餅の里、一関

さすらいの現場作業員、先週から岩手県は一関に住み込み。

さっそく一関市立図書館にて調べもの。
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地方都市の公立図書館としては非常に垢抜けたデザインで、綺麗なカフェも併設されている。
なにより社会人にうれしい、開館時間が午後8時まで。

一関市を含む岩手県南は伊達藩の影響を多大に受けていること。
そして「餅食」文化の地であることを知る。

調べていくうちに腹へってきた。あー我慢できん。
急遽、「餅膳」で知られる ふじせい に直行。
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注文したのは、もちろん「ひと口もち膳 雑煮付」。
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こういうお雑煮付きです。

では、「ひと口もち膳」を一つずつ解説。

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しょうが餅 具はシイタケ、根しょうがのおろし汁を効かせた「あん」がかけられている。しょうががばっちり効いていて喉にきます。

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あんこ餅 岩手県南独特の「もち本膳」では最初にふるまわれる餅。冠婚葬祭に欠かせない一品とされ、こしあんです。

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納豆餅 岩手県南では冠婚葬祭で餅が出されるが、納豆餅は「糸を引く」という言葉から不祝儀に出すのは禁忌とされる。

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くるみ餅 オニグルミをすり砂糖・塩で味付けしたもの。ちなみにくるみ餅は「岩手県民の好きな餅」の上位に常にランクする餅だそうな。

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大根おろし 甘酢で味付けされている。岩手県南伝統の「もち本膳」の中央に位置する、欠かせない一品。

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ごま餅 黒ゴマをトロトロにすったタレ。

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えび餅 小さな沼エビを丸ごと炒って、だし醤油であじつけした餅。岩手県南独特の餅で、食文化に関する文献を調べていて一番気になっていた餅。真っ先に箸を伸ばして喰いましたが、エビの香ばしさが餅によく合う。けれども、最初にあんこ餅を食べるのが本式の作法です。

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ずんだ餅 枝豆をすりつぶし、砂糖・塩で味付けしたもの。本来は夏から秋の餅料理。そもそも岩手県南に餅文化が根付いた理由の一つは伊達藩の影響といわれるが、当然ずんだ餅も流入してきたものだろう。

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じゅうね餅 「じゅうね」とはシソ科の「エゴマ」の実をさす。ゴマ同様によくすって砂糖・塩で味付けしています。かすかにシソっぽい風味です。

タレを残さずたべられるようスプーンもつきます。各小皿の餅は一口サイズなので、小食な女性の方でも全部食べられると思います。

 以前とりあげた「お茶餅」でも書きましたが、餅文化といっても、もともとは貧しい農民たちはクズ米を粉にして練り、「しいな餅」として食していました。
 古老の証言では、現在のように「白い餅」が食べられるようになったのは昭和35年あたりから、と言われています。ちょうど日本の高度経済成長の頃ですね。
 しかし昭和40年頃を境として、県南地域の結婚式から本格的な「もちふるまい」、「もち膳」の習慣・作法が消えていきました。
 ようやく生活が豊かになり、「白い餅」が食べられるようになると同時に、地方独特の習慣も消えていく。

 一方で、岩手県南の自治体では「餅食文化」としてイベントや研究会などで、古来の「もち本膳」の作法を残すべく活動が続けられています。

 初日に美味しい「ひと口もち膳」を食ったし、今週も仕事頑張ろう(自己申告)。

参考文献 : 一関もち文化研究会「一関地方に伝わる「もち膳」の再現」平成18年、 一関もち食推進会議「もちのまち」平成29年、佐藤育郎「一関お餅道場」平成20年

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山形民俗映像フォーラム 黒川能(王祇祭)1954年/2006年

9月からガイド山行はキャンセル、個人ガイドの予定もお客様都合でキャンセル。
連休は親類の葬儀が入り、老母の付き添いと実家の電話番も兼ねて下界で過ごす休日が続く。

10月9日の祝日は国立歴史民俗博物館主催の「山形民俗映像フォーラム 黒川能(王祇祭)1954年/2006年」に参加するため山形美術館へ。

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内容は、題名「王祇祭」として1954年に日本大学芸術学部映画学科が製作した映像、2006年に市井の研究者・内田長志氏が製作した映像を連続して上映し、その比較を試みるシンポジウム。
シンポジウム(トークセッション)のメンバーは、市村幸夫氏(村山民俗学会・前事務局長)、岩鼻通明氏(山形大学教授 山形民俗学会会長)、内田順子氏(国立歴史民俗博物館准教授)という面々。

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トークセッションの様子。

市村氏いわく、1954年の王祇祭の方が泥臭さが残っているような気がする。
岩鼻氏いわく、1954年(昭和29年)頃は、日本の農村人口が多かった時代であり、その活気が映像からうかがえる、とのこと。

映像と民俗学(民族学)といえば、難しいことはいわなくても、ある程度の年齢の方ならテレビ番組『すばらしい世界旅行』とか『驚異の世界』とか『知られざる世界』などで、おなじみのはず。

内田准教授は2つの映像の差異をリストアップして報告。
映像と民俗学の関係を論じるにはあまりに短いスケジュールでしたが、民俗芸能の記録について思考を深める時間を過ごしました。

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2017年9月日記 最後の子供神輿

9月23日、町内神社の祭日。

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結構歴史のある神社、祭日一週間前から町内の家の塀には紅白の幕が下がり、提灯が灯される。

我が家は子供会として神社祭日の当番になっており、

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前日の22日夜は子供が担ぐ樽神輿の製作にかかわる。
年配者にいろいろ指導を受けながら、青年団のメンバーを中心に樽神輿製作のお手伝い。

翌日23日昼、
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子供神輿スタート。

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今年も私は交通整理役。

特に交通制限もなく、その割に私の住む町内は交通量が多いので結構神経を使う。
神輿の隊列を前から後ろへ、対向車が来ないか確認したりと忙しい。

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ところどころ、町内の方々の善意をいただきながら休憩。

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今年は早いペースで進行し、最後に神社のお社の前で三回廻って終了。

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屋台も出て、地元の小学生たちには楽しい一日。

我が息子も小学6年、子供神輿に参加するのは今年が最後。
地元の方々に見守られて、今年も祭りの日が過ぎていきます。

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神々の享楽  【古郡神楽 山形県鶴岡市 古郡 池神社】

8月15日、山形県鶴岡市 古郡(ふるごおり)地区 池神社で開催される「古都神楽」を見学させていただく。

 実は今まで獅子踊りの類いはあまり関心が無かったのだが、民俗行事を調べていくうちに、どうしても山岳文化と切り離せない分野であると知る。
 山形県の北方、鳥海山周辺や最上地方では、神楽(かぐら)、番楽(ばんがく)など様々な名称で神々に奉納される踊りが受け継がれている。

 文献を調べるうちに、特に古都神楽に心ひかれたのは、そこでは高度な曲芸が神社に奉納されるという。
 しかもその曲芸は、芸人のようなプロ集団ではなく、一般住民、市井の人々が修練を重ねて芸を身につけたという。
 盆休みの貴重な山行の機会でもあったが、この日を逃せばまた来年まで見学の機会を待たねばならない。
 古郡神楽を見学すべく、静かな古郡集落を訪れた。

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開催直前、準備が進む池神社の境内

午前11時、太鼓と笛の音で開催が告げられる。

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平成29年の古郡神楽の開催内容

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神社の片隅で、神楽会の男性が曲芸に使う三間梯を掃き清めている。

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「堅(た)て物」と呼ばれる芸の一つ、「刀の三挺つぎ」
抜き身の刀を三本、鍔の穴に刃先を差し込み、弓なりにつないで、その重たい刃先を顎で受けて立つ。

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刀立て。 抜き身の刀を刃先を顎で受けてバランスをとって立つ。

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今日は明るい曇天だが風が強く、神楽会の皆さんは芸の披露にかなり苦労されておりました。

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操(く)り物。いわゆるジャグリングで、房の付いたバチから始まり、鎌三本、そして上記画像の鎌、鞠、豆の三つを投げ廻し、鎌で豆を割るという難技に挑む。前述のように風が強くて苦労されてました。

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曲芸が見事に決まると、背後で見ている神楽会の男達からも笑みと拍手が出る。
緊張するのだろう、出番前や芸を終えた方々が盛んに喫煙しているのが印象深い。

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廻し物と呼ばれる芸の一つ、卵廻し。
盆や菅笠の上で卵を廻していく。

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皿廻し。細い篠竹で皿を廻し、その篠竹を顔面に乗せる。

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曲芸の中でも最も難しいといわれる「剣三番叟(さんばそう)」。
1mほどの細い棒に皿が付けられ、その上に抜き身の刀二本を交差して置き、その細い棒を顎に乗せ、さらに三番叟(さんばそう・能の踊りの一つ)を舞う。

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このときは太鼓も止み、笛の音だけが続く。緊張の一瞬。今年も見事に演じ終えられ、拍手がわきました。

古郡神楽は、これらの高度な曲芸を、普通の人々、古郡集落の人々が練習を重ねて披露・奉納する。

 もともとは獅子舞のみといわれているが、そこに曲芸が伴う、いわゆる「伊勢屋の神楽」が合流したものと考えられている。
 本来の古郡神楽は30~50人を要し費用も莫大なもので、10~20年おきに開催される盛大なものだった。
 昭和に入ってからは昭和25、26年、45、46年に開催されて途切れたが、平成元年に池神社改修の後、規模を縮小して毎年開催されることになった。
 曲芸は人々を楽しませるだけでなく、作占いも兼ねている重要な芸能となっている。

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 これだけ高度な曲芸が一般住民の手で神々に奉納され、メディアにもとりあげられることもなく、観光協会のウェブサイトに載ることもなく、ムラの行事として、静かに行われていく。
 集まった観衆も、みな顔見知りの集落の人々。
 ライトアップされ、テレビカメラで写され、「村おこし」の名の下に観光イベントになりさがった神事にくらべ、なんともファンタジックな民間芸能ではないか。

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剣舞の出番を待つ子供達。
彼らも、彼らの親兄弟がそうだったように、この高度な曲芸を受け継いでいくのだろうか。
それとも、少年期の夏の思い出になるのだろうか。

動画による記録はこちらです↓

参考文献 : 無明舎出版編 『庄内の祭りと伝統行事』 無明舎出版、 藤島町伝統芸能振興協会編 『藤島町の伝統芸能 -獅子踊と神楽- 』

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花笠の夏

小学6年の息子が通う小学校の学年親子行事で、山形の「花笠まつり」に出場することになった。

カミさんは娘の時に出場したし、長期出張で家を空けて息子と過ごす時間も少ないので、私が息子と共に出場することにする。

父兄・子供合同の練習期間は7月22日、23日、26日、30日、8月2日、4日の6回。
この6回で花笠踊りをマスターしなければならない。
短期間でまったく知らない芸事をマスターしなければならない、「芸能人 かくし芸大会」みたいな世界である。

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7月22日、練習初回。
百人近く参加する「父兄」といいつつ、ほぼ皆さん「母親」の女性たち。
父親参加は私を含め10人前後。
女性たちに囲まれてウハウハというより、完全アウェイ状態。

花笠踊りのエキスパート「昇龍舞連(しょうりゅうぶれん)」の皆さんを講師に、体育館で踊りの練習が始まる。

息子の通う小学校で踊る踊り方は、「寺内(てらうち)流」、「上町(かんまち)流」、「飛び波」の三つを合わせたタイプ。
自主練習のための動画がこちら↓

動画の踊りは 寺内 → 上町 → 飛び波。

22日、23日は土日なのでなんとか参加できたが、なかなか覚えられません。
お母さん方も「わからない。。。」と言いつつ、懸命に練習している。

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練習の帰り道、歩きながら「友達の○○君来てた?」と息子と話しながら帰宅。
このブログを書き始めた頃にはまだ生まれていなかった息子。
いつまで息子とこうしていられるのだろうか。

26日は平日。
練習時間は19時~21時。
あいにく酒田市で仕事をしているため、会社に戻るのが19時過ぎ、後片付けやらなにやらで練習に駆けつけられるのが20時半。
残り30分でも練習に駆けつける。
しかし他のお母さん方との踊りのレベルの差がますます開いてく。

練習のおわり、PTA学年部長担当のお母さんの挨拶で、
「どうしても踊りがうまくできないという人のために、「大うちわ」という役割もありますので・・・」
という一言を耳にする。

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その一言を聞いた瞬間の私の心象風景↑

練習終わったあと、PTA役員のお母さんのところに行き、
「すみません、建設会社勤務で練習になかなか出られないので、大うちわ専属でやらせてほしいんですが・・」
と交渉。

実は「大うちわ」をやる人がいなくてPTAでも困っていたので、すんなり私の申請が通る。
あーこれで踊り間違いを気にせずに済む。

この大うちわ、隊列や見物のお客さんめがけて巨大なうちわでひたすらあおぐ、という役。
実際に持ってみると、「これお母さん方に持たせるの無理でしょ」というくらい巨大で重いうちわ。

8月に入り、踊りの日程が決まる。
8月6日、第一集団の6番め。
この日は山形県朝日少年自然の家の「最上川」イカダ下り」の手伝いをする日。
日程をギリギリ調整して、自然の家職員のJさんには午前中だけの参加としてお願いする。
最上川イカダ下りの手伝いから急ぎ帰宅し、一時間ほどで食事と休憩をすませて花笠踊りに出場することになる。

8月2日、隊列を組んでの練習。
私は大うちわを手にして、隊列に風を送る役。
昇龍舞連の会長さんから、「大うちわ、たまにお客さんにむけてあおぐと喜ばれるんですよ。」などなど、直接アドバイスをいただく。

8月4日、大事な最終練習日。
この日は朝日少年自然の家の月山登山引率のため、欠席。
練習する息子に立ち会っていたカミさんから情報収集。

そして8月6日。
午前中は少年自然の家の最上川イカダ下りのサポートに集中。
子供たちの昼食休憩をサポートしたところで、職員の方々に挨拶し退出。
帰宅して急ぎシャワーを浴び、花笠踊りの恰好に着替え、いざ出陣。

体育館の出発式では、「休憩時の給水時間が2分半しかない。このときを逃したら熱中症になる危険が高い。かならず給水するよう、踊り手は給水係にアピールすること」
と、かなりしつこく言われる。
最終練習の8月6日はわざわざ給水係の練習までやったらしい。
私はぶっつけ本番となる。どうなることやら。

大型バス3台に分乗し、スタート地点に近い山形市民会館に乗り込む。ここがパレード出場者の控室となる。

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市民会館は踊り手でいっぱい。

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そして定刻。市民会館から徒歩で移動し、山形市の七日町大通りにスタンバイ。
ここから1.2kmの距離を踊りながら移動。

なにぶん自分は「大うちわ」なんで、あまり緊張せず本番開始を迎える。
この日は涼しい強風。
大うちわの存在意義もあまりなさそうな日。

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花笠踊りパレードで「大うちわ」をふるう筆者

本番の花笠踊りパレードが始まり、中間地点あたりで最初の休憩。
給水係のお母さんが凄い勢いで走ってきて、担当エリアの踊り手に飲み物を配る。
配るはず・・・なのだが、なぜかしゃがみこんだまま、何も渡される気配がない。
駆けつけてみると、ドリンク類が完全凍結していて、まったく飲めない状態になってましたw

不幸中の幸い、この日は涼しい強風が吹いていたので、水分補給なしでもなんとかこなせる状態。
休憩時間はまたたくまに過ぎ、次の踊りが続く。

進めば進むほど、沿道の観客が多くなる。
私も景気づけに子供たちにむけて大うちわであおぎながら、ゴール地点の山形旧県庁に到着。

そこで記念撮影後、再びバスに乗り小学校に戻り、解散。
役員の皆さま、参加された保護者の皆さま、子供たち、本当にお疲れ様でした。

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正直、私は山形の花笠踊りにはあまり思い入れは無い。
無いというよりも、あまり好きではない。
今回参加したのは、「息子と一緒の時間を過ごしたい」ただそれだけだった。

花笠踊りに強い思い入れをお持ちの方々の「思い」を否定するつもりはまったくないのですが、山形新聞社というローカルメディアが自治体と癒着して作り上げた観光イベントに「祭り」としての魅力はさほど感じない、ということです。

とはいえ、今回実際に参加してみてわかったのは、花笠踊りって「眺める」よりは「参加する」方が楽しいもんだなあということ。

花笠祭りは「東北四大祭り」と言われ、人によっては「東北三大祭りを無理やり「四大祭り」にしたてあげた」という。
実際のところはどうなのだろうか。
息子の学年行事に関わったついでに現在の「花笠踊り」の歴史を調べてみる。

昭和38年に開催された「蔵王夏まつり」に端を発する花笠パレードが、現在の「花笠祭り」の原型である。
そもそも「東北三大祭り」とは、当時の国鉄が誘客企画として考案したフレーズだった。
昭和39年、花笠パレードの可能性に賭けた実行委員会が国鉄東北支社山形出張所を訪ね、「どんな手続きをすれば「四大まつり」に採用してくれるか」打診したのが嚆矢と思われる。

国鉄側は東北支社に話を廻し、さらに上層の秋田鉄道管理局に話が廻る。
そこで出た回答が「急な話で今年や来年ですぐ「四大まつり」とするわけにいかない。国鉄が関係する以上、一日だけの祭りでは意味がない。少なくとも三日開催してもらいたい」という回答が返ってくる。
今現在の「花笠まつり」が三日間開催される由来はここにあるらしい。
実行委員会の方では、うまく成功すれば「四大祭り」として認められる、と前向きに考え、さらに当時の東京オリンピック選手村慰問団もからめて花笠祭りの開催を継続。
昭和40年の第3回花笠まつりから、「東北四大まつり」が「認知」されたとのこと。

ちなみに当時、関係者が宮城県庁・仙台市役所に挨拶に行ったところ、「四大まつりとは何事か、三大まつりの「七夕」だから仙台に観光客が泊まる。四大まつりで花笠などとなれば観光客の泊りは全部山形になってしまう、とんでもない話だ」と猛反発を受けたという。
現在では、山形自動車道・各種交通網の発達により、山形での宿泊数が減っているのだが。

「四大まつり」という呼称を嘲笑するのは容易だ。
しかしその呼称の陰に、幾人もの人々の労苦があることも知られていいのではないだろうか。

参考文献 山形花笠まつり30年史刊行委員会 編 『紅の里に笠が舞う 山形花笠まつり30年のあゆみ』

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きゅうり天王祭(山形県河北町 谷地八幡宮)

カヌーイベントの帰り、山形県河北町で行われる「きゅうり天王祭」を訪問してみる。

「きゅうり天王祭」とは各地でも行われているが、名前の通り、きゅうりを「スサノオノミコト」に献上して疫病除け、健康祈願とするものである。

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「夏越の大祓」と共催されており、神社関係者だろうか、老人が親切にくぐり方を教えてくれる。
健康祈願のためだろう、乳児を抱えた若いお母さんも幾人か来られていた。

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谷地八幡宮本宮を飾るたくさんのベニバナ。

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本宮左脇のお社にテントがたててあり、お供え物のキュウリを受け取ってくれる。
他の「きゅうり天王」では二本のキュウリを持っていき、一本を持ち帰る、という風習が多いようだが、ここ谷地では献上のみのようだ。
 私も保冷材とともに持ってきたキュウリを差し出し、家族、仕事仲間、ガイド仲間の健康を祈る。

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境内で、小学生高学年だろうか、少女二人が老人から正式な手水の使い方を教わっていた。

別にエロティックな意味合いは無いのだが、なぜかその様子がとても美しいものに感じられる。
一瞬だけ記録した動画がこちら↓

この「きゅうり天王祭」には、「豆奴(まめやっこ)」の行列が花を添える。
「谷地どんが祭」でも奴行列が披露されることもあり、河北町谷地の祭りといえば私には「奴(やっこ)」行列のイメージが強い。
豆奴を演じるのは、河北町立中部小学校の児童たち。

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この日は最高気温30度。
長時間かけて街を練り歩く子供たち、そして休憩の飲食で子供たちやスタッフの大人たちを支えるお母さんたち。

河北町・谷地の伝統芸能は、お母さんパワーで支えられてます。

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菖蒲たたき 山形県西村山郡大江町 左沢四区

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金曜。
東京に日帰り出張。山形新幹線の最終便で帰る。
東京駅のホームの隙間から、不夜城のような東京のビルを眺める。

土曜日、公休。
溜まった原稿書き。
残念ながら、山岳雑誌のガイド記事執筆・・・などではなく、社内報の原稿二つ抱えている。あーブログの戯言書く程度に日本語も怪しいのに。

日曜日。
予定していたガイド山行は催行人数に至らずキャンセル。
朝のランニングを終え、再びはかどらない原稿書き。
その隙間をついて、大江町で開催される「菖蒲たたき」を見に行く。

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大江町の左沢四区、左沢駅前を車で移動すると、民家の前に菖蒲が無造作に置かれているのが目立つ。

狭い路地で、法被姿の子供たち、大人たちが何かの塊を中心に集まっている。
この左沢四区の「菖蒲たたき」、他の地区でみられるような棒状の菖蒲を地面にたたきつけるのではなく、俵状に編んだ菖蒲を集団で地面にたたきつけるのが特徴である。
まずは動画をご覧あれ。

行列のはじめに女性陣が先行し、御神酒をふるまい、菖蒲湯用の菖蒲を配り、御賽銭を預かる。
そして四区の各家庭を一軒一軒廻って「菖蒲俵」を地面に打ち付けるのだ。

口上は、『 5月の節句 菖蒲たたき ワッショイ ワッショイ 勝ったー勝ったー とても四町内にゃ かなうまいかなうまい ジャガホイ ジャガホイ 』

地元の方いわく、この「菖蒲俵」をまたいで歩くと叱られるという。地面にたたきつけるという行為は、五月という農業にとって最も大事な時期、神様に御成り戴き、豊作を祈願し、神と人が交わる神事であるという。

一昨日訪問した、無機質なビルが立ち並び、金と欲、経済と効率性に支配された東京。

そこから新幹線で三時間、神と人が交わろうとして人々が地面をたたきつける風土、山形。
たたきつけられた菖蒲が香りを放つ左沢の街並みを、私はしばらく眺め続けた。

参考文献: 山形県西村山郡大江町左沢四区著『菖蒲たたきは神の道』平成9年発行

参考サイト:山形県東根市 藤助新田 菖蒲叩き by 当ブログ2015.6.7

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乳観音 (山口県光市 小野)

光市の里山に、「乳観音」なるお社があるという。
休日、さっそく訪問してみる。

情報は観光サイトにも何もない。
看板も何もない。
文献資料の略図をもとに探し当てる。

ごくふつうの民家の裏、「え、こんなところ行くの」という細い道をたどると、そこに「乳観音」はありました。

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カメラが傾いたんじゃありません。
普通の民家裏をたどると、全体に傾いた、急な石段。
そこを登ると、

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乳観音にたどり着く。

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鳥居を構えた神社の左脇に、観音堂がある。

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石造りの観音像(右)と、壁に奉納された乳模型。

乳観音の建立時期ははっきりわかっていないが文献から江戸時代中期とされている。
乳の出が悪い人は一対の乳模型を奉納すると、乳の出が良くなるといわれ、願いがかなった人は母乳を奉納すると乳児が無事に成長するといわれている。

観光情報の類いには一切紹介されておらず、知る人ぞ知る、という乳観音。

カミさんの育児を傍からみてきてはいるが、やはり男にはわからない苦しみ・悩みがあるのだろう。
奉納された乳模型に、女性たちの切実な願いをひしひしと感じる。

話は変わるが、山形県の某所、地名を挙げれば山形の人間なら誰でも知っている場所なのだが、その集落の奥にお社がある。
たまたま現場関係の仕事でそのお社をみる機会があったのだが、中を覗いてびっくり。
お社の中には数百はあるだろう、大量の木製の「男根」が奉納されていた。
子孫繁栄、子宝に恵まれるように・・・という願掛けのお社だと思われるが、民俗関係の資料でも一切とりあげられていない。

「性」に関する祈願はタブー視されるということなのだろうか。
時代は変わろうと、子作り・出産・育児は太古からの人間の営みに変わりは無い。
なんの目印も看板もなく、ひっそりとたつ乳観音にそんなことを考えた。

参考文献 : 古川知明著『失われゆく民間信仰 山口県光市にみる日本の原風景 路傍の御仏』

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けんちょう

さすらいの現場作業員、本日より戊辰戦争の宿敵・山口県は光市に滞在。
しばらく安ホテル生活。

今夜のおかずは

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山口県の郷土料理「けんちょう」。
大根の薄切と豆腐、人参を油で炒めて醤油で煮た惣菜です。

名前の由来は税金泥棒が働く公官庁じゃなくて(僕なにか変なこと書きました?)、けんちん汁の名前の由来ともいわれる鎌倉の建長寺からきているらしい。

東北地方だったらガンガンにしょっぱく煮付けるところだけど、西日本らしい甘めの味付けです。
明日からコンビニ依存生活に突入~

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じゅり馬祭り ~女たちが支えた琉球文化~

沖縄の旧暦に関する行事を見てみたい。

よそ者の立場で、ようやくその機会を得たのが沖縄県那覇市・辻で開催される「じゅり馬祭り」である。

旧暦の1月20日、二十日正月(ハチカソーグヮチ)という正月の祝い納めとして開催される「じゅり馬祭り」。

現在は各種風俗産業が立ち並ぶ那覇市・辻地区。
その昔1672年、琉球王府によって辻遊郭が公設され、そこで働く遊女たちは「じゅり」と呼ばれていた。

遊郭といっても、江戸の吉原のような性風俗の街並みではなく、今の「芸妓」に近い存在といえようか。
こうして辻地区では「女たちの、女たちによる女たちだけの暮らし」(じゅり馬祭り実行委理事長の言葉)が存在していた。

 親兄弟・家族から離れて暮らす彼女たちが、年に一度だけ、一人前になった自分の姿を披露できる機会、それが「じゅり馬祭り」といわれ、多くの見物人に混じって「じゅり」達の家族が見守っていたと言われている。

 しかし「じゅり馬祭り」は「公娼制度を容認するもの」という某女性団体の抗議により、1989年から2000年にかけて中断する。
 自治体からの支援も絶たれ、「那覇三大祭りの一つ」といわれながら、公的な観光サイトには紹介されず、祭りの開催団体も地元の料亭那覇という民間企業にゆだねられている。
 関係者の尽力により、ようやく復活したという経緯がある。

 私が一番見学したかった、「じゅり」たちの神事は旧暦1月20日、新暦の2月16日に行われ、こちらは残念ながら仕事で見学できなかった。
 奉納舞踊である「じゅり馬」を見学すべく、なんぶトリムマラソンを走り終えてから那覇市・辻に直行。

 あいにくの雨、会場である通りに足を運ぶと、関係者らしき方から、「じゅり馬見学の方ですか?今回は料亭の中で行いますので、料亭に入って下さい」と促される。

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那覇市・辻の料亭那覇。私のような平民はこんな機会でなければ行けないだろうなあ。

広い宴会室に、見学者でぎゅうぎゅう詰めになりながら、「じゅり馬祭り」は始まる。
とりあえず、クライマックスである「豊年じゅり馬」(一部)の動画がこちらです。↓


唄の内容は、「京の小太郎が作たんばい、やんざい行者馬舞者、みーはーはーとぅー、しーちょんちょん、しだりかチョンチョン、やーチョンチョン、ゆいゆいゆいゆい」

女性たちの声がそろい、馬を操る「ゆいゆい」という掛け声がとても印象的である。

じゅり馬に関しては、日大大学院芸術学研究科出身の浅香玲子氏が研究を進められ、『じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究 -本土(やまと)の春駒から沖縄のじゅり馬へ-』という論文集を発表している。
この論文集において、本土出身の浅香氏が辻という特殊な人間関係の中に飛び込んでいく中で拒絶され苦労された事がわずかに触れられている。

 苦労を重ねて人間関係を構築し、女性にしかできない、女性達で支えられた琉球文化を研究し保存につなげていった浅香氏のような人物こそ、現代の冒険家・探検家と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

2017年 じゅり馬祭り 冒頭の浅香玲子氏挨拶

2017年じゅり馬祭りの開催内容

2017年3月19日(日) 14:00~16:00(予定)
料亭那覇 三階にて開催(雨天のため)
次第
 理事長開会宣言
 理事長挨拶
 浅香玲子先生挨拶
 奉納舞踊
  弥勒節/マラヨウ節、四ツ竹(扇寿会)、貫花(玉扇会)、日舞(黒田節・料亭那覇)、谷茶前/チンボーラー(扇寿会)、黒島口説(料亭那覇)、金細工(玉扇会)、花(J-POPS舞踊 料亭那覇)、日舞(演歌「北の三代目」 料亭那覇)、加那ヨー天川(扇寿会)、稲しり(玉扇会)、古武道シリーズ(薙刀、櫓、ヌンチャク、トンファー、サイ、空手をとりいれた舞踊 料亭那覇)、民謡ショー(料亭那覇)、玻座間ショー、群舞あしびなー(料亭那覇)、じゅり馬の由来(しまくぅとばによる歌 西浜陽子)、豊年じゅり馬からじゅり馬(全員)
 16:20終了、解散

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