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故・田部井淳子氏と原発事故

この記事に書くことは、もしかしたら田部井淳子女史に近しい方には知られたエピソードかもしれない。

不勉強な私は田部井氏の著書を全て読んでいる訳ではないし交流もなかったので、確かめる術もない。
既に関係者の方に知られたエピソードであれば、諒とされたい。

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左から、田部井淳子氏(エベレスト女性初登、1939~2016)、潘多氏(中国 エベレスト女性第2登、北面女性初登1939~2014)、ワンダ・ルトキェビッチ(ポーランド エベレスト女性第3登、1943~1992)

2016年10月20日、エベレスト女性初登を果たした田部井淳子女史が逝去。
その報を受けた私は、会員登録しており貴重な情報をもたらしてくれるロシアのクライミングサイトに訃報を転載した。

数日後、田部井淳子氏が旧ソ連のエルブルース峰(5642m)に遠征した際の関係者から、コメントを頂戴した。
コメントは田部井氏の思い出に関する長文で、同内容の英文が併記してあった。
そのサイトは外国人が書き込むことはあまりないので、外国人であるスレ主の私むけに英語で書いて下さったのだろう。

その方は92年当時、エルブルースの山小屋に常駐するパトロールの方だった。
旧ソ連の山域では「国際キャンプ」という形式で外国人が入山可能で、政府のスポーツ機関が一括して登山者を集め、登山活動をマネジメントしていく中で登るという方式がとられていた。

書き込みの概要を記すと、

・田部井淳子氏率いる13人の日本隊は、週末を挟んで現地に到着。

・週末のため宿泊施設や関係者も休暇だったり、登山隊の通訳は登山経験もなく、受け入れ体制に齟齬があった。

・登山隊は悪天の中で登山を強行、登頂に成功したものの、風がひどかったのでコメント主がサポートに出動、登山隊全員を無事迎え入れた。
・コメント主は、田部井氏から登山行程とサポート体制について当初の契約と違うと抗議を受けた。

・コメント主は「自分の仕事は全ての登山者を救援サポートすることで、ガイド・支援員のマネジメントに関しては自分の業務の範囲外であること」を主張。さらに、 「あなたへの支援は十分ではなかったかもしれないが、私は女性初のエベレストサミッターを支援することが出来て光栄に思っています」と答えた。

・登山から三ヶ月後、田部井氏から謝罪と感謝のとても温かい内容の手紙が届いた。登山隊メンバーが誰であるか説明付きの写真も同封してあった。

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そして私が最も印象深く受け取ったのが、次の書き込みである。

コメント主の娘は、1986年のチェルノブイリ原発事故の影響で甲状腺の腫瘍で療養中だった。
治療のために缶詰の海藻を食べさせるなどしていたが、甲状腺腫瘍に効く投薬治療が日本で開発されたと知り、コメント主は「ワラにもすがる」思いで田部井氏に連絡をとった。

田部井氏はすぐに日本から医薬品を送ってくれ、娘は投薬のおかげで回復しました。

その言葉で書き込みは締めくくられている。

田部井氏のエルブルース登山から19年後。
東日本大震災による、福島の原子力発電所の事故。
そして放射能による災厄。

チェルノブイリの影響で甲状腺を患った子供のため、治療薬を日本から送った田部井氏は何を思っただろう。

田部井氏が東北の高校生を富士山に連れて行った原動力には、一人の子供のために治療薬を日本から送ったことと同様、「次の世代」を支えようという確固たる意志があったのだろう。

登山の先達として、ご冥福をお祈り致します。

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