サーシャ・ディジュリアンは何を食べているか

アメリカのトップクライマー、サーシャ・ディジュリアン(Sasha DiGiulian)。

Sasha
彼女の食生活の一端が紹介されました。

What’s Cooking: How Climber Sasha DiGiulian Stays Fueled by ASN 2019.1.23

以下引用開始
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クライマー サーシャ・ディジュリアンは何を食べているか

世界チャンピオンは、遠征中の健康維持のヒントと、お気に入りの超シンプルなスナックレシピをシェアします。

取材:ケイリー・ブラッドストリート(Kailee Bradstreet)

 サーシャ・ディジュリアン(26)は、ロッククライミングの世界ではすでに著名な経歴を誇っています。

 19歳の時には、ケンタッキー州のレッドリバーゴルジュで最も困難なルート(5.14c)をアメリカ人女性として初めて登りました。2017年には、マダガスカルで12ピッチのルートである『Mora Mora』5.14b(8c)から、1999年の初登以来の再登を記録しています。

 最近、ディジュリアンは足首を骨折していたにも関わらず、活動意欲は衰えていません。既に社会的な名声も得た彼女は、制限された環境下においても粘り強くトレーニングを続けてきました。
 私たちは世界チャンピオンに取材し、彼女がどのようにトレーニングし、栄養を補給し、コンディションを整えるために何を食べているかをたずねました。

Q.食事に関する、あなたのポリシーは何でしょうか?特定の考え方や、それに基づいているのですか?

 私は適切に、様々な情報を信じています。主に繊維質が高めの植物性食品、赤身の蛋白質 - チキンとサーモン - を使って、栄養を補給しています。でも赤ワインとクッキーも楽しみますよ。

 特に力を入れてトレーニングするときは、自身に対してそれほどストイックにはなりません。より総合的に - 排除するのではなくて - 食事を摂っています。何より、一日を通して十分な蛋白質と野菜を摂取していることを確かめています。

Q.トレーニング時の食習慣はどんなものですか?トレーニングの中断時には何か変わりますか?

 Pazio Institute (訳者注:民間の健康サポート機関) のスポーツ栄養士であるアレックス・パチノポロスに指導を受けています。習慣としては、朝にレモン、ミント、そして温かい水を最初に口にします。

 ヨガの前または後に緑茶と野菜のスムージーを飲みます。戻ってから朝食をとります。典型的なメニューは、プロテインパウダー入りオートミール、またはフルーツとグラノーラ入りギリシャヨーグルトです。

 一日のうち、日中にトレーニングします。だいたい12時から午後4時にかけてですね。トレーニングの後、プロテインを摂取して、通常は午後7時ごろに夕食をとります。

Q.トレーニングに関しては、食事はどのくらい重要ですか。また、どの程度に柔軟に対応していますか?

 私が自宅にいるときは、かなり自己管理としています。けれど私は遠征に出ることが多いので、厳格な習慣づけは困難です。

 いつもProTecのフォームローラーを携帯して遠征に出ています。出先で必要なものを揃えるのは難しい場合がありますから、Green Vibranceパウダーや同様の製品も一緒に持って行きます。パーソナルブレンダー(訳者注:小型のミキサー)を持ってきます - 私は最近BlendJetを買いました。

 トレーニングは4~8時間、週に5~6日トレーニングし、ほぼ毎日ストレッチを行います。週に3回はヨガを行い、週に4~5回はカーディオ(エアロバイク等を使用した有酸素運動)を行います。

Q.岩場に行く時の食事や行動食は何ですか?その理由は何ですか?

パーキージャーキーPerky Jerkyは、高蛋白で美味しいので、私にとって満足な行動食です。

サーシャのナッツ・オーツ・ハニーバー

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私はよく自分でナッツバーを作ります。ナッツとオート麦をベースにして、デーツ(ナツメヤシ)や蜂蜜で固めてます。

材料
- カシューナッツ 1カップ
- オート麦1カップ
- プロテインパウダー2杯(以前はPaleo Proを使用していました)
- レモンの皮 大さじ2
- ココナッツオイル 大さじ2
- ココナッツフレーク 1/4カップ
- 乾燥スグリ 1/4カップ
- ドライクランベリー 1/4カップ
- メープルシロップ 大さじ1
- 蜂蜜 1/2カップ

作り方
- 材料をすべてフードプロセッサーに入れて砕きます。
- 一緒に鍋に入れます。
- 冷凍庫に保管して、エネルギー補給が必要なときに使って下さい!

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以上引用おわり

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ガンブレッツ家の人々

スロベニアの一般日刊紙DELOが、ヤーニャ・ガンブレッツの家庭について報道しました。
昨年12月、スロベニアのスポーツジャーナリストの投票により推薦される「最高アスリート賞」を、2位以下を大きく引き離す大差で受賞したヤーニャ・ガンブレッツ。スロベニア国内でも大きく名前が知られるようになりました。

そんなヤーニャ・ガンブレッツ、料理を始めたのは彼氏の影響だとか。

Janja Garnbret: Sezuta plesalka, obuta plezalka by Delo 2018.12.23

以下引用開始
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母、父と共に Photo by Tadej Regent

 インスブルックのW杯クライミングチャンピオンに輝き、メディアの注目を集めた2つの金・1つの銀メダルの勝者は、まだ仕事をしていた母・ダリヤと父・ビリヤのためにランチを作っていました。

 メニューはパスタとたっぷりの野菜です。 「今まで料理はしたこと無かったんです。私はランチ好きですよ。ドムン(ドムン・シュコフィセム、ヤーニャのボーイフレンドでありトップクライマー)がとても料理好きだったんで、影響を受けました。」 と語るのは、スポーツクライミング世界選手権の覇者。彼女は料理するだけでなく、洗い物から片付けまでこなします。

 小さい頃から、彼女はいつも庭の木、キャビネット、フェンスをよじ登っていました。
 ある日曜日、ダリヤ・ガンブレッツは夫に頼み、自宅からほど近いスロヴェニ・グラデツ(Slovenj Gradec)の教会近くにあるクライミングジムを訪れました。娘は簡単に高いところまで登り、「他のクライマーの注目を引いた」と父ビリヤは回想します。

 ヤーニャは変わらず庭の木やフェンスを登っていましたが、地元のクライミングクラブに入会しました。「学校に通うと共に、週2回、クライミングの練習に通っていました。」初めの2年間は母ダリヤがスロヴェニ・グラデツまで車で送っていましたが、基礎を学び終え、ますますクライミングに入れ込むようになり、コーチ達も熱心に指導してくれました。しかし、夫婦はある選択を迫られました。

バスでトレーニング通い

 「私たち夫婦には選択肢が2つありました。ラヴネ・ナ・コロシュケム(Ravne na Koroškem)、またはヴェレニエ(Velenje)のどちらで彼女をトレーニングさせるか。私たちは二人ともゴレニア(訳者注・スロベニアに本拠地を置くヨーロッパでもトップの家電メーカー)で働いていましたから、ヴェレニエを選びました」

 ヤーニャは学校から戻って昼食をとり、宿題をし、それから家の近くのバス停で時間を確認します。母親と一緒にバスに乗るのは初めてでしたが、後に祖母が付き添うようになり、その後は1人でバスに乗るようになりました。そしてヴェレニエは絶好の場所であり、それは今後も変わることは無いでしょう。
 クラブの友人であるティヤサ・スレメンシュク(訳者注・W杯常連のスロベニア代表クライマー)はいつもバス停で待ってくれていました。彼女達は後にヴェレニエ高校で机を共にする親友となりました。7時過ぎ、トレーニングが終わる頃に父はヴェレニエに迎えに来て、母は彼女を家で待っていました。

 母ダリヤがふり返ります。若いクライマー達はコンペでサポートを必要としていました。
「彼女は普通のズック靴でコンペに参加していました。初めて行ったときのことを覚えています。他の親達はサンドイッチ、飲み物、果物を用意し、スポーツウェアを着ていました。私はハイヒールを履き、何も用意していませんでした。」ダリヤは笑って語ります。ヤーニャが最後から2番目の順位でコンペを終えたが、失望すらしませんでした。
「私と夫は娘がクライミングにそれほど向いているとは思いませんでしたが、コーチの皆さんはいつも彼女には才能があると言っていました」

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水の中の魚、壁の中のヤーニャ 写真:AFP

 そして快進撃が始まる。1戦目、2戦目、3戦目と優勝を重ねた。
 「コーチは私達に、遠方で開催されるコンペには出場しないようアドバイスしてくれ、近場で開催されるコンペで勝つ機会を与えてくれました。」
 ヤーニャ達は新しい場所、人々と出会い、深い友情を育んだ。「私達はプレッシャーを感じることも無く、楽しむことができました。そこで、私たちは移り住むことを決断したんです。」

ダンスかクライミングか?

 しばらくはクライミングシューズとダンスシューズを交互に履く生活でした。しかしダンスとクライミングの練習が重なり始め、彼女は決断を下さなければなりませんでした。
 「ダンスとクライミング、どちらを選ぶ?」
 「クライミング!」
 ヤーニャは迷わずクライミングを選び、13歳でユースチームの一員となりました。

(中略)

 学業は2年間休学しました。来年は日本の東京で開催されるオリンピックの予選と準備、それが今最も重要な課題です。

 「自分のクライミングジムが欲しいんです。私にはまだ仕事がありません。知識と経験を活かして、将来は若い選手が成功するのを支援したいと思っています。クライミングジムを設立したい」とヤーニャは語る。

休日にノートパソコンを使って

 ダリヤとビリヤは、長女ニケのおかげで孫にも恵まれました。もうおわかりのように、彼ら夫婦は6年にわたり休む間もありませんでした。3年が経ち、彼らは初めてそれを手にしました。「試合の進行状況を確認したり、宿泊先を確認することができるように、ノートパソコンを持つようになりました。」

 あなたがマクドナルドでヤーニャに会ったならば、彼女は何か仕事をしているのであって、食事のためにいるわけではありません。
  「私は健康的な食事を心掛けています。食事制限ですか? 私は甘い飲み物が好きではありません。最終的には、ビーガンになると思います。」ドムンがいるときは、2人一緒に料理をして、皿に何を盛りつけるかを考えます。 「時々、私たちは考え方が違ったりするので、どんな料理にするか話あったりします。」とヤーニャ。
 でも家に帰れば、彼女はこう言います。
 「お母さん、クルミのパラチンケ!」
(訳者注・パラチンケとは東欧全域で食されるクレープに似たパンケーキをさす)

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メダルを保管する場所が足りない自宅 Photo by Tadej Regent

 スロヴェニ・グラデツとヴェレニエ間の幹線道路沿いにある黄色の大きな自宅では、獲得したメダルを保管する場所が不足しています。
「彼女には新しい陳列棚が必要になってます」と、娘を誇りに思っていることを隠さない両親。
 しかし、全てのメダルやカップよりも、娘が幸せで笑顔で家に帰ってくることの方が大事なのです。
「家に帰ってきたとき、私たちを抱きしめるのを忘れないでね」
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以上引用おわり

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2018年 ピオレドール・ロシア、スチール・エンジェル賞決まる

 ロシア山岳連盟が選定する、2018年の「ピオレドール・ロシア」、旧ソ連圏の女性クライマーによるクライミングを表彰する「スチール・エンジェル」の表彰式が、去る12月1日、モスクワ中心街にあるテレグラフホールで開催されました。

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ロシア山岳連盟・ピオレドールロシア授賞式の会場

2018年のピオレドール・ロシアに選定されたのは、

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キルギスのキジル・アスケル南東壁に新ルートを開拓した、エジゲニー・ムリン、イラ・ペニャエフのペアに決まりました。

Pr2
今年はキジル・アスケル南東壁を登攀したパーティは2組ノミネートされていましたが、やはり新ルート開拓という点が大きなポイントだったようです。
2人のクライミングの模様は動画で公開されています。

旧ソ連圏の女性クライマー達によるクライミングを表彰する「スチール・エンジェル」2018年の受賞者は、
Pr1

Se1
 東シベリア・東サヤン山脈のオプティミスト峰北壁を初登したアリーナ・パノヴァ、エカテリーナ・レピナ、ナジェーダ・オレーニヴァの3名に送られました。
 なお本年からスチール・エンジェル賞は、ラトック1峰で墜死したセルゲイ・グラズノフを記念したグラズノフ基金から提供されています。

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【訃報】 ジェフ・ロウ氏、トム・フロスト氏 逝去

去る8月24日、登山史を彩ってきた2人のクライマーが亡くなりました。

The passing of two legends: Tom Frost and Jeff Lowe by Alpinist 2018.8.25

トム・フロスト(Thomas Frost )

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1961年ヨセミテでエイドクライミング中のトム・フロスト

ヨセミテの黄金期に活躍したトム・フロスト氏が癌のため、カリフォルニア州のホスピスで亡くなりました。81歳でした。
1961年にロイヤル・ロビンスと組んでエルキャピタンのサラテを初登。
1964年にはシュイナード他らと共にエルキャピタンのノースアメリカンウォールを初登。
1968年にはマッカーシーらと共にアンクライマブルズ渓谷のロータスフラワータワー南東壁を初登しています。

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1961年、CampⅣでビバーク中

ヨセミテの岩壁を登るために鋼鉄製のピトンが産み出されたエピソードではイヴォン・シュイナードだけが有名ですが、実はシュイナードと共にトム・フロストも製作に関わっています。
またヨセミテだけにこだわるでなく、ワールドワイドに活躍しました。
1963年にはジョン・ハーリンらと組んで当時モンブラン山群で最難といわれるエイドルートをフー南壁に開拓しています。
同年にエドモンド・ヒラリーと共にネパールヒマラヤのカンテガに挑み初登頂、1970年にはアンナプルナ南壁にトライ、1986年には後述のジェフ・ロウと共にカンテガに新ルートを開拓しています。
まさに「ヨセミテ流」で世界を駆けたクライマーでした。

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ジェフ・ロウ (Jeff Lowe)

クライミングの鬼才と呼ばれ、世界各地に難ルートを開拓したジェフ・ロウ氏は以前から筋萎縮症に似た未知の難病にかかり、車椅子生活が続いていましたが、トム・フロスト氏と同じく24日、亡くなりました。67歳でした。

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現役の頃のジェフ・ロウ氏

ジェフ・ロウ氏の足跡を書き綴ることはそのまま20世紀のクライミング史の一端を綴ることになりますが、コロラド州のブライダルベール初登など、アイスクライミング、ミックスクライミングの分野において才能を発揮してきました。
アイガー北壁の「メタノイア」開拓、また成功には至りませんでしたがジム・ドニーニらと組んだラトックⅠ峰北稜が知られているところでしょう。

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メタノイア開拓時のジェフ・ロウ

以前に当ブログでも書きましたが、ジェフ・ロウといえば困難なクライミング だ け が 取り沙汰されていますが、ビデオ『Alpine Ice』では初心者向けに地味な雪上歩行、滑落停止などの初歩の技術も実演、一般大衆向けに登山技術の啓蒙にも関わっていたことを強調したいと思います。

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晩年のジェフ・ロウ氏、孫のバレンティナちゃん、生活を共にしたパートナーであるコニー・セルフ氏と。

残念ながら晩年は筋萎縮症に似た全く未知の病にかかり、車椅子生活となりました。年々病状が進み、会話も困難になりi pad を使って他人とコミュニケーションをとる生活でした。私生活では離婚やクライミングギアの会社が行き詰まり順風満帆とはいえない人生でしたが、亡くなるまでの8年間はパートナーであるコニー・セルフに献身的に介護してもらい、時には電動車椅子で孫のバレンティナちゃんと共に山を訪れる、穏やかな暮らしだったようです。

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8月24日、2人のクライマーが世を去りました。
2人の共通点は、卓越した才能だけでなく、クライミングギアの開発に積極的に関わり、登山界に貢献したこと、そのクライミング技術をもって登山史を自ら綴ってきたクライマーであるといえましょう。

トム・フロスト、ジェフ・ロウ、二人の偉大なクライマーに哀悼の意を表します。

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ラトックⅠ峰、北稜は未踏のまま第二登さる

先日掲載したイギリス・スロベニアのクライマーらによる、ラトックⅠ峰の第2登の詳細が明らかにされました。

Po 40 letih neuspešnih vzponov Česen, Stražar in Livingstone prvi na Latoku 1 s severne strani by Planinska zveza Slovenije 2018.8.17

8月5日深夜に北稜に取り付いた3名は北稜を3分の2まで登ったところでラトックⅠ峰・Ⅱ峰のコルに進み、ピークをまわりこんで第2登に成功したものです。

ラトックⅠ峰・Ⅱ峰のコルに進んだという情報が先走り、supertopoや東欧のクライミングサイトで推測によるルート図が出回っていましたが、上記リンクのスロベニア山岳協会が発表したルート図がこちらになります↓

Latok_2

今回のクライミングについて、イギリスのトム・リビングストンが「我々は北稜を完登したとはいえない。目指す者がいれば、北稜はまだそこにそびえています。」とコメントしています。

La norte del Latok 1 sigue sin haber sido escalada by Desnivel 2018.8.18

途中から北稜を離れたとはいえ、それで難峰ラトックⅠ峰第2登というクライミングの素晴らしさが損なわれることはないでしょう。

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ルートを探るアレシュ・チェセン (トム・リビングストン撮影)

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北稜に点在するキノコ雪に幾度も悩まされながらの登高(アレシュ・チェセン撮影)

3名は日曜19日に帰国予定。さらに詳細なレポートが公開されるでしょう。

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ラトックⅠ峰北面、陥つ

まだ詳細なルートは公表されていませんが、アレシュ・チェセン(スロベニア)、ルカ・ストラザール(スロベニア)、トム・リビングストン(イギリス)の3名がラトックⅠ峰北面の登攀に成功と報じられています。

Latok I zdobyty od północy! by Wspinanie.pl 2018.8.13

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ラトックⅠ峰北面登攀に成功した3名 左からアレシュ・チェセン、トム・リビングストン、ルカ・ストラザール

同峰はトマス・フーバーも狙っており、インタビューで「温暖化の影響で夏の遅い時期が登攀の適期」と答えていたのが印象的だったのですが、スロベニア・イギリスの若手チームが先んじたようです。
詳細なルートの公表が待たれます。

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ピオレドール2018にシスパーレ隊選定さる

本家ピオレドール2018に平出・中島ペアのシスパーレ、チェコのマレク・ホレチェクらのガッシャブルムⅠ峰南西壁新ルート、フランス髭トリオのヌプツェ南西壁新ルートの3隊が選定された模様です。

Złote Czekany. Znamy nagrodzone przejścia! by Wspinanie.pl 2018.8.1

Shispare
平出・中島ペアのシスパーレ北東壁

Gasherbrum
チェコ隊のガッシャブルムⅠ峰南西壁新ルート

Nuptse
フランス隊のヌプツェ南西壁新ルート

さらに審査員特別賞として、
N1
アメリカ隊のニルカンタ南西壁

Alexhonnold
ヨセミテ他アラスカ、南極で素晴らしいクライミングを展開したアレックス・オノルドが選ばれました。

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2018年ピオレドール生涯功労賞に、アンドレイ・シュトレムフェリ

今年はフランスを離れポーランドで開催されるピオレドール。
2018年の生涯功労賞に、スロベニアの重鎮であるアンドレイ・シュトレムフェリ(Andrej Štremfelj)が決まりました。

El esloveno Andrej Stremfelj, Piolet de Oro 2018 por el conjunto de su carrera by Desnivel 2018.6.12

1956年スロベニアのクラーニ出身、ユーゴスラビア時代の1977年にユーゴスラビア登山界の『伝説』ナイツ・ザプロトニクと共にガッシャブルムⅠ峰南西稜新ルートから登頂、1979年にはエベレスト西稜ダイレクト、1990年には今度は奥様のマリヤ・シュトレムフェリと二人でエベレスト登頂(夫婦一緒の登頂は世界初)、そして1991年にはカンチェンジュンガ南峰南稜をアルパインスタイルで、マルコ・プレゼリと共に登攀、92年のピオレドール受賞に輝きます。

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プレゼリと共に登っていた現役バリバリの頃のシュトレムフェリ

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若き日のシュトレムフェリとプレゼリ。
このカンチェンジュンガ南峰登攀では、

シュトレムフェリ 「あれ?ロープは?」
プレゼリ 「テントに置いてきちゃったあはは~ん」
(詳しく知りたい方はBernadette McDonald著 『 ALPINE WARRIORS 』 読んでくだされ)

というような感じで、若き日のプレゼリをリードして登る旧ユーゴ時代からのベテランクライマーでした。
たしかだいぶ以前のロクスノで、来日した際の記事を掲載していたはず。
奥様のマリヤさんがトモ・チェセンについて「トモって変な人なのよ」とコメントしていたのが私にはエラい笑激あいや衝撃的な記事でした。

ヴォイティク・クルティカに続いて東欧諸国、登山大国である旧ユーゴ時代から活躍していたアンドレイ・シュトレムフェリが選ばれたことは大いに支持したいと思います。

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アメリカ日記 ジョシュアツリー国立公園にてクライミング

社員研修4日め。
ロサンゼルスでのフリータイムで単独行動をとらせてもらい、ジョシュアツリー国立公園でクライミング。
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計画立案段階でまず問題だったのは、宿泊地であるロサンゼルスのダウンタウンからの「足」がないこと。
フリータイム当日は日曜日なので、レンタカー会社も休日か営業時間が極端に短い。

そこで目を付けたのが、24時間体制でダウンタウンとロサンゼルス空港を結ぶシャトルバス「FLY AWAY」。
ロサンゼルス空港のレンタカー会社は24時間営業で開いている。
朝4時発のFLY AWAYバスで空港に行き、レンタカー会社で車をピックアップ、夜明けのハイウェイをジョシュアツリー国立公園目指して走る。
昔々、デビルズタワー登攀のため約一週間にわたりワイオミング州をレンタカーで一人旅した経験があり、アメリカの交差点、右折左折もすぐに順応できた。

途中の名も知らぬ街のサブウェイで休憩を兼ねた朝食を摂り、再びハイウェイを走り、ジョシュアツリーの街に到着。
9時半、ジョシュアツリー国立公園ビジターセンターの駐車場でクライミングガイドのライアン・スコットと合流。
ライアンの車に便乗してジョシュアツリー国立公園へ向かう。

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今回お世話になったライアン・スコット(Ryan Scott)
社員旅・・じゃなかった、社員研修という枠の中でクライミングというリスキーな活動をするに際し、クライミングガイドを依頼することは私にとっては当然の選択だった。またAMGA(American Mountain Guides Association)認定のガイドと一緒に登りたいという気持ちもある。

 ジョシュアツリー国立公園のゲートに来た。
 皆様ご存じの通り、アメリカの国立公園は入場料が必要である。
 財布を用意していたが、ライアンがゲートで許可証らしいカードを提示すると我々はそのままスルーとなった。クライミングというアクティビティに対して、アメリカ社会での認知度を感じる一場面だ。

 駐車場に到着、日本から持ってきたシューズとハーネスを装着、レンタルのヘルメットを被る。
 周囲は魅惑的な岩塔だらけだ。
 正面にひときわ大きな岩塔がある。
 「ライアン、あれ登るのか?」
 「あれじゃない。あそこは難しいんだ。メイビー(できればな)。」
 
 私たちは最初に「サイクロブス」という岩塔に向かった。
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今回のガイド依頼に際して、経歴申請では「人工壁・外岩の経験はあるがブランクがあるので初心者同然」とする一方、「クラック、トラッドクライミングを経験したい」と希望を書き添えておいた。
私の使い古された装備、戸惑い無く結んだエイトノットで技量を測られたのだろうか、ライアンは「Good」と言ったまま、細かく技術を説明することなく登っていく。

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中央のルンゼっぽい凹部の右壁を登る。
花崗岩の粒子は粗く、スメアリングを多用してぐいぐい登る。
終了点からは、急傾斜のスラブをシューズのフリクションを最大限に発揮して歩いて降りる。

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岩塔の上にはオブジェのような岩塊がいっぱい。

ルート2本登ったところで車に戻り休憩。
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ライアンが所属するMojaveGuidesと提携している Happybar のグルテンフリーバー、チョコレートベリー味をもらう。グラノラバーをがっつりチョコで固めたタイプ。

Happybarを囓りながらたずねる。
「ライアン、さっき登ったルート、5.6くらいかい?」
「いや、5.3だな。」
「ええっ!」
「いやいや、5.5くらいだ。ここのグレーディングは辛め(Hard)なんだ」

3本目に登ったルートは他パーティーが先行しており、ライアンはそこを避けて隣のルートに移った。
ここは私からみても比較的簡単そうなので、ザックを残置せず背負ったまま登る。

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先行するライアン

今日私が依頼したガイド形態はHalf Dayという形式で、4時間のクライミングだ。
時間的に次の1本が最後だろう。
最後に私たちが向かったのは、ライアンも私の技量をみてくれたのか、到着した時に彼が「あそこは難しい。メイビーな。」と言った岩塔「Intersection インターセクション」だった。

核心部は、2つの岩塊が接した部分、ちょうど三角フラスコの内部のように下に行くほど拡がっているクラックだ。
左側に握り拳大のブロックがあり、
「マサル、ここフットホールドな。ここだぞ。」と何回も強調してから登っていく。

私の番だ。
ライアンが強調したスタンスに左足をめいっぱい伸ばして立ち込むが、右足をひっかけるところが無い。
ここで落ちれば、下に拡がる空間に突っ込むことになる。
私の足は短い。
左足をとにかくめいっぱい伸ばしたまま、スメアリングで強引に立ち込み、上体を引きつけ登り切る。
それからは粒子の粗い花崗岩を掴んで登る。

ようやくライアンがビレイしている所にたどり着く。
「ライアン、見てくれよ!俺の脚は短いんだぜ!」
「わかってる」(即答)

大きな岩塔だけあって、そこは360度眺めの良い頂だった。
「マサル、ここは一番人気のあるエリアなんだ。」
ライアンのしみじみとした言い方に、あー、ホントにこのクライミングエリアを愛してるんだなあと思う。

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Intersection の懸垂下降アンカーにて。

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クレオソート・ブッシュの花

クライミングエリアのあちこちに花が咲いている。
ライアンの話ではもう花のシーズンは終わりとのことだったが、それでも私のジョシュアツリー → 砂漠というイメージを覆すに十分な花々が咲いている。

楽しいクライミングの時間はあっというまに過ぎた。
前述のとおり、今日依頼したガイド形態はHalf Dayの4時間。
帰路、ロサンゼルス市中で夜間運転を避けるためには、日程的にこれが限界だ。

国立公園からジョシュアツリーの街に戻る。車中でたずねる。
「ライアン、ボルダリング、スポーツクライミング、アルパイン、いろいろあるけど君は何が好きなんだ?」
「全部さ!」
フルタイムでガイド業を務める彼はこれからも、様々なクライアントと共にクライミングの楽しさを伝えていくんだろう。

カリフォルニアの空の下、楽しいクライミングのひとときは過ぎ去った。
帰国したら、また現場仕事に、ガイド業に、頑張ろう。

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公園名の由来となったジョシュアツリー。
サボテン、椰子の木に似ているが、リュウゼツラン科の植物。

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クルコノギ社 物語

知る人ぞ知る、アイスクライミングギアのメーカー、クルコノギКрюконоги(Kryukonogi)。

ロシアのクライミングサイトなどでよくリンクバナーを見かけるのですが、飾りっ気の 全 く 無いロゴだけのバナー。
一体どんな会社なんだろうと思っていましたが、ロシアの「日本経済新聞」にあたる経済ニュースサイトRBC (RosBusinessConsulting) が急速に輸出ビジネスを伸ばした企業として、クルコノギ社創設のストーリーを紹介しています。

Железные люди: как двое альпинистов наладили экспорт ледорубов by РБК2018.4.10
(鉄人たち 2人のクライマーがいかにしてアイスアックスの輸出ビジネスを確立したか)

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鉄人:2人のクライマーがいかにしてアイスアックスのビジネスを確立したか
 特殊合金、クライマーコミュニティへのインターネットアクセスによって、クルコノギ社創業者は趣味を輸出ビジネスへと変貌させた

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アレクサンドル・ピンコフ(Alexander Penkov) Photo by Oleg Yakovlev/RBC

 「クルコノギ社を知らないアイスクライマーはいないでしょう」
 ローマン・チェルノフ、キーロフのクライミングギアメーカー「Вертикаль(Vertical)」貿易担当次長は語ります。彼は海外でクライミングギアを販売していますが、 クルコノギ社がこの業界で大きな進歩を遂げたことを認識しています。

 サンクトペテルブルグの企業「クルコノギКрюконоги(Kruconogi)」社の事業は、クライミングギアのハンドメイドによる製造から始まり、今や国際市場でも有名なブランドとなりました。 特殊合金を用いた製品、2017年にアスリート達のネットワーク「Kryukonogov」を創設、利益は870万ルーブルに達し短期間に成長しました。売上高の68%は輸出に由来しています。

 サンクトペテルブルク州立大学で航空宇宙計装を学んだアンドレイ・ヴァルバキン(Andrey Varvarkin)は、1994年に初めてチタンアイス・アックスを製造しました。彼自身が設計し、金属加工工場での生産を進めました。

 登山歴44年になるヴァルバキンが学校を出た1990年代、ロシアでウェアやギアを購入することは困難でした。スポーツ用品店の棚は空っぽでした。 ヴァルバキンは最初に登山用バックパックとジャケットを自分のために作り、次に友人に販売し、その後登山のための装備を作り始めました。

 2007年、彼はクルコノギ社ブランドを登録し、2010年にオンラインストアを開設、サンクトペテルブルグにあるNGO「ミズナギドリ」の小さな製造拠点を借り、現在は工場に6人の作業員と1人のデザイナーが在籍しています。
 初めは知人友人や幾つかの店で販売しましたが、利益は控えめなものでした。この事業は数百万ルーブルの年収をもたらしましたが、利益は一ヶ月あたり約2万ルーブル(約3万5千円)でした。スポーツ用品店の棚には、すでに輸入品の登山用具で占められていたため、中小企業が競争することは困難でした。

 34歳のクライマー、アレクサンドル・ピンコフ(Alexander Penkov)は、ヴァルバキンの小さなビジネスを輸出ビジネスへと変貌させました。彼は2012年にヴィボルグのミックスクライミングコンペでヴァルバキンと知り合い、関心をひかれました。 「私は自分自身でアンドレイの製品を使い、そのブランドが気に入りました。私のパートナーはイデオロギーの持ち主です。彼は技術、生産について熱く語り、目は燃えていました」とピンコフは語ります。

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アンドレイ・ヴァルバキン(Andrei Varvarkin) Photo by クルコノギ社プレスサービス

 2014年8月、2人は一緒にビジネスを進めることに同意しました。 アレクサンドル・ピンコフは運営責任者の役割を引き受け、40万ルーブル(約70万円)を投じた。 クルコノギ社では20%を受け取っています。

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クライミングギアの市場

 ロマーナ・ブリュカ(山岳連盟役員)によれば、ロシアでは約1万人が山岳連盟に登録し定期的に登山活動を行っています。さらに3万人のロシア人が登山を趣味として楽しんでいます。2010年、ロッククライミングは競争としてIOCに加盟し、2020年の東京オリンピックで初めての競技が開催されます。これは新たな競技人口が加わり、専門店では新たな顧客を期待しています。

 ロッククライミングとアイスクライミングは登山の一分野で、岩壁や雪、氷の障害を克服することを意味します。原則として、登山に真剣に取り組む人々はロッククライミングとアイスクライミングの技術を学びます。登山者はさまざまな障害を克服するために数百の異なる道具を使用し、クルコノギ社はアイスクライミングギアに特化しています。
 アルプ・インダストリア(訳者注:ロシアの大手登山用品メーカー)のブランドマネージャー、ディミトリー・セペレフは、ロシアのアイスクライミングギア市場規模を6000万ルーブル(約1億円)と推定しています。これは世界市場の約4%です。 「ヨーロッパ、アメリカ、中国は山岳地帯に恵まれ、主要なロシアの都市のほとんどは山から遠い」しかし、ロシアでは、スポーツアイスクライミングと人工壁でのトレーニングに人気があります。

 クライマーのための設備の生産、ロシアでは登山・アウトドア用品は半世紀以上にわたり、イタリアのグリベル、フランスのペツルなどのブランドに占められ、キーロフの企業「vertical」やモスクワの「オリオン・アルプス」などは「産業クライミング」(訳者注:建物のメンテナンスや冬期の除雪・氷除去など、ロシア特有の産業)の機材生産・販売に特化しています。
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装甲鋼材の強さ

 アレクサンドル・ピンコフは、ゼレノグラードにあるモスクワ電子技術研究所、電子技術・材料設備科の卒業生です。彼はいまだにモスクワでシステム管理者として働いていますが、副業としてほぼすべての時間をクルコノギ社の多忙なビジネスに費やしています。

 ピンコフが取締役に就任して最初に手掛けたのは、賃料と給与に関する借金を返済することでした。 「会社は新製品の開発に力を注いでましたが、財政・組織面の問題は二の次になっていました」

 ピンコフの就業によって製品の生産体制が整えられましたが、彼はロシア国内市場は規模が小さく、輸出のため西側諸国メーカーと競争できる製品が必要であると考えました。

 それが、交換可能なピックでした。アイスアックスの先端です。「西側諸国では一般的な鋼材からピックを生産しており、それは品質的に曲がったり、早く摩耗します。ときには生死に関わる問題です。」 vertical社のローマン・チェルノフ氏がコメントします。

 西側諸国のピックより優れた品質を求め、ピンコフは質の高い素材を探しました。「金属は丈夫なだけでなく、壊れにくいことが必要です。例えばピックには、30種類の鋼材の中から、適しているのは4~5種だけです。」

 解決策は偶然に発見されました。 2014年、鋼材提供企業のための加工会社「レーザー技術センター」で装甲用鋼材を試すことができました。軍用機や装甲車両に用いられる材料です。ピンコフによれば、装甲用鋼材の硬度(HRC)は55~57であり、通常の鋼材は25~27です。

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クルコノギ社ピック

 ピンコフは10kgのサンプルを購入し、40個のピックを製造しました。その後、それらを自分自身でテストしました。彼らはレニングラード地方ヴィボルグキ地区の花崗岩の岩場を登り、その結果から装甲用鋼材からピックを生産することを決断しました。
 ディミトリー・セペレフによれば、通常の鋼材で作られたピックが約1ヶ月間使用できるとすれば、装甲用鋼材は1年は保つと言われています。同時に、それらはシャープさを保ち続け、頻繁に研ぐ必要もありません。

 原則として、メーカーはトン単位で大量に鋼材を販売します。クルコノギは、わずか150gのピックを数十個作るため、 「高品質の金属を、スクラップ材の価格で購入することがあります。同社では装甲車両の車体を製造するため3分の2が用いられ、残りの3分の1の処分に困っていたようです」
 「私たちは、金属加工会社、メーカーのサイトを常にチェックして、興味深いオファーを見逃さないようにしています。」

 ローマン・チェルノフによれば、クルコノギ社が海外展開する際に、西側諸国のクライミングギアの交換用ピックを製造し、それから自社独自のアイスアックスを開発しました。ディミトリー・セペレフが述べるように、アイスアックスには2つのタイプがあります。クラシックなアイスアックスはあらゆる登山者の基本道具であり、通常は片手に一本持ちます。そしてアイスクライマーが使用する、いわゆるアイスツールがあります。アスリート達は常にそのようなアイスアックスを吊り下げています。そのため軽くて強いことが非常に重要です。

 スタンダードな登山に適したシンプルなアイスアックスのコストは、5~6千ルーブルを必要とします。クルコノギ社は経験豊富なアイスクライマー、複雑なルート、競技に適したアイスツールを製作することを決めました。そのような設備の費用は15,000ルーブルを必要とします。

 2015年、ピンコフは航空機用材料として用いられるアルミニウム合金製のアイス・アックスのシャフト製造を決めました。 ピンコフは幾つものメーカーに電話をかけましたが、ごく少量の合金の販売には応じてくれません。そこで彼はAviation Profiles and Rental Factory社のレオニード・ヴァシリエフに頼んでみました。

 「彼はロシア製品のために立ち上がってくれました。300kgしか買えないという要求を汲んでくれ、15%の割引もみてくれました」アルミニウム合金による困難なクライミングのためのシンプルなアイスアックスはわずかに600gです。オンラインストアでは約2万ルーブルの価値があります。

 しかし、商品としてヒットしたのは前年に生産を開始したチタン製のアックスシャフトでした。以前にチタンで試作し、実験した製品で、友人のために製造されたアイスアックスでした。材質は非常に強く軽いものの、高価です。正価でチタンを製造業者から直接購入すれば、それは1kgあたり5.5-6000ルーブルになります。 しかし昨年、彼らは30年前に生産された160kgのチタン材を倉庫の片隅で見つけることができました。購入費用は1kgあたり1500ルーブルでした。

 このおかげで、チタンとカーボンから作られるシャフト、そして装甲用鋼材から作られるピックという新モデルの生産が確立できました。価格3万ルーブルと高価だが重量は490g、ペツル社のアイスツール、ノミックはロシアでは18500ルーブルで重量609gです。
「アスリートにとっては、アルミニウムである以上にチタンであることが重要です。」 セペレフは強調します。
アレクサンドル・ピンコフは、世界中の誰もがチタン製シャフトを手放せないと主張します。

コミュニティの支援

 クルコノギ社はフェイスブック、VK(訳者注:ロシア版フェイスブック)、Instagramに自社ページを立ち上げました。自社のギアを選手達に供給するだけでなく、コンペの主催者に提供も始めました。

 ピンコフによれば、クライマーの世界は非常に狭く、誰もがお互いを知っており、絶えず新製品を求めています。クルコノギ社のギアはロシア人クライマー、ウラディミール・ベルーソブ、ポール・ドブリンカらによってアイスクライミングW杯で使われました。そこで海外のクライマーが新しいブランドに興味を持ちました。

 最初の1人はスイスのクライマー、イヴ・ヘルベルガーでした。クルコノギ社はヨーロッパにおいて代理販売をするように持ちかけました。その後、日本のアイスクライマーであるナキア・マサト(訳者注:原文発音のまま)が自国でギア販売に興味を持ちました。
「日本の市場は非常に限定されており、競争は低いものの、私たちが協力できれば面白い」とピンコフは語ります。
 カナダでは、ロシアから移住したStas Beskinがクルコノギ社の貿易相手になりました。現在、同社は世界各地で複数の輸入業者と協力しています。それらを通じた売り上げは小規模ですが、ピンコフが強調しているように、製品は地元の人々によく知られており、彼らは地元のコミュニティでも積極的なメンバーです。
「彼らのような人々のおかげで、私たちはコミュニティで信頼を得ています。」

 クルコノギ社の商品は高価で、さほど利益はあがりません。 1つのピックのコストは50ユーロ、アイスアックスのコストは300~400ユーロです。ディーラーを通じた卸売販売による利益率は25-30%、ウェブサイトの通信販売で60-70%です。輸出額の80%は、オンラインストアによる小売注文で、ピンコフが郵送を担当しています。

 海外におけるネットワーク拡張と並行して、ピンコフは国内販売を拡大しました。 2014年まで、クルコノギ社のギアは極東のPrimalp、エカテリンブルクのManaraga、サンクトペテルブルクのTramontanaなど3つの小型スポーツ専門店で販売されました。
  ピンコフは他の小売店にも営業をかけたものの、新しいブランドが突然に取り入れられることはありませんでしたが、コミュニティによる支援によってアルプ・インダストリアのネットワーク、スタームショップ、スポート・マラソン社への供給が実現しました。「このギアは専門家による専門家のものと言えるでしょう」とドミトリー・セペレフは説明します。

 ピンコフは、クライミングに熱心な人々がビジネス構築に役立つことが多いと言います。彼らはギアを購入し、クライミングコンペでブランド「クルコノギ」を知ります。最近では、フランスのスポーツ用品デカスロン社の従業員であるクライマーと親密になりました。両社は商品に関する交渉を開始しました。

 2017年には、アメリカの業者であるRock and Iceと Rock and Resoleがピンコフに接触してきました。新しい顧客はアイスクライミングの製品だけでなく、クルコノギ社の他のギアにも関心を示しています。2社は既に2,500ユーロで最初の注文を行っています。そして最近、同社のスタニスラフ・ロブゾフとヴァシーリー・テレキンらが中国のアイスクライミングチームを指導しました。彼らは最初のアジアからの注文を3000ユーロで受注しました。

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海外におけるロシア産金属に関する神話

ローマン・チェルノフ、Vertical社・貿易担当次長

 クライミングは狭い業界であり、アイスクライミングはさらに狭いという事実にもかかわらず、クルコノギ社はブランドとして台頭してきました。世界のアイスクライマーで同社のピックを知らない者はいません。"クルコノギ社は世界に高品質の製品を提供することを可能にし、生産を開始しました。ロシアでは、ヨーロッパのメーカーが手に入れることのできない特殊合金があると多くのクライマーが信じています。またロシアのメーカーは海外向けのギアを生産しています。しかし、海外での収入のシェアはそれほど多くありません。

「彼らは非常に狭いニッチ市場を持っていますが、彼らはそれに精通しています」

ドミトリー・セペレフ アルプインダストリア・ブランドマネージャー

 クルコノギ社は独自の技術とビジネス手法で利益を得ています。彼らは設備の設計や生産もよく熟知しています。非常に狭いニッチ市場でありながら、彼らはそれに精通しており、何をすべきかを知っています。もちろん、いくつかの点で彼らのアプローチは手工業です。大量生産の方法は確立しないままに多くのモデルが完成され、様々な材料の実験が行われ、設備が試験されています。私たちの店に来ると、従業員は彼らが改良した小さな点でも興味を持って話します。同社の従業員は、アイスクライミングや登山に関わり、その本質を理解しています。これが他社と違う点です。
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以上引用おわり

まさに手探りで事業を進めていった2人のクライマーがたちあげたクルコノギ社。
現在迷走していますが五輪競技種目化を目指すアイスクライミング競技、またロシアという世界的には特異なクライミング界を足がかりに、西ヨーロッパ、アメリカのメーカーが幅をきかせるクライミングギア市場にどこまで食い込めるのか、注目です。

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