DNAは誰のものか?

コロナでうんざり。

早くワクチンできないかな~と願っている方も多いと思います。

最先端のバイオ企業では、着々とワクチン開発が進められています。

しかし、それが生身の人間の、マイノリティな人々の搾取の産物であったとしたら。

ネパールのシェルパ族は、バイオ企業に「搾取」されているのか。人類のために「貢献」しているのか。

NEPALI TIMES がコロナウイルス特効薬開発の光と影をすっぱ抜きました。

Sherpa genes for COVID-19 treatment?  by NEPALI TIMES 2020.6.23

--------------------------------------------

シェルパの遺伝子がCOVID-19の治療に?
アメリカのバイオテクノロジー新興企業による、シェルパのDNA配列研究が提起する倫理的問題

ネパールタイムズ 2020年6月23日

Nepalsherpa

写真 サガルマタ汚染防止委員会

 アメリカのバイオ企業がネパール・シェルパ族の血中DNAを研究し、高所の低酸素にもかかわらず彼らがいかに成長するかを調べることにより、COVID-19の治療法を見つけようとする試みは、一部の医師やシェルパ族によって批判されている。

 ヴァリアント・バイオ社は、シェルパ族が住む地域の空気中酸素が平地の半分しかないにもかかわらず、彼らにスタミナと持久力を与えているDNAの遺伝子コードを抽出しようとしています。

 同社は研究によって、COVID-19に苦しむ患者の治療法開発に役立つだろうとコメントする。

 バリアント・バイオ社の共同設立者で遺伝学者でもあるステファン・カステル氏は、ニュースレポートの中で「COVID-19では低酸素症で死ぬこともある」と述べる。「おそらく、その住環境の中で健康に保つ方法があるだろう。」

 しかし公衆衛生の専門家は、そのような研究の科学的根拠に疑問を投げかけ、一部のシェルパ族の研究者は、研究の倫理的な問題を提起しています。

「世界中の先住民や辺境地に住む人々の遺伝子がどのように研究にされ、悪用されてきたかを知っています。彼らが私の故郷の人々を民間企業の利益のために利用しようとしているのではないかと危惧しています」

 アメリカ・アリゾナ州立大学、地球宇宙探査学部博士課程の学生であるソナム・フティ・シェルパは語る。

 彼女によると、バリアント・バイオ社のプロジェクトは、ネパール現地の人々がこの研究について知らず、研究に関わるクーンブのシェルパ族でさえ、研究の目的を知らされていない可能性があるため、ゲノム研究、法律、倫理について緊急の警告を発したという。

「この研究はいくつかのレベルで非倫理的です。国際臨床法によると、薬品が特定の地域社会によって開発された場合、その地域社会は薬品からの利益を得るべきであり、そうでなければ非倫理的であり、最終的には違法となります。」と説明する。

 科学者たちがヒマラヤの住人の秘密、標高の低い場所に住む人間が動けなくなるような高度でシェルパ族が活動的である理由を明らかにしようと試みたのはこれが最初ではない。エドモンド・ヒラリーは、かつてネパールのクンブ地域を「世界で最も調査され、検査され、採血され、人類学的に解剖された地域」と表現したことがある。

 COVID-19に対するワクチンと薬物療法の研究は、急性症状を持つ患者に対して絶望的な手段に頼らざるを得ない医師の注目を浴びる。あるニューヨーク市の医師は最近、COVID-19の患者が肺の低酸素症状に苦しんでいたため、高高度肺水腫(HAPE)の治療に使用されるダイアモックスのような薬を推奨した。

「急性高山病用の薬を使ってCOVID-19を治療するのは、全く異なる要因があるため論理的ではありません」と説明するのは、高所医学の専門家であり、イギリスの医学誌にこのテーマに関する論文を共著したBuddha Basnyat氏である。「COVID-19を治療するために高山病の薬を使用することは、潜在的に危険な結果をもたらす可能性があります。」

 しかし、バリアント・バイオ社は、シェルパの遺伝子がCOVID-19だけでなく、代謝障害や免疫反応に関する薬品開発に役立つ秘密が隠れていると確信している。

 過去に開発された多くの医薬品は、世界各地の民族の特質を生かし複製されてきたとして研究を擁護している。 例えば、抗コレステロールの処方薬の幾種類かは、遺伝的に病気になりにくいアフリカ人から抽出されたDNA配列に基づいて開発された。

 バリアント・バイオ社はまた、糖尿病の遺伝的治療薬を発見するために、他民族よりも炭水化物を代謝させる傾向があるニュージーランドのマオリ族の血液からDNAサンプルを取っている。また、フェロー諸島とパキスタン人も対象に研究を行っている。

 同社は、その方法論から倫理的な批判に備えていたようで、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団で感染症研究を率いていたCEOアンドリュー・ファーナム氏は、「治療法を見つける利点が他の懸念事項を上回る」ことをブルームバーグで示唆した。

 バリアント・バイオ社はネパールのシェルパ族の医師を雇い、現地の行政に呼びかけ、10月からネパールで2,000人の血液サンプル採取を支援しているという。同社は、シェルパ文化に関する本の翻訳費用や、クーンブの学校改修費用を負担することで、現地コミュニティに補償する予定という。

 ソナム・フティ・シェルパは「納得していない」とメールでネパール・タイムズにコメントした。
「同社はまだネパール保健研究評議会の許可を得ていないまま、サンプル収集を開始する予定です。民間企業がシェルパや他民族の遺伝子の『著作権』を所有すべきではない。」

-------------------------------------

以上引用おわり

 補足します。

 文中にヒラリーが引用されていますが、ヒラリーはエベレスト登頂に成功後、マカルー登頂を狙った際、標高5300mの高所に「銀の小屋」と呼ばれるプレハブ小屋を建て、自分たち登山隊メンバーを実験台に高所衰退・高所順応の医学実験・調査を行っていたものです。バリバリのバイオ企業の製薬研究と一緒くたにされるのは不本意ですな。

 現実として、世界各地の民族固有の体質そのものが医薬品開発に「貢献」している現代、コロナウイルスワクチン開発という御旗のもとに、いくつもの企業が国家から莫大な支援を受けて研究開発を進めています。

 冒頭に書いたように、特定の民族から得られるDNAデータは搾取の賜物なのか、人類への貢献なのか。

 なんでもかんでも AI に判断をお任せしようという現代、ますます「倫理観」が問われる時代になってきていると考えます。

| | コメント (0)

アンジェイ・バルギェル、コロナウィルス罹患

An_20200721220401

 2018年、K2山頂からのスキー滑降に成功したポーランドのアンジェイ・バルギェルがコロナウイルス陽性であることが判明しました。

Andrzej Bargiel ma koronawirusa."No i mnie dorwalo" by Sport.pl 2020.7.20

報道によれば症状は嗅覚障害がある程度の軽症、自宅療養中ながらも自宅でトレーニングは続けている生活とのこと。

完全なる回復を祈るとともに、我々も気を付けましょう。

| | コメント (0)

追悼 服部克久氏

彼女もいない、21歳の寂しい夏、私は初めての8000m峰登山に赴いた。

当時は「中国登山」というくくりで、北京、成都で共産党幹部らと交流会と称する中国酒の飲み会をくぐりぬけて、ようやくチベット自治区ラサに入るという行程だった。

ラサから車で3日間走り続け、ようやくベースキャンプに到着。

その3日間、専属の中国人ドライバーが運転するランドクルーザーに乗りながら、暇つぶしは音楽を聴くことだった。

休憩地点で、高橋OBから

「大滝ぃ~、なんかテープ貸してよ」

「え、高橋さん、喜多朗のシルクロード聴いてたんじゃないすか? 」

「うーん、音楽が周りの風景に負けちゃうんだよね」

こんなやりとりの後、私が持ち込んだテープ(当時はカセットテープ全盛)からTBSの紀行番組「新世界紀行」のアルバム版を貸してあげた。

服部克久氏作曲の「自由の大地」は結構好評だったと記憶している。

哀愁を帯びた旋律から始まり、希望に溢れるメロディへと変わる曲調が素晴らしい。

 

私のチベット行きをさかのぼる2年前、東崑崙山脈最高峰ウルグ・ムスターグ峰に立正大WV部登山隊が第2登、外国人初登を果たし、その登山隊の記録はTBS「新世界紀行」で2週にわたり放映された。

 

部室が無かった山岳部員の私は、WV部部室に居候という立場で出入りさせてもらっていた。顔見知りの仲間たちが崑崙山脈で活躍するのを視聴しながら、「いつかは俺も・・・」と思ったことは言うまでもない。

 

そして番組の最後に流れる「自由の大地」。
この曲を聴きながら、幾度も見知らぬ土地への憧れを掻き立てられた。

 

服部克久氏のご冥福をお祈りいたします。

| | コメント (0)

レニングラード包囲戦 クライマー秘話

第二次世界大戦、ソ連に侵攻したドイツ軍は約900日にわたりレニングラード(現・サンクトペテルブルグ)を包囲。

いわゆるレニングラード攻防戦において、重要な役割を果たした登山家達のエピソードが公開されました。

«Невидимый» Ленинград: как подвиг альпинистов помог спасти город от фашистов by Tvzvezda 2019.5.7

以下引用開始

--------------------------------

「見えない」レニングラード:登山家達がナチスから街を救った偉業

リナ・ダヴィドワ、タチアナ・パヴリコワ

 包囲戦の初日、ドイツ軍はレニングラードに6,000発の焼夷弾を投下した。信じられないほど正確に、密集地帯が爆撃された。その原因は、レニングラードの黄金の支配者-尖塔、ドームが敵の目標物として役立っていたのだ。登山家達は、それらを隠すように命令された。

P1_20200315230701©写真:Russian Look、Globallokopress、alpklubspb.ru

 1942年8月、有名なエーデルワイス山岳部隊(訳者注:ナチスドイツの山岳兵部隊)の兵士たちは、重大な目標であるバクー油田に接近しました。山岳部隊はエルブルス山脈の西にある最も重要な峠に迫り、アブハジアとグルジア(現・ジョージア)占領に理想的な位置にあった。このままでは、ヒトラー率いるナチスドイツ軍はバクー油田攻撃を開始することになる。

 ソ連にとってバクー油田を失うことは、敗戦を意味する。1942年8月、党本部は中央コーカサス山脈の峠を解放するために山岳狙撃部隊を編成し始めました。彼らは、各地から名狙撃手である登山家達を集めなければなりませんでした。伝説的な軍人・登山家であるミハイル・ボブロフが特別な役割を果たしました。

 1937年、15歳のミハイル・ボブロフはスキー回転競技少年の部において、レニングラード選手権を獲得した。1940年には青少年大会で同じタイトルを獲得。このため彼は、登山キャンプ参加の資格を得て、初めてエルブルス地方を訪れ、山に恋をした。
 彼は登山訓練を受け、インストラクターとして短期間働いた。両親は息子の山に対する情熱を真剣には受け止めず、工場で機械工として就職すべきだと主張していた。1941年6月に戦争が勃発、ミハイルと彼の同僚は保留されていたが、ボランティアとしてとにかく最前線に行くことを志願した。

 1941年7月1日、特殊部隊を募集していた将校の前で、ボブロフは近所の知人から学んでいたドイツ語、体力と知識を示し、2日後には若いアスリートはオフタ川の中心部に到着、破壊工作員として訓練が始まった。

 (中略)

 ボブロフと彼の仲間はドイツ軍の道を忍び寄り、国境に向かって移動した。そこにはレニングラード支援者によって作られた要塞があった。若いミハイルはドイツ軍の動きを監視し、情報を軍に送信した。より経験豊富な破壊工作員がドイツ軍にゲリラ戦を仕掛けた。ある夜、ミハイルは機関銃の音で目が覚めた。ドイツ軍は要塞に侵入し、検問を突破していたのだ。銃撃戦が始まった。113人の兵士のうち、生き残ったのは10人ほどだった。彼らは東へ行き、ノヴゴロドを通ってレニングラードに戻った。

 大規模な敗退の後、指揮官は数人の小グループで敵の最前線後方に破壊工作員を送り込み始めた。ボブロフも数回にわたり最前線を越えた。ある日、彼の部隊が作戦から戻ってきた。ソ連軍の陣地に帰着すると、兵士たちは安堵のため息をついた。しかし突然、彼らは砲撃を受け始めた。軍と特殊部隊との連携不足が原因だった。ボブロフはミハイロフスキー城で目を覚ました。戦争中は野戦病院になっていたのである。

 ある日、登山家のアロイス・ゼンバが騒々しく部屋に入ってきた。ゼンバはいわく、「国家記念物保護監督官が、国家機密の任務のために登山家を集めている」

 1941年8月30日、第18国防軍が侵攻、レニングラードと全国各地を結ぶ最後の鉄道線を切断した。9月8日、敵はシュリッセリブルク市を占領し、レニングラードとの通信が途絶した。この日から、北部の首都の包囲戦が始まる。

 包囲戦初日、ドイツ軍はレニングラードに6000発の焼夷弾を投下した。ドイツ空軍機は極めて高い精度で都市機能部を爆撃した。やがて情報がもたらされた。レニングラードの黄金の支配者が敵軍のガイドとして役立ったのだ。光きらめく尖塔、ドームが、敵の大砲にとっては優れた「案内者」だった。

P2_20200315230901©alpklubspb.ru


 それらはすぐに隠されなければならなかった。登山家達が集められました。オルガ・フィルソワ、アリア・プリゴジェバ、アロイス・ゼンバ、ミハイル・ボブロフ。

 登山家が聖イサアク大聖堂に登ることは難しいことではなかった。10日以内に灰色のドームと大聖堂の鐘楼がレニングラードの空から「消失」した。海軍本部がある黄金の尖塔は、覆い隠すことが非常に困難であることが判明した。彼らは重さ0.5トンの巨大なキャンバスカバーを縫い付けた。しかし、構造物にフックを用いることなく、上部に固定することはそれほど簡単ではなかった。アロイスは戦闘で腕を負傷しており、ミハイルはひどい脳震盪からまだ回復しきっていなかった。オルガ・フィルソワが解決策を見つけた。防空気球(訳者注:低空飛行の敵機を防ぐための飛行船・風船)の使用を提案したのだ。

P3_20200315230901©alpklubspb.ru

 気球のキャンバス地と共にオルガ達も上へと持ち上げられた。彼女たちはキャンバスの全ての合わせ目を縫い合わせる必要があった。彼女が作業を始めるとすぐ、ドイツの戦闘機が雲の後ろから飛び出し、尖塔に機銃掃射を浴びせた。弾丸はオルガの隣の布地を貫いた。しかし彼女たちは作業を終わらせた。海軍本部の尖塔はレニングラードの空と同化し、ドイツ軍はランドマークを失った。1941年10月中旬まで、彼らはミハイロフスキー城の尖塔でも同様の作業を行った。

 登山家達がペトル・パウェル大聖堂の偽装作業を始めた頃、寒さが到来した。気温は下がり強風のため、ミハイルは7回ほど登っただけだった。寒い時期には偽装用の油絵の具がうまく付着せず、凍りついて層状に落ちるため、何層も塗り直さなければならなかった。

P4_20200315231001©alpklubspb.ru

 3月までにペトル・パウェル大聖堂の尖塔とドームの偽装作業が完了した。主なランドマークは敵にとって失われた。爆撃は少なくなり、それほど狙われなくなった。市内にはまだ目立つ構造物が残っていたが、登山家達は力尽きていた。1941年11月、ミハイロフスキー城の尖塔に16時間連続してぶら下がっていたアレクサンダー・プリゴジェフは、腎臓を損傷した。オルガ・フィルソワとアロイズ・ゼンバは壊血病に苦しんでいた。ミハイル・ボブロフは受けた負傷がほとんど回復しなかった(1942年2月に母親は餓死、父親は少し遅れて死去)。そして作業は中断された。登山家達は夏までに、ミハイル・ボブロフとオルガ・フィルソワの2人だけが生き残っていた。ミハイルは工場に戻り、海軍の大砲のメンテナンスに着任した。

 (中略)

 戦後、ボブロフは軍事文化研究所を卒業し、指導を始めました。1982年以降、ボブロフはレンフィルム映画スタジオでスタントコンサルタントとして働き、1994年からサンクトペテルブルク人道大学労働組合(大学)の体育学部で教鞭をとり、彼の生涯を通じてエルブルスに10回登り、78歳で北極を訪れました。そのためギネス記録に掲載された彼は、2018年8月に95歳で亡くなりました。

---------------------------------

以上引用おわり

 ナチスドイツによるレニングラード包囲は完全に物資を断つ非人道的なもので、同都市内ではカニバリズムが横行するほどに悲惨な状況になっていました。

 後半(中略)としている箇所には、そんな凄惨な包囲戦を生き抜いたミハイル・ボブロフが登山の師と偶然モスクワで出会い、再び山岳部隊の士官としてコーカサス戦線に従軍、ナチスドイツを撃退するまでが記載されています。

 ロシアのクライミングサイトや登山関係サイトでは、ごく普通に大祖国戦争(第二次大戦の独ソ戦を指す)や退役軍人クライミングコンペなどの話題が出てきます。祖国防衛の英雄として。

 かたや太平洋戦争当時、日本軍に協力したとされる山岳関係者や文化人は「戦後は沈黙を守った」と日本勤労者山岳連盟関係者らによっていいように糾弾されていますが、同じ軍関係者としての勝者と敗者の違いをまざまざと感じさせられます。

| | コメント (0)

デニス・ウルブコ、コロナ予防法を語る

既にコロナウイルスによる死者が1000人を超え、医療崩壊が始まっているイタリア。

そのイタリア在住のデニス・ウルブコが「コロナウイルス予防法」を動画で公開。

Denisurubko1

Denis Urubko : mangiate cipolla per difendervi dal Coronavirus by Monte Live 2020.3.13

デニス・ウルブコいわく、「玉ねぎを生食するとコロナウイルス予防になる」そうです・・・・・・・・

いや、日本ではコロナウイルスには花崗(途中省略)

ウルブコのFacebookには「デマ広めないで ! 」「あなたは登山家であって医師ではない! メスナーみたいにならないで!」ときちんと常識的なコメントが寄せられてますです。

イタリアの感染事情は深刻で、腎臓移植をしたばかりのクライマーを案じる記事が届いたばかり。

頼むから体調異変があったら病院行ってくれ、デニス・ウルブコ。

| | コメント (0)

キムちゃんに叱られる

今こそすべての日本国民に問います。

キム・ジャインちゃんの飼い犬の名前は、『 独 島 ( ド ク ト ) 』でした。

與 영입5호 소방관은 유명 몸짱커플···암벽여제 김자인이 부인  by 中央日報2020.1.7

以下引用開始

--------------------------------------

 キムさんは最近インスタグラムで、政界に一歩を踏み出す夫を静かに応援する動きを見せた。夫妻は先月初め、捨て犬の里親になり「独島」と名付けて世話をしている。動物福祉を公約に掲げたムン・ジェイン大統領が捨て犬の子犬を青瓦台の「ファーストドッグ」に採用したことにならった。

--------------------------------------

 というわけで、今、韓国の政党は来年の総選挙に向け、与野党ともに新たな人材を募っており、それが連日にわたり韓国メディアの話題になっています。

 韓国の各政党が目を付けているのは、先の「チョ・グク疑惑」で揺れに揺れている20~30代の票の行方。

 韓国与党「共に民主党」は5人目のリクルート人材として、キム・ジャインの旦那様、オ・ヨンファン氏を将来の議員候補として入党させました。

 P1_20200110223501

入党記者会見での様子。左からイ・ヘチャン「共に民主党」代表、オ・ヨンファン、キム・ジャイン夫妻

 キム・ジャインの旦那様オ・ヨンファン氏、2010年から消防士(航空救難隊)として勤務、出動回数は9年間で2000回以上の出動をこなし、退職後は「防災伝道師」として広報活動を行い、著書「ある消防士の祈り」を出版するなど、防災に尽力してきた人物。

 今回の政界進出に関してキム・ジャインは、次のように支持しています。

『最近まで消防現場を仕事場としてきた夫の突然の政治家転進に、キム選手はどんな反応を見せたのだろうか。 オさんは記者会見で「勧誘について妻に意見を尋ねるとすぐ、昨年独島(ドクト)消防救助ヘリ墜落事故で出動した時のような返事が返ってきました」と答えた。 当時事故現場捜索のために出かける夫を「行かないで」と止める代わりに声援を送ったキム選手は今回も「世の中で必要と考えることに最善を尽くすことを支持して応援します」と信頼を見せた。』 by 韓国日報2020.1.7

 さて、日本でタレント議員や○○チルドレン議員の失言が話題になりましたが、オ・ヨンファン氏も早速記者会見で「チョ・グク疑惑」について記者に質問され、チョ・グク前法相の子供の進学疑惑に関して

「 当 時 の 親 の 慣 行 」

と擁護発言したことが韓国メディア、ネット上で大炎上。野党からは「共に民主党の人材は人災だ」と揶揄されてしまいました。

 ただし、オ・ヨンファン氏は「生涯を消防士の仕事に捧げたかったが、現役時代に感じた法制度と現実との乖離の解消、国民の生命と安全に関する必要な法制度、予算を成立させる必要があると考えていた」と真剣な姿勢を見せています。

 それはさておき、昨秋は五輪クライミング競技出場権獲得に伴う悩み・戸惑いをモノローグとして韓国メディアに吐露していたキム・ジャインちゃん、旦那の政界入りのドタバタに負けないでファイテン~!

| | コメント (0)

人生いろいろ

【アレックス・オノルド、婚約決める】

映画『フリーソロ』で時の人となったアレックス・オノルド。

 既にSNSでご承知のクライマーも多いと思われますが、12月26日、かねてより交際中のサンニ・マッカンドレス(Sanni McCandless )との婚約を公表しました。

 某日本テレビのバラエティ番組では「僕、もてないんですよね・・・」と草食系男子として報じられていたアレックス・オノルド、おめでとうございます!

Alex Honnold si sposa, Sanni ha detto si !  by Montagna.tv 2019.12.27

San

Sanni McCandlessのインスタより

 2人の出会いは2015年、シアトルで開催されたアレックスの著書サイン会。

 アレックスが著書にサインして手渡した際、サンニが電話番号を書いて渡したことがきっかけ。一方、アレックスの方は友人に「可愛い女の子から電話番号もらった!」とコーフンしていたとのこと。

 初めの出会いは何もありませんでしたが、三週間後、著書サイン会ツアーを終えてシアトルに戻ってきたとき、アレックスがSMSで夕食に誘い、2人の仲が急接近したとのこと。

 イタリアのMontagna.tvの報道では、アレックスから具体的なプロポーズは無く、「僕たち、このままでいいかい?」みたいな事を言ったらしい・・・

 オラオラ、「結婚はクライマーの三大北壁」とかほざいてる日本の独身アルパインクライマーもちったあ見習えよ。あ、そういう私は見合い結婚で(以下省略)

 

【ラインホルト・メスナー、離婚しました】

今年8月、スケベ爺ラインホルト・メスナーがサビーネ・シュテーレ夫人と離婚していたことが明らかになりました。

Mes

Meine Frau hat mich verlassen  by Bunte.de 2019.8.28

参考記事 で、メスナー爺さんは今なにやってんの? by 当ブログ2009.8.1

 離婚の具体的な理由は明らかにされていませんが、メスナーの「常に新しいものを追い求める」生き方と価値観に相違があったのか、奥様の方から離れていったとのメスナーの弁。

 2人は3人の子供をもうけ、娘さんが管理しているメスナー山岳博物館の運営権をサビーネ・シュテーレ夫人に譲ろうとしましたが、これも断られました。

 なお、メスナーは半年たたずして、「数十年若い」女性をパートナーにしているとのこと。

 いやいや8000m峰登頂は無理でも、こういう姿勢は真似したいですね(棒読み)

| | コメント (0)

アルメニア大地震で活躍したクライマー達

 東日本大震災で様々な山岳会はじめクライマー達が自主的にボランティアを組織・活躍していたことはご承知の事と思います。

 大災害時にクライマー達が立ち上がるのは、なにも日本だけではありません。
 ロシアのクライミングサイトに、『30年前、アルメニア』と題して、1988年に発生したアルメニア大地震で自主的に集い、救助活動にあたったクライマーたちの記録画像が掲載されています。

 この記事に際しましては、元記事の投稿者であるミハイル・シートニク氏(ロシア・スポーツマスター)から転載の許可を快諾いただきました。Большое спасибо! Михаил Ситник!

以下引用開始
------------------------------------------
 1988年12月7日、アルメニアで現地時間11時41分に地震が発生した。
 そしてソ連全土から自発的に、自らの意志で登山者が救助に駆けつけました。

 オデッサ山岳会の自主的に集まったクライマー達が、地震発生当日にアルメニアに行くことを決めました。当局と交渉の後、私たち救助チームは軍用輸送機によってレニナカン(訳注1)に運ばれた。我々の前には、ユーゴスラビアの救助チームを載せた飛行機が墜落していた。

 夜、夕暮れ、暗闇、そして棺、棺、棺。
 最初の2日間、私たちはほとんど睡眠をとることなく作業を続けていました。その後、徐々に私たちはスケジュールを調整していきました。2交代制に分け、交互に救助作業を続けてました。
 私たちのグループは溶接技師、クレーンオペレーター、医師など様々な民間人技術者であるクライマーが集まっていました。少しずつトラッククレーンなどの機材も集められ、新年まで作業が続きました。

 私は当時の自分たちのグループを誇りに思っています。レニナカン(Leninakan)とスピタク(Spitak 訳注2)には、ソ連全土からのクライマーが集まりました。友人達よ、記憶して下さい。

以下は、救助チームの一員、スポーツマスターであるパベル・セレレンコフによる写真です。

※訳注1 レニナカンとは、アルメニア北西部にある都市である現・ギュムリの旧名。アルメニア大地震で死者17000人といわれ、特に顕著な被害が生じたことで知られる。
※※訳注2 スピタクとは、アルメニア大地震の震源地として知られる都市で甚大な被害を被った。

Al1

Al2

Al3

Al4

Al5

Al6

Al7

------------------------------------
以上引用おわり

 画像を拝見するに、非常に絶望的なまでに崩壊した建築物のまっただ中で、民間人として専門技術を持つクライマー達が危険な状態ながら解体・救助作業に奔走していたことがうかがえます。

 国は違えども被災地で活躍したクライマー達に敬意を。
 大地震で亡くなった方々、被害を被った方々に哀悼の意を表します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メルケル首相が飲むワインは、

 今秋ドイツにおいて、「ワインがいかに外交と政治史に影響を与えたか」をテーマにした本『Mit Wein Staat machen』が出版されました。

Was Wein und Politik miteinander zu tun haben by BR24 2018.10.20

Wi
1951年10月、カールスルーエで開催されたCDU(ドイツキリスト教民主同盟)会議でワインと共にジャーナリストと語るアデナウアー首相

 記事は「なぜアデナウアー(筆者注:西ドイツの初代首相でソ連との国交を開いた)はソ連にワインを送ったのか?」という興味をそそるタイトルで始まります。
 アデナウアー首相は意図的に各種ワインを食事会の演出に用い、歴史的なソ連訪問時では大量の各種ワインを持ち込み、ソ連側から大歓迎されたとのこと。
 ソ連側もグルジア(現ジョージア)産ワインで歓迎し、その見返りとしてドイツ大使から外交上のアドバイスを受けるなど、まさに「酒は人間関係の潤滑油」とはよく言ったものです。

 著者のKnut Bergmann氏は連邦大統領府に勤務、その経験を生かして今回の著書が世に送り出されました。

 ちなみに記事でも紹介されてますが、現メルケル首相は親しいラインホルト・メスナーとの夕食で赤ワインを好むとか。
 日本のメディアでは選挙の惨敗続きで苦境が伝えられ、メルケル首相の暗い表情ばかりが報道されていますが、心から美酒を楽しめる穏やかな日はいつになるのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コークとモモの街、カトマンズ

 ネパール全土で、コカコーラ社が有名レストランと提携、ネパール料理「モモ」とコーラを結びつけたPR活動を展開しています。

 Coca-Cola Mo:Motsav by The Himalayan Times 2018.1.31

 このキャンペーン、ここ数年続いているらしく、今年のPR動画がこちらです↓

 昨年はこちら。
 モモと、コークと、バレンタインを結びつけ、ネパールの有名女優であるPriyanka Karkiさんが恋と料理の指南役をつとめています。

 もうネパールもご無沙汰ですが、砂ホコリ巻き上がるタメル地区しか記憶にない私も時代に取り残されてるんですかね。動画ではカトマンズもすっかりおしゃれな街角です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧