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2016 師走日記

年末にかけて現場作業が休む間もなく続く。
あわせて会社行事の幹事として準備作業も進めなくてはならない。

やることが自分のキャパを越えているため、ブログ更新も登山の計画も中断。

現場作業場所が某工場のため、人の少ない土日に作業を遂行。
現場が続くため、次の現場準備のために休日出勤。

それでも「山」から離れたくないので、寝る前のほんのわずかな時間、キンドルで某著名クライマーの自伝を1行でも目を通す。


12月×日
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休日もいないので、カミさんが気を利かせて日程前倒しでクリスマスケーキを用意。
前倒しといっても、我が家でおなじみのケーキ屋『パティシェ・ル・ショージ』はクリスマスのだいぶ前から、駐車場に警備員が立つ盛況ぶりです。
いくつかの選択肢から、何も考えず「モンブラン」を食す。

12月×日
某企業跡地で工事、いつ埋められたのかもわからないコールタールまみれになりながら作業遂行。
会社行事の幹事をやっているため、28日の午後にはなんとしても山形に戻らなければならない。
ほぼ私専用のマシンと化しているじゃじゃ馬な工事機械の作業を終え、元請け担当者にも挨拶し、山形に戻る。

自宅で風呂に入り、念入りに身体を洗いコールタール臭を落とし、

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夕方から始まる、会社グループの忘年会・余興の司会。
出し物は『利きワイン』。
コールタール臭で邪魔してやればよかった(毒)

数時間前はコールタールにまみれながらの現場作業。
今はスーツ姿で司会。
部署の仲間達はみな、遠方の出張先から戻るべく長距離をトラックで走っている途中。
この会場に同じ部署の仲間はいないことに、複雑な想い。

12月29日。
昨日で仕事納めのはずだが、私は出社。
勤務先では年末恒例行事として大量の餅をつく。
私の部署がある工場に御供え餅を飾る人がいない、というわけで、たまたま工場に用事がある私が引き受ける。

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あれ?
そういえば、鏡餅で昆布って、どんな風に配置するんだっけ?
もう何年も、プラスチック容器の鏡餅しか使ったことない。

日頃「民俗・風土」などとブログに記事を書いておきながら、肝心な身近な習慣に疎い自分を知る。
鏡餅、スマホで飾り方調べて適当に(笑)飾る。

年末。
出張帰りの皆が洗濯場に残した作業服をガンガン洗濯機で洗いながら、私は誰もいない、静かな職場で残務処理。

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たまたま検索で当ブログを訪れた方、
日々、当ブログを訪問されている方、
今年はどんな年だったでしょうか。

どうぞよい年末年始をお過ごしください。

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故・田部井淳子氏と原発事故

この記事に書くことは、もしかしたら田部井淳子女史に近しい方には知られたエピソードかもしれない。

不勉強な私は田部井氏の著書を全て読んでいる訳ではないし交流もなかったので、確かめる術もない。
既に関係者の方に知られたエピソードであれば、諒とされたい。

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左から、田部井淳子氏(エベレスト女性初登、1939~2016)、潘多氏(中国 エベレスト女性第2登、北面女性初登1939~2014)、ワンダ・ルトキェビッチ(ポーランド エベレスト女性第3登、1943~1992)

2016年10月20日、エベレスト女性初登を果たした田部井淳子女史が逝去。
その報を受けた私は、会員登録しており貴重な情報をもたらしてくれるロシアのクライミングサイトに訃報を転載した。

数日後、田部井淳子氏が旧ソ連のエルブルース峰(5642m)に遠征した際の関係者から、コメントを頂戴した。
コメントは田部井氏の思い出に関する長文で、同内容の英文が併記してあった。
そのサイトは外国人が書き込むことはあまりないので、外国人であるスレ主の私むけに英語で書いて下さったのだろう。

その方は92年当時、エルブルースの山小屋に常駐するパトロールの方だった。
旧ソ連の山域では「国際キャンプ」という形式で外国人が入山可能で、政府のスポーツ機関が一括して登山者を集め、登山活動をマネジメントしていく中で登るという方式がとられていた。

書き込みの概要を記すと、

・田部井淳子氏率いる13人の日本隊は、週末を挟んで現地に到着。

・週末のため宿泊施設や関係者も休暇だったり、登山隊の通訳は登山経験もなく、受け入れ体制に齟齬があった。

・登山隊は悪天の中で登山を強行、登頂に成功したものの、風がひどかったのでコメント主がサポートに出動、登山隊全員を無事迎え入れた。
・コメント主は、田部井氏から登山行程とサポート体制について当初の契約と違うと抗議を受けた。

・コメント主は「自分の仕事は全ての登山者を救援サポートすることで、ガイド・支援員のマネジメントに関しては自分の業務の範囲外であること」を主張。さらに、 「あなたへの支援は十分ではなかったかもしれないが、私は女性初のエベレストサミッターを支援することが出来て光栄に思っています」と答えた。

・登山から三ヶ月後、田部井氏から謝罪と感謝のとても温かい内容の手紙が届いた。登山隊メンバーが誰であるか説明付きの写真も同封してあった。

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そして私が最も印象深く受け取ったのが、次の書き込みである。

コメント主の娘は、1986年のチェルノブイリ原発事故の影響で甲状腺の腫瘍で療養中だった。
治療のために缶詰の海藻を食べさせるなどしていたが、甲状腺腫瘍に効く投薬治療が日本で開発されたと知り、コメント主は「ワラにもすがる」思いで田部井氏に連絡をとった。

田部井氏はすぐに日本から医薬品を送ってくれ、娘は投薬のおかげで回復しました。

その言葉で書き込みは締めくくられている。

田部井氏のエルブルース登山から19年後。
東日本大震災による、福島の原子力発電所の事故。
そして放射能による災厄。

チェルノブイリの影響で甲状腺を患った子供のため、治療薬を日本から送った田部井氏は何を思っただろう。

田部井氏が東北の高校生を富士山に連れて行った原動力には、一人の子供のために治療薬を日本から送ったことと同様、「次の世代」を支えようという確固たる意志があったのだろう。

登山の先達として、ご冥福をお祈り致します。

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忙中菓子有り

嵐のように押し寄せる現場の数々に、会社行事の幹事のお仕事。

土曜日の出社、広い事務室に3人だけ。
人望篤いリーダー役のKさんは、ようやく終わった大プロジェクトの報告書作成のため休み返上で出勤。
若手のリーダー役KS君は、アメリカ出張から戻ったばかりで出張報告書作成。
そして不良社員の私は、来週からの現場準備と会社行事の準備作業。

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忙しくて海外登山情報のチェックは忘れても、職場でのお菓子試食は忘れません。
アメリカ帰りのKS君のお土産、HARRY LONDONのHOLIDAY PRETZELS。
すんげーしょっぱいプレッツェルを硬いクリームでコーティングしたアメリカっぽいお菓子でした。

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畏怖の念 【山の神勧進 山形県新庄市 萩野地区】

平成28年12月11日。
今年の4月に引き続き、山形県新庄市 萩野地区で行われる「山の神勧進」を見学させていただく。

 山形県の最上地方で行われている「山の神勧進」とは、集落に祀られている「山の神」を子供達が持ち回り、集落の家々を訪れる行事である。
 最上地方の「山の神勧進」の開催時期は、新暦の4月、12月末、そして今回の12月12日に近い週末の三つに大別される。
 その由来は、最上地方における山の神とは「田の神」に変化すると考えられており、
 ・新暦4月は山の神が田の神に変わる季節
 ・12月末は子供達が冬休みに入り行事が執り行い易い時期
 そして12月12日は、山の神にとっての年越しの日、と信じられていることに由来する。

12月12日に近い週末、新庄市の黒沢、吉沢、萩野の3地区で山の神勧進が行われる。
文献を調べ、ある特色をもつ萩野地区の「山の神勧進」に興味をもち、現地を訪れた。

朝9時、国道の温度掲示板は-2度を示す。
ときおり激しい降雪の中、中学生・小学生の子供達が歩いていた。

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現在各地で行われている「山の神勧進」は付き添いの大人が同行している場合が多いが、この萩野地区では昔と変わらず、子供達だけで集落をまわっていた。
 「山の神」木像を持つ一番大将(リーダー)に見学させていただきたい旨、挨拶してから同行する。

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 萩野地区の「山の神勧進」の特徴は、訪れた玄関で「山の神」木像を転がす点にある。
 訪問先で神像を転がす、という行為は「山の神勧進」以外、近隣の尾花沢市で行われる「地蔵ころがし」行事との共通点がみられる。

 住民の対応は様々だ。
 玄関口で御賽銭を渡して終わる方、玄関口にお膳やお盆に御神酒・灯明を準備して木像をお参りする方。
 昔から伝わる様式は、子供達からいったん木像を預かり、奥の仏間に持ち込んで参拝、それから子供達に木像を御賽銭と共に返す、というやり方である。

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 山の神をお迎えするため、玄関に置かれた御神酒と灯明

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 そして人々は五穀豊穣・家族の健康、未来を祈る。
 この日は前夜からの激しい降積雪、集落の男性は除雪や急な雪囲いに忙しい。
 対応するのは女性が多い。
 どの家も、子供達をいたわり、山の神をうやうやしく参拝する。

 住民からいただくのは御賽銭の他に餅、お菓子などだ。
 廻り始めて10時前には担当の子供が持っているビニール袋はお供え物でパンパンだ。
 途中、大人は車でお供え物を回収にくるのみで、集落をまわるのはあくまでも子供達だけだ。

 つきそいの大人がいないので、子供達の会話も奔放だ。
 住宅を訪れおわった後、
 「ここ、○○円だけだぜ」
 「え~すくねえなー」
 「山の神あるんだから、川の神つくってまたもらえるんじゃないの」
 ※賽銭は子供達で分け合うのが「山の神勧進」共通の習慣である。

 などなど、ずいぶん「すれた」会話だなあ・・・と思っていたが、しばらく子供達につき合うと、次第に子供達の「山の神」に対する気持ちが見えてきた。

 子供A「疲れるなー、もうここ(家)とばしちゃおうか」
 子供B「山の神にとばすなんて、ありえねーべ」
 子供A「山の神(木像)、二つに割ってさ、二手に分かれよーぜ」
 子供C「そんなことできるわけねーべ」
 一番大将がなにげなく山の神の木像をお手玉のように放り投げながら歩き始めると、同じ年頃の二番大将らしき中学生が、

 「山の神様になんてことすんだよ!」

 と声が飛ぶ。
 気温マイナス2度、激しい降雪、長距離を歩いての移動。
 年上の中学生らは楽しげに会話を交わしているが、うしろをついていく小学生は不安げな表情でちょっぴり辛そうだ。
 そんな中でも、「山の神勧進」の口上を唱えながら元気に集落をまわっていく。
 その会話の中に、ときおり現れる子供達の「山の神」に対する畏怖の念。

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 新庄市萩野地区の山の神勧進、一番大将が持つ「山の神」木像
 
 「仲間」をナイフで切り刻み、川に沈めて人命をもてあそぶ中学生もいる。
 東北の山奥で、「山の神」という見えない存在に畏怖の念を抱く中学生もいる。 

 同行して約1時間以上経過、広い県道にでたところで、子供達がまわった家々を確認し始めた。
 立ち休憩も兼ねているのだろう。
 そのタイミングを見計らい、一番大将に御賽銭を渡し、見学させていただいた御礼を述べる。
 「これからまだ何軒もまわるんですか?」
 とたずねると、さきほどの奔放な会話は消え、子供達から丁寧な言葉遣いの回答が返ってきた。
 おりからの激しい雪と積雪、子供達に「どうぞ気をつけて」と挨拶し、私は集落を離れた。

 新庄市萩野地区、山の神勧進の子供達の口上は次の通りである。

 山の神のおいで
 銭なら四十八文
 餅なら十二
 祝ってたもれば亭主殿
 銭倉米倉つぐように
 この家の身上のぼるように
 この家の身上のぼるように

 

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米代川の贈り物

極寒の秋田の現場もおわり。
現地視察に来た、取引先の偉い人と一緒に皆で飲みに行く。

偉い人のリクエストで「キリタンポの喰える店」ということで訪れたのが、酒どこ べらぼう

このお店、なんと、日本酒頼むときには少し試飲させてくれる。
「もっと辛めのやつない?」
一緒に作業していた若い業者さんが頼むと、そのリクエストにこたえてくれるのだ。

キリタンポ鍋も食ったけど、お品書きでみんなで「これ何だ」 「喰ってみよう」と注文したのが、

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ヤツメウナギ鍋。

「昨年は米代川で全然獲れなくて・・・今年は獲れたんで、鍋OKです。精つきますよ~」
などなど、お店の人もヤツメウナギを熱く語る。

実は私ヤツメウナギは最上川産の焼き物を食った経験はあるが、鍋は初めて。
人によって好みがあるかもしらないけど、淡水魚の泥臭さがあまり気にならない悪食な私には美味しくいただけました。

取引先の偉い人は東大出身、ふだん話していても地頭力の違いをまざまざと思い知らされるが、酒席ではもっぱらエロ話やら過去の現場の苦労話で大盛り上がりに盛り上がる。

その人が仕事の話をしていてポツリという。
「それって、自分の知らない仕事を知るいい機会なんだよね。」
という言葉がとても心に残る。

いや会社の仕事に向上心燃やしたわけではなく、山岳ガイドとして「自分の知らない分野」にもっと積極的に目を向ける姿勢が足りねーんじゃないの?と考えさせられた次第。

翌日、山形にむけて長いドライブの末、帰宅。
少しは落ち着いて山の本を眺める時間がとれそうです。

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