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コロナが吹けばFD食品が

コロナウイルスが猛威を振るうアメリカ。

アウトドア愛好家皆様におなじみのフリーズドライ食品ブランド「マウンテンハウス」が、パニックに陥り備蓄食料を求める消費者によって大変なことになっています。

 

Coronavirus Is Causing a Freeze-Dried Food Freak-Out  by Outside 2020.2.28  

 

 1月31日未明(日本時間)のWHOによる緊急事態宣言が発令されてから、マウンテンハウスの販売元であるオレゴン・フリーズドライの売り上げが異常なまでに急上昇。2月の取引額は前年比で1093%増、10倍以上増となったもの。

 このためコストコ(アメリカ)ではマウンテンハウスの販売サイトを閉鎖、マウンテンハウスのウェブサイトも注文受付停止という事態になっています。

 この事態に対し、オレゴン・フリーズドライの担当者ベクテル氏は

 「在庫切れではなく、長い付き合いのある顧客との商取引の優先順位を付けている段階」であり、すでに発生しているマスクの再販価格高騰のような事態を防ぐ方策でもあると説明。

 同社は4月から7月にかけてバックパッキングが盛んになる時期に向けて増産体制に入っており、バックパッカーはオレゴン・フリーズドライの顧客の根幹の大部分を成す人々であり、失望はさせないとコメント。

 3月6日の続報でも、同社は増産に励んでいるとのこと。

Mountain House tries to keep pace with virus-prep demands  by KOIN.com 2020.3.6

Rice

え?

いや私もストックしたFD食品整理しておこう・・・

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ヤーニャ・ガンブレッツ、オリンピックとコロナウイルス問題を語る

ついにJOCの山口香氏が五輪延期の意見を表明し、モメにモメてる東京五輪。

 各国のアスリートからも東京五輪開催に疑義が表明される中、スロベニアのヤーニャ・ガンブレッツ(ヤンヤ・ガンブレット)が1分40秒の短いインタビューながら、今現在の東京五輪、コロナウイルス騒動について語りました。

Janja

 スロベニア語は教本読んでもさっぱりですが、Yahoo News が文字起こししてくれているので以下引用開始

World's top female climber concerned but focused on Olympics amid coronavirus crisis  by Reuters Video 2020.3.20

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「まさに今、私たちはオリンピックが開催されるかどうか少し不安です。私のトレーニングは全力で進めています。その(コロナウイルス)ためにトレーニングを休むことはありません。」

「もちろん、オリンピックの1年間延期は困難でしょうが、無観客のオリンピック開催も異様なことです。なぜなら、それ(観衆の声援)が競技の魅力であり、皆が拍手し、応援してくれるからです」

「とにかく私は気にしないようにしています。ひたすらトレーニングを続けるだけですが、オリンピックが開催されるなら良いことですし、延期されるなら、私はそれがアスリートにとっても、スタッフにとっても最高だと思います。オリンピックが1年延期されるとすれば、私たちに何ができるでしょうか。それを気にしても仕方ありません。」

「混乱することはないと思います。毎年、コンペのために一生懸命トレーニングしています。毎年同じことです。12月からトレーニングをスタートし、冬の間中、ハードにトレーニングしています。すべてのコンペに備えて準備するからです。ですから、もし延期されたとしてもハードにトレーニングしているので、そんなに問題ないと思います。」

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以上引用おわり

 当方が収集した情報では、東京五輪に備えて日本でトレーニングしていたヤーニャ・ガンブレッツですが、さすがにコロナウイルス蔓延で自国に戻りトレーニングしているようです。

 『延期されるなら、私はそれがアスリートにとっても、スタッフにとっても最高だと思います。』

 というところにヤーニャの本音が垣間見えますが、その若さゆえでしょうか、オリンピックだからといって何なの ? とまで感じさせる落ち着きがトップクライマーの「貫禄」といえましょう。

 センセーショナルにIOCを批判するアスリートのツイッターなどは、世論誘導して五輪延期・中止にソフトランディングさせたい日本のメディアが即座に飛びつきますが、ヤーニャのような泰然自若としたコメントは日本のマスゴミもスルーするんでしょうね(棒読み)

 スロベニアでも感染者が200名を超え死者も出ているとの報道がありますが、コロナウイルス騒動が明けた時期のスロベニア勢の活躍が楽しみです。

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レニングラード包囲戦 クライマー秘話

第二次世界大戦、ソ連に侵攻したドイツ軍は約900日にわたりレニングラード(現・サンクトペテルブルグ)を包囲。

いわゆるレニングラード攻防戦において、重要な役割を果たした登山家達のエピソードが公開されました。

«Невидимый» Ленинград: как подвиг альпинистов помог спасти город от фашистов by Tvzvezda 2019.5.7

以下引用開始

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「見えない」レニングラード:登山家達がナチスから街を救った偉業

リナ・ダヴィドワ、タチアナ・パヴリコワ

 包囲戦の初日、ドイツ軍はレニングラードに6,000発の焼夷弾を投下した。信じられないほど正確に、密集地帯が爆撃された。その原因は、レニングラードの黄金の支配者-尖塔、ドームが敵の目標物として役立っていたのだ。登山家達は、それらを隠すように命令された。

P1_20200315230701©写真:Russian Look、Globallokopress、alpklubspb.ru

 1942年8月、有名なエーデルワイス山岳部隊(訳者注:ナチスドイツの山岳兵部隊)の兵士たちは、重大な目標であるバクー油田に接近しました。山岳部隊はエルブルス山脈の西にある最も重要な峠に迫り、アブハジアとグルジア(現・ジョージア)占領に理想的な位置にあった。このままでは、ヒトラー率いるナチスドイツ軍はバクー油田攻撃を開始することになる。

 ソ連にとってバクー油田を失うことは、敗戦を意味する。1942年8月、党本部は中央コーカサス山脈の峠を解放するために山岳狙撃部隊を編成し始めました。彼らは、各地から名狙撃手である登山家達を集めなければなりませんでした。伝説的な軍人・登山家であるミハイル・ボブロフが特別な役割を果たしました。

 1937年、15歳のミハイル・ボブロフはスキー回転競技少年の部において、レニングラード選手権を獲得した。1940年には青少年大会で同じタイトルを獲得。このため彼は、登山キャンプ参加の資格を得て、初めてエルブルス地方を訪れ、山に恋をした。
 彼は登山訓練を受け、インストラクターとして短期間働いた。両親は息子の山に対する情熱を真剣には受け止めず、工場で機械工として就職すべきだと主張していた。1941年6月に戦争が勃発、ミハイルと彼の同僚は保留されていたが、ボランティアとしてとにかく最前線に行くことを志願した。

 1941年7月1日、特殊部隊を募集していた将校の前で、ボブロフは近所の知人から学んでいたドイツ語、体力と知識を示し、2日後には若いアスリートはオフタ川の中心部に到着、破壊工作員として訓練が始まった。

 (中略)

 ボブロフと彼の仲間はドイツ軍の道を忍び寄り、国境に向かって移動した。そこにはレニングラード支援者によって作られた要塞があった。若いミハイルはドイツ軍の動きを監視し、情報を軍に送信した。より経験豊富な破壊工作員がドイツ軍にゲリラ戦を仕掛けた。ある夜、ミハイルは機関銃の音で目が覚めた。ドイツ軍は要塞に侵入し、検問を突破していたのだ。銃撃戦が始まった。113人の兵士のうち、生き残ったのは10人ほどだった。彼らは東へ行き、ノヴゴロドを通ってレニングラードに戻った。

 大規模な敗退の後、指揮官は数人の小グループで敵の最前線後方に破壊工作員を送り込み始めた。ボブロフも数回にわたり最前線を越えた。ある日、彼の部隊が作戦から戻ってきた。ソ連軍の陣地に帰着すると、兵士たちは安堵のため息をついた。しかし突然、彼らは砲撃を受け始めた。軍と特殊部隊との連携不足が原因だった。ボブロフはミハイロフスキー城で目を覚ました。戦争中は野戦病院になっていたのである。

 ある日、登山家のアロイス・ゼンバが騒々しく部屋に入ってきた。ゼンバはいわく、「国家記念物保護監督官が、国家機密の任務のために登山家を集めている」

 1941年8月30日、第18国防軍が侵攻、レニングラードと全国各地を結ぶ最後の鉄道線を切断した。9月8日、敵はシュリッセリブルク市を占領し、レニングラードとの通信が途絶した。この日から、北部の首都の包囲戦が始まる。

 包囲戦初日、ドイツ軍はレニングラードに6000発の焼夷弾を投下した。ドイツ空軍機は極めて高い精度で都市機能部を爆撃した。やがて情報がもたらされた。レニングラードの黄金の支配者が敵軍のガイドとして役立ったのだ。光きらめく尖塔、ドームが、敵の大砲にとっては優れた「案内者」だった。

P2_20200315230901©alpklubspb.ru


 それらはすぐに隠されなければならなかった。登山家達が集められました。オルガ・フィルソワ、アリア・プリゴジェバ、アロイス・ゼンバ、ミハイル・ボブロフ。

 登山家が聖イサアク大聖堂に登ることは難しいことではなかった。10日以内に灰色のドームと大聖堂の鐘楼がレニングラードの空から「消失」した。海軍本部がある黄金の尖塔は、覆い隠すことが非常に困難であることが判明した。彼らは重さ0.5トンの巨大なキャンバスカバーを縫い付けた。しかし、構造物にフックを用いることなく、上部に固定することはそれほど簡単ではなかった。アロイスは戦闘で腕を負傷しており、ミハイルはひどい脳震盪からまだ回復しきっていなかった。オルガ・フィルソワが解決策を見つけた。防空気球(訳者注:低空飛行の敵機を防ぐための飛行船・風船)の使用を提案したのだ。

P3_20200315230901©alpklubspb.ru

 気球のキャンバス地と共にオルガ達も上へと持ち上げられた。彼女たちはキャンバスの全ての合わせ目を縫い合わせる必要があった。彼女が作業を始めるとすぐ、ドイツの戦闘機が雲の後ろから飛び出し、尖塔に機銃掃射を浴びせた。弾丸はオルガの隣の布地を貫いた。しかし彼女たちは作業を終わらせた。海軍本部の尖塔はレニングラードの空と同化し、ドイツ軍はランドマークを失った。1941年10月中旬まで、彼らはミハイロフスキー城の尖塔でも同様の作業を行った。

 登山家達がペトル・パウェル大聖堂の偽装作業を始めた頃、寒さが到来した。気温は下がり強風のため、ミハイルは7回ほど登っただけだった。寒い時期には偽装用の油絵の具がうまく付着せず、凍りついて層状に落ちるため、何層も塗り直さなければならなかった。

P4_20200315231001©alpklubspb.ru

 3月までにペトル・パウェル大聖堂の尖塔とドームの偽装作業が完了した。主なランドマークは敵にとって失われた。爆撃は少なくなり、それほど狙われなくなった。市内にはまだ目立つ構造物が残っていたが、登山家達は力尽きていた。1941年11月、ミハイロフスキー城の尖塔に16時間連続してぶら下がっていたアレクサンダー・プリゴジェフは、腎臓を損傷した。オルガ・フィルソワとアロイズ・ゼンバは壊血病に苦しんでいた。ミハイル・ボブロフは受けた負傷がほとんど回復しなかった(1942年2月に母親は餓死、父親は少し遅れて死去)。そして作業は中断された。登山家達は夏までに、ミハイル・ボブロフとオルガ・フィルソワの2人だけが生き残っていた。ミハイルは工場に戻り、海軍の大砲のメンテナンスに着任した。

 (中略)

 戦後、ボブロフは軍事文化研究所を卒業し、指導を始めました。1982年以降、ボブロフはレンフィルム映画スタジオでスタントコンサルタントとして働き、1994年からサンクトペテルブルク人道大学労働組合(大学)の体育学部で教鞭をとり、彼の生涯を通じてエルブルスに10回登り、78歳で北極を訪れました。そのためギネス記録に掲載された彼は、2018年8月に95歳で亡くなりました。

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以上引用おわり

 ナチスドイツによるレニングラード包囲は完全に物資を断つ非人道的なもので、同都市内ではカニバリズムが横行するほどに悲惨な状況になっていました。

 後半(中略)としている箇所には、そんな凄惨な包囲戦を生き抜いたミハイル・ボブロフが登山の師と偶然モスクワで出会い、再び山岳部隊の士官としてコーカサス戦線に従軍、ナチスドイツを撃退するまでが記載されています。

 ロシアのクライミングサイトや登山関係サイトでは、ごく普通に大祖国戦争(第二次大戦の独ソ戦を指す)や退役軍人クライミングコンペなどの話題が出てきます。祖国防衛の英雄として。

 かたや太平洋戦争当時、日本軍に協力したとされる山岳関係者や文化人は「戦後は沈黙を守った」と日本勤労者山岳連盟関係者らによっていいように糾弾されていますが、同じ軍関係者としての勝者と敗者の違いをまざまざと感じさせられます。

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アイスクライミングW杯を支える男たち

 韓国のトップアルパインクライマー、チェ・ソクムンが韓国・青松アイスクライミングW杯のルートセットに関する裏話を月刊『人と山』に公表しています。

 平昌五輪での公開競技開催には失敗した韓国。その一方で、青松アイスW杯は粛々と歴史を重ねています。

 こうしたルートセットに関する裏話は非常に興味深いものであると同時に、韓国人クライマー達が重ねた試行錯誤と努力、アイスクライミング競技での層の厚さが伺えます。

최석문의 벽 _ 청송 아이스클라이밍 월드컵 by  月刊『人と山』2020年2月

以下引用開始

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チェソクムンの壁_ 青松アイスクライミングワールドカップ
文・チェ・ソクムン(ノースフェイスクライミングチーム) 写真・ジュミンウク記者

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 コンペに向けて準備するスタッフ 左からキム・ジョンホン、キム・ジョンウン、キム・ジンウォン、筆者(チェ・ソクムン)、 キム・ビョング、 ミン・ギュ、 ソ・ジョングク、 ジェ・イソン.(キャプションは月刊『人と山』facebookより)

 青松アイスクライミングW杯は、国内クライミングコンペの中でも最大規模の大会で、今年で10年を迎えた。第1回大会の時からルートセッターとして参加しているキム・ジョンホン(安養キム・ジョンホンクライミングセンター)、ミン・ギュ(大田ワールドカップ競技場、人工壁)氏と筆者が今回の大会にもルートセッターとして参加した。今回はソ・ジョングク(ソ・ジョングククライミングセンター)氏も、ルートの設営を共にした。ソ・ジョングク氏は昨年まで選手としてW杯に参加していたが、今年初めてルートセッターとして参加することになった。

ルートセッターが持つ能力

 クライミングが繰り広げられる壁の後ろには、各種の登山装備、道具が積まれているルート設営スペースがある。中には電線を巻くときに使用するドラムをテーブルとして使っており、テーブル上には電動グラインダー、アイスアックス、電動インパクトドリル、コーヒーメーカー、カップラーメン、クイックドロー、スクリューなどが乱雑に置かれている。
 冬場の屋外で働く労働者が好んで着るつなぎ作業服を着て、コーティングされた赤い手袋をはめている人が、その周りに座って何ごとか真剣な話を交わしている。大会運営を知らない人が見れば、ただ現場作業について話を交わしているようにしか見えないだろう。

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青松アイスクライミングW杯スタジアム裏には、様々なクライミングギアが置かれたスペースがあります(画像・キャプションは月刊『人と山』facebookより)

 ルートセッターは選手名簿を確認し、ルート数を決定する。予選はオープン競技(他の選手たちの試合を見て、順番に従い登ること)であるため、速度戦にならないよう、ルートの難易度は高くなければならない。決勝戦ではアイスキャンディー(壁に吊り下げ使用する氷塊)を使用するが、ここで幾つ用いるかも慎重に決定しなければならない。また、選手のクライミングラインをどのように設定するかも場所を移しながら意見を交わす。
 ルートセッティング前に、ルートセッターはクレーンを使い、過去の選手権大会で使用したアイスキャンディーとハリボテ、ホールドを壁から取り除く。クライミングウォールを白紙状態にする間、他のルートセッターは下で予選に使用するホールドを選び、青色のスプレーを吹き付ける。青松アイスクライミングW杯では、一貫して予選には青色、準決勝に銀色、決勝には金色のスプレーを吹き付けている。

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 国際ルートセッター、キム・ジョンホンがラッカースプレーで着色している(画像は月刊『人と山』facebookより)

 このルールは、キム・ジョンホンが作った。彼はUIAA国際ルートセッターとして、国内アイスクライミング大会だけでなく、ヨーロッパや北米に至るまで、様々な世界のW杯の試合でルート設定の経験がある。
 「ルート設定でホールド一つ一つを配置することは、自分の哲学で壁を彩ることと同じ」と言う彼の真摯で慎重な姿勢を垣間見ることができる。
 筆者が考える彼の最も優れた能力は、ルート全体を読み取る力だ。彼はルートの難易度と時間を調整し、試合では一、二名の完登者が出る。長年の経験と感覚がなければ、ほぼ不可能である。クライミング時間が長く、あまりにも多くの完登者が出たり、あまりにも難しいルートで序盤に多くの選手が落ちると、観客と選手達は興味を失うからである。これらの調整能力はルートセッターが持つべき重要な能力である。

 

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クレーン(高所作業車)で作業中

公正の実現のためのスケッチと検証

 ホールド除去と配色を終えた後は、各ルートに合わせてスケッチを描く。予選、準決勝、決勝戦に合わせ、難易度とクライミングラインを考慮することが重要である。それから、詳細な「検証」のステップを経る。W杯は世界トップクラスの選手たちが技量を披露するため、高難度のルートが主となる。それだけ選手達の安全と適切な試合のため、検証を徹底的に重ねることが重要である。検証しなければ良い結果を保証することはできない。
 ルートセッターは直接クライミングをしてみて動作がどのように多彩になるのか、ホールドが破損する可能性はあるのか、特定区間の難しい動作で同じ順位者が多く発生しないかなど、様々な可能性を検証する。数回にわたりホールドとクライミングラインの非常に微細な部分まで検証を行う。
 いくつかの種目でも、物理的に良い条件があるものである。クライミングコンペでは背が高いか、腕の長さが長ければ有利となる部分がある。ルートセッターはルートを作成する際、特定の人の身体にとって有利・不利となるルートを作らないために努力する。たとえば、身長が小さい選手を考慮し、ホールド間の距離を慎重に決定する。次のホールドに届かないような箇所には配置しない。これは公正に反することだからだ。
 このようにルートセッターは選手たちの実力を把握している必要があるだけでなく、公正と価値を失ってはならないのである。
最も重要な要素の一つは、選手達が実力を発揮できるようにすることである。そのために選手がコンペルートで面白さと真剣さを失わないようにしなければならない。クライマーの緊張感は見守る観客にも完全に伝わるため、観客も選手たちのクライミングに没頭できるようになる。選手と観客が退屈せずに迫力あふれる試合を楽しむことができようにするのも、まさにルートセッターの仕事だ。

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UIAAルートセッター達が意見を出し合う 左よりミン・ギュ、筆者、キム・ジョンホン(キャプションは月刊『人と山』facebookより)

UIAAが認める世界最高の大会

 韓国のアイスクライミングコンペは、1997年トワンソン氷壁大会の時から始まった。初期の大会は速度で順位を競い、以降は氷壁に線を描いて大会を行った。徐々に自然岩壁を利用したミックスクライミングや人工壁が建てられ、大会は多様に発展した。
 10年前の青松アイスクライミングW杯時には、ルート設定への理解が不足していた。ホールドに穴をあけて使用する別名「穴打撃(どのような方向からでもピックが抜けない)」で、ルートセッティングを進めており、ホールドの選択と動作の多様性に欠けていた。
 最初、青松アイスクライミングW杯ではイタリア人ルートセッターであるアッテリォが参加してホールドの選択、ルート設営を助けてくれたが、ヨーロッパ方式(ホールド距離が遠いセッティング)に、韓国のルートセッターは満足できなかった。ヨーロッパ方式に対応はするが、様々な変化を与えたかった韓国のルートセッターはガストン、サイドホールド、エンボス加工ホールドを使用するなど、韓国だけのルートスタイルを発展させた。

 

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アイスアックスのホールドの特徴を引き出す方向を撮影中(画像・キャプションは月刊『人と山』facebookより)


 ルートセッターの努力で作られた韓国スタイルは、少しずつヨーロッパに影響を及ぼしている。それほど私たちは公正かつ面白い大会を作っていると自負している。青松W杯はコンペ運営だけでなく、イベントの進行に関してもUIAA関係者と選手が世界最高の大会と太鼓判を押してくれる。
 数年前から予選はオープン競技に変更された。以前はオンサイト方式で1つのルートだけのクライミングだったが、今はオープン競技方式で2つのルートで進められる。試合数が増えることは、少なくない犠牲を要する。ルートセッターは2つのルートを作り、運営する審判とビレイヤーにも苦労が増える。それでも、このような手間をかけることを甘受するのは、より多くの選手に少しでも多くの機会と経験を提供するためである。

P4_20200314120701頭上の壁を埋めるためのルート設定。天のキャンバスに絵を描くようなものです(キャプションは月刊『人と山』facebookより)

美しい祭典の時間

 UIAAは、青松W杯クライミングルートに氷の比重を高めてほしいという要請を毎年寄せてきている。韓国の気候を考慮する場合、青松W杯では、ヨーロッパのような氷壁を製作できる環境になく、仕方なくアイスキャンディーを作って壁に固定している。そんな中、特に今冬は異常気象で試合の準備がさらに困難になった。小寒の冬の雨が真夏の梅雨のようだった。雨は大会に使用されるアイスキャンディーの形を変形させ、スピード競技が行われる氷壁を溶かす。ギム・ビョングUIAAアイスクライミング委員とグム・ジンウォン慶北山岳連盟理事が雨を眺めながら心配した表情を浮かべる。すぐ開催される本競技に支障を与えないか心配する気持ちが感じられる。ギム・ビョング委員は運営と観客側の両方の立場で、複数の業務を調整している。グム・ジンウォン理事は青松W杯の全体的な流れをみて進行させながら、ルートセッティングを準備する、もう一人のルートセッターでもある。二人は韓国で開かれるアイスクライミング、ドライツーリング大会に多くの時間と努力、奉仕を通じて、アイスクライミングコンペの発展に大きな役割を果たしている。


 もうすぐプレーオフが行われる。決勝に進出した選手が一人一人紹介される度、観客席を一杯に満たした観衆の熱気はさらに熱くなる。初めて公開されるルートの動作と流れを予測できるよう、選手達には各7分の時間が与えられる。オブザベーション中の選手たちは、それぞれの頭の中で登る姿を描き、実際のクライミングのように天に向かって手を振っている。7分のオブザベーションが終わると、選手のクライミングが始まる。スタジアムの観衆もクライミングに一緒に没頭する。
 競技場の熱気は、ピークの終わりにたどり着く。男女それぞれ最後の選手がクライミングを続けていく。観客は最後の選手の一動作ごとに呼吸を共にする。ルートセッターは選手と観客を交互に見つめる。最後の選手が1位を確定し、トップホールドにアイスアックスをかける瞬間、虚空を切って墜落する。観客は本人が落ちたように惜しむ声をあげる。続いて選手たちの情熱と努力に、歓声と祝福の拍手を送る。

 静寂の中、誰も残っていない競技場の壁に、ルートセッターは再び向かう。壁は再び白紙の状態に戻る。私たちは互いを励まし、W杯を終える。
 美しい祭典の時間は、こうして終わる。

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以上引用おわり

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デニス・ウルブコ、コロナ予防法を語る

既にコロナウイルスによる死者が1000人を超え、医療崩壊が始まっているイタリア。

そのイタリア在住のデニス・ウルブコが「コロナウイルス予防法」を動画で公開。

Denisurubko1

Denis Urubko : mangiate cipolla per difendervi dal Coronavirus by Monte Live 2020.3.13

デニス・ウルブコいわく、「玉ねぎを生食するとコロナウイルス予防になる」そうです・・・・・・・・

いや、日本ではコロナウイルスには花崗(途中省略)

ウルブコのFacebookには「デマ広めないで ! 」「あなたは登山家であって医師ではない! メスナーみたいにならないで!」ときちんと常識的なコメントが寄せられてますです。

イタリアの感染事情は深刻で、腎臓移植をしたばかりのクライマーを案じる記事が届いたばかり。

頼むから体調異変があったら病院行ってくれ、デニス・ウルブコ。

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春は別れの季節

親方の依頼で、今度は大型トラックを一人で運転して再び東京の現場へ。

一仕事終え、若手E君が運転してくれるハイエースに乗り込み、ビジネスホテルへ向かう。

スマホでメールチェックすると、お世話になっている山形県朝日少年自然の家スタッフのTさんから退職の挨拶メール。

春は別れの季節。

東京は雨。

濡れたフロントガラスに映る、歪んだ東京の景色を眺めながら、Tさんと共にした野外活動の記憶がよみがえる。

折しもカーラジオから、ポリスのEvery Breath Take You が流れ始める。

Tさんのこれからに幸あれ、と祈りつつ、東京の片隅で現場作業員生活は続く。

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企 業 戦 士

3月3日

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カミさんがバタバタと散らかった居間を片付け、雛飾り。夕餉に季節を感じる日々。

 

3月×日

さすらいの現場作業員、しばらく岩手県一関に滞在。

20200305_175045

 餅食文化が栄えた一関、スーパーで「えび餅」を購入。

 本来は淡水に住む「ヌマエビ」を用いるのですが、これ桜エビだよね。熱を加えるとエビが赤くなることから、祝い事に重宝されてきたえび餅。餅の柔らかい食感とパリパリするエビの食感の組み合わせが妙です。

 今回の現場もつつがなく進みますように。

3月×日

 昨夜一関から戻り、日曜の朝、工場に出社。月曜朝に早立ちする出張班のために機材準備。私だけでなく中堅K君も出社しており、工作台で溶接中。

 三月、年度末の建設会社は忙しい。

 日曜にもかかわらず、職場のリーダー格Kさんから携帯に電話が入る。

 「大滝、休みのとこゴメン」

 「工場出社してまーす」

 「月曜、トラック借りて大丈夫 ? 」

 日曜もなく稼働する出張班のため、他の作業班からも引き合いのあるトラックの運用を調整。

 テレワーク?なにそれ美味しいの?

 とはいえ、

20200308_110529

 隙間時間には、次の無雪期シーズンに使う登山ギアの発注計画を粛々と進める私です。

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キム・ジャイン、五輪出場ならず

コロナウイルスの影響でクライミングのアジア選手権が中止。

これにより、昨年8月の世界選手権におけるアジア圏の選手で最上位に位置する選手、韓国男子はチョン・ジョンウォン、韓国女子は「神童」ソ・チェヒョンにほぼ決定、キム・ジャインの五輪出場の夢は絶たれることになりました。

김자인, 코로나19로 도쿄올림픽 무산 “상황 탓하고 싶지 않아” 中央日報2020.3.5

Kim_20200306233401

 クライミングが五輪競技種目に決定する遥か以前から「五輪競技になれば・・・」とインタビューで五輪出場の夢を語っていたキム・ジャインですが、自身のインスタグラムでは「大きな喪失感」と正直にコメントしています。

 別メディアでは、五輪出場に際しての引退は否定、外岩でのクライミングの機会を増やしたいと今後について語っておりました。

 工事現場では図面にない地中の電線をピンポイントでドリルで切断する不運には恵まれている私、東京五輪のクライミング競技チケットはことごとく外し、キム・ジャインちゃんの雄姿はテレビで観戦しようと思っていましたが、残念至極です。

 願わくは、韓国総選挙の結果次第ですが「国会議員の妻」キム・ジャインより引き続きクライマー、キム・ジャインの活躍をみたいものです。

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