惟見長江天際流
正月、地方都市の長男は忙しい。
2日、私の家系の親戚廻り。父と母の実家、兄弟筋を私と老母の2人でまわる。
こういった「親戚廻りが面倒」というお悩みがネット上にあふれているし、私も若い頃は親に任せて海外一人旅や北海道の冬山単独行に傾倒していた。
極道な山登りをしている方には親戚つき合いに無頓着な方もおられるが、私の場合、父の葬儀を経験してから180度考えを改めた。盆正月の挨拶まわりはもちろん、不幸があった際には、仕事の都合が付く限り母の代理として積極的に顔を出すようにしている。
今シーズン、親戚の方から「高齢なので、これからはお互い訪問して挨拶は無しにすっべはあ~(無しにしましょう)」と申し入れがある。
もう一件の親戚宅では、かつて元気なおじさんが、認知症が進行し慌ただしい状況になっており、仏壇にお参りしてお茶も飲まずに帰る。
「世代の移り変わり」を実感させられた、今年の正月。
嵐のような親戚廻りから帰宅し休憩をとり、夕方から私の登山の原点である山形南高校山岳部、一年上の先輩方の飲み会に参加させていただく。
思うところあり高校同窓会の郵便物など開封せずにゴミ箱に叩き込む私だが、御縁があって山岳部の一学年上の皆さんの飲み会にお誘いいただいている。お会いできて楽しい方々と飲めてリラックスできるひととき。
【山形南高校山岳部の思い出】
私が登山を始めた山形南高校山岳部は様々な伝統ルールがあった。少し紹介すると、
○雪が降るまで、いくら気温が低下しようともシャツは常に腕まくりしていなければならない。
○1年生はシュラフカバーで寝なければならない。市販のシュラフは禁止。春・秋季に使えるのは自作のシュラフ(みんな古毛布を二つ折りして縫い合わせた自作シュラフを使用)
○校内マラソン(10km)で100位以下の者は、罰として順位から100引いた数だけスクワットをこなさなければならない。
○三年時に部長に選ばれた者は、山交ビル(※)一階を自転車で走り抜けなければならない。
※山形駅前にあるバス発着場も同居した大型ビル。当時はダイエーが入っており、一階は下着売り場など普通のデパートである。
などなど、
『魁!!男塾』なんかチョロいんじゃね?という高校生活である。
中でも伝説なのは、後に小樽商科大に進学し、小樽・赤岩のクライミングルート開拓に尽力された高田岳人OB。高田OBは現役時代、後輩に「水くれよ」と頼んだ際、後輩が差し出した灯油ポリタンの灯油を「わざと」飲み干してみせた人物。後にアラビア石油に就職されたという逸話付きである。
山南高校山岳部OBの足跡はインドヒマラヤ・ヌン東稜(明治学院大隊)、Z1峰・ブラマーⅠ峰(獨協大学隊)、ヤラシャンポ峰(山形県山岳連盟隊)、シシャパンマ北東稜、チョモランマ北稜(立正大隊)など各地に及ぶ。そればかりではなく、私のガイドネタでもあるのだが山形県内の生物調査に尽力されている沢和浩OBのような方もおられる。
沢OBには、私が高校生の頃、「西高東低って、高気圧がきてるのにどうして天気悪くなるんですか?」というアホな質問にも優しく「それはね、日本海があるからなんだよ」とご指導いただいた記憶がある。
そんな方々に見守られ、私たちは高校生活を送った。
三次会はY先輩ご夫妻と3人で、ウイスキー専門バーを訪れる。
カラオケの喧噪も無く、シンとした静けさの中でバーテンがグラスを磨いている。
注文では、私の「いつかベンネビスを登りたい」という目標をこめてスコットランドのウイスキーをお願いしたところ、「初めての方なら教科書的に、まずこれだけは押さえておきたいスコッチウイスキーはこれですね」と、ザ・グレンリベット(The Glenlivet)12年物をお勧めいただき、これを注文。
スコッチウイスキーをストレートで飲みながら、静かな正月の夜を過ごす。
今年も嵐の一年になるだろう。Y先輩ご夫妻との楽しい語らいの中で、今年も頑張ろう、と誓いをたてる。
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