【訃報】ピット・シューベルト氏 逝去

 名著『生と死の分岐点』の著者であり、23年にわたりDAV(ドイツ山岳協会)会長をつとめ、「安全の帝王」の異名を持つピット・シューベルト氏が2024年3月5日に亡くなりました。88歳でした。死因は明らかにされておりません。

Nachruf: Pit Schubert im Alter von 88 Jahren verstorben by ALPIN.de 20240305

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ピット・シューベルト氏 近影

ピット・シューベルト(クラウス・ピーター・シューベルト)は1935年に現ポーランド領のヴロツワフ出身。
1960年代から先鋭クライマーとして名を馳せ、六大北壁をはじめヨーロッパアルプスのほぼすべての北壁を登攀しています。
30回以上の初登攀を記録、1976年にはアンナプルナ4峰南壁を初登して山頂に立ちました。

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1976年、アンナプルナ4峰南壁初登を果たし、凍傷によりミュンヘン空港で背負われて帰国するピット・シューベルト氏。「安全の帝王」と呼ばれたクライマーも、ヒマラヤの自然の猛威に足指全てを失いました。もちろん、足指を失った後も専用のクライミングシューズとアイゼンを開発、クライミングにカムバックしました。

1960年代当時、まだ普及していなかったヘルメットをクライミングで積極的に使用、おかげで九死に一生を得るなどの自身の経験だけでなく、取得した工学学位の知識、航空宇宙産業の技術を登山・クライミングに流用、用具の開発や安全啓蒙に力を注ぎました。

1978年~2000年にわたりDAV(ドイツ山岳協会)会長、1996年~2004年までUIAA安全委員会委員長を務め、2008年以降はUIAA名誉会員となります。
登山用品の安全規格の成立とクライミングボルトの安全性に特に注力、日本では『生と死の分岐点』(原題 Sicherheit und Risiko in Fels und Eis)が知られていますが、ヨーロッパでは多数の著書を出版し、安全啓蒙に努めたことで知られています。

偉大な登山の先達の逝去に、哀悼の意を表します。

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岩壁の香りをあなたに

アレックス・オノルドが石鹸を売り出しました。

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オーガニック石鹸専門メーカー「ドクター・スカッチ」と協力し開発・販売開始した石鹸「フリーソロ・スクラブ」。

『ハイシェラ岩壁の香り』を再現したとのこと。どんな香りなんでせう?

お値段1個8ドル。

冒頭で『僕、今まで石鹸使ってないんですけど』と告白している楽しい販促動画はこちらです↓

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クライマー、アレクサンドル・グコフ動く

タムセルク南西壁ダイレクトでピオレドール受賞、2018年にはラトック1峰北稜から奇跡の生還を果たし、昨年は天山山脈コスモスピーク(5942m)北壁をアルパインスタイルで初登、先日のピオレドールロシアを受賞したロシアのベテランクライマー、アレクサンドル・グコフ(Alexander Gukov)が個人としてfacebook上でウクライナ侵攻および戦争反対を訴え、署名活動を始めています。

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アレクサンドル・グコフ(Alexander Gukov)近影

Gukow inicjuje list otwarty rosyjskich wspinaczy do Putina: „To plama na historii Rosji” by wspinanie.pl 2022.3.1

以下に、自身のfacebookにロシア語・英語併記で掲載されたメッセージを転載します。

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親愛なる友人、私はひたすら、私たち登山界を代表して、ウクライナでの軍事行動を受け入れないよう訴える手紙に署名するよう呼びかけたい。このメッセージは、他国のクライミングクラブや連盟にも送る予定です。
本文にご賛同いただける方は、署名をお送りください

ロシア登山界を代表してウラジーミル・プーチン大統領への公開書簡

私たちロシアのクライマーは、ロシア軍がウクライナ領内で行っている軍事行動に反対します。
私たちは、人命がいかに儚いものであるかを身をもって知っています。私たちは、ロシア軍がウクライナの領土を侵略し、その結果、両国の国民が苦しんでいることを犯罪と考えます。これはロシア史の汚点であり、私たちだけでなく、私たちの子どもたちも汚名を背負わなければならない。
ウクライナ人は、千年の歴史を持つ私たちの兄弟です。
ウクライナ人は、最も恐ろしい試練を共に乗り越え、山で困難を分かち合った友人です。
私たちは、両国双方における不当な人命の損失と、私たち民族間の憎悪の扇動を受け入れることはできず、敵対行為の即時停止を要求します。

署名をお願いします。
https://forms.gle/QcZmw2GhttYpPvtq7
この書式に署名することにより、私は自身の署名が公開されることを理解し、同意します。

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アレクサンドル・グコフのfacebookから、googleフォーマットの署名書式にサイン可能となっています。

ポーランドのクライミングサイトwspinanie.plも記事中に書いていますし、既に皆様もご承知のとおり、ロシア政府はfacebookはじめとするSNS、ウェブサイトの遮断を図っているため、現在の署名者数は不明、またアレクサンドル・グコフ本人からも返信が無い状態です。
先日のロシア山岳連盟ウェブサイトにも、ピオレドールロシア式典に対してやや批判的なコメントを送っていたアレクサンドル・グコフ、正面切って政権批判を開始しました。ロシア人クライマーの良心を信じたい。

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バス停で出会った2人

以前掲載した、ヤンヤ・ガンブレットの家族の報道でとりあげられていた、ティヤサ・スレメンシュクとの友情を、スロベニアの報道web・Siol NETが詳細に伝えています。

バス停で出会った2人が紡いだ友情物語です。

Zgodba o prijateljstvu z avtobusne postaje, kakršnega bi si vsi želeli by Siol.NET 2021.12.26

以下記事引用開始

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ヤンヤ・ガンブレットとティヤサ・スレメンシュク
誰もが羨む、バス停からの友情物語  執筆:Alenka Teran Košir

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22歳のクライマー、ヤンヤ・ガンブレットとティヤサ・スレメンシュクは、人生の半分以上を共に過ごした親友である。

 友の苦しみに同情することは誰にでもできるが、友の成功に共感できるのは偉大な人物だけだ、とアイルランドの劇作家オスカー・ワイルドは書いている。スポーツクライミングのオリンピックチャンピオン、ヤンヤ・ガンブレットと、同期で13年来の仲であるティヤサ・スレメンシュクには、きっと友情についての格言があるに違いない。小学3年生から始まった2人の友情は昨年、太陽と月をあしらった、お揃いのタトゥーで表現された。「私たちは、常に"ワンパッケージ"でやってきました」とヤンヤは冗談を言う。

 シュマルトノ出身とヴェレニエ出身の2人が出会ったのは2008年、ヤンヤ・ガンブレットがヴェレニエで華麗なクライミングの物語をスタートさせたときだった。彼女達は9歳だった。

「スロベニア・グラデツでコーチがいなくなったので、ヴェレニエでトレーニングをするようになったんです。東部地域のコンペで知り合った私たちの母親が、ティヤサがヴェレニエのバス停で私と合流して一緒にトレーニングに行くことを約束しました。それがきっかけでした」とヤンヤは振り返る。

「そうやって、毎日バス停で彼女を待っていたんです」と微笑むのは、スポーツクライミングのオリンピックチャンピオンの人生において、大きな支えとなっていたティヤサ・スレメンシュク。「そう、彼女は6年間もバス停で待っていてくれたんです」とヤンヤは冗談めかして言う。「運転免許試験に合格するまでは」と付け加える。

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二人の友情はヴェレニエのバスターミナルで始まった。写真:Grega Valančič

早めのバスで時間を稼ぐ

ティヤサは「私たちはすぐに意気投合しました」と言い、二人の友情は週ごとに深まっていった。

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2010年、イタリアのクライミング・キャンプでヤンヤとティヤサ。クライミング界のレジェンド、クリス・シャーマと一緒に写真に収まる。

 ヤンヤはヴェレニエに行き、現在スポーツクライミング・スロベニア代表チームのコーチ兼選考委員であるゴラズド・フレンに見守られながら、早くからトレーニングを積んだ。

「今でも覚えています。16時8分のバスには乗らず、15時33分にヴェレニエに向けて出発してました。そうすれば話をする時間も増えるし、時には遊びに行くこともありました。 時々、いえ、いつも、靴や上着や帽子を取り替えてました。」

「ヤンヤは私の靴を履き、私は彼女の靴を履くというように、時々靴を履き替えました。ウィンドブレーカーと帽子も入れ替えました(笑)」「なぜかわかりませんが、そうしてました」とヤンヤは明かす。「何をしたいかよくわからないけど、でも、やってたんです。」

二人の会話はクライミングの話だけでなく、さまざまなことに及んだ。

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「ティヤサは朝型人間で、私はそうじゃありません。それが私たちの唯一の違いです」とヤンヤは言う。

 性格もよく似ているという。「私たちの唯一の違いは、ティヤサは朝型人間で、私はそうじゃないことです」とヤンヤ。「他の点では、私たちはほとんど同じです。それ以外は、いつも一緒です。例えばサッカーのチームを選ぶときも、私たちは一緒に来ているので、離れることはできないと常に明言していました。」

トレーニングもいつも同じように熱心に取り組んだ。「ゴラズドがウォーミングアップのトレーニングを示したときは、誰が一番早くボルダーを登れるか、みんなで競い合ったんです。いつもどちらが先に登るかで議論していました」とティヤサは振り返り、ヤンヤは「東部地域のコンペで撮った、2人が一緒に表彰台に上がっている写真が家に何枚かあるんです」とすぐに付け加えた。

幼い頃から、他人から見れば信じられないような動きを披露していました

 ヤンヤがコンペで目立ち始めたのはいつ頃ですか?「でも、すでに東部地域のコンペでは、私たちから見るとちょっとおかしいと思うような動きをしていたんです。でも、キャンプでクライミングを始めたら、ヤンヤは難しいルートでもすぐに登ってしまうんです」ティヤサは、幼い頃から親友を見守り続けてきたことを振り返る。

学校でも二人は切っても切れない仲だった。ヴェレニエ・スクールセンター・スポーツ部門に通うようになってからは、ほぼ毎日一緒に過ごすようになった。「まず、午前中は学校で、午後はトレーニングで一緒になりました。確かに、お互いにイライラする日もありましたが、それは理解できます」とティヤサは言う。

ヤンヤ・ガンブレット:親友は一人しかいない

「私たちの関係は何年もかけて変化してきましたが、親友であることは変わりません。丸々1カ月間、話をしないこともありますが、連絡を取ると以前と同じようになります。話していても、何か大事なことがあるとすぐに電話する。まだ怒ってるんだけど、あれこれ言わないといけないから」と笑う彼女は、スロベニア・スポーツ・ジャーナリスト協会のメンバーから3度目となる「スロベニア・スポーツウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

「親友は何人いてもいいと言う人もいますが、私はそうは思いません。親友は一人しかいないと思う。何でも話せるもの」とヤンヤは言う。「そして、必要なときには夜中の3時に電話すればいいのです」と、ティヤサは付け加えます。

互いを気に掛ける

また、試合前にはお互いの意見を聞き合います。「"他の人 "ではなく、私にとって一番大切なのはティヤサの意見を聴くことです。私が万が一、自分自身を疑ってしまったときに、彼女が何か言ってくれるのをわかっているからです。」

クライミング競技の観戦は、二人にとって特別な時間だ。「ティヤサが出場するときは、いつもとても緊張するんです。見ていて本当に辛いというか、全く見ていられない。緊張しすぎです。」

「同じです」とティヤサは言う。「オリンピックは家で見るしかない、どこにも行きたくないと思っていたのですが、Bolder Stageでパブリック・ビューイングで観戦していました。少しも疑ってはいませんでしたが、やはり家で観戦したかったです。ヤンヤがスピードで滑ってしまったこと、その後、ありがたいことにすべてがうまくいったことを今でも覚えています。」

普段、お互いの関係の主導権を握っているのはどちらでしょうか? 「それが何かによるます」とティヤサは答えた。

「ティヤサはどちらかというとクリエイティブなタイプなんです。彼女は素晴らしいアイデアを持っていて、自分を整理する術も、イニシアチブをとる術も心得ています。学校の授業で、プラ板でアニメを作ることになったのを覚えています。フィギュアを作って、それを動かしながら塗装して、それを映像にするというものでした。まあ、ティヤサは本当によくやってくれましたよ。」

「彼女は虫とリンゴを作り、虫がリンゴを食べるという物語を作りました。そんなこと、覚えてもいないし、思い出せるわけがない。まあ、最後にハイタッチしてもらったんですけどね、大して役に立ってないのに」とヤンヤは笑う。

一方が何かを必要とするとき、もう一方がすぐに助けに来る

 そしてティヤサは親友のことをどう思っているのでしょうか?「ヤンヤはとても粘り強い性格で、完璧主義者なんです。ミスがあると、彼女の気が散ってしまう。学校でもそうでしたね。ノートに間違ったことを書くと、そのページを丸ごと破ってしまう。家でも、すべてのものがいつも定位置にある。私が好きなのは、彼女は自分のしていることにとても集中することです。その瞬間は、世界中の何ものも彼女を邪魔することはできないでしょう。そして彼女は、たとえ100件の用事を抱えていても、いつでも助けてくれる。」

「その点では、私たちは同じですね」と、ヤンヤが口を挟む。「片方が「欲しい」と言えば、もう片方もすぐに飛びつく。最後にお願いしたことは何でしたっけ?ファクスの充電コードを持っていったこと? ええ、とにかく、彼女を助けるためなら全てを投げ出します。ティヤサも同じです。」

「そういえば、ヴェレニエまでの交通手段がないときに、ヤンヤがスロヴェニ・グラデツからリュブリャナまで車で送ってくれたことがありました。リュブリャナではどんな約束をしているのかと聞くと、何もない、リュブリャナに来たばかりだという。スロヴェニ・グラデツからリュブリャナですよ! (訳者注 スロヴェニ・グラデツからリュブリャナまで、最短でも約100kmの道のりである) クレイジー!」ティヤサは今でも驚いています。「友達ってそういうものでしょ」とヤンヤは言う。

昨年の夏、二人の友情は特別な形で結ばれた。お揃いのタトゥーで。

「昨年、ティヤサがタトゥーを入れるというアイデアを思いつきました。モチーフのアイデアも提案してくれて、すぐに気に入りました。」

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「私たちがお互いを補うように、お互い支えあうものをと考えたのです。太陽と月を選びました」とティヤサは説明する。

片方には月が、もう片方には太陽が描かれています。

 面白いことに、彼女たちの母親も、彼女たちを自分の子供として受け入れていた。「ティヤサのお母さんロマーナにランチに誘われたけど、ティヤサは留守でした。面白いでしょう?」

「ヤンヤの家にいると、いつも落ち着くんです」とティヤサは言う。「ヤンヤのお母さんと私は海辺に遊びに行ったりしてました」

彼らはそのような友情の価値に気づいているのだろうか?

「そう、「プライスレス」なんです。また、お互いを大切に思っているところがいいです。ヤンヤが悲しいと私も機嫌が悪くなるし、その逆もあります」とティヤサは言う。

「彼女は私が何か言う前に、すでに私の機嫌が悪いことが分かるんです。学校でティヤサが「ねえ、どうして・・」と聞くので、「ああ、NLPリーグ(訳者注 スロベニアのクライミングコンペ)がなぜ土曜日にあるのかわかんないわよ」と言うと、ティヤサは「どうして私がそう言うとわかったの?」と言ったのを覚えています。

「そうですね、私たちはよくお互いに言葉を言いかけて、それで彼女が私の心を読んでいるように感じることがよくあります」とティヤサは言う。「"おかしい "と思われるかもしれませんが、本当です。私が話し始めかけた言葉を彼女が続けたとき、文字通り衝撃を受けた瞬間が何度もありました。」

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2人はまだまだ現役の競技クライマー、ティヤサ・スレメンシュクもスロベニア代表のクライマーです。支えあう2人のクライマーは、将来のパリ五輪をはじめ、これからどんなパフォーマンスをみせてくれるのでしょうか。

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【Bonatti】みんな誤解してました【Bonaiti】

イタリアのMontagna.tv に興味深い記事が掲載されました。

イタリアでよく引用される山の格言、

『高く登る者は遠くを見、遠くを見る者ほど長く夢を見る』(Chi più in alto sale, più lontano vede; chi più lontano vede, più a lungo sogna.)

イタリアではワルテル・ボナッティの言葉として様々に引用されているのですが、実はこれ、クライミングギアメーカーのフェリチ・ボナイティ(Felice Bonaiti)の言葉。

フェリチ・ボナイティは、リカルド・カシンと組んで登山用カラビナを研究し、世界で初めて非対称形のD型カラビナを製品化した人物。

記事執筆者であるGian Luca Gasca氏は、ボナッティの著書、執筆記事が掲載されていた『エポカ』、さらには私信まで調査・検証を行い、ワルテル・ボナッティが前述の格言を書いた・発言した痕跡が無いこと、誤解の原因を究明しています。

“Chi più in alto sale, più lontano vede” cit. Bonatti o Bonaiti?  by Montagna.tv 2021.12.28

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皆様ご存じ、ワルテル・ボナッティ(Walter Bonatti)

以下記事引用開始

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 では、その誤解は何に由来するのでしょう?ワルテル・ボナッティは優れた講演者でした。「登山の夕べ」での発言でしょうか?あるいは、山に行ったとき、避難小屋で出会ったとき、友人に送ったハガキの文面。

 確かなことは、それがボナッティの言葉として、彼の哲学やスタイルにぴったりと当てはまるということだ。このため、これまで引用の由来が問われることがなかったのも事実である。

フェリチ・ボナイティ
 ボナッティはさておき、フェリチ・ボナイティについて調べてみると、全く新しい世界が開けてきた。第二次世界大戦後、登山用に特別に設計されたカラビナが山にもたらされた時代にさかのぼる。レッコの2人のクライマー、リカルド・カシンとフェリチ・ボナイティが発案し、製品化したのだ。彼らはカラビナの物理的な特性を初めて研究し、操作時にカラビナにかかる負荷を調べた。これらの研究により、非対称のD型カラビナが誕生した。1950年代、カロルツィオコルテにあるフェリチの工場「ジュゼッペ・エ・フラテッリ・ボナイティ」で生産が開始された。この製品はすぐに成功を収め、70年代には生産部門を拡大するため、レッコに移転することを決めたほどだった。

 1977年、ボナイティ家は、今日私たちが知っている「コング」ブランドを創設した。「社名の変更にはさまざまな理由があるが、なによりも国際的な認知度を高めるため」と説明される。しかし、それだけではない。また、ボナイティとボナッティは「どちらもこの地域の歴史的な名字であり、常に混同されてきた」という類似性から、新名称が誕生した。偉大なるワルテル・ボナッティが亡くなった時も、多くの追悼のメッセージが寄せられた」と同社は語る。そのほとんどが、日本やアメリカなど海外から届いた。

しかし、このことが言葉の引用とどう関係するのだろうか。もう少しの辛抱下さい。

 1968年にフェリチの息子であるマルコ・ボナイティが経営者となり、1977年に「ジュゼッペ・エ・フラテッリ・ボナイティ」と改名した。(当時流行していた「キングコング」にちなんだもの。この名前も、生産地に関する混乱を招いたが、それはまた別の話である)そしてコング社のカタログに、「高く登る者は遠くを見、遠くを見る者は、長く夢を見る」というフレーズが初めて登場する。社長の直筆でデザインされたこの社訓は、数年間にわたりカタログの冒頭に使用された。このフレーズには、社長のサインが添えられています。

なぜ、ワルテル・ボナッティなのか?
 まず、ボナッティとボナイティという苗字が似ていることから、誤植と考える人が多かったのだろう。そして2人のサインを見ると、それほど違いはなく、一見した際にはワルテル・ボナッティを思い浮かべることができます。最後に、前述した哲学とスタイルの問題だが、これはボナッティの考え方と非常によく似ている。要するに、誤解を招くような要素の組み合わせだったのだ。

 この調査は、歴史的なレベルで何かが変わるものではなく、ボナッティの記憶を損なうものでもない。私たちはただ、このフレーズの裏に何が隠されているのか知りたいという好奇心に動かされただけなのだ。一時代を築いた偉大な登山家の物語に、新たな逸話が加わった。

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KONG社社長、マルコ・ボナイティ(Marco Bonaiti)氏。KONG社カタログに先代の言葉を掲載した。

 イタリアはもちろん、日本のウェブサイトを検索しても、 Bonaiti のカラビナを「ワルテル・ボナッティの・・・」と誤解されている方が結構見受けられます。まあ、私も若かりし頃は「ボナッティのカラビナなんだー」と誤解してましたw

 文中にもありますが、ボナッティ逝去時にKONG社に追悼メッセージが「日本から」多く届いたとのいうのは、日本におけるボナッティ信奉者の多さを物語るエピソードです。

 ま、この記事を読んで、地元イタリアでも Bonaiti と Bonatti を勘違いしている人は多かったんだ、となぜかほっとする記事でした。

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筆者所有のKONG ロボット。え?私はハイカーなんで使ってませんよ。

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ヤンヤ・ガンブレット、失恋を語る

 ヤンヤ・ガンブレットが、スロベニア最大発行部数を誇るタブロイド紙「Slovenske novice」でドムン・スコフィッチとの失恋を語りました。

 当ブログでもセンセーショナルなタイトルをつけましたが、記事の内容は五輪東京大会「後」の苦労、今後の方針について幅広く語っています。日本のウェブ界隈でも有名になった「世界最高の煙突」を一緒に登った時には、既にドムンとの関係は破綻していたことを赤裸々に語っています。

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Janja Garnbret iskreno o razhodu: Tako resna zveza je bila napaka by Slovenske novice 2021.12.14

ヤンヤ・ガンブレット、破局について正直に語る:関係を深刻に考えたのは間違いだった
この1年半、ヤンヤ・ガンブレットは嬉し涙と悲し涙を流しました。東京オリンピック金メダルまでの1年の間に長年のパートナーと破局した

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1年半、人生の試練を経てさらに強力になった Photo by Drago Perko

 ヤンヤ・ガンブレットは、今年のオリンピックでスロベニアに金メダルをもたらし、スポーツクライミングにおける彼女の優秀さを証明した人物である。大会から4カ月余り、スロベニア人チャンピオンは気持ちやモチベーションを探っていた。

 彼女は焦らず、自分自身の考えを探っていた。この2年間、ストレスがたまり、疲れ、レッスンに明け暮れて何度も経験したように。スロベニアグラード出身の22歳は、インタビューの中で「恋はしていないが、冷静に、自分を追求することに飢えている」と、これを認めている。

 

2021年も終わろうとしています。それはあなたにとって夢でした。何かトレーニングしていますか?

先週の土曜日から始めて、コーチのローマン・クライニクと計画を立てました。始めてよかったと思います。

多くを求め、同時に多くを与える「壁」の下に戻るのは大変だったのでは?

 オリンピックの後に何が待っているのか、誰も教えてはくれませんでした。毎日同じことの繰り返しで、2年後にはクライミングへの意欲を失いました。実際に全てを注ぎ込んで、成功した後に全てが崩れ落ちる。東京大会の後、練習に来たときは、もうどの壁も登れないと思っていたんです。肉体的にも精神的にも、とても疲れました。

 実は8月から今まで、幾度も休みをとっていました。その間、クラーニでのワールドカップの準備をしたり、気分転換にスペインで登ったりして、また自然の中でトレーニングするモチベーションを得ました。気力がないとできない!力だけでは意味がありません!

オリンピックの前と後では、どちらが大変でしたか?

 どちらもそれなりに大変です。大会前は、すべてが競技に従って行われます。週10回のトレーニング、6時間の練習。オリンピックは、世界選手権よりも10段階以上ハイレベルな、別格の特別な大会です。プレッシャーや疑問もあります。でも大会が終わったら、あとはモチベーションが戻るのを待つだけです。

あなたのこの特別な金メダルを、どのようにして生みだしたのですか?

 2019年の年末に、コーチのローマンと東京大会までの計画を立てました。誰もメダルや優勝のことは口にしませんでしたが、メダルを取るためだけでなく、勝つために東京に行くのだと二人ともわかっていました。それは私の頭の中にありました。試合まで毎日。その金メダルを持っている自分を想像していたんです。私はベッドに入り、勝つと自分に言い聞かせました。でも、周りにたくさんの人がいるから違うんですよね。他の人が何を望むかではなく、自分が何を望むかを気にします。自分のために尽くしてくれた人たちのことは、気にしなくなったのです。ローマン・コーチからフィジカルセラピストのマテイ・ボンバッチまで。

あなたは世界で最も圧倒的な女性アスリートの一人です!

 私はいつも、圧倒的な強さを持つ女性アスリートのファンです。スキーのミカエラ・シフリンと体操のシモーン・バイルスは、間違いなくそのうちの2人ですね。ミスがあっても、それでも勝つ程の実力。いつか会ってみたいです。もっと強くなりたいと思いながら、頑張っています。私は決して現状に満足していません。より強く、より良く、より速く、そして一歩先を行く存在になりたい。その分、毎回のコンペで何か特別なことをするのではと、皆さんから期待されています。競合する相手は、私のような存在になりたいと思っているはずです。しかし、それが何を意味し、どれだけのことを要求しているのか、知られているのか・・・。

そこまでやるのですか?

 何とも言えませんね。しかし、私は勤勉に、真面目に、あのレベルに到達したいという気持ちを常に持っています。先ほども言いましたが、1週間に10回、1回6時間のトレーニングです。私たちは、トレーニングの量ではなく、質が重要であることに気づかなければなりません。

 6時間かけても、ちゃんとやらなきゃ意味がない。私自身はそのような心配はしていません。ローマンというコーチがいますが、彼はすべてを完璧に計画し、私が何を必要としているかを正確に把握しています。彼なしでは、私はトレーニングも成功もできなかったでしょう。彼は、私には見えないもの、細かいところまで見ています。でも、ひとつだけ忘れてはいけないことがあります。私はメダルを獲得していますが、その後ろには今の私を作ってくれた人たちがいるのです。彼らがいなければ、今の私はありません。

ローマン・クラニックはいつから専属トレーナーになったのですか?

 東京大会でも一緒に仕事をしてきたし、2019年から私のパーソナルコーチになっています。オーストリアから帰ってきてから、一緒に仕事をしようと誘ったんです。ローマンは、一緒に仕事をする人です!

こんなに若くて、こんなに成功しているなんて・・・と、自分自身に戸惑いはありませんか?

 35歳ではないかと思うほど、いろいろなことがあったなと思うことがあります。いろいろなことがありましたが、いつも対応できているのは幸運なことです。また、コーチ陣が一緒になって考えてくれたこともラッキーでした。16歳になった年には、海外の多くの大会に出場することができました。でも、シャモニと幾つかの大会にしか派遣されなかったんです。その結果、非常に彼らが慎重であったことがわかりました。そうでなければ、すべてが本当にあっという間で、燃え尽きていたかもしれません。

スポーツでの功績はもちろんですが、それ以外にご自身の大きな成功は何だとお考えですか?

 とにかく登ることが大事なんです。一つ成功があるとすれば、2020年、2021年のコロナ禍の時期に、多くのことを学び、身につけたことです。 私にとって、最も簡単なことではありませんでした。それでも、トレーニングや仕事に集中することができたので、キャリアに支障はありませんでした。

この経験は、当時のパートナーであったドメン・スコフィッチとの別れ、つまりパートナーシップの終了と関係があるのでしょうか?

 はい。一番苦労したのは、二人でやっていた事業の整理をするときです。それが済んだら、ほっとしました。これが人生だ、将来役に立つ教訓だ。でも私の人生で最も困難な試練でした。

そんな時、あなたは一人で悩んだり、誰かに告白したりしますか?

 両親も、そして14年来の親友であるティサ・シュレメンスクも来てくれました。コーチのローマンとは、1日のうち、通常4時間以上一緒に過ごしています。彼は、何が起こっているのかを知っていました。なかなか大変だったようです。私はイライラしながらトレーニングに臨むのですが、彼は我慢強く、私に付き合ってくれました。私は彼に何度も謝りました。

人生で後悔していることはありますか?

いいえ!

恐れはどうでしょう、自覚はありますか?

そんなことはありません。もし、悪いことがあったとしても、必ず良い結果になると信じています。

クライミングを始めたのは早いうちからですか?

 ダンスが好きで、陸上やテニスのトレーニングもしていましたが、いつもクライミングが何よりも優先されました。自分に合ったスポーツだと思ったからです。自宅でもサポートしてもらいました。また、学校での努力もあったからです。成績が悪いと、練習や大会にあまり出させてもらえなくなると思ったからです。でも、両親は私が家で本の前に座っている以外に何かすることを、いつも賛成してくれていました。

誇らしいですか?

もちろん、そうです。

現在もどのくらいの頻度で連絡を取り合っているのですか?

 かなり多いですよ。ドムンに別れを告げた後、最後にラドヴリチカに行ったのですが、ラドヴリチカでは半年ほど一緒に暮らし、家では本当にいい雰囲気でした。ずっと一緒にいて、さらに絆が深まりました。以前も一緒にいたものの、本当は寂しかったのですが、そのことにすら気づいていなかったのです。私が初めて国際大会に出たのは14歳の時で、16歳の時にラドヴリツァに移ったことを忘れてはいけないと思います。だから、家庭内で本当の意味での関係を築くことができなかったんです。

 母はその埋め合わせをしたかったのでしょう。今日、私たちは以前よりもさらに絆が深まったと言えます。今はリュブリャナに住んでいますが、週末に帰ってきて、またみんなで家にいるのが好きなんです。

若くしてこのような真剣なパートナーシップを結んでいたことについて、どのように感じていますか?

 それは間違いでした。そんな真剣な恋愛をするには、私はまだ若すぎたのです。誰かと関わることは悪いことじゃない。うまくいくこともあれば、そうでないこともある。でも、いいこともあったし、なによりも今後の人生にとって大きな教訓になりました。もし、もう一度選ぶとしたら、こんな若いうちから関係を深めることは選ばなかったでしょう。

このことでドムンとの仲が悪くなったのですか?

男のエゴは苦痛、ということです。特に、あんなに強い性格で、あんなに強い恋人がいたら。人によっては対応できないことです。できること、それはそれでいい。でも、学ぶチャンスはいつでもあります。しかし、それがうまくいかないと、男性の自我が傷つき、思うようにいかなくなる。

ドムンとのクライミングセンター計画にも別れを告げたのですね。

いい別れ方をしなかったから、一緒に仕事をやってもいいことはないだろうと思いました。

しかし、2人は2020年10月にスロベニアで最も高い建物であるTrbovljeの煙突を一緒に登りましたね。

 別れ話の最中で、1週間前に「もうダメだ」とはっきり言われたんです。でも私たちは最高のプロ意識を持って、すべてを一緒にやったと言わざるを得ません。

また、このような企画がでてくるのですか?

 それは私の代理人であるフローリアン・クリングラー氏が担当している問題です。私の個人的なスポンサーであるレッドブルは、アスリートが提示した課題を全力で実行します。なぜなら、アスリートがアイデアを出すことが不可欠だと考えているからです。そうすれば、より良いストーリーが出来上がりますから。

あなたは今日、恋をしていますか?

いいえ。

恋に落ちるのは早いですか?

今はそんなでもないかもしれません。

パートナーに求めるものは何ですか?

 決断力があり、自分が人生で何をしたいのかわかっていること。自分の行動に責任を持つこと、必要なら謝ることもできること。感情を持ち、相手に共感し、サポートする男であること。

先ほど2人の有名人の名前を挙げましたが、もう1人、あなたの同胞でもあるアスリートのティナ・メイズさんの名前も挙げておきましょうか。

 ティナとは前回のチャリティーイベントで知り合いました。お互い、すぐに良い感触を得ました。二人ともKoroška出身です。一緒にクライミングに行こうと言ったんです。もっと一緒にいて、何度もオリンピックに出場している女性アスリートからアドバイスをもらいたいと心から思います。

 あなたはかなり親しみやすく、誰に対しても意見することができます。あなたは世界的な有名人です。今日の世界は、現代のテクノロジーのおかげで、ひとつの小さな村になった。ソーシャルネットワークを通じて、誰でも書き込むことができます。

 私は返事を書いたり、連絡を取ったりしようとするのですが、全部は無理です。でも、子どもから「会いたい」と連絡があれば、必ずトライしています。じゃあ、行こうか。子どもにとって、それがどんなに大切なことか。私も子どものころはそうでした。クライマーのミナ・マルコヴィッチさんのところに行き、一緒に写真を撮ったのを覚えています。私にとって、とても意味のあることでした。

次の目標は?

 パリオリンピックに出場します!オリンピックのタイトルを守るために行くんです。この点についてジレンマはありません。今後については、どうでしょう。もしかしたら、他の分野に引き込まれるかもしれません。でも、できればコーチとしてクライミングの世界に残りたいですね。私が得たすべての豊かな知識を、若い人たちに伝えること。特に幼少期から18歳、あるいはそれ以上の年齢まで、長期的に見守ることが、私の楽しみです。

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第13回スチール・エンジェル賞 2021 ノミネート

旧ソ連圏の女性クライマーによる、素晴らしいクライミングに贈られるアワード『スチール・エンジェル』。

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アックスのパーツで形作られた「天使」のトロフィーが贈呈される、2021年の同賞にノミネートされたクライミングは、次の通りです。

1. アサン(カラフシン渓谷) Timofeevルート 6A
ナジェズダ・オレネバ、マリナ・ホポワ、マリア・デュピナ
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アサン山頂にて

2. 4818峰 無名ルート初登 6b + / 6c(fr)、A3(50m)、ED / ED+

マリーナ・ポポワ、マリア・デュピナ、ナジェズダ・オレネバ 

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3. カート・ピーク(ユジノサウイスキー・リッジ)、「選択はあなた次第」ルート初登 5B
アリーナ・パノヴァ、ポリーナ・ペンキナ、エウゲニア・レオンチェヴァ

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山頂にて 左からエウゲニア、ポリーナ、アリーナ 「選択はあなた次第」というルート名は、メンバーがそれぞれに選択(判断)を迫られチームワークで登ったことに由来するとのこと。

4. Tsey-Loamピーク(イングーシ共和国) 南東壁 左ルート 6A

マリア・デュピナ、ナジェズダ・オレネバ

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ひたすら脆い岩壁を、ハンモックビバークで3日かけて登攀したとのこと


5. エルガキ北壁 中央ルート初登、5B
ダリア・セリュポワ、アナスタシア・コズロヴァ

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山頂にて ダリア・セリュポワ(左)、アナスタシア・コズロヴァ(右)

先日、某社会人山岳会の女性の方から、女性であるがゆえに「登山界」という「男社会」で重ねてきた御苦労をお伺いする機会がありました。

その時頭に浮かんだのは、このスチール・エンジェル賞のこと。

日本含む西側諸国の山岳メディアはほとんど無視していますが、事実上のプーチン独裁政権下のロシアにおいて「女性だけの」バーティでこれほど充実したビッグウォールクライミングの成果が達成されているのは実に興味深いことです。

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ガチャは奏でる

クライミングギアのことを「ガチャ」と言います。おそらくギア同士がぶつかる音が語源でしょう。

昔の山岳書を読むと、「ハーケンが歌う」なんて表現もありましたな。

そのクライミングギアが発する音を、ミュージックサウンドに仕上げたアーティストがいました。

イギリスのCaro Cです。

Hexcentric Beats - Making Electronic Music with Climbing Gear by UKC 2021.9.9

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ライブ演奏中のCaro C

脊椎を患い、長い闘病生活の間に音楽、特に電子音楽に目覚めたCaro C。

8年前に脊椎の手術を終えたあと、友人の誘いで人工壁でクライミングを始めました。

やがて外岩を経験し、トラッドクライミングで耳にしたヘキセントリックやナッツ、カム同士がぶつかる「音」にとても興味を惹かれました。

そしてその「音」を自らのアルバムでも使用することになります。

クライミングギアの音を利用したアルバム『Electric Mountain』はこちらで試聴できます

岩場でよく耳にするギア同士がぶつかる音、カチャカチャという音を、こんな風にアレンジしています。↓

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ピオレドール生涯功労賞2021に山野井泰史氏

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ピオレドール生涯功労賞(ボナッティ賞)2021に山野井泰史氏が選定されました。

Piolets d'Or 2021 - Yasushi Yamanoi

過去の受賞者の面々はこちら

本家ピオレドールの説明文も非常に詳細と思ったら、萩原浩司氏による執筆です。

ピオレドール・アジア生涯功労賞受賞が2011年、今回の受賞によって、欧米における山野井泰史氏の名声だけでなく、アジアにおける山岳文化への理解も高まることへの一助になるでしょう。

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韓国人が分析する「五輪クライミング競技」そして「第3課題」

韓国の月刊『山』誌において、早速に東京五輪クライミング競技の分析記事が掲載されました。

解説はキム・インギョン女史。女史は長らく韓国クライミング競技を陰から支えてきた方で、その人物像は当ブログ2010年8月の記事「壁ガール」に記録してあります。

例の「第3課題」についても、旭日旗かどうかはさておいて冷静に「クライマー」「競技」という観点から考察しているところがポイントです。


스포츠 클라이밍, 화려한 '올림픽 신고식’ (五輪スポーツクライミング、華麗なる「五輪歓迎式」) by 月刊『山』2021.09.02

以下引用開始

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[再び見る東京オリンピック]スポーツクライミングの名場面

「コンバインド」方式 採点に多くの問題を残す、様々な技術を要求した点は評価される
 ソ・チェヒョン、パリでのメダル圏進入の可能性高く

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破壊的な力を披露し、金メダルを首にかけたヤンヤ・ガンブレット。写真は決勝ボルダリング完登後、咆哮する様子。写真 聯合ニュース


 東京オリンピック正式種目に初めて採用されたスポーツクライミングが、華やかなデビューを終えた。オリンピックの影響で、全国各地のクライミングジムにはクライミングを体験してみようと行列が絶えない。さらに、有名な岩場では週末には混雑も生じている。韓国選手が上位に入らなくても、世界のトップ選手が集まった大会らしく、高レベルの試合が繰り広げられたために起こった現象である。

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オリンピック女子決勝に進出したヤンヤ・ガンブレット(左)、野中生萌がリード種目のルートを双眼鏡で観察している。写真 聯合ニュース

 またサ・ソル、キム・ジャインなど現役選手らの解説も一助となった。ただ、スポーツクライミング競技を知らない人に焦点を合わせたため、一部の愛好者からは、解説がもっと詳細であれば良かったという意見も出た。このために東京オリンピックスポーツクライミング競技中に疑問に思ったシーンや、歴史的なシーンをもう一度振り返る。解説はスポーツクライミング・ユース代表監督を務め、国内大会でも解説で活躍したキム・インギョン マッドジム代表。

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元々軽量選手だったジェシカ・ピルツはコンバインド方式でオリンピックが開催されたため、スピード種目のために大幅に筋肉を増量した。写真 聯合ニュース

#1 コンバインド方式が選手を自滅させた

 ソ・ヒョンオ記者(以下ソ)話題も不満も多かったオリンピック大会が終わりました。まず初めに、リード、ボルダリング、スピード各3種目の順位を乗じて得た値で全体順位を決める「コンバインド方式」に物足りなさが残ります。世界最高の呼び声高いアダム・オンドラ(チェコ)は、5年前にコンバインド方式が予告されるとオリンピックをボイコットする動きを見せました。今までリードやボルダリング、スピードなど各種目別に技術や筋肉を適化させた選手に、他種目まで並行させるのは適切ではないという意見からの行動でした。結局、大会には出場しましたが・・・。

 キム・インギョン代表(以下、キム)やや極端に言えば、選手たちが自身の肉体を「捨てた」と言わなければならないようです。ジェシカ・ピルツ(オーストリア)の場合、非常に華奢で軽量な選手なのに、スピードのために体をバルクアップしたため、自分の長所が弱まってしまいました。楢崎智亜(日本)は、リードのために体がほぼ半分になるほど減量したと見られます。パリオリンピックから種目が分離されるという点は良かった。選手の志向にあわせて、リード、ボルダリング、スピード、すべて別々の種目として行われることを願っています。

#2 観覧スポーツとして定着するには、用語の統一が必要

 ソ 放送局のキャスターが解説委員の言葉に質問を連発し、ルールや技術の説明が不十分となり視聴者から批判があがった。(訳者注 : 韓国の五輪クライミング中継でキム・ジャインが解説を担当したが、実況アナウンサーがクライミングに無知だったためキム・ジャインの解説に質問を連発、キム・ジャインの解説は好評だったが解説を邪魔する実況アナに韓国国民の批判が集中した件を指す) すでに共通化された内容の他にも、スピードクライミングの壁の角度は95°であるが垂直の壁と表現したり、ボルダリングの課題を「コース」と表現した。むろん大きな問題ではなく、不慣れなクライミング用語を、一般人が理解しやすいように近づけたがためのアクシデント程度に見えます。

キム これらの問題が発生した根本的な原因は、クライミング用語が明確に統一されていないからだと思います。例えば「難易度(リード+ボルダリング)」と字幕をつけた場合を見てもそうです。通常、リード種目を韓国語に直訳すると「難易度」となりますが、「難易度」の中にリードとボルダリングが属しているわけではありません。
 ボルダリングも登る箇所を指すとき、海外では「ボルダー」と呼ばれ、国内では「コース」ではなく、「課題」と言います。
 過去のサッカーの「センタリング」という言葉が使用された後に無くなったように、今後も観戦スポーツとしてスポーツクライミングが捉えられるためには、用語を統一する必要があると思います。

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 チョン・ジョンウォン選手のリード競技で、ロープがチョン選手の足に絡まないようにビレイヤーが右に急ぎ移動してビレイしている様子。一般的なロッククライミングならクライマーにロープの反対側に移動してくれと頼むが、競技であることに加え、すでにクライミングを開始したのでビレイヤーがセンスよく対処した様子である。以後のクライミング中、チョン選手がロープを反対側に渡すと、ビレイヤーは再び進行方向の反対側である左側に立っている。写真 IOC

#3 チョン・ジョンウォン予選リード競技のビレイヤーの影響は?

ソ 一部の愛好家は、チョン・ジョンウォン選手の予選リード競技でビレイヤーが適切にロープを繰り出さなかったとの声が上がりました。場面を振り返ると、チョン選手が3番目のクイックドローにロープをかけるためロープを引き抜いて出すとき、これを十分に出してくれず、たじろぐ場面が見られます。また他の選手たちは、左から確保を開始するのにチョン選手だけ進行方向である右からビレイを開始しています。


キム 私も最初に見た時は意外な状況に見えました。ところが、一つ一つ検討すれば、大きな問題はありませんでした。まず、他の選手たちも3番目のクイックドローにロープをかけたときの確保者が十分に出してくれない場合がたまにあった。その場で選手がロープをかけるタイミングがそれぞれ違うために起きた問題と思われます。また、クラックス(クライミング中、グレードが急激に難しくなる区間)ではなく、クライミングに大きな影響を及ぼすこともありませんでした。
 第2に、右から確保を始めたのはビレイヤーの賢明な動きでした。競技の開始時にチョン選手を見ると、足にロープが絡まっている状態であることがわかります。左から確保を開始したら、ロープがチョン選手の足にらせん状に絡まる状況でしたので、ビレイヤーがそれを防止するために、右に動いて解放したんです。
 余談ですがビレイヤーがビレイで問題を起こした場合、審判はこれを最初に指摘したり、コーチ陣や選手が抗議し、審判が受け入れれば再登の機会を与えることが規定で定められています。

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6.84秒で15mの壁を登り、女子スピードクライミング世界新記録を樹立したアレクサンドラ・ミロスラフ 写真 聯合ニュース

#4 スピードクライミング女性の世界新記録

ソ アレクサンドラ・ミロスラフ(ポーランド)が決勝で6.84秒で完登しスピードクライミング女性の世界新記録を樹立しました。観戦のポイントは?

キム 3つの要因があります。第1はミロスラフの手と足の長さ、身長など体格がスピードクライミングに最適化されているという点であり、2つめはリズム感が良く動作に無駄がない点です。第3は、横で一緒にプレーしたアヌークの力走です。スピードクライミングは隣の選手に影響を大きく受けます。見えないようでも選手たちは隣でプレーする選手の位置と存在を正確に把握しています。

ソ アヌークもミロスラフとほぼ同じように登るが、最後のタッチで遅くなった。

キム そうです。また、ミロスラフのクライミング技術は、最近の女子のスピード技術の典型的な例という点で、記録更新の糸口を残した点を評価したい。男子選手は最初から最後まで、動線の無駄を最小限に抑えるため、一直線に登ろうとする。そのために足を立てて踏んで、競技場面を見ても、ロープの揺れがほとんどない。
 一方、女子選手は男子選手たちに比べて力が弱いため、多少軸が揺れても足を立てず横にして最大限に力を引き出す方法を使う。これで、次の新記録は、男性の1文字走行をこなすことができる十分な筋力や身体条件を持つ選手が樹立するでしょう。

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少しの運にも恵まれたものの、コンバインドに合わせて総合力を高め、金メダルを勝ち取った新鋭アルベルト・ロペス 写真 聯合ニュース


#5 ロペス金はコンバインドの恩恵、ヤンヤ金はコンバインドを破壊

ソ 優勝者の話をしましょう。男子には異変が起こりました。19歳のアルベルト・ロペス(スペイン)が金メダルを獲得しました。コンバインド方式で種目順位を乗算して算出するため、他の二つの種目で下位となっても、一種目で1位を占めればメダル圏に進出できることから起こったことです。ロペスはボルダリング7、リード4など低迷していましたが、相手選手の失策に支えられスピードで1位を記録したため、金を獲得できました。
 世界最高と評されるオンドラは6位でした。弱点であるスピードクライミングのために、最終的に高い順位を記録できませんでした。

キム コリン・ダフィー(米国)、ロペスのような10代後半、20代前半の選手たちはコンバインド方式を適用していた国際ユース大会出場経験を持つ選手です。彼らの「白紙の体」にコンバインドに最適化された技術と体力を刻むことができました。単一種目で活躍していた従来の選手たちは、長時間かけて自分の種目に合わせ技術を高め、体を作っていたので、自分の弱い種目を新たに学ぶことが難しかったんです。
 その意味で、ヤンヤ・ガンブレット(スロベニア)の金メダルは、彼女の天性と破壊力を証明した結果と見なければならないでしょう。試合を見ると、まるで猫です。重力がまるで微細なものに感じられ、体のバランスをとる能力は天才的です。他の選手たちが少しずつ細かくバランスを修正しながら進める動作を、ヤンヤは迷いなく一気に移る。今後しばらくの間、ヤンヤを倒す選手はいないでしょう。

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アダム・オンドラが旭日旗を模したデザインとして知られる男子決勝ボルダリング第3課題に挑戦している 写真 聯合ニュース


#6 ボルダリングの課題 「旭日旗の課題」本当の課題は?

ソ リードとスピードは、定型化された側面がある。しかし、ボルダリングは、ルートセッター(スタジアムのホールドを配置するスタッフ)が自分たちの創造性を発揮できる余地が多い。今回の五輪ボルダリングの課題を総評してみると?

キム ルートセッターの苦悩が伺えます。様々な技術を試みるべき課題が多く印象的でした。ジャミング、マントリング、ダイノ、トゥーフックなど、様々な技術を使用するように設計されていました。
 課題が多岐にわたっていたおかげで、選手たちが自分の主種目に応じて解決していく方法が異なっていたことも見どころでした。例えば、外岩に精通しているオンドラはジャミングの問題を定石的にジャミングで解決したのに対し、ジャミングに慣れていない選手たちは、これを適切に使えず、他の技術で試みました。リード選手たちはホールドを確実に一つずつ押さえながら越えていこうという傾向を示していました。摩擦を利用して支えなければならないボリューム型ホールドも、付着した壁の間にある小さな隙間に爪を押し込んで引っ張るように活用する選手もいました。 いずれも興味深い現象です。 また、最新のトレンドに合致するようコーディネーション問題を多く取り入れたのもよかった。

G8_20210902223001全体的に、オリンピックで提供されたボルダリング課題は選手たちの個性と多様なクライミング技術の両方を垣間見ることができた 写真 聯合ニュース

ソ コーディネーションは、最近流行している概念ですが、正確にはどのようなものですか?

キム 定義を言えば、いくつかの技術要素と動作を相次いで行い、支えるのが不可能なホールドを克服するものです。例えばダイノを2回連続行う形式などですね。とてもアクロバティックな動作をやり遂げなければなりませんが、観戦の楽しみが増大するでしょう。その意味で、旭日旗を模したとされる男子決勝ボルダリング第3課題を考察する必要があるようですね。

ソ キム·ジャイン選手もインスタグラムを通じて問題を提起した部分ですね。 政治的行動を認めない五輪で、該当のデザインを借用した課題を作ったのは残念だというのがポイントでした。

キム ここでは該当の課題が「旭日旗」か「戦犯旗」かどうかではなく、その課題自体を探ってみましょう。ボルダリングなら、体のバランスを絶えず揺さぶり、選手たちが掴み、登り、耐えるようにしなければなりません。 しかし、この課題は最初から動作がありません。 静的な動きで小さく、掴みにくいホールドを制圧することが全てです。 トップ選手はまるでリードするかのようにチョークバックを背負っていき、そして全ての選手が完登に失敗し、違いをみることすらできませんでした。 結局、五輪の決勝舞台に出すべき課題問題ではありませんでした。

G9競技中のソ・チェヒョン。ソ選手は予選でリード1位、決勝でリード2位を記録した 写真 聯合ニュース


#7 ソチェヒョンのパリのメダル見通しは「明るい」

ソ 最後に、今後の大会の展望をお話ししましょう。

キム ソ・チェヒョン選手は予選でリード1位、決勝でリード2位を占めました。今後リード種目が単一種目となったら、リードだけはキム・ジャイン選手の後を継いで一世を風靡する可能性を示しました。リードは技術習得のために長年の経験が必要な種目ですので、順位は大きく変動しません。
 一方、スピードクライミングやボルダリングで、今後は「モンスター」があふれ出てくるものとみていいでしょう。この種目は、短期間に技量を養成することができ、他種目の選手の流入が容易です。体操や陸上競技の選手が、自分の中に意外なクライミングの才能を発見し、進出してくることもありうる。また、オリンピック種目になってスポーツクライミング人口が増えただけに、優れた人材が継続して発掘される。つまり、今後のスポーツクライミング大会の「見る楽しさ」がかなり向上したことになるでしょう。

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以上引用終わり

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