライミングをやり遂げた彼ら3人を今年のピオレドールアジア賞の最終候補に選定した。

劔岳 黒部渓谷ゴールデンピラールート
 対象:劔岳黒部渓谷ゴールデンピラールート
 ロケーション:日本北アルプス
 ルート:ゴールデンピラー
 クライミング方式:アルパインスタイル
 隊員:伊藤仰二、佐藤祐介、宮城公博 計3名

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03 HONGKONG TEAM

マナスル速攻軽量登山とエベレスト3度登頂

 都市国家というイメージを持つ香港で「アルパイン」という言葉を連想するのは容易ではない。
 それは「ツァン・チ・シン・ジョン(Tsang Chi Sing John)」にほかならない。
 彼は白い山を夢を見たアルピニストとして、輝かしい業績を成し遂げた。香港人として初めてヒマラヤ8,000m級4座に登頂した。そしてエベレストを南側と北側から登り、2009年には3度目の登頂を果たした。 また、香港人として二番目に「セブンサミット」を達成した。

 2010年に彼はマナスルを4日間で登る快挙を成し遂げた。彼は今まで香港の登山やクライミング文化の発展に多くの努力を傾けた。登山指導者、スポーツ栄養士、スポーツクライミング指導者として活動し、他にも香港の若者のために活動し冒険を行う多彩なアウトドア活動を展開してきた。
 ピオレドールアジア審査委員会は彼の登山活動の中から、特にマナスルを4日間で登った登攀力を高く評価して、今年のピオレドールアジア賞の最終候補に選定した。
マナスル速攻軽量登山とエベレスト3度登頂
 対象:マナスル(8145m)
 ロケーション:ネパールヒマラヤ
 クライミング方式:速攻軽量
 隊員:ツァン・チ・シン・ジョン(Tsang Chi Sing John)

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以上引用おわり

 今年のピオレドールアジア最終ノミネート候補はヒマラヤのアルパインスタイル、北アルプス・黒部のアルパインクライミング、多くのクライマーが訪れるようになった8000m峰登山の中で速攻登山とバラエティに富んだ内容となりました。
 私個人の感想としてはアジアのクライミングの「現代(いま)」を象徴する内容になっているのではないかと感じています。
 例年ですと、11月初旬に月刊『人と山』が主催するレセプションで、クライミング界のホープに与えられるゴールデンクライミングシューズ賞と同時に審査・発表・授与式が行われます。
 さて、今年のピオレドールアジアの行方はいかに。

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韓国隊、ガンガプルナ南壁に新ルート開拓 【Korean team established new route on south face of Gangapurna】

 キム・チャンホ率いる韓国隊が10月20日、ネパール・アンナプルナ山群のガンガプルナ(7455m)南壁をアルパインスタイル・新ルートからの登頂に成功しました。

ガンガプルナ南壁にコリアン新ルート開拓 by 月刊MOUNTAIN 2016.10.23

以下引用開始
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ガンガプルナ南壁にコリアン新ルート開拓 
キム・チャンホ、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨンらアルパインスタイルで7日間のクライミング、20日登頂

イ・ヨンジュン編集記者

Ganga
キム・チャンホ、チェ・ソクムン、バク・ジョンヨンら3名が7日間かけてアルパインスタイルによる新ルートからの登頂に成功したネパール、ガンガプルナ(7455m)南壁

 ネパール、ガンガプルナ(7455m)南壁に新ルートが開拓された。キム・チャンホ隊長とチェ・ソクムン、パク・ジョンヨン隊員ら3人は、高度差2900mにおよぶガンガプルナ南壁を7日間のアルパインスタイルで登攀した。3日間かけて下降し22日、BCに下山した。
 今回の遠征隊は、ネパール・アンナプルナ山群のガンガプルナとアシャプルナ(ガンガプルナ西峰、7140m)南壁新ルートからの登頂を目指し、9月12日に出国、最初に試みたアシャプルナは、山頂まで100メートルに迫ったところで退却した。

Member2
 ガンガプルナ(7455m)南壁アルパインスタイル新ルート登頂に成功した韓国遠征隊。左からキム・チャンホ隊長、チェ・ソクムン、パク・ジョンヨン隊員。

 1965年5月6日、ドイツ山岳会のギュンター・ハウザー隊長が率いる遠征隊隊員とシェルパが二度にわたり南面から東稜を経るルートで初登と2登を果たし、1971年に日本隊が西稜から第3登を果たしている。
 南壁は1981年春、カナダのジョン・ラチランとジェームズ・ブランチが初登した。韓国隊は1984年冬にイ・ソクウ(韓国山岳会)が単独で北壁を試み、1986年にキム・ギチョル隊長率いる遠征隊が初登ルートである東稜を経て韓国人初登に成功した。
 初登以来2015年までに24回登られたガンガプルナは、これまで8隊が登頂、1989年にユーゴスラビア隊のフランツ・プシュニク隊長率いる登山隊が北壁から登頂して以来、現在まで登頂者がなかった。

遠征隊は10月29日タイ国際航空便で帰国する予定。今回の遠征隊は、ノースフェイスが後援した。
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以上引用おわり

 2013年にインド洋から自転車・カヌー・徒歩という人力でエベレスト無酸素登頂を果たし、8000m峰14座全山を無酸素登頂したキム・チャンホ氏。
 エベレスト人力登山行で、大事な後輩で8000m峰12座登頂を果たしていたソ・ソンホ氏を亡くし、そのショックからしばらく遠征登山を休んでいたキム・チャンホ氏でしたが、復帰第1弾として選んだのはガンガプルナ南壁でした。
 なお月刊MOUNTAINの記事にもあるとおり、ガンガプルナ南壁そのものは1981年にカナダ隊がやはりアルパインスタイルで初登を果たしています。カナダ隊のラインがはっきり確認できなかったのですが、AAJに記載されている当時の記述、「下部雪田~ロックバンド左寄り~上部の大雪田を詰めて山頂」という様子から、カナダ隊の初登ラインと近接している可能性はありますが、今回の韓国隊のラインは山頂に直上する見事なルートといえるでしょう。

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October 20th 2016, Korean alpinists Kim ChangHo, Choi Seok-Moon, Pak Jungyong established a new route on the south face of Gangapurna (7455m). Their new line, they climbed south face for seven days by alpine style, and they descend for three days to BC.
Gangapurna south face, Canadian team(James Branch,John Lauchlan,the others) made the first ascent in 1981 spring.

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本わらび粉でわらび餅を作る

先日の ワラビの根を掘る の続き。

『本物のワラビ餅を作ろうプロジェクト!』イベントで掘り起こしたわらびの根。
主催者で、地域おこし協力隊として山形県・戸沢村 角川(つのかわ)地区に赴任している鈴木さんのご尽力の結果、約1kgの本わらび粉が完成。

 せっかくの貴重な本わらび粉、地域の方々への振る舞いや作業に協力された方々への分配もある中、鈴木さんから粉50gを送っていただきました。ありがとうございました。

 で、さっそく試食です。

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 鍋に入れた本わらび粉。
 公立図書館で調べた和菓子作りの書籍はどれも「わらび餅粉」(でんぷん粉を配合した物)の使用例ばかり。
 ネットでいろいろ調べた結果、本わらび粉50gに対して水200ccにして鍋で加熱してみる。

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 水50cc入れた段階で「あれ、水多すぎんじゃね?」と勝手に思い込んだ私。
 かき混ぜるうちにどんどん塊ができて大慌て。
 
 結局予定どおり水200cc入れ、かきまぜる。
 動画サイトでみた和菓子職人の真似をして木べらでかきまぜていたが、鍋が小さくてうまくいかない。
 そうこうするうちに、どんどん塊ができていく。
 「あ!やべーよやべーよ、やっぱりお願いしていい?」
 と、結局カミさんに助け船をお願いする。

 カミさん、小ぶりのゴムべらで順調にかき混ぜていく。
 
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 カミさんのかきまぜの結果、和菓子職人が作ってたような粘度になってきました。
 あー、しばらくカミさんに頭があがらんな・・・

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 いい感じに固まってきた、自作の「わらび餅」。

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 素直にカミさんと娘の連合軍の指示に従い、あら熱をとった「わらび餅」を氷水に入れて冷やす。

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 動画サイトでみた、和菓子職人がクルッと餡を包む動画が忘れられず。
 粒あん原理主義の私、カミさんが止めるのも聞かずトロッとした「わらび餅」で餡を包んでみました。
 どうみても 『 両 生 類 の 卵 』 です。

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 娘は上手に黄な粉をまぶして食べてました。

 本わらび粉の「わらび餅」、食感は口の中でとろっとして流れていきます。

 飯豊連峰山麓の小国町では昔々、不純物が混じった本わらび粉「クロコ」と呼ばれ、御飯にまぜて団子にしたり、胡桃をすったもの又は黄な粉をかけて「クロコ団子」となり、子供のおやつになったそうです。
 
 山奥の子供達のお菓子から、かつては醍醐天皇が好物だったという上品な和菓子まで、人々に徹底的に利用されたワラビ。
 今回途中の工程はだいぶ鈴木さんにお任せしておりましたが、こうして根掘りから体験してみて、あらためて先人のたくましさを感じた次第です。

『本物のワラビ餅を作ろうプロジェクト!』イベント主催の鈴木英策様、参加された皆様に深く感謝申し上げます。

 数ある「本わらび粉」使用のわらび餅動画で、あこがれた動画がこちら↓

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土曜日。
公休を取得し、息子の小学校の発表会鑑賞。

午後、カミさんと娘、老母を連れて第66回山形県農林水産祭、「林業まつり」「秋の食彩まつり」を訪れる。

もともとは娘が「木工してみたい」と言い出したので、探し出したイベントがコレ。
老母も賑やかなところに外出したい様子だったので、今日は家族サービスに専念。

糸鋸マシンに興味があるような事を言っていた娘、会場をウロウロしているうちに山形県林業振興課・みどり自然課で開催しているブースに釘付けになる。

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山形県の中央部・朝日山系から産出される「西山杉」を薄く切った端材で、「しおり」を作るコーナー。
半田ごてを小型にしたような焼きごてで、薄い板にイラストを描こうという体験コーナーです(無料)。

娘はイラスト好きなので、カミさんから「時間かかりそうだから・・・」と言われ、老母を連れて食品コーナーに行く。
季節の果樹や漬け物がいろいろ並び、老母も賑やかな露店の人々との会話を楽しむ。

老母とぐるっと会場を巡り、買い物を楽しんでから娘とカミさんを探すと・・・まだしおり作りの最中でした。
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ようやく完成した、娘作成のしおり
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 ブース担当の女性職員の皆様がデジカメやスマホで撮影し、「ぜひ見本に置いていってください」とまで言って下さったのですが、シャイな娘はお気に入りのしおりを家に持ち帰っていきました。
 土曜日の休みは家族サービスにて終了です。

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В Японии умерла женщина, первая покорившая Эверест

В Японии умерла женщина, которая первая покорила Эверест среди женщин.

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Первая женщина, впервые покорившая Эверест и Семь вершин мира скончалась утром 20 октября.Причиной смерти Дзюнко Табэи стала болезнь, побороть которую японка не смогла.Перитониальный рак забрал жизнь 78-летней альпинистки.Жительница Фукусима в 35 лет стала первой среди женщин, покорившей Эверест.В 1992 году Дзюнко Табэи смогла покорить семь вершин всех континентов и стать первой женщиной и в этой программе.

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(Source : http://newstes.ru/2016/10/22/v-yaponii-umerla-zhenschina-pervaya-pokorivshaya-everest.html)

In this year July, she climbed Mt.Fuji with high school students (They are victim by big earthquake and tsunami in March 2011) . It is last climbing for her climbing life that more than 50 years.

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ワラビの根を掘る

『本物のワラビ餅をつくろう』
そんな呼びかけに誘われて、山形県戸沢村・角川(つのかわ)地区へ。

地域おこし協力隊として赴任している鈴木さんが立ち上げたプロジェクトである。

参考サイト 【本物のワラビ餅を作ろうプロジェクト!】 (facebook)

 和菓子そしてわらび餅に詳しい方はウェブサイト上に沢山おられますが、その原料、わらび粉を作る過程を体験した方は少なかろう。ぜひ体験してみたい。軽い気持ちで参加してみた。
 私の知る限りでは、ワラビの根といえば江戸時代の救荒作物、また飯豊連峰山麓の小国町では太平洋戦争直後に貴重な換金作物として、~当時は和菓子の原料ではなく、傘張用の糊、そして食糧難時の食糧として~ 用いられてきた。
 参考文献にはワラビの根掘りは、『なかなか骨の折れる仕事であるから、わらびの根っこ掘りは、血気盛んな若い衆の仕事である。』 と記載されている。

え? 血 気 盛 ん な 若 者 ?
もしかしてタトゥーがバリバリ入った兄ちゃんとか来てたらどうしよう・・・

 すんごいドキドキしながら、集合場所の旧・角川小中学校を訪れる。
 新築の校舎ながら統廃合により廃校になった角川小中学校、そこが地域おこし協力隊の鈴木さんのお住まいでもある。
 この日のメンバーは小学生の男の子含む男性5名、女性3名、初対面ながら、皆さん自然好きな穏やかな方ばかり。

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ワラビ根掘りの現場。本日の昼食場所である蕎麦屋・与惣右衛門ご主人の所有地。

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あたり一面のワラビ、各自ワラビに埋もれて根っこを掘る。

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私が掘り出したワラビ。
こんな風に地下茎になっているため、いったん根っこを見つければ「芋づる式」に掘り進むことができました。

9時半頃から作業開始して、11時半までの約2時間で、
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8袋いっぱいに採取。

お昼は、ワラビ採取地を提供してくださった蕎麦屋・与惣右衛門にて板蕎麦を食す。
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戸沢村・角川の伝承野菜である「角川カブ」の漬け物も美味でした。

昼食を済ませてから角川小中学校に戻り、

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一輪車に掘り出したワラビ根を入れ、水洗いを繰り返す。
凹凸のあるワラビ根に付着した畑の土はなかなか取れない。何度も水洗いを繰り返す。

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水洗いの脇では女性陣が細かい髭根、茎、ゴミをハサミで除去。

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洗浄した根は家庭科室に持ち込み、まな板と包丁で細かく切断。

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我々男性陣は力仕事の準備。
切断したワラビ根を水とともにミキサーに入れ、ドロドロになるまで攪拌。

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水を加えミキサーで細かくしたワラビ根、トロトロに凄い粘りけのある状態になったモノを荒布で絞ります。
これが凄い力仕事。
絞れば絞るほど、ヌルヌルになって力が入りません。
1度絞ったモノは水を加え、2回絞ります。

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これがワラビ根から抽出した液。
液の成分を沈殿させ、水の交換→沈殿 という作業を繰り返します。
この沈殿待ちに時間を要するため、本日の作業はここまで。

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洗浄したワラビ根。
本日の収穫は27.5kg。
昨年の収穫量は8kg、それからワラビ粉160gを抽出したそうです。
鈴木さんいわく、今年は500gは取れるかな・・・とのこと。

 昔々、鶴岡市の致道博物館で、ワラビの繊維で編まれた衣類を見て先人の知恵に感動させられたが、繊維すらをも利用した人々は、根に含まれるデンプンも見逃さなかったのだろう。
 救荒作物『かてもの』の研究で知られる先生のお話で、「江戸時代の飢饉の死者の死因は、餓死だけでなく「食べられる植物」を求めて未知の植物を口にした結果の中毒死も多い。」という話を伺ったことがある。

 そんな多くの人命が失われた歴史の中で、人間はワラビの根から採取されるデンプンを見いだし、わらび餅という菓子を産みだした。
 ワラビ粉を採取できることが知られる、その過程において、人間はどんな紆余曲折とドラマを展開してきたのだろう。

参考文献
 奥村幸雄著『手わざの栞 -手仕事をたずねて-』昭和52年
 高垣順子著『改訂 米澤藩刊行の救荒書『かてもの』をたずねる』平成22年

【追記】
10月13日現在、鈴木さんのご尽力で布濾し3回、沈殿・水交換5回の結果、こんなワラビ粉に精製されています。
Warabi

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機織りの娘

段ボールで手作りの「手織り機」で編み物をしているウチの娘。

本物を体験させてあげたいなと思い、いろいろ探す。
「米(よね)織り」の名称で知られた、かつて繊維産業で栄えた米沢市に染め物・織物工房を発見。
連休を翌日に控えた夜、「あした織物体験できますか?」と電突。
昼間に6人ほどの団体様が来るのでそれを外せば、、と返事をいただく。

10月9日朝に自宅を発ち、
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米沢市の「染織工房わくわく舘」に到着。

申し込み後、さっそく2階の工房に案内される。

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糸、糸、糸。

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3つの部屋に幾台もの織機「高機(たかばた)」が置かれている。
年代は様々だが、古いものは明治に作られた、100年以上前の織機が現役で使われている。

娘がてがけるのは、コースターを作るコース。

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横糸が巻かれている「竹管」
織機には縦糸がセットされているので、体験者は横糸を3種類選ぶことがてぎる。

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まず始めに、杼(ひ、シャトル)に自分が選んだ横糸を通す。

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工房の方に指導いただき、織機でコースターを織る娘。
本人いわく、自作の織機に比べて足の踏み板で縦糸を上下できるのが楽だ、という。

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所定の長さまで織った後は、布地の前後を糊で固め、縦糸がバラバラにならないよう少し織り上げて、手前側をカット。

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娘の織り上げたコースター。

織っている様子はこんな感じです。↓

今回お世話になったのは、染織工房わくわく舘
ウェブサイトでは「手織りシルクコースター二枚組み¥2,160」となっていますが、控えめな娘はコースター1枚にしたため、料金も\1,080になりました。
 コースター1枚織るのに、時間にして30分前後です。どうぞみなさんお気軽に。

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天は二物を与えた

毎年この季節になるとマスゴミがにぎわう「ノーベル賞」。

日本では、まあ田中耕一氏や山中伸弥教授などの例外もありますが、棺桶に片脚突っ込んだような爺が受賞するイメージがありますが (え?ぼく何かまずいこと書いてます?)

 日本のメディアはかぎつけてないようですが、今年ノーベル物理学賞に輝いたアメリカ・ブラウン大学のマイケル・コステリッツ(Michael Kosterlitz)教授、バリバリの元クライマーであることが判明しました。

British climber shares Nobel prize by UKClimbing BBS

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「トポロジカル相転移および物質のトポロジカル相の理論的発見」の業績 い や わ か ん ね え よ により、David J. Thouless教授(ワシントン大学)、F. Duncan M. Haldane教授(プリンストン大学)との共同受賞に輝いたマイケル・コステリッツ教授。

マイケル教授は1942年スコットランド出身74歳のイギリス人。
ケンブリッジ大学、オクスフォード大学で物理学を学び、その後コーネル大学、バーミンガム大学を経て現在のブラウン大学教授に就任。

クライミングはイギリスの岩場で修行し、60~70年代にかけてヨーロッパアルプスで活躍しました。
代表すべきクライミングとして、

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プチドリュ西壁アメリカンダイレクト第2登

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ピッツ・バディレ東壁バリエーションルートの初登
などが挙げられています。

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クラックを登る若き日のノーベル賞学者。

スーパートポの掲示板の書き込みによればあの「酔っぱらい」ドン・ウィランスらとヨセミテを訪れ、ハーフドーム北西壁、センチネル西壁なども登っているとか。

その後、残念ながら多発性硬化症を発病してクライミングは断念したそうですが、引き続き研究者としての道を歩み、今回の受賞となったものです。

凡人の私など、0.1物も持っていないというのに・・・

元クライマー、そして研究者として一つの頂に立ったマイケル・コステリッツ教授に、敬意を表します。

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芋煮の秋 【Autumn of Taro stew party】

10月1日、土曜日。
息子の通う小学校の学年行事として芋煮会。

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河原で芋煮なんて、何億年ぶりだろう。

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会場脇の橋脚は、次に場所をとるための予約予告の貼り紙でいっぱい。


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芋煮って子供達が作るのかと思いきや、子供達は河原のゴミ拾いやレクレーションゲームに専念、お母さん方が気合いいれて作ってました。

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In the autumn, we have Imoni-kai (Taro stew party) on the bank of the river. It's the popular among both children and adults, and sunny days and holiday there are many people that it's hard to find a space.

Imoni (Taro stew ), for seasoning we use soy sauce, japanese sake and suger. When the Satoimo (Taro) gets soft then we put in slice of beef and leeks go in last.

 But, anything cooked and eaten under the blue sky with a lot of people like this tastes good.

Source: Nice to meet YAMAGATA (Association for international relations in Yamagata )
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「あらこれ結構いい肉使ってるわよねぇ~」とお母さん方の会話も弾む一方、マキが足りなくなり、カミさんが役員をしている関係で私が近所のスーパーに買い出しに走る。

この季節、山形ではスーパーに鍋、簡易かまどが貸し出し、マキが販売されているのが風物詩。
今日は山形市内に用事があるため、私は芋煮二杯喰ったあと、途中退場。
快晴の下、芋煮日よりでした。

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10月2日、日曜。
本日は山形南高校山岳部OB会主催の芋煮会。
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おわりかけでしたが、ヒガンバナが見事に咲いてました。

以前にも書きましたが、私は高校の同窓会などには関わりたくないので、同窓会関連の郵便物は開封することなくゴミ箱に投げ捨てている。
 まあ私もいいかげん歳なもんで、高校山岳部の近い年代の面々とは年いっぺんくらい飲みにいく程度に気持ちは氷解したんですが、それでも公の山岳部OB会からは遠ざかっていたのですが・・・
 
 山形県朝日少年自然の家の登山関連プログラムで私は登山講師という形で参加させていただいているのだが、数年前から、山形県庁から視察目的に派遣されていたのが県文化財・生涯学習課のTさん。
 よくよく聞けばTさん、私より三年下の山形南高山岳部OBだったりする。あーなんて世界は狭いんだ・・・
 先日の月山登山にもTさんに同行していただき、高体連登山部仕込みのきっちりした山登りで私の至らぬ点をサポートしてくれました。
 その帰りのバス、Tさんの隣の席に座っていた際に、「10月2日、山岳部OB会の芋煮会、二口(ふたくち)橋でありますんで、ぜひ来て下さいっ」とお誘いを受ける。
 一言だけだったけど、なんか熱いお誘いだったので2日に予定を入れる。

10月2日、二口橋、という二つのキーワードしか聞いてない(笑)にもかかわらず、まあ芋煮やるなら昼だよなと豊洲移転を監督する東京都庁ほどでないけどアバウトな考えで現地を訪問。

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 山形南高校山岳部OB会の芋煮会、趣旨は「OBが芋煮を作り、現役部員にふるまう」というもので、私も会場到着後、数秒後にはなぜかお玉を手にして調理係になっている。 

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 来週の大会に向け、月山から下山し会場に直行してくれた現役部員たちと共に。
 現役部員の多くが一年生ということで、ちょっぴり安心。
 
 山形南高山岳部OB会の皆様、現役部員の皆様、顧問の先生方、楽しい時間をありがとうございました。

 と、解散して遠方の駐車場に停めていた私の車に戻り、車道を走っていると、河原沿いをとぼとぼ歩く3人組の姿が見える。
 あれ?
 もしかして来週大会にでる3人組でわざわざ歩いて会場に来た現役部員じゃね?
 (他の下級生は自転車で会場に来て、帰って行った)

 車で近づいて話を聞くと、歩いて高校まで戻るという。
 え~ここから3km以上あるよ~山から下りてきたばかりでしょ~
 この『魁!男塾』みたいなノリまだ残ってんのかよ~
 3人を拾い、高校まで私の車で送っていく。

 車中で部活の様子をたずねる。私が現役だった頃にくらべ、山形市内で3校ちかく、山岳部は廃部になったらしい。登山ブームとやらは地方の若い世代には反映されてないようだ。
 気になったのはOB会も現役部員も、雰囲気がなんとなく大会寄りだということ。

 私はそれなりに海外登山の経験も積ませてもらったけど、高校時代は体力も無かったので国体・インターハイには無縁の人間だ。もっと山の魅力を感じて欲しいなあ・・・
 そんなもどかしさを口にする前に、車は高校に着いた。

 このブログを目にする高校山岳部員がいれば、伝えたい。
 大会も貴重な経験だけど、登山の魅力はそればかりじゃないよ、と。

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