ヤーニャ・ガンブレット、彼氏と別れる

突然ですが、ヤーニャ・ガンブレットが、

彼氏と別れました。

Ga

彼氏のドメン・スコフィッチとは昨秋、世界最大の煙突をマルチピッチで一緒に登ったのに・・・

別れたのはこの後の出来事とか。

Janja Garnbret o težkem letu in razhodu z Domnom: O sebi sem se ogromno naučila  by MICNA 2021.2.11

スロベニアの女性誌が詳細をすっぱ抜いてますが、別れた理由は明らかにされていません。

ドメン・スコフィッチの影響で料理を学び一緒にクライミングジムも創設した仲だったんですが。

ヤーニャ・ガンブレットは現在、実家に戻ってトレーニングを重ねているようです。

スロベニアではもはや国民的なアスリートなので、メディアでも「ショック!」のタイトルで二人の別れが報道されています。

野口啓代さんの時は日本のメディアもこんな報道しな(以下省略)

 

女心はクライミングより難しい。

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クライミングが人類に貢献する時

 ノルウェー工科大学傘下の研究機関SINTEFの研究者が、海底ケーブル敷設に伴う問題解決のヒントとして応用したのは、趣味であるクライミングでみかけた「ロープの捻じれ」でした。

Rock Climbing Researchers Solve Key Question for Subsea Cable-Laying by The Maritime Executive 2021.1.23

 

以下引用開始

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クリスティーナ・ベンジャミンソン執筆記事

クライミングのビレイデバイスと、海底ケーブル設置船とは、何が共通していますか?

答えは、いずれも「ねじれ」が発生する可能性があるということです。つまり、クライミングロープまたはケーブルがねじれ始めます。

これまで、なぜこの現象が起こるのか誰も説明できませんでした。しかし、クライマーでもある2人の熱心な研究者が、その謎を解く仕事にとりかかりました。

洋上風力発電所や太陽光発電所の建設において、施設や電力を送るための電気ケーブルが必要です。ケーブルの製造、輸送、建設のために取り扱うオペレーターは、ケーブルに「ねじれ」や「キンク」が発生することを知っています。クライマーが懸垂下降する際、同じことがロープにも起こり得ます。

海底電気ケーブルやフレキシブルパイプは、製造、取り扱い、敷設の際にねじれる傾向があり、従来は説明が難しい現象でした。これは取り扱いや保管の際に大きなダメージを受けることがあり、非常に高額な損失となる可能性があります。

「ねじれがケーブル内部の摩擦によって引き起こされることは、おそらく多くの人にとって驚きとなるでしょう」

SINTEFの研究者で「ねじれ愛好家」のフィリップ・メインソンは語ります。

ケーブルの「ねじれ」による損失は数百万単位の金額

内部摩擦が大きな問題を引き起こした例は沢山あります。

「あるケースでは、ケーブルが甲板上で暴れだし巻き付き、工事船が電気ケーブル設置作業を中止しなければなりませんでした」

SINTEFのクライアントからは「ドクター・ツイスト(ねじれ)」と呼ばれるメインソンは言います。

ケーブルは切断され、海底に廃棄を余儀なくされました。船は港に戻り、ケーブルが回収され、敷設が完了するまでさらに数か月待たなければなりませんでした。

Tr1

ねじれ(上)とキンク(下)を示すケーブル。イラスト:SINTEF

ケーブルは局所的に損傷する可能性もあり、条件が良ければ、叩いて形を戻したり、接続することが可能です。最悪の場合は、ケーブルの交換が必要になります。

「場合によっては、導体または絶縁体に損傷があるかどうか、判断が難しい場合があります。この種の損傷は、運用中にケーブルの故障の原因となり、多くの消費者に停電を引き起こす可能性があります」

十分に研究されていない、古い問題

それは以前からの問題でした。石油業界もこの種のトラブルを経験しており、数千万単位の費用がかかるケースもあります。

「しかし私たちの研究を除き、この問題に関する研究論文は公開されていません」

「人命に傷害を引き起こしたり、環境問題に直接関わることではないため、発生ケースの報告もありません。誰も、自身の恥ずかしいミスについて外に伝えたくない。その結果、業界はこの現象についての情報が少なすぎました。」

現在、SINTEFはこの問題についてアクションを起こしました。近年、研究者はノルウェーや海外企業と協力し、ケーブル損傷の調査と設計支援の両方に関わり、彼ら研究者の関与は重要な新しい知見を生み出しました。

「経験豊富なエンジニアでさえ、私たちが観察した「ねじれ」の原因解明のために必要なメカニズムのレベルに驚かされる可能性があります」と、メインソンの同僚であるベガード・ロンバはコメントします。

クライミングの専門知識

熱心なクライマーである2人は、休暇中にクライミングロープを扱う際の科学的知識を応用しました。

「私たちはクライミングロープの使用経験があります。これは、関わる物理学がまったく同じであるため、ケーブルについての洞察を得るのに役立ちました」語るのはメインソン。「効果的なケーブル敷設船は、あなたが考えているよりも素晴らしいビレイデバイスです」とジョークをとばしながら、数学モデル・数値モデルの両方の開発が、問題解明に重要な役割を果たしたと強調しました。

いくつものメカニズムにより、ケーブルがねじれる可能性があります。重要な要素の1つとして、ケーブルが製造段階から保管容器に巻かれる際、さまざまな方向に曲げられているという事実に関係しています。

「大きなケーブルを曲げて回転させるには、大きな力が必要であることは容易にわかります、しかし、ここに驚くべき点があります」とロンバは言いながら、小さな実験をしてみせました。

「ケーブルの途中にテープを貼り、たとえば下向きに曲げます。次に、ケーブルを巻くときに「曲がり」を保持したまま、テープがケーブルの周りを回転するようにします。この動作のために、どれほどの力を要するかに驚くでしょう。これらと同じ力が加わり、ケーブルを損傷する可能性があります」と彼は言います。(訳者注 動画0:31からの実験をご覧ください)

Tr2

このようにケーブルを曲げて、回転させてみてください。意外と難しいです。イラスト:SINTEF

「構造計算も行わずに橋を建設する人などいません。ケーブルの製造施設や敷設船で建設するときも、ケーブルの取り扱いに同じ原則を適用する必要があります」とメインソンは言います。

業界は、ねじり荷重の推定方法、挙動をリアルタイムで監視する機器、およびトルクに耐えるケーブルの数値を評価できるようなテストリグ等に関するガイダンスを求めています。

研究者らは現在、海外のケーブルメーカー、敷設業者、オペレーターが参加する「ねじれ共同産業プロジェクト」によって、新しい知見を広める作業に着手しています。

普及は、ワークショップや現在準備中のハンドブックによって行われます。ねじれ計算のためのガイドライン開発計画もあります。

「「ねじれ」が好ましくない形状をもたらし、それがさらなる「ねじれ」につながる複雑な状況では、非常に具体的な数値モデルが必要になるため、必要とする作業・研究には事欠きません。私たちの目的は明確です。脱・化石エネルギーへの旅が「絡まることなく」確実に行われるようにすることです。」

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登山や冒険に「社会的意義」を見出すことに疑問を呈する日本の某探検家やらクライマーがウェブ上でブイブイ語っていますが、世の中、頭の切れる人はいるんですね。。。

私めも現場作業でワイヤーロープや大小様々な口径のホースなど扱っているのですが、恥ずかしながらクライミングロープと結びつけるには至りませんでした。

「世俗とは離れたところに価値がある」みたいな言い方されるクライミングですが、研究者たちの鋭い観察眼によって、クライミングが人類に貢献するという報道でした。

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【訃報】チェザレ・マエストリ逝く

イタリアの登山家、チェザレ・マエストリが1月19日亡くなりました。91歳の生涯でした。

御子息のジャン・マエストリがfacebookで公表しました。死因は明らかになっていません。

Il mondo dell’alpinismo piange Cesare Maestri morto a 91 anni by lecconotizie.com2021.1.19

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『宿敵』ラインホルト・メスナーと腕を組んで語り合う晩年のチェザレ・マエストリ

 チェザレ・マエストリといえば、池田常道氏に洗脳された日本のクライマー諸氏はマエストリ=セロトーレ疑惑でしょうが、そもそもは非常に優れたソロクライマーでした。『ドロミテの蜘蛛』と異名を持つチェザレ・マエストリが行った、生涯のクライミング約3500のうち、3分の1は単独登攀と言われています。

 セロトーレ疑惑後のチェザレ・マエストリの動向については、思考停止した日本の山岳メディアはほとんど取り上げていませんが、その後も精力的に登山活動を続け、2002年には72歳でシシャパンマを目指しましたが、ドクターストップで断念しました。

 その逝去をイタリア州政府、また晩年までしつこくセロトーレ疑惑を検証した映画を製作し、家族からクレームを受けていたラインホルト・メスナーも「非常に優れたクライマー」として哀悼の意を表しています。

 当ブログでも以前に取り上げましたが、チェザレ・マエストリ氏はイタリア山岳会の名誉会員であり、ベローナ大学の体育学名誉学位を授与されている地元の名士です。

 一方、山と渓谷社ウェブサイトにおいては『大悪党』という表現まで用いられました。

 遭難事故などで「死者に鞭打つな」とはよく耳にしますが、クライミング倫理に一度でも反した生者は、永遠に石を投げつけられるのでしょうか?

 日本の山岳メディアには再考と猛省を促します。

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【訃報】ジョージ・ホイットモア逝去

 新年早々の訃報です。ヨセミテ、エルキャピタン・ノーズの初登者であるジョージ・ホイットモア(George Whitmore)が1月1日、カリフォルニア州のホスピス施設で、新型コロナウイルスによる合併症で亡くなりました。89歳でした。

George Whitmore, one of the first climbers to reach the top of El Capitan, dies at 89 by SFGATE.com 2021.1.2

 Whitmore-trio

エルキャピタン・ノーズ初登直後のショット。左からウォレン・ハーディング(2002年死去)、ウェイン・メリー(2019年死去)、ジョージ・ホイットモア

 ジョージ・ホイットモアは1931年カリフォルニア州フレズノ出身、カリフォルニア大学サンフランシスコ校で薬学を専攻しました。学生時代にクライミングに出会い、大学を卒業後はアメリカ空軍に従軍。退役後、まさにヨセミテではハーフドームが登られ、ウォレン・ハーディングがノーズ登攀を手掛けていた時でした。

 ノーズ初登はもともとのメンバーが次々と諸事情で脱落、残ったウォレン・ハーディングがウェイン・メリーを誘い、さらに2人が仲間に誘ったのがジョージ・ホイットモアでした。

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ハンス・フローリンと対談する晩年のジョージ・ホイットモア

 ホイットモアはノーズ初登において大型アルミ製ハーケンの製作、大量のボルトの荷揚げなど、登るだけでなく多方面にわたりノーズ初登を支えていました。

 同じく1970年代にはツォラミ・メドゥズのカテドラルピーク登攀など生涯にわたりクライミングを続ける一方、薬剤師として生活しながら環境保全にも力を注ぎ、1984年には「カリフォルニア自然法」成立のためロビー活動に活躍しました。

 奥様ナンシーの談話では、コロナウイルスに罹患する前まではとても元気な様子で死去が信じられないとのこと。最期の様子はGrippedで報道されていますが、紹介は割愛します。

『何かで、世界で活躍したかった』それがジョージ・ホイットモアの生前の願いでしたが、エルキャピタン・ノーズ初登という登山界に一大衝撃を与えたクライミングによって、後の世代のクライマー達に影響を与えたことは、十二分に「世界で活躍した」といえるでしょう。

 偉大なクライマーの死去に、哀悼の意を表します。

 

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ノーズ初登の記録本として引っ張り出した、ウォレン・ハーディング著『墜落のしかた教えます』。

同書の後半には、当時のアメリカ登山界の有名人をぶった斬った「ダウンワード・バウンド式ゾーン・システム」という、10段階でクライマーを批評した頁があるのだが、ここでのジョージ・ホイットモア評を紹介しよう。もちろんウォレン・ハーディングの毒舌スパイス入りである。

『ジョージ・ホイットモア ゾーン7

 彼の唯一の現実的な欠点は、驚くほど神経質な点だ。以前は卑しむべきバッツォ(注・ウォレン・ハーディングのあだ名) (及びそれに類した連中)と付き合っていたが、後に賢明にも、経済的、感情的にもっとも安全で、合理的に山を楽しめる仲間と付き合うようになった。』

 「ゾーン7」とは、「今はまったく登攀をしていない過去の人物。今ではまじめに家庭生活にいそしむとか、仕事に打ち込むとか、野鳥でも眺めている人。」

 ちなみに「ゾーン1」は、やたら説明が長いので省略するが、「(略)・・この連中はロッククライミングのことになると、まるで何か深い宗教的あるいは政治的な内容であるかのように(略)狂信的な考え方を持つ傾向がある(略)」 という人物で、同書ではロイヤル・ロビンス、シュイナードがゾーン1に該当する。

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【訃報】ハミッシュ・マッキネス逝去

イギリスの重鎮、ハミッシュ・マッキネス(Hamish Maciness)が11月22日、亡くなりました。90歳の生涯でした。

Hamish MacInnes, Scotland's greatest ever climber, dies at 90  by The scotsman 2020.11.23

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晩年は尿路感染症のため精神障害(せん妄)に苦しめられ、さらに認知症と誤診されるなどの悲運も重なりました。

ハミッシュ・マッキネスといえば、オールドクライマーの皆様には何といってもアイスクライミング用ピッケル、ハンマーでおなじみでしょうか。

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 十代の頃から家を建築したり、自動車を一から自作するなどの発明家としての才能は登山活動・山岳救助活動でも発揮されました。

 初めて全金属製のピッケル、ハンマーを発明したことで知られていますが、地元イギリスでは出身地グレンコ―を中心とした山岳救助活動に尽力しました。

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 特に山岳救助用のストレッチャーの開発に力を注ぎ、「ハミッシュ・マッキネス」の名が付けられたストレッチャーが幾つも生み出され、『山岳救助の父』とも呼ばれる一方、したたかな登山家として「グレンコーの狐」とも異名を持ちます。

 その卓越した登山技術から、映画『アイガー・サンクション』、『ミッション』の技術指導も務めました。

 またミステリー作家としての顔を持ち、幅広く活躍した登山家でした。

 偉大な登山家の死去に、哀悼の意を表します。

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パラゴの子はパラゴ

 近隣での石油掘削プロジェクトで揉めている、フランスのフォンティーヌブロー。

 その森と岩場の美しさと共に、フランス登山界の重鎮・故ロベール・パラゴの足跡をたどる動画が公開されました。ロベール・パラゴが拓いた岩場を登るのは、その息子であるクリスチャン・パラゴ。

 動画開始15分38秒からは、ロベール・パラゴの貴重な画像でその登山人生をふりかえる構成になっています。

どうぞご覧あれ。

 

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アダム・オンドラは何を食べているのか

世界でも名だたるトップクライマーである、チェコのアダム・オンドラ。

彼の食生活の一端が、チェコのスポーツ紙で明かされました。

以下引用開始
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クライマー、オンドラの食事:中国からのインスピレーションとアルコールの危険性
6330094_ アダムオンドラは世界でも最高のクライマーの一人です。彼は4回にわたり世界チャンピオンに輝き、カナダ最難の「Disbelief 」を初登、ヨセミテのドーンウォールを記録的な速さで完登しました。彼によれば、伝統的な中国医学に基づいた食事が、信じられないほどのパフォーマンスを発揮するのに役立っています。

 アダム・オンドラにとって体を作り、最良の成果を達成するためには、適切な栄養が非常に重要です。 「トレーニングそれ自体が数パーセントしか左右せず、その数パーセントでさえ、食事に左右される」と彼は言います。何年にもわたり食事法を試した後、彼はついに伝統的な中国医学に出会いました。彼のメニューは現在どのようになっていますか?

あなたは様々な食事療法を試みるのが好きだと知られています。歳月と共にどのように変化しましたか?

 私の食事内容は、ここ数年で大きく変わりました。子供の頃は食事にかなり問題を抱えていました。両親は私にタンパク質を摂取させることができませんでした。私が肉や乳製品が好きではなかったからです。野菜や果物に対して好き嫌いを示したことはありません。 16歳の時から栄養学に興味を持ち、「実験」を始めました。極端なことはしませんでしたが、例えば生の食べ物を試しました。しかしすぐに、それは私の体質に合わないことに気づきました。現在、私の食事は伝統的な漢方に基づいています。つまり、私の体質に合うように食事を摂っています。

それはどういう意味ですか?

 中国医学によると、6つの要素があります。「風・寒・湿・熱・暑・燥」です。あなたの体質がどんなタイプかに応じて、食べるべきです。私は「冷たい」体質です。それが、私がとる食材のほとんどが冬季間に調理される理由です。私はナッツ類、チェコのザワークラウトのみ生で摂取します。そうでない場合は、韓国産キムチを用意しています。」

この食べ方のメリットは何ですか?

 伝統的な中国医学に基づき食べることは、私にとって本当に体質に合っていることがわかりました、十分なエネルギーを保ち、気分が良いんです。冬に熱処理された食物を多く消費しているという事実は、私の「冷たい」体質に「熱」の快適な感覚を与えます。食品と適切なスパイスを組み合わせ、特定の乳製品を省くことも重要です。

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クライマー、アダム・オンドラは伝統的な中国医学の原則に従って食べる

自分の食事を自分で管理しているんですか?

 ここ数年は、伝統的な中国医学の専門家であるPavel Víchと協力しています。私も自分で学び、5つの要素(訳者注: 漢方の「陰陽五行説」と思われる)に従い食べることについて、スロバキアの専門家であるPetr Planietaに栄養のことを相談しました。 Tomáš Soukup博士の支援を受け、メニューを微調整しました。それは今でも伝統的な中国医学の考え方に沿っていますが、代謝をさらに促進するために、炭水化物とタンパク質の比率のバランスを取り、「何を」「いつ」食べるかを明確にしました。

数日かけて大岩壁を登っているときも、この食事法ですか?

 たとえば、吊り下げられたポーターレッジで寝るような大岩壁でこの食事法を続けることは難しいでしょう。でもそんなことはめったにありません。正直、私が壁で一夜を過ごしたのは、3年前のドーンウォールが最後でした。その場合、持ち運びが非常に簡単な乾燥食品を食べることになります。車の中なら、自分のキッチンがなくても、いつもの食事をとることができます。家よりも料理が好きなんです。

あなたのパフォーマンスにとって、食事はどれほど重要ですか?

 私は果物、野菜、豆類、穀物、高品質の肉など、本物の食材を調理します。食事をパフォーマンスの重要な部分として認識してますし、最高のパフォーマンスを発揮するために岩場に行きます。だからこそ、慣れ親しんでいるものを食べることが重要です。そうすることで、自分のパフォーマンスを可能な限りサポートすることができます。運動それ自体によって、ほんの数パーセントを左右することが起こり、さらにそれらの数パーセントは食事に左右されるかもしれません。残念ながら私たちの食生活や生活は人工物質、添加物などにまみれています。「本物の」食べ物は何でも健康につながると思います。

あなたはいつも自分の食事を調理しているんですか?

 それを楽しんでいますが、かなり時間がかかります。でも、それが理にかなっていることもわかっています。

アルコールの方はいかがですか?競技後の一杯としてビールを飲んだりすることはありますか?

 私はバランスの取れた食事の一部として、アルコールを摂取しています。基本的に同じことです。主に水、ミネラルウォーター、朝は特別な黒プーアール茶を飲みます。ただし、コーヒーや他のカフェイン入り飲料は避けています。甘い飲み物は一切飲みません。私も年に数回はアルコールを口にしますが、多くの場合それはワインです。真剣にトレーニングに励んでいるときは、ビールやワインが1杯でも、その後の体調に悪影響を与える可能性があります。ですから、ハードトレーニング期間中はアルコールは全く飲みません。
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以上引用おわり

というわけで、東欧・チェコのアダム・オンドラの食事の秘密は中国医学にあり、でした。

今やコロナウイルス第二波でクライミングジム閉鎖はもとより、国全体で感染者数がヨーロッパでも最悪と言われるチェコ。アダム・オンドラの食事法がうまくいきますように。

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東西統一を越えたクライマー

10月3日、東西ドイツ統一から30年。

ドイツの左派日刊紙『タズ』の昨年の記事ですが、『エルベの砂岩』開拓者として知られるBernd Arnold(ベルント・アルノルト)をとりあげてみます。

Über Grenzen gehen by Taz.de 2019.7.29

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限界を越えて

 ベルント・アルノルトは、世界最高のクライマーの1人です。アメリカからもクライマーが訪ねてきました。ベルリンの壁が崩壊してから30年 ー GDRスポーツ特集。

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ベルント・アルノルトは空を見上げます。 彼はハンチング、丸メガネ、鮮やかなスカーフを着用します。
アーノルドは今もクライミングを続けていますが、最近では孫娘と一緒に登っています。写真:dpa

 東ドイツ国務院議長ヴァルター・ウルブリヒトが作ったスローガン「どこでも誰でも、週に数回のスポーツ」は、東ドイツの高度に偽装されたドーピングまみれの競技スポーツ、「トレーニングスーツの外交官」だけでなく、「アウトドアスポーツ」愛好家のための隠れ蓑でもありました。多くの人々がこのスローガンを高く評価しました。イデオロギーと壁に囲まれた社会主義の日常生活から逃れる、数多くの創造的な個人主義者のモットーでした。

 72歳ながら、ベルント・アルノルトはまだ現役です。おそらく旧東ドイツで最も有名なクライマーであり、60年以上にわたり岩場で活躍しました。多くの山友のように、彼はドイツ社会主義統一党政権下で、岩場で個人の自由を楽しみました。

 彼は、今日まで住んでいるエルベ砂岩山脈のホーンスタインで生まれ、ロッククライミングを学びました。子供の頃、遊び心から砂岩にとりつき、後に現在まで続く「人生の情熱」となりました。エルベ砂岩山脈には900以上もの初登ルートを作りました。

 南チロルのラインホルト・メスナーはかつて彼を次のように称賛しました。「ベルント・アルノルトは間違いなく世界最高のクライマーの1人です。」1970年代から80年代にかけて、アルノルトはザクセンでのクライミングの難易度を上げ続けました。

 サクソンスイスはフリークライミングの発祥地です。アルノルトは1999年に出版した著書「Zwischen Schneckenhaus und Dom (カタツムリの殻と大聖堂)」で次のように記しています。『狭い砂岩の岩場を知りつくしていたので、これまでのところ、日常生活にはうまく対応し、逆境を乗り越えることができました。』

 よく見かける彼の裸足でのクライミングも伝説的です。痛みに鈍感な場合は、それが利点にもなります。素足で岩をより良く感じることができるからです。もちろん、敏感な足ならば、そんなことはできません。しかし現在のクライミングシューズのラバーソールは、自分の素肌よりもはるかに優れた摩擦を持っていることも明らかです。

P2_20201004000001 ドレスデンの学生で熱狂的なクライマーであるリンダは、次のように述べています。「若い世代の私たちにとっては、ベルントは思想的にも偉大な指導者です。個人的には、彼が裸足でハイレベルなルートを登るのはとても印象的です。もちろん、ギスベルト・ルートヴィヒ(Gisbert Ludewig)のような優れた同世代の方もいます。」

 アルノルドは未だ健在です。孫娘のヨハンナと一緒に地元の岩を登るツアーに参加していました。彼は4人の孫をとても誇りに思っています。もちろん、大自然の中でクライミングを通じてスポーツを彼女達に教えました。

「ここエルベ砂岩山脈からチェコ共和国のボヘミアまで、このような美しい自然がどこにありますか。限られた地域でも、多様な風景を体験できます。」アルノルトにとって、登山は「常に人生の学校であり、自己発見の方法でした」。

 旧東ドイツ時代、アルプス山域からだけでなく、アメリカからもクライマーがエルベ砂岩山脈に来訪、アルノルドと競い合いました。最初の一人は1972年、フランス人ジャン・クロード・トロワイエでした。クルト・アルベルトとウォルフガング・ギュリッヒが後に西ドイツから来ました。彼らは、当時東部地域の山に登ることしか許されていなかったベルント・アルノルトや仲間の優秀なクライマーに、最新のロープ、登攀用具など優れた装備を持ちこみました。

 一方、東ドイツ当局が拒否したため、彼は西側諸国のクライマーの無数ともいえる招待に応えることができませんでした。それは彼を非常に苛立たせ、州首長だったエーリッヒ・ホーネッカー(訳者注:後の東ドイツ書記長)に抗議の手紙を書いたほどです。多数のシュタージ文書(訳者注: 東ドイツ秘密警察の機密文書)が示すように、個人主義者が集う東ドイツのクライマー達は疑惑を持たれて監視下にありました。

 当時、小さな印刷業を営んでいたアルノルトは、クラブに所属する競技アスリートのような公的な支援無しにトレーニングを行い、自分達でウエイトトレーニングを行うための装置を作りました。

 1984年。北朝鮮の国家主席であり飛行機が嫌いなキム・イルソンは鉄道で東ドイツを訪れ、車窓からスイスサクソンで幾人ものクライマーを目にしました。1985年、アルノルトを含む東ドイツからの登山代表団が北朝鮮に招待されました。そこで彼らは「金剛山脈」で最も困難なクライミングを行うことができました。

 1986年、アルノルトは驚くべきことに、オリンポス山山麓で開催さ​​れた世界平和評議会のイベントに出席するため、ギリシャ旅行が許可され、メテオラでのクライミングを果たします。1987年、ミュンヘンでウォルフガング・ギュリッヒとハインツ・ザックによる著書のプレゼンテーションを行い、そこで彼はラインホルト・メスナー、1950年代にザクソンから西側に亡命したアルピニストのディートリッヒ・ハッセ(Dietrich Hasse)とハインツ・ローター・シュトゥッテと面会できました。

 そして1988年、41歳でクライマーとしての絶頂期、架空の叔父の記念日を口実に西側に招待された際、滞在期間を利用してクルト・アルベルトら含むパキスタン・カラコラムの大規模な登山隊に参加しました。

 しかし、アルノルトは登頂に成功後、クレバスに落下しました。出血を伴う骨盤骨折を負い、急性腎不全も併発、生命の危機に陥りました。幸運にも救助されドイツに帰還、ミュンヘンの病院に入院し、そこで彼は何週間も過ごすことになりました。回復後、彼は妻のクリスティンと娘の待つ東ドイツに戻りました。「ええ、山仲間の多大な支援のおかげで、死の淵から這い上がったんだ」と彼は人生で最も困難な局面を振り返ります。

 アルノルトはクライミング生活の中で様々な危機を生き延びてきました。数年前から、彼はより意識してクライミングしています。肩、肘、骨盤や脊椎の骨折、2018年の背中の手術、その後遺症は行動範囲を制限します。アルノルトも年をとったのです。

 ベルリンの壁が崩壊し、それに伴い無限の自由がもたらされてから数年後、アルノルトは数多くの山の夢を実現しました。アルプスからパタゴニアにいたるまで。

 1989年以降、印刷業を閉め、ホーンシュタインとバードシャンダウに2つの登山用品店を設立、現在もクライミングの専門家、地元の岩場のツアーガイドとして、「選ばれた形」で旅を続けています。「参加者は東側と西側の人々が半々」多くの人との出会い、多くの友情を大事にしています。

 ドレスデンで毎年開催される「Bergsichten」フェスティバル(訳者注 : 山岳アウトドア映画祭)で、2017年11月にアルノルトは、クライミングに関して個人的に望むことを尋ねられた際、「サクソンのクライミングが、始まった頃のままであってほしい。それが私のルーツだから。」と語った。

 一方で、「変化から自分を閉ざすことはできず、それに向き合わなければならないのは当然のことです。変化が起きることは多くの人にとって困難であるとしても、変化に直面することは必要になるでしょう。しかし、他の人が登る機会を否定するのは エゴ です。」 彼はサクソン登山連盟(SBB)は「良い方向に進んでいる」と評価する。(中略)

 アルノルトは、本紙に対して壁の崩壊を「素晴らしい贈り物、そして何よりも、取り戻された自由の一部として旅行する自由がある」と話します。ただし「遠い目的地に移動するには、それなりの資金も必要」という制限が追加されました。1990年の再統一後、幾度も悩まされた彼はクライミングルートに「ドイツー吸収されたドイツ」と名付けました。アーノルドは今日まで批判的な精神を保っています。

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 東西ドイツ統一といいながら西ドイツに事実上吸収された形の東ドイツ。記事最後のアルノルトが名付けたルート名は『Deutsch-deutsche Vereinnahmung 』なのですが、意訳してみました。

 冷戦の狭間でキム・イルソン率いる北朝鮮に招待されるなど、数奇な運命をたどってきたベルント・アルノルト。国境地帯が舞台となるヒマラヤ登山のように政治に翻弄されるクライミングもあれば、政治体制に関わりなく、したたかにクライミング生活をおくるクライマーの人生がありました。

 統一から30年経過した今日、旧西ドイツ・東ドイツ市民の経済格差が埋まらない現状を、今日付の日経は大々的に報じています。

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ドメン・スコフィッチの生き方

 去る5月末、スロベニアのラドブリツァに、ヤーニャ・ガンブレットと彼氏のドメン・スコフィッチが共同で設立したクライミングジムがほぼ完成しました。
 前々からスロベニア・メディアにおけるヤーニャ・ガンブレットのインタビューでは「自分のクライミングジムを持ちたい」とコメントしていましたが、コロナ禍で五輪延期の騒動の最中、二人は着実に、自分達の人生の「プロジェクト」を完成に導いていたのでした。

 その詳細を、スロベニア地元紙SiolNETが報じています。

Janja in Domen sta nam odprla vrata svojega življenjskega projekta by SiolNET 2020.5.29

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ヤーニャとドメンが人生のプロジェクトの扉を開いた

記事執筆 Alenka TeranKošir
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 ヤーニャ・ガンブレットとドメン・スコフィッチは、家族の助けを借りて、ラドブリツァ近くのヴルニェ地区にクライミングジムを設立しました。ここでは、3種のクライミング全て(リード、スピード、ボルダリング)をトレーニングすることができます。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 新しいクライミングジムは、ラドブリツァ近くのヴルニェ地区に建てられました。クライマーとその家族らによる共同出資で作られたクライミングジムには、必要なものがすべて揃っています。

 雪で覆われた山を連想させるプレハブのクライミングジム(ドメンによれば、デザインをカラヴァンケン山脈最高峰のStol峰に似せたと説明した)は、スコフィッチ家のすぐ近くにあります。そのため、世界最高のスポーツクライマーであるドメンのガールフレンド、ヤーニャ・ガンブレットが一日のほとんどをここで費やしています。

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「箱型のオブジェクトをこのような環境に設けることはできません。景観を害しますし、私たちは自然と調和するものを作りたかったのです」と、ジム設立に重要な役割を果たしたドメンの父、パベル・スコフィッチは語る。写真:Peter Podobnik / Sportida

 新しいクライミングジム建設の構想は、少なくとも10年以上前には頭の中に生まれていた。2016年、2018年シーズンで世界3位となったクライマー、ドメン・スコフィッチは語る。

 クライミングウォールの設置と建設を手がけた機械工でありイノベーター(改革者)でもある彼の父、パベル・スコフィッチは、夢と理想を現実に変える役割を担いました。

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10年前、スコフィッチは自分のクライミングジム設立を密かに検討していました。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 ドメンは、これまでのところ約30万ユーロ(訳者注 約3700万円)がジムに投資されていると推定しています。彼らが父親と一緒にプロジェクトに費やした肉体労働は含まれていません。

 彼らは壁、建物の外観デザインを自分で描いた。「父はプログラミングを習得し、私たちは一緒に仕事を始めました。パソコンの前に座り、私に自分の考えを説明し、父はそれをすべて描きました」

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ヤーニャは、肉体的・技術的に負担の少ない作業でジム建設を支援します。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 箱型の建物はそのような環境には属していません。バベル・スコフィッチは、構造物の最終的なイメージと、屋内に設営されたもの、内側の見えない内装すべてを誇りに思っています。彼はすでに建築家から賞賛の言葉を受けたと言います。

「このような環境では、構造物を靴箱の形に置くことはできません。景観を害しますし、機能的ではありません。私たちの風土・自然に調和するものを作りたかったのです」と彼は説明する。形状も、建物は近くの森の形に似ており、周囲からの突出物は最小限に抑えられています。

 ジムは未開発の土地に建てられ、スコフィッチは同じ地区で他の土地と交換することに敷地を取得しました。

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2018年にクライミングジムが建設される前の土地  写真:AnaKovač

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...そして今日、2020年5月。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 彼らは、スポーツ、観光、地域の環境をクライミングジムに結び付けたいと考えています。クライミングジムの後ろには、干し草小屋が立ち、登山者がリラックスして交流できる広大な土地があり、近くに宿泊施設も備えた観光農園もあります。

ジムはいつ一般公開されますか? 完全に完成し、「役者が揃った時」です。

 ヤーニャとドメンがジム公開日を決めるとバベル・スコフィッチは言いますが、ジムが本当に完成し、2人がそれを誇らしく思えることができるとき、そう彼は付け加えました。

 当初、センターは10月に開館予定でしたが、コロナウイルスのパンデミックにより遅れるとドメンは言う。一方で、すべてのクライミングジムが閉鎖された今、ボルダリング壁をより早く完成させたことは、コロナ危機の中でも心強いものでした。

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 スロベニアでの流行が宣言される数日前に、ドメンはボルダリング壁にホールドを集中的に設置し始めました。 「しばらくはどこにも行けなくなるような気がした」と彼は言う。写真:Peter Podobnik / Sportida


「スピードクライミング用の壁はコロナ危機の前に設置されました。コロナ危機の間、私たちはボルダリング壁にホールドを素早く設定し、スムーズにトレーニングすることができました」

 難易度の高いクライミング用の巨大な壁(20m)もあります。これは世界最大ではないにしろ、スロベニアでは大型の人工壁の1つになるため、特別な存在となります。

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 室内にはスピードクライミング用の壁も備えています。室内壁としては2番目で、 1つ目はツェリェ、リュブリャナには屋外に1箇所あります。 写真:AnžeMalovrh / STA

 中央にスピードクライミング用の壁があり(スロベニアでは3箇所目、室内壁では2箇所目)は、ロマン・クライニクコーチの指導を週3回受けるガンブレットにとっては非常に有利になります

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コーチであるロマン・クライニクは、スコフィッチとガンブレットのコーチを務めているため、新しいクライミングジムの常連客です。 写真:Peter Podobnik / Sportida


以下、スロベニア最高のスポーツクライマーの1人であるドメン・スコフィッチへのインタビューです。

ドメン、クライミングジムを自身で建設することから何を学びましたか?

 (コロナで)自粛中でしたが、私たちは多くを学びました。機械工をしている父も含めてね。

 その場で多くのことを学び、臨機応変に多くのことをうまくやり遂げました。今では設計図に書いていたものよりもずっと気に入っています。非常に魅力的であると思います、私はそれぞれの新しい壁を誇りに思っています。

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「建設中に、その場で多くのことを学びました。私たちは多くのことを臨機応変に行い、良い結果が得られました。今では設計図よりももっと気に入っています」 写真:Peter Podobnik / Sportida

自粛中は、ヤーニャと別の場所でトレーニングをしていましたか?

 いいえ、ここですべてのトレーニングを行っていました。興味深いことに、コロナ流行が宣言される前でも、しばらくはどこにも行けないような不思議な気持ちになっていました。私の感覚が正しかったと思っています。

(コロナ)検疫開始の2〜3日前から、いつでもトレーニングができるようにホールドの設置に熱心に取り組みました。新しいホールドの唯一の欠点は、皮膚が早くすりむけることです(笑)。

あなたはどの位の時間をジム建設に費やしたんですか?

え~と、少なくとも10年。子供の頃、私は地元の小学校のあるラドヴリツァでクライミングを練習し、週3〜4回のトレーニングでは不十分でした。もっとやりたくて、家の地下室に小さな壁を立てるように父にせがみました。それが全ての始まり、自分のジムの欲求はどんどん大きくなっていきました。

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「自分の大好きな事で十分に経験を積み、すべての人生をクライミングに繋げたいと思っていました。いつか実現できればいいんです。」 写真:Peter Podobnik / Sportida

それで自分のクライミングジムを思いついたんですが、選手生活を終えてから指導を始めようと思っていました。

私の家族、特に父が私の願いをすぐに聞いてくれたおかげで、私たちはより早くジム建設に着手し始めました。

同時に、ヤーニャと彼女の家族がいなければ、少なくとも不可能だったと言えるでしょう。今現在ヤーニャと私は選手生活に完全に集中しており、すぐに引退するつもりはありません。

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 今シーズン、少しでも機会があればリード部門だけで競います。このクライミングの分野では、彼は2016年シーズンで世界最高でした。 写真:GregaValančič/ Sportida

もし今シーズンなら、今シーズンはどう思いましたか?出場しますか?昨年、ワールドカップの後、人工壁の競技場であなたを見ることができませんでした。

 今年、私はリード競技だけに出場することにしました。今シーズンはベストを尽くせるようトレーニングしています。それができなければ、次のシーズンに備えます。

 現代のクライミングのスタイルに学ばなければならないことが、たくさんあります。特に壁に沿ったダイナミックな動きに関して、多くの革新があり、それが常に課題を生みます。スポーツは常に変化するので、興味深いことです。すでにすべてを知っていると思っていると、それが真実ではないことに気づきます。

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 私はパンデミックの時期が役立つと信じています。私は自分自身に新たな挑戦を課します。モチベーションが枯れることはありません。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 しかし、私は自分の進歩に満足しています。多くのことを学びました、ここヴルニェには本当の平和があり、パンデミックの時が私にとって役立つと信じています。

 過去の動画を分析して、自分のミスからも学びます。自分自身に課題を設定します、どんな長期間であろうとモチベーションが枯れることはありません。

主催者がスロベニアで今シーズンのコンペをキャンセルしたとき、失望しましたか?競技はストチツェで行われる予定でした。

 とっても。このコンペのために意欲が高まっていました。しかし、主催者の決定を理解しています。無観客でコンペが行われるならば、キャンセルされて当然です。

 しかし、今は自分の立ち位置を確認するためにコンペに出たい。現時点では、トレーニングとジム、人生のプロジェクトに重点的に取り組んでいます。自分にとっては素晴らしいことです。

すべてが何かのために役に立っています。私たちはジムでさらにトレーニングを重ねます。でも、秋には外岩に戻りたい。スペインには未完成のプロジェクトがたくさん待っています。それまでに国境が開かれることを期待しています。

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五輪延期の混乱で、各種競技の選手達の困惑が伝えられている一方、「パンデミックの時期が役立つ」と言い切るドメン・スコフィッチ。

コロナ禍で前例の無い登山を模索する私たち凡庸な登山者にも、一石を投じる生き方ではないでしょうか。

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2020年ピオレドール生涯功労賞は、

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フランスのカトリーヌ・ディスティベルに決定した模様です。

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