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蜂の巣駆除

老母の住む実家の片隅に、お銚子を逆さにしたような蜂の巣ができていた。

カミさん「あれ何蜂なの?」

私「トックリバチか何かじゃねえの」

と、スマホで検索すると、出てきた答えは「コガタスズメバチ」。

しかも7月から8月にかけて働き蜂が狂暴化するという。

老母はよく散歩に表にでるので、休暇をとった火曜日、素人技で駆除する。

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いつのまにか、綺麗な「お銚子」の形は崩れて球形になった蜂の巣。働き蜂か女王蜂か不明だが、盛んに動いている蜂が見える。

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用意したのは「アース ハチアブ マグナムジェット」と壊した巣を収納する厚手のビニール袋。

 このアース ハチアブマグナムジェット、普通の殺虫剤の「フマキラー」程度かなと思ったら、威力・噴射する液量ともに小型消火器並み。

 画像左側のハンドルが可変式で、ちょうど自動小銃のように構えることができる。

 これを蜂の巣にむけて発射。

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働き蜂に抵抗されるのが嫌なので、映画『プレデター』のごとく殺虫液を情け容赦なく噴射。

前述のとおり噴射される液量も凄いので、壁、蜂の巣あっというまに殺虫液漬けになる。

巣の中にいる蜂の動きがみえないことを確認し、金属製ヘラで巣をそぎおとす。

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殺虫液が強力なのか、巣の中にいた蜂はピクリともせず即死。

 こうして平日の貴重な休暇は終わる。

 ※まだ活動期前で蜂がおとなしかった可能性があります。大きな巣や盛んに活動する蜂がいる場合は専門駆除業者にお願いしましょう。

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今日、浄土を見た

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7月1日の山開きを控えて、月山・姥沢ルートへ。

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姥ヶ岳一帯はチングルマが絶賛大公開中。

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月山山頂にて、クロユリと対面。昨年、一昨年と数が減少していたが、今年は比較的多くみられるようだ。

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山頂小屋前の細道に入り、クロユリの群生を確認。

梅雨模様で気象予報の情報も安定しない。

午前中は大雨の予報を承知の上で、着古した雨具をいつでも出せるようにパッキングしてきたが、結局降られずに済んだ。

山頂の花畑で強風にあおられる。

ふと上を見上げると、

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ガスが風で飛ばされ、うっすらと青い空、一面ハクサンイチゲが咲いている向こうに月山神社が姿を現す。

突然、「浄土って、こんな景色かな」という思いが頭をめぐる。

豊富な残雪を利用して下山。

今日は花の咲き具合を観察しながら登ったので、下りは残雪を利用して速攻下山。

速く下りないと、手作り茶屋だんご かたくらの団子が売り切れる!!

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浄土を見た後は団子だよね(意味不明) 本日は直球勝負であんことぬた。

 

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月山残雪情報 2020年6月28日現在

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 姥が岳の斜面は大部分が雪渓に覆われています。中腹部は勾配のきつい斜面が続きます。慣れない方(雪上歩行の経験のない方)はアイゼン必携です。

 姥ヶ岳~金姥の間の雪渓は消失しました。

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 牛首は完全に残雪に埋もれています。(画像中央の黒点は牛首の道標の頭) 一部登山道が露出していますが、鍛冶月光(月山山頂直下の急坂)下部まで雪渓が続いています。画面上部の赤線は、鍛冶月光にむかう登山ルートです。視界不良時のためのロープは張られていますが、道案内のロープのため体重はかけないでください。

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鍛冶月光下部に至る雪渓 雪上歩行になれない方はアイゼン着用推奨します。

牛首から四谷沢コース(谷筋を行くコース)の下りも大部分が雪に覆われており、中間部に急斜面があり、過去に幾度も滑落事故が発生しています。アイゼン着用を推奨します。本日の私は鍛冶月光下部の雪渓はキックステップで降り、牛首からはアイゼン着用で下降しました。

ここまで「アイゼン」と表記してきましたが、山開きはじめの時期は軽アイゼンではなく、8本爪以上のアイゼンでの行動をお勧めします。

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四谷沢コースからリフト上駅に至る登山道は、いくつもの雪渓で覆われています。(赤線は登山ルート)

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上記画像のように、沢筋に雪渓が残っています。これからの雪解け時期、薄い雪渓の踏み抜きによる負傷にご注意ください。

※当記事の雪渓に関する情報は筆者の個人見解であり、月山朝日ガイド協会の公式見解ではありません。雪渓の状況は気温、降水により日々変化します。現地の最新情報を参考にして登山を楽しんでください。

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酒仙の墓

山形は酒どころ、らしい。

らしい、というのは、私は普段は晩酌もしないし、飲むのは会社と山仲間の飲み会だけなので、日本酒は詳しくはない。

以前別件で山形の石碑を調べていたところ、山形には「酒仙」と呼ばれる人の墓があることを知った。

コロナ禍で各地の民俗行事・年中行事が中止になっている今、「酒仙」の墓を訪れてみる。

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山形市・正覚寺の酒仙像

 山形市の古い市街地の奥に位置する正覚寺の「酒仙」の墓は、個人の墓石の隣に建てられている。

 高さ30cmほどだが、左手に酒樽を抱え、右手に盃を持った、堂々たる石像である。寛政4年(1792年)作。

 もう顔面は欠けていてよくわからないが、文献では「大笑い」している像とのこと。

 風化してよくわからないが、辞世が刻まれている。

 『一世を計てみれば樽の酒、酔ふも醒るも夢のゆめなり』

 資料には個人名が記されているが、ここでは伏せておく。この墓に埋葬された方は大百姓で、大の酒好きで知られ、ある時雷が激しく皆が震えている際にも一人悠然と盃を傾けていたという。

 

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山形市・妙見字地区の「酒仙の墓」

 山形市の妙見字地区の杉林にひっそりと建つ「酒仙の墓」は、法印定胤 という修験者(家は豪農)の墓である。

 これまた大の酒好きで「酒に明け酒に暮れる」生活を送っていたとのことで、その死後に弟子たちが建立したものだといわれる。

 この法印定胤の家も前述の墓主と同じく、子々孫々も酒豪だったため家が傾き、廃絶してしまったという。 

 

 私が参考にしたのは、民俗研究者として知られる武田好吉氏の資料(※)なのだが、氏の調査によれば山形県内において「酒仙」といわれる方の、ユーモラスなデザインの墓は14箇所確認されている。中でも、前記のような盃と徳利を重ねたデザインの墓が最も多い。

 製作年代も寛政年間から弘化年間(1792~1847)に集中しており、江戸時代の中でも比較的に平穏で、交通も信仰も盛んな時期であること、そして何より「建てる人」「建てられる人」「僧侶」の三者が共に「酒を肯定して」こそ、建てられたものだと武田氏は指摘している。

 亡くなった山仲間で「散骨」で葬られた方もいるし、最近は山形でも「樹木葬」などテレビCMが流れ、故人をしのぶ在り方は様々だ。

 昔の人々が故人を象徴する強烈なデザインを墓石に刻んでいた事実は、古来からの「酒と人」の結びつきを知るうえで実に興味深い。

 

※参考文献 山形の酒を語る会『酒仙の墓』昭和46年3月刊

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お仕事日記 2020年5月

先月は諸事情で書類作成に没頭。

普段は雲の上の役員皆様に添削指導を受けた書類をそろえ、上司と共に決済を受けに行く。

社長デスクに向かう、上司と私の心境 ↓ (イメージ)

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特定警戒都道府県の移動自粛開け、早速さすらいの作業員生活に戻れそう。

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K2 2018夏 登山報告書

 先日の小谷部明追悼集「すかり」に続き、郡山市在住の保坂昭憲氏より、北日本海外登山研究会登山隊報告書『K2 2018夏 登山報告書』をお送りいただいた。

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同隊は日本人隊員6名、ハイポーター2名の登頂に成功するものの、渡辺康二郎隊員がボトルネックで滑落死してしまった。

記録を詳細に読むと、困難な山の代名詞であったK2も公募隊全盛となっている現実、「今現在のK2」がよくわかる内容になっている。

隊長であった故・小谷部氏はネパールから来たシェルパ主導のルート工作を避けるために現地に最初に乗り込む形で主導権を握ろうとするのだが、後からやってくる大手公募隊とやはり調整をとらなければならず、さらには隊のテントや装備、デポ品の無断使用などが横行する現実と向き合わなければならなかった。

 そのような「8000m峰の今」とは別に、私が最も興味深く拝読したのは、報告書と併せて送られてきた保坂氏ご自身による、渡辺隊員の事故処理の記録である。私情を挟むことなく簡潔に、事実を時系列に記したその記録はまさに貴重な記録といえる。

 私は保坂氏の記録を幾度も読み返し、今のヒマラヤ登山隊では失われつつある「事務局」の存在と必要性、さらには「組織」の存在意義まで思いを巡らせた。

 ライトエクスペディション。 

 アルパインスタイル。

 掛け声は勇ましいが、いざ事故が発生したとき、人間は現実を突きつけられる。

 遠く離れたパキスタンでの事故、保険、死亡証明、ご遺族との対応等々。

 「登山の反社会性」などとウェブやツイッターで威勢のいい事を書いている輩は多いが、ひとたび事故が発生すれば、法と行政という社会のシステムから逃避することはできない。

 自宅に届いたK2隊の報告書は、そのことをあらためて自戒する、保坂氏からの教えでもあった。

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葉山、死者を見送り生者を見守る山

13日、寒河江市の葉山市民荘から「畑コース」たどって葉山山頂を往復。

林道歩きを過ぎ、雑木林を抜けるとブナ林に入る。

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 登山口の蒸し暑さから、少し気温が下がり気持ちの良いブナ林歩きが続く。

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ブナ林の中は、エゾハルゼミの大合唱BGM付。

緩急織り交ざった登山道を登りつめ、稜線へ。

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 あまり見慣れない西側からの山形盆地の光景を眺める。天童の里山、出羽の三森(みつもり)と呼ばれる舞鶴山、八幡山、腰王山が離れ小島のように浮かんで見える。

P2_20200613233701稜線出だしの木道沿いはツマトリソウの大群落。花言葉は「純真」。私には無縁の言葉である。

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さらに稜線を進むと、登山道の両側をアカモノの花が埋め尽くしている。他の登山者とすれ違うときには足の置き場に困るほどだ。

P4_20200613233901稜線全般を彩るゴゼンタチバナ。花言葉は「移り気」。好きですゴゼンタチバナ。

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曇天ながら、彼方に鳥海山がくっきり見える。爆裂火口跡の葉山東面の光景と相まって見とれてしまう。

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何より驚いたのが、シラネアオイの大群落。(畑コースを往復するのは10年ぶり位) 蕾もありましたので、来週くらいはまだ楽しめそうです。

P7_20200613234401小僧森~大僧森の稜線を彩るツバメオモト。 バラエティに富んだ稜線の花々に、あらためて葉山の魅力を実感。

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稜線を歩いて突然ひろがる月山東面の風景。この角度からの眺めは、平地だと葉山の陰になってしまう。登ってきた者が楽しめる光景。

山頂は虫がパニック映画なみに飛来してくるため、行動食を齧り水分補給して即下山。

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登山口の葉山市民荘で買い求めた、葉山オリジナルシェラカップ。(1個¥1,500で販売中。私はオリジナルグッズに弱い) 早速買ったカップで長命水(葉山市民荘前の水場)で一息つく。

 

 数年前、父方の叔父の葬儀に参列したときのこと。

 叔父は葉山を間近に眺められる、村山市の高台に住んでいた。

 自宅での法要を済ませ、葬儀場に行くマイクロバスに乗り込んだ。バスは葬儀場のある村山市内へと降りていく。

 その日は晴天、車窓には葉山の東面が大きく見えていた。

 御遺骨を抱いた娘さんが、つぶやいた。

 「じいちゃん、今日はお山がはっきり見えているよ。」

 叔父は日々、葉山を眺めていたのだ。

 以前に葉山に登った際、湿原に供えられていた蝋燭を思い出す。葉山信仰は、現代に生き続けている。

 

 死者を見送り、生者を見守る山。それが私にとっての葉山である。

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追悼 服部克久氏

彼女もいない、21歳の寂しい夏、私は初めての8000m峰登山に赴いた。

当時は「中国登山」というくくりで、北京、成都で共産党幹部らと交流会と称する中国酒の飲み会をくぐりぬけて、ようやくチベット自治区ラサに入るという行程だった。

ラサから車で3日間走り続け、ようやくベースキャンプに到着。

その3日間、専属の中国人ドライバーが運転するランドクルーザーに乗りながら、暇つぶしは音楽を聴くことだった。

休憩地点で、高橋OBから

「大滝ぃ~、なんかテープ貸してよ」

「え、高橋さん、喜多朗のシルクロード聴いてたんじゃないすか? 」

「うーん、音楽が周りの風景に負けちゃうんだよね」

こんなやりとりの後、私が持ち込んだテープ(当時はカセットテープ全盛)からTBSの紀行番組「新世界紀行」のアルバム版を貸してあげた。

服部克久氏作曲の「自由の大地」は結構好評だったと記憶している。

哀愁を帯びた旋律から始まり、希望に溢れるメロディへと変わる曲調が素晴らしい。

 

私のチベット行きをさかのぼる2年前、東崑崙山脈最高峰ウルグ・ムスターグ峰に立正大WV部登山隊が第2登、外国人初登を果たし、その登山隊の記録はTBS「新世界紀行」で2週にわたり放映された。

 

部室が無かった山岳部員の私は、WV部部室に居候という立場で出入りさせてもらっていた。顔見知りの仲間たちが崑崙山脈で活躍するのを視聴しながら、「いつかは俺も・・・」と思ったことは言うまでもない。

 

そして番組の最後に流れる「自由の大地」。
この曲を聴きながら、幾度も見知らぬ土地への憧れを掻き立てられた。

 

服部克久氏のご冥福をお祈りいたします。

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ブナの森探検 2020

朝日少年自然の家企画事業「初夏ハイキング ! ブナの森探検」にサポーター参加。

コロナ禍後、初の少年自然の家行事ということもあり、マスク・消毒液持参で訪れると、

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おなじみのボランティアスタッフルームは三密を避けるため閉鎖、事前ミーティングも解放された談話室で始まる。

参加者も先着20名と例年より少なめに設定されての企画。

ツイッターで不毛なコロナ自粛論議に熱中している人たちと違い、最前線はもうノンストップで「アフター・コロナ」の活動開始である。

参加者の皆さんと共に山形県自然博物園に移動。

少年自然の家の計らいで、子供参加者をおおまかに年齢分けし、例年3班編成のところをブナ林ガイド4名依頼し、今年は4班編成。

私は運よく同じガイド団体でお世話になっている近田郁子ガイド引率の班に加わる。幼稚園児2名、小学生2名、保護者2名の理想的な少人数でブナ林へ入る。

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博物園の絵地図に興味津々な女の子に教える近田ガイド(右)

 私もJMGAガイド資格取りたての頃にブナ林ガイドで修行した経験があるのだが、ブナ林ガイドにもいろいろ個性が表れる。

 百科事典のようにブナのことを説明していくガイドもいれば、臨機応変に参加者の興味に応じるガイドもいる。

 近田ガイドは子供たちの興味を大事にして楽しませるガイディングが巧みだ。

 子供たちも小学校低学年、幼稚園年長の子ということもあり、私なら見過ごしそうなことに興味津々。

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 笹船作りが子供たちのツボにはまったらしく、何艘も作っては雪解け水で増水した沢に流す。子供たちはいつまでも飽きない。

 今年から自然の家に赴任したマウリーさん、笹船作りの指導に大活躍。

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 ゆっくりペースで移動ということもあり、マスクを着用しながらの行動。

 お昼はブナ林広場で、みんなでお弁当開き。

 昼の時間を利用して、近田ガイドから今シーズンのブナ林の情報収集。昨年のブナの実凶作で、やはり「ブナもやし」は見られないとのこと。 

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皆が戻ってから、博物園前の広場で「木のペンダント作り」。

6月、ようやく自然の家企画事業もスタートした。コロナ禍の後で野外活動も様々な制約を受けている。今シーズンは手探りで最善を求めることになりそうだ。

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