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東西統一を越えたクライマー

10月3日、東西ドイツ統一から30年。

ドイツの左派日刊紙『タズ』の昨年の記事ですが、『エルベの砂岩』開拓者として知られるBernd Arnold(ベルント・アルノルト)をとりあげてみます。

Über Grenzen gehen by Taz.de 2019.7.29

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限界を越えて

 ベルント・アルノルトは、世界最高のクライマーの1人です。アメリカからもクライマーが訪ねてきました。ベルリンの壁が崩壊してから30年 ー GDRスポーツ特集。

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ベルント・アルノルトは空を見上げます。 彼はハンチング、丸メガネ、鮮やかなスカーフを着用します。
アーノルドは今もクライミングを続けていますが、最近では孫娘と一緒に登っています。写真:dpa

 東ドイツ国務院議長ヴァルター・ウルブリヒトが作ったスローガン「どこでも誰でも、週に数回のスポーツ」は、東ドイツの高度に偽装されたドーピングまみれの競技スポーツ、「トレーニングスーツの外交官」だけでなく、「アウトドアスポーツ」愛好家のための隠れ蓑でもありました。多くの人々がこのスローガンを高く評価しました。イデオロギーと壁に囲まれた社会主義の日常生活から逃れる、数多くの創造的な個人主義者のモットーでした。

 72歳ながら、ベルント・アルノルトはまだ現役です。おそらく旧東ドイツで最も有名なクライマーであり、60年以上にわたり岩場で活躍しました。多くの山友のように、彼はドイツ社会主義統一党政権下で、岩場で個人の自由を楽しみました。

 彼は、今日まで住んでいるエルベ砂岩山脈のホーンスタインで生まれ、ロッククライミングを学びました。子供の頃、遊び心から砂岩にとりつき、後に現在まで続く「人生の情熱」となりました。エルベ砂岩山脈には900以上もの初登ルートを作りました。

 南チロルのラインホルト・メスナーはかつて彼を次のように称賛しました。「ベルント・アルノルトは間違いなく世界最高のクライマーの1人です。」1970年代から80年代にかけて、アルノルトはザクセンでのクライミングの難易度を上げ続けました。

 サクソンスイスはフリークライミングの発祥地です。アルノルトは1999年に出版した著書「Zwischen Schneckenhaus und Dom (カタツムリの殻と大聖堂)」で次のように記しています。『狭い砂岩の岩場を知りつくしていたので、これまでのところ、日常生活にはうまく対応し、逆境を乗り越えることができました。』

 よく見かける彼の裸足でのクライミングも伝説的です。痛みに鈍感な場合は、それが利点にもなります。素足で岩をより良く感じることができるからです。もちろん、敏感な足ならば、そんなことはできません。しかし現在のクライミングシューズのラバーソールは、自分の素肌よりもはるかに優れた摩擦を持っていることも明らかです。

P2_20201004000001 ドレスデンの学生で熱狂的なクライマーであるリンダは、次のように述べています。「若い世代の私たちにとっては、ベルントは思想的にも偉大な指導者です。個人的には、彼が裸足でハイレベルなルートを登るのはとても印象的です。もちろん、ギスベルト・ルートヴィヒ(Gisbert Ludewig)のような優れた同世代の方もいます。」

 アルノルドは未だ健在です。孫娘のヨハンナと一緒に地元の岩を登るツアーに参加していました。彼は4人の孫をとても誇りに思っています。もちろん、大自然の中でクライミングを通じてスポーツを彼女達に教えました。

「ここエルベ砂岩山脈からチェコ共和国のボヘミアまで、このような美しい自然がどこにありますか。限られた地域でも、多様な風景を体験できます。」アルノルトにとって、登山は「常に人生の学校であり、自己発見の方法でした」。

 旧東ドイツ時代、アルプス山域からだけでなく、アメリカからもクライマーがエルベ砂岩山脈に来訪、アルノルドと競い合いました。最初の一人は1972年、フランス人ジャン・クロード・トロワイエでした。クルト・アルベルトとウォルフガング・ギュリッヒが後に西ドイツから来ました。彼らは、当時東部地域の山に登ることしか許されていなかったベルント・アルノルトや仲間の優秀なクライマーに、最新のロープ、登攀用具など優れた装備を持ちこみました。

 一方、東ドイツ当局が拒否したため、彼は西側諸国のクライマーの無数ともいえる招待に応えることができませんでした。それは彼を非常に苛立たせ、州首長だったエーリッヒ・ホーネッカー(訳者注:後の東ドイツ書記長)に抗議の手紙を書いたほどです。多数のシュタージ文書(訳者注: 東ドイツ秘密警察の機密文書)が示すように、個人主義者が集う東ドイツのクライマー達は疑惑を持たれて監視下にありました。

 当時、小さな印刷業を営んでいたアルノルトは、クラブに所属する競技アスリートのような公的な支援無しにトレーニングを行い、自分達でウエイトトレーニングを行うための装置を作りました。

 1984年。北朝鮮の国家主席であり飛行機が嫌いなキム・イルソンは鉄道で東ドイツを訪れ、車窓からスイスサクソンで幾人ものクライマーを目にしました。1985年、アルノルトを含む東ドイツからの登山代表団が北朝鮮に招待されました。そこで彼らは「金剛山脈」で最も困難なクライミングを行うことができました。

 1986年、アルノルトは驚くべきことに、オリンポス山山麓で開催さ​​れた世界平和評議会のイベントに出席するため、ギリシャ旅行が許可され、メテオラでのクライミングを果たします。1987年、ミュンヘンでウォルフガング・ギュリッヒとハインツ・ザックによる著書のプレゼンテーションを行い、そこで彼はラインホルト・メスナー、1950年代にザクソンから西側に亡命したアルピニストのディートリッヒ・ハッセ(Dietrich Hasse)とハインツ・ローター・シュトゥッテと面会できました。

 そして1988年、41歳でクライマーとしての絶頂期、架空の叔父の記念日を口実に西側に招待された際、滞在期間を利用してクルト・アルベルトら含むパキスタン・カラコラムの大規模な登山隊に参加しました。

 しかし、アルノルトは登頂に成功後、クレバスに落下しました。出血を伴う骨盤骨折を負い、急性腎不全も併発、生命の危機に陥りました。幸運にも救助されドイツに帰還、ミュンヘンの病院に入院し、そこで彼は何週間も過ごすことになりました。回復後、彼は妻のクリスティンと娘の待つ東ドイツに戻りました。「ええ、山仲間の多大な支援のおかげで、死の淵から這い上がったんだ」と彼は人生で最も困難な局面を振り返ります。

 アルノルトはクライミング生活の中で様々な危機を生き延びてきました。数年前から、彼はより意識してクライミングしています。肩、肘、骨盤や脊椎の骨折、2018年の背中の手術、その後遺症は行動範囲を制限します。アルノルトも年をとったのです。

 ベルリンの壁が崩壊し、それに伴い無限の自由がもたらされてから数年後、アルノルトは数多くの山の夢を実現しました。アルプスからパタゴニアにいたるまで。

 1989年以降、印刷業を閉め、ホーンシュタインとバードシャンダウに2つの登山用品店を設立、現在もクライミングの専門家、地元の岩場のツアーガイドとして、「選ばれた形」で旅を続けています。「参加者は東側と西側の人々が半々」多くの人との出会い、多くの友情を大事にしています。

 ドレスデンで毎年開催される「Bergsichten」フェスティバル(訳者注 : 山岳アウトドア映画祭)で、2017年11月にアルノルトは、クライミングに関して個人的に望むことを尋ねられた際、「サクソンのクライミングが、始まった頃のままであってほしい。それが私のルーツだから。」と語った。

 一方で、「変化から自分を閉ざすことはできず、それに向き合わなければならないのは当然のことです。変化が起きることは多くの人にとって困難であるとしても、変化に直面することは必要になるでしょう。しかし、他の人が登る機会を否定するのは エゴ です。」 彼はサクソン登山連盟(SBB)は「良い方向に進んでいる」と評価する。(中略)

 アルノルトは、本紙に対して壁の崩壊を「素晴らしい贈り物、そして何よりも、取り戻された自由の一部として旅行する自由がある」と話します。ただし「遠い目的地に移動するには、それなりの資金も必要」という制限が追加されました。1990年の再統一後、幾度も悩まされた彼はクライミングルートに「ドイツー吸収されたドイツ」と名付けました。アーノルドは今日まで批判的な精神を保っています。

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 東西ドイツ統一といいながら西ドイツに事実上吸収された形の東ドイツ。記事最後のアルノルトが名付けたルート名は『Deutsch-deutsche Vereinnahmung 』なのですが、意訳してみました。

 冷戦の狭間でキム・イルソン率いる北朝鮮に招待されるなど、数奇な運命をたどってきたベルント・アルノルト。国境地帯が舞台となるヒマラヤ登山のように政治に翻弄されるクライミングもあれば、政治体制に関わりなく、したたかにクライミング生活をおくるクライマーの人生がありました。

 統一から30年経過した今日、旧西ドイツ・東ドイツ市民の経済格差が埋まらない現状を、今日付の日経は大々的に報じています。

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