森の山まつり・流れ灌頂の供養 山形県酒田市 持地院
山形県の庄内地方には、死者の魂は初めの数年は近隣の里山にこもり、それから月山にゆくという民間信仰がある。
それが「モリ供養」である。
死霊のこもる山へ行く 庄内・モリ供養 by 当ブログ2015.8.23
前述の私のブログ記事には訂正箇所がある。モリ供養という行事は、古来の姿を残しているのは鶴岡市・三森山だけになってしまっているが、モリ供養という行事そのものは寺院の施餓鬼供養、先祖供養の行事として、平成21年の山形県教育委員会の調査によれば庄内42箇所にて確認されている。
死者を弔う行事、また「山に行くのが大変」という現実的な理由から、多くの場所でモリ供養の「寺院行事化」が進んでいった。
今年は休暇の関係で25日しか動けなかったこともあり、モリ供養の様々な形態を見学したいと思い、酒田市の持地院で開催される「森の山まつり」を訪問した。
持地院の「森の山まつり」は、本来は水死者を供養する「流れ灌頂」行事と融合していることが特徴的である。
流れ灌頂の供養の時間にあわせて持地院に到着。
受付では先祖霊の木羽仏(\500)、没年月日の木羽仏(\400)の2種を受け付けており、私は亡父の没年月日の木羽板を購入。
持地院入り口をふり返る。中央奥が木羽板の受付、右側では歯骨供養(\6000)、子供供養(水子供養、\5500)の受付となっている。左側には地獄絵が飾られている。
会場に入ると、そこは寺院内で運営されている若草幼稚園の敷地。
唐揚やかき氷などの露店があり、ビールなども売っている。
幼稚園の敷地ということもあり、地元の親子連れが大勢来ている。
幼稚園のグラウンドらしい敷地を通り、持地院の名所である「酒田大仏」の裏が小高い丘になっている。この丘の頂きが「森の山地蔵堂」であり、森の山三尊像を祀る霊場である。
とにかく子供達が多い。地蔵堂を目指す途中、小学生低学年くらいの男の子が友達に、
「ここから先には閻魔様がいるから行かない方いいよっ!」
と力説している。
地方都市の子供達は、純だなぁ~。
森の山地蔵堂に到着。
私が購入した木羽仏は、若衆や檀家の奥様方に促されて係の方に渡す。
画像の左にあるのが「流れ灌頂」で使われる船「大悲丸」、左の僧侶の脇にある盆に私の木羽仏が置かれ、読経とともに供養される。
中央にみえるのが森の山三尊像。画像ではみえにくいが、中央の無縁地蔵の前に置かれた厨子の地蔵尊が持地院のご本尊。森の山まつりの3日間だけ御開帳される。
8時を過ぎた頃、森の山地蔵堂から「大悲丸」が若衆らによって下ろされ、場内を一周し、会場中央の焼き場に運ばれる。
そして僧侶達の読経の中、火が放たれる。その様子は動画に記録しました↓
流れ灌頂に用いられる「大悲丸」は、昭和30年代までは港まで担がれ海に流されていた。
後に港が改修され、最上川も堤防で仕切られて以来、現在のような焼却するスタイルに変化したという。
読経が終わり、僧侶達が帰っても、会場の多くの家族連れは帰ろうとせず、いつまでも炎を眺めているのが印象的であった。
炎と共に先祖の霊も、無縁仏も帰っていく。
庄内にも、秋が来る。
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持地院の「森の山まつり」全体の雰囲気を記録した素晴らしい動画も公開されています。↓
参考文献 『庄内のモリ供養の習俗 「庄内のモリ供養の習俗」調査報告書』 山形県教育委員会 平成21年
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