ロシア隊、グレートトランゴ南西壁に新ルート「インシャラー」開拓

去る7月23日、ロシア・クラスノヤルスク隊がグレート・トランゴ(6286m)南西面に新ルート「インシャラー」開拓に成功しました。

Сибирские альпинисты в составе сборной совершили первопроход в горах Пакистана by sib.fm 2017.8.14

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今回ロシア隊が拓いたのはナンバー9、オレンジ色のライン。ルート名称は「インシャラー(神の思し召しのままに)」

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登攀の様子

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登攀に成功した3名(左から右に)イゴール・スツダルツェフ、イワン・テメレフ、アントン・カシェフニク 

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3人は11日かけて標高差1500mの壁を登り切り、南峰を踏んで下降しました。
毎日の降雪に悩まされ、食料制限も行い登り切ったとのこと。
上記画像はチョコを口にして6時間下降を続け、最後の懸垂下降を終えてお疲れの様子。

グレートトランゴ南西面は上記画像のように既成ルートが多く、ロシアのクライミングサイトでは今回の「新ルート開拓」に関して、既成ルートの継続ではないかと少し議論になっているようです。
それでも壁の「空白」地帯を登るため、イワン・テレメフのコメントでは90m進むのにスカイフック130回掛け替えたりと、かなり苦労した模様。

今シーズンのロシア人クライマーは、ベテランのセルゲイ・ニーロフらがバフィン島に入山、順調に登っているので続報が待たれます。

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ロシア隊、ラトックⅠ峰北壁へ

今夏特に注目すべき登山隊として、ロシア隊が難攻不落のラトックⅠ峰北壁に挑みます。

Latok1

信頼できるロシア情報筋によれば、メンバーはタムセルク南西壁中央バットレスを初登したアレクサンドル・グコフ、冬のナンガパルバットを経験しているワレリー・シャマロのペア。
7月27日、2人はロシアを出国、パキスタンに向かった模様。
ルートの詳細は明らかにされていませんが、ジム・ドニーニ、ジェフ・ロウらが挑んだラインが挙げられています。

ロシア隊によるラトックⅠ峰北壁のトライは2012年に続く試み。このときは6200mに到達したところでメンバーの体調不良もあり断念という結果でした。

アレクサンドル・グコフ、ワレリー・シャマロはいずれもロシアのアルパインクライミングにおけるトップクライマー。
幾人ものクライマーを退けたラトックⅠ峰北壁に、この2名がいかに挑むのかが注目されます。

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ナーレ・フッカタイバル、韓国焼酎とキムチ鍋が好き

 2016年に世界最難ボルダー Burden of Dreams(V17) を初登したフィンランドのナーレ・フッカタイバル(Nalle Hukkataival) がプライベートのクライミングツアーで韓国を訪れました。
 韓国の山岳メディアが放っておくはずもなく、同行したオーストラリアのクライマーAndy Mckilliam氏の手記、インタビューという形式でその模様が掲載されています。

【訪韓人物】 V17ボルダラー ナーレ・フッカタイバル 風のように現れ、風のようにクライミングをしていった世界最強のボルダラー by 月刊「山」2017.6.13

以下引用開始
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9日間、釜山・慶南地域を巡り、12本のボルダー初登

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 世界最強のボルダラーであるフィンランドのナーレ・フッカタイバル(Nalle Hukkataival 30歳)が今年3月、韓国を突然訪問した。故国フィンランドで世界最難であるV17の「Burden of Dreams 夢の重荷」を2年に渡り4,000回以上のトライの末、初登の栄光を手にした彼は明らかに世界最高のボルダラーだ。

 現在、ボルダリングの最高難度はV17で、韓国で主に用いられているヨセミテ・グレードに換算すると5.15cである。V17は、現在の人間が完登した最高の難度となる。ナーレが初登した「Burden of Dreams」は未だ再登者はなく、V17という評価に誰も異論を唱えなかった。

 ナーレがフィンランドで体育の授業で人工壁クライミングを初めて経験したのは、12歳の時だった。
 彼はクライミングの魅力にとりつかれ、毎日室内の人工壁で過ごし、困難な課題をクリアしていった。「神童」としての能力を表わしたのである。しかし人工壁の指定されたプラスチック製ホールドだけを使用して登ることが「一直線にマラソンをするのと同じだ」と感じてクライミングをやめた。

 1年後、外岩でのボルダリング経験が彼の人生を変えた。以降、フィンランド・ヘルシンキの自宅近くの岩を登るために通い続けた。彼は優れた技量を携えて世界各国を旅し、新たな岩でより困難なボルダリングの課題を開拓してきた。

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(左)密陽・白雲山ボルダー群で開拓中のナーレ。スラブ状の岩で「グレードを容易に決めることができないほど難しい」と評価した。(右)ホールドをクリーニングするナーレ。愉快そうな彼の表情から、ボルダリングを純粋に楽しむ精神が表れている。

 彼はロックランズのV15級ハイボール「Living Large」、Maltatalの「Bugeleisen Sit(V15)」、マジックウッドの「The Understanding(V15)」などの高難度クライミングを続け、昨年秋には彼の長年のプロジェクトであるV17級の難度に世界で初めて成功し、議論の余地のない世界最高のボルダラーとして認められている。

 韓国訪問の前に、フランスのフォンテーヌブローで非常に困難なボルダリング課題の34連続完登(Black ED + circuit in Cuisiniere)を世界に先駆けて達成した。また常に湿っていることで悪名高いスラブ状のボルダー「Duel(決闘 V11)」を完登し、ヨーロッパのクライミングツアーを終えた。

 ナーレの訪韓の目的は、韓国でボルダリングを体験をし、新たに困難な課題の開拓の可能性を探り、今年の年末頃に再び韓国にボルダリングツアーとして訪問する。いわゆるボルダリング視察のために韓国を訪れたものだ。

 筆者は過去に韓国に数年滞在し、韓国でのクライミング経験を生かして、今回のナーレの韓国ボルダリングツアーに同行した。しかし残念ながら、9日間の短い旅では悪天候のため当初立案した計画をすべて実行することはできなかった。私たちはよく話し合い、既存のよく開拓された地域の代わりに、長い間解決されないでいるプロジェクトが残る、あまり開拓されていない場所を探すことにした。

 最初の3日間は、智異山国立公園の渓谷を踏査した。ピアゴル渓谷南の公園入口から4kmの川岸に位置する2つの巨岩がある所に行った。身体をほぐすため既存の課題を幾つかこなした後、初登が待たれる「Pitsch Patsch(V10)」にとりついた。

 正確に足の動きをつなげ、高度の緊張感が要求されるオーバーハングの不安定な壁をスメアリングで登った。小さなホールドをつま先でとらえ、精巧なクライミングで初登を果たした。

 彼が関心を示したのは、谷上部の巨大なオーバーハングボルダーであった。筆者がナーレと2014年にピアゴルボルダーを開拓したときに、この巨大な岩に目を奪われた。あまりにも難しそうで、登れる可能性は疑わしかった。下降しながらクリーニングしホールドを調べた後、「スタート時は非常に滑りやすいし幾つかのムーブはとんでもなくパワー系のムーブになりそうだが、クライミングは可能だろう」と言う。

 同行者がホールドのクリーニングとムーブをつなぐ練習をしながら、2時間が過ぎた。ナーレが下部を繋ぐムーブを完成させた。しかし残念ながら日没のためクライミングは続けることができなかった。今回の旅行の目的は、ボルダー探索目的の旅であり、明日は別の場所でのクライミングのために体力を温存しなければならず、次の訪問までの課題とした。
 この日の夕方、私たちは、智異山西に移動し眩しく美しいチルソン渓谷に到着した。

 巨大な単独ボルダーが立ち並ぶ谷で、会話やコーヒーに長い朝の時間を過ごした後、私の長年のプロジェクトである「Seven League Gloves(V6)」にとりついて体をほぐした。ナーレがルートのムーブを幾つかのダイノ・ムーブで減らし、直線につなげ、V11の難易度にアップグレードさせて完登し、見守っていた人々を驚かせた。

 チルソン渓谷下流の小さな中州に位置している巨大な岩を発見し、しばらくの間、調べてみた。しかし岩の上に松が育つなど、何か神聖な感覚を抱き、登ることは控えようと判断した。谷の少し上の既存のボルダーがある場所に移動した。

 ナーレは、これまで私たちが力を尽くして完登を目指してきた課題を迅速かつ容易に解いてしまった。初登者を待つ困難なボルダーさえ全て解決して、私たちを虚脱感に陥らせたが、世界最高のクライミングを見る楽しみの方が大きかった。

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1智異山ピアゴルの「Pitch Patsch(V10)」を慎重に登るナーレ。墜落に備えるスポットはクリストフ・ハーパー。2 「Boots(V11)」の上部を爆発的なジャンプでホールドを掴んだ瞬間。3智異山チルソン渓谷下流のV11ルートをクリーニングするナーレ。彼は韓国の美しい自然や食事、焼酎、フレンドリーな文化を非常に好んだ。

プロボルダラーは酒もプロのように飲む!

 3日目、天候が悪化する兆しを見せ始めた。もっと南へと車で移動し、私たちの長年の課題として残っていた素敵なオーバーハングボールダーがあるジュンサンリに場所を移した。着地点を整理して、ホールドをクリーニングした後、クライミングを開始しようとしたときに雨が降り始めた。今やらなければ、今回の旅行でこの岩は登れないことがわかっていたのですぐに岩にとりついた。

 岩に身を縮めてとりつき登り、非常に小さなピンチホールドに頼り、奇妙なダイノムーブで最後のホールドをつかみ「Dry Finish(V12)」を初登した。小雨はすぐに大雨に変わった。村に車で降りて、ビールとラーメンでささやかながら初登を祝うパーティーをした後、釜山に戻った。

 「気泡状の特異なホールドが多い花崗岩の智異山ボルダーがとても印象的」と言うが、過去3日間は滑りやすい岩と格闘していた彼は、残りの日程ではもっと綺麗でフリクションの効くボルダーを望んだ。

 翌日、密陽付近でクライミングすることを決めたが、岩があまりにも濡れていたため、私達はナーレを連れて釜山観光に訪れた。チャガルチ市場などで刺身と焼酎、三枚肉などで愉快な一日を過ごす。彼は「プロボルダラーは酒もプロのように飲むのさ」と焼酎が大好きだった。

 翌日は天気が回復し、新たに開拓された密陽・白雲山近くのボルダリングエリアに向かった。「世界のどこにも見られなかった形の、非常に魅力的なボルダーがある」と言う。いくつかのボルダーは、スイスの有名なボルダリングエリアであるクレシアーノにある岩と非常に似ているとして気に入ったようだ。

 ナーレはこれまで他のクライマー達が数ヶ月に渡って解けなかったムーブを解決し、多くのルートの初登をやり遂げた。「Duende」スペイン語で「妖精」と呼ばれる新ルートをスラブ状の岩に開拓したが、難易度を簡単に決められない程に難しかった。彼は人気のあるダイノムーブのプロジェクトである「Dr. Nick(V7)」を見事に解決するムーブを示し、クライミングツアーを終えた。

 ナーレと同行したクライマーは、すべての難易度V10以上を登るクライマーであり、ネウォンサ地域や金井地域などで多くの岩を開拓した釜山・慶南地域の在韓外国人である。ナーレは彼らが登れなかった課題を訪韓中に解決し、12本のルートを初登、世界最強のボルダラーらしい姿を示してくれた。

 彼は 「韓国のボルダリングは本当に素晴らしい場所が多い」 「様々なクライミングスタイルと様々な形状の岩が印象的」と言う。 「多くの国を巡ってボルダリングをしてきたが、多数のボルダーでは同じ動作を繰り返すことになり、結局は退屈なクライミングになった」 「韓国は、様々なタイプのクライミングができる国」と語る。しかし最も魅力的なのは、クライミングそのものよりも、大自然の美しい場所にボルダーがあること、市内からのアクセスが容易であること、独自の文化体験、素晴らしい料理と人々の優しさ、と話していた。

 雪岳山・蔚山岩付近の写真を見ては、束草地域のボルダリング調査に関心を持った。国立公園区域は、クライミングの制約が厳しいという現実に、国立公園側とボルダリング愛好者が対話を通じて開放のための努力を続けて、世界的なボルダリングエリアの扉が開かれるようにしてほしいと語った。彼は「より深みのある調査と開拓のために早く韓国に再訪したい」と約束した。

インタビュー ナーレ・フッカタイバル

Q 韓国でのボルダリングはどうでしたか?

 全ての経験を楽しめたし、様々なタイプのクライミングが良かった。いくつかの国では、クライミングの単調さにすぐにうんざりしてくる。韓国は全く違う。この点が非常に魅力的だ。また、私が韓国で訪れたすべてのボルダリング地域がとても美しかった。

Q 韓国でボルダーをさらに開拓しますか?

 もちろん、その可能性が高い。私は一部を見ただけだ。余裕のある日程で戻ってこられるか、調べている。韓国で過ごす時間は、私にとって非常に素晴らしい経験だからだ。

Q 韓国で特に記憶に残るクライミングは?

 非常に多い。私が開拓した密陽の「Basic Instinct」は、風変わりなクライミングの一つだ。スイスに似た岩塊で、独特のムーブ、狂ったように上下にニーロックを繰り返す必要がある。その横の「Hump and Pump」は韓国だけで見ることができる、本当に特別な岩だ。また智異山ジュンサンリの「Dry Finish」も記憶に残る素晴らしいボルダーだ。

Q 韓国で時間がなくて完成できなかったプロジェクトはありますか?

 密陽で開拓したボルダーだ。非常に困難なスタートが要求される「Tree of Perdition」を必ず登ってみたい。私がブラシでクリーニングした智異山ピアゴルの印象的なハイボール(ハイボルダー:高さ5mを超える岩)は、本当に難しそうだ。今回の旅行中、意図してあまりに深くクライミングに没頭しなかった理由は、可能な限り多くの可能性を調べるためだ。

Q 他のクライマーたちに勧めしたいところはありましたか?

 混雑するところではなく、興味深いクライミング対象地を探しているなら、韓国を誰にでも強く勧めるだろう。しかし、ほとんどの韓国のボルダリングエリアはまだ開拓の初期段階にあるようだ。ガイドブックを持っていても岩はあまり手入れもされていないし、多くのクライミングをするために入るにはちょっと難しいようだ。

Q 韓国料理は口にあいましたか?

 韓国料理は本当に美味しい。石焼ビビンバは旨いし三枚肉はとてもおいしかった。最も旨かった料理は、蔚州・彦陽近くでクライミングした後に食べたキムチ鍋だ。

Q 韓国にまた戻ってきますか?

 もちろん! この次は韓国の他のエリアにも巡ってみたい。雪岳山やソウルなどの北部にも行ってみたい。

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以上引用おわり

あ、ボルダラーの皆さんすんません。
私の場合、ナーレ・フッカタイバルが「韓国焼酎好き」 「キムチ鍋が好き」しか頭に入ってない記事でござんした。

でも韓国を訪れた経験からして、韓国料理はやっぱ焼き肉より鍋料理ですよ。鍋、鍋。

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よく食べ、よく眠る マーゴ・ヘイズの場合

 今年2月、スペイン・シウラナの『La Rambla』 (9a+/5.15a) を登り女性クライマーとして最高グレードを更新した、アメリカのマーゴ・ヘイズ( Margo Hayes 19歳)。

 現在はクライミングに専念するためとフランス語習得を兼ねて、フランスでアパート住まいです。
 その生活ぶりを、アメリカの女性健康雑誌『SELF』が取材しました。

What It’s Like to Be a Professional Rock Climber at 19 by SELF 2017.5.11
(19歳でプロクライマーになるということ)

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マーゴ・ヘイズ近影(Photo by Clayton Boyd/The North Face)

 マーゴ・ヘイズの生活に関する記事を要約すると、次のとおりです。

 お気に入りの朝食はシンプルに、炭水化物とタンパク質をたっぷりと。
 いつもはオート麦またはオートミールとプロテイン。お気に入りのレシピは、アーモンドミルクと亜麻仁(フラックス)、一晩置いたオートミール。朝食を作る気分にならないときは、プレーン・オートミールまたはVega社のプロテインを飲む。味はいつもチョコレート味。

 通常のクライミングトレーニングに加えて、フランス滞在中はウォーキングが日課。ジムにも、学校の授業にも、食糧の買い出しもぜんぶ歩いて行く。毎日5~10マイル(8~16km)は歩く。

 ランチや夕食時には、文字通りリラックスしているマーゴ・ヘイズを見ることができるだろう。
 マーゴ・ヘイズの夕食は大量のサラダ。本人曰く「初めて夕食一緒にする人は「あなたそれ食べるの?」って思うでしょ。」
 サラダの内容はサーモン、チキン、玄米、キノア(南米産の雑穀)に加え、特に好物なのはアボカド、チアシード、サツマイモ。
 今住んでいるアパートは狭いので、サーモンをキッチンで調理したら数週間匂いがとれず困った。

 コンペに備えて重要視しているのは睡眠。そのためにSNSも遠ざける。
 また意識して多めに水を飲む。
 幼少のときに母親の友人から手ほどきを受けた「瞑想」が精神を集中することに役立っている。コンペの際に精神集中するだけでなく、心身の調子を上げるのに役立っている。
 「(瞑想は)私にとって素晴らしいツール」。

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コンペでのマーゴ・ヘイズ(Photo by Greg Mionske)

チョコ味のプロテインにサラダ好き、19歳にして瞑想をもちいるマーゴ・ヘイズに注目です。

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マルコ・プレゼリ氏の言葉

スロヴェニアのマルコ・プレゼリ氏、今春は若手2名と共にインド・キシュトワルヒマラヤに遠征中です。

Trije slovenski alpinisti v Kašmir by DREVNIK 2017.4.5

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インド・キシュトワルヒマラヤのアルジュナ峰(Arjuna 6230 m Photo by Marko Prezelj)
 
 遠征期間は5月24日から6月30日までの予定、目指すルートはアルジュナ峰西壁。インタビュー記事によれば、未踏の西壁はグーグルアースで探し出したとのこと。
 アルジュナ峰は1981年に主峰、82年に南峰がそれぞれポーランド隊に初登された既登峰。

 メンバーは、
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マルコ・プレゼリ(上)、アーバン・ノバク(右)、アレシュ・チェセン(左)の3人。
若手といっても、アーバン・ノバクはやはりインドヒマラヤ・セロキシュトワル東壁で、アレシュ・チェセンはハグシュ北壁でそれぞれマルコ・プレゼリと組んで登攀、ピオレドールに輝いた猛者です。
チームの構成、超ベテランのプレゼリは1メンバーとして、アーバン・ノバクがリーダーを務めているところがニクいですね。

 上述のDREVNIK の記事はマルコ・プレゼリ氏へのインタビューで構成されているのですが、後半は今春ドイツ・ババリアアルプスで下降中に亡くなったスロヴェニアの若手クライマーについて言及しています。
 内容はアルパインクライミングにおけるリスクに関してですが、長年にわたり極限的なクライミングを行ってきた経験から、「運命」としか説明し難い「リスク」について語ります。
 
 それでもなお、なぜクライマーは死のリスクを冒しながら山に向かうのか。
 記事の最後を締めくくるのは、マルコ・プレゼリ氏の言葉です。

『Nekdo, ki najraje sedi za računalnikom, bo težko razumel, da lahko človeka žene še kaj več.』

(ずっとパソコンの前に座っている者には、それより大事なことがあることに気がつかない。)

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Wild Country : The man who made Friends

Wild_2 Mark Vallance著 『 Wild Country : The man who made Friends 』 (ワイルドカントリー フレンズを世に送り出した男) を読む。
 クライミングのカミングデバイス、「フレンズ」開発者といえば、レイ・ジャーディンを思い起こす方がほとんとであろう。
 この本はフレンズを「商品」として創り、ワイルドカントリー社を創業したマーク・バランス氏の自伝である。

 バランス氏の生い立ちから語られるのだが、なんといっても注目されるのはフレンズが製品化されるまでのストーリーであろう。
 クライマーな皆様はご存じのとおり、フレンズそのものを開発したのはアメリカ人クライマーであるレイ・ジャーディン氏であるが、それを製品化し、商品として世に送り出すため奔走したのがイギリス出身でやはりバリバリのクライマーであったマーク・バランス氏である。
 
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山岳博物館に保存されている、レイ・ジャーディン氏によるフレンズ初期の試作品(本書掲載写真)

 バランス氏が初めて試作品を手にし、クライミングに用いたのが1975年、場所はヨセミテのワシントンコラム。
 知られているエピソードどおり、試作品は周囲のクライマーたちには秘密にされ、青い袋に入れて持ち運ばれ、「フレンズ」と呼ばれていた・・・という経緯はあっさりと記述されている。
 本書によれば、レイ・ジャーディン氏は「フレンズ」以前に「グラバーズ」(grabbers、つかむやつ、ひったくり の意)と呼んでいたことが紹介されている。
 この呼び名に対してバランス氏は「あんまりイケてない」と不評だったようです。
 何かのはずみで、もしかしたら「フレンズ」は商品名「グラバーズ」になっていたのかもしれません。

 ジャーディン氏が開発した「フレンズ」、これを製品として生産し、流通させるため、ジャーディン氏とともにバランス氏の奮闘が始まります。
 デザインの改良、それに伴うスプリング、カム、本体の材料となるアルミ合金の選定、調達、金属を加工する技術者探し、会社「ワイルドカントリー」創設、それにともなう法人税etc、etc・・・・

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ワイルドカントリー社創業に際して書き込まれた、会社のクリティカル・パス。(本書掲載画像) 拡大してみられないのが残念・・・

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新工場設立時の記念写真、前列中央の男性がマーク・バランス氏。
中列、左から6人目、濃いスーツ姿の男性は名クライマーであるジェリー・モファット氏。

 こうして世に送り出された「フレンズ」がクライマーに受け入れられ、さらにキャメロットなど類似製品が続いたことはクライマーの皆様ご存じのとおり。本書には、ギアマニアならたまらないエピソードが満載である。
 営業活動を兼ねて日本山岳会の招聘で来日した際のエピソードも、詳しく書かれている。
 来日時に日本側の同行者として、バランス氏にとって深く印象に残っているのが坂下直枝氏。冬季アンナプルナに単独で挑んだクライマー、そして「綺麗な英語を話しユーモアに長けた人物」として評価されている。やっぱり英語とユーモアって大切なんですね。
 バランス氏は坂下氏らと谷川岳でクライミングを楽しむ・・・はずだったのだが、そこで転落事故に遭遇。坂下氏の活躍で遭難者は搬送されるが、バランス氏は谷川岳の遭難碑、あの600名以上の名前が連なる石碑を、驚きをもって描いている。

 バランス氏はビジネスを軌道に乗せた後、自分の夢絶ちがたく、ラッセルブライスら率いる商業公募隊に参加してヒマルチュリ、シシャパンマ、ブロードピークなどに遠征。

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ヒマルチュリを登高中のマーク・バランス氏

そしてクライミングは人工壁全盛の時代を迎え、人工壁に関するビジネスを手掛けるようになる。
イギリスでは1961年に既に人工壁の先駆けとなる壁が作られていたことが明らかにされている。

クライマーとして世界中の壁、チベット、ネパール、カラコルムの山を登り、ビジネスをこなすバランス氏。
そんな氏を病魔が襲う。パーキンソン病である。
パーキンソン病が進行しながらも、イギリス中を巡るサイクリングに熱中するなどアウトドアに活躍する氏。
しかし病は進行する。
少しずつクライミングにも限界を感じ、そんな自分を受け入れ、「人工壁を登った後、早めにパブで一杯やる」という氏。
そして2012年、ワイルドカントリー社のサレワへの買収。

マーク・バランス氏は最終章において、「夢」の存在を熱く語る。
パーキンソン病にむしばまれても、夢が幻のようになろうとも、クライミングの如く重力に逆らうように諦めない。

読み進んでいる間、私は本書はギアマニアにお勧めの本だと思っていた。
読了後はまったく違う感想を抱いた。

我々が普段用いているギアが、いかなる情熱の下に産み出されてきたのか。
登山、クライミング、そして仕事。そのバランスをとって生きていくことの困難さ、そのやりがい。
本書はマーク・バランスというクライマー、ビジネスマンの自伝という形で、クライミング(登山)のある人生の素晴らしさを教えてくれる。

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【訃報】 ウーリー・ステック死去

まことに残念な報道です。

スイスのウーリー・ステックがネパール・ヌプツェにて滑落死した模様です。

Ueli Steck dead: Famous Swiss climber killed in mountaineering accident near Mount Everest by Independent 2017.4.30

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ウーリー・ステック近影

 すでに山屋な皆さまはご承知のとおり、ウーリー・ステックは今春エベレスト・ローツェ縦走をめざしてネパール入り、順応活動に入っていました。
 詳細は情報が交錯していますが、ヌプツェ登攀中に滑落した模様です。

 最近になりメディアでのインタビューで、自らのリスクあるクライミングゆえ子供を作らないことに言及していました。
 
 今年のビオレドールでは登頂を示す証拠について議論になり、ウーリー・ステックの果たしたアンナプルナ南壁単独登攀も議論の俎上に挙げられていました。

 韓国の山岳雑誌におけるインタビューにおいて「これからは8000m峰で活動する」と言明、なにより感銘を受けたのは、

 『私の目標は、その変化の過程の中で、登山の楽しさを失わないことです』

 と、世間で取りざたされる「記録」「スピード」とは異なる、「クライミングを楽しむ」ことを第一とした思想にありました。
 これから生み出される記録よりも、希代のクライマーがどのように歳をとり、どのようにクライミングを楽しんでいくのかを注目していたのですが、今回の事故死により、それを見届けることも叶わぬことになり、残念でなりません。
 不世出のクライマーの死に、哀悼の意を表します。

当ブログ記事 「私は機械じゃない」 ウーリー・ステック、韓国で語る 2016.02.03

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【訃報】 ロイヤル・ロビンス逝去

既に世界各国のクライミングサイトが報じていますが、ロイヤル・ロビンス氏が3月14日、亡くなりました。
死因は明らかにされていませんが、長い闘病の末の逝去との報道です。82歳でした。

Rock climbing pioneer, Modesto’s Royal Robbins, dies at 82 by The modesto Bee 2017.3.14

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若き日のロイヤル・ロビンス

クライマーの皆様には今さら経歴を紹介するまでもありませんが、1957年ハーフドーム北西壁初登、1961年 エルキャピタン・サラテ初登、1962年 センチネルロック北壁初登 等々、ヨセミテのクライミング黄金時代を築いた一人。

筆者はどちらかというとロイヤル・ロビンスと激しく対立していたウォーレン・ハーディングの著書に惹かれていましたが、邦題 『ロイヤル・ロビンスのクリーンクライミング入門』 に影響を受けた方も多いかと思います。ロイヤル・ロビンスが提唱した「クリーン・クライミング」の概念はクライミング史において大きな潮流を巻き起こしたといえるでしょう。
クライミングの偉大な先達の逝去に、哀悼の意を表します。

あの人は今 ロイヤル・ロビンス (当ブログ2008.05.26 73歳当時のインタビュー記事)

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インドのクライミング技術は欧米諸国を越えた 【ネタです】

さすがインド5000年の神秘!!

映画『MERU』で感動に浸っている日本全国のクライマーの皆様!

ウィル・ガッドやスティービー・ハストンも真っ青なクライマーがインドにあらわる!

詳細は動画をどうぞ↓

おおーっ、あのコメディ映画『バーティカル・リミット』よりすげー!(棒読み)

インド・ヒンズーポップスのMVらしく、字幕のスタッフ名から必死に調べたのですがインドの著名な映像ディレクター Anjali bhushan が関わっている以外、歌手・俳優不明です、すんません、、、

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ピオレドール2017 生涯功労賞にジェフ・ロウ

ピオレドール2017、生涯功労賞(ワルテル・ボナッティ賞)に、ジェフ・ロウが選出されました。

Jeff Lowe recibirá el Piolet de Oro 2017 por el conjunto de su carrera by Desnivel

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全盛期のジェフ・ロウ

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筋萎縮性側索硬化症に類似した病と闘病中の、現在のジェフ・ロウ

 各国クライミングサイト共通してアイガー北壁「メタノイア」をとりあげていますが、なんといってもジム・ドニーニらと組んだラトック1峰北壁が印象に残ります。
 名著『アイス・ワールド』を手にした日本のクライマーも多いことと思います。

 その傑出したクライミングテクニックだけが取りざたされますが、私が愛知県の登山用品店「穂高」の鈴木清彦氏(愛知学院大山岳部)からお勧めいただいたビデオ『Alpine Ice』では、地味な滑落停止や尻セードなどの基本技術も披露しています。
 先鋭的な行動でクライミング技術を押し上げただけでなく、ジェフ・ロウがビデオのようなメディアを通じて多くの登山者・クライマーを啓蒙していった面も忘れてはならないと私は思っています。

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