クリスマスリースと門松作り 2023

山形県朝日少年自然の家企画事業「クリスマスリースと門松つくり」にボランティアスタッフ参加。

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昨年に続き、今年も門松でお世話になります。

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門松作りに励む親子参加の皆様。

今年はやっと「男結び」マスターできた!と自信満々でサポートに挑むが、職員スタッフがお手本を見せるとはいえ、やはり参加者にいきなり男結びやってくださいというのは難しい。2家族・3作品をフォローして、門松の男結びを指導するのが精いっぱい。他のボランティアスタッフの手伝いまで手が回らなかった。

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しかしスムースに製作するのではなく、ああでもないこうでもないと親子で会話しながら作る過程に意味があると思っています。

今年の参加者皆様の作品を眺める。

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リース製作班皆様の作品も眺める。門松のナンテン・マツの枝刺しや、リースの飾りつけなどは、たいていお母様の方が子供達より夢中になっています。

製作も一通り終わり、昼食。

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今年の朝日少年自然の家のランチは特製チキンライスと伺ってましたが、ツリー型ハンバーグが凝ってました。ご馳走様です。

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門松・リース作り問わず、全参加者が製作できる「松ぼっくり利用のクリスマスツリー作り」は今年も人気。

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私のクリスマスツリーは、ホワイトクリスマスをイメージして昨年同様にシンプルに仕上げました。しばらくツリーを飾った車で通勤します。

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スノーシュー物語

登山用品店やオシャレなロッジの壁で、たまに見かける木製のスノーシュー。

もう過去の遺物かと思いきや、当のアメリカではまだまだ現役で作られ、使い続けられています。

ジュラルミンと樹脂で作られた現代のスノーシュー全盛の今、まだ作り続けられている理由が、この報道で明らかにされています。

Why you may want to ditch your fancy snowshoes for wooden ones by FOX23 2022.1.3

以下記事引用開始

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木製スノーシューを選ぶ理由

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手作りの木製スノーシューで雪上を歩くフォートケント市のブライアン・テリオー(右)と父親のエドモンド・テリオー (Credit: Courtesy of Brian Theriault)

 木製スノーシューは北東部を象徴する骨董品で、暖炉の上に飾られ、伝統的な職人技、この地域の長く雪深い冬への思いを表現している。
 しかしメイン州の多くの住民にとっては、曲がった木のフレーム、編み込まれた生皮のデッキは、単なる過去の遺物ではない。

 州内の数少ない企業によって作られた木製のスノーシューは、さまざまなアウトドア愛好家に使われ続けている。プラスチックや金属製の近代的なスノーシューよりも、昔ながらのデザインと天然素材のスノーシューが好まれるのだ。

 フォートケント市のブライアン・テリオーは、約40年前に父親エドモンド・テリオーとともに木製スノーシューの製造・販売を始めた。「私たちの伝統的なスノーシューは、深雪のために作られています」「人々は品質の良さ、違いを知っています。」「私たちのスノーシューがあれば、森の中のどこにでも行くことができます。雪の上を歩くことができるのです。」

 Theriault Snowshoesは、メイン州でも有名な木製スノーシューメーカーの一つだ。伝統を守るために活動する企業はいくつもある。プレザント・リッジ・プランテーションで営業するメイン・ガイド・スノーシューは、伝統的なデザインと素材を使ったスノーシューを製造している。また生皮の手入れが面倒な人向けに、耐久性のあるコードデッキを使用した木製スノーシューも人気シリーズである。

 メイン州で最も有名なアウトドア用品メーカーL.L.Bean社は、「100年前にメイン州の森の人々が、厳しい冬の環境の中で罠の手入れや他の仕事をするときに履いたものとほぼ同じ」デザインの木製と生皮製のスノーシューズを販売している。

スノーシュー概略史

 スノーシューは、何らかの形で数千年前から存在していた。研究者たちは放射性炭素年代測定法を用い、イタリア・アルプスで発見されたスノーシューの遺物が紀元前約3,800年までさかのぼることを突き止めた。

 北米では、伝統的なスノーシューのデザインは、その地域の先住民族が冬の狩猟や採集のために自然素材を使ったスノーシューを作っていたことにまで遡ることができる。このスノーシューのデザインは地域によって大きく異なる。

 メイン州の先住民が作ったスノーシューは、長さが幅の約3倍もあり、他の北極圏周辺のスノーシューのスタイルと異なり、メイン州のスノーシューのつま先は上を向いていない。また、メイン州の先住民が作った900以上の生活用具を収蔵するメイン大学ハドソン博物館によれば、左右一対のものもなかったという。

 1600年代にヨーロッパ人がこの地を植民地化し、交易を始めると、メイン・インディアン部族が作ったスノーシューは、その高品質と耐久性が評価され、すぐに注目の商品となった。

 ハドソン博物館によれば、1850年代から1940年代にかけ、メイン州は北東部のスノーシュー生産の中心地であった。この間、スノーシューはメイン州のインディアンや、ネイティブアメリカンの伝統的なデザインや製造技術を取り入れた入植者たちによって作られた。

 ブライアン・テリオーは、「かつてメイン州には、信じられないほど多くのスノーシューメーカーがありました」と語る。「しかし木製や生皮製のスノーシューの品質が悪くなり、他のものに取って代わられるようになったのだと思います。」

現在では、ほとんどの人が、Tubbs、Atlas、MSR、Chinookなど、大手アウトドアブランドから販売されているプラスチックやアルミニウムでできたスノーシューを購入している。しかしメイン州や、ミシガン州などの特に雪が多い地域では、「新しい」ことが必ずしも良いとは限らない、と考える数人の職人のおかげで、伝統的な木製のスノーシューが生き続けている。

木製のスノーシューは静かだ

 ボブ・ハウは20年ほど前、25年間勤めた製紙工場の閉鎖に伴い、メインガイドスノーシューを買収した。同じ頃、ビンガム近くのパイングローブロッジ&キャビンも購入し、さらにこの州のアウトドアの伝統を継承することに力を注いでいる。

ハウは、自分の家族がメインガイド・スノーシューを所有する4代目だと考えている。地元住民によると、メインガイド・スノーシューは1950年代から始まり、同じくビンガムとフォークの地域に住む熱心なアウトドアマン、ウォルター・ヨークが始めたものだという。

彼は、スノーシューのフレームは金属製より木製が優れていると確信している。

「アルミニウムのスノーシューは、カチャカチャと大きな音がします。木製のスノーシューは静かなんです。狩猟家や写真家が森の中を歩くなら、静かなほうがいいんです。」

 最近のスノーシューのもう一つの欠点は、固いデッキで、雪が上に乗ってしまい、スノーシューが浮くどころか、重くなることだとハウは言う。また、ソリッドデッキは歩くたびに背中に雪を跳ね上げてしまう。一方、伝統的なスノーシューのデッキはレース状になっており、生皮が網目状になっているため、雪が簡単に通り抜けることができる。

ハウは生皮のウェビングを使ったスノーシューを制作しているが、より安価で耐久性があり、メンテナンスの必要がないロープウェビングを使ったスノーシューも制作している。

「私たちが作るスノーシューは、少なくとも3世代は使えるものです。孫の代まで履ける。家宝になる品質ですよ」。

それでも、伝統的な生皮を用いた製品を好む人もいる。

「伝統的なものを好む人もいますよ。1組はブリティッシュコロンビアに、2組はミシガンに送りました。」

現在、ハウのビジネスでは、年間800から1,000組のスノーシューを販売している。スノーシューの多くを自分で作る一方、地元住民や、チャールストンの矯正施設の服役囚、オーガスタのトーガスVAメディカルセンターの退役軍人も多く雇用している。またスノーシューのパーツも人気商品で、登り坂を歩くためのクリートシステムも販売している。

州内の狩猟監視員や野生生物学者は、メインガイドスノーシューを履いているという。顧客には、林業従事者、測量士、野生動物写真家、ハンターもいる。冬の間は毎週日曜日にパイングローブロッジ&キャビンを訪れ、無料でスノーシューを試せるように営業している。

消えていくのを見たくない

11人兄弟の3番目に生まれたブライアン・テリオーは、父のエドモンド・テリオーが、雪の多い北メイン州の長い冬に外で遊べるようにと、家族用にスノーシューを作り始めたという。ネイティブアメリカンの祖先のデザインを研究し、最初から最後までスノーシューを作り続けた。具体的には、道具の製作、アッシュ材の採取と曲げ加工、牛皮の削り出しによる生皮の編み込み、特殊な方法でデッキの編み込みなどを行った。

「私の曾祖母は居留地の出身です。そして、いつも三方編みでした。100年前も、もっと昔も、そうでした。それが、すべてを一つにまとめています」。

テリオー親子は早い段階で、人々はより複雑な編み方を好むが、実はスノーシューはあまり複雑に編まれていない生皮のほうがより機能的であることに気づいた。

「穴がもう少し大きければ、雪が溜まることが無い。雪は通り抜けてしまうのです。そうすれば、足を上げるときに雪をずっと抱えている必要はなくなるのです」と、ブライアン・テリオーは語る。

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自社製品とブライアン・テリオー

ブライアン・テリオーは何年もかけて、父親からこの技術を学んだ。二人はデザイン、製造方法、材料を試し、工程と製品を改善し、Theriaultのスノーシューはメイン州だけでなく世界中から求められるようになった。

「私たちは、人々の体重やフレーム、皮革の品質に合わせて進化してきました」「今では、2トンのジャッキで皮革を伸ばしています。歩いたときの反発力が違いますし、雪も滑り落ちますから」「以前より大きなブーツや足を使うようになったので、クロスピース (訳者注 : スノーシューのブーツと本体を繋ぐヒンジ部分) をより遠くに移動しました」「過去のスノーシューは進化していなかったので、人々はクロスピースを踏みつけて壊していたのです」。

セリオ―によれば、従来の皮革を用いたスノーシューは、時折メンテナンスを行い、適切に保管する必要があるという。様々な動物が皮を食べるので、スノーシューはネズミなどの害獣や犬などのペットがいない場所に保管する必要がある。それができない場合は、動物が近づけないように紐でスノーシューを吊るしておくことを勧めている。さらに従来のスノーシューは、湿気や乾燥、高温になりすぎない場所に保管する必要がある。

「薪ストーブのそばに出しっ放しはダメですよ。熱を帯びると皮が破れてしまいます。」

そして、年に1、2回、軽くやすりをかけて、木と皮革をポリウレタンでコーティングすると、スノーシューの寿命が延びる。また、自然のものにこだわる人は、スノーシューを桐油、亜麻仁油、キャンデリラワックスで処理した方が良い。

 伝統を守るため、親子は2014年に「Leaving Tracks」という本を共著で出版し、伝統的なスノーシューの作り方を幅広く紹介している。彼らの作品はメイン州芸術委員会から表彰されており、ブライアン・テリオーは現在、ワークショップや自身の執筆、教則DVDなどを通じて、できるだけ多くの人に自分の技術を教えることに注力している。

「牛革を削るのは誰でもいいというわけではありません」「でも、せっかく作ったものだから、このまま消えてしまうのはもったいない。」「父と一緒に仕事をしていた頃は、何もありませんでした」「発明して、創造して、常識にとらわれず考えて試行錯誤を繰り返してきました。だから私と父にとって貴重なものなのです。私たち家族の一部なのです。このまま消えていくのを見たくないんです。スノーシューを作りたい人がいれば、その人たちに教えてあげられるよう、努力しています」。

 彼の努力は、決して無駄にはならないだろう。伝統的な木製のスノーシューは何千年も前から重宝され、この先もそうなるだろう。

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以上引用おわり

ブライアン・テリオー氏の会社 Theriault Snowshoes のサイトは こちら 。

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ヘッドランプ四方山話

【ヘッドランプを発明したのは誰か】

ヘッドランプは誰が作り上げたのか。

現場作業員の私は漠然と、「鉱山技術者が発明したんじゃね?」と思っていましたが・・・

Qui a inventé la lampe frontale ? by Le JMED

現在の製品のような「バッテリー駆動式ヘッドランプ」は1883年、フランスの発明家ギュスターブ・トルヴェ(Gustave Trouvé 1839~1902)が、耳鼻咽喉科の医師ポール・ヘロットの依頼により発明したのが最初といわれています。

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ギュスターブ・トルヴェ(Gustave Trouvé)

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ギュスターブ・トルヴェが発明したヘッドランプ

この発明「ヘッドランプ」は当然のごとく、鉱山労働者、救助隊、洞窟探検家に利用されることになります。

それから約90年後、フランスの洞窟探検家であるフェルナン・ぺツル(Fernand Petzl 1913~2003)が「圧電点火」方式のヘッドランプを発明、さらに進化させていくことになります。

ご存じのように、このフェルナン・ぺツル氏がクライミングをはじめとする各種ギアメーカー、ぺツルの創始者。

Peフェルナン・ペツル氏近影

創設期のぺツル社は数台の旋盤機しか持ち合わせていない、小さな会社から始まりました。現在のぺツル社の規模は皆様ご存じの通りです。

 

【ヘッドランプの思い出】

高校山岳部の頃は、よく線が切れる豆電球を用いたヘッドランプでしたが、大学山岳部に入り、遠征登山用にハロゲンランプを用いたパナソニックのヘッドランプを使いました。(歳が知れますな・・・)

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 以前に過去記事にも書いたのですが、某8000m峰のサミットプッシュに失敗、このランプの灯りを頼りにヨレヨレになって下山。

 8200mの最終キャンプのテントにたどり着いた瞬間にバッテリー寿命が切れる、という命の恩人ならぬ恩ランプ。

 自分の高所登山のセンスの無さを自覚し、下山後は装備のほとんどをシェルパに譲ったのですが、このランプは大事に持ち帰りました。

 そして2011年3月、東日本大震災。

 さすらいの現場作業員の私は、震災の時は秋田県に出張中で留守にしていました。

 留守宅で震災に遭遇したカミさんは、真っ先に私の登山用ザックを探り、停電の日々をこの2灯式ヘッドランプで凌いだのでした。

 遠征登山、東日本大震災で私と家族を守ってくれたパナソニックの2灯式ヘッドランプ。もうバンドのゴムもへたっていますが、手放すことができません。

 

【今使用中は、】

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今はブラックダイアモンドのCOSMOを使用。ガイド山行ではぺツルのe-LITEを予備として2つ携帯してます。

現場作業ではヘッドランプはラフに使うので、消耗品と割り切りホームセンターで売っている安価な製品を使い倒してます。

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Chickfly チックフライ

『お花摘み』に苦労しているのはアメリカ人も同様のようで・・・

ここに新たな製品が登場!

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チックフライ (Chickfly)

詳細はこちらのサイトで Chickfly

生態系と森林水文学を学んだ起業家、Anna Birkásが開発したこのパンツ、

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こんな風に、股の部分が左右に分かれて排泄行為ができるというパンツなのです。

動画は・・・排泄場面があるのでお食事中の方ご注意を。

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素材は竹を原料にした天然繊維と有機染料を使用。

アメリカの『Outside』誌評では、用を足すときにサイドポケットからモノが落ちやすいかも、と書かれていますが、ウエストを締める幅広ベルトのおかけで、妊娠した女性にも使いやすいデザインになっています。

開発者Anna Birkásによれば独自に考案したようですが、このデザインは決して画期的というものでもないですね。

90年代初め、私も使用しましたがモンベルの高所登山用ワンピース型アンダーウェア(2代目)も、お尻の部分は上下に布地が重ねられ、大キジを撃つ時にはChikflyのようにまくって用を足す、という仕組みでした。

コロナ禍でもアメリカの起業家、アウトドア愛好女性はなかなか勢いがありますな。

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GW日記2021 前半

4月29日、雨。

息子の高校のPTA総会とクラス懇談会に私が出席。

 数百万年ぶりに訪れる母校。しかし私を育ててくれたのは立正大学体育会山岳部という思いが強いので、何の感慨も無い。懐かしさ・親しみよりも憎悪の感情の方が大きい。このあたりの感情は山形県立図書館・日本山岳会所蔵の登山報告書に書いたので勝手に読んで下さい。

 PTA総会では、かなりでかい態度で講堂座席の最前列、中央に座り、資料に目を通す。

 あれ?

 今年入学した1年生PTAの副委員長、高校山岳部の1年後輩だった I 君だったりする。世間は狭い・・・facebookで繋がっていたものの、久々に言葉を交わす。

帰宅すると、モンベルに注文していた物品が届いている。

今シーズンは、

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 軽量化を目論んで、雨具パーサライト(左)を購入。比較のために従来使用しているモンベル社ゴア雨具(右端は上着、右から二番目はズボン)を並べてみた。バーサライトは生地がペラペラゆえ、めちゃめちゃコンパクト。

 少年自然の家行事では「大滝さんザックでかいんですけど、何入っているんですか」と毎回聞かれるが、子供達のための予備雨具、予備手袋、予備帽子を入れている。他のガイドさんが活躍されている日本アルプスなどと違い、自然の家行事で訪れる山域は行動時間2~3時間で安全圏に下山できるため、自分の雨具に関しては保温性・耐久性を天秤にかけ、軽量化を図ろうと考えてみた。

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 もう一品はシャミーズシャツ。

 遥か昔、ガイド資格をいただいたばかりの頃、古いモンベルのラガーシャツと着古した会社の作業ズボンでガイドに出ていたため、師匠から「ガイドは身なりは大事だよ」とおさがりのシャミーズシャツをいただいて約20年。

 一度ジッパーが壊れたものの修理に出して、今だに(ガイド時ではなく普段着として)愛用しているのだが、着心地が良いので一着購入。山用に明るいライトブルーのシャミーズシャツは既に持っているのだが、こちらのダークブルーは普段着用です。

 今シーズンもバリバリ歩きますよ。

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最新の流行は当然の把握

あなたはいくつ覚えていますか?

アメリカ・ユタ州立大学図書館が、今は無きアウトドアメーカーのカタログを電子ファイル化し公開するというプロジェクトを進めています。

11 Dead Outdoor Gear Brands That You Should Know by Gearpatrol.com 2021.3.30

以下引用開始

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11 Dead Outdoor Gear Brands That You Should Know

(あなたが知っておくべき11の、今は無きアウトドアブランド)

TANNER BOWDEN 執筆記事

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 彼らのロゴは、もはやバックパックやテントを飾ることはないが、私たちが現在使用しているギアに多大な影響を残しています。

 ブランドに「墓地」は無いが、それは「死ぬ」。彼らは失敗し、破産し、株式会社に売却され、別会社に吸収されていく。これは多くのアウトドアメーカーの運命であり、冒険家に賞賛され、アマチュアに愛され、70年代と80年代にキャンプに親しんだ人々に、今では愛情を込めて記憶されています。

 Cloudveil、Camp7、Moss Tentsなど、これらブランド名を知る歴史家は、美術館にはいません。彼らはこっそりブログに書いています。そこでは、かつて高性能だが現在はヴィンテージになっているジャケットやバックパックを隠しておくこともできます。

 これら企業の記念碑に最も近いのは、ユタ州立大学図書館の特別コレクションです。図書館は最近、古いアウトドア用品のカタログを収集し、インターネットとインスタグラムを用いて表紙をデジタル化するプロジェクトを進めました。これら画像は、現在は消失したブランドへの視覚的な賛辞です。これらは歴史を築き上げていますが、すべてを語っているわけではありません。称賛に値する11社のストーリーをどうぞ。


シュイナード・エクイップメント

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 シュイナード・エクイップメントの物語は、すなわちパタゴニアの物語のプロローグといえます。創設者であるイヴォン・シュイナードは、ピトンや他のクライミング用ギアを手作業で鍛造することでビジネスを始めました。もともとは岩場で出会った山仲間のためだけのものでしたが、噂が広まり、ビジネスを法人化するのに十分な需要が生まれました。

 1989年にメーカーを襲った人身事故の訴訟によって破産するまで、パタゴニアの姉妹ブランドとして存続しました。しかし完全に消失したわけではありません。従業員のグループが企業を購入し、ソルトレイクシティに移動し、名前をブラックダイヤモンドに変更しました。

 

Cloudveil (クラウドベル)

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 1997年に設立されたCloudveilは、アウトドア業界の大手メーカーに比べれば、生き残ったとしても幼い存在といえます。スティーブン・サリバンとブライアン・カズンズがジャクソンホールで会社を設立したのは、サリバンがSchoeller社のソフトシェル生地を見出したことがきっかけでした。

 資金面の問題が発生し、サリバンとカズンズは最初にスポーツブランドインターナショナルに、次にスパイダーに、最後にプライベート・エクイティファームに会社を売却することを余儀なくされました。不思議なことに、Cloudveilのサイトは今でもオンラインで公開されていますが、そこには商品は一切掲載されていません。サリバンはノウハウを生かし、アウトドア・アパレルブランド「スティオ」を立ち上げ、ビジネスを展開しています。

 

スノーライオン

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 スノーライオンの「ポーラーガード・マミースリーピングバッグ」は、ダウンの代替品として十分な性能をもつ合成断熱材を採用した、最初の寝袋でした。1976年に発売されたとき、ブランドの設計思想と同様に革新的な製品でした。当時のカタログの紹介は、ブランドが当時目指した地位を主張しています。「スノーライオンは、従来の設計や製造法へのコミットメントや崇拝のない、独立した登山家の集団によって立ちあげられました」翌年、同社は売却契約が失敗したため、破産を申請しました。

 

キャンプ7

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 ジョージ・ラムが始めたアルプスポーツやアルパインデザインを含む一連のブランド最後の企業であるキャンプ7は、1970年代にボルダーに住んでいた人なら誰でも知っているはずですが、ラムはそのギアの多くを日本で販売していました。

 

アバクロンビー&フィッチ

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 アバクロンビーは現在も存続しているが、世紀の変わる頃、信頼できるアウトフィッターとして同社を知っていたハンターたちにとっては、現在の状態は認識できないでしょう。1950年代に発行されたカタログの表紙には、キャンプや犬ぞり、カヌー、釣りなどのシーンが描かれていますが、それ以降のカタログ、特に1988年以降のカタログでは、Limited Brandsという会社がA&Fを買収し、基本的なウェアを扱う方向に舵を切ったこともあり、従前とは大きく異なります。名前は残っていますが、オリジナルブランドは残っていません。

 

ラトックマウンテンギア

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 ラトック社は、その名の由来となったパキスタンのカラコルム山脈にある標高23,442フィートの山への遠征をはじめとする、最も大胆なアウトドア活動のための装備やウェアを製造しました。創業者のジェフ・ロウは、1978年にラトック山に挑戦し、その直後に会社を設立しました。ロウ・アルパインに統合される前のラトック社は、Outside誌の「最も影響力のあるアウトドアギア100選」に選ばれたチューブ式ビレイデバイスとソフトシェルプルオーバーの2つのアイテムを製造していました。

 

インテグラルデザイン
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 Equip Outdoor Technologies社は、Rab社やLowe Alpine社と同じ会社で、2010年にテント、ビビー、シェルターのメーカーを買収しました。Rabは現在も多くのアイテムを生産していますが、カルガリーを拠点とするオリジナルの生産チームは、Integral Tacticalという名前で一般消費者向けではないタクティカル・アウトドア・ギアを生産しています。

 

ダナデザイン
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 アウトドア愛好家の間では、バックパックメーカー「Dana Design」が今でもよく知られています。それは、創業者であるDana GleasonとRenee Sippel-Bakerが、今でも「Mystery Ranch」というブランド名で製品を作り続けているからです。2人は1985年にDana Designを立ち上げ、10年間にわたり成功を収めた後、K2に売却しました。Mystery Ranchのウェブサイトによると、2人は早期退職を考えていましたが、信頼性の高いバックパックを、多くの人に提供することほど充実した仕事はないとすぐに気付きました。


モステント

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 1955年、ビル・モスは南北戦争以来変わらない、重いキャンバス地のテントに嫌気がさし、「ポップテント」を考案しました。湾曲したポールで作られた骨組みを、軽量で耐候性のある生地で覆うという原理は今も変わらず、このデザインは親しまれています。

 モスは登山家というよりもデザイナーで、モステントを設立したのは1975年、退社したのは1983年ですが、そのおかげであらゆるタイプのアウトドア愛好家がより快適に眠れるようになりました。モステントは多くの企業と同じ運命をたどりました。結局、会社は買収され、そのデザインは別のブランド(MSR)で販売されることになりました。妻のマリリンが彼の人生と仕事についての本を出版、YouTubeのビデオではその背景が紹介されています。


アーリー・ウインタース

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 アーリー・ウィンタース社といえば、アマゾン以前に発行されていた、あらゆるギアやガジェットを掲載したカタログ、またはハウスメイドのテントのどちらかがよく知られています。1976年、アーリー・ウィンタースは、当時の新素材であるゴアテックスを世界で初めて購入し、ライトディメンションというテントを作りました。その後、ゴアテックス製のレインジャケットをはじめとするさまざまな防水製品の製造にもゴアテックスが使用されました。

 1984年にオービス社が同社を買収し、その後売却されサハリー社に社名変更する前に、アーリーウィンタース社はティム・レザーマンの最初のマルチツールを仕入れるという歴史的な発注をしています。

 

マザーカレン

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 ユタ州を拠点とする小さなアパレル企業、Mother Karen'sについての情報は、インターネット上ではあまり見つかりません。1973年に設立され、1980年代前半に全盛期を迎えたこのブランドが、今、蘇ろうとしています。美容業界の元幹部であるラス・ムーアヘッド氏は、このブランドを購入するほどの思い入れを持っており、かつての象徴的なプルオーバーが、再びその地位を得ることができると信じています。

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以上引用おわり

 栄枯盛衰、日本のアウトドア業界も吸収・合併が続いています。

 注目すべきは、ユタ州立大学図書館というアカデミックな施設が、アウトドア業界のカタログをこのような形式で保存に着手しているということですね。

 ご存じの方も多いと思いますが、アメリカではアウトドアメーカーが生み出す経済力は地方自治体を左右する影響力があり、全米規模のアウトドアメーカー展示会の開催場所を巡ってユタやコロラドですったもんだしていたのは記憶に新しいところ。

 日本でも諸先輩方が「登山は文化」と訴えて久しいですが、日本のアウトドアメーカーや小売店の古いカタログを公的機関が保存するなんて考えられない訳です。

 アジア人や黒人に暴虐の限りを尽くす人種差別の国アメリカですが、アウトドア文化に対するリスペクトは、大いに見習うべきものがあるといえるでしょう。

 あなたがお持ちのモンベルのカタログも、十年後には貴重品になっているかもしれません。(え?僕何かヤバい事書いてます?)

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ベーカリーカフェ メリメロ

働き方改革とやらで、年に有休を取る日が決まっている。

上司のK君から「大滝さん、休んでくださいよ」と言われ、目的もなく有休取得。

案の定、午前中は取引先との電話のやりとりで休みにならず、自宅で在宅ワーク。

午後から公立図書館を巡り、所用で西蔵王高原へ。

あまり昼食を食べてなかったので、西蔵王高原に行く途中にあるベーカリーカフェ メリメロに寄り道。

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本日のチョイスは、

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バジル・フランスとコロッケパンです。

1階がベーカリー、2階がカフェという造りの店。

バジル・フランスはバケットを薄切りにしているので食べやすい。コロッケパンは見た目よりもずしりと重く、ボリューミー。

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いつもは自宅で自分で作っていますが、たまには人の作ったカフェオレを飲み、一息入れる。

店の飾りでとても気になったのが、

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アンティークとして置いてある『PARK RANGER FUEL』。

アメリカのメーカーらしく、可愛いパッケージだなあ、と単純な興味からネット検索してみたら・・・アンティーク品として、空き缶なのに国内外で1万円以上してる。ひえ~。

温かいカフェオレで一息入れて、所用のため再び外へ。なんだかんだと年末は忙しい日々。

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パタゴニアの沈黙

Afp

Photo by AFP

「クソ野郎を落選させろ」

という品格の欠片もない言葉を商品のタグに付けて話題となっているパタゴニア社。

アメリカメディアはトランプ政権の環境政策を解説しながら、おおむね賛同の記事を掲載しています。

 しかしアメリカ世論が皆リベラル派な訳ではなく、アメリカの保守派週刊誌『Nationalreview』誌、政治部記者のJim Geraghty氏 がパタゴニア社の「影」を突いた記事を掲載しています。

That Big Military Contractor . . . Patagonia? by Nationalreview 2020.9.16

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Joint

2020年7月9日、ワシントンD.C.で下院軍事委員会の前で証言するマーク・ミルリー統合参謀本部議長(ロイター)

 昨年、パタゴニア創業者でありセレブなイヴォン・シュイナードが「私は社会主義者だ。それを誇りに思う。ほんの数年前、バーニー・サンダースが掲げるまで、それは汚い言葉だった」と言い、Fast Company誌インタビューで、「ベネズエラは社会主義国ではない」と主張したことを書いた。シュイナードの顔は、目を引く見出しとともに、雑誌の表紙を飾った。"資本主義は死んだ。資本主義は死んだ。"

 今日(こんにち)まで知らなかったのは、パタゴニア--"弁解せずとも政治的 "な企業であるが、米国防総省と長年契約している企業でもあるということだ。
 2018年5月、軍用品業界紙SoldierSystems.netは、「パタゴニアには専用部門があり、保護戦闘服プログラムのプライムプロバイダーとして、アメリカ製防寒服・戦闘服を納入し、USSOOCOM(アメリカ特殊作戦軍)のサポートに注力している "と指摘する。

 パタゴニアのPCU(訳者注 Protective Combat Uniformの略)をよく知る人でも、どれほどの期間にわたり軍をサポートしてきたかは知らない。私とパタゴニアとの関係は1980年代後半にさかのぼり、第3ID長距離監視部隊に配属されたときのことだ。潜伏中に寒さをしのぐため、紺色の厚手パイルスーツと、左胸にロゴ入りポリプロピレン製の長袖肌着を支給された。間もなく、これらの衣服のコピーが米陸軍の寒冷地用ウェアシステムに含まれた。ナイロン製の胸ポケットに至るまで。

 90年代を通じて、SOF(特殊部隊)は過酷な環境で使用するためにパタゴニアの特別なウェアを支給していた。しかしパタゴニアが国家の要請に応え、SOFのために衣料システム全体の開発に着手したのは、対テロ戦争(訳者注 アメリカ同時多発テロ以降の対テロ作戦を示す)になってからのことだった。

 7月には、警察機関と契約を結ぶアパレル企業に関する記事の中で、GQ誌のサム・ライスはこう指摘する。

「パタゴニアの戦術衣料品部門であるロストアローは、さらに密接な関係にある。衣料品(オーバーオール、ソフトシェルジャケット、ネックゲイター、アーミーグリーンまたはグレー)には、ロストアローのブランド名はなく、「PATAGONIA TACTICAL *GOV'T SALES ONLY*」と表示されており、販売はタクティカル・ディストリビューターというウェブストアだけである。(中略)」

 パタゴニアが米軍向けに高品質のエクストリーム・ウェザー・ギアを開発・販売していることに、多くの人々は何ら問題ともしないだろう。多くの企業は、世界で最も過酷な条件の中で働く、世界で最も過酷な兵士たちのため、自社ウェアは十分優れていると延々と自慢するだろうが、パタゴニアはそのことに関してはほとんど口を閉ざしている。しかし、パタゴニアの顧客の中には、米軍を本質的に帝国主義的または破壊的な勢力と見なしているリベラルな顧客もいる。パタゴニアの軍事契約を容認できる罪とは思っていないかもしれない。

自称「社会主義者」の億万長者が率いる企業の中で、リベラルかつ進歩的な大義への支援を使命の一部としながら、軍事契約を結んでいる企業がどれだけあるというのだろう?

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 パタゴニアはそのことに関してほとんど口を閉ざしている。(記事中より)

 私自身は当ブログで前々から主張しているように、「国防は国家の要」だと考えてますので、パタゴニアが軍用品作ろうが驚きません。以前にブログ『雪山大好きっ娘。』さんとギアの話題に触れた際、世界各国の有名アウトドアブランドの軍需産業生産率が高いことを知り「え、そんなに?」とむしろ驚いた方でした。

 上記記事を掲載している『nationalreview』誌は、日本の『正論』をさらに強硬にしたような保守派誌です。

Pataパタゴニア社が誇る米軍仕様ウェアのラインナップ

 ちなみに私が知る限りでは、パタゴニア社が直接これら国防省に納める軍需品を生産しているわけではなく、生産は提携会社であるPeckham Vocational Industries が担っています。

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【訃報】ゴアテックス発明者 ロバート・W・ゴア氏逝去

 今やアウトドア界になくてはならない防水透湿素材「ゴアテックス」の発明者、ロバート・W・ゴア氏が9月17日、アメリカ・メリーランド州の自宅で亡くなりました。83歳でした。死因は明らかにされていませんが、長い闘病生活を送っていたとのことです。

Robert W. Gore, company president and inventor of Gore-Tex, dies at 83 by The Washingtonpost 2020.9.20

Gor1

1969年ゴアテックス素材「発見」の様子を再現しているゴア氏

 道具マニアな方は既にご存じかもしれませんが、もともとデュポンの配管テープの低コスト化のため改良に取り組んでいたゴア氏。

 1969年10月28日、「あー今日も残業かよー」といったかどうかはわかりませんが、業務時間も過ぎた夕方6時過ぎ、

「熱を加えてゆっくり伸ばすのがダメなら、ぐぐぐいっと一気に材料伸ばしたらどうなるべ?」

と、思い付きで上記画像のように材料を両手で伸ばしたら、材料であるPTFE(ポリテトラルフオロエチレン)が予想外に伸びたのです。

これによりPTFEの分子構造が解きほぐされ、何十億もの微細な穴が生じ、今のゴアテックスにつながる生地が産まれたとのこと。

その後のゴアテックスの利用はアウトドアだけではなく、医療・各種産業に用いられることになります。

家内制手工業のような小企業から始まったゴア社は数十億ドルの収益をあげる大企業に成長。

 アメリカでも珍しいといわれるシステムの企業で、かのブルームバーグが「近視眼な投資家に邪魔されず、エンジニアが材料に魔法をかける勤労者の民主主義がある」と述べるように、社長や経理など厳格な階層ではなく従業員は「仲間」として付き合い、ゴア氏自身も「ボブ」と呼ばれることを普段から主張していたとのこと。

 私個人は普段当ブログで主張しているように、大汗かきなもんでゴアテックスの費用対効果には懐疑的です。

しかしながら、現在のアウトドア・登山の隆盛、類似した防水透湿素材がいくつも生まれてきた陰には、1969年10月28日、ゴア氏がたどり着いた「偶然」に端を発するゴアテックス素材誕生が大きく影響していると敬服しています。

 偉大な研究者・経営者の逝去に哀悼の意を表します。

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月山湖上のプライド

8月11日、山形県朝日少年自然の家チャレンジキャンプ2020 のイカダ体験の日。

本来ならば子供たちが最上川をイカダで下るのだが、先日の豪雨被害で最上川は危険な状態となっており、寒河江ダム・月山湖でのイカダ漕ぎとなった。

P1_20200813141101豪雨の影響で月山湖はアマゾン川なみの濁り

P2_20200813141201

午前中の活動地、四谷沢川の河口めざして子供たちのイカダは進む。

 当初は、私はゴムボートに乗りサポートする予定だった。

 元職員の服部さんから、「四谷沢川河口の様子を見に行くんで、大滝さんにも見てもらいたいんですが・・・」

 と声がかかる。結果、カヤックに乗り込み単身、湖上に乗り出す。

 子供たちのイカダより先回りして、カヤックで四谷沢川河口にたどり着く。滝口支配人はじめ所の皆さんと共に四谷沢川の流れ、水遊びできる箇所を確認。

 それから引き返し、子供たちのイカダを迎えに行く。

 イカダは左右に子供が3人ずつ、班付サポーターと呼ばれる高校生リーダー1名が乗り、オールで漕いでいく。

 左右の3人が息を合せて漕がないと、イカダは迷走する。

 ぴったり息が合いグングン進むイカダもあれば、個性的な子がそろい喧嘩が始まり先に進まないイカダもある。

 

 一番遅い班のイカダをサポートすべく、私は後方のイカダに伴走する。

 男の子と女の子の間で口論が始まり、なかなか前に進まない。

 「よし、7馬力だ ! 」

 私はカヌーの舳先をイカダ後方に押し付け、力を入れて漕ぐ。私が7人目の漕ぎ手となるのだ。

 「らくちんだ!」 イカダ上の男の子が叫ぶ。

 まもなく女の子から、

 「やめてよ!やめてってば!」

 と怒られてしまった。

 自分達の力で漕ぎ進みたいらしい。

 「ごめんなさーい!」素直に私はカヤックをバックさせ、イカダから離れる。

 近くで見ていた元職員で現・学校教員の工藤さんに

 「怒られました・・・子供には子供のプライドがあるんですね」と打ち明けながら反省。

P7_20200813142801 四谷沢川岸辺に上陸した子供たち、ほっといても自分達で遊びを考える。

 女の子たちはダム作りに夢中。

 自然保護論者の大人たちはダムを目の敵にするが、子供たちは誰に教わるでもなく、ダムを作り、そこに喜びを感じている。

 P3_20200813143101

 四谷沢川河口から戻り、午後からは桟橋にて水遊び。

 水の濁りも気にせず、子供たちは喜々として水に飛び込む。高価な玩具も器具も不要、水辺にいることが楽しいのだ。

 P4_20200813143201

遊びの後は、イカダ解体が待っている。皆での共同作業も、チャレンジキャンプの大事な行事。

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所に戻った後は、子供たちは入浴、その間に所員・サポーター総出で機材の洗浄。

P6_20200813143401

この光景を目にするとき、私たちの「夏」の終わりを感じる。

 イカダ関連機材の洗浄が終わり、所員の皆様に挨拶して退所。

 今年も貴重な体験をさせていただきました。山形県朝日少年自然の家関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

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