キムちゃんに叱られる

今こそすべての日本国民に問います。

キム・ジャインちゃんの飼い犬の名前は、『 独 島 ( ド ク ト ) 』でした。

與 영입5호 소방관은 유명 몸짱커플···암벽여제 김자인이 부인  by 中央日報2020.1.7

以下引用開始

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 キムさんは最近インスタグラムで、政界に一歩を踏み出す夫を静かに応援する動きを見せた。夫妻は先月初め、捨て犬の里親になり「独島」と名付けて世話をしている。動物福祉を公約に掲げたムン・ジェイン大統領が捨て犬の子犬を青瓦台の「ファーストドッグ」に採用したことにならった。

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 というわけで、今、韓国の政党は来年の総選挙に向け、与野党ともに新たな人材を募っており、それが連日にわたり韓国メディアの話題になっています。

 韓国の各政党が目を付けているのは、先の「チョ・グク疑惑」で揺れに揺れている20~30代の票の行方。

 韓国与党「共に民主党」は5人目のリクルート人材として、キム・ジャインの旦那様、オ・ヨンファン氏を将来の議員候補として入党させました。

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入党記者会見での様子。左からイ・ヘチャン「共に民主党」代表、オ・ヨンファン、キム・ジャイン夫妻

 キム・ジャインの旦那様オ・ヨンファン氏、2010年から消防士(航空救難隊)として勤務、出動回数は9年間で2000回以上の出動をこなし、退職後は「防災伝道師」として広報活動を行い、著書「ある消防士の祈り」を出版するなど、防災に尽力してきた人物。

 今回の政界進出に関してキム・ジャインは、次のように支持しています。

『最近まで消防現場を仕事場としてきた夫の突然の政治家転進に、キム選手はどんな反応を見せたのだろうか。 オさんは記者会見で「勧誘について妻に意見を尋ねるとすぐ、昨年独島(ドクト)消防救助ヘリ墜落事故で出動した時のような返事が返ってきました」と答えた。 当時事故現場捜索のために出かける夫を「行かないで」と止める代わりに声援を送ったキム選手は今回も「世の中で必要と考えることに最善を尽くすことを支持して応援します」と信頼を見せた。』 by 韓国日報2020.1.7

 さて、日本でタレント議員や○○チルドレン議員の失言が話題になりましたが、オ・ヨンファン氏も早速記者会見で「チョ・グク疑惑」について記者に質問され、チョ・グク前法相の子供の進学疑惑に関して

「 当 時 の 親 の 慣 行 」

と擁護発言したことが韓国メディア、ネット上で大炎上。野党からは「共に民主党の人材は人災だ」と揶揄されてしまいました。

 ただし、オ・ヨンファン氏は「生涯を消防士の仕事に捧げたかったが、現役時代に感じた法制度と現実との乖離の解消、国民の生命と安全に関する必要な法制度、予算を成立させる必要があると考えていた」と真剣な姿勢を見せています。

 それはさておき、昨秋は五輪クライミング競技出場権獲得に伴う悩み・戸惑いをモノローグとして韓国メディアに吐露していたキム・ジャインちゃん、旦那の政界入りのドタバタに負けないでファイテン~!

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人生いろいろ

【アレックス・オノルド、婚約決める】

映画『フリーソロ』で時の人となったアレックス・オノルド。

 既にSNSでご承知のクライマーも多いと思われますが、12月26日、かねてより交際中のサンニ・マッカンドレス(Sanni McCandless )との婚約を公表しました。

 某日本テレビのバラエティ番組では「僕、もてないんですよね・・・」と草食系男子として報じられていたアレックス・オノルド、おめでとうございます!

Alex Honnold si sposa, Sanni ha detto si !  by Montagna.tv 2019.12.27

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Sanni McCandlessのインスタより

 2人の出会いは2015年、シアトルで開催されたアレックスの著書サイン会。

 アレックスが著書にサインして手渡した際、サンニが電話番号を書いて渡したことがきっかけ。一方、アレックスの方は友人に「可愛い女の子から電話番号もらった!」とコーフンしていたとのこと。

 初めの出会いは何もありませんでしたが、三週間後、著書サイン会ツアーを終えてシアトルに戻ってきたとき、アレックスがSMSで夕食に誘い、2人の仲が急接近したとのこと。

 イタリアのMontagna.tvの報道では、アレックスから具体的なプロポーズは無く、「僕たち、このままでいいかい?」みたいな事を言ったらしい・・・

 オラオラ、「結婚はクライマーの三大北壁」とかほざいてる日本の独身アルパインクライマーもちったあ見習えよ。あ、そういう私は見合い結婚で(以下省略)

 

【ラインホルト・メスナー、離婚しました】

今年8月、スケベ爺ラインホルト・メスナーがサビーネ・シュテーレ夫人と離婚していたことが明らかになりました。

Mes

Meine Frau hat mich verlassen  by Bunte.de 2019.8.28

参考記事 で、メスナー爺さんは今なにやってんの? by 当ブログ2009.8.1

 離婚の具体的な理由は明らかにされていませんが、メスナーの「常に新しいものを追い求める」生き方と価値観に相違があったのか、奥様の方から離れていったとのメスナーの弁。

 2人は3人の子供をもうけ、娘さんが管理しているメスナー山岳博物館の運営権をサビーネ・シュテーレ夫人に譲ろうとしましたが、これも断られました。

 なお、メスナーは半年たたずして、「数十年若い」女性をパートナーにしているとのこと。

 いやいや8000m峰登頂は無理でも、こういう姿勢は真似したいですね(棒読み)

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2019ピオレドールロシア、スチールエンジェル決まる

 去る12月7日、ロシアの首都モスクワ中心部、ヴォルフォンカ公会堂にて、ロシア山岳連盟主催のピオレドールロシア、旧ソ連圏の女性クライマーの成果に贈られるスチールエンジェル賞の式典が開催されました。

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Pio2 式典には約400名もの登山関係者が集まり、ゲストとして8000m峰14座スピード登頂で話題の人となったニルマル・プルジャが招かれました。

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 2019年のピオレドールロシア賞は、パキスタン・ハーン渓谷のタングラタワー初登を果たしたデニス・プロコフィエフ(左)、マリーナ・ポポワ(中央)、ニコライ・マチュシン(右)のパーティーが選ばれました。困難な未踏ルートを初登したことが高く評価された模様です。

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 一般投票によるオーディエンス賞として、キャゾ・リ西壁新ルート「ドラゴンの道」開拓・登頂したロストフ隊(アンドレイ・ヴァシリエフ、イヴァン・オシポフ、ドミトリー・リバルチェンコ、ヴィタリ・シピロフ)が選ばれました。ステージに立つのはアンドレイ・ヴァシリエフ(左)、ヴィタリー・シピロフ(右)

旧ソ連圏の女性クライマー達のクライミングを表彰する、2019年のスチールエンジェル賞に輝いたのは、

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 プチジョラス(3650 m)北西壁のアヌークルート(M.ピオラ、V.スプルングリ 1990)とコンタミヌルート(A.コンタミヌ、P.ラブラン、M.ブロン、1955)の混成ルート (ED-6c~6a + A0 II )を登攀した、ナタリア・テプロヴァ、オルガ・ルカシェンコ(サンクトペテルブルク)のペアが選ばれました。

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 アックスのパーツで天使を模したスチール・エンジェル賞トロフィーを受け取るオルガ・ルカシェンコ。ちなみにトロフィーのプレゼンテーターはニルマル・プルジャがつとめました。

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ロベール・パラゴ逝去

フランスの名登山家、ロベール・パラゴ(Robert Paragot )氏が10月24日、癌のため亡くなりました。92歳の生涯でした。

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ロベール・パラゴ氏近影

日本では『ザイル仲間の二十年』という書籍でその存在を知った方も多いかと思います。

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 1927年フランス・パリ近郊のビュリオン出身、農家育ちで14歳から山を始め、フォンティーヌブローの岩場で技術を磨いてきました。

 1950~60年代にかけてリュシアン・ベラルディ二という素晴らしいパートナーを得てグラン・カピュサン東壁・北壁にルートを拓き、アコンカグア南壁登攀、さらにはムスターグ・タワー、ジャヌー登頂を果たします。

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ジャヌー山頂に立つロベール・パラゴ 

1971年には隊長としてマカルー西稜(ウエスト・ピラー)にトライ、ヤニック・セニュール、ベルナルド・ミュレを山頂に送り込みました。

その後はフランス山岳会会長などの役職をつとめ、2012年にはその高所登山におけるクライミングの成果からピオレドール生涯功労賞(ワルテル・ボナッティ賞)を受賞しました。

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グラン・カピュサン北壁を登攀中のロベール・パラゴ

 その逝去をフランス各紙がとりあげていますが、その多くが「パリジャン」パリを愛した山男として報じています。

 フランス・シャモニを拠点に活躍する仲間達とは異なり、パリという街を愛した彼は山岳ガイドの道を選ばす、自動車修理工を経てタイプライター職人として生計を立て、数々の岩壁を陥していきました。

 偉大な登山家の逝去に、哀悼の意を表します。

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サーシャ・ディジュリアンは何を食べているか

アメリカのトップクライマー、サーシャ・ディジュリアン(Sasha DiGiulian)。

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彼女の食生活の一端が紹介されました。

What’s Cooking: How Climber Sasha DiGiulian Stays Fueled by ASN 2019.1.23

以下引用開始
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クライマー サーシャ・ディジュリアンは何を食べているか

世界チャンピオンは、遠征中の健康維持のヒントと、お気に入りの超シンプルなスナックレシピをシェアします。

取材:ケイリー・ブラッドストリート(Kailee Bradstreet)

 サーシャ・ディジュリアン(26)は、ロッククライミングの世界ではすでに著名な経歴を誇っています。

 19歳の時には、ケンタッキー州のレッドリバーゴルジュで最も困難なルート(5.14c)をアメリカ人女性として初めて登りました。2017年には、マダガスカルで12ピッチのルートである『Mora Mora』5.14b(8c)から、1999年の初登以来の再登を記録しています。

 最近、ディジュリアンは足首を骨折していたにも関わらず、活動意欲は衰えていません。既に社会的な名声も得た彼女は、制限された環境下においても粘り強くトレーニングを続けてきました。
 私たちは世界チャンピオンに取材し、彼女がどのようにトレーニングし、栄養を補給し、コンディションを整えるために何を食べているかをたずねました。

Q.食事に関する、あなたのポリシーは何でしょうか?特定の考え方や、それに基づいているのですか?

 私は適切に、様々な情報を信じています。主に繊維質が高めの植物性食品、赤身の蛋白質 - チキンとサーモン - を使って、栄養を補給しています。でも赤ワインとクッキーも楽しみますよ。

 特に力を入れてトレーニングするときは、自身に対してそれほどストイックにはなりません。より総合的に - 排除するのではなくて - 食事を摂っています。何より、一日を通して十分な蛋白質と野菜を摂取していることを確かめています。

Q.トレーニング時の食習慣はどんなものですか?トレーニングの中断時には何か変わりますか?

 Pazio Institute (訳者注:民間の健康サポート機関) のスポーツ栄養士であるアレックス・パチノポロスに指導を受けています。習慣としては、朝にレモン、ミント、そして温かい水を最初に口にします。

 ヨガの前または後に緑茶と野菜のスムージーを飲みます。戻ってから朝食をとります。典型的なメニューは、プロテインパウダー入りオートミール、またはフルーツとグラノーラ入りギリシャヨーグルトです。

 一日のうち、日中にトレーニングします。だいたい12時から午後4時にかけてですね。トレーニングの後、プロテインを摂取して、通常は午後7時ごろに夕食をとります。

Q.トレーニングに関しては、食事はどのくらい重要ですか。また、どの程度に柔軟に対応していますか?

 私が自宅にいるときは、かなり自己管理としています。けれど私は遠征に出ることが多いので、厳格な習慣づけは困難です。

 いつもProTecのフォームローラーを携帯して遠征に出ています。出先で必要なものを揃えるのは難しい場合がありますから、Green Vibranceパウダーや同様の製品も一緒に持って行きます。パーソナルブレンダー(訳者注:小型のミキサー)を持ってきます - 私は最近BlendJetを買いました。

 トレーニングは4~8時間、週に5~6日トレーニングし、ほぼ毎日ストレッチを行います。週に3回はヨガを行い、週に4~5回はカーディオ(エアロバイク等を使用した有酸素運動)を行います。

Q.岩場に行く時の食事や行動食は何ですか?その理由は何ですか?

パーキージャーキーPerky Jerkyは、高蛋白で美味しいので、私にとって満足な行動食です。

サーシャのナッツ・オーツ・ハニーバー

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私はよく自分でナッツバーを作ります。ナッツとオート麦をベースにして、デーツ(ナツメヤシ)や蜂蜜で固めてます。

材料
- カシューナッツ 1カップ
- オート麦1カップ
- プロテインパウダー2杯(以前はPaleo Proを使用していました)
- レモンの皮 大さじ2
- ココナッツオイル 大さじ2
- ココナッツフレーク 1/4カップ
- 乾燥スグリ 1/4カップ
- ドライクランベリー 1/4カップ
- メープルシロップ 大さじ1
- 蜂蜜 1/2カップ

作り方
- 材料をすべてフードプロセッサーに入れて砕きます。
- 一緒に鍋に入れます。
- 冷凍庫に保管して、エネルギー補給が必要なときに使って下さい!

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以上引用おわり

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ガンブレッツ家の人々

スロベニアの一般日刊紙DELOが、ヤーニャ・ガンブレッツの家庭について報道しました。
昨年12月、スロベニアのスポーツジャーナリストの投票により推薦される「最高アスリート賞」を、2位以下を大きく引き離す大差で受賞したヤーニャ・ガンブレッツ。スロベニア国内でも大きく名前が知られるようになりました。

そんなヤーニャ・ガンブレッツ、料理を始めたのは彼氏の影響だとか。

Janja Garnbret: Sezuta plesalka, obuta plezalka by Delo 2018.12.23

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母、父と共に Photo by Tadej Regent

 インスブルックのW杯クライミングチャンピオンに輝き、メディアの注目を集めた2つの金・1つの銀メダルの勝者は、まだ仕事をしていた母・ダリヤと父・ビリヤのためにランチを作っていました。

 メニューはパスタとたっぷりの野菜です。 「今まで料理はしたこと無かったんです。私はランチ好きですよ。ドムン(ドムン・シュコフィセム、ヤーニャのボーイフレンドでありトップクライマー)がとても料理好きだったんで、影響を受けました。」 と語るのは、スポーツクライミング世界選手権の覇者。彼女は料理するだけでなく、洗い物から片付けまでこなします。

 小さい頃から、彼女はいつも庭の木、キャビネット、フェンスをよじ登っていました。
 ある日曜日、ダリヤ・ガンブレッツは夫に頼み、自宅からほど近いスロヴェニ・グラデツ(Slovenj Gradec)の教会近くにあるクライミングジムを訪れました。娘は簡単に高いところまで登り、「他のクライマーの注目を引いた」と父ビリヤは回想します。

 ヤーニャは変わらず庭の木やフェンスを登っていましたが、地元のクライミングクラブに入会しました。「学校に通うと共に、週2回、クライミングの練習に通っていました。」初めの2年間は母ダリヤがスロヴェニ・グラデツまで車で送っていましたが、基礎を学び終え、ますますクライミングに入れ込むようになり、コーチ達も熱心に指導してくれました。しかし、夫婦はある選択を迫られました。

バスでトレーニング通い

 「私たち夫婦には選択肢が2つありました。ラヴネ・ナ・コロシュケム(Ravne na Koroškem)、またはヴェレニエ(Velenje)のどちらで彼女をトレーニングさせるか。私たちは二人ともゴレニア(訳者注・スロベニアに本拠地を置くヨーロッパでもトップの家電メーカー)で働いていましたから、ヴェレニエを選びました」

 ヤーニャは学校から戻って昼食をとり、宿題をし、それから家の近くのバス停で時間を確認します。母親と一緒にバスに乗るのは初めてでしたが、後に祖母が付き添うようになり、その後は1人でバスに乗るようになりました。そしてヴェレニエは絶好の場所であり、それは今後も変わることは無いでしょう。
 クラブの友人であるティヤサ・スレメンシュク(訳者注・W杯常連のスロベニア代表クライマー)はいつもバス停で待ってくれていました。彼女達は後にヴェレニエ高校で机を共にする親友となりました。7時過ぎ、トレーニングが終わる頃に父はヴェレニエに迎えに来て、母は彼女を家で待っていました。

 母ダリヤがふり返ります。若いクライマー達はコンペでサポートを必要としていました。
「彼女は普通のズック靴でコンペに参加していました。初めて行ったときのことを覚えています。他の親達はサンドイッチ、飲み物、果物を用意し、スポーツウェアを着ていました。私はハイヒールを履き、何も用意していませんでした。」ダリヤは笑って語ります。ヤーニャが最後から2番目の順位でコンペを終えたが、失望すらしませんでした。
「私と夫は娘がクライミングにそれほど向いているとは思いませんでしたが、コーチの皆さんはいつも彼女には才能があると言っていました」

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水の中の魚、壁の中のヤーニャ 写真:AFP

 そして快進撃が始まる。1戦目、2戦目、3戦目と優勝を重ねた。
 「コーチは私達に、遠方で開催されるコンペには出場しないようアドバイスしてくれ、近場で開催されるコンペで勝つ機会を与えてくれました。」
 ヤーニャ達は新しい場所、人々と出会い、深い友情を育んだ。「私達はプレッシャーを感じることも無く、楽しむことができました。そこで、私たちは移り住むことを決断したんです。」

ダンスかクライミングか?

 しばらくはクライミングシューズとダンスシューズを交互に履く生活でした。しかしダンスとクライミングの練習が重なり始め、彼女は決断を下さなければなりませんでした。
 「ダンスとクライミング、どちらを選ぶ?」
 「クライミング!」
 ヤーニャは迷わずクライミングを選び、13歳でユースチームの一員となりました。

(中略)

 学業は2年間休学しました。来年は日本の東京で開催されるオリンピックの予選と準備、それが今最も重要な課題です。

 「自分のクライミングジムが欲しいんです。私にはまだ仕事がありません。知識と経験を活かして、将来は若い選手が成功するのを支援したいと思っています。クライミングジムを設立したい」とヤーニャは語る。

休日にノートパソコンを使って

 ダリヤとビリヤは、長女ニケのおかげで孫にも恵まれました。もうおわかりのように、彼ら夫婦は6年にわたり休む間もありませんでした。3年が経ち、彼らは初めてそれを手にしました。「試合の進行状況を確認したり、宿泊先を確認することができるように、ノートパソコンを持つようになりました。」

 あなたがマクドナルドでヤーニャに会ったならば、彼女は何か仕事をしているのであって、食事のためにいるわけではありません。
  「私は健康的な食事を心掛けています。食事制限ですか? 私は甘い飲み物が好きではありません。最終的には、ビーガンになると思います。」ドムンがいるときは、2人一緒に料理をして、皿に何を盛りつけるかを考えます。 「時々、私たちは考え方が違ったりするので、どんな料理にするか話あったりします。」とヤーニャ。
 でも家に帰れば、彼女はこう言います。
 「お母さん、クルミのパラチンケ!」
(訳者注・パラチンケとは東欧全域で食されるクレープに似たパンケーキをさす)

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メダルを保管する場所が足りない自宅 Photo by Tadej Regent

 スロヴェニ・グラデツとヴェレニエ間の幹線道路沿いにある黄色の大きな自宅では、獲得したメダルを保管する場所が不足しています。
「彼女には新しい陳列棚が必要になってます」と、娘を誇りに思っていることを隠さない両親。
 しかし、全てのメダルやカップよりも、娘が幸せで笑顔で家に帰ってくることの方が大事なのです。
「家に帰ってきたとき、私たちを抱きしめるのを忘れないでね」
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以上引用おわり

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2018年 ピオレドール・ロシア、スチール・エンジェル賞決まる

 ロシア山岳連盟が選定する、2018年の「ピオレドール・ロシア」、旧ソ連圏の女性クライマーによるクライミングを表彰する「スチール・エンジェル」の表彰式が、去る12月1日、モスクワ中心街にあるテレグラフホールで開催されました。

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ロシア山岳連盟・ピオレドールロシア授賞式の会場

2018年のピオレドール・ロシアに選定されたのは、

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キルギスのキジル・アスケル南東壁に新ルートを開拓した、エジゲニー・ムリン、イラ・ペニャエフのペアに決まりました。

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今年はキジル・アスケル南東壁を登攀したパーティは2組ノミネートされていましたが、やはり新ルート開拓という点が大きなポイントだったようです。
2人のクライミングの模様は動画で公開されています。

旧ソ連圏の女性クライマー達によるクライミングを表彰する「スチール・エンジェル」2018年の受賞者は、
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 東シベリア・東サヤン山脈のオプティミスト峰北壁を初登したアリーナ・パノヴァ、エカテリーナ・レピナ、ナジェーダ・オレーニヴァの3名に送られました。
 なお本年からスチール・エンジェル賞は、ラトック1峰で墜死したセルゲイ・グラズノフを記念したグラズノフ基金から提供されています。

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【訃報】 ジェフ・ロウ氏、トム・フロスト氏 逝去

去る8月24日、登山史を彩ってきた2人のクライマーが亡くなりました。

The passing of two legends: Tom Frost and Jeff Lowe by Alpinist 2018.8.25

トム・フロスト(Thomas Frost )

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1961年ヨセミテでエイドクライミング中のトム・フロスト

ヨセミテの黄金期に活躍したトム・フロスト氏が癌のため、カリフォルニア州のホスピスで亡くなりました。81歳でした。
1961年にロイヤル・ロビンスと組んでエルキャピタンのサラテを初登。
1964年にはシュイナード他らと共にエルキャピタンのノースアメリカンウォールを初登。
1968年にはマッカーシーらと共にアンクライマブルズ渓谷のロータスフラワータワー南東壁を初登しています。

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1961年、CampⅣでビバーク中

ヨセミテの岩壁を登るために鋼鉄製のピトンが産み出されたエピソードではイヴォン・シュイナードだけが有名ですが、実はシュイナードと共にトム・フロストも製作に関わっています。
またヨセミテだけにこだわるでなく、ワールドワイドに活躍しました。
1963年にはジョン・ハーリンらと組んで当時モンブラン山群で最難といわれるエイドルートをフー南壁に開拓しています。
同年にエドモンド・ヒラリーと共にネパールヒマラヤのカンテガに挑み初登頂、1970年にはアンナプルナ南壁にトライ、1986年には後述のジェフ・ロウと共にカンテガに新ルートを開拓しています。
まさに「ヨセミテ流」で世界を駆けたクライマーでした。

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ジェフ・ロウ (Jeff Lowe)

クライミングの鬼才と呼ばれ、世界各地に難ルートを開拓したジェフ・ロウ氏は以前から筋萎縮症に似た未知の難病にかかり、車椅子生活が続いていましたが、トム・フロスト氏と同じく24日、亡くなりました。67歳でした。

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現役の頃のジェフ・ロウ氏

ジェフ・ロウ氏の足跡を書き綴ることはそのまま20世紀のクライミング史の一端を綴ることになりますが、コロラド州のブライダルベール初登など、アイスクライミング、ミックスクライミングの分野において才能を発揮してきました。
アイガー北壁の「メタノイア」開拓、また成功には至りませんでしたがジム・ドニーニらと組んだラトックⅠ峰北稜が知られているところでしょう。

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メタノイア開拓時のジェフ・ロウ

以前に当ブログでも書きましたが、ジェフ・ロウといえば困難なクライミング だ け が 取り沙汰されていますが、ビデオ『Alpine Ice』では初心者向けに地味な雪上歩行、滑落停止などの初歩の技術も実演、一般大衆向けに登山技術の啓蒙にも関わっていたことを強調したいと思います。

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晩年のジェフ・ロウ氏、孫のバレンティナちゃん、生活を共にしたパートナーであるコニー・セルフ氏と。

残念ながら晩年は筋萎縮症に似た全く未知の病にかかり、車椅子生活となりました。年々病状が進み、会話も困難になりi pad を使って他人とコミュニケーションをとる生活でした。私生活では離婚やクライミングギアの会社が行き詰まり順風満帆とはいえない人生でしたが、亡くなるまでの8年間はパートナーであるコニー・セルフに献身的に介護してもらい、時には電動車椅子で孫のバレンティナちゃんと共に山を訪れる、穏やかな暮らしだったようです。

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8月24日、2人のクライマーが世を去りました。
2人の共通点は、卓越した才能だけでなく、クライミングギアの開発に積極的に関わり、登山界に貢献したこと、そのクライミング技術をもって登山史を自ら綴ってきたクライマーであるといえましょう。

トム・フロスト、ジェフ・ロウ、二人の偉大なクライマーに哀悼の意を表します。

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ラトックⅠ峰、北稜は未踏のまま第二登さる

先日掲載したイギリス・スロベニアのクライマーらによる、ラトックⅠ峰の第2登の詳細が明らかにされました。

Po 40 letih neuspešnih vzponov Česen, Stražar in Livingstone prvi na Latoku 1 s severne strani by Planinska zveza Slovenije 2018.8.17

8月5日深夜に北稜に取り付いた3名は北稜を3分の2まで登ったところでラトックⅠ峰・Ⅱ峰のコルに進み、ピークをまわりこんで第2登に成功したものです。

ラトックⅠ峰・Ⅱ峰のコルに進んだという情報が先走り、supertopoや東欧のクライミングサイトで推測によるルート図が出回っていましたが、上記リンクのスロベニア山岳協会が発表したルート図がこちらになります↓

Latok_2

今回のクライミングについて、イギリスのトム・リビングストンが「我々は北稜を完登したとはいえない。目指す者がいれば、北稜はまだそこにそびえています。」とコメントしています。

La norte del Latok 1 sigue sin haber sido escalada by Desnivel 2018.8.18

途中から北稜を離れたとはいえ、それで難峰ラトックⅠ峰第2登というクライミングの素晴らしさが損なわれることはないでしょう。

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ルートを探るアレシュ・チェセン (トム・リビングストン撮影)

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北稜に点在するキノコ雪に幾度も悩まされながらの登高(アレシュ・チェセン撮影)

3名は日曜19日に帰国予定。さらに詳細なレポートが公開されるでしょう。

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ラトックⅠ峰北面、陥つ

まだ詳細なルートは公表されていませんが、アレシュ・チェセン(スロベニア)、ルカ・ストラザール(スロベニア)、トム・リビングストン(イギリス)の3名がラトックⅠ峰北面の登攀に成功と報じられています。

Latok I zdobyty od północy! by Wspinanie.pl 2018.8.13

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ラトックⅠ峰北面登攀に成功した3名 左からアレシュ・チェセン、トム・リビングストン、ルカ・ストラザール

同峰はトマス・フーバーも狙っており、インタビューで「温暖化の影響で夏の遅い時期が登攀の適期」と答えていたのが印象的だったのですが、スロベニア・イギリスの若手チームが先んじたようです。
詳細なルートの公表が待たれます。

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