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アルメニア大地震で活躍したクライマー達

 東日本大震災で様々な山岳会はじめクライマー達が自主的にボランティアを組織・活躍していたことはご承知の事と思います。

 大災害時にクライマー達が立ち上がるのは、なにも日本だけではありません。
 ロシアのクライミングサイトに、『30年前、アルメニア』と題して、1988年に発生したアルメニア大地震で自主的に集い、救助活動にあたったクライマーたちの記録画像が掲載されています。

 この記事に際しましては、元記事の投稿者であるミハイル・シートニク氏(ロシア・スポーツマスター)から転載の許可を快諾いただきました。Большое спасибо! Михаил Ситник!

以下引用開始
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 1988年12月7日、アルメニアで現地時間11時41分に地震が発生した。
 そしてソ連全土から自発的に、自らの意志で登山者が救助に駆けつけました。

 オデッサ山岳会の自主的に集まったクライマー達が、地震発生当日にアルメニアに行くことを決めました。当局と交渉の後、私たち救助チームは軍用輸送機によってレニナカン(訳注1)に運ばれた。我々の前には、ユーゴスラビアの救助チームを載せた飛行機が墜落していた。

 夜、夕暮れ、暗闇、そして棺、棺、棺。
 最初の2日間、私たちはほとんど睡眠をとることなく作業を続けていました。その後、徐々に私たちはスケジュールを調整していきました。2交代制に分け、交互に救助作業を続けてました。
 私たちのグループは溶接技師、クレーンオペレーター、医師など様々な民間人技術者であるクライマーが集まっていました。少しずつトラッククレーンなどの機材も集められ、新年まで作業が続きました。

 私は当時の自分たちのグループを誇りに思っています。レニナカン(Leninakan)とスピタク(Spitak 訳注2)には、ソ連全土からのクライマーが集まりました。友人達よ、記憶して下さい。

以下は、救助チームの一員、スポーツマスターであるパベル・セレレンコフによる写真です。

※訳注1 レニナカンとは、アルメニア北西部にある都市である現・ギュムリの旧名。アルメニア大地震で死者17000人といわれ、特に顕著な被害が生じたことで知られる。
※※訳注2 スピタクとは、アルメニア大地震の震源地として知られる都市で甚大な被害を被った。

Al1

Al2

Al3

Al4

Al5

Al6

Al7

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以上引用おわり

 画像を拝見するに、非常に絶望的なまでに崩壊した建築物のまっただ中で、民間人として専門技術を持つクライマー達が危険な状態ながら解体・救助作業に奔走していたことがうかがえます。

 国は違えども被災地で活躍したクライマー達に敬意を。
 大地震で亡くなった方々、被害を被った方々に哀悼の意を表します。

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