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Bernadette McDonald著 『 WINTER 8000 』

8000

荘厳な、レクイエム(鎮魂歌)である。

Bernadette McDonald女史の新作『WINTER 8000』を読む。

8000m峰の冬季登頂史を14章、すなわち14座全てにわたり網羅した本である。

この本を読むにあたり、私は2つのテーマを抱いていた。

1. 北海道大学山岳部による1982年ダウラギリ冬季登頂はどう扱われているのか。

2. 2013年3月、ブロードピーク冬季初登を果たして還らなかったポーランド人、マチェイ・ベルベカを巡る人間模様はどうだったのか。

の2つである。

 

 1.の北大山岳部の件とは、1982年12月13日、80年代当時ネパール政府の定義する冬季(12月1日から2月15日まで)に従いダウラギリ冬季「初」登頂を果たした北海道大学山岳部の登頂の事である。

 ヒマラヤ登山の冬季の定義が「冬至から春分の日まで」が一般的となった現在では、1985年1月21日、イェジ・ククチカとアンジェイ・チョクが登頂したポーランド隊が冬季初登とされている。

 この事がどのように描かれているかに関心があった。

 読み進めて第3章、ダウラギリの話はいきなりイェジ・ククチカの登場から始まる。ええ~!北大の成果はガン無視ですか!?

 日本の大学山岳部の成果、残した登山報告書が後々の欧米の登山家に多大な影響、すなわちヒマラヤ登山史に影響を与えた、というのが持論の私にはモヤモヤするものが残るので、Bernadette McDonald女史に直接問い合わせた。

 「北大山岳部を取り上げなかったのは登頂日が12月13日だったからですか?」

 女史からは「その通り! 初登であったとしても、完全なる「冬」でなければ記録に加えられませんでした。」と明快な答が返ってきた。

 とはいえ、シシャパンマの章では2004年12月11日に登頂したジャン・クリストフ・ラファイユに関してはしっかり記述している(後に論争となるシモーヌ・モロー、ピオトル・モラフスキーの事を主題とするのに必要だったのだろう)。女史は触れていないが、やはり8000m峰冬季登頂の歴史=ポーランド人クライマーの苦闘史というイメージがあるのだろうと推測する。

 

2.のマチェイ・ベルベカとは、当ブログでも追悼記事を書いたポーランド人クライマーの事である。

 1988年冬、ポーランド隊隊員としてパートナーが脱落したにもかかわらず単独で山頂を目指したマチェイ・ベルベカは、一人、ついに冬のブロードピーク山頂に立つ。

 世界初の冬季カラコルム8000m峰登頂の栄光に輝いた・・・かに思われたが、実はマチェイが登頂したのは前衛峰で主峰ではなかったことが帰国してから明らかになる。隊員達は、登頂の状況から「彼が登ったのは前衛峰ではないか」と薄々気づいていた。

 何故、自己主張の塊ともいえる西洋人、特に主張が強いといわれるポーランド人達は、マチェイに真実を黙っていたのか。私の疑問はそこにあった。

 本書によれば、隊長であり智将であるアンジェイ・ザワダも前衛峰登頂であることに気が付いていた節がある。マチェイは強力なクライマーゆえ、そのまま主峰に進めば死ぬとアンジェイは考えていたらしく、無線でも余計なことは口にしなかった。

 しかし早々にアンジェイがポーランド本国に「ブロードピーク冬季登頂成功」として知らせたのはなぜか。クシストフ・ビエリツキは真実はわからないまでも推測として、「アンジェイにとっては「誰が」「いかに」は問題ではなく、隊が登頂に成功したことが全て。軍隊のような登山だが、こんな考え方は今の世代の人々にはわからないだろう。」とコメントしている。

 そもそも、誰も口を出せないような、壮絶な単独下山を果たしたマチェイ。帰国後、一瞬の栄光をつかみながら、同僚のアレクサンドル・リボフの手記によって前衛峰登頂が明らかにされ、人間不信に陥るマチェイ。そして2013年、再び冬のブロードピークに挑み、登頂に成功しながら還らぬ人となったのは当ブログの前掲記事のとおりである。

Kan

1986年1月11日、カンチェンジュンガ冬季初登を果たした後のクシストフ・ビエリツキ(左)とイェジ・ククチカ(右)

あまりに有名な写真であるが、冬季8000m峰初登を果たした後の疲弊感とポーランド人の強靭さが同時に表れているような感想を抱く

 

 さて、長年の付き合いからポーランド人贔屓のBernadette McDonald女史であるが、我が日本隊に対して
「If anyone deserved a winter ascent of annapuruna, then it was Japanese.」(冬のアンナプルナ登頂にふさわしい者がいるとすれば、それは日本人である)と賛辞を送っている。すなわち1987年の群馬岳連隊による冬季アンナプルナ南壁登攀について詳細に記述されている。それだけでなく「超人的」と女史が評する故・山田昇氏、故・斎藤安平氏によるアルパインスタイルによる冬季マナスル、JAC東海隊によるローツェ南壁冬季初登にもページを割いている。

Ewa

夫、マチェイ・ベルベカが行方不明のままのブロードピークを訪れた妻のエワ・ベルべカ(2018年、病没)

 

 当ブログでは旧ユーゴスラビアのヒマラヤ登山史を記録した『ALPINE WARRIORS』を「壮大な叙事詩」と記した

 冬季8000m峰。

 経験者いわく「地獄のような世界」を登攀し山頂に立つために、どれほどの犠牲を払ってきたことだろう。本書でとりあげられたクライマーは日本人も含め、多くは故人となっている凄まじさ。

 第5章カンチェンジュンガでは、女史は

『The cost of climbing can be extremely high.』

と綴り、凍傷のような肉体の傷だけでなく「人生の犠牲」を払ってきたクライマー達にも心を寄せる。

 クライマー個人だけではない。冬の8000m峰から還らなかったクライマーの家族達にも、死は暗い影を落とす。

 それゆえ私は本書を叙事詩ではなく、「荘厳なレクイエム」と評することにする。

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