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ハーケンの品格

4月のお仕事日記

 

4月×日

 現場作業員と現場管理の二足の草鞋を履く会社員生活。

 今まで長年愛用していたASUSのモバイルPC、キーボードが故障し、使い物にならなくなる。 

 新型コロナウイルス流行にもひるまず、中国・上海から

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11インチの軽量モバイルPC 「Ideapad slim 150」が届く。

CPUが最低レベルのAMDのため、動きはもっさり。しかし出張の多い身、現場写真整理と作業日報作成ができれば事足りる。

会社支給のcore i 5搭載ノートPCはメイン機にして、こちらはサブ機。

本社と工場を行き来し、社内でノマド的な勤務形態をとっているので、これから頼りにします。

 

4月×日

 一昨日は、工事機械を搬入のため東北自動車道を大型トラックで爆走。

 昨日は、故障した機械を修理に出すために宮城県を大型トラックで爆走。

 管理職になって最近あまりトラックに乗ってない親方、久しぶりの運転で機嫌も良く「よし、エンジンも温まってるし、オイル交換に出すぞ!」と意気込んでいる。

 助手席に座っていた私の携帯にメールが届き、各種書類作成の指令。

 「すみませーん、俺午後から内業します・・・」

 午前中はトラックにクレーンにバリバリ働く時間を過ごし、午後は事務所に缶詰になって数字と格闘。

 

4月×日

 金曜日、公休。

 しかし公休とは名ばかり、朝から携帯に取引先からの電話、書類の修正、夕方は携帯から離れた隙に、またまた取引先から電話。

 老母の様子を見に行くべく出かけた矢先、車中のハンズフリー通話で取引先と再度、電話連絡を取る。

 休みという名の、在宅勤務。

 隙間時間をみて、散らかった部屋をひっくりかえすと、

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え?何これ?

みたいな感じでアングルハーケンやらロシア製チタンスクリューやらが出てくる。

いや俺クライマーじゃない、ハイカーだし。

でもコロナが収まった将来を見据え、行きたい●●に備えてまた戸棚に仕舞っておく。

 

4月×日

 土曜日。

 私のジョギングコースには山形市内の里山も含まれている。

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 いつもなら早朝登山の爺婆しかいないのだが、今日は元気な親子連れ、ヒョウ柄のシャツ着たおばちゃん、トレイルランナーとすれ違う。

 コロナ禍の影響だろう、みんな外に出たがっている。

20200425_095050ツツジのつぼみがあちこちに。春も飛び越えて初夏も近いようだ。

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 現場仕事とデスクワーク、そしてコロナ騒ぎで家に籠っている間に、桜の花は道路脇の地面を埋め尽くしていた。

 

4月×日

 さすらいの現場作業員、本日から岩手県某所でビジホ暮らし。

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 現場管理するようになって、出張道具に電卓が欠かせない。(スマホの電卓はタッチパネルが頼りなくて使えない)

 メシはスーパーの総菜頼り。常食しているのは「もずく酢」。

 歳でしょうか、焼き肉とか丼物とかよりも、現場帰りは「酢の物」が喰いたい。

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あ、しっかり炭水化物も取らなくちゃね。

一関市・小松屋だんご店の「ずんだ餅」ゲット。

昔々、実家で作る「ずんだ」って、実際にすり鉢で豆すりつぶし、砂糖控えめだったのをよく覚えている。

自分達の親類家族が手掛けてきた「味」を学ぶことなく失われつつあるのを、最近ちょっと後悔しつつある。

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著作について話しましょう ベルナデット・マクドナルド インタビュー

ベルナデット・マクドナルド。

現在の山岳界で素晴らしい著作を出し続けている山岳ジャーナリストであり、当ブログでも『TOMAZ HUMAR』『ALPINE WARRIOR』『FREEDOM CLIMBERS』、そして恩田真砂美さんによる素晴らしい翻訳で日本に紹介された『ART OF FREEDOM』を紹介してきました。

ロシアの山岳ジャーナリスト、エレナ・ドミトレンコ女史によるインタビューが公開されましたので、ここに紹介します。

Let's talk about literature. Interview with Bernadette McDonald  by Womengohigh 2020.4.23

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著作について話しましょう
ベルナデット・マクドナルド インタビュー

B1ビルバオ・メンディ映画祭にて

ベルナデット・マクドナルドは、『Freedom climbers』の著者であり、冬季8000m峰登頂を夢見た人々の印象的な物語です。「ワールドブックデー」(訳者注:毎年4月23日の「世界本の日」)は、カナダ人作家とのインタビューを公開するよい機会です。

エレナ・ドミトレンコ執筆記事
写真・Bernadette McDonaldアーカイブ

B2 ベルナデット・マクドナルドはバンフ山岳文化センターの創設者であり、山岳文化と登山に関する11冊の本を執筆しています。彼女の著作は14か国で発表され、バンフ・グランプリ、ボードマン・タスカー賞(訳者注:イギリスの山岳文学賞)、Kekoo Naoroji賞(訳者注:The Himalayan Clubによるヒマラヤ関連著作に対する文学賞)、American Alpine Club賞など、多くの賞を受賞しています。山岳文化への貢献により、アルバータ・オーダー・オブ・エクセレンスそしてキングアルバート賞を受賞しています。

 彼女の著書「Freedom Climbers」は、6つの国際文学賞を受賞しています。彼女の最新刊「Art of Freedom」は、バンフ山岳文学賞、ボードマンタスカー賞、ナショナルアウトドアブック賞など、これまでに3つの国際賞を受賞しています。彼女はヒマラヤクラブとポーランド山岳協会の名誉会員であり、エクスプローラークラブのフェローに任命されました。執筆時以外は、ベルナデットはクライミング、ハイキング、スキー、カヌー、そして葡萄を栽培しています。

 ベルナデットの本はすべて「並外れた」人々に関するものだと言わざるを得ません。自分の世代の頂点を目指し、今後の登山の方向性を築いた人々に関するものです。そして、スポーツ・マラソン・ライブラリーが最近出版した「Freedom Climbers」には、ワンダ・ルトキェビッチのような女性も存在します。

 ベルナデット、あなたは人生の多くをポーランドの登山に費やしました。ポーランドに長く滞在し、地元のクライマーとコミュニケーションを取り、彼らの人生について学びました。もう彼らとは気兼ねすることの無い仲ですか?

 そのように感じ始めています。そうですね。私は取材のためにポーランドの出版編集者と会い、ポーランドで出版された本をPRするために、年に数回訪れています。そして、私がここにいる度に、登山関係者と会うたびに、時には専門的に、時には社交的に、ええ、それは一種の大家族のように感じています。

 「Freedom Climbers」の中心には、アンジェイ・ザワダ、ワンダ・ルトキェヴィチ、イェジ・ククチカ、ヴォイテク・クルティカ、クシストフ・ビエリツキの物語があります。これは私にとって興味深いものです。ヒーローにはさまざまなタイプがあります。なぜこれらの人々を物語の中心に置いたのですか?登山への貢献のため?それともあなたの共感のためですか?

 その成し遂げた登山への業績があって、私は著作のために彼らに関わってきました。しかし、多くのベテラン登山家が含まれていません。取材の過程で出会った人々、登山家としてだけでなく人間としても共感できた人、そして最後に、ヒマラヤ登山について興味深く注目すべきことを成し遂げた人に関わってきました。

B3   リンゼイ・グリフィン、ヴォイテク・クルティカ、ミック・ファウラーと共に ラグレイヴのピオレドール式典で

あなたの最新刊「Art of Freedom」は完全にヴォイテク・クルティカに関する本です。それはポーランド人の好みにあったのでしょうか?

 私の印象としては、ある時点でこの本が書かれることを地域社会が期待していたといえます。ヴォイテクはこのようなことすべてに消極的で有名でしたので、誰が書き上げるかはわかりませんでした。ついに出版されたときはちょっと驚かれたと思います。幸いにも、「Freedom Climbers」のおかげで、このコミュニティにはある程度の信頼をいただいていました。好評だったと思います。正直なところ、かなり売れてますしね。まあ、来るべきものがきた、という感じです。

出版前にヴォイテクが本の最新版を読んでいなかったと、どなたかが話してましたが。

 そのとおりです。私たちがそう決めた理由は、「自伝」ではなく「伝記」にしたかったからです。そしてそれが「伝記」であるためには、私は「独立」している必要がありました。干渉しては欲しくなかったのです。しかし、彼がすべてのクライミングの成果、過程を確認することには同意しました。彼は私に言いました。この本は登山家としての私の人生の記録になる。私はそれが間違っていることを望まない、と。誰が何をしたか、いつ、どれくらい大変だったか、どの程度の標高、何時間だったのか、間違いはないか。彼はそれが絶対に正しいことを望むと言いました。そして、私は答えました。大丈夫、それは大丈夫です、と。それらは出版前に彼が読んだ本の一部分です。しかし、それは事実でしたし、彼にとっては驚きだったようです。

彼は気に入りましたか?

ほとんどの部分は気に入ってくれたと思います。もちろん、彼がすべてに同意するわけではありません。

彼がすべてに同意したとしたら、意外ですね。

 それはおかしなことですし、いえ、私は彼に最大限の敬意を払っていますが、特定のことについては私自身の独立した意見もあり、それを表現しようとしました。

B4ベルナデットはクライミングで休暇を過ごすのを好む

あなたの本は何ヶ国語で翻訳されていますか?特に「Freedom Climbers」は。

「Freedom Climbers」は11か国語だと思います。「Art of Freedom」は13か国語で、「Alpine Warriors」は9か国語で出版されています。

あなたの本のうち、現在最も人気のあるものはどれですか。

 それはむしろ、その国特有、より正確には、大陸固有のものでしょう。しかし、全体としては「Freedom Climbers」と「Art of Freedom」で五分五分でしょう。

 あなたが長い間ペンを持たないことはめったにありません。今現在、新しい本を書いているのを知っています。仕事はどうですか?すでにそれについて公然と話しているのですか、それとも秘密にしていますか?

 私の新しい本はほぼ準備ができています。ページの校正段階です。ようやく!イギリスの出版社とアメリカの出版社から同時に発売される秋まで書店に並ぶことはありません。それは出版社からまだ発表されてないので、私はそれについて自由に話すことができません。でも、まもなくですよ。

B5  ポーランドの登山家アダム・ビエリツキがモスクワのスポーツ・マラソン・トラベラーズクラブでの講演中に「FREEDOM CLIMBERS」のロシア版にサイン中

楽しみにしてます!作家として、またコミュニティの一員として、登山家が書いた本や物語が数多くあると思います。沢山読みますか?

 ええ、実際に可能な限り読みまくりました。沢山読み、数多くのフィクションを読み、あらゆる分野の書籍を読んだりします。私は詩は読みませんが、他の分野はほとんど全て読んでいます。

 私は山岳書をたくさん読んでいます。私にとっては、それは多くの場合取材であり、私が取り組んでいるプロジェクトだけでなく、他の登山家や他のコミュニティに関する書籍を読むのが楽しいからです。それは私にとってすべてのバックボーンであり、すべて取材です。

そして、ここ数年あなたが注目した本は何ですか?何が印象的でしたか?

デビッド・ロバーツが書いた最後の本である「Limits of the Known」は彼自身について非常によく書かれています。つまり内省的であり、登山家としての彼の人生を見ているということですが、癌患者の観点から、彼の病、余命の変化、そして冒険家としての人生、登山家としての人生を興味深く観察し、過ぎゆく日々に感謝している人の視点があるからです。その年のボードマン・タスカー賞を受賞しました。

 それから、パウル・プロイスに関するデビッド・スマートの著作を本当に楽しめました。彼がクライミング・ストーリーに数多くの歴史的背景をちりばめる方法が素晴らしく、それ自体も興味深いものでした。ご存知のように、私は登山史が大好きで、デビッドは上手く書き上げました。

B6 ブドウの栽培は、ベルナデットのもう1つのお気に入りアクティビティです

あなたが登山の世界に身を置くようになるのに役立ったのは、どんな本ですか?

 私が最初に読んだ山の本の1つは、ハインリッヒ・ハラーの「チベットの7年」でした。それは登山の本ではありませんが、私にとって魅力的な場所に連れて行ってくれた本当の山の冒険です。私に深い影響を与え、旅行、異文化との接触、荒野への憧れを植え付けました。

 その数年後、私はその裏話、作者、そしてチベットへの脱出の必要性を生み出した政治情勢について多くのことを学び、その過程でハラーについてもよく知りました。初めの先入観の一部が現実というものに打ち砕かれた事にはがっかりしましたが、それでも私にとって土台となる本でした。

 私がいつも愛していたもう1つの本は、エリック・シプトンの著作です。エリック・シプトンのオムニバスを、私は繰り返し読み返しています。探検と冒険は自然に楽しいものですが、彼の執筆が飽くなきエネルギー、好奇心、ユーモア、苦痛の感覚によって伝えられる方法が好きです。

 私を大いに助けてくれた3冊目の本は「Mountaineering:The Freedom of the Hills」です。何年にもわたり多くの復刻版が出された教本ですが、夫と私は初版を持っています。1970年代に戻り、その本を熟読し、結び方を学び、ビレイ技法を練習し、滑落をシミュレートし、クレバスレスキューのZプーリーシステムを理解しようとしました。その後、夫はレスキューのスペシャリストとして仕事に就き、十分な訓練を受けましたが、初めはその本が私たちの「聖書」でした。

作家としてお答えください。登山家が読むべき3冊を挙げてください。

 なんてこと・・・難しい質問ですね。常に印象に残っているのは、Andy Caveの「Learning to Breathe」です。それは、英国の鉱業文化の真っただ中で育ち、高山の冷たい空気の中で彼の「魂」を見いだす素晴らしい物語です。美しく書かれています。もう1つの素晴らしい本ですが、スロベニア語(現在はポーランド語)以外の言語で見つけるのが非常に難しいのですが、Nejc Zaplotnik(訳者注 : ナイツ・ザプロトニク(1952~1983) マカルー南壁、エベレスト西稜登攀に成功したスロベニアの伝説的な登山家)による「Pot」です。タイトルは「The Way」と訳されており、詩的な文章、山での純粋な喜びの表現に十分お勧めできるものです。この本は数世代にわたりスロベニアの登山家達にインスピレーションを与えてきましたが、私はその理由を容易に理解できます。私が大好きなもう一つの本は、ジェームズ・ソルターの「ソロ・フェイス」と呼ばれる登山小説です。ソルターは、私が知る最高の作家の1人であり、ミニマリストで職人であり、すべての単語が適切なタイミングで適切な場所に存在します。

B8ポーランドのラデックマウンテンフェスティバルで。写真:Małgorzata Telega

さて、他人の推薦に左右されず、自分で読む本を選びたい人について話しましょう。どこを探せばいいですか?

 ご存知のように、それはあなたが探す言語によって異なると思います。英語の本に関しては、いい場所がいくつかあります。まず、Boardman Taskerのウェブサイトです。ショートリストだけでなく、ロングリストも。現在出版されている山岳書の本当に素晴らしいレジュメが得られるでしょう。もう1つは、バンフマウンテンフィルムおよびブックフェスティバルのコンペティションリストです。そこにもロングリスト、ショートリストがあります。閲覧するのに良い場所です。またアメリカではNational Outdoor Book Awardsと呼ばれるものがあります。NOBAと呼ばれ、様々なカテゴリーがあります。登山だけではありません。伝記があり、環境に関する本があり、多くの素晴らしい書籍があります。

あなたの著作のファンは主にどこに住んでいますか?ヨーロッパ?アメリカ?

 スペイン語、まあ、明らかにポーランド語版、スペイン語、イタリア語、ドイツ語版があると思います。私の著作のヨーロッパ市場は、北米市場よりも大きいです。しかし、今はアジア市場でも販売を始めています。韓国語、日本語版ですね。

B9   韓国の国際山岳映画祭で

彼らはヨーロッパの登山家の人生に興味があるんでしょうか?主にヨーロッパの登山家達について書いているからでしょうか。

主に東ヨーロッパのクライマーでしょう!

なぜ彼らの人生に興味があるのですか?

 大きな理由の1つは、東ヨーロッパの登山家が英語圏でよく知られていないし、十分に書籍化もされていないことです。つまり、ほとんどのカナダ人、アメリカ人はデニス・ウルブコについてあまり知りません。彼らはクシストフ・ビエリツキについてあまり知りません。誰もが彼らのことを知っているので、ここでは想像もできないことですが、それは私の目標の1つでした。彼らのストーリーを伝えることは、素晴らしいことであり、知られるに値することだと思います。

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以上引用おわり

 ロシアのクライミングサイトに掲載されていたインタビュー記事の転載許可にあたり、執筆者のエレナ・ドミトレンコ女史から快諾を頂戴するだけでなく、「ロシア語より英語版の方がいいのでは」とお気遣いいただき前記URLをご紹介いただきました。

 現在エレナ・ドミトレンコ女史は、女性による登山・冒険だけでなく幅広くアウトドアに関わる人生をも扱ったウェブサイト Womengohigh.com を主宰しています。ロシア語版だけでなく英語版もありますので、ぜひご覧ください。

Сердечно благодарю вас!, Елена Дмитренко !!

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ジョー・ブラウン逝去

 イギリスの重鎮、ジョー・ブラウンが2020年4月15日、イギリス・ウェールズ北西部ランベリスの自宅で亡くなりました。89歳でした。

 死因は明らかにされていませんが、どのメディアも「安らかに息を引き取った」と報じています。

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2012年に撮影されたジョー・ブラウン近影

 1955年に世界第三位の高峰カンチェンジュンガの初登を果たしていますが、イギリスはじめ各国のクライミングサイト、一般メディアも「クライマー」としてのジョー・ブラウンにスポットがあてられています。

 当ブログでも過去にジョー・ブラウンを紹介してますので、

 あの人は今 ジョー・ブラウン(Joe Brown)、祝・80歳 by 当ブログ2010年9月26日

 当ブログでは、各国クライミングサイトがあまり取り上げない、カンチェンジュンガ登頂にまつわるエピソードを中心に追悼します。

 1930年、ジョー・ブラウンはイギリス・マンチェスターに7人兄弟の末っ子として生まれ、学校を出てすぐ配管工見習い、建設作業員の職につきます。

 16歳のときにコリン・カーカスの著書『Let' go climbing』(日本でも森林書房から出版された邦訳「クライミングに行こう」を読んだ山岳関係者は多いはず)に影響されて登山とクライミングを始めます。

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著書の表紙にもなったsea stack(スコットランド北部・海岸部の岩場)を登る若き日のジョー・ブラウン

 チョモランマに消えたマロリーに代表されるような上流階級の人々とは一線を画し、労働者階級の一人としてイギリス各地の岩場に困難なルートを拓き、ヨーロッパアルプスでもその才能をいかんなく発揮します。

 「酔っ払い」ドン・ウィランスと素晴らしいコンビを組み、「軽量化」のためアイゼンも持たずw ドリュ西壁を速攻で登攀。その時のコメントとして、

 「フランス人って、クラックでハンドジャム知らないんだ」

 そうです、工業用ナットを加工してクラッククライミングのプロテクションとして駆使し始めたジョー・ブラウンは、クラッククライミングを得意としていました。後のカンチェンジュンガ登頂でも、頂上直下の岩場でクラッククライミングの実力を発揮します。

 ドン・ウィランスと組んだヨーロッパアルプスでの成果から、1953年エベレスト初登頂を果たしたベテランメンバーぞろいのカンチェンジュンガ登山隊に最年少隊員(26歳)として招かれます。

 大学出身でインテリぞろいの隊員達。

 隊員の一人で脳外科医のチャールズ・エバンスを病院に訪ねていき、こんなやりとりがありました。

 エバンスが外科手術器具を手にして、

 「スレート(訳者注 : 粘板岩)をカッティングするときはこんなの使うんだろ ? 」

 配管工のブラウンは負けずに手術用ドリルを手にして

 「御冗談を・・・私はこれよりいい仕事しますよ ! 」

 ジョー・ブラウンによれば、社会的地位のギャップはクライミングへの愛情で埋めることができた、と語っています。

 その言葉が大げさでないことは、最年少隊員であるジョー・ブラウンがカンチェンジュンガ登山隊で第一次登頂隊員に選ばれたことからも推察できましょう。

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 人類として初めてカンチェンジュンガ「頂上」に立つジョー・ブラウン

 カンチェンジュンガ峰の登山は、ご存じの方も多いと思いますが地元住民との取り決めにより、聖なる山として真の頂上を踏まず、手前に立つことで登頂とされています。

 登頂時のことについて、真の頂上に立とうと思わなかったかとインタビューされ、ジョー・ブラウンはこう答えています。

「いいえ。誘惑すら無かったです。私にとって山頂に立つことは意味がありません。私はクライミングの喜びのために山に登っています。喜びは頂上でおしまいです。あなたもそこに行けば、そう思うでしょう。旗を立てる必要もありません。当時ではあまりみられない行為でしょうがね。私たちは持っていきませんでした。その写真に写っている場所、そこが私たちが立ち止まったところ(頂上)です。」

 まさにクライマー魂ともいうべき答えではありませんか。

 蔵書を引っ張り出して当時の記録を読み返すと、登頂前夜の最終キャンプで「彼ら二人は(ジョー・ブラウン、ジョージ・バンド)はすごくぜいたくな夕食を食べた」と書いてある。

 2人はいったい何食べたんだ?

 Alpine Journal 1955年No.291号にジョージ・バンドが記した登頂記では、

 粉レモンで作ったレモネード(砂糖多め)、アスパラガスのスープ、マッシュポテトと子羊の舌の缶詰、食後にココア

 だ、そうです。

 その穏やかな人柄、無類のジョーク好き、クライミングに対する飽くなき情熱。

 ジョー・ブラウンの逝去を報じる一般メディア、UKCサイト、コメント欄いずれにも、『End of an era』(一時代の終わり)と表現されていたことが、彼の存在の大きさを物語ります。

 Joe41955年、カンチェンジュンガ登頂後のジョー・ブラウン近影

偉大な登山家の死去に、哀悼の意を表します。

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仙台暮らし

月曜から仙台市某所でゼネコン現場仕事。

コロナウイルス禍でついに私の勤務先でも「夜の街に繰り出しちゃダメ」指示が出る。

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仕事を終えてビジホに帰る途中にある、石窯パン工房パンセ に立ち寄る。

本日の夕食は、

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ベーコンエッグで決まりだね。

胡椒が効いててgoodでした。

 

ビジホ暮らし、夕食はめんどくさいのでスーパーの総菜頼り。

何かの本で、「肉屋のコロッケは旨い」とかあったけ・・・と思い、仕事帰り、近くの ミートショップサトウ に行く。

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狭い駐車場、すでに現場作業従事者と思われる車が停まっている。勤労者に支持されるとは期待できそうだ!

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本日は牛タンメンチコロッケ(左)とチーズコロッケ(右)お買い上げ。

牛タンメンチはつなぎのジャガイモも少なく、食感・味ともに肉を食っている実感。

チーズコロッケはつなぎのジャガイモが旨い! (肉屋のコロッケなのにごめんなさい)

また来たいお店が増えました。

安倍首相の緊急事態宣言をラジオで聴きながらビジホに帰宿。

緊急事態宣言だろうが戒厳令だろうが、建設現場は変わらない。明日も現場仕事頑張ります。

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やさら流し 山形県遊佐町 樽川地区 令和2年4月4日

山形県飽海郡遊佐町には、月遅れの節供の行事として藁人形を川に流し「災厄送り」とする行事「やさら流し」が伝承されている。


「やさら」とは八皿とも弥皿とも書く。樽川地区では八皿と書く。由来・起源は明らかではない。ヤマタノオロチ退治に用いられた八つの酒樽になぞらえた、八種類の料理を備えるから、など諸説ある。


 月山から下山してそのまま樽川地区を訪れる。17時45分、集落中央部の三差路に皆さん藁人形を持って集合されていた。


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樽川地区は全戸数17戸。皆顔見知りだ。


この日は遊佐町広報担当の方、山形新聞の記者、荘内日報の記者、そして私が撮影機材を抱えて集まっており、女性の方からは「これから着替えてこようか」との言葉が出て笑いを誘う。


 伝統行事はどこでもそうだが、集まった住民の方は年配の方が中心。


 平成16年発行の山形県教育委員会による行事調査報告書では多くの子供たちの姿が写真として掲載されているのだが・・・住民の方からも、


「外孫でも連れてくるといいっけか?」と声が聞こえる。


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 樽川地区の「やさら流し」で用いられる藁人形。背丈は30cmほど、赤い椿が頭上に飾られる。背中には御馳走の入った「わらつと」を背負う。


 各家庭で藁人形を作り、お膳やお神酒を捧げられてから行事に持ち出されるのだ。


 18時少し前、「はじめましょうか」とゆるく行事は始まる。


 鐘と太鼓の拍子と共に、皆さん声をそろえて


『やっさらにんぎょう おくんぜ どこまでおくんぜ さんどがしま(佐渡島)までおくんぜ』と唱えながら集落を歩き、近くの洗沢川へ行く。


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 最後にあらためて唱え歌を歌い、一斉に藁人形を川に放る。災厄を川へ、海へと流すのだ。


 おりしもコロナウイルスが猛威を振るう日本。


 近くの平津地区では大きな藁人形を作り、若衆がお神酒を飲みながら藁人形を担ぎ出す行事なのだが、今年は神事のみだと伺った。


 帰路、歩きながら世話役の方から樽川地区の成り立ち、やさら行事のことなど色々伺う。


 樽川地区では、現在2~3歳の子供しかいないとのこと。


 それでも、年配の方を中心に途切れずに「やさら流し」が継続されてきたことは、地区の方々の平安な生活を願う「祈り」の賜物だろう。


 樽川地区の子供たちが大きくなる頃、どんな世の中になっているのだろうか。


 この日記録した動画はこちらです↓



コロナウイルス蔓延が問題となっている中、部外者の見学を快く迎えてくださった樽川地区の皆様のご健康をお祈りいたします。

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春のブナ林へ

金曜。

来週から山形県某所に出張する親方達作業班の段取り、私は仙台市某所に出張する段取り、その合間に新入社員への工事機械のプレゼン。

諸々の仕事を片付け、好天を逃さず土曜は月山山麓へ。

不要不急の外出? ガイド山行を予定している身である。少雪のシーズン、下見しておきたいポイントはいくつもある。

Imgp0001毎年楽しみにしているザゼンソウは、もう開花している。今年はやはり一ヶ月は気候が早い。

そんなことを言っても仕方ない。あるがままに受け入れよう。

グサグサに腐った雪を、ワカンを履いてブナ林を進む。

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西川町の街中でも気温16度、風は冷たいが日差しはきつい。ブナの木陰で休憩。

キツツキのドラミングが聞こえる。もう冬は去ってしまったのだ、と実感する。

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ブナは凶作なのであまり見られないはずなのだが、枝のへし折り具合からみて熊棚。空き家物件。

G3

自然博物園も除雪が進む。山にも春が来る。

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