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さよなら2018年

12月26日。
今秋はずっとハードな現場続き。
それが一区切りつき、アメリカ出張から帰国してからは別の現場のお手伝い。
現場担当で最年長のYさんが
「事故なしで、いい正月迎えたいよな」と帰りがけにつぶやく。
『いい正月』というフレーズに、ようやく年末が押し迫っていることを実感。

12月27日。
現場の一大イベントである、高所鉄骨解体作業。
イキのいい20代前半のA君と私とで、鉄骨の最高所まで登る。
天候はあいにくの小雪。冷え切った鋼材に熱を奪われ、身体を支える両手がジンジンと冷えてくる。
鉄骨材の表面が凍結する前に、仕事を終えなくてはならない。

2人で防雨雪用の分厚いシートを撤去。
その瞬間、視界が開ける。
地上10数メートルの高さの足場から、うっすら雪化粧した山形市内が一望できる。
これから冬だなあ、という実感。
皆の協力で粛々と作業は進み、危険性の高い解体作業も無事終了。

12月28日。
会社の大掃除。
現場がたてこんでいるため、部署の若い衆達は現場撤収。
「さっさと片付ければ、皆、会社の忘年会に出られるんじゃないか?」
職場のリーダーKさんの進言で、帰ってくる若い衆たちが持ち帰ってきた工事機材を、ピラニアのようにたかって片付ける。
大雪の中、今年の業務も終了。

会社の忘年会後、携帯にお呼びだしの連絡をいただき、山形駅前の飲み屋で午前3時まで痛飲。
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年内中はパンシロンがおともだちです。

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2018年。

 自分でも特にきっかけは思い出せないんですが、意識して山に行く回数は減らし、高齢の母の世話にまわったり子供達の買い物につきあったりした一年でした。

 思い返しても理由はよくわからないのですが、今年ほど家族とともに過ごせる時間が 「ありがたい」 「普通でいられることの幸福感」 を感じた年はありませんでした。

 絶え間なく続く、日本各地から報じられる災害の報道を見聞きしたためでしょうか。
 世界各地の紛争の報道を見聞きしたためでしょうか。
 各地の民俗行事で、親子連れの姿を見ていたためでしょうか。

 私も、変に歳取ったことを自覚してしまっているのかもしれません。独身のときは会社の長期休みに入ると「明日からタイの少数民族見に行ってくる。じゃ。」と言い残して成田空港行き夜行バスに乗り込んだものでしたが。

 今年もブログ更新をさぼっていたにも関わらず、毎日多くの方々にアクセスいただき、ありがとうございました。
 当ブログをご愛顧いただいている方々も、そうでない方々も、どうぞ良い年末年始をお過しください。

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2018年 ピオレドール・ロシア、スチール・エンジェル賞決まる

 ロシア山岳連盟が選定する、2018年の「ピオレドール・ロシア」、旧ソ連圏の女性クライマーによるクライミングを表彰する「スチール・エンジェル」の表彰式が、去る12月1日、モスクワ中心街にあるテレグラフホールで開催されました。

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ロシア山岳連盟・ピオレドールロシア授賞式の会場

2018年のピオレドール・ロシアに選定されたのは、

1
キルギスのキジル・アスケル南東壁に新ルートを開拓した、エジゲニー・ムリン、イラ・ペニャエフのペアに決まりました。

Pr2
今年はキジル・アスケル南東壁を登攀したパーティは2組ノミネートされていましたが、やはり新ルート開拓という点が大きなポイントだったようです。
2人のクライミングの模様は動画で公開されています。

旧ソ連圏の女性クライマー達によるクライミングを表彰する「スチール・エンジェル」2018年の受賞者は、
Pr1

Se1
 東シベリア・東サヤン山脈のオプティミスト峰北壁を初登したアリーナ・パノヴァ、エカテリーナ・レピナ、ナジェーダ・オレーニヴァの3名に送られました。
 なお本年からスチール・エンジェル賞は、ラトック1峰で墜死したセルゲイ・グラズノフを記念したグラズノフ基金から提供されています。

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どんづき搗き、尾花沢の「ごっつぉ」

12月24日、山形県尾花沢市 芦沢地区で行われる『どんづき搗き』行事を見学。

同地区の種林寺に祀られている延命地蔵堂の縁日に、子供達が「どんづき」(地面や土台を固めるための道具またはその作業を意味する)、地蔵の木像を持って各家庭を廻り、古くから伝わる「芦沢どんづき唄」を披露する。家の人は賽銭やお菓子を子供達に渡すという行事だ。

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年末を迎え、静かな芦沢集落。

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気温1℃、雪もぱらつく中、集落を巡るのは中学生以上の子供達。
小学生は地蔵堂の別当役を務めます。

どんづき搗き、地蔵堂の様子を約2分の動画にまとめました↓

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中学生たちが持つ「どんづき」。
地面や床に打ち付けず、ヨーヨーのように空中で叩きつける演技をします。

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各家庭を廻る地蔵木像。

「どんづきですー」
と子供達が玄関に入ると、大人達も「どんづきかー」 「ごくろうさまー」とあたたかい、ねぎらいの声をかけ、賽銭や菓子袋を差し出します。

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2時半頃、続々と地蔵堂に集まる集落の人達。

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年配の女性はお重を手にしています。
中身は地蔵尊に御供えする「炊き込み御飯」。

三脚と撮影機材を持ち、余所者然とした私にも「御護符ですよ」と炊き込み御飯を分けて下さった。
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これは2回目にもらった炊き込み御飯。クマダケ(山形弁・コウタケ(香茸?)と思われる)入りだよ、とご近所同士で話しが盛り上がる。尾花沢の「ごっつぉ」です。

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地蔵堂の様子。
お堂の地蔵をはさむように、女の子2人が別当役として座っています。
2人は座ったまま、集落の人々が次々と参拝に来る様子は、ネパールのクマリを思わせる光景でした。
この延命地蔵には、一年に一度、子供たちと一緒に遊ばせると、子供たちの無病息災と家内安全が叶うと言い伝えられています。
本来は子供達はお堂の中で別当役のはずなのですが、男の子たちは雪遊びに夢中でした。

大人達が子供達をあたたかく見守る行事が行われていき、静かな芦沢地区も新しい年を迎えていくのでしょう。

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アルメニア大地震で活躍したクライマー達

 東日本大震災で様々な山岳会はじめクライマー達が自主的にボランティアを組織・活躍していたことはご承知の事と思います。

 大災害時にクライマー達が立ち上がるのは、なにも日本だけではありません。
 ロシアのクライミングサイトに、『30年前、アルメニア』と題して、1988年に発生したアルメニア大地震で自主的に集い、救助活動にあたったクライマーたちの記録画像が掲載されています。

 この記事に際しましては、元記事の投稿者であるミハイル・シートニク氏(ロシア・スポーツマスター)から転載の許可を快諾いただきました。Большое спасибо! Михаил Ситник!

以下引用開始
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 1988年12月7日、アルメニアで現地時間11時41分に地震が発生した。
 そしてソ連全土から自発的に、自らの意志で登山者が救助に駆けつけました。

 オデッサ山岳会の自主的に集まったクライマー達が、地震発生当日にアルメニアに行くことを決めました。当局と交渉の後、私たち救助チームは軍用輸送機によってレニナカン(訳注1)に運ばれた。我々の前には、ユーゴスラビアの救助チームを載せた飛行機が墜落していた。

 夜、夕暮れ、暗闇、そして棺、棺、棺。
 最初の2日間、私たちはほとんど睡眠をとることなく作業を続けていました。その後、徐々に私たちはスケジュールを調整していきました。2交代制に分け、交互に救助作業を続けてました。
 私たちのグループは溶接技師、クレーンオペレーター、医師など様々な民間人技術者であるクライマーが集まっていました。少しずつトラッククレーンなどの機材も集められ、新年まで作業が続きました。

 私は当時の自分たちのグループを誇りに思っています。レニナカン(Leninakan)とスピタク(Spitak 訳注2)には、ソ連全土からのクライマーが集まりました。友人達よ、記憶して下さい。

以下は、救助チームの一員、スポーツマスターであるパベル・セレレンコフによる写真です。

※訳注1 レニナカンとは、アルメニア北西部にある都市である現・ギュムリの旧名。アルメニア大地震で死者17000人といわれ、特に顕著な被害が生じたことで知られる。
※※訳注2 スピタクとは、アルメニア大地震の震源地として知られる都市で甚大な被害を被った。

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以上引用おわり

 画像を拝見するに、非常に絶望的なまでに崩壊した建築物のまっただ中で、民間人として専門技術を持つクライマー達が危険な状態ながら解体・救助作業に奔走していたことがうかがえます。

 国は違えども被災地で活躍したクライマー達に敬意を。
 大地震で亡くなった方々、被害を被った方々に哀悼の意を表します。

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アメリカ日記2018 観光もお仕事よ編

ラスベガスでの展示会視察翌日。
真夜中の午前2時出発で、アンテロープ・キャニオンツアーのため旅行社の車でラスベガスを発つ。

上司は岩手大の地質出身、私は立正大の地理学科で自然地理学専攻。
「地質巡検」ということで、今回上司が選んだのがアンテロープキャニオン。

ツアーといっても客は私たち3人に、ツアーガイドの小野さん、ドライバーの小川さんという総勢5人。車はバスではなく大型ワンボックスカーなので、ハイウェイを凄いスピードでぶっとばしアンテロープ渓谷を目指す。

まず訪れたのはロウワー・アンテロープ。
ここはナバホ族居留地にある聖地で、管理もガイドもナバホ族が管理運営している。

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所定の人数(15名)が集まるとツアーが出発。私たち以外はほぼ韓国人観光客でした。
アンテロープキャニオンの入り口はこんな平坦な砂漠。

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突然現れる割れ目から急な階段を下ってくと、こんな光景が広がる。
アンテロープキャニオンとは、砂岩(ナバホ砂岩層)が水や風で浸食されて形成された割れ目。
その岩肌に光が差し込むと、とても幻想的な光景がひろがるわけです。

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ガイドを務めるケビン君。
アンテロープキャニオンでは、砂岩層を傷つけたりするのを防止するため、携行品がカメラ・水筒ボトルなどに限られています。撮影も動画は禁止。

そのかわり、ガイドがデジカメやスマホの撮影方法に熟知しており、最適なシャッターモードに調整してくれ、多くの場合はガイド自らシャッターを押してくれます。スマホもアンドロイド、iPhone両方熟知しており、凄い腕前。

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特に、iPhoneの「パノラマ機能」を自在に駆使して素晴らしい画像を何枚も撮ってくれます。

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光の加減で砂岩層の縞々が美しい。

それから最近になって「第3のアンテロープ」といわれる「キャニオンX(エックス)」に移動。

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キャニオンXの入り口。
こちらは最奥が行き止まりになっている2本の谷を往復する。

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キャニオンXの特徴は、ロウワー・アンテロープに比べて標高差があり深いこと。

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深い分、頭上からの光が幻想的です。

しかし、こちらキャニオンXの若いガイドは、ロウワー・アンテロープのケビン君とは異なり、ポケットに手を突っ込んだまま早口の英語でまくしたて、行程中はもっぱらブルガリア人の若い女の子2人組とおしゃべりに興じてました。

日本のガイドブックでは「第3のアンテロープ」として売り出し中のようですが、ガイドとしてのホスタビリティはロウワー・アンテロープのケビン君の方が断然良いものでした。私もガイドの端くれとして他山の石にしたいところです。

12月に訪れる方へ
 今回訪問時は雪がぱらつき寒い日でした。12月はネックウォーマー、かさばらないコンパクトなダウンジャケットは必携です。 夏は暑くてしんどいそうです。
 機会があればぜひお立ち寄りください。

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アメリカ日記2018 仕事は本番編

ヒューストンでの企業視察を終え、空路ラスベガスに移動。

ラスベガスで開催される、建設関係資機材の全米規模の展示会を視察。

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最新技術がいっぱいの中で、そこは私も山岳ガイド。
アメリカっぽいアウトドア文化を発見。

各出展ブースでは、参加者に配布する宣伝用グッズが置いてあるのですが、
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工事看板メーカーのブースに置いてあった、トレイル関連のミニ看板。これも配布用の宣伝グッズ。
プラスチック製で、下に置いてある15cmスケールで大きさをイメージしてください。
左から「リスに注意」、「トレッカー」、「野外生物の足跡のミニ図鑑」です。

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フライフィッシャーならたまらない、毛針(フライ)作成コーナーがなぜか設けられている。

ちなみにこれらはアウトドアレジャーとは関係無い、建設関連資機材の展示会です。
はい、頭切り替えて日本のサラリーマンとして視察、視察。

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アメリカ日記 2018 出発~到着編

リストラ寸前不良社員の私、なぜかアメリカ視察出張の一員に社長からご指名をいただく。

12月1日。
雨の中、ヘドロにまみれながら、厄介な現場を完全撤収。
工場に帰ってみると、親方や同僚の皆様方から
「明日からアメリカだろ!?もう帰れ!」
「アメリカ行きの準備してくださいよ!」
と定刻より早めに退出させてもらう。
皆さんすみません。涙うるうる。

これに先立ち、アメリカ出張の告知を受けた翌日、部長からは
Bucho
と言い渡される。

Newtype
私の行動パターンが完全に読まれている・・・・

12月2日。
長いフライトを経てアメリカはテキサス州・ヒューストンに到着。
12月3日。
ヒューストンにて、工事機械関連の企業を視察して廻る。
日中は時差ボケとの闘いながら、ちゃんと視察してます。

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視察先の企業の植栽に、ヤドリギと鳥の巣発見。
あー山行きたい。

夕方、後発の社長と合流。
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晩飯はヒューストン一と名高いステーキハウス「Papas Bros.」。

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こんな風に並べられた肉を自分で選ぶのですが・・・

下っ端現場作業員の私は選択の余地は無く、
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社長から「40オンスだよな」と言われ、一緒に視察出張に来ている職場のリーダーKさんと共にロースとフィレが付いている骨付肉「PorterHouse」に決定。約1.1kgでござんす。

もちろんサラリーマンの宿命、社長の命令は絶対なので完食です。
今夜はキャベジン飲んでさっさと寝ます。

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