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さよなら能率手帳

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 突然の人事で本社勤務と現場作業を掛け持ちすることになり、例年と違い早めに次年度の手帳を買い求める。

 ショックなのは、20年近く愛用してきた能率手帳のガントチャート掲載手帳が製造中止になったこと。

 B5版の1月始まり手帳ではまだガントチャートが採用されているが、建設会社勤務であること、冬季シーズンが大事なガイド業務を考慮して、やはり4月始まりにこだわり続ける。

 思い切ってガントチャートはあきらめる。4月始まりでガントチャート付きのビジネスダイアリーはあるのだが、重いのだ。出張が多い身としては、少しでも軽いビジネスダイアリーを探すことにした。

 そして今年は、見開き2ヶ月の予定表が付いているダイゴー株式会社のA5版ダイアリーを購入。

 山行用の記録帳は、長らく不動のPILOT社のテト455型を今年も購入。

 今シーズンも充実の山行が記録されるよう、がんばります。

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東京日記

2月24日

コロナウイルス狂騒曲の中、東京出張。

1泊2日の予定だったが、若手エースE君の家に不幸があり、急遽延泊・現地で作業することが決まる。

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貴重品のマスクにアルコール消毒剤、完全武装でいざ東京へ。

 山形から1人ハイエースを駆って東京に移動、西日本某県の出張から移動してきた親方、E君ペアと合流。

 葬儀に参加すべく山形に戻るE君を予約していたホテル経由で駅に送ろうとしたが、若手エースのE君、今回の宿をBooking.comとやらで予約したらしく、予約のキャンセル・変更が滅茶苦茶困難な状態になっていた。

 フォローすべく私もBooking.comのカスタマーセンターに電話しようとするが、出てくる番号が「オランダ・アムステルダム」w

 出張が日常茶飯事になっている私、宿の予約では楽天トラベルなど予約サイトは宿探しの参考にするものの、サイトを経由して予約を入れることはほとんど無い。

 仕事の工程は状況によって変化し、常にキャンセルや延泊の可能性が高い他、大型トラックを常用するため、宿に直接駐車場の確認をしたり、時には大型車を停めてもらえるよう交渉したりするため、予約サイトは私にとって「使えない」のだ。

 細かいノウハウも、若手に伝えなくちゃなあ・・・と同時に、ネットは万能ではないと痛感させられた出来事。

 どうにかこうにかE君を山形に送り出し、夜は久々に親方と夕食を兼ねて飲む。

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 焼き鳥屋「とり鉄」にて、ビールの泡にはハートの絵柄。さすが東京、店のお姉さんも「美貌の女性が無駄に消費されている」と思うくらいにえらい可愛い。明日から仕事がんばります。

 

2月26日

 仕事の休憩時、米津玄師の仙台ライブが中止になったことを知る。

 息子と娘のため、倍率10倍といわれる抽選を突破してチケットを購入していたが、致し方ない。

 チケット購入で自分の運勢をすべて使い果たしたような気がする。コロナウイルスに感染して死んだら皆さんごめんなさい。

 

2月27日

 久々に工事機械を操って仕事している最中、携帯に電話が入る。

 3月に予定していた、子供たちを引率する山行がコロナウイルス蔓延に伴う自粛措置で中止の連絡だった。

 私のブナ林ガイドの師である横山さんから引き継いだイベントだっただけに、私なりに力を入れて準備を進めていたが致し方ない。 

 一現場作業員として、今日も黙々と東京の片隅で働く。

 

2月28日

 葬儀を終えて戻ってきたE君と合流、午前中引継ぎを行い、現場でお世話になった方々に挨拶してから大型トラックに乗り込み、一人山形を目指す。

 長いドライブ、余計なおしゃべりの無い米軍向け放送AFNの音楽を聴きながら、首都高を北に向かって走った。

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月山山麓にて

1月にオファーをいただいた3月の山行に向け、月山山麓をスノーシューで歩き回る。

子供たち相手の引率なのでコース取りが重要なのだが、今年は例年にない寡雪。

例年なら雪に埋まっている沢も湿地もぱっくり姿を見せ、新たにコースを開拓しなくてはならない。

ブナ林ガイドの師である月山朝日ガイド協会事務局の横山さんとも相談し、地道に歩き回る。

 

2月×日

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 悪天をおして入山。悪天といっても気温は高い。ブナの小枝に雫が垂れる。

 

2月×日

 下見の度、山は大荒れだったが、今日は昼過ぎまで天気がもちそう。

 それを見越して有休を取得し、月山に入山。

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ようやくガイドコースのイメージが固まる。

幾度か貧弱な寒気が通過したものの、やはり交通標識が手に届くほどは雪は積もらない。

ぽっかり開いた湿地には、早くも水芭蕉の葉が見え始めている。

 

 職場が本社勤務になってから、緊急の取引先からの連絡に対応するため、スマホに会社メールが流れるようカスタマイズしてもらっていた。

 土曜日とはいえ、現場は稼働しているので「大滝、〇〇準備しといてくれ~」と出張班から連絡が朝から入る。

 下山後、スマホの地図アプリで取得した軌跡とコースタイムを自宅で検討し休憩、夕方から出社、来週の出張に備えて準備作業。

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映画『富士山頂』のリアリズム

2月16日、当ブログでもお知らせした映画『富士山頂』の上映会にて映画を視聴。

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所用のため、途中から会場入り。

映画では高度障害に苦しめられる作業員たちが次々と離反。

現場監督役の山崎務がその暗い雰囲気とあいまって、現場監督の辛さ・苦しさがよく表現されている。

私自身が建設会社で現場管理に首を突っ込むようになったため、映画を見ていても

「ああ! あのヘリで運んでいる生コン、単価いくらなの~」

とストーリーをよそに現実的なところが気になって仕方ない。

 

大変な苦労を重ねて実現したヘリ荷揚げによって、レーダードームの骨組みが富士山頂の施設に運び込まれる。

高度経済成長期を象徴するような、渡哲也扮する自信満々の若手操縦士がついに骨組みの荷下ろしに成功。

その瞬間、作業員たちがシノと呼ばれる道具をボルト孔に差し込み、土台と骨組みを固定する。

 私たち現場作業員も、普段の鉄骨材組み立てではラチェットと呼ばれる道具をシノ代わりに使って同様の作業をしているため、そんな映像に思わず興奮する。現場作業部門で働いた10年は私にとってやはり短くなかったのだ、とあらためて思う。

 

 登場人物たち皆の血のにじむような苦労で、富士山頂のレーダー施設が完成。

 映画のラスト近く、現場作業員たちはブルドーザーの巨大バケットに乗り込んで富士山を下山する。(ご存じない方も多いですが、富士山頂には荷揚げのためのブルドーザー道が存在します)

 勝新太郎演じる土建会社の親方が部下に「これからどうする」とつぶやく。

 勘違いした部下は、「箱根か熱海に行ってぱあーっとやりましょうや」と答える。

 勝演じる親方は、硬い表情でこう答える。「測候所ができたら、荷揚げのブルドーザーは一台で済む。これからブルドーザーの仕事をさがさなくちゃな。」

 レーダー施設建設のため、大量荷揚げを行うために何台ものブルドーザーを導入していた。その行く末を案じているのである。

 勝演じる親方の、気っ風のいい姿勢ばかりでなく、経営者としての先を読むその姿。

 映画『富士山頂』が石原裕次郎のカッコつけ映画でも、レーダー施設建設の美談映画でもなく、建設業のリアリズムを感じさせる映画だと痛感した一場面である。

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 映画上映会は、地元の年配の方が大勢集まっていた。

 スクリーンの前でお話されているのが、実際に富士山頂レーダー建設の責任者であった大江町・小見地区出身の故・伊藤庄助氏のご兄弟である伊藤宗三氏。

 伊藤宗三氏のお話によれば、実際に建設を担当した大成建設では、

『建設担当者には大学山岳部出身者は採用しない』

 と決めていたのだという。その理由は「大学山岳部出身者は無茶をするから」というものだったそうな。

 ま、たしかにこのレーダー建設直前の1963年には愛知大山岳部の大量遭難事故があった、そんな時代でしたからね。1950年代、西堀栄三郎が先頭切って山岳部出身者を採用した南極観測隊とはずいぶん違うなあ、と感じながら伊藤氏のお話を拝聴。

 伊藤庄助氏がレーダー建設プロジェクトに採用されたのは、趣味の絵画を通じてゼネコン重役たちとのつながりができ、「山形出身で蔵王でスキー経験もあるし、富士山でもやれるだろう」とピックアップされたとのこと。

 伊藤宗三氏いわく、「趣味を持ち、人とのつながりは大事にしてください」とおっしゃる。

 会場は年配の方ばかり、若い方がほとんどいなくて実にもったいない、そんな上映会でした。

 ちなみにNHKの『プロジェクトX』第一回がこのレーダー建設の話。当時のNHK取材班も大江町でロケしており、会場でその第一回の番組が流され、懐かしい大江町の風景に皆さん大盛り上がりでした。

 このような貴重な機会を作ってくださったOe EXPO実行委員会の皆様、主催の大沼兄昌様に深く感謝いたします。

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お仕事日記 2020年2月上旬

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 突然の人事で本社勤務になったとはいえ、さすらいの現場作業員生活は変わらない。

 今週は宮城県某所、航空自衛隊基地の近くでお仕事。

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 日中、現場仕事にいそしんでいると、頭上から轟音。航空自衛隊の「ブルーインパルス」が演習中。

 頭上の青空には、ジェット機が五輪マークのうち、3つの円を描いていた。

 東京オリンピックに向けての演習中なのだろう。それが連日続く。

 日本の誰よりも早く、大空の五輪マークを見物してます。

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昼飯を買いに行くコンビニも、ブルーインパルスグッズが並んでいる。

 2月14日

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今年もカミさんからのチョコいただきます。

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凍み餅 (しみもち)

午前の空き時間を利用して、月山山麓をスノーシューで徘徊。

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風ビュービュー、弓張平も地吹雪で前後左右がわからぬ位にホワイトアウト。

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交通看板は、積雪のおかげで少し近づいてきました。

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 志津集落、旅館「仙台屋」さんの軒下です。たくさんの凍み餅(しみもち)。

 毎年気になっていたのですが、やっと撮影の機会が得られました。

 今年の記録的な暖冬、山形県某地区では仕方なく冷凍庫を駆使して凍み餅作りに励んでいるとニュースで拝見しました。(冷凍庫で製造といっても凍りすぎると風味が落ちるため、従業員の女性の方がつきっきりで凍らせるという手間がかかったものでした)

 こちら仙台屋さん軒下の凍み餅、いいかんじにひび割れて、まさに天然のフリーズドライです。

 この凍み餅、道の駅あたりで調理済みのやつ無いかな~と探したら、大江町の道の駅で8個入り500円の凍み餅があったので早速購入。

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 素朴な味・・・と言いたいところですが、大江町道の駅で販売されている凍み餅は、醤油に蜂蜜・酒で味付け・揚げているので、食べた感じはまさに「しっとり重厚な歌舞伎揚げ」でした。激ウマです。

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映画『富士山頂』上映会のお知らせ

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映画『富士山頂』上映会のお知らせ

 山形県の朝日連峰山麓の町、大江町の誕生60周年を記念して開催されるイベント Oe EXPO (主催Oe EXPO実行委員会)の開催行事として、石原裕次郎主演の映画『富士山頂』の上映会が予定されています。

 紹介としてOeEXPOポスターから引用

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石原裕次郎主演映『富士山頂』上映&トークショー
(ゲスト:伊藤宗三)
協力:株式会社石原プロ
2/16(日)16:00~18:30(参加無料)
1964年、台風観測のため巨大レーダーを富士山頂に建設する途方もないプロジェクトの現場責任者として力を奮った大江町 小見出身の伊藤庄助氏。
一連のエピソードを石原プロが映画化し、1970年に公開された映画『富士山頂』を特別上映します。
上映後は氏のご兄弟である伊藤宗三さんをお招きしてトークショーを行い、当時を振り返ります。

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以上引用おわり

開催日時 2020年2月16日(日) 16:00~18:30 参加無料

開催場所 山形県西村山郡大江町 大江町まちなか交流館ATERA

駐車場は大江町役場、大江町交流ステーション(裏側)、大江町町民ふれあい会館の駐車場をご利用くださいとのことです。

映画『富士山頂』予告編↓

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やってきた冬

山形県朝日少年自然の家 企画事業『イグルー作りと冬遊び』にサポーター参加。

諸事情で1月から職場形態が移り変わり、前日まで機械トラブルで鬱状態。

 本社での業務、その合間をぬって息子の中学校の教師と連絡をとり、部活動のトラブルに私自ら学校に乗り込み教師と話し合い。高齢の母の様子見と買物への連れ出し。

 そんなこんなで今年も早や2月。

 仕事上のトラブルで夜遅く帰り、それから装備を取り出してパッキング。

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 自然の家に到着し、初めに手渡されたのが今や世間の超スーパーウルトラ貴重品であるマスク。新型コロナでにぎわっているけど、まだまだインフルが猛威を振るっている山形県。

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 所の庭には草地が見えてるし、「イグルー作りの達人」であるサポーター仲間は不参加だし、どうなる今年? と柏倉さんと心配したが、

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 雪をかき集め、おりしも気温は低温。暖冬特有のザラメ雪みたいにポロポロ崩れることなく、しっかり雪は固まってくれ、ありったけの雪を集めて、ひとつめのイグルーは完成。

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 体育館にテント泊の参加者と、自然の家館内泊の参加者の2グループに分かれ、ローソク作りと交代でフォローする予定であったが、人数が少ないことから所員の工藤さんにお願いして私は2グループ続けてイグルー作りの手伝いを志願。

 2班めの皆さんは保護者、お母さん方がイグルー作りにノリノリで大変助かりました。あっという間に完成。

P6_20200209221001 イグルー作り、私の経験では、たいてい子供たちは途中で飽きてしまいます。今回参加の子供たちは幼稚園児・保育園児が大勢を占めた。雪灯籠作りがとても楽しかったようで、良いアクセントになりました。

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 夕方から激しい降雪。夜は雪灯籠鑑賞と花火大会。

 昼に作ったイグルーでは、我が子とイグルーをスマホで撮影しようという保護者の皆さんで行列ができる。

 自然の家の板垣所長とその様子を眺めながら、「写真って、なんなんでしょうね。」「(雪灯籠の)綺麗な光景を、心に留めておくのも大事なんじゃないでしょうか」という話になる。

 その一方で、「〇〇ちゃん、イグルーで写真撮ってお父さんに送ろうよ ! 」と懸命なお母さんもいらっしゃる。

 名著『遊歩大全』でカメラを故意に持たない「ノンフォトグラフィーの喜び」という一文があるが、スマホの写真が持つ意味は、現代社会に生きる家族にとっては人それぞれなのだろう。

 夜は体育館でテント泊。

 サポーターの高校生お二人には暖房のある館内で、私は昨年に続き体育館泊。

 もともと「冬キャンプ」を企画した前職のJさんから色々ご相談を受けていた経緯もあり、私にとっては体育館泊が義務である。

 昨年は冬用シュラフで雑魚寝して熟睡していたが、今年は冷えそうだったのでエスパースマキシムを張り、ダウンシュラフで就寝。

P8_20200209221901朝4時の体育館(カメラのレンズの具合で実際より明るく映っている)

 朝4時、目が覚める。温度計でテント内の気温を計測すると1.3℃。

 小学生の男の子4人だけのグループのテントがにぎやかなので、起床時間までおとなしくするよう注意。館内ストーブが消えていたので、事務室で待機していた職員の山口さんにお願いして灯油を追加してもらい、それからまた寝る。

 起床時間、昨年同様に参加者のお母さんに感想を尋ねる。自前のシュラフにお子さんと抱き合って寝て暖かかった、でも顔面が冷たかったとのこと。

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2日目の朝、結構な降積雪。車には10cm以上積もっている。所員の皆さんや私たちにとってはまさに恵みの雪だった。

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 朝日少年自然の家の「チューブ滑り」ゲレンデ。右は1月18日、左が2月9日の様子。

 私たちサポーターの役目は参加者より早くゲレンデに行き、コース整備。降雪にまみれながら雪用スコップをふるう。

 普段、何度も何度も頭抱えながら見積書を作成する自分と、子供たちの黒子に徹して雪にまみれる自分。どちらも私の生き方である。

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 約40分後、参加者の保護者・子供たちが引率され、ゲレンデに到着。例年どおりの、子供たちやお母さん方の歓声がゲレンデに響く。

 2日間にわたり、自然の家職員の皆様、サポーター仲間、ボランティア活動として参加された左沢高校、城北高校の皆様にはお世話になりました。

 すべてのプログラムが終了し所を退出。精神的にリフレッシュした私、日曜で無人の会社に立ち寄って今週の現場準備の確認、それから実家に立ち寄り実母の買物の付き添い。またいつもの日常に戻る。

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【山形の手仕事】由右エ門ほうき を作る

2月2日、鶴岡アートフォーラム主催による「由右エ門ほうきを作ろう」に参加。

庄内町・古関地区の米農家に伝わるほうき作りは、売るためではない、自分たちの生活で使うために作り続けられてきたほうき。

その特徴は、女性や老人が使いやすいように軽く細い持ち手が特徴。

このほうき作りを受け継いできた川井由右エ門氏は昨年夏に残念ながら逝去、その意志を受け継いで「由右エ門ほうき伝承の会」が発足、庄内を中心に各地で制作体験会を開いている。

今回は参加者17名、男性は私含め2名という状況で、女性の皆様にまじり、ほうき作りに挑戦。

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会場の庄内町・余目第四公民館にて。用いる糸の色ごとにグループ分け。私はもちろん情熱の赤を選択。

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材料となる「ほうきび」のきびを3束、配布されます。

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「ほうきび」はもちろん地元産の地産地消。黒い実をまくとほうきび実りますよ、と教えられる。

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力をこめて、綺麗に糸を巻いていく。

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ヤットコのような器具、ヌンチャクのような木製具で「ほうきび」を挟みます。

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 三本の「ほうきび」を2センチ間隔で、巻き結びで縛っていき、まとまったところで木製の心棒を叩き込みます。叩き込んでいるのは私たちの班の先生、斉藤さん。

P7_20200203214001こんな感じで心棒が打ち込まれました。

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なんとなく「ほうき」の形になりました。ここからが遠く遙かな道でした・・・

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 時間と手間、器用さを要する「金糸の縫い付け」。バッテン形になるように、長さ20cm位の太い針でタコ糸を縫い付けていきます。この工程から、圧倒的に針仕事に慣れた女性の皆様に引き離される(笑)

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体験会は13時から始まり、17時に終わる予定でしたが、もう時間切れ。保存会の女性の方から柄頭の布袋を縫い付けていただきました。

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最後に太い針で柄を貫いてヒモを取り付け、ようやく完成。

 なんだかんだと、工程の8割くらいは保存会の皆様に手を掛けていただきました。

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完成した私の「由右エ門ほうき」 

 

 冬の農閑期の手仕事として伝わる「由右エ門ほうき」。

 作ってみた感想は、補強を兼ねた装飾(こごでは三本のほうきびをまとめる金糸の縫い付け)に先人たちはこんなにも力を注いできたのか、という思いです。

 補強材の竹や心棒を叩き込む力強さ、針仕事特有の繊細さ、両方が要求されます。先人達の力強さと器用さを痛感させられた体験会でした。

 鶴岡アートフォーラムならびに由右エ門ほうき伝承の会皆様には、貴重な体験をさせていただき深く感謝申し上げます。

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