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酒仙の墓

山形は酒どころ、らしい。

らしい、というのは、私は普段は晩酌もしないし、飲むのは会社と山仲間の飲み会だけなので、日本酒は詳しくはない。

以前別件で山形の石碑を調べていたところ、山形には「酒仙」と呼ばれる人の墓があることを知った。

コロナ禍で各地の民俗行事・年中行事が中止になっている今、「酒仙」の墓を訪れてみる。

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山形市・正覚寺の酒仙像

 山形市の古い市街地の奥に位置する正覚寺の「酒仙」の墓は、個人の墓石の隣に建てられている。

 高さ30cmほどだが、左手に酒樽を抱え、右手に盃を持った、堂々たる石像である。寛政4年(1792年)作。

 もう顔面は欠けていてよくわからないが、文献では「大笑い」している像とのこと。

 風化してよくわからないが、辞世が刻まれている。

 『一世を計てみれば樽の酒、酔ふも醒るも夢のゆめなり』

 資料には個人名が記されているが、ここでは伏せておく。この墓に埋葬された方は大百姓で、大の酒好きで知られ、ある時雷が激しく皆が震えている際にも一人悠然と盃を傾けていたという。

 

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山形市・妙見字地区の「酒仙の墓」

 山形市の妙見字地区の杉林にひっそりと建つ「酒仙の墓」は、法印定胤 という修験者(家は豪農)の墓である。

 これまた大の酒好きで「酒に明け酒に暮れる」生活を送っていたとのことで、その死後に弟子たちが建立したものだといわれる。

 この法印定胤の家も前述の墓主と同じく、子々孫々も酒豪だったため家が傾き、廃絶してしまったという。 

 

 私が参考にしたのは、民俗研究者として知られる武田好吉氏の資料(※)なのだが、氏の調査によれば山形県内において「酒仙」といわれる方の、ユーモラスなデザインの墓は14箇所確認されている。中でも、前記のような盃と徳利を重ねたデザインの墓が最も多い。

 製作年代も寛政年間から弘化年間(1792~1847)に集中しており、江戸時代の中でも比較的に平穏で、交通も信仰も盛んな時期であること、そして何より「建てる人」「建てられる人」「僧侶」の三者が共に「酒を肯定して」こそ、建てられたものだと武田氏は指摘している。

 亡くなった山仲間で「散骨」で葬られた方もいるし、最近は山形でも「樹木葬」などテレビCMが流れ、故人をしのぶ在り方は様々だ。

 昔の人々が故人を象徴する強烈なデザインを墓石に刻んでいた事実は、古来からの「酒と人」の結びつきを知るうえで実に興味深い。

 

※参考文献 山形の酒を語る会『酒仙の墓』昭和46年3月刊

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