『第2回蔚州世界山岳映画祭』 の不都合な真実

去る9月21日から5日間にわたり韓国・蔚州郡で開催された『第2回蔚州世界山岳映画祭』。

各韓国メディアは国際イベントとして無難に報道していましたが、韓国の時事ジャーナル紙が痛いところを突いた報道を展開しています。

朴槿恵・前政権時から韓国各地の山岳地で問題になっているケーブルカー建設問題に関して、ゲストとして招かれたリック・リッジウェイもガツンと物申したようです。

「自然と共存」問いただすことになった蔚州世界山岳映画祭の課題 by 時事ジャーナル(韓国)2017.9.27

以下飲用開始
-------------------------------------

「自然と共存」問いただすことになった蔚州世界山岳映画祭の課題
9月25日に閉幕・・・上映作品増大など、見た目拡大にも運営システムの粗雑

チェ・ジェホ 記者

 国内最初で最大の山岳映画祭として注目を集めた、第2回蔚州世界山岳映画祭が9月21日に開幕され、5日間にわたって21カ国97編の上映スケジュールを終えて幕を閉じた。

 昨年第1回の時よりも上映作品が19編増え、出品作品も78編(第1回は40カ国182編 → 第2回は31カ国260編)に増加するなど、世界的な山岳映画祭として発展する可能性を確認できた点で、主催者である蔚州映画祭事務局は舞い上がっている雰囲気だ。
 しかし、25億ウォンの予算をかけた国際イベントとしては貧弱な付帯行事プログラムに加え、映画祭の最も重要な上映館チケットに関連した粗雑な運営システムは、昨年第1回の時とあまり変わりなかったという指摘を受けている。
 蔚州世界山岳映画祭が、主催側が掲げるようにイタリア「トロント」、カナダ「バンフ」とともに世界3大山岳映画祭に成長するために解決すべき課題は何だろうか。

Jp1
去る9月21日、UMFF開会式の様子 蔚州世界山岳映画祭事務局提供

「このまま世界3大山岳映画祭に成長できるか」

 第1回蔚州世界山岳映画祭が開かれた昨年9月30日、キム・ギヒョン蔚山市長は当日午前中まで開幕式に参加しないつもりだった。市役所で当日朝に発送する日程表に、キム市長の代わりに行政副市長が開幕式に出席として名簿に記載されていた。キム市長は最終的にこの日の夕方の開幕式に出席し、会場で持前の明るい表情を維持したが、当日の朝は副市長を代わりに国際イベントに出席させようと決心するほど不満を持っていたものと思われる。

 キム市長の当日不参加のハプニングは、映画祭の名前をめぐって蔚山​​市と蔚州郡が神経戦を繰り広げたことから始まった。蔚山市は予算10億ウォンを支援する条件で映画祭の名称に「嶺南アルプス」や「蔚山」を用いることを要求したが、蔚州郡は最後まで地域名を譲らなかった。

 蔚州郡がこのような独自の路線を進んで失ったのは、10億ウォンの予算だけではない。蔚山市は今年広域市昇格20周年を記念する「蔚山訪問の年」と銘打って巨大な広報マーケティング戦略を繰り広げたが、蔚州世界山岳映画祭の広報は、蔚州郡の役割だった。

 5日間の蔚州映画祭に集まった観衆は約6万人と映画祭事務局は推定した。昨年の第1回で事務局が明らかにした観衆は、5万3000人だった。しかし、イベント期間中に会場を往来した周辺関係者は、昨年に比べて会場が広く感じられるほど訪問者が少ないと口をそろえる。

 野花漫画フェスティバル、ツリークライミング、全国スポーツクライミング大会、ガンウォルジェで開かれた山上音楽祭「蔚州オデッセイ」など、家族単位やスポーツ愛好家が参加するプログラム会場は参加者でにぎわった。しかしながら映画祭の中心であるべき「映画上映館」周辺は寂しいほどで、映画祭は全国の映画ファンを集めるには限界を表わした。

 このような寂しい上映館の雰囲気は、無料で行われている映画チケットのずさんな運営システムと無関係ではなかった。当初映画祭事務局は、オンライン予約以外に観覧席の20%を現場で発券すると約束したが、開幕翌日になって突然上映日に関係なく事前予約することができるように方針を変え混乱を招いた。

 週末の上映時間に間に合うよう当日券を入手しようとしていた観光客は「売り切れ」という案内に失望して引き返した。臨時上映館3棟も含め4箇所の上映館では、「売り切れ」という案内とは異なり前売券をストックしておいて、会場が見つからない団体のために主催者側は冷や汗を流したという裏話もある。

Jp2
去る9月23日、蔚州世界山岳映画祭会場で特別講演をおこなうリック・リッジウェイ氏の様子。 蔚州世界山岳映画祭事務局提供

蔚州推進・神仏山ケーブルカー - 山岳映画祭との共存方法は・・・

 今回の映画祭で主催側が精魂込めたプログラムの中で欠かせないのは、今年初めて制定された「蔚州世界山岳文化賞」だった。受賞者は、7大陸最高峰を世界で初めて登頂した記録を保持し「地球の息子」という敬称を持っているアメリカのリック・リッジウェイ氏である。彼は会場で特別講演と特別展示会をおこない、蔚州地域「嶺南アルプス」と縁を結んだ。

しかし、登山家であり環境活動家に変身した彼には、蔚州郡が推進する「神仏山ケーブルカー」が不満だった。

 リック・リッジウェイ氏は記者会見で「山は野生そのままに保存しなければならない。そしてケーブルカーには反対する」と表明し、映画祭関係者たちを困惑させた。 彼は「山に登った時、野生が与える魔法を感じることができて自然から安らぎを受けることができる」 として 「車に乗って、駐車場に駐車をして、ケーブルカーに乗って展望台まで上がって、再びケーブルカーに乗って降りてくるのは優れた人間の姿ではない」と批判した。

 映画祭発足を先頭に立って主導してきた蔚州郡は、今後は映画祭運営主催を法人にして世界的山岳映画祭として発足させていくという立場だ。
 蔚州郡の方針通りならば、来年9月には第3回蔚州世界山岳映画祭は神仏山の頂上と連結されたケーブルカー駐車場の真下で開かれることになる。

 「自然との共存」をスローガンに掲げた蔚州世界山岳映画祭が、映画祭の存在理由と現実の環境の間で、どんなスタンスを取るかにより今後、名実共に世界山岳映画祭に発展するかどうかを分けるものと見られる。

-------------------------------------
以上引用おわり

なにかと「世界的」なタイトル好きな韓国ですが、この蔚州世界山岳映画祭に賭ける意気込みはものすごいものがあります。
昨年の第1回のゲストとして韓国に招かれたのがラインホルト・メスナー、そして欧米ではその名が知られている山岳ジャーナリストBernadette Macdonaldを招いたところに私は韓国山岳界の「本気」を感じた次第。

チケットの問題は「ケンチャナヨ」な韓国社会ではまあご愛敬として、神仏山のケーブルカー問題は痛いところを突かれました。

 あの雪岳山でも経済効果を期待してロープウェイ建設計画が浮上、計画に反対する自然保護・登山関係者に逮捕者がでるほど反対運動が白熱していました。
 朴槿恵政権が終末を迎えたことによりロープウェイ建設も白紙に戻されましたが、最近になってゾンビのように再浮上しているようです。
 当該記事の神仏山ケーブルカー計画のように、経済効果を期待する賛成派と自然保護を訴える反対派との対立が続いているところもあります。計画はかなり推進されているようですが、各関係省庁の対立もあり、ケーブルカー建設が実現するかはまだ予断を許さない状況、といったところです。

第3回蔚州世界山岳映画祭が韓国のみならず世界的な山岳イベントとなりうるか、ケーブルカー建設計画という環境問題の行方にも注目したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アダム・オンドラ、コミックとアニメに登場

あのアダム・オンドラがコミックとアニメに登場!

少年少女のヒーロー、アダム・オンドラが悪の組織に誘拐さる!
スポルティバのキャラクター、ラスポガールとラスポボーイが、アダム・オンドラからもらった靴を履いてパワーアップ!
まあ動画をごらんくだされ↓

スポルティバのCMキャラクター、ラスポガールとラスポボーイが活躍するコミックはこちらで読めます。
LaSpo Kids

La1
スポルティバのPRコミック、「LaSpo Kids」表紙

La2
アニメ版・コミック版に登場するアダム・オンドラ。
言うなよ!髪型とメガネしか似てないとか言うなよ!

でもこんな風に子供向けにデフォルメされるのも、世界のアダム・オンドラだからこそですね。

にわか仕込みの知識でクライミング記事を書いた、アダム・オンドラを「チェコの選手」などと名前も書かずにスルーした読売新聞社のスポーツ担当記者はこれを読んで反省してください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ロシア隊、ラトックⅠ峰断念

ロシアのアレクサンドル・グコフ、ワレリー・シャマロのペアが挑んだラトックⅠ峰北面。
降雪に苦しめられ、食料・ガスの残量も少なくなり時間切れで敗退した模様です。

L2
二人が登ったライン(赤線) 

L3

L4

L6
ワレリー・シャマロ(Валерий Шамало)

L5_2
アレクサンドル・グコフ(Александр Гуков)

2人は8月17日にBCを出発、ラトックⅠ峰北面にとりつき、予定を変更して北尾根を右側にまわりこんだルートを登りましたが降雪に苦しめられ、食料・ガス残量が乏しくなり8月28日の到達点(6500~6700mと思われる)を最高点として下降したものです。
2人の健闘をたたえるとともに、ラトックⅠ峰北面はまた未踏のまま、次のクライマー迎えることになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『 Walls Are Meant For Climbing 』 壁は登るためにある。

『 Walls Are Meant For Climbing 』
壁は登るためにある。

North

アメリカのノースフェイス社が打ち出した、新キャンペーンのフレーズです。
賢明なクライマーの皆様お察しのとおり、これはトランプ大統領の政策「アメリカ・メキシコ国境に壁を建設する」や、大統領選に伴う「国民の分断」に対する強烈なアンチテーゼになっています。

Not THAT Wall. In New Campaign, North Face Says, 'Climb On' by mediapost 2017.8.16

以下、かなりテキトーな訳で引用開始
----------------------------------------------

 Wall は、昨年においては「激しい対立」を示す名詞でした。
 ノースフェイスの新しいキャンペーンは、何よりも「クライミング」することを望んでいます。 新たなキャンペーンのフレーズ「壁は登るためにある」は、スポーツがもつエリート主義のイメージを払拭し、通っているジムで自由にクライミングすることを推進します。

(中略)

 クライミングジムに集う都市部の若者(訳注:原文ではMillennials 2000年前後に生まれた世代をさす)の間で人気が高まっているロッククライミングは、依然としてマイナーなアクティビティです。
 新たなキャンペーンは、人々が「信頼とコミュニティの構築について、そして壁を乗り越えること」の対話を始めることを意味する、と同社は発表した。
 「壁は私たちを分断することを意味するものではなく、私たちを結び付けるものです。壁はクライミングのためのものです。」

 人々の多くは同意していない。 最近の世論調査によれば、多くのアメリカ人は、トランプ大統領による「メキシコとアメリカを分断する壁の建設」計画を嫌っているものの、いまだに支持を得ている。 最近のワシントンポスト/ ABCニュースの世論調査では、有権者の67%が壁に反対し、37%が賛成している。

 カリフォルニア州アラメダに本拠を置くノースフェイス社の広報担当者は、「そのキャンペーンは単に一つの問題よりも大きい意味合いをもつ」とマーケティング・デイリー紙にコメントしている。
「 『 Walls Are Meant For Climbing 』は、ヨーロッパ、中国、メキシコ、カナダで展開するグローバルキャンペーンとなります。 私たちの目標は、アウトドア愛好家として、クライマーとして、人間性の素晴らしさを信じる者として、政治体制や一個人に左右されず、社会を築き上げることについて人々に考えてほしいのです。」

----------------------------------------------
以上引用おわり

この記事を掲載した Mediapost は、マーケティングや広告専門の話題に特化したメディアです。
CBSやNBC、ニューヨークタイムスと関係をもっているところから、政治的には中道から左派寄りのメディアでしょうね。
記事には続きがありまして、「屋外でのクライミングがアメリカではまだまだマイナーなアクティビティ」であることが具体的な数字と共に示されているのですが、そんなニッチな世界からも拒絶されているトランプ大統領の政策。

私個人としては「意識高い系」パタゴニア社ではなく、我が愛するノースフェイス社 (過去の海外登山ではNF社のウェア使ってました) が政治的・・・というよりも人道的なメッセージをキャンペーンフレーズに込めたところは歓迎したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ロシア隊、グレートトランゴ南西壁に新ルート「インシャラー」開拓

去る7月23日、ロシア・クラスノヤルスク隊がグレート・トランゴ(6286m)南西面に新ルート「インシャラー」開拓に成功しました。

Сибирские альпинисты в составе сборной совершили первопроход в горах Пакистана by sib.fm 2017.8.14

P1
今回ロシア隊が拓いたのはナンバー9、オレンジ色のライン。ルート名称は「インシャラー(神の思し召しのままに)」

P3_3
登攀の様子

P2_2
登攀に成功した3名(左から右に)イゴール・スツダルツェフ、イワン・テメレフ、アントン・カシェフニク 

P4_2
3人は11日かけて標高差1500mの壁を登り切り、南峰を踏んで下降しました。
毎日の降雪に悩まされ、食料制限も行い登り切ったとのこと。
上記画像はチョコを口にして6時間下降を続け、最後の懸垂下降を終えてお疲れの様子。

グレートトランゴ南西面は上記画像のように既成ルートが多く、ロシアのクライミングサイトでは今回の「新ルート開拓」に関して、既成ルートの継続ではないかと少し議論になっているようです。
それでも壁の「空白」地帯を登るため、イワン・テレメフのコメントでは90m進むのにスカイフック130回掛け替えたりと、かなり苦労した模様。

今シーズンのロシア人クライマーは、ベテランのセルゲイ・ニーロフらがバフィン島に入山、順調に登っているので続報が待たれます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ロシア隊、ラトックⅠ峰北壁へ

今夏特に注目すべき登山隊として、ロシア隊が難攻不落のラトックⅠ峰北壁に挑みます。

Latok1

信頼できるロシア情報筋によれば、メンバーはタムセルク南西壁中央バットレスを初登したアレクサンドル・グコフ、冬のナンガパルバットを経験しているワレリー・シャマロのペア。
7月27日、2人はロシアを出国、パキスタンに向かった模様。
ルートの詳細は明らかにされていませんが、ジム・ドニーニ、ジェフ・ロウらが挑んだラインが挙げられています。

ロシア隊によるラトックⅠ峰北壁のトライは2012年に続く試み。このときは6200mに到達したところでメンバーの体調不良もあり断念という結果でした。

アレクサンドル・グコフ、ワレリー・シャマロはいずれもロシアのアルパインクライミングにおけるトップクライマー。
幾人ものクライマーを退けたラトックⅠ峰北壁に、この2名がいかに挑むのかが注目されます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ナーレ・フッカタイバル、韓国焼酎とキムチ鍋が好き

 2016年に世界最難ボルダー Burden of Dreams(V17) を初登したフィンランドのナーレ・フッカタイバル(Nalle Hukkataival) がプライベートのクライミングツアーで韓国を訪れました。
 韓国の山岳メディアが放っておくはずもなく、同行したオーストラリアのクライマーAndy Mckilliam氏の手記、インタビューという形式でその模様が掲載されています。

【訪韓人物】 V17ボルダラー ナーレ・フッカタイバル 風のように現れ、風のようにクライミングをしていった世界最強のボルダラー by 月刊「山」2017.6.13

以下引用開始
----------------------------------------
9日間、釜山・慶南地域を巡り、12本のボルダー初登

P1

 世界最強のボルダラーであるフィンランドのナーレ・フッカタイバル(Nalle Hukkataival 30歳)が今年3月、韓国を突然訪問した。故国フィンランドで世界最難であるV17の「Burden of Dreams 夢の重荷」を2年に渡り4,000回以上のトライの末、初登の栄光を手にした彼は明らかに世界最高のボルダラーだ。

 現在、ボルダリングの最高難度はV17で、韓国で主に用いられているヨセミテ・グレードに換算すると5.15cである。V17は、現在の人間が完登した最高の難度となる。ナーレが初登した「Burden of Dreams」は未だ再登者はなく、V17という評価に誰も異論を唱えなかった。

 ナーレがフィンランドで体育の授業で人工壁クライミングを初めて経験したのは、12歳の時だった。
 彼はクライミングの魅力にとりつかれ、毎日室内の人工壁で過ごし、困難な課題をクリアしていった。「神童」としての能力を表わしたのである。しかし人工壁の指定されたプラスチック製ホールドだけを使用して登ることが「一直線にマラソンをするのと同じだ」と感じてクライミングをやめた。

 1年後、外岩でのボルダリング経験が彼の人生を変えた。以降、フィンランド・ヘルシンキの自宅近くの岩を登るために通い続けた。彼は優れた技量を携えて世界各国を旅し、新たな岩でより困難なボルダリングの課題を開拓してきた。

P2
(左)密陽・白雲山ボルダー群で開拓中のナーレ。スラブ状の岩で「グレードを容易に決めることができないほど難しい」と評価した。(右)ホールドをクリーニングするナーレ。愉快そうな彼の表情から、ボルダリングを純粋に楽しむ精神が表れている。

 彼はロックランズのV15級ハイボール「Living Large」、Maltatalの「Bugeleisen Sit(V15)」、マジックウッドの「The Understanding(V15)」などの高難度クライミングを続け、昨年秋には彼の長年のプロジェクトであるV17級の難度に世界で初めて成功し、議論の余地のない世界最高のボルダラーとして認められている。

 韓国訪問の前に、フランスのフォンテーヌブローで非常に困難なボルダリング課題の34連続完登(Black ED + circuit in Cuisiniere)を世界に先駆けて達成した。また常に湿っていることで悪名高いスラブ状のボルダー「Duel(決闘 V11)」を完登し、ヨーロッパのクライミングツアーを終えた。

 ナーレの訪韓の目的は、韓国でボルダリングを体験をし、新たに困難な課題の開拓の可能性を探り、今年の年末頃に再び韓国にボルダリングツアーとして訪問する。いわゆるボルダリング視察のために韓国を訪れたものだ。

 筆者は過去に韓国に数年滞在し、韓国でのクライミング経験を生かして、今回のナーレの韓国ボルダリングツアーに同行した。しかし残念ながら、9日間の短い旅では悪天候のため当初立案した計画をすべて実行することはできなかった。私たちはよく話し合い、既存のよく開拓された地域の代わりに、長い間解決されないでいるプロジェクトが残る、あまり開拓されていない場所を探すことにした。

 最初の3日間は、智異山国立公園の渓谷を踏査した。ピアゴル渓谷南の公園入口から4kmの川岸に位置する2つの巨岩がある所に行った。身体をほぐすため既存の課題を幾つかこなした後、初登が待たれる「Pitsch Patsch(V10)」にとりついた。

 正確に足の動きをつなげ、高度の緊張感が要求されるオーバーハングの不安定な壁をスメアリングで登った。小さなホールドをつま先でとらえ、精巧なクライミングで初登を果たした。

 彼が関心を示したのは、谷上部の巨大なオーバーハングボルダーであった。筆者がナーレと2014年にピアゴルボルダーを開拓したときに、この巨大な岩に目を奪われた。あまりにも難しそうで、登れる可能性は疑わしかった。下降しながらクリーニングしホールドを調べた後、「スタート時は非常に滑りやすいし幾つかのムーブはとんでもなくパワー系のムーブになりそうだが、クライミングは可能だろう」と言う。

 同行者がホールドのクリーニングとムーブをつなぐ練習をしながら、2時間が過ぎた。ナーレが下部を繋ぐムーブを完成させた。しかし残念ながら日没のためクライミングは続けることができなかった。今回の旅行の目的は、ボルダー探索目的の旅であり、明日は別の場所でのクライミングのために体力を温存しなければならず、次の訪問までの課題とした。
 この日の夕方、私たちは、智異山西に移動し眩しく美しいチルソン渓谷に到着した。

 巨大な単独ボルダーが立ち並ぶ谷で、会話やコーヒーに長い朝の時間を過ごした後、私の長年のプロジェクトである「Seven League Gloves(V6)」にとりついて体をほぐした。ナーレがルートのムーブを幾つかのダイノ・ムーブで減らし、直線につなげ、V11の難易度にアップグレードさせて完登し、見守っていた人々を驚かせた。

 チルソン渓谷下流の小さな中州に位置している巨大な岩を発見し、しばらくの間、調べてみた。しかし岩の上に松が育つなど、何か神聖な感覚を抱き、登ることは控えようと判断した。谷の少し上の既存のボルダーがある場所に移動した。

 ナーレは、これまで私たちが力を尽くして完登を目指してきた課題を迅速かつ容易に解いてしまった。初登者を待つ困難なボルダーさえ全て解決して、私たちを虚脱感に陥らせたが、世界最高のクライミングを見る楽しみの方が大きかった。

P3
P4
1智異山ピアゴルの「Pitch Patsch(V10)」を慎重に登るナーレ。墜落に備えるスポットはクリストフ・ハーパー。2 「Boots(V11)」の上部を爆発的なジャンプでホールドを掴んだ瞬間。3智異山チルソン渓谷下流のV11ルートをクリーニングするナーレ。彼は韓国の美しい自然や食事、焼酎、フレンドリーな文化を非常に好んだ。

プロボルダラーは酒もプロのように飲む!

 3日目、天候が悪化する兆しを見せ始めた。もっと南へと車で移動し、私たちの長年の課題として残っていた素敵なオーバーハングボールダーがあるジュンサンリに場所を移した。着地点を整理して、ホールドをクリーニングした後、クライミングを開始しようとしたときに雨が降り始めた。今やらなければ、今回の旅行でこの岩は登れないことがわかっていたのですぐに岩にとりついた。

 岩に身を縮めてとりつき登り、非常に小さなピンチホールドに頼り、奇妙なダイノムーブで最後のホールドをつかみ「Dry Finish(V12)」を初登した。小雨はすぐに大雨に変わった。村に車で降りて、ビールとラーメンでささやかながら初登を祝うパーティーをした後、釜山に戻った。

 「気泡状の特異なホールドが多い花崗岩の智異山ボルダーがとても印象的」と言うが、過去3日間は滑りやすい岩と格闘していた彼は、残りの日程ではもっと綺麗でフリクションの効くボルダーを望んだ。

 翌日、密陽付近でクライミングすることを決めたが、岩があまりにも濡れていたため、私達はナーレを連れて釜山観光に訪れた。チャガルチ市場などで刺身と焼酎、三枚肉などで愉快な一日を過ごす。彼は「プロボルダラーは酒もプロのように飲むのさ」と焼酎が大好きだった。

 翌日は天気が回復し、新たに開拓された密陽・白雲山近くのボルダリングエリアに向かった。「世界のどこにも見られなかった形の、非常に魅力的なボルダーがある」と言う。いくつかのボルダーは、スイスの有名なボルダリングエリアであるクレシアーノにある岩と非常に似ているとして気に入ったようだ。

 ナーレはこれまで他のクライマー達が数ヶ月に渡って解けなかったムーブを解決し、多くのルートの初登をやり遂げた。「Duende」スペイン語で「妖精」と呼ばれる新ルートをスラブ状の岩に開拓したが、難易度を簡単に決められない程に難しかった。彼は人気のあるダイノムーブのプロジェクトである「Dr. Nick(V7)」を見事に解決するムーブを示し、クライミングツアーを終えた。

 ナーレと同行したクライマーは、すべての難易度V10以上を登るクライマーであり、ネウォンサ地域や金井地域などで多くの岩を開拓した釜山・慶南地域の在韓外国人である。ナーレは彼らが登れなかった課題を訪韓中に解決し、12本のルートを初登、世界最強のボルダラーらしい姿を示してくれた。

 彼は 「韓国のボルダリングは本当に素晴らしい場所が多い」 「様々なクライミングスタイルと様々な形状の岩が印象的」と言う。 「多くの国を巡ってボルダリングをしてきたが、多数のボルダーでは同じ動作を繰り返すことになり、結局は退屈なクライミングになった」 「韓国は、様々なタイプのクライミングができる国」と語る。しかし最も魅力的なのは、クライミングそのものよりも、大自然の美しい場所にボルダーがあること、市内からのアクセスが容易であること、独自の文化体験、素晴らしい料理と人々の優しさ、と話していた。

 雪岳山・蔚山岩付近の写真を見ては、束草地域のボルダリング調査に関心を持った。国立公園区域は、クライミングの制約が厳しいという現実に、国立公園側とボルダリング愛好者が対話を通じて開放のための努力を続けて、世界的なボルダリングエリアの扉が開かれるようにしてほしいと語った。彼は「より深みのある調査と開拓のために早く韓国に再訪したい」と約束した。

インタビュー ナーレ・フッカタイバル

Q 韓国でのボルダリングはどうでしたか?

 全ての経験を楽しめたし、様々なタイプのクライミングが良かった。いくつかの国では、クライミングの単調さにすぐにうんざりしてくる。韓国は全く違う。この点が非常に魅力的だ。また、私が韓国で訪れたすべてのボルダリング地域がとても美しかった。

Q 韓国でボルダーをさらに開拓しますか?

 もちろん、その可能性が高い。私は一部を見ただけだ。余裕のある日程で戻ってこられるか、調べている。韓国で過ごす時間は、私にとって非常に素晴らしい経験だからだ。

Q 韓国で特に記憶に残るクライミングは?

 非常に多い。私が開拓した密陽の「Basic Instinct」は、風変わりなクライミングの一つだ。スイスに似た岩塊で、独特のムーブ、狂ったように上下にニーロックを繰り返す必要がある。その横の「Hump and Pump」は韓国だけで見ることができる、本当に特別な岩だ。また智異山ジュンサンリの「Dry Finish」も記憶に残る素晴らしいボルダーだ。

Q 韓国で時間がなくて完成できなかったプロジェクトはありますか?

 密陽で開拓したボルダーだ。非常に困難なスタートが要求される「Tree of Perdition」を必ず登ってみたい。私がブラシでクリーニングした智異山ピアゴルの印象的なハイボール(ハイボルダー:高さ5mを超える岩)は、本当に難しそうだ。今回の旅行中、意図してあまりに深くクライミングに没頭しなかった理由は、可能な限り多くの可能性を調べるためだ。

Q 他のクライマーたちに勧めしたいところはありましたか?

 混雑するところではなく、興味深いクライミング対象地を探しているなら、韓国を誰にでも強く勧めるだろう。しかし、ほとんどの韓国のボルダリングエリアはまだ開拓の初期段階にあるようだ。ガイドブックを持っていても岩はあまり手入れもされていないし、多くのクライミングをするために入るにはちょっと難しいようだ。

Q 韓国料理は口にあいましたか?

 韓国料理は本当に美味しい。石焼ビビンバは旨いし三枚肉はとてもおいしかった。最も旨かった料理は、蔚州・彦陽近くでクライミングした後に食べたキムチ鍋だ。

Q 韓国にまた戻ってきますか?

 もちろん! この次は韓国の他のエリアにも巡ってみたい。雪岳山やソウルなどの北部にも行ってみたい。

----------------------------------------
以上引用おわり

あ、ボルダラーの皆さんすんません。
私の場合、ナーレ・フッカタイバルが「韓国焼酎好き」 「キムチ鍋が好き」しか頭に入ってない記事でござんした。

でも韓国を訪れた経験からして、韓国料理はやっぱ焼き肉より鍋料理ですよ。鍋、鍋。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

よく食べ、よく眠る マーゴ・ヘイズの場合

 今年2月、スペイン・シウラナの『La Rambla』 (9a+/5.15a) を登り女性クライマーとして最高グレードを更新した、アメリカのマーゴ・ヘイズ( Margo Hayes 19歳)。

 現在はクライミングに専念するためとフランス語習得を兼ねて、フランスでアパート住まいです。
 その生活ぶりを、アメリカの女性健康雑誌『SELF』が取材しました。

What It’s Like to Be a Professional Rock Climber at 19 by SELF 2017.5.11
(19歳でプロクライマーになるということ)

Margo2_3
マーゴ・ヘイズ近影(Photo by Clayton Boyd/The North Face)

 マーゴ・ヘイズの生活に関する記事を要約すると、次のとおりです。

 お気に入りの朝食はシンプルに、炭水化物とタンパク質をたっぷりと。
 いつもはオート麦またはオートミールとプロテイン。お気に入りのレシピは、アーモンドミルクと亜麻仁(フラックス)、一晩置いたオートミール。朝食を作る気分にならないときは、プレーン・オートミールまたはVega社のプロテインを飲む。味はいつもチョコレート味。

 通常のクライミングトレーニングに加えて、フランス滞在中はウォーキングが日課。ジムにも、学校の授業にも、食糧の買い出しもぜんぶ歩いて行く。毎日5~10マイル(8~16km)は歩く。

 ランチや夕食時には、文字通りリラックスしているマーゴ・ヘイズを見ることができるだろう。
 マーゴ・ヘイズの夕食は大量のサラダ。本人曰く「初めて夕食一緒にする人は「あなたそれ食べるの?」って思うでしょ。」
 サラダの内容はサーモン、チキン、玄米、キノア(南米産の雑穀)に加え、特に好物なのはアボカド、チアシード、サツマイモ。
 今住んでいるアパートは狭いので、サーモンをキッチンで調理したら数週間匂いがとれず困った。

 コンペに備えて重要視しているのは睡眠。そのためにSNSも遠ざける。
 また意識して多めに水を飲む。
 幼少のときに母親の友人から手ほどきを受けた「瞑想」が精神を集中することに役立っている。コンペの際に精神集中するだけでなく、心身の調子を上げるのに役立っている。
 「(瞑想は)私にとって素晴らしいツール」。

Margo
コンペでのマーゴ・ヘイズ(Photo by Greg Mionske)

チョコ味のプロテインにサラダ好き、19歳にして瞑想をもちいるマーゴ・ヘイズに注目です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マルコ・プレゼリ氏の言葉

スロヴェニアのマルコ・プレゼリ氏、今春は若手2名と共にインド・キシュトワルヒマラヤに遠征中です。

Trije slovenski alpinisti v Kašmir by DREVNIK 2017.4.5

Mp1_2
インド・キシュトワルヒマラヤのアルジュナ峰(Arjuna 6230 m Photo by Marko Prezelj)
 
 遠征期間は5月24日から6月30日までの予定、目指すルートはアルジュナ峰西壁。インタビュー記事によれば、未踏の西壁はグーグルアースで探し出したとのこと。
 アルジュナ峰は1981年に主峰、82年に南峰がそれぞれポーランド隊に初登された既登峰。

 メンバーは、
Mp2
マルコ・プレゼリ(上)、アーバン・ノバク(右)、アレシュ・チェセン(左)の3人。
若手といっても、アーバン・ノバクはやはりインドヒマラヤ・セロキシュトワル東壁で、アレシュ・チェセンはハグシュ北壁でそれぞれマルコ・プレゼリと組んで登攀、ピオレドールに輝いた猛者です。
チームの構成、超ベテランのプレゼリは1メンバーとして、アーバン・ノバクがリーダーを務めているところがニクいですね。

 上述のDREVNIK の記事はマルコ・プレゼリ氏へのインタビューで構成されているのですが、後半は今春ドイツ・ババリアアルプスで下降中に亡くなったスロヴェニアの若手クライマーについて言及しています。
 内容はアルパインクライミングにおけるリスクに関してですが、長年にわたり極限的なクライミングを行ってきた経験から、「運命」としか説明し難い「リスク」について語ります。
 
 それでもなお、なぜクライマーは死のリスクを冒しながら山に向かうのか。
 記事の最後を締めくくるのは、マルコ・プレゼリ氏の言葉です。

『Nekdo, ki najraje sedi za računalnikom, bo težko razumel, da lahko človeka žene še kaj več.』

(ずっとパソコンの前に座っている者には、それより大事なことがあることに気がつかない。)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

Wild Country : The man who made Friends

Wild_2 Mark Vallance著 『 Wild Country : The man who made Friends 』 (ワイルドカントリー フレンズを世に送り出した男) を読む。
 クライミングのカミングデバイス、「フレンズ」開発者といえば、レイ・ジャーディンを思い起こす方がほとんとであろう。
 この本はフレンズを「商品」として創り、ワイルドカントリー社を創業したマーク・バランス氏の自伝である。

 バランス氏の生い立ちから語られるのだが、なんといっても注目されるのはフレンズが製品化されるまでのストーリーであろう。
 クライマーな皆様はご存じのとおり、フレンズそのものを開発したのはアメリカ人クライマーであるレイ・ジャーディン氏であるが、それを製品化し、商品として世に送り出すため奔走したのがイギリス出身でやはりバリバリのクライマーであったマーク・バランス氏である。
 
Wild1
山岳博物館に保存されている、レイ・ジャーディン氏によるフレンズ初期の試作品(本書掲載写真)

 バランス氏が初めて試作品を手にし、クライミングに用いたのが1975年、場所はヨセミテのワシントンコラム。
 知られているエピソードどおり、試作品は周囲のクライマーたちには秘密にされ、青い袋に入れて持ち運ばれ、「フレンズ」と呼ばれていた・・・という経緯はあっさりと記述されている。
 本書によれば、レイ・ジャーディン氏は「フレンズ」以前に「グラバーズ」(grabbers、つかむやつ、ひったくり の意)と呼んでいたことが紹介されている。
 この呼び名に対してバランス氏は「あんまりイケてない」と不評だったようです。
 何かのはずみで、もしかしたら「フレンズ」は商品名「グラバーズ」になっていたのかもしれません。

 ジャーディン氏が開発した「フレンズ」、これを製品として生産し、流通させるため、ジャーディン氏とともにバランス氏の奮闘が始まります。
 デザインの改良、それに伴うスプリング、カム、本体の材料となるアルミ合金の選定、調達、金属を加工する技術者探し、会社「ワイルドカントリー」創設、それにともなう法人税etc、etc・・・・

Wild2
ワイルドカントリー社創業に際して書き込まれた、会社のクリティカル・パス。(本書掲載画像) 拡大してみられないのが残念・・・

Wild3
新工場設立時の記念写真、前列中央の男性がマーク・バランス氏。
中列、左から6人目、濃いスーツ姿の男性は名クライマーであるジェリー・モファット氏。

 こうして世に送り出された「フレンズ」がクライマーに受け入れられ、さらにキャメロットなど類似製品が続いたことはクライマーの皆様ご存じのとおり。本書には、ギアマニアならたまらないエピソードが満載である。
 営業活動を兼ねて日本山岳会の招聘で来日した際のエピソードも、詳しく書かれている。
 来日時に日本側の同行者として、バランス氏にとって深く印象に残っているのが坂下直枝氏。冬季アンナプルナに単独で挑んだクライマー、そして「綺麗な英語を話しユーモアに長けた人物」として評価されている。やっぱり英語とユーモアって大切なんですね。
 バランス氏は坂下氏らと谷川岳でクライミングを楽しむ・・・はずだったのだが、そこで転落事故に遭遇。坂下氏の活躍で遭難者は搬送されるが、バランス氏は谷川岳の遭難碑、あの600名以上の名前が連なる石碑を、驚きをもって描いている。

 バランス氏はビジネスを軌道に乗せた後、自分の夢絶ちがたく、ラッセルブライスら率いる商業公募隊に参加してヒマルチュリ、シシャパンマ、ブロードピークなどに遠征。

Wild4
ヒマルチュリを登高中のマーク・バランス氏

そしてクライミングは人工壁全盛の時代を迎え、人工壁に関するビジネスを手掛けるようになる。
イギリスでは1961年に既に人工壁の先駆けとなる壁が作られていたことが明らかにされている。

クライマーとして世界中の壁、チベット、ネパール、カラコルムの山を登り、ビジネスをこなすバランス氏。
そんな氏を病魔が襲う。パーキンソン病である。
パーキンソン病が進行しながらも、イギリス中を巡るサイクリングに熱中するなどアウトドアに活躍する氏。
しかし病は進行する。
少しずつクライミングにも限界を感じ、そんな自分を受け入れ、「人工壁を登った後、早めにパブで一杯やる」という氏。
そして2012年、ワイルドカントリー社のサレワへの買収。

マーク・バランス氏は最終章において、「夢」の存在を熱く語る。
パーキンソン病にむしばまれても、夢が幻のようになろうとも、クライミングの如く重力に逆らうように諦めない。

読み進んでいる間、私は本書はギアマニアにお勧めの本だと思っていた。
読了後はまったく違う感想を抱いた。

我々が普段用いているギアが、いかなる情熱の下に産み出されてきたのか。
登山、クライミング、そして仕事。そのバランスをとって生きていくことの困難さ、そのやりがい。
本書はマーク・バランスというクライマー、ビジネスマンの自伝という形で、クライミング(登山)のある人生の素晴らしさを教えてくれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧