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アスパラガスの味噌漬

小樽に住み着いて一週間。

街のあちこちが観光地なもんで、外食するとメチャメチャ高くつく。

観光客向けのスイーツやら料理やらは、1日で飽きる。

何か旬のものを食べたいと思い、スーパーで地元産の安いアスパラガスを買う。

アスパラガスといえば茹でてマヨネーズで食すのが私にとって普通の食べ方だが、せっかく北海道に来たので北海道風の味噌漬けにする。

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レシピに書いてある砂糖の量にびびって半分に減らしたら、しょっぱく仕上がりました。
飯のおかずにします。

参考文献:岩城道子著 『北海道の漬物』 北海道新聞社刊 1996

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【かーごめ】 台湾の遭難防止ビデオが恐ろしい・・・ 【かごめ】

険しい山岳地帯を擁し、近年は道迷い遭難事故が増加している台湾。

その台湾・台中市政府消防局が制作した山岳遭難防止啓蒙の動画がホラー仕立てで恐ろしい・・・

中市微電影宣導登山安全 驚悚刺激網路熱議 by 連合新聞網 2018.5.19

タイトルは『籠中鳥 Lost』。
「籠中鳥」とは、日本の童謡「かごめかごめ」で、動画の冒頭にも日本語そのままに流れます。
「かごめかごめ」は台湾でも少し知られている日本の童謡ですね。

まずは動画をごらんくだされ。

ちなみに出演者はプロの俳優ではなく、全員が台中市政府消防局の職員だそうです。

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動画をみてよくわからん、という人のためにネタバレの解説です。(カーソルでなぞると反転文字で表示されます)

「かごめかごめ」って、子供の輪の中にいるオニが、うしろの人の名前を当てるという遊びですよね。

で、当てたオニは外にでられるという遊びです。

山登りしていた青年が、山中で傘をさした男性と出会い、そのまま道迷い遭難に陥ってしまいます。

山中でこの世の者と思えない何かな遭遇する青年。

やがて青年は消防隊に無事救出され、消防署で休憩していますが、振り向いたその表情は既にもとの青年のものではなく・・・壁には、あの「傘をさした男性」の行方不明・情報提供をうながす貼り紙が・・・

そうなんです。かごめかごめ同様に、青年は傘をさした男性に乗っ取られ、「オニ」になった青年の魂はまだ山中をさまよっていることを暗示するラストなんです。

山は怖えーよ。

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美内すずえ、『ガラスの仮面』継続宣言

「別冊花とゆめ」休刊 美内すずえさんは「『ガラスの仮面』描き続ける」 by サンスポ2018.5.27

いやもう『ガラスの仮面』はいいから、
Se
『聖アリス帝国』 続編書いて欲しいのは、私だけではないはずだ。

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休日日記 5月27日

ウィークリーマンションに入った翌日は日曜で休み。
生活環境を整えるために片付け物、近所で買い物。

市立小樽図書館で調べ物をした後、小樽市奥沢地区へ。
奥沢地区の真言宗・不動院という寺で開催されている例大祭を訪問。

事前の調べ物で驚かされたのが、5月末から小樽市では連続して例大祭が各所で行われる。

平成30年小樽市内のお祭り(神社例大祭)日程 小樽市ウェブサイト

 北海道では夏は短く、春が終わればすぐに秋になるとも言われる。その合間に田植えが行われ、ちょうど初夏の時期に豊作を祈願する祭りとして行われること。
 小樽をはじめとした日本海側では、かつてのニシン漁の盛況にあわせて祭りが行われたこと。
 などがこの時期に例大祭が集中する理由らしい。

小樽市の例大祭の中でも、不動院は唯一、寺院での祭りである。
奥沢地区に徒歩で進むと、祭りの帰りらしい小学生の集団と幾つもすれ違う。

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小樽市・不動院の門前にて。

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山形でみられる、いわゆる祭り・縁日と異なり、寺院の境内に多くのテーブルが並べられ、地元の方々とおぼしき家族連れでいっぱいです。
大人達、特に男性はほとんどの方がビールがまわっているのか、顔が赤い。

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日本全国、子供達は「射幸心をあおる」ゲームに夢中ですね。

お祭り価格の焼きそばを食して帰りました。

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北海道、桜は散りましたが八重桜はまだ市街地のあちこちに咲いてます。

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空き地も花盛り。

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空き地を彩るのは、たぶんワスレナクサ。図鑑で確認してみましたが、エゾムラサキではないようです。

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書店で地形図を購入。
不良社員の私、来週の休みの準備もぬかりなく。

北海道外の人間があまり立ち寄らない、かつ地元の人々に愛されている低山を登りたいと思っています。

参考文献:小田島政子著『北海道の年中行事』北海道新聞社刊 1996、合田一道著『北海道 祭りのロマン』北海道新聞社刊 1982

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ひとり暮らし in 小樽

後発で小樽に来た私、ホテルに2泊してようやくウィークリーマンションに入る。

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しばらく北の街で独身生活です。

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長期出張のパートナー、ソウルで買った韓国箸。
金属製で水切れがよく、韓国の思い出と一緒に手放せない道具。

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ダイソーで300円で買った、PC用スピーカー。
前にもブログで書いたように、エピックと呼ばれるジャンルの音楽を聴くことが多い。
普段はステレオイヤホン愛用してますが、開放的な感じで音楽が聴けて結構気に入ってます。

昨年の沖縄出張でのウィークリーマンションでは、湿気・カビ対策のために日常的にエアコン稼働させるよう注意書きがありましたが、ここ北海道のウィークリーマンションはエアコンが付いていません。ガス暖房だけ。
南北に長い日本列島、所変われば住まいも変わりますな。

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サラメシ物語 小樽編

現場作業が始まる。

小樽は街の中に幾つもの「市場」がある。
まえもって読んでいた宮本常一の本では、市場には市場労働者専用の、バラック小屋のような食堂が繁盛していたらしい。
現在はもちろん小綺麗な食堂になっている。

現場での昼飯は近くの某市場の食堂

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なかなか魅力的な海産物市場、現場おわったら土産物買いたい。

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ずらりと並ぶ観光客向けの丼物。

親方「大滝、時価いけよ、時価。」
私「金ありません」(即答)

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本日のランチ、サバ味噌煮定食600円を食す。
ふだん山形で喰ってるサバ味噌煮と違い、サバに箸を入れるとじゅわ~っと脂が出てくる。すげー旨い。

午後も仕事頑張ります。(自己申告)

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さすらいの現場作業員、北へ

 アメリカでの社員研修から帰国し、社内失業を満喫しつつ、初夏の山形の民俗行事スケジュールをいろいろ調べていた休日、携帯が鳴る。
 携帯の着信画面名は親方という名の上司。

「ちょっと人手が急に足りなくてよー、大滝だいじょうぶか?」

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というわけで、

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しばらく小樽で暮らします。

電話をもらってから数日バタバタと準備・荷造り。
会社では会う人会う人、皆から、
「え?小樽?寿司食ってくるんだろ?」

いやいや仕事だっつーの。

小樽のホテルに16時に到着。
現場を確認したいので親方という名の上司に電話で一報を入れ、現場に入る。
元請け担当者様にも挨拶し、(さあ、帰って夜の小樽を 一  人 で  満喫しよう)と思ったところへ親方から

「大滝、時間空いてるだろ?」と、親方の車に拉致られる。
先発して乗り込んでいる親方のウィークリーマンションに連行。
ウィークリーマンション備え付けのネット手続きが結構面倒なタイプで、パソコン苦手な親方はwifi設定ができず、有線LANで運用していたらしい。大滝なんとかつなげてくれ、という特命が下る。

30分ほどかけてwifi運用手続きを完了。
手続き画面を正直に進んでいくとgoogleアカウント取得画面に誘導されるような紛らわしい造りになっており、スキップすべきところを親方は素直にgoogleアカウント取得画面に迷い込んで悩んでいたようだ。

「大滝~、せっかくだから夕食おごるぞ、丸亀製麺、すき家、ココイチ、何がいいんだ?」

親方の好みからして麺はありえないので、
「すき家でいいです」
「えー、すき家かよー、ココイチでカレー食おうぜ」

親方最初っからココイチでカレー食いたかったんじゃね!?
と内心思いつつ、素直にココイチにお供する。
小樽の最初の夕食は、ココイチのほうれん草&チキンカツカレーです。寿司は食ってません。

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栗城史多氏の死に思うこと

去る5月21日、「単独・無酸素」を自称する栗城史多氏がエベレスト登山中に亡くなった。

 当ブログで過去に栗城氏について批判的な記事を書 いていたためだろうか、アクセス数が莫大にふくれあがり、第三者の方からも「どのように思いますか」とたずねられる。

 過去記事のコメント欄にも書いたが、栗城氏にはあまり興味をもたなくなったし、日本の山岳メディアがとりあげない東欧諸国のクライマーの動向を探ること、また私自身の日常もあまり余裕が無い事もあり、栗城氏が毎年展開する遠征の模様もあまり関心がなかったのが正直なところである。

 今回の死亡事故をうけ、とくに故人を貶めることは迂闊に書くべきでない、という思いもあった。
 また山岳ジャーナリストの森山憲一氏が私など及ばない鋭い文章を発表しているので、ますます書くこともあるまいと思った。

 しかしあるSNSで「山で死ぬのは本望」 「批判するのは何も行動しない人達」などの文言を読み私の中で何かスイッチのようなものが入ったので思うところを書き残しておきたい。

「無酸素登山」の「危険」

 ウェブ上で全く議論になっていないが、栗城氏を盲目的に応援する方々、そして故・栗城氏自身が、あまりにも「無酸素」登山の危険性を知らなさすぎではなかったのではないだろうか。

 8000m峰を酸素ボンベを使わず、自分の肉体だけで登る。
 それは素晴らしいことである。
 しかし8000m峰、その中でも最高峰のエベレスト8848mを酸素ボンベ無しで登ることは「息苦しい」程度では済まされない危険が伴う。

 2007年、ある日本人男性クライマーがチョモランマ無酸素登頂を目指し、海外の公募隊の一員に参加して入山。入山後は単独で登山活動を展開していたが、ノースコルで就寝中に亡くなった。

 2013年、韓国のソ・ソンホがエベレスト無酸素登頂を目指し登頂成功したものの、サウスコルのテント内で就寝中に亡くなった。ソ・ソンホ氏は既に8000m峰11座を登頂していた高所登山のベテランだった。 

 私自身、チョモランマ遠征において激しい心臓の痛み、視野狭窄などの症状を体験した。
 さらに驚愕したのは帰国後である。指の爪が全て横にべっこりと凹んでいるのだ。
 チョモランマの高所滞在中は、爪が異常な生え方をしていたということである。それはすなわち、8000m峰登山という低酸素にさらされた生活環境において、人体に何らかの負荷がかかっていたことを意味する。
 
 もう一つ、私はチョモランマ遠征から帰国してから、就寝中に夢を見なくなった。
 例外は一度だけ、父親の手術中に仮眠をとった際、強い不安とストレスで悪夢にうなされた経験があったきりである。
 夢を記憶する脳の機能が停止しているのか。
 帰国後、ある資格試験を抱えていたこともあり、脳神経科の医院でMRI検査、心理テストなどを受けたが、幸いに医学的に顕著な異常は発見されなかった。

 エベレストの無酸素登頂は1978年、R・メスナーとP・ハーベラーによって初めて成し遂げられた。
 古い資料を調べてもらえればわかることだが、この無酸素登頂に先だってメスナーらは航空機に乗り、エベレストの高度で酸素マスクを外して低酸素状態を身をもって体験するという準備を行っている。
 1970年代当時の日本の山岳メディアはメスナーを「革命的」と表現することがあったが、実際には入念なトレーニングと準備の積み重ねがあったのである。

栗城氏の「中国」観

 もう既に削除されているようだが、栗城氏のツイッターで強烈に覚えているのが、たしか2011年だったか、中国の上海で講演に招かれ、その感想として「中国社会は夢を否定しない社会」というような意味のことを書いていた事だ。
 後に出版された著書『弱者の勇気』でも上海での講演の様子、聴衆の様子に感激している事が記されている。

 しかしご存じのとおり、中華人民共和国において、今もなお、どれだけ思想と言論の自由が弾圧され、人命が失われたことだろう。
 その知識の有無をとやかく言うよりも、栗城氏は周囲の人間に良いように操られているのではないか。都合の悪いものは目隠しされ、本人は甘言で弄ばれているのではないか。その「中国発言」から、私はそんなことを感じていた。
 
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 いずれにせよ、栗城氏は世を去った。
 亡くなった原因は、報道も二転三転して「よくわからない」というのが正直なところである。
 私自身の経験からも、ヒマラヤ登山におけるアクシデントの正確なところは、メディアが真実を伝えるとは限らない点は重々承知している。

 「批判しているのは行動もしない人たち」という「批判」も多いので蛇足ながら書いておこう。
 ボンベの酸素が切れ、低酸素状態にさらされてチョモランマのイエローバンドを日没後、一人で下山した。
 当ブログの過去記事にも書いた。 最終キャンプにたどり着き、無線機の小さいスピーカーから聞こえた、私の下山を喜んでくれる仲間の声が聞こえた時の事は一生忘れられない。
 
 栗城氏は今回のエベレスト遠征で、単独での夜間の登山活動が多かったと聞く。
 私自身の経験を重ねて、暗闇の中で、たった一人で8000m峰で行動する彼を支えていたものは何だったのだろう、と思う。

 高所登山はハイリスクな世界である。
 それでもなお、これだけは書いておきたい。
 山は人が死ぬところではない、と。
 栗城氏の魂の安らかならんことを。

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無酸素登山も大陸最高峰も縁が無いけれど、子供達と一緒に山に登ることが私の「挑戦」です。

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アメリカ日記 ジョシュアツリー国立公園にてクライミング

社員研修4日め。
ロサンゼルスでのフリータイムで単独行動をとらせてもらい、ジョシュアツリー国立公園でクライミング。
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計画立案段階でまず問題だったのは、宿泊地であるロサンゼルスのダウンタウンからの「足」がないこと。
フリータイム当日は日曜日なので、レンタカー会社も休日か営業時間が極端に短い。

そこで目を付けたのが、24時間体制でダウンタウンとロサンゼルス空港を結ぶシャトルバス「FLY AWAY」。
ロサンゼルス空港のレンタカー会社は24時間営業で開いている。
朝4時発のFLY AWAYバスで空港に行き、レンタカー会社で車をピックアップ、夜明けのハイウェイをジョシュアツリー国立公園目指して走る。
昔々、デビルズタワー登攀のため約一週間にわたりワイオミング州をレンタカーで一人旅した経験があり、アメリカの交差点、右折左折もすぐに順応できた。

途中の名も知らぬ街のサブウェイで休憩を兼ねた朝食を摂り、再びハイウェイを走り、ジョシュアツリーの街に到着。
9時半、ジョシュアツリー国立公園ビジターセンターの駐車場でクライミングガイドのライアン・スコットと合流。
ライアンの車に便乗してジョシュアツリー国立公園へ向かう。

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今回お世話になったライアン・スコット(Ryan Scott)
社員旅・・じゃなかった、社員研修という枠の中でクライミングというリスキーな活動をするに際し、クライミングガイドを依頼することは私にとっては当然の選択だった。またAMGA(American Mountain Guides Association)認定のガイドと一緒に登りたいという気持ちもある。

 ジョシュアツリー国立公園のゲートに来た。
 皆様ご存じの通り、アメリカの国立公園は入場料が必要である。
 財布を用意していたが、ライアンがゲートで許可証らしいカードを提示すると我々はそのままスルーとなった。クライミングというアクティビティに対して、アメリカ社会での認知度を感じる一場面だ。

 駐車場に到着、日本から持ってきたシューズとハーネスを装着、レンタルのヘルメットを被る。
 周囲は魅惑的な岩塔だらけだ。
 正面にひときわ大きな岩塔がある。
 「ライアン、あれ登るのか?」
 「あれじゃない。あそこは難しいんだ。メイビー(できればな)。」
 
 私たちは最初に「サイクロブス」という岩塔に向かった。
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今回のガイド依頼に際して、経歴申請では「人工壁・外岩の経験はあるがブランクがあるので初心者同然」とする一方、「クラック、トラッドクライミングを経験したい」と希望を書き添えておいた。
私の使い古された装備、戸惑い無く結んだエイトノットで技量を測られたのだろうか、ライアンは「Good」と言ったまま、細かく技術を説明することなく登っていく。

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中央のルンゼっぽい凹部の右壁を登る。
花崗岩の粒子は粗く、スメアリングを多用してぐいぐい登る。
終了点からは、急傾斜のスラブをシューズのフリクションを最大限に発揮して歩いて降りる。

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岩塔の上にはオブジェのような岩塊がいっぱい。

ルート2本登ったところで車に戻り休憩。
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ライアンが所属するMojaveGuidesと提携している Happybar のグルテンフリーバー、チョコレートベリー味をもらう。グラノラバーをがっつりチョコで固めたタイプ。

Happybarを囓りながらたずねる。
「ライアン、さっき登ったルート、5.6くらいかい?」
「いや、5.3だな。」
「ええっ!」
「いやいや、5.5くらいだ。ここのグレーディングは辛め(Hard)なんだ」

3本目に登ったルートは他パーティーが先行しており、ライアンはそこを避けて隣のルートに移った。
ここは私からみても比較的簡単そうなので、ザックを残置せず背負ったまま登る。

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先行するライアン

今日私が依頼したガイド形態はHalf Dayという形式で、4時間のクライミングだ。
時間的に次の1本が最後だろう。
最後に私たちが向かったのは、ライアンも私の技量をみてくれたのか、到着した時に彼が「あそこは難しい。メイビーな。」と言った岩塔「Intersection インターセクション」だった。

核心部は、2つの岩塊が接した部分、ちょうど三角フラスコの内部のように下に行くほど拡がっているクラックだ。
左側に握り拳大のブロックがあり、
「マサル、ここフットホールドな。ここだぞ。」と何回も強調してから登っていく。

私の番だ。
ライアンが強調したスタンスに左足をめいっぱい伸ばして立ち込むが、右足をひっかけるところが無い。
ここで落ちれば、下に拡がる空間に突っ込むことになる。
私の足は短い。
左足をとにかくめいっぱい伸ばしたまま、スメアリングで強引に立ち込み、上体を引きつけ登り切る。
それからは粒子の粗い花崗岩を掴んで登る。

ようやくライアンがビレイしている所にたどり着く。
「ライアン、見てくれよ!俺の脚は短いんだぜ!」
「わかってる」(即答)

大きな岩塔だけあって、そこは360度眺めの良い頂だった。
「マサル、ここは一番人気のあるエリアなんだ。」
ライアンのしみじみとした言い方に、あー、ホントにこのクライミングエリアを愛してるんだなあと思う。

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Intersection の懸垂下降アンカーにて。

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クレオソート・ブッシュの花

クライミングエリアのあちこちに花が咲いている。
ライアンの話ではもう花のシーズンは終わりとのことだったが、それでも私のジョシュアツリー → 砂漠というイメージを覆すに十分な花々が咲いている。

楽しいクライミングの時間はあっというまに過ぎた。
前述のとおり、今日依頼したガイド形態はHalf Dayの4時間。
帰路、ロサンゼルス市中で夜間運転を避けるためには、日程的にこれが限界だ。

国立公園からジョシュアツリーの街に戻る。車中でたずねる。
「ライアン、ボルダリング、スポーツクライミング、アルパイン、いろいろあるけど君は何が好きなんだ?」
「全部さ!」
フルタイムでガイド業を務める彼はこれからも、様々なクライアントと共にクライミングの楽しさを伝えていくんだろう。

カリフォルニアの空の下、楽しいクライミングのひとときは過ぎ去った。
帰国したら、また現場仕事に、ガイド業に、頑張ろう。

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公園名の由来となったジョシュアツリー。
サボテン、椰子の木に似ているが、リュウゼツラン科の植物。

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アメリカ日記 アール・オブ・サンドイッチ、そしてロサンゼルスへ

社員研修三日目。
宿を朝6時に発ち、団体行動でグランドキャニオンツアーへ。

朝食はサンドイッチボックス。
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バスの中で支給されたのは、前々から行きたかった、アール・オブ・サンドイッチの朝食ボックスでした。

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中身はこんな感じ。

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サンドイッチは店頭販売のものよりミニサイズですが、美味しかった。
今回は店を訪れることができなかったので、次回こそ・・・

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で、やってきたグランドキャニオン。
でかい。
写真では、そのスケール感は全然伝わりませんね。
はるか下方にコロラド川、そして幾本かトレイルが見える。
あー、観光客じゃなくてトレッカーとして訪れたい。

翌日、ラスベガス空港からロサンゼルス空港へ飛び、移動。

団体行動でサンタモニカ着。
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フードコートで「これ太るよね」という昼食をとり、なにやら名物らしいサンタモニカの桟橋へ行く。

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桟橋が名所らしいんですが、凄い人、人、人。まるで興味無し。公衆トイレでションベンして帰る。

そのまま団体行動でハリウッドへ。
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山腹に「ハリウッド」のロゴ看板が見えるらしいんですが、私ハリウッド映画はあまり好きでは無いのでこれまた興味無し。

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でもスティーブ・マックイーン大先生の手形・足形だけはミーハーに写真撮りました。

この日はロサンゼルスのダウンタウンに投宿。
工事部の面々と一緒にあやしい日本料理店へ。
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「YAKITORI」を頼んだら、竹串、持つところがありません。

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「TENPURA」定食を頼んだら、味噌汁を飲み終わってから主菜が出てくる。天ぷらはいいけど、この照り焼き、さっきの焼き鳥と味も材料もまるで違いが無いw

ハリウッド製の「サムライ」映画を視ているような気分。
料理はさておき、会社の仲間たちと美味しくビールをいただきました。

明日、女の子たちはディズニーランドツアーへ。
男性社員は全員、大谷選手が出るメジャーの試合観戦。
そして私は単独行動をとらせてもらい、ジョシュアツリー国立公園を目指す。

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アメリカ日記 『眠らない街』でさっさと眠る

今年の社員旅・・・じゃなかった、社員研修の行き先は5択。

1.ブダペスト、ウィーン2カ国周遊6日間
2.アンコールワット、ハノイ2カ国周遊6日間
3.ラスベガス・ロサンゼルス、アメリカ周遊6日間
4.パタヤ、バンコク、タイ周遊5日間
5.北京、大連、中国周遊5日間

今年の選択。
ほぼ私専用と化している工事機械を使う現場が4月から一ヶ月続き、1と2は参加不能となる。
東南アジア命な私だが、タイのビーチには興味が無い。
最新の北京事情が知りたくて、5の中国に興味があったのだが、ウチの勤務先の総務は『中国未経験者』なる社員リストを管理しており (なんなんだよそれw) 、今まで中国に行った事ない若手社員が最優先で中国に送られることが判明。

とはいえ消去法でラスベガス・ロサンゼルス行きを決めた訳ではない。
ロサンゼルスで1日だけ、フリータイムがあることを発見。
アメリカでクライミングができる!(かも)
というわけで、今年はアメリカ行きを決定。

目的はジョシュアツリー国立公園でのクライミングを狙う。

しかしそこは末端現場作業員の悲しさ、出発前日まで現場作業に忙殺され、出発前夜になって急いでパッキング。

長い空路を経て、ラスベガス空港に到着。
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空港内からスロットマシンでいっぱいです。
さすが資本主義の手先、米帝国主義の先鋒であるラスベガス。

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泊まりは巨大ピラミッドと巨大スフィンクスで構成された『ルクソール』。部屋は広くていいんだけど、備え付けの冷蔵庫や飲み物が全く無い。

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初日の夕食は、ウチの社長が一押しで決めたらしい『LAWRY'S』(ローリーズ)で懇親会を兼ねた全員参加の夕食。

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前菜のサラダは皆の前で作ってくれる。
シャッターチャンス逃したんですが左のおばちゃん、マレーシアのチャイ売り爺のように高いところからツツーッとドレッシングを投入する妙技を見せてくれる。

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久々のビール、凄いフルーティな香りで凄い苦い。

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みんな右ならえで「ミディアムレア」を注文する中、私ただ1人「レア、プリーズ」と注文。
(私はステーキはレア一筋です)

周囲のみんなから
「大滝さん、レアって大丈夫っすか!?」
「チャレンジャーだ!」
「これレアなんですね!?」
「写真撮らせてください!」
ちなみに味はさすがに名店だけあって美味ですた。

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食事後はラスベガスの中心街「ストリップ」の中心部で解散。
博打もショーも興味が無く、協調性のカケラも無い私はとっとと宿に帰る。
巨大な街ラスベガス、1ブロック歩くのも凄い時間がかかる。
約1時間の散歩で宿に帰着。

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部屋で記録をまとめながらテレビのチャンネルをいろいろ閲覧していて見つけました。
『The fireplace channel』。
なんと24時間、焚き火の動画を字幕もナレーションも無く延々と流し続けるチャンネルw

『眠らない街』と呼ばれるラスベガスで、明日のグランドキャニオンバスツアーに備え、とっとと寝る。

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クルコノギ社 物語

知る人ぞ知る、アイスクライミングギアのメーカー、クルコノギКрюконоги(Kryukonogi)。

ロシアのクライミングサイトなどでよくリンクバナーを見かけるのですが、飾りっ気の 全 く 無いロゴだけのバナー。
一体どんな会社なんだろうと思っていましたが、ロシアの「日本経済新聞」にあたる経済ニュースサイトRBC (RosBusinessConsulting) が急速に輸出ビジネスを伸ばした企業として、クルコノギ社創設のストーリーを紹介しています。

Железные люди: как двое альпинистов наладили экспорт ледорубов by РБК2018.4.10
(鉄人たち 2人のクライマーがいかにしてアイスアックスの輸出ビジネスを確立したか)

以下引用開始
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鉄人:2人のクライマーがいかにしてアイスアックスのビジネスを確立したか
 特殊合金、クライマーコミュニティへのインターネットアクセスによって、クルコノギ社創業者は趣味を輸出ビジネスへと変貌させた

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アレクサンドル・ピンコフ(Alexander Penkov) Photo by Oleg Yakovlev/RBC

 「クルコノギ社を知らないアイスクライマーはいないでしょう」
 ローマン・チェルノフ、キーロフのクライミングギアメーカー「Вертикаль(Vertical)」貿易担当次長は語ります。彼は海外でクライミングギアを販売していますが、 クルコノギ社がこの業界で大きな進歩を遂げたことを認識しています。

 サンクトペテルブルグの企業「クルコノギКрюконоги(Kruconogi)」社の事業は、クライミングギアのハンドメイドによる製造から始まり、今や国際市場でも有名なブランドとなりました。 特殊合金を用いた製品、2017年にアスリート達のネットワーク「Kryukonogov」を創設、利益は870万ルーブルに達し短期間に成長しました。売上高の68%は輸出に由来しています。

 サンクトペテルブルク州立大学で航空宇宙計装を学んだアンドレイ・ヴァルバキン(Andrey Varvarkin)は、1994年に初めてチタンアイス・アックスを製造しました。彼自身が設計し、金属加工工場での生産を進めました。

 登山歴44年になるヴァルバキンが学校を出た1990年代、ロシアでウェアやギアを購入することは困難でした。スポーツ用品店の棚は空っぽでした。 ヴァルバキンは最初に登山用バックパックとジャケットを自分のために作り、次に友人に販売し、その後登山のための装備を作り始めました。

 2007年、彼はクルコノギ社ブランドを登録し、2010年にオンラインストアを開設、サンクトペテルブルグにあるNGO「ミズナギドリ」の小さな製造拠点を借り、現在は工場に6人の作業員と1人のデザイナーが在籍しています。
 初めは知人友人や幾つかの店で販売しましたが、利益は控えめなものでした。この事業は数百万ルーブルの年収をもたらしましたが、利益は一ヶ月あたり約2万ルーブル(約3万5千円)でした。スポーツ用品店の棚には、すでに輸入品の登山用具で占められていたため、中小企業が競争することは困難でした。

 34歳のクライマー、アレクサンドル・ピンコフ(Alexander Penkov)は、ヴァルバキンの小さなビジネスを輸出ビジネスへと変貌させました。彼は2012年にヴィボルグのミックスクライミングコンペでヴァルバキンと知り合い、関心をひかれました。 「私は自分自身でアンドレイの製品を使い、そのブランドが気に入りました。私のパートナーはイデオロギーの持ち主です。彼は技術、生産について熱く語り、目は燃えていました」とピンコフは語ります。

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アンドレイ・ヴァルバキン(Andrei Varvarkin) Photo by クルコノギ社プレスサービス

 2014年8月、2人は一緒にビジネスを進めることに同意しました。 アレクサンドル・ピンコフは運営責任者の役割を引き受け、40万ルーブル(約70万円)を投じた。 クルコノギ社では20%を受け取っています。

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クライミングギアの市場

 ロマーナ・ブリュカ(山岳連盟役員)によれば、ロシアでは約1万人が山岳連盟に登録し定期的に登山活動を行っています。さらに3万人のロシア人が登山を趣味として楽しんでいます。2010年、ロッククライミングは競争としてIOCに加盟し、2020年の東京オリンピックで初めての競技が開催されます。これは新たな競技人口が加わり、専門店では新たな顧客を期待しています。

 ロッククライミングとアイスクライミングは登山の一分野で、岩壁や雪、氷の障害を克服することを意味します。原則として、登山に真剣に取り組む人々はロッククライミングとアイスクライミングの技術を学びます。登山者はさまざまな障害を克服するために数百の異なる道具を使用し、クルコノギ社はアイスクライミングギアに特化しています。
 アルプ・インダストリア(訳者注:ロシアの大手登山用品メーカー)のブランドマネージャー、ディミトリー・セペレフは、ロシアのアイスクライミングギア市場規模を6000万ルーブル(約1億円)と推定しています。これは世界市場の約4%です。 「ヨーロッパ、アメリカ、中国は山岳地帯に恵まれ、主要なロシアの都市のほとんどは山から遠い」しかし、ロシアでは、スポーツアイスクライミングと人工壁でのトレーニングに人気があります。

 クライマーのための設備の生産、ロシアでは登山・アウトドア用品は半世紀以上にわたり、イタリアのグリベル、フランスのペツルなどのブランドに占められ、キーロフの企業「vertical」やモスクワの「オリオン・アルプス」などは「産業クライミング」(訳者注:建物のメンテナンスや冬期の除雪・氷除去など、ロシア特有の産業)の機材生産・販売に特化しています。
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装甲鋼材の強さ

 アレクサンドル・ピンコフは、ゼレノグラードにあるモスクワ電子技術研究所、電子技術・材料設備科の卒業生です。彼はいまだにモスクワでシステム管理者として働いていますが、副業としてほぼすべての時間をクルコノギ社の多忙なビジネスに費やしています。

 ピンコフが取締役に就任して最初に手掛けたのは、賃料と給与に関する借金を返済することでした。 「会社は新製品の開発に力を注いでましたが、財政・組織面の問題は二の次になっていました」

 ピンコフの就業によって製品の生産体制が整えられましたが、彼はロシア国内市場は規模が小さく、輸出のため西側諸国メーカーと競争できる製品が必要であると考えました。

 それが、交換可能なピックでした。アイスアックスの先端です。「西側諸国では一般的な鋼材からピックを生産しており、それは品質的に曲がったり、早く摩耗します。ときには生死に関わる問題です。」 vertical社のローマン・チェルノフ氏がコメントします。

 西側諸国のピックより優れた品質を求め、ピンコフは質の高い素材を探しました。「金属は丈夫なだけでなく、壊れにくいことが必要です。例えばピックには、30種類の鋼材の中から、適しているのは4~5種だけです。」

 解決策は偶然に発見されました。 2014年、鋼材提供企業のための加工会社「レーザー技術センター」で装甲用鋼材を試すことができました。軍用機や装甲車両に用いられる材料です。ピンコフによれば、装甲用鋼材の硬度(HRC)は55~57であり、通常の鋼材は25~27です。

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クルコノギ社ピック

 ピンコフは10kgのサンプルを購入し、40個のピックを製造しました。その後、それらを自分自身でテストしました。彼らはレニングラード地方ヴィボルグキ地区の花崗岩の岩場を登り、その結果から装甲用鋼材からピックを生産することを決断しました。
 ディミトリー・セペレフによれば、通常の鋼材で作られたピックが約1ヶ月間使用できるとすれば、装甲用鋼材は1年は保つと言われています。同時に、それらはシャープさを保ち続け、頻繁に研ぐ必要もありません。

 原則として、メーカーはトン単位で大量に鋼材を販売します。クルコノギは、わずか150gのピックを数十個作るため、 「高品質の金属を、スクラップ材の価格で購入することがあります。同社では装甲車両の車体を製造するため3分の2が用いられ、残りの3分の1の処分に困っていたようです」
 「私たちは、金属加工会社、メーカーのサイトを常にチェックして、興味深いオファーを見逃さないようにしています。」

 ローマン・チェルノフによれば、クルコノギ社が海外展開する際に、西側諸国のクライミングギアの交換用ピックを製造し、それから自社独自のアイスアックスを開発しました。ディミトリー・セペレフが述べるように、アイスアックスには2つのタイプがあります。クラシックなアイスアックスはあらゆる登山者の基本道具であり、通常は片手に一本持ちます。そしてアイスクライマーが使用する、いわゆるアイスツールがあります。アスリート達は常にそのようなアイスアックスを吊り下げています。そのため軽くて強いことが非常に重要です。

 スタンダードな登山に適したシンプルなアイスアックスのコストは、5~6千ルーブルを必要とします。クルコノギ社は経験豊富なアイスクライマー、複雑なルート、競技に適したアイスツールを製作することを決めました。そのような設備の費用は15,000ルーブルを必要とします。

 2015年、ピンコフは航空機用材料として用いられるアルミニウム合金製のアイス・アックスのシャフト製造を決めました。 ピンコフは幾つものメーカーに電話をかけましたが、ごく少量の合金の販売には応じてくれません。そこで彼はAviation Profiles and Rental Factory社のレオニード・ヴァシリエフに頼んでみました。

 「彼はロシア製品のために立ち上がってくれました。300kgしか買えないという要求を汲んでくれ、15%の割引もみてくれました」アルミニウム合金による困難なクライミングのためのシンプルなアイスアックスはわずかに600gです。オンラインストアでは約2万ルーブルの価値があります。

 しかし、商品としてヒットしたのは前年に生産を開始したチタン製のアックスシャフトでした。以前にチタンで試作し、実験した製品で、友人のために製造されたアイスアックスでした。材質は非常に強く軽いものの、高価です。正価でチタンを製造業者から直接購入すれば、それは1kgあたり5.5-6000ルーブルになります。 しかし昨年、彼らは30年前に生産された160kgのチタン材を倉庫の片隅で見つけることができました。購入費用は1kgあたり1500ルーブルでした。

 このおかげで、チタンとカーボンから作られるシャフト、そして装甲用鋼材から作られるピックという新モデルの生産が確立できました。価格3万ルーブルと高価だが重量は490g、ペツル社のアイスツール、ノミックはロシアでは18500ルーブルで重量609gです。
「アスリートにとっては、アルミニウムである以上にチタンであることが重要です。」 セペレフは強調します。
アレクサンドル・ピンコフは、世界中の誰もがチタン製シャフトを手放せないと主張します。

コミュニティの支援

 クルコノギ社はフェイスブック、VK(訳者注:ロシア版フェイスブック)、Instagramに自社ページを立ち上げました。自社のギアを選手達に供給するだけでなく、コンペの主催者に提供も始めました。

 ピンコフによれば、クライマーの世界は非常に狭く、誰もがお互いを知っており、絶えず新製品を求めています。クルコノギ社のギアはロシア人クライマー、ウラディミール・ベルーソブ、ポール・ドブリンカらによってアイスクライミングW杯で使われました。そこで海外のクライマーが新しいブランドに興味を持ちました。

 最初の1人はスイスのクライマー、イヴ・ヘルベルガーでした。クルコノギ社はヨーロッパにおいて代理販売をするように持ちかけました。その後、日本のアイスクライマーであるナキア・マサト(訳者注:原文発音のまま)が自国でギア販売に興味を持ちました。
「日本の市場は非常に限定されており、競争は低いものの、私たちが協力できれば面白い」とピンコフは語ります。
 カナダでは、ロシアから移住したStas Beskinがクルコノギ社の貿易相手になりました。現在、同社は世界各地で複数の輸入業者と協力しています。それらを通じた売り上げは小規模ですが、ピンコフが強調しているように、製品は地元の人々によく知られており、彼らは地元のコミュニティでも積極的なメンバーです。
「彼らのような人々のおかげで、私たちはコミュニティで信頼を得ています。」

 クルコノギ社の商品は高価で、さほど利益はあがりません。 1つのピックのコストは50ユーロ、アイスアックスのコストは300~400ユーロです。ディーラーを通じた卸売販売による利益率は25-30%、ウェブサイトの通信販売で60-70%です。輸出額の80%は、オンラインストアによる小売注文で、ピンコフが郵送を担当しています。

 海外におけるネットワーク拡張と並行して、ピンコフは国内販売を拡大しました。 2014年まで、クルコノギ社のギアは極東のPrimalp、エカテリンブルクのManaraga、サンクトペテルブルクのTramontanaなど3つの小型スポーツ専門店で販売されました。
  ピンコフは他の小売店にも営業をかけたものの、新しいブランドが突然に取り入れられることはありませんでしたが、コミュニティによる支援によってアルプ・インダストリアのネットワーク、スタームショップ、スポート・マラソン社への供給が実現しました。「このギアは専門家による専門家のものと言えるでしょう」とドミトリー・セペレフは説明します。

 ピンコフは、クライミングに熱心な人々がビジネス構築に役立つことが多いと言います。彼らはギアを購入し、クライミングコンペでブランド「クルコノギ」を知ります。最近では、フランスのスポーツ用品デカスロン社の従業員であるクライマーと親密になりました。両社は商品に関する交渉を開始しました。

 2017年には、アメリカの業者であるRock and Iceと Rock and Resoleがピンコフに接触してきました。新しい顧客はアイスクライミングの製品だけでなく、クルコノギ社の他のギアにも関心を示しています。2社は既に2,500ユーロで最初の注文を行っています。そして最近、同社のスタニスラフ・ロブゾフとヴァシーリー・テレキンらが中国のアイスクライミングチームを指導しました。彼らは最初のアジアからの注文を3000ユーロで受注しました。

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海外におけるロシア産金属に関する神話

ローマン・チェルノフ、Vertical社・貿易担当次長

 クライミングは狭い業界であり、アイスクライミングはさらに狭いという事実にもかかわらず、クルコノギ社はブランドとして台頭してきました。世界のアイスクライマーで同社のピックを知らない者はいません。"クルコノギ社は世界に高品質の製品を提供することを可能にし、生産を開始しました。ロシアでは、ヨーロッパのメーカーが手に入れることのできない特殊合金があると多くのクライマーが信じています。またロシアのメーカーは海外向けのギアを生産しています。しかし、海外での収入のシェアはそれほど多くありません。

「彼らは非常に狭いニッチ市場を持っていますが、彼らはそれに精通しています」

ドミトリー・セペレフ アルプインダストリア・ブランドマネージャー

 クルコノギ社は独自の技術とビジネス手法で利益を得ています。彼らは設備の設計や生産もよく熟知しています。非常に狭いニッチ市場でありながら、彼らはそれに精通しており、何をすべきかを知っています。もちろん、いくつかの点で彼らのアプローチは手工業です。大量生産の方法は確立しないままに多くのモデルが完成され、様々な材料の実験が行われ、設備が試験されています。私たちの店に来ると、従業員は彼らが改良した小さな点でも興味を持って話します。同社の従業員は、アイスクライミングや登山に関わり、その本質を理解しています。これが他社と違う点です。
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以上引用おわり

まさに手探りで事業を進めていった2人のクライマーがたちあげたクルコノギ社。
現在迷走していますが五輪競技種目化を目指すアイスクライミング競技、またロシアという世界的には特異なクライミング界を足がかりに、西ヨーロッパ、アメリカのメーカーが幅をきかせるクライミングギア市場にどこまで食い込めるのか、注目です。

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獅子が舞う、人が舞う、米が舞う 【ワッパ舞 山形県鶴岡市 槇代地区】

平成30年5月1日、山形県鶴岡市 槇代地区の神事『ワッパ舞』を見学するため、槇代地区公民館を訪れる。

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槇代地区公民館

ワッパ舞とは、ワッパ(木製で円または楕円形の御飯容器)を米粒で満たし、そのワッパを両手に持ってアクロバティックな舞いを舞う神事である。
他の地区の神楽などの舞いとは全く異なる様式に、大変興味をひかれたのが訪問の理由である。

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神事を控える槇代地区公民館。
両脇には神社関係者、地区役員、当屋のご主人が座り、手前の座席は一般観覧席となる。

開始予定は11時15分、1時間ほど早く到着した私が「ごめんください」と公民館に入ると、幸いなことに当屋(行事を取り仕切る当番の家)の奥様と出会う。

そもそも槇代地区の『ワッパ舞』は観光イベントなどではなく、地元の人による地元の人のための「神事」である。
わざわざ山を越えて山形市から来た私は完全な余所者であるが、そんな私を奥様は温かく迎えて下さいました。
村山民俗学会の会員で見学に来た旨をお話すると、奥様が地区会長、氏子代表、当屋のご主人と面会させてくれました。
そのおかげで、下座に座っていたのだが「どうぞ前で見学して下さい」と、一般観覧席の最前列に招かれる機会に恵まれる。
当屋の奥様から伺った話では、当屋は3軒共同で担当、ワッパ舞は米が多く散らばるほど豊作とされる舞い、とのこと。

神事が始まるまで、神棚を見せていただく。
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米、山の恵み、御神酒が捧げられた神棚。

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米は豊作祈願であり、豊かさの象徴である。

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神事の直前、舞いに使われるワッパに米が入れられる。銘柄はもちろん庄内米です。

11時20分、大鳥神社の神主による神事から始まる。
11時40分、獅子舞が始まる。

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さきほどまでの厳かな神事とは対照的に、最前列に座る私の背後からは「はやいぞ!」 「よしいいぞ!」 「まだだ、まだだ!」と、激しい掛け声が飛ぶ。 皆さん「獅子舞OB」なのだろう。

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獅子舞が始まって20分、休憩が入る。応援の方々が一斉に麦茶やビールを持って駆けつけていた。

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獅子舞が終わりに近づき、舞い手の2人が獅子頭を外す。
観衆の女性から「いいおどごだっ!」と声が飛ぶ。(動画4分45秒)
この神事が一種の「通過儀礼」を果たしているようだ。

12時25分、ワッパ舞が始まる。
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両手に米粒で満ちたワッパを持ち、舞いが始まる。

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動きが激しくなり、ワッパから米粒が空中に弧を描いて飛び散っていく。
そのたびに掛け声が入る。
飛び散る米粒が多いほど、豊作の祈りが込められるのだろう。

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最初はゆっくりと、次第に動きがアクロバティックになり、後方でんぐりがえしも展開される。

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さきほどの獅子舞もそうだが、舞いの最中に御祝儀が投げ入れられる。時には大量の小銭がそのまま投げ入れられる。 獅子が舞い、人が舞い、米粒が舞い、銭も舞う。

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最後に子供達によるワッパ舞も披露される。地元・温海小学校に通う小学生たちだ。
舞い方は大人と変わらない。
子供ゆえ、米粒が大量に飛び散るが、そのたびに観衆の大人達から「いいぞ!」と温かい声援がとぶ。

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激しくも温かい声援を送る地元の皆さん。

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最後に神主による祈祷が行われ、神事は終了。

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子供達が使ったワッパ。大人の舞で使われる物より一回りミニサイズ。

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当屋の奥様から、「これ食べて下さい」と渡された2つのおにぎり。帰路の車の中で大変美味しくいただきました。

余所者の見学者の私を温かく迎えて下さった、槇代地区区長、氏子代表、当屋の皆様、槇代地区の皆様にあらためて深く感謝申し上げます。

槇代地区 ワッパ舞 平成30年5月1日の行程
11:20 神事開始
11:32 玉串拝殿
11:40 獅子舞始まり
12:00 獅子舞休憩 12:05再開
12:20 獅子舞終了・休憩
12:25 ワッパ舞 始まり
12:38 ワッパ舞(大人)終了
12:43 ワッパ舞(子供)始まり
13:00 ワッパ舞(子供)終了
13:30~ 直会

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