【訃報】ハミッシュ・マッキネス逝去

イギリスの重鎮、ハミッシュ・マッキネス(Hamish Maciness)が11月22日、亡くなりました。90歳の生涯でした。

Hamish MacInnes, Scotland's greatest ever climber, dies at 90  by The scotsman 2020.11.23

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晩年は尿路感染症のため精神障害(せん妄)に苦しめられ、さらに認知症と誤診されるなどの悲運も重なりました。

ハミッシュ・マッキネスといえば、オールドクライマーの皆様には何といってもアイスクライミング用ピッケル、ハンマーでおなじみでしょうか。

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 十代の頃から家を建築したり、自動車を一から自作するなどの発明家としての才能は登山活動・山岳救助活動でも発揮されました。

 初めて全金属製のピッケル、ハンマーを発明したことで知られていますが、地元イギリスでは出身地グレンコ―を中心とした山岳救助活動に尽力しました。

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 特に山岳救助用のストレッチャーの開発に力を注ぎ、「ハミッシュ・マッキネス」の名が付けられたストレッチャーが幾つも生み出され、『山岳救助の父』とも呼ばれる一方、したたかな登山家として「グレンコーの狐」とも異名を持ちます。

 その卓越した登山技術から、映画『アイガー・サンクション』、『ミッション』の技術指導も務めました。

 またミステリー作家としての顔を持ち、幅広く活躍した登山家でした。

 偉大な登山家の死去に、哀悼の意を表します。

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パラゴの子はパラゴ

 近隣での石油掘削プロジェクトで揉めている、フランスのフォンティーヌブロー。

 その森と岩場の美しさと共に、フランス登山界の重鎮・故ロベール・パラゴの足跡をたどる動画が公開されました。ロベール・パラゴが拓いた岩場を登るのは、その息子であるクリスチャン・パラゴ。

 動画開始15分38秒からは、ロベール・パラゴの貴重な画像でその登山人生をふりかえる構成になっています。

どうぞご覧あれ。

 

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アダム・オンドラは何を食べているのか

世界でも名だたるトップクライマーである、チェコのアダム・オンドラ。

彼の食生活の一端が、チェコのスポーツ紙で明かされました。

以下引用開始
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クライマー、オンドラの食事:中国からのインスピレーションとアルコールの危険性
6330094_ アダムオンドラは世界でも最高のクライマーの一人です。彼は4回にわたり世界チャンピオンに輝き、カナダ最難の「Disbelief 」を初登、ヨセミテのドーンウォールを記録的な速さで完登しました。彼によれば、伝統的な中国医学に基づいた食事が、信じられないほどのパフォーマンスを発揮するのに役立っています。

 アダム・オンドラにとって体を作り、最良の成果を達成するためには、適切な栄養が非常に重要です。 「トレーニングそれ自体が数パーセントしか左右せず、その数パーセントでさえ、食事に左右される」と彼は言います。何年にもわたり食事法を試した後、彼はついに伝統的な中国医学に出会いました。彼のメニューは現在どのようになっていますか?

あなたは様々な食事療法を試みるのが好きだと知られています。歳月と共にどのように変化しましたか?

 私の食事内容は、ここ数年で大きく変わりました。子供の頃は食事にかなり問題を抱えていました。両親は私にタンパク質を摂取させることができませんでした。私が肉や乳製品が好きではなかったからです。野菜や果物に対して好き嫌いを示したことはありません。 16歳の時から栄養学に興味を持ち、「実験」を始めました。極端なことはしませんでしたが、例えば生の食べ物を試しました。しかしすぐに、それは私の体質に合わないことに気づきました。現在、私の食事は伝統的な漢方に基づいています。つまり、私の体質に合うように食事を摂っています。

それはどういう意味ですか?

 中国医学によると、6つの要素があります。「風・寒・湿・熱・暑・燥」です。あなたの体質がどんなタイプかに応じて、食べるべきです。私は「冷たい」体質です。それが、私がとる食材のほとんどが冬季間に調理される理由です。私はナッツ類、チェコのザワークラウトのみ生で摂取します。そうでない場合は、韓国産キムチを用意しています。」

この食べ方のメリットは何ですか?

 伝統的な中国医学に基づき食べることは、私にとって本当に体質に合っていることがわかりました、十分なエネルギーを保ち、気分が良いんです。冬に熱処理された食物を多く消費しているという事実は、私の「冷たい」体質に「熱」の快適な感覚を与えます。食品と適切なスパイスを組み合わせ、特定の乳製品を省くことも重要です。

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クライマー、アダム・オンドラは伝統的な中国医学の原則に従って食べる

自分の食事を自分で管理しているんですか?

 ここ数年は、伝統的な中国医学の専門家であるPavel Víchと協力しています。私も自分で学び、5つの要素(訳者注: 漢方の「陰陽五行説」と思われる)に従い食べることについて、スロバキアの専門家であるPetr Planietaに栄養のことを相談しました。 Tomáš Soukup博士の支援を受け、メニューを微調整しました。それは今でも伝統的な中国医学の考え方に沿っていますが、代謝をさらに促進するために、炭水化物とタンパク質の比率のバランスを取り、「何を」「いつ」食べるかを明確にしました。

数日かけて大岩壁を登っているときも、この食事法ですか?

 たとえば、吊り下げられたポーターレッジで寝るような大岩壁でこの食事法を続けることは難しいでしょう。でもそんなことはめったにありません。正直、私が壁で一夜を過ごしたのは、3年前のドーンウォールが最後でした。その場合、持ち運びが非常に簡単な乾燥食品を食べることになります。車の中なら、自分のキッチンがなくても、いつもの食事をとることができます。家よりも料理が好きなんです。

あなたのパフォーマンスにとって、食事はどれほど重要ですか?

 私は果物、野菜、豆類、穀物、高品質の肉など、本物の食材を調理します。食事をパフォーマンスの重要な部分として認識してますし、最高のパフォーマンスを発揮するために岩場に行きます。だからこそ、慣れ親しんでいるものを食べることが重要です。そうすることで、自分のパフォーマンスを可能な限りサポートすることができます。運動それ自体によって、ほんの数パーセントを左右することが起こり、さらにそれらの数パーセントは食事に左右されるかもしれません。残念ながら私たちの食生活や生活は人工物質、添加物などにまみれています。「本物の」食べ物は何でも健康につながると思います。

あなたはいつも自分の食事を調理しているんですか?

 それを楽しんでいますが、かなり時間がかかります。でも、それが理にかなっていることもわかっています。

アルコールの方はいかがですか?競技後の一杯としてビールを飲んだりすることはありますか?

 私はバランスの取れた食事の一部として、アルコールを摂取しています。基本的に同じことです。主に水、ミネラルウォーター、朝は特別な黒プーアール茶を飲みます。ただし、コーヒーや他のカフェイン入り飲料は避けています。甘い飲み物は一切飲みません。私も年に数回はアルコールを口にしますが、多くの場合それはワインです。真剣にトレーニングに励んでいるときは、ビールやワインが1杯でも、その後の体調に悪影響を与える可能性があります。ですから、ハードトレーニング期間中はアルコールは全く飲みません。
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以上引用おわり

というわけで、東欧・チェコのアダム・オンドラの食事の秘密は中国医学にあり、でした。

今やコロナウイルス第二波でクライミングジム閉鎖はもとより、国全体で感染者数がヨーロッパでも最悪と言われるチェコ。アダム・オンドラの食事法がうまくいきますように。

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東西統一を越えたクライマー

10月3日、東西ドイツ統一から30年。

ドイツの左派日刊紙『タズ』の昨年の記事ですが、『エルベの砂岩』開拓者として知られるBernd Arnold(ベルント・アルノルト)をとりあげてみます。

Über Grenzen gehen by Taz.de 2019.7.29

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限界を越えて

 ベルント・アルノルトは、世界最高のクライマーの1人です。アメリカからもクライマーが訪ねてきました。ベルリンの壁が崩壊してから30年 ー GDRスポーツ特集。

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ベルント・アルノルトは空を見上げます。 彼はハンチング、丸メガネ、鮮やかなスカーフを着用します。
アーノルドは今もクライミングを続けていますが、最近では孫娘と一緒に登っています。写真:dpa

 東ドイツ国務院議長ヴァルター・ウルブリヒトが作ったスローガン「どこでも誰でも、週に数回のスポーツ」は、東ドイツの高度に偽装されたドーピングまみれの競技スポーツ、「トレーニングスーツの外交官」だけでなく、「アウトドアスポーツ」愛好家のための隠れ蓑でもありました。多くの人々がこのスローガンを高く評価しました。イデオロギーと壁に囲まれた社会主義の日常生活から逃れる、数多くの創造的な個人主義者のモットーでした。

 72歳ながら、ベルント・アルノルトはまだ現役です。おそらく旧東ドイツで最も有名なクライマーであり、60年以上にわたり岩場で活躍しました。多くの山友のように、彼はドイツ社会主義統一党政権下で、岩場で個人の自由を楽しみました。

 彼は、今日まで住んでいるエルベ砂岩山脈のホーンスタインで生まれ、ロッククライミングを学びました。子供の頃、遊び心から砂岩にとりつき、後に現在まで続く「人生の情熱」となりました。エルベ砂岩山脈には900以上もの初登ルートを作りました。

 南チロルのラインホルト・メスナーはかつて彼を次のように称賛しました。「ベルント・アルノルトは間違いなく世界最高のクライマーの1人です。」1970年代から80年代にかけて、アルノルトはザクセンでのクライミングの難易度を上げ続けました。

 サクソンスイスはフリークライミングの発祥地です。アルノルトは1999年に出版した著書「Zwischen Schneckenhaus und Dom (カタツムリの殻と大聖堂)」で次のように記しています。『狭い砂岩の岩場を知りつくしていたので、これまでのところ、日常生活にはうまく対応し、逆境を乗り越えることができました。』

 よく見かける彼の裸足でのクライミングも伝説的です。痛みに鈍感な場合は、それが利点にもなります。素足で岩をより良く感じることができるからです。もちろん、敏感な足ならば、そんなことはできません。しかし現在のクライミングシューズのラバーソールは、自分の素肌よりもはるかに優れた摩擦を持っていることも明らかです。

P2_20201004000001 ドレスデンの学生で熱狂的なクライマーであるリンダは、次のように述べています。「若い世代の私たちにとっては、ベルントは思想的にも偉大な指導者です。個人的には、彼が裸足でハイレベルなルートを登るのはとても印象的です。もちろん、ギスベルト・ルートヴィヒ(Gisbert Ludewig)のような優れた同世代の方もいます。」

 アルノルドは未だ健在です。孫娘のヨハンナと一緒に地元の岩を登るツアーに参加していました。彼は4人の孫をとても誇りに思っています。もちろん、大自然の中でクライミングを通じてスポーツを彼女達に教えました。

「ここエルベ砂岩山脈からチェコ共和国のボヘミアまで、このような美しい自然がどこにありますか。限られた地域でも、多様な風景を体験できます。」アルノルトにとって、登山は「常に人生の学校であり、自己発見の方法でした」。

 旧東ドイツ時代、アルプス山域からだけでなく、アメリカからもクライマーがエルベ砂岩山脈に来訪、アルノルドと競い合いました。最初の一人は1972年、フランス人ジャン・クロード・トロワイエでした。クルト・アルベルトとウォルフガング・ギュリッヒが後に西ドイツから来ました。彼らは、当時東部地域の山に登ることしか許されていなかったベルント・アルノルトや仲間の優秀なクライマーに、最新のロープ、登攀用具など優れた装備を持ちこみました。

 一方、東ドイツ当局が拒否したため、彼は西側諸国のクライマーの無数ともいえる招待に応えることができませんでした。それは彼を非常に苛立たせ、州首長だったエーリッヒ・ホーネッカー(訳者注:後の東ドイツ書記長)に抗議の手紙を書いたほどです。多数のシュタージ文書(訳者注: 東ドイツ秘密警察の機密文書)が示すように、個人主義者が集う東ドイツのクライマー達は疑惑を持たれて監視下にありました。

 当時、小さな印刷業を営んでいたアルノルトは、クラブに所属する競技アスリートのような公的な支援無しにトレーニングを行い、自分達でウエイトトレーニングを行うための装置を作りました。

 1984年。北朝鮮の国家主席であり飛行機が嫌いなキム・イルソンは鉄道で東ドイツを訪れ、車窓からスイスサクソンで幾人ものクライマーを目にしました。1985年、アルノルトを含む東ドイツからの登山代表団が北朝鮮に招待されました。そこで彼らは「金剛山脈」で最も困難なクライミングを行うことができました。

 1986年、アルノルトは驚くべきことに、オリンポス山山麓で開催さ​​れた世界平和評議会のイベントに出席するため、ギリシャ旅行が許可され、メテオラでのクライミングを果たします。1987年、ミュンヘンでウォルフガング・ギュリッヒとハインツ・ザックによる著書のプレゼンテーションを行い、そこで彼はラインホルト・メスナー、1950年代にザクソンから西側に亡命したアルピニストのディートリッヒ・ハッセ(Dietrich Hasse)とハインツ・ローター・シュトゥッテと面会できました。

 そして1988年、41歳でクライマーとしての絶頂期、架空の叔父の記念日を口実に西側に招待された際、滞在期間を利用してクルト・アルベルトら含むパキスタン・カラコラムの大規模な登山隊に参加しました。

 しかし、アルノルトは登頂に成功後、クレバスに落下しました。出血を伴う骨盤骨折を負い、急性腎不全も併発、生命の危機に陥りました。幸運にも救助されドイツに帰還、ミュンヘンの病院に入院し、そこで彼は何週間も過ごすことになりました。回復後、彼は妻のクリスティンと娘の待つ東ドイツに戻りました。「ええ、山仲間の多大な支援のおかげで、死の淵から這い上がったんだ」と彼は人生で最も困難な局面を振り返ります。

 アルノルトはクライミング生活の中で様々な危機を生き延びてきました。数年前から、彼はより意識してクライミングしています。肩、肘、骨盤や脊椎の骨折、2018年の背中の手術、その後遺症は行動範囲を制限します。アルノルトも年をとったのです。

 ベルリンの壁が崩壊し、それに伴い無限の自由がもたらされてから数年後、アルノルトは数多くの山の夢を実現しました。アルプスからパタゴニアにいたるまで。

 1989年以降、印刷業を閉め、ホーンシュタインとバードシャンダウに2つの登山用品店を設立、現在もクライミングの専門家、地元の岩場のツアーガイドとして、「選ばれた形」で旅を続けています。「参加者は東側と西側の人々が半々」多くの人との出会い、多くの友情を大事にしています。

 ドレスデンで毎年開催される「Bergsichten」フェスティバル(訳者注 : 山岳アウトドア映画祭)で、2017年11月にアルノルトは、クライミングに関して個人的に望むことを尋ねられた際、「サクソンのクライミングが、始まった頃のままであってほしい。それが私のルーツだから。」と語った。

 一方で、「変化から自分を閉ざすことはできず、それに向き合わなければならないのは当然のことです。変化が起きることは多くの人にとって困難であるとしても、変化に直面することは必要になるでしょう。しかし、他の人が登る機会を否定するのは エゴ です。」 彼はサクソン登山連盟(SBB)は「良い方向に進んでいる」と評価する。(中略)

 アルノルトは、本紙に対して壁の崩壊を「素晴らしい贈り物、そして何よりも、取り戻された自由の一部として旅行する自由がある」と話します。ただし「遠い目的地に移動するには、それなりの資金も必要」という制限が追加されました。1990年の再統一後、幾度も悩まされた彼はクライミングルートに「ドイツー吸収されたドイツ」と名付けました。アーノルドは今日まで批判的な精神を保っています。

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 東西ドイツ統一といいながら西ドイツに事実上吸収された形の東ドイツ。記事最後のアルノルトが名付けたルート名は『Deutsch-deutsche Vereinnahmung 』なのですが、意訳してみました。

 冷戦の狭間でキム・イルソン率いる北朝鮮に招待されるなど、数奇な運命をたどってきたベルント・アルノルト。国境地帯が舞台となるヒマラヤ登山のように政治に翻弄されるクライミングもあれば、政治体制に関わりなく、したたかにクライミング生活をおくるクライマーの人生がありました。

 統一から30年経過した今日、旧西ドイツ・東ドイツ市民の経済格差が埋まらない現状を、今日付の日経は大々的に報じています。

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ドメン・スコフィッチの生き方

 去る5月末、スロベニアのラドブリツァに、ヤーニャ・ガンブレットと彼氏のドメン・スコフィッチが共同で設立したクライミングジムがほぼ完成しました。
 前々からスロベニア・メディアにおけるヤーニャ・ガンブレットのインタビューでは「自分のクライミングジムを持ちたい」とコメントしていましたが、コロナ禍で五輪延期の騒動の最中、二人は着実に、自分達の人生の「プロジェクト」を完成に導いていたのでした。

 その詳細を、スロベニア地元紙SiolNETが報じています。

Janja in Domen sta nam odprla vrata svojega življenjskega projekta by SiolNET 2020.5.29

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ヤーニャとドメンが人生のプロジェクトの扉を開いた

記事執筆 Alenka TeranKošir
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 ヤーニャ・ガンブレットとドメン・スコフィッチは、家族の助けを借りて、ラドブリツァ近くのヴルニェ地区にクライミングジムを設立しました。ここでは、3種のクライミング全て(リード、スピード、ボルダリング)をトレーニングすることができます。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 新しいクライミングジムは、ラドブリツァ近くのヴルニェ地区に建てられました。クライマーとその家族らによる共同出資で作られたクライミングジムには、必要なものがすべて揃っています。

 雪で覆われた山を連想させるプレハブのクライミングジム(ドメンによれば、デザインをカラヴァンケン山脈最高峰のStol峰に似せたと説明した)は、スコフィッチ家のすぐ近くにあります。そのため、世界最高のスポーツクライマーであるドメンのガールフレンド、ヤーニャ・ガンブレットが一日のほとんどをここで費やしています。

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「箱型のオブジェクトをこのような環境に設けることはできません。景観を害しますし、私たちは自然と調和するものを作りたかったのです」と、ジム設立に重要な役割を果たしたドメンの父、パベル・スコフィッチは語る。写真:Peter Podobnik / Sportida

 新しいクライミングジム建設の構想は、少なくとも10年以上前には頭の中に生まれていた。2016年、2018年シーズンで世界3位となったクライマー、ドメン・スコフィッチは語る。

 クライミングウォールの設置と建設を手がけた機械工でありイノベーター(改革者)でもある彼の父、パベル・スコフィッチは、夢と理想を現実に変える役割を担いました。

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10年前、スコフィッチは自分のクライミングジム設立を密かに検討していました。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 ドメンは、これまでのところ約30万ユーロ(訳者注 約3700万円)がジムに投資されていると推定しています。彼らが父親と一緒にプロジェクトに費やした肉体労働は含まれていません。

 彼らは壁、建物の外観デザインを自分で描いた。「父はプログラミングを習得し、私たちは一緒に仕事を始めました。パソコンの前に座り、私に自分の考えを説明し、父はそれをすべて描きました」

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ヤーニャは、肉体的・技術的に負担の少ない作業でジム建設を支援します。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 箱型の建物はそのような環境には属していません。バベル・スコフィッチは、構造物の最終的なイメージと、屋内に設営されたもの、内側の見えない内装すべてを誇りに思っています。彼はすでに建築家から賞賛の言葉を受けたと言います。

「このような環境では、構造物を靴箱の形に置くことはできません。景観を害しますし、機能的ではありません。私たちの風土・自然に調和するものを作りたかったのです」と彼は説明する。形状も、建物は近くの森の形に似ており、周囲からの突出物は最小限に抑えられています。

 ジムは未開発の土地に建てられ、スコフィッチは同じ地区で他の土地と交換することに敷地を取得しました。

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2018年にクライミングジムが建設される前の土地  写真:AnaKovač

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...そして今日、2020年5月。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 彼らは、スポーツ、観光、地域の環境をクライミングジムに結び付けたいと考えています。クライミングジムの後ろには、干し草小屋が立ち、登山者がリラックスして交流できる広大な土地があり、近くに宿泊施設も備えた観光農園もあります。

ジムはいつ一般公開されますか? 完全に完成し、「役者が揃った時」です。

 ヤーニャとドメンがジム公開日を決めるとバベル・スコフィッチは言いますが、ジムが本当に完成し、2人がそれを誇らしく思えることができるとき、そう彼は付け加えました。

 当初、センターは10月に開館予定でしたが、コロナウイルスのパンデミックにより遅れるとドメンは言う。一方で、すべてのクライミングジムが閉鎖された今、ボルダリング壁をより早く完成させたことは、コロナ危機の中でも心強いものでした。

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 スロベニアでの流行が宣言される数日前に、ドメンはボルダリング壁にホールドを集中的に設置し始めました。 「しばらくはどこにも行けなくなるような気がした」と彼は言う。写真:Peter Podobnik / Sportida


「スピードクライミング用の壁はコロナ危機の前に設置されました。コロナ危機の間、私たちはボルダリング壁にホールドを素早く設定し、スムーズにトレーニングすることができました」

 難易度の高いクライミング用の巨大な壁(20m)もあります。これは世界最大ではないにしろ、スロベニアでは大型の人工壁の1つになるため、特別な存在となります。

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 室内にはスピードクライミング用の壁も備えています。室内壁としては2番目で、 1つ目はツェリェ、リュブリャナには屋外に1箇所あります。 写真:AnžeMalovrh / STA

 中央にスピードクライミング用の壁があり(スロベニアでは3箇所目、室内壁では2箇所目)は、ロマン・クライニクコーチの指導を週3回受けるガンブレットにとっては非常に有利になります

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コーチであるロマン・クライニクは、スコフィッチとガンブレットのコーチを務めているため、新しいクライミングジムの常連客です。 写真:Peter Podobnik / Sportida


以下、スロベニア最高のスポーツクライマーの1人であるドメン・スコフィッチへのインタビューです。

ドメン、クライミングジムを自身で建設することから何を学びましたか?

 (コロナで)自粛中でしたが、私たちは多くを学びました。機械工をしている父も含めてね。

 その場で多くのことを学び、臨機応変に多くのことをうまくやり遂げました。今では設計図に書いていたものよりもずっと気に入っています。非常に魅力的であると思います、私はそれぞれの新しい壁を誇りに思っています。

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「建設中に、その場で多くのことを学びました。私たちは多くのことを臨機応変に行い、良い結果が得られました。今では設計図よりももっと気に入っています」 写真:Peter Podobnik / Sportida

自粛中は、ヤーニャと別の場所でトレーニングをしていましたか?

 いいえ、ここですべてのトレーニングを行っていました。興味深いことに、コロナ流行が宣言される前でも、しばらくはどこにも行けないような不思議な気持ちになっていました。私の感覚が正しかったと思っています。

(コロナ)検疫開始の2〜3日前から、いつでもトレーニングができるようにホールドの設置に熱心に取り組みました。新しいホールドの唯一の欠点は、皮膚が早くすりむけることです(笑)。

あなたはどの位の時間をジム建設に費やしたんですか?

え~と、少なくとも10年。子供の頃、私は地元の小学校のあるラドヴリツァでクライミングを練習し、週3〜4回のトレーニングでは不十分でした。もっとやりたくて、家の地下室に小さな壁を立てるように父にせがみました。それが全ての始まり、自分のジムの欲求はどんどん大きくなっていきました。

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「自分の大好きな事で十分に経験を積み、すべての人生をクライミングに繋げたいと思っていました。いつか実現できればいいんです。」 写真:Peter Podobnik / Sportida

それで自分のクライミングジムを思いついたんですが、選手生活を終えてから指導を始めようと思っていました。

私の家族、特に父が私の願いをすぐに聞いてくれたおかげで、私たちはより早くジム建設に着手し始めました。

同時に、ヤーニャと彼女の家族がいなければ、少なくとも不可能だったと言えるでしょう。今現在ヤーニャと私は選手生活に完全に集中しており、すぐに引退するつもりはありません。

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 今シーズン、少しでも機会があればリード部門だけで競います。このクライミングの分野では、彼は2016年シーズンで世界最高でした。 写真:GregaValančič/ Sportida

もし今シーズンなら、今シーズンはどう思いましたか?出場しますか?昨年、ワールドカップの後、人工壁の競技場であなたを見ることができませんでした。

 今年、私はリード競技だけに出場することにしました。今シーズンはベストを尽くせるようトレーニングしています。それができなければ、次のシーズンに備えます。

 現代のクライミングのスタイルに学ばなければならないことが、たくさんあります。特に壁に沿ったダイナミックな動きに関して、多くの革新があり、それが常に課題を生みます。スポーツは常に変化するので、興味深いことです。すでにすべてを知っていると思っていると、それが真実ではないことに気づきます。

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 私はパンデミックの時期が役立つと信じています。私は自分自身に新たな挑戦を課します。モチベーションが枯れることはありません。 写真:Peter Podobnik / Sportida

 しかし、私は自分の進歩に満足しています。多くのことを学びました、ここヴルニェには本当の平和があり、パンデミックの時が私にとって役立つと信じています。

 過去の動画を分析して、自分のミスからも学びます。自分自身に課題を設定します、どんな長期間であろうとモチベーションが枯れることはありません。

主催者がスロベニアで今シーズンのコンペをキャンセルしたとき、失望しましたか?競技はストチツェで行われる予定でした。

 とっても。このコンペのために意欲が高まっていました。しかし、主催者の決定を理解しています。無観客でコンペが行われるならば、キャンセルされて当然です。

 しかし、今は自分の立ち位置を確認するためにコンペに出たい。現時点では、トレーニングとジム、人生のプロジェクトに重点的に取り組んでいます。自分にとっては素晴らしいことです。

すべてが何かのために役に立っています。私たちはジムでさらにトレーニングを重ねます。でも、秋には外岩に戻りたい。スペインには未完成のプロジェクトがたくさん待っています。それまでに国境が開かれることを期待しています。

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五輪延期の混乱で、各種競技の選手達の困惑が伝えられている一方、「パンデミックの時期が役立つ」と言い切るドメン・スコフィッチ。

コロナ禍で前例の無い登山を模索する私たち凡庸な登山者にも、一石を投じる生き方ではないでしょうか。

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2020年ピオレドール生涯功労賞は、

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フランスのカトリーヌ・ディスティベルに決定した模様です。

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ジョー・ブラウン逝去

 イギリスの重鎮、ジョー・ブラウンが2020年4月15日、イギリス・ウェールズ北西部ランベリスの自宅で亡くなりました。89歳でした。

 死因は明らかにされていませんが、どのメディアも「安らかに息を引き取った」と報じています。

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2012年に撮影されたジョー・ブラウン近影

 1955年に世界第三位の高峰カンチェンジュンガの初登を果たしていますが、イギリスはじめ各国のクライミングサイト、一般メディアも「クライマー」としてのジョー・ブラウンにスポットがあてられています。

 当ブログでも過去にジョー・ブラウンを紹介してますので、

 あの人は今 ジョー・ブラウン(Joe Brown)、祝・80歳 by 当ブログ2010年9月26日

 当ブログでは、各国クライミングサイトがあまり取り上げない、カンチェンジュンガ登頂にまつわるエピソードを中心に追悼します。

 1930年、ジョー・ブラウンはイギリス・マンチェスターに7人兄弟の末っ子として生まれ、学校を出てすぐ配管工見習い、建設作業員の職につきます。

 16歳のときにコリン・カーカスの著書『Let' go climbing』(日本でも森林書房から出版された邦訳「クライミングに行こう」を読んだ山岳関係者は多いはず)に影響されて登山とクライミングを始めます。

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著書の表紙にもなったsea stack(スコットランド北部・海岸部の岩場)を登る若き日のジョー・ブラウン

 チョモランマに消えたマロリーに代表されるような上流階級の人々とは一線を画し、労働者階級の一人としてイギリス各地の岩場に困難なルートを拓き、ヨーロッパアルプスでもその才能をいかんなく発揮します。

 「酔っ払い」ドン・ウィランスと素晴らしいコンビを組み、「軽量化」のためアイゼンも持たずw ドリュ西壁を速攻で登攀。その時のコメントとして、

 「フランス人って、クラックでハンドジャム知らないんだ」

 そうです、工業用ナットを加工してクラッククライミングのプロテクションとして駆使し始めたジョー・ブラウンは、クラッククライミングを得意としていました。後のカンチェンジュンガ登頂でも、頂上直下の岩場でクラッククライミングの実力を発揮します。

 ドン・ウィランスと組んだヨーロッパアルプスでの成果から、1953年エベレスト初登頂を果たしたベテランメンバーぞろいのカンチェンジュンガ登山隊に最年少隊員(26歳)として招かれます。

 大学出身でインテリぞろいの隊員達。

 隊員の一人で脳外科医のチャールズ・エバンスを病院に訪ねていき、こんなやりとりがありました。

 エバンスが外科手術器具を手にして、

 「スレート(訳者注 : 粘板岩)をカッティングするときはこんなの使うんだろ ? 」

 配管工のブラウンは負けずに手術用ドリルを手にして

 「御冗談を・・・私はこれよりいい仕事しますよ ! 」

 ジョー・ブラウンによれば、社会的地位のギャップはクライミングへの愛情で埋めることができた、と語っています。

 その言葉が大げさでないことは、最年少隊員であるジョー・ブラウンがカンチェンジュンガ登山隊で第一次登頂隊員に選ばれたことからも推察できましょう。

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 人類として初めてカンチェンジュンガ「頂上」に立つジョー・ブラウン

 カンチェンジュンガ峰の登山は、ご存じの方も多いと思いますが地元住民との取り決めにより、聖なる山として真の頂上を踏まず、手前に立つことで登頂とされています。

 登頂時のことについて、真の頂上に立とうと思わなかったかとインタビューされ、ジョー・ブラウンはこう答えています。

「いいえ。誘惑すら無かったです。私にとって山頂に立つことは意味がありません。私はクライミングの喜びのために山に登っています。喜びは頂上でおしまいです。あなたもそこに行けば、そう思うでしょう。旗を立てる必要もありません。当時ではあまりみられない行為でしょうがね。私たちは持っていきませんでした。その写真に写っている場所、そこが私たちが立ち止まったところ(頂上)です。」

 まさにクライマー魂ともいうべき答えではありませんか。

 蔵書を引っ張り出して当時の記録を読み返すと、登頂前夜の最終キャンプで「彼ら二人は(ジョー・ブラウン、ジョージ・バンド)はすごくぜいたくな夕食を食べた」と書いてある。

 2人はいったい何食べたんだ?

 Alpine Journal 1955年No.291号にジョージ・バンドが記した登頂記では、

 粉レモンで作ったレモネード(砂糖多め)、アスパラガスのスープ、マッシュポテトと子羊の舌の缶詰、食後にココア

 だ、そうです。

 その穏やかな人柄、無類のジョーク好き、クライミングに対する飽くなき情熱。

 ジョー・ブラウンの逝去を報じる一般メディア、UKCサイト、コメント欄いずれにも、『End of an era』(一時代の終わり)と表現されていたことが、彼の存在の大きさを物語ります。

 Joe41955年、カンチェンジュンガ登頂後のジョー・ブラウン近影

偉大な登山家の死去に、哀悼の意を表します。

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ヤーニャ・ガンブレッツ、オリンピックとコロナウイルス問題を語る

ついにJOCの山口香氏が五輪延期の意見を表明し、モメにモメてる東京五輪。

 各国のアスリートからも東京五輪開催に疑義が表明される中、スロベニアのヤーニャ・ガンブレッツ(ヤンヤ・ガンブレット)が1分40秒の短いインタビューながら、今現在の東京五輪、コロナウイルス騒動について語りました。

Janja

 スロベニア語は教本読んでもさっぱりですが、Yahoo News が文字起こししてくれているので以下引用開始

World's top female climber concerned but focused on Olympics amid coronavirus crisis  by Reuters Video 2020.3.20

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「まさに今、私たちはオリンピックが開催されるかどうか少し不安です。私のトレーニングは全力で進めています。その(コロナウイルス)ためにトレーニングを休むことはありません。」

「もちろん、オリンピックの1年間延期は困難でしょうが、無観客のオリンピック開催も異様なことです。なぜなら、それ(観衆の声援)が競技の魅力であり、皆が拍手し、応援してくれるからです」

「とにかく私は気にしないようにしています。ひたすらトレーニングを続けるだけですが、オリンピックが開催されるなら良いことですし、延期されるなら、私はそれがアスリートにとっても、スタッフにとっても最高だと思います。オリンピックが1年延期されるとすれば、私たちに何ができるでしょうか。それを気にしても仕方ありません。」

「混乱することはないと思います。毎年、コンペのために一生懸命トレーニングしています。毎年同じことです。12月からトレーニングをスタートし、冬の間中、ハードにトレーニングしています。すべてのコンペに備えて準備するからです。ですから、もし延期されたとしてもハードにトレーニングしているので、そんなに問題ないと思います。」

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以上引用おわり

 当方が収集した情報では、東京五輪に備えて日本でトレーニングしていたヤーニャ・ガンブレッツですが、さすがにコロナウイルス蔓延で自国に戻りトレーニングしているようです。

 『延期されるなら、私はそれがアスリートにとっても、スタッフにとっても最高だと思います。』

 というところにヤーニャの本音が垣間見えますが、その若さゆえでしょうか、オリンピックだからといって何なの ? とまで感じさせる落ち着きがトップクライマーの「貫禄」といえましょう。

 センセーショナルにIOCを批判するアスリートのツイッターなどは、世論誘導して五輪延期・中止にソフトランディングさせたい日本のメディアが即座に飛びつきますが、ヤーニャのような泰然自若としたコメントは日本のマスゴミもスルーするんでしょうね(棒読み)

 スロベニアでも感染者が200名を超え死者も出ているとの報道がありますが、コロナウイルス騒動が明けた時期のスロベニア勢の活躍が楽しみです。

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アイスクライミングW杯を支える男たち

 韓国のトップアルパインクライマー、チェ・ソクムンが韓国・青松アイスクライミングW杯のルートセットに関する裏話を月刊『人と山』に公表しています。

 平昌五輪での公開競技開催には失敗した韓国。その一方で、青松アイスW杯は粛々と歴史を重ねています。

 こうしたルートセットに関する裏話は非常に興味深いものであると同時に、韓国人クライマー達が重ねた試行錯誤と努力、アイスクライミング競技での層の厚さが伺えます。

최석문의 벽 _ 청송 아이스클라이밍 월드컵 by  月刊『人と山』2020年2月

以下引用開始

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チェソクムンの壁_ 青松アイスクライミングワールドカップ
文・チェ・ソクムン(ノースフェイスクライミングチーム) 写真・ジュミンウク記者

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 コンペに向けて準備するスタッフ 左からキム・ジョンホン、キム・ジョンウン、キム・ジンウォン、筆者(チェ・ソクムン)、 キム・ビョング、 ミン・ギュ、 ソ・ジョングク、 ジェ・イソン.(キャプションは月刊『人と山』facebookより)

 青松アイスクライミングW杯は、国内クライミングコンペの中でも最大規模の大会で、今年で10年を迎えた。第1回大会の時からルートセッターとして参加しているキム・ジョンホン(安養キム・ジョンホンクライミングセンター)、ミン・ギュ(大田ワールドカップ競技場、人工壁)氏と筆者が今回の大会にもルートセッターとして参加した。今回はソ・ジョングク(ソ・ジョングククライミングセンター)氏も、ルートの設営を共にした。ソ・ジョングク氏は昨年まで選手としてW杯に参加していたが、今年初めてルートセッターとして参加することになった。

ルートセッターが持つ能力

 クライミングが繰り広げられる壁の後ろには、各種の登山装備、道具が積まれているルート設営スペースがある。中には電線を巻くときに使用するドラムをテーブルとして使っており、テーブル上には電動グラインダー、アイスアックス、電動インパクトドリル、コーヒーメーカー、カップラーメン、クイックドロー、スクリューなどが乱雑に置かれている。
 冬場の屋外で働く労働者が好んで着るつなぎ作業服を着て、コーティングされた赤い手袋をはめている人が、その周りに座って何ごとか真剣な話を交わしている。大会運営を知らない人が見れば、ただ現場作業について話を交わしているようにしか見えないだろう。

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青松アイスクライミングW杯スタジアム裏には、様々なクライミングギアが置かれたスペースがあります(画像・キャプションは月刊『人と山』facebookより)

 ルートセッターは選手名簿を確認し、ルート数を決定する。予選はオープン競技(他の選手たちの試合を見て、順番に従い登ること)であるため、速度戦にならないよう、ルートの難易度は高くなければならない。決勝戦ではアイスキャンディー(壁に吊り下げ使用する氷塊)を使用するが、ここで幾つ用いるかも慎重に決定しなければならない。また、選手のクライミングラインをどのように設定するかも場所を移しながら意見を交わす。
 ルートセッティング前に、ルートセッターはクレーンを使い、過去の選手権大会で使用したアイスキャンディーとハリボテ、ホールドを壁から取り除く。クライミングウォールを白紙状態にする間、他のルートセッターは下で予選に使用するホールドを選び、青色のスプレーを吹き付ける。青松アイスクライミングW杯では、一貫して予選には青色、準決勝に銀色、決勝には金色のスプレーを吹き付けている。

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 国際ルートセッター、キム・ジョンホンがラッカースプレーで着色している(画像は月刊『人と山』facebookより)

 このルールは、キム・ジョンホンが作った。彼はUIAA国際ルートセッターとして、国内アイスクライミング大会だけでなく、ヨーロッパや北米に至るまで、様々な世界のW杯の試合でルート設定の経験がある。
 「ルート設定でホールド一つ一つを配置することは、自分の哲学で壁を彩ることと同じ」と言う彼の真摯で慎重な姿勢を垣間見ることができる。
 筆者が考える彼の最も優れた能力は、ルート全体を読み取る力だ。彼はルートの難易度と時間を調整し、試合では一、二名の完登者が出る。長年の経験と感覚がなければ、ほぼ不可能である。クライミング時間が長く、あまりにも多くの完登者が出たり、あまりにも難しいルートで序盤に多くの選手が落ちると、観客と選手達は興味を失うからである。これらの調整能力はルートセッターが持つべき重要な能力である。

 

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クレーン(高所作業車)で作業中

公正の実現のためのスケッチと検証

 ホールド除去と配色を終えた後は、各ルートに合わせてスケッチを描く。予選、準決勝、決勝戦に合わせ、難易度とクライミングラインを考慮することが重要である。それから、詳細な「検証」のステップを経る。W杯は世界トップクラスの選手たちが技量を披露するため、高難度のルートが主となる。それだけ選手達の安全と適切な試合のため、検証を徹底的に重ねることが重要である。検証しなければ良い結果を保証することはできない。
 ルートセッターは直接クライミングをしてみて動作がどのように多彩になるのか、ホールドが破損する可能性はあるのか、特定区間の難しい動作で同じ順位者が多く発生しないかなど、様々な可能性を検証する。数回にわたりホールドとクライミングラインの非常に微細な部分まで検証を行う。
 いくつかの種目でも、物理的に良い条件があるものである。クライミングコンペでは背が高いか、腕の長さが長ければ有利となる部分がある。ルートセッターはルートを作成する際、特定の人の身体にとって有利・不利となるルートを作らないために努力する。たとえば、身長が小さい選手を考慮し、ホールド間の距離を慎重に決定する。次のホールドに届かないような箇所には配置しない。これは公正に反することだからだ。
 このようにルートセッターは選手たちの実力を把握している必要があるだけでなく、公正と価値を失ってはならないのである。
最も重要な要素の一つは、選手達が実力を発揮できるようにすることである。そのために選手がコンペルートで面白さと真剣さを失わないようにしなければならない。クライマーの緊張感は見守る観客にも完全に伝わるため、観客も選手たちのクライミングに没頭できるようになる。選手と観客が退屈せずに迫力あふれる試合を楽しむことができようにするのも、まさにルートセッターの仕事だ。

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UIAAルートセッター達が意見を出し合う 左よりミン・ギュ、筆者、キム・ジョンホン(キャプションは月刊『人と山』facebookより)

UIAAが認める世界最高の大会

 韓国のアイスクライミングコンペは、1997年トワンソン氷壁大会の時から始まった。初期の大会は速度で順位を競い、以降は氷壁に線を描いて大会を行った。徐々に自然岩壁を利用したミックスクライミングや人工壁が建てられ、大会は多様に発展した。
 10年前の青松アイスクライミングW杯時には、ルート設定への理解が不足していた。ホールドに穴をあけて使用する別名「穴打撃(どのような方向からでもピックが抜けない)」で、ルートセッティングを進めており、ホールドの選択と動作の多様性に欠けていた。
 最初、青松アイスクライミングW杯ではイタリア人ルートセッターであるアッテリォが参加してホールドの選択、ルート設営を助けてくれたが、ヨーロッパ方式(ホールド距離が遠いセッティング)に、韓国のルートセッターは満足できなかった。ヨーロッパ方式に対応はするが、様々な変化を与えたかった韓国のルートセッターはガストン、サイドホールド、エンボス加工ホールドを使用するなど、韓国だけのルートスタイルを発展させた。

 

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アイスアックスのホールドの特徴を引き出す方向を撮影中(画像・キャプションは月刊『人と山』facebookより)


 ルートセッターの努力で作られた韓国スタイルは、少しずつヨーロッパに影響を及ぼしている。それほど私たちは公正かつ面白い大会を作っていると自負している。青松W杯はコンペ運営だけでなく、イベントの進行に関してもUIAA関係者と選手が世界最高の大会と太鼓判を押してくれる。
 数年前から予選はオープン競技に変更された。以前はオンサイト方式で1つのルートだけのクライミングだったが、今はオープン競技方式で2つのルートで進められる。試合数が増えることは、少なくない犠牲を要する。ルートセッターは2つのルートを作り、運営する審判とビレイヤーにも苦労が増える。それでも、このような手間をかけることを甘受するのは、より多くの選手に少しでも多くの機会と経験を提供するためである。

P4_20200314120701頭上の壁を埋めるためのルート設定。天のキャンバスに絵を描くようなものです(キャプションは月刊『人と山』facebookより)

美しい祭典の時間

 UIAAは、青松W杯クライミングルートに氷の比重を高めてほしいという要請を毎年寄せてきている。韓国の気候を考慮する場合、青松W杯では、ヨーロッパのような氷壁を製作できる環境になく、仕方なくアイスキャンディーを作って壁に固定している。そんな中、特に今冬は異常気象で試合の準備がさらに困難になった。小寒の冬の雨が真夏の梅雨のようだった。雨は大会に使用されるアイスキャンディーの形を変形させ、スピード競技が行われる氷壁を溶かす。ギム・ビョングUIAAアイスクライミング委員とグム・ジンウォン慶北山岳連盟理事が雨を眺めながら心配した表情を浮かべる。すぐ開催される本競技に支障を与えないか心配する気持ちが感じられる。ギム・ビョング委員は運営と観客側の両方の立場で、複数の業務を調整している。グム・ジンウォン理事は青松W杯の全体的な流れをみて進行させながら、ルートセッティングを準備する、もう一人のルートセッターでもある。二人は韓国で開かれるアイスクライミング、ドライツーリング大会に多くの時間と努力、奉仕を通じて、アイスクライミングコンペの発展に大きな役割を果たしている。


 もうすぐプレーオフが行われる。決勝に進出した選手が一人一人紹介される度、観客席を一杯に満たした観衆の熱気はさらに熱くなる。初めて公開されるルートの動作と流れを予測できるよう、選手達には各7分の時間が与えられる。オブザベーション中の選手たちは、それぞれの頭の中で登る姿を描き、実際のクライミングのように天に向かって手を振っている。7分のオブザベーションが終わると、選手のクライミングが始まる。スタジアムの観衆もクライミングに一緒に没頭する。
 競技場の熱気は、ピークの終わりにたどり着く。男女それぞれ最後の選手がクライミングを続けていく。観客は最後の選手の一動作ごとに呼吸を共にする。ルートセッターは選手と観客を交互に見つめる。最後の選手が1位を確定し、トップホールドにアイスアックスをかける瞬間、虚空を切って墜落する。観客は本人が落ちたように惜しむ声をあげる。続いて選手たちの情熱と努力に、歓声と祝福の拍手を送る。

 静寂の中、誰も残っていない競技場の壁に、ルートセッターは再び向かう。壁は再び白紙の状態に戻る。私たちは互いを励まし、W杯を終える。
 美しい祭典の時間は、こうして終わる。

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以上引用おわり

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キム・ジャイン、五輪出場ならず

コロナウイルスの影響でクライミングのアジア選手権が中止。

これにより、昨年8月の世界選手権におけるアジア圏の選手で最上位に位置する選手、韓国男子はチョン・ジョンウォン、韓国女子は「神童」ソ・チェヒョンにほぼ決定、キム・ジャインの五輪出場の夢は絶たれることになりました。

김자인, 코로나19로 도쿄올림픽 무산 “상황 탓하고 싶지 않아” 中央日報2020.3.5

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 クライミングが五輪競技種目に決定する遥か以前から「五輪競技になれば・・・」とインタビューで五輪出場の夢を語っていたキム・ジャインですが、自身のインスタグラムでは「大きな喪失感」と正直にコメントしています。

 別メディアでは、五輪出場に際しての引退は否定、外岩でのクライミングの機会を増やしたいと今後について語っておりました。

 工事現場では図面にない地中の電線をピンポイントでドリルで切断する不運には恵まれている私、東京五輪のクライミング競技チケットはことごとく外し、キム・ジャインちゃんの雄姿はテレビで観戦しようと思っていましたが、残念至極です。

 願わくは、韓国総選挙の結果次第ですが「国会議員の妻」キム・ジャインより引き続きクライマー、キム・ジャインの活躍をみたいものです。

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