アウトドア体験は幼児から
言うなよ!
幼児虐待とか言うなよ! (お堅い人は動画後半1分のメイキング動画視て安心してね)
優秀なソロクライマーが相次いで亡くなり、日本人には鬼門ともいえるネパール・ヒマラヤのチャムラン(7319m)。
5月20日、チェコを代表するアルパインクライマー、マレク・ホレセク(Marek Holecek)とズデニェク・ハチェク(Zdeněk Háček)のペアがチャムラン峰北西壁、新ルートからの登頂に成功しました。
Mara s Hackem na Chamlangu: Vylezeno! by horyinfo.cz 2019.5.20
チャムラン峰北西壁、赤線が今回チェコ隊が登攀したライン
「さあ行くぞ!待ち続けている日は終わった」そうfacebookにコメントを書き、マレク・ホレセクらは5月16日、BCを出発。
5日間かけて北西壁を登攀、5月21日現在、南稜を下降中。
登攀2日目の2人 マレク・ホレセク(左)、ズデニェク・ハチェク(右)
成功を喜ぶと共に、無事の帰還を祈ります。
癌を克服し、人工肛門を付けた身体で再びヒマラヤに向かったミック・ファウラー。
盟友ビクター・サンダースと共に目指したのは、インド・北シッキムのChombu 6362m。もともと2017年に遠征予定の山でしたが、ミック・ファウラーが癌と診断され、闘病・リハビリのために延期していた山です。
今回は残念ながら天候不順に阻まれ、予定の登山を断念、氷河を挟んだ対岸に位置するチュンカン(Chungukang)北峰5322mに登頂しました。
Freak Himalayan weather thwarts Mick and Vic's Chombu climb attempt by grough 2019.5.17
Sebu la 峠(5352 m
今回は退却という結果になったものの、ミックとビクターは再び訪れることを決意。
Chombu峰山麓で深雪をラッセルするミック・ファウラー(Photo by grough)
医療器具メーカー・コロプラスト社の支援を受けて人工肛門を付けてヒマラヤを目指したミック・ファウラー、
「テント生活では、人工肛門をテストするには最も過酷な環境とはいえませんでしたが、自分の経験からもっと過酷なビバークでもうまくいきそうです。」とコメント。
ヒマラヤのクライミングだけではなく、自身の肉体、そして人工肛門という医療器具の可能性を切り拓くミック・ファウラー達の登山に今後も注目です。
筋肉バカが活躍する山岳アクション映画『クリフハンガー』のリメイクが話題になっています。
Cliffhanger Female-Led Reboot of Stallone Movie in the Works by Den of geek.com 2019.5.10
「クリフハンガー」のリメイクは以前から企画が現れては消えを繰り返していたのですが、今回はイラン系アメリカ人女性アナ・リリー・アミールポアーが監督を予定。
アナ・リリー・アミールポアー近影
アナ・リリー・アミールポアーはいわゆるインディーズ映画で名をはせた新進気鋭の監督。今回のリメイク(記事ではリブート・・・旧作を新解釈して新作を作ること)では、主人公はアナいわく「かっこいい女性クライマー(badass female climber)」とのこと。
もう公開されている予定作の画像がこちら↓
キャッチコピーは『Hold on.』。
インディーズ映画監督があのストーリーをどう料理するのか!?
順調にいけば、製作開始は2020年からだそうです。
2017/2018の冬季シーズンにK2を目指したポーランド隊。
登山活動中、ナンガパルバット冬季登頂を目指して遭難したエリザベート・レヴォル、故トマシュ・マツキェビッチを救出するため活動した功績により、ポーランド五輪委員会より「フェアプレイ賞」が贈られることになりました。
Nagoda Fair Play PKOI dla uczestnikow zimowej wyprawy na K2 by wspinanie.pl 2019.5.10
筆者にとって印象的なのは、ポーランドの一般メディアが伝えた次の画像ですね。
デニス・ウルブコ(左)とクシストフ・ビエリツキ(右)
このポーランド冬季K2隊は、デニス・ウルブコの離反・単独による頂上アタックという話題で世界の一般メディアが取り上げ、クライマー達の意図せざるところで話題となってしまいました。
筆者はその後のポーランド隊の動向を調べるべく、ポーランド一般紙の有料記事もPaypalでカネ払って調べたりしてましたが、やはり注目されているのでしょう、昨年ポーランドでの山岳シンポジウムで同じ会場に、隊長であるクシストフ・ビエリツキ、無断で単独アタックを強行したデニス・ウルブコが同じ会場に現れたことが話題になっていました。しかし二人はさほど会話もせず別れたとのことで、二人の友情の行く末が案じられていましたが・・・
Rock&Snow080号、恩田真砂美さん執筆記事でBernadette McDonald女史が 『私の予測では、時間がたつにつれてわだかまりは消え、再びK2ポーランドチームにウルブコが招かれる可能性は大いにあると考えています。』と述べていますが、その予測が現実となることを願っています。私個人の思いとしては、ポーランド国営放送が報道したような、失敗に終わった単独アタックから戻りテントに一人引きこもるウルブコの姿は見たくないということです。
上記画像はポーランド五輪委員会から表彰される際の、笑顔の二人の様子。やはりポーランドメディアも注目しているのでしょう、この画像はポーランド通信社(PAP)が配信した1枚。クシストフ・ビエリツキは最近出版されたデニス・ウルブコの新刊本のレビューも書いていることが明らかにされています。
肝心の冬季K2を目指すポーランド隊は、2019/2020シーズンの冬季計画を一年延期、さらにトレーニングを重ねて隊を充実させ2020/2021シーズンに冬季K2遠征を予定しています。
5月3日、山形県河北町 両所地区で開催される両所田植踊を見学。
歴史上、河北町でも初期に開拓されたという両所集落上部に位置する両所神社。例大祭ということで地元の方が開く露店も出る賑わい。
奉納田植踊・芸能祭という形でステージも設けられ、地元歌手の鈴木加奈子さんの歌謡曲や地元有志の方の大黒舞、舞踊などが披露され、最後に両所田植踊が披露される。
両所田植踊の特徴は、踊り手は爺(左)、婆(右)、ひょっとこの3人が面を被り踊る点にある。他の田植踊りのような「早乙女」は登場しない。その歴史は約250年前までさかのぼる。
両所出身の山田熊次郎という人物が日和田(現・寒河江市)の石屋に弟子入りしていた。関西から来た旅芸人が石屋に宿泊した折、宿泊の御礼にと田植踊りを教えていった事がルーツといわれる。学術的には宮城県系の舞いとされ、用いられる面(弥十郎面)は春の訪れで覚醒した田の神が、泥田の中から這い上がる様を表すとされている。
以来、両所田植踊は少しずつ変化していった。当初の演奏は三味線も含まれていたが、演奏が難しいとのことで廃れた。両所大黒舞、両所八木節が併せて披露されていたが途絶した。
地元の方の懸念を受け、高度経済成長期末期の昭和49年には両所田植踊保存会が結成された。しかし青年層の人間は集まらず、その継続は地元の小学生に委ねられ、現在に至る。中学生が望ましかったらしいが、「部活と勉強で忙しい」という現実的な理由で小学生が引き継いだ。
第3の踊り手、両所田植踊の特徴でもある「ひょっとこ」の存在が大きい。ステージを抜け出し、観客にちょっかいを出し、笑いを誘う。一部の観客だけでなく、観客全体を廻っていくのだ。
ぶっちゃけ、「○○神楽」など古典芸能は見ていて眠たくなるときがある。
しかしこの両所田植踊は「ひょっとこ」の存在で、踊り手と観衆との一体感が素晴らしい。見学者は高齢の方が多いが、孫・ひ孫のような踊り手にちょっかいを出されて皆笑顔だ。
記録動画ではプライバシー保護のため撮影しなかったが、田植踊が終わった後、囃し手、踊り手の自己紹介がある。踊り手の子供達は自己紹介の時に「おじいさんは○○、お父さんは△△です」と祖父、父の名前も明かす。
観衆はほぼ地元の方々の小さい祭典、誰も彼も顔見知りなのだろう。祖父や父の名前を聞くとあちこちから「ああ~」とか、「似てるずね~」と声が聞こえる。
田植踊りだけでなく、他の歌謡ショーや舞踊の披露でも、地元の人がおひねりをステージに置いていく。背後の観衆の間では「お久しぶりです~」 「あの人、○○と同級生なんだど」など、地方のムラ社会でよくある会話が弾む。
長い5月連休の中日での開催、子供達を見守る保護者や祭典を催す氏子の皆さんの苦労は大変なものだろう。両所田植踊も、山形の民俗関係の文献で特筆されているわけでもない、小さな集落の小さな祭典だ。
私も山形県内の郷土芸能を数多く見ている訳ではないし、甲乙をつける筋のものでないことは承知の上であえて言おう。
河北町の両所田植踊の雰囲気の素晴らしさは、郷土芸能の理想の1つではないか、と。
地元の方による、地元の方のための祭典。人々が田植踊をはじめとする祭典を通じて親交を深め、笑って過ごす時間。ユネスコなんとかや世界遺産何とかに選定されることが重要ではなく、そこに暮らす人々が神々を敬い、近隣の人と楽しく過ごす行事は大小かかわらず、私の心に残る。そんな行事をこれからも追い求めたい。
両所田植踊の一部、ひょっとこが笑いに包まれながらステージに再登場する部分を動画にアップしました。
参考文献:河北中学校郷土研究部編『両所田植踊 地域の民俗芸能を訪ねて』1992、河北郷土史研究会『河北の歴史と文化』第8号 2012
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