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一寸先は光

アメリカのL.L.ビーンがパンチの効いた広告をひねりだしました。

Portland ad agency shines with new L.L. Bean ‘invisible ink’ ad by Portland Press Herald 2017.9.23

ポートランドの広告代理店The Via Agency社が創りだした広告で、かのNew York Times紙に掲載された広告ですが、

Beanad

まず左側、紙面には『L.L. Bean,』、『Be an outsider, (野外に出よう)』 、『Bring this outside, (外に持ち出そう)』、『No, seriously. Take this outside (いや、ホントにこれを外に持ち出そう』 という単語しか読めません。

そして右側、ポラロイド写真と同様の仕組みからなる特殊インクで印刷された部分、光にあたると文字が浮かび出る、という仕組みになっています。これは「フォトクロミック」という、紫外線に反応するインクだそうです。
L.L.ビーンの製品には一切触れず、アウトドアに出かけることを奨励する宣伝文句で、室内に入ると文字はすぐ消失するようになっています。

この広告の趣旨は、
「私たちは誰もがアウトドア愛好家である」
「人々に(野外にでかける)行動をうながす」
という事です。
広告業界の機関誌Adweekでは絶賛されたとか。

前掲記事の最後のコメントでは、L.L.ビーンのマーケティング担当者はまだまだ何か企画しているらしいが内緒です、と締めくくっています。ちょいとL.L.ビーンの広告に注目ですな。

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アダム・オンドラ、コミックとアニメに登場

あのアダム・オンドラがコミックとアニメに登場!

少年少女のヒーロー、アダム・オンドラが悪の組織に誘拐さる!
スポルティバのキャラクター、ラスポガールとラスポボーイが、アダム・オンドラからもらった靴を履いてパワーアップ!
まあ動画をごらんくだされ↓

スポルティバのCMキャラクター、ラスポガールとラスポボーイが活躍するコミックはこちらで読めます。
LaSpo Kids

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スポルティバのPRコミック、「LaSpo Kids」表紙

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アニメ版・コミック版に登場するアダム・オンドラ。
言うなよ!髪型とメガネしか似てないとか言うなよ!

でもこんな風に子供向けにデフォルメされるのも、世界のアダム・オンドラだからこそですね。

にわか仕込みの知識でクライミング記事を書いた、アダム・オンドラを「チェコの選手」などと名前も書かずにスルーした読売新聞社のスポーツ担当記者はこれを読んで反省してください。

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【告知】 つまむやまがた人 月山の自然に魅せられた男から学ぶ人生

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表題の「つまむやまがた人 月山の自然に魅せられた男から学ぶ人生」と題して、私がお世話になっているNPO法人 月山エコプロの真鍋雅彦氏 (日本山岳ガイド協会認定山岳ガイド、東北マウンテンガイドネットワーク所属) がゲストスピーカーとして登壇予定です。

「つまむやまがた人」とは、「魅力あるやまがた人から暮らしの楽しみ方を学ぶワークショップ」とのこと。
PRとして

「将来の進路に迷っている人、山のガイドってどんな仕事か知りたい人、豊かな人生ってなんだろうと思っている人におすすめ」

とのことです。
山岳ガイドのトークショーといえば、なぜかセックスと薬物に彩られた凶悪犯罪都市・東京で開催されることが多いのですが、今回の真鍋さんのトークショーは東北の地方都市・山形では貴重な、山岳ガイドの生の声を聴ける機会でしょう。
山好きな方、ガイド志望の若い方、ぜひ立ち寄ってみてください。

主催 やまがた藝術学舎市民活動メンバー
共催 東北芸術工科大学
会場 やまがた藝術学舎(旧山形県知事公舎・公館)
日程 2017年10月7日(土)
時間 14:00~16:00 (開場は開会時間の30分前から)

チラシ内容はこちら(PDFファイル)「tumamuyamagata20171007.pdf」をダウンロード

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リック・リッジウェイ、月刊誌『人と山』で語る

リック・リッジウェイといえば、古い山屋な方には著作『ちょっとエベレストまで』で知られていることでしょう。
若い方には環境活動家として知られているかもしれません。
1978年のK2アメリカ隊でジョン・ロスケリーと共に無酸素でアメリカ人初登を果たした人物です。
私個人としては、後のボルネオ島横断などの冒険行を高く評価されるべきだと思っています。

さてそのリック・リッジウェイですが、最近韓国で開催された蔚州山岳映画祭において『世界山岳文化賞』を授与されることが決定、これに伴い韓国の月刊『人と山』にインタビュー記事が掲載されました。

Rick Ridgeway 「2017蔚州世界山岳文化賞」受賞者 米国の山岳文化伝道師 by 月刊『人と山』2017年8月号

以下引用開始
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文 シン・ヨンチョル編集員 写真キム・テミ在米カメラマン

 アメリカに「アジア」という変わった名前を持つ女性がいる。その女性を主人公とする本『父の山』は登山家リック・リッジウェイが書いた本である。韓国語にも翻訳されて好評価を受けた。半紙に染みこむ墨汁のように感情移入し、涙が流れた本。肌の色や言語は違っても、山と人との関係に対する洞察は同じものなのだろうか。

 ストーリーは、古いモノクロ写真のように古典的な話だ。 1980年10月、リッジウェイは、アウトドアメーカーを起業して有名なイヴォン・シュイナードとチベットを訪問する。ミニヤコンガ(MinyaKonka 7556m)を登るためだ。その過程を取材するために、ナショナルジオグラフィックのカメラマン、ジョナサン・ライト(Jonathan Wright)も同行する。
 厳しい登山の中、雪崩に遭いジョナサンはリッジウェイの膝の上で死ぬ。当時、アメリカのジョナサン家には生後16ヶ月の娘、アジア(Asia)がいた。赤ちゃんがニッコリ笑ってくれるだけで世界のすべての父親は幸せである。仏教に深い関心があったジョナサンは、赤ちゃんが生まれる前に「アジア」と命名しておいたのだ。

 登山を中止したリッジウェイはジョナサンの遺体を収容し、ケルンを積み上げた後、帰国する。リッジウェイが住んでいたベンチュラはパタゴニア本社のある所だ。同じ地区に住んでいたジョナサンの娘アジアは、パタゴニア創業者イヴォン・シュイナードの娘、そしてリッジウェイの娘と年齢が近く、同じ学校に通って成長した。リッジウェイ夫婦は、アジアを実の娘のように愛した。リッジウェイが見守る中でアジアは成長し、パタゴニアでアルバイトをして登山も学んだ。

「ある年の夏の終わりでした。アジアが私に尋ねたんです。私のお父さんはどんな人であったか、と。父の顔も知らないまま成長したアジアでした。父の説明を聞いたアジアは、私にチベットにある父の墓に連れて行ってくれと頼んできました。いつの日か、アジアからそのような質問を受けることを私は期待していました。」

 そしてアジアが19歳になった1999年、父の墓を見つけるためチベットを訪れる。登山旅行に仏教、哲学、登山などの複数のストーリーをまじえて人生を凝視する物語。二人は父ジョナサンが登れなかったミニヤコンガを訪れ、ケルンを探すというストーリーの本だ。

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ベンチュラ、パタゴニア本社

 パタゴニア本社で握手を交わしたリッジウェイは相変わらずだった。パッと笑う表情と太い皺は仮面に似ている。今回もやはりショートパンツにサンダル姿。アウトドア会社特有のコンセプトだ。

「私たちは、格式を問わない自由奔放な伝統を守っています。それがアウトドアの本質ではないでしょうか?以前にお会いしてからもう7年が経ったんでしたっけ?」

暑い8月だが太平洋に近く、涼しい感じがする。本社入口の左側に、従業員の子供のために会社が運営する幼稚園がある。子供たちの笑い声も7年前のままだ。

「私の娘もこの幼稚園出身です。今はこの会社で私と一緒に働いてまして、孫娘も今この幼稚園に通ってます。私たちは、三代ここに通っていますよ。」

もちろんジョナサン・アジアもこの幼稚園出身だった。会議室でリッジウェイに面会した。彼にたずねた最初の質問は、まさにアジアの近況だった。アジアは、ニューヨークのナイキ本社に勤務し、スマートな夫に出会って結婚し、今は子供を2人もつ母親であるという。

「私の娘のようなアジアは「父」を見つけ、その時のチベット旅行で、自分自身が抱えている「陰」を克服しました。アジアの性格は明るく変わり、社会生活にも成功して落ち着きました。アジアが幸せに暮らしているのが嬉しい。私たちは、アジアを愛してるんですよ。」

 人と山の関係を包括する山岳文化は特別である。偉大な自然と山の前では限りなく小さい存在、それが人間である。それでも、その小さく弱い人間は、もの言わぬ山に向かって絶えず挑戦し、達成し、時には挫折する。
 そのプロセスが感動であり、悲しみがあり、深いストーリーテリングが存在する。そんな経験が一体化されている正しい山岳文化を創造することができるだろう。まさにリッジウェイのような人が経験した「山」である。知恵と経験が山岳文化の地平を広げてくれているのだ。

「本題にはいりましょう。まず、「2017蔚州世界山岳文化賞」受賞おめでとうございます」

「ありがとう。実際、受賞の知らせを聞いて驚きました。初めて韓国支社を通じて知らされてから、蔚州世界山岳映画祭を知りました。調べてみると、世界的に知られ始めた山岳映画祭のようですね。非常に望ましい山岳文化がまさに映画祭だ。映像にまさる大きな破壊力はない。私も映像を制作していたからわかります。そのような面で私がアメリカでも貢献している部分がありますよ。」

 リッジウェイの言葉は示唆するところが大きい。彼はアメリカ在住で最もインテリジェントな登山家であり、純度の高い山岳文化を生み出している。彼が発表した多くの著作は、米国で人気を集めている。自然と山のノンフィクションでありながら、小説よりも面白いからだ。リッジウェイはニューヨークタイムズ選定10大ベストセラー作家にもとりあげられた売れっ子作家でもある。
 それだけではない。映像で20編余りの山岳・探険ドキュメンタリーを直接監督・製作したドキュメンタリー監督だ。映像では米国で有名な「エミー賞」」を受賞した。また、米国を網羅したアドベンチャーの写真・映画会社を運営したりと、山岳文化賞に本当にふさわしい人選である。

 リッジウェイの登山界の先輩でもあるイヴォン・シュイナードに抜擢され、2000年からパタゴニア理事会メンバーに抜擢され、今日まで社会貢献担当副社長を務めている。青い目の白髪、そしてラフに着こなしたシャツとショートパンツ、素足にサンダル姿であるリッジウェイ。この会社の社主であるイヴォン・シュイナードに初めて会った時も同じ服装だった。そうして見ると、シュイナードとリッジウェイは本当によく似ている。小柄でハンサムではないが、顔で山に登るわけではないように、野生にふさわしい表情で人生を太く生きている。まさに「小さな巨人」と呼ぶにふさわしい。

骨の髄からの環境論者

「この写真を見てください。イヴォン・シュイナード、私、ノースフェイス創業者のトンプキンス(Tomkins)です。パタゴニアでカヤックを漕いで撮った写真です。そのトンプキンスが溺死して亡くなる直前に、自然を楽しんでいたその時の写真です。わずか1年8ヶ月前の話だ。」

 会議室に設置された写真には、シュイナードとトンプキンス、リッジウェイ、もう一人の男性が見えた。 2人乗りカヤックにはトンプキンスとリッジウェイが一緒に乗っていた。パタゴニアの悪名高い強風が湖に吹き、カヤックが転覆した。水温は摂氏4度と冷たかった。リッジウェイは他のカヤックによって救助され、トンプキンスは急いでヘリ輸送されたが、結局病院で死亡した。低体温症が死因だった。 2015年12月、野生の土地パタゴニアの湖で起こった悲劇だった。 72歳の生涯を終えたトンプキンスや68歳のリッジウェイは、すなわち「走り続けるお爺さん」たちである。

「事故は私の人生観も変えた。」

 写真を撫でるリッジウェイの目元に涙がにじみ、山で結んだ長い友情、パタゴニアへの無限の愛情。その歴史は古くにさかのぼる。 1968年トンプキンスと彼らは未知の世界だったパタゴニア・フィッツロイ登山を目指した。

「ダグラス・トンプキンスはイヴォン・シュイナードなど友人と古いフォードバンに乗って、アルゼンチンとチリの国境に沿ってパタゴニアのフィッツロイ登山に出かけ、その過程をドキュメンタリー映像に収めました。それが山岳映画の古典とされている映画「Mountain of Storms」です。 2010年、私はクリス・メルロイ監督と一緒にその旅を新たに撮影したドキュメンタリー「180 Degrees South:Conqueror of The Useless」を撮りました。映画と一緒に本も同時に出版しました。」

 1968年の旅を再訪する内容のこの映画は、全米で上映され好評を得た。それだけこれらの愛情が深いパタゴニアはイヴォン・シュイナードによってアウトドアブランド名にも選ばれた。フィッツロイの稜線のイラストにパタゴニアのロゴが飾られたものである。ノースフェイス、パタゴニアはそれぞれアウトドア事業に大きく成功し、パタゴニア保護活動を始めた。

「私たちは、漠然と自然保護をするものではありません。消えていく様々な在来種に安全な生息地を提供して、「搾取する経済」から「節約とエコツーリズムの経済」へと転換を模索するものです。だからトンプキンスを主軸に、私たちは、ディープ・エコロジー財団(DEF)を作りました。パタゴニアの野生の土地を購入して開発不可能な公園を作り始めました。チリ、アルゼンチン政府の公園を寄贈して国立公園に指定してもらう計画を実行し始めたんです。」

 リッジウェイの言葉通り、これらの財団は、世界で最も広大な私有地を購入し、その地に野生公園を作った。地球の大陸の端、チリとアルゼンチンの広大な森林と草原の公園の規模は、ソウルの面積の15倍にもなる220万エーカー、約27億坪もの広さだ。これだけで終わらず、国立公園になったアルゼンチンのモンテレオン(Monte Leon)、チリパタゴニアのコルコバード、アルゼンチン最大の野生湿地エステロスデルイベにも公園を作った。

 このような膨大な実績があるため、リッジウェイは環境活動家としても米国で評判が高い。年をとってもパタゴニアでカヤックを楽しんで公園を作る老人。そういえばショートパンツ姿のリッジウェイの足の筋肉は目立つ。彼はその足の力だけで、2004年には手作りリヤカーを引いて、無人のチベット・チャンタン高原500kmを歩いて横断した。絶滅危惧種チルー(chiru)を探すためだ。 2009年、リッジウェイはナショナルジオグラフィックが1年に1人選ぶアドベンチャーベストに選ばれた。彼は世界的なノンフィクション作家であり、写真家であり映像プランナーだ。また、ナショナルジオグラフィック、ABC、NBC、ESPNなどの放送チャンネルに探検ドキュメンタリーを提供するエンターテイメント会社の代表を務めたこともある。

自然は子孫に借りて使うことに感謝

 パタゴニア創業者イヴォンシュイナードとリッジウェイは、多くの登山と探検を一緒にして友情を築いてきた仲だ。韓国で言えば、「長い登山の先輩・後輩」の関係だ。

「ここで働くことになるとは私も予想しなかった。悪友のシュイナードの勧誘が素晴らしかった。自然を保全し、保護するために先頭に立ってほしいという言葉だったから。会社で私がしていることはまさにそれです。環境関連の本を出版し、団体を見つけて後援すること。当社の総売上高の1パーセントを環境のために寄付している。大きな金額です。私たちの環境保護のアイデアは、米国各地に広がり、今では売上高の一定部分を基金に差し出す企業がすでに千社を超えました。」

 そういえばリッジウェイは、会話の中で言い過ぎと思うほどに「環境」を前面に押し出していた。特定の宗教を持たないリッジウェイ。自然主義者らしく万物の根本となる自然を理解しようと努力すると同時に、「自然教」を信じる信徒のようにも見える。

「以前にアフリカのケニア山を登ったことがある。その時アイスクライミングを余儀なくされました。ところが、その氷河がもうなくなってしまった。気候温暖化のためです。私たちの子孫はそんな風景を写真でしか見ることができない。環境の搾取や破壊は、子孫から借りている自然に対して罪を犯していることです。」

 彼が書いた本やドキュメンタリー映像で強力なリッジウェイのメッセージを垣間見ることができる。先に述べた絶滅の危機に瀕しているチルーを保護するためのチャンタン高原横断記「THE BIG OPEN」もそうだ。彼のベストセラー「キリマンジャロの影」もやはり、環境告発であった。キリマンジャロの氷河が溶けており、共生しなければならない動物が絶滅に追い込まれている。自然と人間の貪欲さへの告発本である。

「根本的にアメリカ人は、いや世界は、自然に対する考え方を変える必要があります。地球は一つしかない。生物学的年齢のためにもう激しい登山を離れ、自然をより深く勉強することになりました。大自然に移った私の関心は、すべての感覚を動員して新たに大自然に目が開いたと言える。誰かが、私たちが地球に影響を与えることに警鐘を鳴らさなくてはならない。それが、私が山岳文化を見つめる基準点となります。」

 パタゴニアは3億ドルに達する年間売上高で、税金控除前の1%に達する資金を環境のために運用している。そのためパタゴニアは優良企業として、環境保全事業のリーディングカンパニーとして注目されている。リッジウェイは登山という目的のある自由生活を止めてまで副社長に就任した。会社を通じて自然保護の夢をかなえるためである。作家としての想像力豊かなリッジウェイが、パタゴニアの理想を促進するのに最も適任者だったのだ。

「出版事業部新設もその一環です。書籍発刊は金のためのビジネスではありません。環境と野生、冒険に関連する本をすでに何冊も発行してきました。その本を介して会社の考えを広く知らせるというの目的もあります。」

 会議室の隣には、リッジウェイが制作した山と探検に関連する書籍が何冊も置かれている。話を続けるリッジウェイの言葉は、そのまま文章にしてもかまわないほどに論理整然としていた。そして、自然を何故「神」のように支え、考えなければならないのか、傾聴する価値のある発言だった。

「韓国の登山家たちに自然に対する考えをコメント?簡単ですよ。世界のすべての登山家がそうでしょうが、プロセスを重要視しなければなりません。自然に苦しめられ生き延びている登山家たちが、率先して環境を守らねばならないということです。地球は一つだけです。真の登山家なら、それをまず理解しなければなりません。」

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学者への道と自然への道

「あなたは、蔚州世界山岳映画祭の選定委員会で、投票によって第1回山岳文化賞受賞者に決定しました。その知らせを聞いてどのような感想を抱きましたか?」

「驚きました。クリス・ボニントンのように有名な登山家の中から私が選ばれたのが驚きでした。そして率直に言ってありがたいと思いました。生涯かけて追求してきた、自然と山岳文化の総合的な努力を評価されたようで。」

 総合的な努力とは、何をさすのか。自然と共存する人間の思考、つまり山岳文化をさすものである。その点から蔚州世界山岳映画祭は、適切な受賞者を選んだわけだ。現存する最高の登山活動と探検、人間との関係を考察する作家であるゆえに。
 リッジウェイはもともと学者を目指していた。1975年、リッジウェイは米国の名門大学バークレー校の全額奨学金を受ける条件で、地球物理学の5年の博士課程に入学した。しかしその後、エベレスト登山隊に参加することを打診された。 1976年のアメリカ独立200周年記念エベレスト遠征であった。リッジウェイはためらうことなくエベレストを選んだ。

「今は人口の多い都市となったが、オレンジ畑が並ぶLA近郊オレンジ郡が私の故郷です。 1963年だから、私は15歳の頃だっただろう。オレンジ畑が建物に占領されるのが嫌で山に通い始めました。その山で素晴らしい先輩たちと出会い、彼らにクライミングや山を学んだ。その山にはまっていたとき、ナショナルジオグラフィックの表紙で、米国初のエベレスト登頂者ジム・ウィテカーの表紙写真を見たんです。」

 少年登山家リッジウェイにとって、ジム・ウィテカーは英雄だった。そして、その人のようになることを切実に願った。 1976年に彼はエベレスト遠征に参加した。青年リッジウェイは遠征隊員に抜擢されるほどクライミング能力を認められたものである。その時は頂上に立てなかったものの、エベレスト登山ドキュメンタリー映画チームを助け、映画製作を学ぶことができた。それは大きな経験になった。帰国後はエベレスト登山の本を書き、自分のカメラで撮影した写真とドキュメンタリーフィルムをナショナルジオグラフィックに売りつけ、自分だけのメディア経歴を積み始めたのだ。

「驚くべきことが起こりました。 2年後の1978年に、私にとって英雄であるジム・ウィテカーが隊長として私をK2隊員に呼んでくれたんです。どんなに感激したことか。憧れた英雄とチームになれる瞬間でした。」

 その登山でリッジウェイは、ジョン・ロスケリーと共に無酸素でK2登頂に成功する。 アメリカ人初のK2登頂という快挙であった。 15歳の少年の英雄だったジム・ウィテカーのように、リッジウェイも79年のナショナルジオグラフィックの表紙に堂々と顔が掲載された。
 リッジウェイがバークレー大学で勉強を継続していれば、私たちは偉大な探検家であり山岳文化の伝導師に会うことはなかっただろう。 だが、彼は安楽な将来が保障された学者の道よりも自ら大自然への道を選択した

180°SOUTHを出品したい

 映像にまさる破壊力はない。蔚州世界山岳映画祭が短期間に世界の支持を受けた理由もそこにある。リッジウェイがデイビー・ムーアなど、ハリウッドの有名監督と共同で製作した映画がある。米全域で公開された「180°SOUTH」というドキュメンタリーだ。この映画の中で共同制作を担当したリッジウェイは、同じタイトルの本も出版した。ハリウッドスタイルがそうであるように、映画も数年間、大金をかけて製作された。パタゴニアを愛した彼ららしく、そこに生きる自然と登山に取り組む人間を出演させ、野生の映像と自然保護の正当性を促進するというコンセプトであった。

「蔚州映画祭に出品をするとすれば、今まで作ってきた多くの映像のうち、どれを選びますか?」

私は尋ねた。リッジウェイは、放送界や映画界を行き来し、多くの作品を所有しているからである。

「180°SOUTHだ。それほど完成度が高い。また、2年前に私と一緒にカヤックを漕いでいて亡くなったダグラス・トンプキンスが出演したので縁も深い。 1968年トンプキンスとイヴォン・シュイナードなどが一緒に古いフォードバンに乗って追い求めたパタゴニア。そのフィッツロイ初登攀の登山をドキュメンタリー映像として記録した「Mountain of Storms」を現代的に再現したものだ。ユーチューブで見ることができるよ。」

「7年前に初めてお会いしてから、再び作成した映像や本はありますか?」

「ありません。既に述べたようにパタゴニアに公園を作るなど大変忙しかったんです。私たちは自然保護に全力を尽くしています。しかし、作家として文章に対する渇望は感じますね。いくつか構想はありますが、本当に忙しくて書く暇がありません。」

「あなたは、いくつかの権威ある賞を受賞しました。それだけ文章をよく書きます。文章の勉強をした経験は?」

「ないですよ。大学で、別の私の願望を発見することができたんです。 私が大自然の中で行う行為を、文章に移す面白味を知ったんです。クライミングや探険に必要なお金のためにペンキ塗りなど片っ端から仕事をした。 今考えればドンキホーテそのまんまですが、その時がおもしろかった。」

 大学を卒業したリッジウェイは職もなく、1970年代初めLA近くの岩場やヨセミテで時間を過ごした。当時リッジウェイは、「私の救いだった」と言うほどだった。それが山の先輩であるイヴォン・シイュナードとの出会いだ。 2000年に自分が作った冒険・探検の写真とフィルムを売る事業をしていたリッジウェイは、イヴォン・シュイナードからパタゴニア入社オファーを受けることになる。そして2003年の理事に就任、2005年には環境担当副社長となり、今日まで勤務している。

セブンサミットという言葉を作った人

「向こうに、みすぼらしいトタン屋根の工場が見えますか?私がベンチュラに移ったとき、シュイナードにはその工場が全てだった。現在は博物館ですが、これがグローバル企業パタゴニアのはじまりです。今、私たちの会社は、米国の若者が入社を希望する優良企業となりました。」

 リッジウェイの著作の中で、韓国でも人気を呼んだ 『不可能な夢はない』 というタイトルの本がある。その本の中で韓国の登山家たちもよく知っている「セブンサミット」という言葉は、彼が最初に作りだした。石油会社社長だったディック・バスと、ワーナー・ブラザーズ映画会社フランク・ウェルズ社長がリッジウェイを訪れた。初心者が世界初の7大陸最高峰登頂をしようとするため援助を求めたのだ。

「50歳を超えたアマチュア登山家に実際には「不可能な夢」です。しかし、それを克服するのが登山家の精神ではないか?だから承諾しました。」

 リッジウェイは、実際に彼らと共に7大陸最高峰のクライミングに成功する。たくさんの資金を持つ社長が各大陸の最高峰をすべて登るという発想が痛快である。本来、山岳文化が魅力的なのは、山ではなく山に登る人間の話だ。その登山を終えた後、リッジウェイが発行した 『不可能な夢はない』 がまさにそれである。
 長い時間にも、リッジウェイの話しぶりは柔らかく静かである。青い目の探検家の無邪気な表情と首の太いシワが似合う。ショートパンツに素足、そこにスリッパを履いた姿が見栄えが良い。彼が自然とともに生きてきた年月を雄弁するようかのように堂々としている。

「韓国の登山家ヤン・スンオさんは私たちの会社に勤務したことがあり、よく知ってます。私たちは一緒にティトンに登山旅行に行ったりもした。引退?私にはそんなことはありません。作家に引退はありません。会社でも引退するつもりはありません。まだすることがたくさん残ってますからね。」

 リッジウェイは最近は幸せな日々だと語る。トンプキンスの忘れられない事故の後、同社の幼稚園で孫娘や娘に会えれば人生幸せであると考える。リッジウェイには2女1男の子供がいる。娘はクライマー、息子はサーファーだ。イヴォン・シュイナードの娘とソン・ジュンオクの娘、そしてリッジウェイの娘は、最初に話したアジアと同じ高校を出た。リッジウェイの娘がそうだったように、孫娘が代を継いで会社の幼稚園で大きく育つ。父のように子供たちも友情をはぐくみ続けているのだ。

「長い時間ありがとう。私はあなたがより文章を多くの書き込みを望みます。あなたの文章のファンですから。」

 約束した時間を超えて取材日程が終わった。リッジウェイの写真を撮影して、通訳をしていたカメラマン、キム・テミさんは好奇心で目が輝いていた。インタビューが終わる頃には、尊敬の眼差しに変わっている。

「蔚州が韓国初、最大の山岳映画祭ということは知っています。 9月には蔚州世界山岳映画祭で会いましょう。全世界の大陸にそびえる山、数え切れない山岳文化こそ、徐々に、その多様性で、より注目されるでしょう。私は蔚州の文章を書きます。アメリカの山岳映画祭との連携も考えてみましょう。山岳文化で互いに連携する相乗効果があることを知っていますから。」

 会社の門の外まで見送ってくれたリッジウェイと握手を交わした。太陽が輝く太平洋に白い帆のヨットが浮かび、サーファーが波に乗っていた。生涯を自然とともに生きてきたリッジウェイ。
 「年齢とは、生物学的分類であるだけ」という言葉が、ふと浮かんだ。

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 私事ですが、初めての子(娘)が生まれたとき、家族・親類から「お前が名前を決めろ」と言われたもので悩んだ結果、ジョナサン・ライトのエピソードにちなみ「亜細亜」と命名しかけたのですが、お前が決めろと言ったはずの家族・親類に猛反対され撤回した思い出があります。しくしく。まあ結局ワルテル・ボナッティのエピソードから娘の名前を命名したけど。
 リック・リッジウェイ氏の健康とますますの活躍を祈ります。

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ロシア隊、ラトックⅠ峰断念

ロシアのアレクサンドル・グコフ、ワレリー・シャマロのペアが挑んだラトックⅠ峰北面。
降雪に苦しめられ、食料・ガスの残量も少なくなり時間切れで敗退した模様です。

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二人が登ったライン(赤線) 

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ワレリー・シャマロ(Валерий Шамало)

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アレクサンドル・グコフ(Александр Гуков)

2人は8月17日にBCを出発、ラトックⅠ峰北面にとりつき、予定を変更して北尾根を右側にまわりこんだルートを登りましたが降雪に苦しめられ、食料・ガス残量が乏しくなり8月28日の到達点(6500~6700mと思われる)を最高点として下降したものです。
2人の健闘をたたえるとともに、ラトックⅠ峰北面はまた未踏のまま、次のクライマー迎えることになります。

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晩夏の泉ヶ岳 

土日。
所用で老母の送迎があるため、時間のかかる山に行けそうにない。
土曜日に雑事を済ませ、日曜、老母を車で送った後、宮城県に移動。
泉ヶ岳(1175m)に登る。

スキー場のゲレンデをさっさと登り、岡沼を越えてカモシカコース上部へ。

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以前、ガイド山行で仙台のお客様が
「泉ヶ岳は仙台市民の心の山です」とおっしゃっていた。
そのきっばりとした口調に、登高意欲をそそられたのだった。

正直「1000m少しのハイキングの山だろ」と思っていたが、カモシカコース上部の急登でしっかり汗を絞られる。

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登山コースも山頂も、登山者で大賑わい。
帰路は水神コースを下山したが、急勾配のルートにもかかわらず大勢のハイカー達とすれ違い、水神の石碑がある地点でも多くの人々が昼食休憩をとっている。
なるほど、仙台市民に愛されている山である。

昼過ぎに下山、車で奥羽山脈を越えて所用のため朝日少年自然の家を訪問。
それからまた山形盆地を横断し、東根市へ。

もう数年前から気になっていたのだが、

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県道脇に立つ、「かたい桃あります」の看板。

ウチの娘、固い桃が大好き。
缶詰のシロップ漬けの果物は嫌い、生食が好き、と贅沢な娘に育ってしまいました。

訪れたお店で「固い桃ありませんかぁ~」とたずねようとしたら、

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無人販売店でした。
ここで「ゆうぞら」という品種の桃6つで500円を購入。

交通量の激しい県道脇の無人販売だし、質の低い桃かなぁ~と思いましたが、帰宅して味見してみるとなかなかの固さと甘みでした。
東北地方も、これから秋の味覚の時期に突入~

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月山、強風。

9月3日、ガイド山行のため月山に入山。

ここのところハードな現場続き。
帰宅してメシ喰って寝る、という「大人ロンパールーム」な生活に浸っていたが、ガイドの予定は入っているので隙間時間を作って山行の準備を進める日々。

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台風の影響で強風とガスの中、どうにか山頂に到達。

今回は福島県某町、東日本大震災後に町民のレクレーション活動団体として発展したNPO団体のお客様。
6~7人ずつの6グループに分かれ、ガイドも6人出動。

折からの強風・低温のため、昼は山頂小屋でゆっくりすることになった。
ゆっくりといっても、他の一般登山客も休憩のため山頂小屋に集中し、大混雑。
お客様たちがテーブルについた後、もう私の座るスペースは無かった。

「大滝さん、こっち」
と、今回一緒になった田中ガイドに呼ばれる。
山頂小屋おかみさん、ご主人のご配慮で、奥の部屋をガイド用に使わせていただいた。
さらにナメコ汁もごちそうになる。

ガイドの特権などというものは意識せず、ガイドを職業として認識していただいていることに感謝する。
缶詰物ではない、地物の、土の香りがするナメコ汁。
ナメコ汁で暖まる身体に、どれだけ自分が「冷え」に無頓着であったかを反省しながらの昼食休憩。

参加者皆様の脚がそろっていたおかげで、予定よりも早く下山。
登山口で撮りたかった写真があった。

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イタドリの花。
姥沢登山口、駐車場からリフト乗り場までの車道脇を彩っているが、これから月山に向かう人、下りてきた人、どなたからも関心を向けられないようだ。
鮮やかに白く咲いた花に興味をもち、調べてみるとイタドリの花でした。

お客様たちを見送り、私たちガイドグループも解散。
一仕事終えた安堵感とともに帰宅すべく国道を走っていると、スマホに録音した音楽が中断され、電話の着信。
某団体様より、今秋予定のガイド山行目的地に関する問い合わせの電話。
紅葉シーズンにむけて、まだまだ息つく間はないみたい。

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