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新雪の森

25日、山形県朝日少年自然の家・所員の皆様3名と共に、翌月の行事を控えて下見山行。

前日から当日朝にかけてガッツリ新雪が積もっており、車を停めさせてもらった旅館・清水屋の御主人からも「今日は大変そうだな~」と笑顔で見送られ、出発。

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スノーシューを装着していても膝下のラッセル。

なかなかペースはあがらないが、私自身本気でラッセルしないと行程が消化できそうにないのでついつい歩行ペースがあがる。

時折、後ろを振り向いて所員の方の様子を伺いながら予定コースを巡る。

日差しはあっても風は冷たい。

昼食会場で楽しく話しながら休憩をとるが、身体が冷えてくる。

P2_20210228175601 新雪がたっぷり積もったコースは前回・前々回とは全く異なるコンディションだった。

 志津集落に戻り、今年は宿泊者限定とされた「雪旅籠」を皆で眺める。

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寒の戻り、旅館仙臺屋さんの凍餅もいい感じ。

自然の家に戻ってコースの打ち合わせ後、解散。

帰路のセブンイレブンで甘い物が食べたくなり、豆大福とラテを購入。

休憩後、自宅に戻り、作業服に着替えて工場に出社。来週の現場に備えて内業が残っている。

工場近くからは月山の雄大な光景が眺められる。

日中は頻繁に雲がかかり、降雪もあったが、夕暮れの今はくっきりと山体が眺められる。

山中で天候不良に遭い、下山後にくっきりと山体がみられるのはよくあることだ。山が「また来い」と言っているものと、私は解釈している。

頭を切り替え、工場の駐車場に車を入れる。長い一日はまだ終わらない。

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吹雪の森

23日、祝日。

またまた月山山麓、志津温泉裏手のブナ林へ。

Dsc01244交通標識、少し高くなったかな。

本日はあいにくの荒天、風雪強く、前回とはうってかわって気温マイナス4度。

来月予定のガイド山行、好天とは限らないので悪天の中、入山。予定コースをひととおり歩く。

Dsc01247時折、地吹雪状態になるが微地形を確認しながら、前進。

同じコースを繰り返し歩いても、雪の状態は千差万別だ。

大勢の子供達を引率する予定なので、吹き曝しで氷化している斜面はないか、チェックする事はいろいろある。

Dsc01252私のペースで歩き終え、車に戻る。

吹雪の中では「くそ寒みい~」と思っていたが、人間は勝手な生き物だ。

エアコンを効かせた暖かい車の中で、吹雪を眺めながら少し落ち着こう、休憩しようと考える。

外の吹雪を眺めながら、来るときに買ってきたセブンのコーヒー飲み残しを口にしながら、午後の日程をビジネス手帳にまとめる。

 

月山から下山、自宅で洗濯を終え、会社・工場の事務所に出勤。

出勤してみると、若手連中の作業ツナギがトランゴタワー並みに積まれているので、洗濯しながら内業。

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内業のお供は、会社のお姉さま方から頂戴したバレンタインの煎餅&チョコ。

3月は少し大きい現場も抱えてるし、さあ今週も、嵐の予感。

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お仕事日記2021年2月 & ウルドゥー語の夜 第13夜

2月某日から岩手県は岩手山山麓で外仕事。

連日、最高気温がマイナスという日々。現場作業用の水もみるみる凍っていき、シャーベット状になって使い物にならない世界。

ビジネスホテルに帰ると、同行している親方から「ちょっと話がある」と言われる。

やべえ、若手社員の接し方で説教喰らうかと身構えつつも、親方の部屋に突入すると、仕事上の資格の手続きの件での相談だった。ほっ。

親方が手ぶらで私を帰す訳もなく、「おい、酒持ってくんなよ」と、もう既に私用に缶ビールと焼酎が用意されている。

酒が入った上、現場で得たデータの整理やら何やらで、本日の外大ウルドゥー語授業参加は断念。

また前回同様、チャットルームに英語で「残業で欠席です!次の授業よろしくです!」と書き込み、ウルドゥー語の夜第13夜は終了。

はあ・・自習しっかりしなくちゃ・・・

 

2月某日

極寒の岩手山麓での仕事も3日め。明日を切り抜ければ何とか帰社できる、という夜。

取引先担当者様とみんなで晩飯食いに行く。コロナ上等!みんなで温かい食事を摂って何が悪い!

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というわけで、近くのキンキラキンにLEDで飾られた中国料理店に行く。

台湾ラーメンと高菜炒飯セットで700円。安くて美味くてボリュームがある。

と申しましょうか、連日氷点下の中で仕事してきたので、温かい食事が美味い。

私の持論では、人類史上、世界征服に成功したのはコカ・コーラと中華料理。

20210217_202610カミさんからもらったバレンタインのチョコ喰いながら、データ整理で夜を過ごす。

 

2月某日。

ようやく岩手県某所から解放。

親方は別現場の視察に行くため、帰りは私が工事機械を積んだロングボディの10tトラックを運転して山形まで帰る。

若手のS君はまだ不慣れということで、助手席で周囲確認の役割。

久々にロングボディの10t車を運転すると、現場作業に携わっている実感が湧く。

悪天で麓しか見えない岩手山に別れを告げ、東北自動車道を南下。さあ山形に帰ろう。

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ヤーニャ・ガンブレット、彼氏と別れる

突然ですが、ヤーニャ・ガンブレットが、

彼氏と別れました。

Ga

彼氏のドメン・スコフィッチとは昨秋、世界最大の煙突をマルチピッチで一緒に登ったのに・・・

別れたのはこの後の出来事とか。

Janja Garnbret o težkem letu in razhodu z Domnom: O sebi sem se ogromno naučila  by MICNA 2021.2.11

スロベニアの女性誌が詳細をすっぱ抜いてますが、別れた理由は明らかにされていません。

ドメン・スコフィッチの影響で料理を学び一緒にクライミングジムも創設した仲だったんですが。

ヤーニャ・ガンブレットは現在、実家に戻ってトレーニングを重ねているようです。

スロベニアではもはや国民的なアスリートなので、メディアでも「ショック!」のタイトルで二人の別れが報道されています。

野口啓代さんの時は日本のメディアもこんな報道しな(以下省略)

 

女心はクライミングより難しい。

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妻にミシンを買ってあげたい アリ・サドパラ

 2月18日、パキスタン・スカルドで行われた記者会見において、冬季K2登頂を目指したまま行方不明になった3名のクライマーについて、「死亡宣告」がなされた。

 欧米人クライマー偏重の日本の山岳メディアが決してとりあげることのない、パキスタンのアリ・サドパラについて、アメリカのAlpinist誌が秀逸なインタビュー記事を掲載している。私自身の記憶のためにも、以下に引用したい。

Muhammad Ali of Sadpara by Alpinist 2019.5.2

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Amanda Padoan執筆記事

 2016年2月、パキスタンの登山家、ムハンマド・アリは、-62度の風の中でナンガパルバット冬季初登頂を果たした。これは冬季8000m峰に残る大きな課題の1つだった。しかし、この登山は彼のサバイバルの一つに過ぎない。彼にとって最初のサバイバルは、幼少時代だった。

 彼の11人兄弟のうち、8人は生き延びることができなかった。パキスタン北部、彼の出身地であるサドパラ村では、出生時または病気による幼児の死亡が普通の出来事だった。喪失感は彼の母親フィザを悩ませた。彼女の最後の子供であるアリが1976年に生まれたとき、彼女は何としてでも彼を生かすことを決心し、6歳まで彼を母乳で育てた。それまで、彼女は彼が危険な目に合わないようにと願っていた。

Sadpara

サドパラ村の風景

 アリは「母の母乳が私を山に登るために十分な強さに育てた」と語る。そして、すぐに彼は「登山」に関わることになる。サドパラ村の誰も、その努力を「登山」とは呼ばない。アリにとって、それは単なる仕事だった。少年の頃、彼は高山の牧草地への道をたどり、世話をするヤギよりも速く急なモレーンを駆け上がった。はるか下のサドパラの村は、岩山に溶け込み、濁ったターコイズブルーの湖のそばに集落が存在している。上部には緑豊かな放牧地が広がり、広大な高原が野花で覆われてた。アリはそこで冬のための飼料を刈り取り、40kgの草を束ねて背負い、村に運んだ。夏の間、彼はこの4000メートルの高地を何十回も登り返した。

 山々は彼にとって第二の故郷のように感じたが、その脅威を過小評価することはなかった。子供の頃、アリはあらゆる災害を目撃した。サドパラ村の上部には、厚い氷河のセラックとモレーンが雪溶け水を貯めていた。アリが9歳の時、この天然ダムが決壊した。下の湖の水位は一瞬で上昇し、洪水が村を襲い、壁を壊し、ポプラを根こそぎ倒し、すべての牛を溺死させた。水が引いた頃、アリの両親は植林を行い再建を試みた。サドパラ村は、夏と冬、そして祈りの季節を周期的なリズムで繰り返し、歳月が流れていた。

 19歳、アリは結婚の時期がきていると感じた。風習により、若い女性ファティマに近づくことは妨げられ、自分から彼女を誘うことができなかった。彼の叔父が結婚の提案をもちかけ、ファティマの両親はそれを受け入れた。結婚はアリに不安な幸福をもたらし、妻を養うためのプレッシャーを感じていた。さらに、生まれたばかりの息子、サジッドも養わなければならない。彼は再び山に向かった。外国の登山隊のポーターは、転職可能な最高の仕事だった。カラコルム山脈のベースキャンプに25kgの荷物を運ぶだけで、1日3ドル相当を稼げるのだ。K2、ブロードピーク、ガッシャブルムは見慣れた光景だが、まだ登頂をイメージすることはなかった。アリは、帰り道に運ぶ荷物、つまり収入を2倍にするチャンスを夢見ていた。ラッキーな数人だけが、その仕事にありつけた。

 彼が能力を得るには時間を要し、他人には明確に見えるものを理解するのに時間を要した。少しずつ、アリは「良い荷物」と「悪い荷物」を見分けることを学んだ。遠征隊のリーダーが荷物を分配した際、なぜ誰も灯油を持ちたがらないのか不思議に思った。たぶん、何人かはタバコを吸うし、荷物に引火するのを恐れたのだろう。アリにとって、残された灯油缶は小さくコンパクトな荷物に見えた。へこみや漏れがないかチェックし、大丈夫だったので背負い籠に追加した。その後、何時間にもわたって背負い籠の中で液体が揺れ、道でバランスを崩した後、経験豊富なポーターがなぜ燃料を避けるかに気が付いた。

 ほとんどのポーター同様、アリはビーチサンダルと粗末な道具で険しいバルトロ氷河を横断した。仕事の2日目、彼はサングラスを落とした。ポーターでもある叔父のハッサンは、落としたサングラスを見つけポケットにしまった。10代の若者は、雪原に到達するまで、落としたものに気が付かなかった。眩しさが彼の目を焼き、アリは彼の背負い籠を探しまくった。ハッサンは彼を見つめ、必死になっているアリに忠告とともにサングラスを渡した。「山での小さなミスは、大きくなる。今回の事はお前の視力を駄目にしたかもしれないぞ。」

 以来、アリは定期的に彼の貧弱なギアを再確認し、一歩一歩が不安定に感じられる風景の中でも、何事にもチャンスを逃さないようにした。「インシャアラー」とアリは唱えながら、何が起こっても神の意志だと確信した。しかし彼は、神の加護が人間の不注意や無謀にまで及ぶのかと疑問にも思った。正常な人々が山頂を目指す姿、すなわち象徴的な行為や情熱の一形態としての山に登る、という考えは、彼の心を揺さぶった。アリにとって山頂とは、反対側に行くために到達する場所に過ぎなかった。それでも彼は、氷河のリスクを読み取ることに長けた、テクニカルクライマーへと成長した。さらに高所に行かないと稼げないので、さらにリスクを取るようになったのた。

 パキスタン軍のトラックがサドパラ村を訪問してポーターを募集した際、アリはそのチャンスに抗えなかった。当時、パキスタンとインドは、中国への戦略的回廊であるシアチェン氷河をめぐり、長年にわたり紛争を続けていた。アリは世界最高所の戦場に向かった。夜、彼は氷壁を登り、遠く離れた峠で待つ兵士に物資を運び、暗闇が「結婚式の爆竹のように執拗に」思われる砲撃から守ることを祈った。繰り返し、彼は小さなミスがどれほど大きくなるかを見てきた。何人かのポーターがタバコに火をつけた。このかすかな光が彼らの思惑を裏切った。数分以内に、迫撃砲弾がキャンプを襲い、2人の男性が中にいたはずのテントが倒壊した。ほんの数ヤード離れていたアリは、彼らが死んでいくのを聞いていた。

 商業登山は、犠牲者がいないわけではないが、戦場よりはましだ。安全な世界を提供しているように見えた。「シアチェンの後、私はもう何も恐れていませんでした。クライミングでは、生と死の2つの結果があり、どちらの可能性も受け入れる勇気を見いだす必要があります。」

母フィザは、家にいてジャガイモを栽培するようにとアリを説得した。

「しかし、探検する魅力的な山があります」と彼は言った。「外国人が山を登るためにお金を使いたいのなら、なぜ私は助けてはいけないのか?」

 2006年から2015年まで、遠征隊員として、アリはナンガパルバットとガッシャーブルムI峰、II峰の登山に参加した。アリはK2で8350mに到達し、ボトルネックを乗り越えたが、彼の野心は、キャンプ設営、フィックスロープ、彼らが管理できる範囲内でガイドするクライアントのニーズに縛られていた。

 彼らの安全に気を取られ、自分のことはほとんど考えていなかった。

 そして2012年、サドパラ出身の高所登山家が冬季ガッシャーブルムI峰で行方不明になった。ニサール・フセインはアリの幼少期からの友人で、彼の死は地域社会に大きな打撃を与えた。ニサールは妻、息子、二人の娘を残した。今では3人の子供の父親となったアリは、自分の人生は他人のものであることを理解している。アリは、妻のファティマが静かに恐ろしさを表現するのを聞いていた。「アリ!」彼の母親は、より大きな声で言った。「この仕事は危険すぎる」

 しかし、彼は登山をやめようとは思わなかった。登山は農業にはない爽快感を与えてくれたのだ。登山は特に冬季を得意としていた「ヨーロッパ人は凍えることはないんだよ」と彼は母フィザに言った。「テント、手袋、ダウンスーツが支給されるんだ」

「冬は冬なんだよ」と彼女は答えた。

 2015年1月。
 アリは不在の言い訳を思い付き、ナンガパルバットの冬季初登頂を試みるために出発した。嘘をついたことは彼を悩ませた。しかし、アリは病弱な母親が心配することを恐れていた。

 結果として、心配する材料はたくさんあった。気温はマイナス47度前後で推移し、山頂から約300メートル下では強風が吹き荒れ、彼は方向感覚を失った。「私のメンタルの中の「地図」が消えてしまった」とアリは回想する。「夏にナンガパルバットを2回登頂し、地形を知っていると思っていたが、冬に見た光景と記憶が一致しないんだ。」

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2015年1月、ナンガパルバット山頂直下から下山直後のアリ・サドパラ(左から2人め)

 アリの混乱が脳浮腫の発症かもしれないと恐れた2人の外国人登山家、アレックス・チコンとダニエル・ナルディに伴われて下山した。一週間後、アリは家族に彼の不在を説明するつもりで家に帰った。しかし、彼がサドパラに到着したとき、母親が呼吸するにも苦労している事に気づいた。フィザがどこに出かけたのかを疑い、彼女はもう決して彼を手放さなかった。アリは最後の数ヶ月間、彼女を看病し、何も告白することはしなかった。

 もしチコンとナルディが新たな試みをしなかったら、彼は冬の登攀を完全に諦めていたかもしれない。頂上付近でアリの記憶が途切れたとき、彼は2人を失望させたかのように感じた。アリは彼らに何の借りがあるというのだろうか。彼らとの雇用関係は曖昧だった。フェアな手段で登るプロの登山家にとって、高所ポーターを雇うのは妥協の産物だ。アリの役割は無給の「対等なパートナー」だった。しかし実際には、彼はしばしばルートをリードし、彼は労働によって彼のギアの費用を稼ぎ、他の人が辞めれば、彼も辞めることが期待されていた。

 多くのハイレベルな遠征隊と同様に、2016年の歴史的なナンガパルバット冬季登攀に緊張が高まった。チコンとナルディは、タマラ・ルンガーとシモーネ・モロと合流した。しかし、ナルディと彼らとの関係はすぐに悪化し、ナルディは帰国を決心した。問題は、アリのダウンスーツはナルディの所有だったことだ。

 風速は時速45km、気温はマイナス34度。山頂を目指すには、アリのウェアは十分暖かいものではなかった。アリの強さに感銘を受けたモロは、自分の服を貸与することを申し出た。モロは予備のダウンスーツを含む、スポンサーのギアを大量に持ちこんでいた。それはアリにぴったりだった。

 2月26日のサミットの日、アリは借りたスーツを着て、山頂直下でモロが到着するまで待ち、最後の3メートルを一緒に登り、双子の蜂のような写真を撮った。モロは、パキスタンの登山家がパキスタンの山で歴史を作るのを目撃することに喜びを感じた。「エベレストにテンジンがいたように、ナンガパルバットにアリがいる。」と彼は言った。アリはその瞬間を淡々と語る。明け方、彼は7100mのテントを出て、山頂の台地に向かって岩の迷路をナビゲートした。「日の出の暖かさに勇気をもらった」と彼は言う。

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シモーネ・モロと共に冬季ナンガバルバット初登を果たしたアリ・サドパラ(左)

 その後は有名人に囲まれ、アリは他のサミッターと共に祝うため、スペインとポーランドに飛んだ。しかし、ヨーロッパの仲間達とは異なり、アリのスポンサー獲得は実現しなかった。彼はその理由を口には出さない。小麦の脱穀、ジャガイモの収穫、牛の世話、壁の修繕、屋根の葺き替え、子供たちの教育、自分の仕事は山ほどある、とサドパラ村に戻ったアリは言う。

他の人生が良い、と彼は言う。それは、彼が何者かになりたかったことを思わせる。
夢について尋ねられたとき、アリは2つの夢を打ち明けた。


妻のために、ミシンが欲しい。
自分のために、K2の冬季登頂を果たしたい。

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人類初のK2冬季登頂。

それと同じくらいの大事な夢が、奥様にミシンを買ってあげる事。

Ali

アリ・サドパラ、永遠に。

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陽気の下

13日夜、福島沖を震源とする地震で山形市も震度4。

建売住宅の自宅、崩れるんではないかとドキドキするくらい揺れた。

 

翌日、月山山麓へ。

来月ご予約いただいているガイド山行コースの下見と確認。

国道も志津温泉に至る道路も影響は無いが、彼方に見える山肌は崩れて茶色い地層がむき出しになっている箇所も見える。それなりに昨夜の地震で揺れたのだろう。

P1_20210214214101天気は文句ない晴天だ。

湯殿山、姥ヶ岳、月山が並び、飛行機雲が天に延びる。

山形市内は気温マイナス2℃、月山山麓の山の中で気温7℃と、暖気が入っているためだろうか、気温分布が異常である。

本日はファイントラックのアンダーウェアにアウターズボンを直接履き、上半身はアンダーウェアにメリノスピンライトの2枚だけである。

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日差しが反射する雪面をグイグイ登っていく。

2月から月山山麓に通っているが、子供達を引率する予定があるため、コースどりを考えながら歩く。大人の私がグイグイ登れる斜面でも、小さい子供達にとっては苦痛である。

それだけでなく、子供達が楽しみにしている肥料袋を使った「そり滑り」ができる斜面も探さなくてはならない。

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幸いなことに、昨年は少雪で運行されなかった志津温泉のキャットが運行されたようで、キャタピラの踏み跡を有り難く利用させてもらうことにしよう。

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 枝に付着することなく、雪面に落ちた鳥の糞 = ヤドリギの実。

 雪解けと共に、ブナの森を養う栄養になるのだろうか。

 温暖化とはいえ、時期外れの陽気の下で下見山行を終え、駐車場に戻る。

 ここ最近、日曜の生活パターンは午前中は山、昼過ぎ下山して午後は高齢の母を訪ね、夕方にかけて会社、という生活。

 車の定期点検のため、ディーラーのフロアのテーブルでココアを飲みながら待機する時間、ようやく「休み」という実感を得る。

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晴れ間の森

P1_20210214213301今日も月山山麓・一本ブナコースをスノーシューでたどる。段々交通標識も近づいてきました。

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作業現場でも、山でも、久しく青空を眺めてない。雲間の青空に見とれる。

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日の光が差し、雑木林の影が雪面に映るのも新鮮だった。

P4_20210214213501毎年訪れる小ピークに一本だけ生えているダケカンバの樹皮。

今シーズンも、子供達と好天の下で眺められますように。

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ウルドゥー語の夜 第12夜

建設会社勤務。

17時で帰れる訳もなく、飛び込みで来た課題に対処し、冬型の気圧配置で車道は凍結、大渋滞した国道を帰宅。

普通なら30分足らずで帰れる道のりも、一時間近くかかって帰宅。

移動の車中で軽くパンを食べ、今日もろくに復習もしないまま、時間ギリギリの19時半にzoom画面に飛び込む。

 

通常、授業の始まりはアーミル先生から

「 آپ کیسی ہیں؟ 」(お元気ですか?)

と受講生一人一人尋ねられるのだが、今日は違った。

真っ先に「マサルさん、K2のニュース知っていますか?」と英語で尋ねられる。

K2冬季第2登を目指し、山頂に向かったまま行方不明になったアリ・サドパラのニュースのことだった。

アーミル先生は2018年から東京外国語大学に勤めておられる。

私も海外の登山情報を収集する過程で、パキスタンメディアで大きくK2遭難の件が取り上げられていることは知っていた。日本で生活するアーミル先生もトピックで取り上げるとは、アリ・サドパラ行方不明という事実が、私達日本人の想像以上にパキスタンで衝撃をもって受けとめられていることを実感する。

しかし受講生の中で山に関心がありそうなのは私だけのようだし、K2遭難という暗い話題で授業がスタートするのもどうしよう・・・と内心ドキドキしていたが、先生のトークの話題はフンザの話題に移り、正直ほっとする。

さて、今日は疑問文だけでなく、疑問文への回答の仕方も教わる。

先生に指名された受講生同士で質問し、答える。というやり方で授業が進む。

今までのウルドゥー語をオウム返しに繰り返す授業とは異なり、格変化があるため常に「誰に対して質問するのか」「誰に対して答えるのか」考えて答えることになる。

考え考え、相手に質問し、答えるのがなかなか疲れる。もっとも、問われた状況・質問に対して反射的に答えが出てくるようでなければ、マスターしたことにはならないのだろう。

今日もまた日暮れてなお道遠し。

でも、授業の始めにパキスタンを代表するクライマーの事について、遭難という暗い話題とはいえ先生と言葉を交わせたのは少し嬉しかった。

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鮭の新切教室 第2回目

鮭川村教育委員会主催『鮭の新切教室』第2回目に出席。

前回自分達でさばいた鮭、寒風に曝され完成した「新切」(じんぎり)を受け取る日が第2回目教室なのだ。

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廊下に並べられた、『鮭の新切』

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初めは座学。講師は地域おこし協力隊で鮭川村に移住している松田さん。

(画面外に他の参加者の皆さんが座ってます。念のため)

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 鮭の新切を使った料理の説明。例年ですと参加者皆で会食するらしいのですが、今年はコロナ禍のため、食生活改善協議会の皆様が作ってくださった弁当を受け取る。

 画面左上から時計まわりに、鮭の新切を使ったチーズとシイタケの焼き物、鮭の新切コロッケ、鮭の新切混ぜご飯、鮭の新切卵焼き、鮭の新切ロール白菜。

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 いただいた鮭の新切、まるまる一尾持って帰るのをカミさんが「どこに保存するの?」と恐れていたため、会場で切ってもらいました。「押切(おしきり)」という道具で、硬い鮭の新切もバッサバッサと切られていきます。

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全ての日程が終わり、解散となったときに教育委員会スタッフの方からいただきました。特製鮭とばです。

少し発酵が進んでいるのか、タンパク質が分解した特有の匂いがあるのですが、唐辛子で辛口に仕上がっており美味しいです。(登山を通じた中国滞在の経験から、匂いがあっても美味な食品というのは私は気にならない)

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私は三平汁が好きなので、カミさんに頼んで「鮭の新切」の頭部を三平汁にしてもらいました。

寒風干し自体、タンパク質の発酵が進むのか、慣れない方は匂いが気になるかもしれません。

なにより驚いたのは、全く塩を加えずそこそこ塩味が効いていること。

座学でも話題になりましたが、激しい農作業中心の昔の生活では、ちょうどいいくらいの塩加減らしいです。

いろいろな民俗資料で、昔の山形(山間部)では海産物は貴重な食糧と見聞きしていました。

冷蔵庫が発達した現代も作り続けられる鮭の新切を通じて、昔人の食への「執念」に近いものを感じます。

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ウルドゥー語の夜 第11夜

ウルドゥー・アルファベットをまだまだ覚えきれず、ますます他の受講生皆さまとの実力差が広がっていく外語大の授業。

本日もひたすら疑問文の練習。回答の仕方は別の機会らしい。

フォーマルな相手への疑問文、親しい間柄への疑問文、女性への疑問文が異なるので、頭がこんがらがる。

ある受講生が相手への質問で間違って「How much」の意味のウルドゥー語を答えてしまい、

「あ、それちがいます」

と先生、みんなで苦笑い。

おおっ、『大人の会話』だ!

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