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マルコ・プレゼリ氏の言葉

スロヴェニアのマルコ・プレゼリ氏、今春は若手2名と共にインド・キシュトワルヒマラヤに遠征中です。

Trije slovenski alpinisti v Kašmir by DREVNIK 2017.4.5

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インド・キシュトワルヒマラヤのアルジュナ峰(Arjuna 6230 m Photo by Marko Prezelj)
 
 遠征期間は5月24日から6月30日までの予定、目指すルートはアルジュナ峰西壁。インタビュー記事によれば、未踏の西壁はグーグルアースで探し出したとのこと。
 アルジュナ峰は1981年に主峰、82年に南峰がそれぞれポーランド隊に初登された既登峰。

 メンバーは、
Mp2
マルコ・プレゼリ(上)、アーバン・ノバク(右)、アレシュ・チェセン(左)の3人。
若手といっても、アーバン・ノバクはやはりインドヒマラヤ・セロキシュトワル東壁で、アレシュ・チェセンはハグシュ北壁でそれぞれマルコ・プレゼリと組んで登攀、ピオレドールに輝いた猛者です。
チームの構成、超ベテランのプレゼリは1メンバーとして、アーバン・ノバクがリーダーを務めているところがニクいですね。

 上述のDREVNIK の記事はマルコ・プレゼリ氏へのインタビューで構成されているのですが、後半は今春ドイツ・ババリアアルプスで下降中に亡くなったスロヴェニアの若手クライマーについて言及しています。
 内容はアルパインクライミングにおけるリスクに関してですが、長年にわたり極限的なクライミングを行ってきた経験から、「運命」としか説明し難い「リスク」について語ります。
 
 それでもなお、なぜクライマーは死のリスクを冒しながら山に向かうのか。
 記事の最後を締めくくるのは、マルコ・プレゼリ氏の言葉です。

『Nekdo, ki najraje sedi za računalnikom, bo težko razumel, da lahko človeka žene še kaj več.』

(ずっとパソコンの前に座っている者には、それより大事なことがあることに気がつかない。)

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コメント

 お疲れ様です。

 「なぜクライマーは死のリスクを冒しながら
山に向かうのか。」
 そこには、その人にとって価値のあるものが
待っているからでしょう。

 死のリスクを冒して、なお生還できたのは
運命のいたずら、偶然なのでしょう。

 私は、極めて高い安全性を求められる業務に
かかわっている者として、死のリスクは排除
しなければなりません。
 高度のクライマーは、死のリスクを排除した
上で行動し、必ず生還するつもりで山へ向かうものと
思っていました。

 病める現代社会では、死のリスクを冒してなお
パソコンの前に座っている労働者がいるようです。
その人にとっては、パソコンの前にもっとも大事なものがあるのでしょう。

投稿: 死のリスクを冒す nishimura | 2017.06.03 10:37

nishimura様

<<その人にとっては、パソコンの前にもっとも大事なものがあるのでしょう。

nishimura様の書き込みにハッとさせられました。
そうですね。
もちろん、マルコ・プレゼリ氏にIT労働者を貶めるつもりはなかったと思います。

<<私は、極めて高い安全性を求められる業務にかかわっている者として、死のリスクは排除しなければなりません。

 私は建設業の末端にいる者としてお察しいたします。
 
 上記のスロヴェニア語記事の全文は私の力不足で正確に紹介できないのですが、若手の有望なクライマーの死に、プレゼリ氏も「運」を引き合いに出すしか無かったようです。
 先日のウーリー・ステック氏の死去にも絡みますが、優れた才能をもってしても、完璧にリスクを排除できず、時には最悪の事態を迎えることもあるのがクライミングではありますが。。。究極的には、nishimura様おっしゃるように、その行為に「価値」を見出すか否かにかかっているのでしょう。

投稿: 聖母峰 | 2017.06.04 23:20

お返事をいただきまして、ありがとうございます。

 どの行為に「価値」を見出すかは個人次第なのですが、
死が隣り合わせの極限のクライミングを達成した
ご経験をお持ちの、聖母峰様から見れば
日常生活など生ぬるいのではないでしょうか。

 パソコンの前から、岩と雪の世界に「価値」を
見出した若者が、より少ないリスクで帰還できるに
越したことはないのですが、かつての自分も含めて
若者とは、リスクを過少可してしまうものなのでしょうか。

 山岳に限らず、私の活動分野でもベテランと呼ばれる方の判断で、
結果的に悲劇的な事故が続いているように感じております。

投稿: nishimura | 2017.06.08 12:32

nishimura様

<<日常生活など生ぬるいのではないでしょうか。

いえいえいえいえ、リスクと呼べるほどの登山をしていたのは遙か太古の昔ですし、今は会社員生活で辛酸あいや、生ぬるい生活にどっぷり浸かっている私です。。。

<<若者とは、リスクを過少可してしまうものなのでしょうか。

リスクの過少評価もあれば、リスクの「その先にあるもの」に目を奪われがちになってしまうような気がします。美辞麗句で飾るとすれば、「若さ」と表現されることが多いと思ってます。

<<山岳に限らず、私の活動分野でもベテランと呼ばれる方の判断で、

私も建設業に身を置いてますゆえ、労働災害の事例でnishimura様と同じように感じております。現場におりますと、ベテランゆえに事故を避けられた例もあれば、ベテランゆえに油断から事故を招いた例もあります。

 記事中にとりあげたマルコ・プレゼリ氏も、ヒマラヤ登山デビュー時は、登高中に大事な装備を次々と置いてきたりと失態を演じていましたが、極限の登山・クライミングを続けて世界でもトップクライマーの地位を確立した方です。
 才能だけでなく、不断の努力、それを支える情熱がプレゼリ氏を生きながらえさせたと私は考えています。

 見いだした「価値」に莫大なリスクがつきまとうとき、努力でリスクを低減させるか、無知のままリスクに向かい合うか、リスクを恐れて諦めるか。
 
 「パソコンの前に座る者」は比喩であって、自分の夢・価値に向かい合うとき、決してゼロにはならないリスクに向かう気概があるかどうかを、プレゼリ氏は問うているのではないか、と私は勝手に解釈しています。

投稿: 聖母峰 | 2017.06.08 23:28

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