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Bernadette McDonald著 『 WINTER 8000 』

8000

荘厳な、レクイエム(鎮魂歌)である。

Bernadette McDonald女史の新作『WINTER 8000』を読む。

8000m峰の冬季登頂史を14章、すなわち14座全てにわたり網羅した本である。

この本を読むにあたり、私は2つのテーマを抱いていた。

1. 北海道大学山岳部による1982年ダウラギリ冬季登頂はどう扱われているのか。

2. 2013年3月、ブロードピーク冬季初登を果たして還らなかったポーランド人、マチェイ・ベルベカを巡る人間模様はどうだったのか。

の2つである。

 

 1.の北大山岳部の件とは、1982年12月13日、80年代当時ネパール政府の定義する冬季(12月1日から2月15日まで)に従いダウラギリ冬季「初」登頂を果たした北海道大学山岳部の登頂の事である。

 ヒマラヤ登山の冬季の定義が「冬至から春分の日まで」が一般的となった現在では、1985年1月21日、イェジ・ククチカとアンジェイ・チョクが登頂したポーランド隊が冬季初登とされている。

 この事がどのように描かれているかに関心があった。

 読み進めて第3章、ダウラギリの話はいきなりイェジ・ククチカの登場から始まる。ええ~!北大の成果はガン無視ですか!?

 日本の大学山岳部の成果、残した登山報告書が後々の欧米の登山家に多大な影響、すなわちヒマラヤ登山史に影響を与えた、というのが持論の私にはモヤモヤするものが残るので、Bernadette McDonald女史に直接問い合わせた。

 「北大山岳部を取り上げなかったのは登頂日が12月13日だったからですか?」

 女史からは「その通り! 初登であったとしても、完全なる「冬」でなければ記録に加えられませんでした。」と明快な答が返ってきた。

 とはいえ、シシャパンマの章では2004年12月11日に登頂したジャン・クリストフ・ラファイユに関してはしっかり記述している(後に論争となるシモーヌ・モロー、ピオトル・モラフスキーの事を主題とするのに必要だったのだろう)。女史は触れていないが、やはり8000m峰冬季登頂の歴史=ポーランド人クライマーの苦闘史というイメージがあるのだろうと推測する。

 

2.のマチェイ・ベルベカとは、当ブログでも追悼記事を書いたポーランド人クライマーの事である。

 1988年冬、ポーランド隊隊員としてパートナーが脱落したにもかかわらず単独で山頂を目指したマチェイ・ベルベカは、一人、ついに冬のブロードピーク山頂に立つ。

 世界初の冬季カラコルム8000m峰登頂の栄光に輝いた・・・かに思われたが、実はマチェイが登頂したのは前衛峰で主峰ではなかったことが帰国してから明らかになる。隊員達は、登頂の状況から「彼が登ったのは前衛峰ではないか」と薄々気づいていた。

 何故、自己主張の塊ともいえる西洋人、特に主張が強いといわれるポーランド人達は、マチェイに真実を黙っていたのか。私の疑問はそこにあった。

 本書によれば、隊長であり智将であるアンジェイ・ザワダも前衛峰登頂であることに気が付いていた節がある。マチェイは強力なクライマーゆえ、そのまま主峰に進めば死ぬとアンジェイは考えていたらしく、無線でも余計なことは口にしなかった。

 しかし早々にアンジェイがポーランド本国に「ブロードピーク冬季登頂成功」として知らせたのはなぜか。クシストフ・ビエリツキは真実はわからないまでも推測として、「アンジェイにとっては「誰が」「いかに」は問題ではなく、隊が登頂に成功したことが全て。軍隊のような登山だが、こんな考え方は今の世代の人々にはわからないだろう。」とコメントしている。

 そもそも、誰も口を出せないような、壮絶な単独下山を果たしたマチェイ。帰国後、一瞬の栄光をつかみながら、同僚のアレクサンドル・リボフの手記によって前衛峰登頂が明らかにされ、人間不信に陥るマチェイ。そして2013年、再び冬のブロードピークに挑み、登頂に成功しながら還らぬ人となったのは当ブログの前掲記事のとおりである。

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1986年1月11日、カンチェンジュンガ冬季初登を果たした後のクシストフ・ビエリツキ(左)とイェジ・ククチカ(右)

あまりに有名な写真であるが、冬季8000m峰初登を果たした後の疲弊感とポーランド人の強靭さが同時に表れているような感想を抱く

 

 さて、長年の付き合いからポーランド人贔屓のBernadette McDonald女史であるが、我が日本隊に対して
「If anyone deserved a winter ascent of annapuruna, then it was Japanese.」(冬のアンナプルナ登頂にふさわしい者がいるとすれば、それは日本人である)と賛辞を送っている。すなわち1987年の群馬岳連隊による冬季アンナプルナ南壁登攀について詳細に記述されている。それだけでなく「超人的」と女史が評する故・山田昇氏、故・斎藤安平氏によるアルパインスタイルによる冬季マナスル、JAC東海隊によるローツェ南壁冬季初登にもページを割いている。

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夫、マチェイ・ベルベカが行方不明のままのブロードピークを訪れた妻のエワ・ベルべカ(2018年、病没)

 

 当ブログでは旧ユーゴスラビアのヒマラヤ登山史を記録した『ALPINE WARRIORS』を「壮大な叙事詩」と記した

 冬季8000m峰。

 経験者いわく「地獄のような世界」を登攀し山頂に立つために、どれほどの犠牲を払ってきたことだろう。本書でとりあげられたクライマーは日本人も含め、多くは故人となっている凄まじさ。

 第5章カンチェンジュンガでは、女史は

『The cost of climbing can be extremely high.』

と綴り、凍傷のような肉体の傷だけでなく「人生の犠牲」を払ってきたクライマー達にも心を寄せる。

 クライマー個人だけではない。冬の8000m峰から還らなかったクライマーの家族達にも、死は暗い影を落とす。

 それゆえ私は本書を叙事詩ではなく、「荘厳なレクイエム」と評することにする。

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パタゴニアの沈黙

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Photo by AFP

「クソ野郎を落選させろ」

という品格の欠片もない言葉を商品のタグに付けて話題となっているパタゴニア社。

アメリカメディアはトランプ政権の環境政策を解説しながら、おおむね賛同の記事を掲載しています。

 しかしアメリカ世論が皆リベラル派な訳ではなく、アメリカの保守派週刊誌『Nationalreview』誌、政治部記者のJim Geraghty氏 がパタゴニア社の「影」を突いた記事を掲載しています。

That Big Military Contractor . . . Patagonia? by Nationalreview 2020.9.16

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Joint

2020年7月9日、ワシントンD.C.で下院軍事委員会の前で証言するマーク・ミルリー統合参謀本部議長(ロイター)

 昨年、パタゴニア創業者でありセレブなイヴォン・シュイナードが「私は社会主義者だ。それを誇りに思う。ほんの数年前、バーニー・サンダースが掲げるまで、それは汚い言葉だった」と言い、Fast Company誌インタビューで、「ベネズエラは社会主義国ではない」と主張したことを書いた。シュイナードの顔は、目を引く見出しとともに、雑誌の表紙を飾った。"資本主義は死んだ。資本主義は死んだ。"

 今日(こんにち)まで知らなかったのは、パタゴニア--"弁解せずとも政治的 "な企業であるが、米国防総省と長年契約している企業でもあるということだ。
 2018年5月、軍用品業界紙SoldierSystems.netは、「パタゴニアには専用部門があり、保護戦闘服プログラムのプライムプロバイダーとして、アメリカ製防寒服・戦闘服を納入し、USSOOCOM(アメリカ特殊作戦軍)のサポートに注力している "と指摘する。

 パタゴニアのPCU(訳者注 Protective Combat Uniformの略)をよく知る人でも、どれほどの期間にわたり軍をサポートしてきたかは知らない。私とパタゴニアとの関係は1980年代後半にさかのぼり、第3ID長距離監視部隊に配属されたときのことだ。潜伏中に寒さをしのぐため、紺色の厚手パイルスーツと、左胸にロゴ入りポリプロピレン製の長袖肌着を支給された。間もなく、これらの衣服のコピーが米陸軍の寒冷地用ウェアシステムに含まれた。ナイロン製の胸ポケットに至るまで。

 90年代を通じて、SOF(特殊部隊)は過酷な環境で使用するためにパタゴニアの特別なウェアを支給していた。しかしパタゴニアが国家の要請に応え、SOFのために衣料システム全体の開発に着手したのは、対テロ戦争(訳者注 アメリカ同時多発テロ以降の対テロ作戦を示す)になってからのことだった。

 7月には、警察機関と契約を結ぶアパレル企業に関する記事の中で、GQ誌のサム・ライスはこう指摘する。

「パタゴニアの戦術衣料品部門であるロストアローは、さらに密接な関係にある。衣料品(オーバーオール、ソフトシェルジャケット、ネックゲイター、アーミーグリーンまたはグレー)には、ロストアローのブランド名はなく、「PATAGONIA TACTICAL *GOV'T SALES ONLY*」と表示されており、販売はタクティカル・ディストリビューターというウェブストアだけである。(中略)」

 パタゴニアが米軍向けに高品質のエクストリーム・ウェザー・ギアを開発・販売していることに、多くの人々は何ら問題ともしないだろう。多くの企業は、世界で最も過酷な条件の中で働く、世界で最も過酷な兵士たちのため、自社ウェアは十分優れていると延々と自慢するだろうが、パタゴニアはそのことに関してはほとんど口を閉ざしている。しかし、パタゴニアの顧客の中には、米軍を本質的に帝国主義的または破壊的な勢力と見なしているリベラルな顧客もいる。パタゴニアの軍事契約を容認できる罪とは思っていないかもしれない。

自称「社会主義者」の億万長者が率いる企業の中で、リベラルかつ進歩的な大義への支援を使命の一部としながら、軍事契約を結んでいる企業がどれだけあるというのだろう?

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 パタゴニアはそのことに関してほとんど口を閉ざしている。(記事中より)

 私自身は当ブログで前々から主張しているように、「国防は国家の要」だと考えてますので、パタゴニアが軍用品作ろうが驚きません。以前にブログ『雪山大好きっ娘。』さんとギアの話題に触れた際、世界各国の有名アウトドアブランドの軍需産業生産率が高いことを知り「え、そんなに?」とむしろ驚いた方でした。

 上記記事を掲載している『nationalreview』誌は、日本の『正論』をさらに強硬にしたような保守派誌です。

Pataパタゴニア社が誇る米軍仕様ウェアのラインナップ

 ちなみに私が知る限りでは、パタゴニア社が直接これら国防省に納める軍需品を生産しているわけではなく、生産は提携会社であるPeckham Vocational Industries が担っています。

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ドメン・スコフィッチの生き方

 去る5月末、スロベニアのラドブリツァに、ヤーニャ・ガンブレットと彼氏のドメン・スコフィッチが共同で設立したクライミングジムがほぼ完成しました。
 前々からスロベニア・メディアにおけるヤーニャ・ガンブレットのインタビューでは「自分のクライミングジムを持ちたい」とコメントしていましたが、コロナ禍で五輪延期の騒動の最中、二人は着実に、自分達の人生の「プロジェクト」を完成に導いていたのでした。

 その詳細を、スロベニア地元紙SiolNETが報じています。

Janja in Domen sta nam odprla vrata svojega življenjskega projekta by SiolNET 2020.5.29

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ヤーニャとドメンが人生のプロジェクトの扉を開いた

記事執筆 Alenka TeranKošir
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 ヤーニャ・ガンブレットとドメン・スコフィッチは、家族の助けを借りて、ラドブリツァ近くのヴルニェ地区にクライミングジムを設立しました。ここでは、3種のクライミング全て(リード、スピード、ボルダリング)をトレーニングすることができます。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 新しいクライミングジムは、ラドブリツァ近くのヴルニェ地区に建てられました。クライマーとその家族らによる共同出資で作られたクライミングジムには、必要なものがすべて揃っています。

 雪で覆われた山を連想させるプレハブのクライミングジム(ドメンによれば、デザインをカラヴァンケン山脈最高峰のStol峰に似せたと説明した)は、スコフィッチ家のすぐ近くにあります。そのため、世界最高のスポーツクライマーであるドメンのガールフレンド、ヤーニャ・ガンブレットが一日のほとんどをここで費やしています。

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「箱型のオブジェクトをこのような環境に設けることはできません。景観を害しますし、私たちは自然と調和するものを作りたかったのです」と、ジム設立に重要な役割を果たしたドメンの父、パベル・スコフィッチは語る。写真:Peter Podobnik / Sportida

 新しいクライミングジム建設の構想は、少なくとも10年以上前には頭の中に生まれていた。2016年、2018年シーズンで世界3位となったクライマー、ドメン・スコフィッチは語る。

 クライミングウォールの設置と建設を手がけた機械工でありイノベーター(改革者)でもある彼の父、パベル・スコフィッチは、夢と理想を現実に変える役割を担いました。

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10年前、スコフィッチは自分のクライミングジム設立を密かに検討していました。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 ドメンは、これまでのところ約30万ユーロ(訳者注 約3700万円)がジムに投資されていると推定しています。彼らが父親と一緒にプロジェクトに費やした肉体労働は含まれていません。

 彼らは壁、建物の外観デザインを自分で描いた。「父はプログラミングを習得し、私たちは一緒に仕事を始めました。パソコンの前に座り、私に自分の考えを説明し、父はそれをすべて描きました」

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ヤーニャは、肉体的・技術的に負担の少ない作業でジム建設を支援します。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 箱型の建物はそのような環境には属していません。バベル・スコフィッチは、構造物の最終的なイメージと、屋内に設営されたもの、内側の見えない内装すべてを誇りに思っています。彼はすでに建築家から賞賛の言葉を受けたと言います。

「このような環境では、構造物を靴箱の形に置くことはできません。景観を害しますし、機能的ではありません。私たちの風土・自然に調和するものを作りたかったのです」と彼は説明する。形状も、建物は近くの森の形に似ており、周囲からの突出物は最小限に抑えられています。

 ジムは未開発の土地に建てられ、スコフィッチは同じ地区で他の土地と交換することに敷地を取得しました。

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2018年にクライミングジムが建設される前の土地  写真:AnaKovač

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...そして今日、2020年5月。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 彼らは、スポーツ、観光、地域の環境をクライミングジムに結び付けたいと考えています。クライミングジムの後ろには、干し草小屋が立ち、登山者がリラックスして交流できる広大な土地があり、近くに宿泊施設も備えた観光農園もあります。

ジムはいつ一般公開されますか? 完全に完成し、「役者が揃った時」です。

 ヤーニャとドメンがジム公開日を決めるとバベル・スコフィッチは言いますが、ジムが本当に完成し、2人がそれを誇らしく思えることができるとき、そう彼は付け加えました。

 当初、センターは10月に開館予定でしたが、コロナウイルスのパンデミックにより遅れるとドメンは言う。一方で、すべてのクライミングジムが閉鎖された今、ボルダリング壁をより早く完成させたことは、コロナ危機の中でも心強いものでした。

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 スロベニアでの流行が宣言される数日前に、ドメンはボルダリング壁にホールドを集中的に設置し始めました。 「しばらくはどこにも行けなくなるような気がした」と彼は言う。写真:Peter Podobnik / Sportida


「スピードクライミング用の壁はコロナ危機の前に設置されました。コロナ危機の間、私たちはボルダリング壁にホールドを素早く設定し、スムーズにトレーニングすることができました」

 難易度の高いクライミング用の巨大な壁(20m)もあります。これは世界最大ではないにしろ、スロベニアでは大型の人工壁の1つになるため、特別な存在となります。

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 室内にはスピードクライミング用の壁も備えています。室内壁としては2番目で、 1つ目はツェリェ、リュブリャナには屋外に1箇所あります。 写真:AnžeMalovrh / STA

 中央にスピードクライミング用の壁があり(スロベニアでは3箇所目、室内壁では2箇所目)は、ロマン・クライニクコーチの指導を週3回受けるガンブレットにとっては非常に有利になります

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コーチであるロマン・クライニクは、スコフィッチとガンブレットのコーチを務めているため、新しいクライミングジムの常連客です。 写真:Peter Podobnik / Sportida


以下、スロベニア最高のスポーツクライマーの1人であるドメン・スコフィッチへのインタビューです。

ドメン、クライミングジムを自身で建設することから何を学びましたか?

 (コロナで)自粛中でしたが、私たちは多くを学びました。機械工をしている父も含めてね。

 その場で多くのことを学び、臨機応変に多くのことをうまくやり遂げました。今では設計図に書いていたものよりもずっと気に入っています。非常に魅力的であると思います、私はそれぞれの新しい壁を誇りに思っています。

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「建設中に、その場で多くのことを学びました。私たちは多くのことを臨機応変に行い、良い結果が得られました。今では設計図よりももっと気に入っています」 写真:Peter Podobnik / Sportida

自粛中は、ヤーニャと別の場所でトレーニングをしていましたか?

 いいえ、ここですべてのトレーニングを行っていました。興味深いことに、コロナ流行が宣言される前でも、しばらくはどこにも行けないような不思議な気持ちになっていました。私の感覚が正しかったと思っています。

(コロナ)検疫開始の2〜3日前から、いつでもトレーニングができるようにホールドの設置に熱心に取り組みました。新しいホールドの唯一の欠点は、皮膚が早くすりむけることです(笑)。

あなたはどの位の時間をジム建設に費やしたんですか?

え~と、少なくとも10年。子供の頃、私は地元の小学校のあるラドヴリツァでクライミングを練習し、週3〜4回のトレーニングでは不十分でした。もっとやりたくて、家の地下室に小さな壁を立てるように父にせがみました。それが全ての始まり、自分のジムの欲求はどんどん大きくなっていきました。

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「自分の大好きな事で十分に経験を積み、すべての人生をクライミングに繋げたいと思っていました。いつか実現できればいいんです。」 写真:Peter Podobnik / Sportida

それで自分のクライミングジムを思いついたんですが、選手生活を終えてから指導を始めようと思っていました。

私の家族、特に父が私の願いをすぐに聞いてくれたおかげで、私たちはより早くジム建設に着手し始めました。

同時に、ヤーニャと彼女の家族がいなければ、少なくとも不可能だったと言えるでしょう。今現在ヤーニャと私は選手生活に完全に集中しており、すぐに引退するつもりはありません。

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 今シーズン、少しでも機会があればリード部門だけで競います。このクライミングの分野では、彼は2016年シーズンで世界最高でした。 写真:GregaValančič/ Sportida

もし今シーズンなら、今シーズンはどう思いましたか?出場しますか?昨年、ワールドカップの後、人工壁の競技場であなたを見ることができませんでした。

 今年、私はリード競技だけに出場することにしました。今シーズンはベストを尽くせるようトレーニングしています。それができなければ、次のシーズンに備えます。

 現代のクライミングのスタイルに学ばなければならないことが、たくさんあります。特に壁に沿ったダイナミックな動きに関して、多くの革新があり、それが常に課題を生みます。スポーツは常に変化するので、興味深いことです。すでにすべてを知っていると思っていると、それが真実ではないことに気づきます。

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 私はパンデミックの時期が役立つと信じています。私は自分自身に新たな挑戦を課します。モチベーションが枯れることはありません。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 しかし、私は自分の進歩に満足しています。多くのことを学びました、ここヴルニェには本当の平和があり、パンデミックの時が私にとって役立つと信じています。

 過去の動画を分析して、自分のミスからも学びます。自分自身に課題を設定します、どんな長期間であろうとモチベーションが枯れることはありません。

主催者がスロベニアで今シーズンのコンペをキャンセルしたとき、失望しましたか?競技はストチツェで行われる予定でした。

 とっても。このコンペのために意欲が高まっていました。しかし、主催者の決定を理解しています。無観客でコンペが行われるならば、キャンセルされて当然です。

 しかし、今は自分の立ち位置を確認するためにコンペに出たい。現時点では、トレーニングとジム、人生のプロジェクトに重点的に取り組んでいます。自分にとっては素晴らしいことです。

すべてが何かのために役に立っています。私たちはジムでさらにトレーニングを重ねます。でも、秋には外岩に戻りたい。スペインには未完成のプロジェクトがたくさん待っています。それまでに国境が開かれることを期待しています。

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五輪延期の混乱で、各種競技の選手達の困惑が伝えられている一方、「パンデミックの時期が役立つ」と言い切るドメン・スコフィッチ。

コロナ禍で前例の無い登山を模索する私たち凡庸な登山者にも、一石を投じる生き方ではないでしょうか。

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【訃報】ゴアテックス発明者 ロバート・W・ゴア氏逝去

 今やアウトドア界になくてはならない防水透湿素材「ゴアテックス」の発明者、ロバート・W・ゴア氏が9月17日、アメリカ・メリーランド州の自宅で亡くなりました。83歳でした。死因は明らかにされていませんが、長い闘病生活を送っていたとのことです。

Robert W. Gore, company president and inventor of Gore-Tex, dies at 83 by The Washingtonpost 2020.9.20

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1969年ゴアテックス素材「発見」の様子を再現しているゴア氏

 道具マニアな方は既にご存じかもしれませんが、もともとデュポンの配管テープの低コスト化のため改良に取り組んでいたゴア氏。

 1969年10月28日、「あー今日も残業かよー」といったかどうかはわかりませんが、業務時間も過ぎた夕方6時過ぎ、

「熱を加えてゆっくり伸ばすのがダメなら、ぐぐぐいっと一気に材料伸ばしたらどうなるべ?」

と、思い付きで上記画像のように材料を両手で伸ばしたら、材料であるPTFE(ポリテトラルフオロエチレン)が予想外に伸びたのです。

これによりPTFEの分子構造が解きほぐされ、何十億もの微細な穴が生じ、今のゴアテックスにつながる生地が産まれたとのこと。

その後のゴアテックスの利用はアウトドアだけではなく、医療・各種産業に用いられることになります。

家内制手工業のような小企業から始まったゴア社は数十億ドルの収益をあげる大企業に成長。

 アメリカでも珍しいといわれるシステムの企業で、かのブルームバーグが「近視眼な投資家に邪魔されず、エンジニアが材料に魔法をかける勤労者の民主主義がある」と述べるように、社長や経理など厳格な階層ではなく従業員は「仲間」として付き合い、ゴア氏自身も「ボブ」と呼ばれることを普段から主張していたとのこと。

 私個人は普段当ブログで主張しているように、大汗かきなもんでゴアテックスの費用対効果には懐疑的です。

しかしながら、現在のアウトドア・登山の隆盛、類似した防水透湿素材がいくつも生まれてきた陰には、1969年10月28日、ゴア氏がたどり着いた「偶然」に端を発するゴアテックス素材誕生が大きく影響していると敬服しています。

 偉大な研究者・経営者の逝去に哀悼の意を表します。

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【母よあなたは】The Sharp End of Life: A Mother's Story【強かった】

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9月14日、アレックス・オノルドとサンニ・マッカンドレスの挙式が湖のほとりで執り行われました。

ちなみに司会進行はトミー・コールドウェル。

どうぞお幸せに。

 

今春から、

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ディアドル・ウォロニック・オノルド著『THE SHARP END OF LIFE』を読み進めてました。

58歳でクライミングを始め、エルキャピタン登攀最高齢記録を果たし、マラソンにも挑戦する女性。

大学での勤務の傍ら、オーケストラ演奏にも力を入れる才女。

そうです、アレックス・オノルドの母親の自伝です。

出版当初はよくある「意識高い系で全てに意欲的・ポジティブな女性の本かなー」とスルーしていたのですが、スペインのDesnivel掲載・女性クライマーを主題とした書籍の推薦記事で絶賛されていたので、読んでみることにしました。

ディアドル・ウォロニックの旦那様(アレックスの父親)は書き方に注意を要しますが、発達障害を抱えた個性的な性格の持ち主で、それゆえ結婚生活が破綻していきます。

ディアドル・ウォロニックは日本との関りが深く、大学研究職のため、夫婦で日本に長期滞在。

ディアドルは積極的に、雑誌や新聞を頼りに地元のママさんサークルを探し当て、日本の生活に溶け込んでいきます。

現在のお住まいにも和室があり、日本産のカエデを庭に植樹しているとか。旦那はその性格故に東京のゴミゴミした雰囲気が好きになれず、東京の花見で込み合う風景もお気に召さなかったようです。その直後に旅で訪れたオーストラリアではイキイキしていたと書かれています。

アレックスがまだ小さい頃、クライミングジムで危なっかしいことをやり、近くにいた女性から

「あんた自分の子供をコントロールできないの?」

と言われてしまいますが、この言葉がディアドルには非常にひっかかったことが描かれています。そこには、自分の子供を「独立した人格」として扱うディアドルの生き方への想いが表れていると言えるでしょう。

非常にポジティブな人生を描いた本として欧米で評価が高い同書。それは否定しませんが、旦那様との結婚生活の暗い話に延々とつきあうことになりますw

 

結婚生活って難しいですね。

私も二回目に結婚するときは辺境旅行に一緒に行っ(以下省略)

ツイッターではアレックス・オノルドの挙式にお祝いのメッセージがあふれてますが、同書を読んだ直後だけになかなか複雑な思いでした。

あらためて、アレックス・オノルドとサンニ・マッカンドレスの幸せをお祈りいたします。

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名号峰、花崗岩の山

峩々温泉から蔵王連峰・名号峰を目指す。

蔵王といえば「御釜」。

それほどに火山の代名詞でもあるが、その最高峰・熊野岳すぐ南側のピーク、名号峰は基盤岩である花崗岩で形成された峰である。

あの庭園のような花崗岩を久しぶりに目にしたい、と名号峰を目指す。

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今夏の猛暑のせいだろうか、9月中旬だというのに木々は緑色。

キノコが多く、その紅色が目立つ。

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登りつめるにつれ、リンドウが多くなる。色褪せたリンドウも多いが、冷たい空気の中で蒼い花に秋を感じる。

P4_20200920215901蔵王の主稜線が近いのだろう、それまでの火山灰質の土壌から、石英の多い岩が目立つようになる。

P5_20200920220001冷たい風の中、名号峰の山頂に立つ。

北方には南雁戸、北雁戸の山並み。

P6_20200920220101山頂にて休憩中、足元の岩を接写。

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同じく山頂から、中央蔵王である熊野岳、刈田岳を望む。手前の花崗岩の地表と熊野岳の荒々しい火山岩のコントラスト。

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山頂にて。風化して細粒化した石英が古寺の庭園のように美しい。

山頂で休憩後、のんびり下山。

P10_20200920220701ナナカマドがうっすらと紅葉し始めている。本格的な紅葉はまだ先のようです。

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白孔雀食堂 福島県会津若松市

福島の現場作業も最終日。

メインの作業を終えたところで昼。

あまりの暑さに、連日ランチは幸〇苑のつけ麺。

私「あ~今日も魚出汁つけ麺かな~」

若手E君「え、親方に勧めてもらったソースカツ丼いかないんですか?」

初日、機械を運んできてくれた親方は若松市内に詳しく、「よし、昼はソースカツ丼だ!」と3人で店を目指したのだが、当日は定休日。

最終日、さよなら会津若松というわけで、親方お薦めの「白孔雀食堂」に行く。

昭和チックな店に入り、1300円の食券でソースカツ丼注文。

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ドンブリの蓋からはみ出ているカツ、カツの脂身をラードにして調理しているとか。

でかいわりに、すんなり口に入るおいしさでした。

白孔雀食堂ブログ

さて、午後から現場撤収、そして山形に帰ります。

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8月9月お仕事日記

あ~ブログ更新さぼったさぼった。

超ウルトラスーパー久々に鬱々になりながらサラリーマンとして生活してました。

 

登山って、何ですか?中国語?

 

8月×日

 アメリカ製の工事機械導入のため、春から稟議書を書いては書き直し、書いては書き直し。

 コロナで暴動起きている海の向こうから、ホントに機械来るのか?!

 しかも社長からの特命で、今月8月中に会社に納入しなければならない。どうなる俺?!

8月×日

 今月中にアメリカから機械届くことが決定。

 一息ついたのもつかの間、携帯に電話がかかってくる。現場仲間のYさん。

 「大滝さん、機械をトラックに載せるステップ板、重量耐えられないんですけど・・・」

 しかもウチで使っているステップ板は特注品。納期は?!値段は?!

 ステップ板を調達すべく、メーカーに電凸、そして 書 類 作 成 の 無 限 ル ー プ 

 ハリウッドのアクション映画並みに問題が次から次へと現れる。

 機械納入失敗 → 社長から叱責 → 会社クビ → どっかのヒマラヤ公募隊に行こう・・・

8月×日

 なんやらかんやら乗り越えて、めでたく工事機械の納品。

 専務より「社内報に原稿書くように」とのご指示をいただく。

 原稿書く → 専務にお伺いをたてる → 原稿真っ赤になって帰ってくる。

 専務は最近「学位」を取得しただけあって、理路整然とした文章を求めてくる。

 私の文章履歴

  中学時代、生徒会長とかいうバッジつけてたもんで挨拶文・スピーチ文は国語の教師に徹底的に直される。

  高校時代、志望校が小論文必須だったため、国語の教師にメタメタに直される。「大滝の文章はパンチに欠けるんだよなあ・・・」と何度言われたことか。

  大学時代、文章に関してうるさい存在がいなかったため、文学部論叢などに山行記を好き勝手に投稿した天国な時代。

  今の会社に就職。最初に配属されたのが地質調査部門で報告書を書くのがメインだったため、書く文章は徹底的に指導を受けた。

  それから数百万年経過、いまだに社内報に書く文章すら穴だらけ。

  登山と同じように、進歩が無いなあ~

9月×日

 心療内科受診。

 毎月、健康診断(血液検査含む)を兼ねて受診している。ネットやツイッターでブイブイ言わしてる山岳関係者と違い、僕って高山植物のように繊細なの。

 医師いわく、休日に外出することは、私が考えている以上に心理的に大事らしい。

9月×日

 さすらいの作業員生活の始まり。

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今回は福島県某所に滞在。

あまりの暑さに、熱中症になる。(労基署のおじさん気にしないでね)

翌朝、どうも食欲が無くて変だなと思っていたら、日中は異常な発汗量。

山形で溶接講習を受けるため、現場仲間のYさんと交代して帰宅したが、体調の回復に3日を要する。

9月×日

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自宅で栗ご飯を喰う。またまた季節の移ろいは山ではなく、食卓から。

9月×日

 ふたたび、さすらいの作業員生活の始まり。

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またまた福島県某所に滞在。フリーズドライ「こづゆ」なかなか美味かったでした。

9月×日

 気温が少し下がったとはいえ、汗まみれになって現場作業。

 ビジホに帰ったら、まずやることはシャワー浴びてから、洗濯。 Original

おねえさん、僕と文通しませんか?

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そして冷たい現実。今日もビジホのコインランドリーで洗濯、それから書類作成。

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