鮭の新切 (ようのじんぎり)

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寒風干しの「鮭の新切」(2011年 鮭川村にて撮影)

山形県鮭川村に伝わる伝統食『鮭の新切』(ようのじんぎり)を知るべく、鮭川村教育委員会主催「鮭の新切教室」に参加。

本来は親子行事とのこと、さらに全3回の教室に全て参加できそうにないため、第1回目の教室を撮影だけさせてもらえないか問い合わせしたところ、教育委員会担当者様のお計らいで「よろしければ参加してみませんか」と有り難いお誘いをいただき、一参加者として鮭川村中央公民館を訪問。

新切教室の第1回は、鮭を獲るウライ漁場、卵孵化場の見学、そして鮭の解体・塩漬けまで。

Vlog風にまとめてみました↓

 

動画では割愛しましたが、ウライ漁場の次に卵孵化場を見学しました。

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今年は約300kgの卵が採取できたとのこと。

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木製の蓋をとると、中には孵化前のイクラがぎっしり。光や音、少しの衝撃でも死んでしまうデリケートな鮭の卵。

大地の恵みともいえる、井戸から汲み上げた地下水の中で育っていきます。

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捕鯨反対を狂信的に叫びながら、昔は散々鯨を獲っては油を採るだけで捨てていた西洋人と異なり、食生活のために死にゆく鮭を敬う気持ちがここにはありました。

動画にあるように、本日は鮭の塩漬けまで。寒風干しは12月中旬頃に事務局の皆様の手によって行われ、教室第2回では寒風干しを経た「鮭の新切」とのご対面となります。

鮭を解体では地元漁師さんの集団「サーモンロードの会」の皆様にご指導いただいたのですが、解体の途中で出た白子、肝臓、心臓はお土産にもらいました。

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解体直後の鮭の心臓、肝臓、白子

漁師さんたちは「塩焼き」で食べるらしいので、帰宅後カミさんに預けて調理してもらいました。

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白子はトロッとしてなおかつアッサリ系。肝臓は濃厚な味。

鮭の心臓は、遠大な距離を回遊してくるだけあって、魚の内臓とは思えない歯ごたえ。焼き鳥のハツに近い味。

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 東北の山奥・鮭川村で獲れる鮭は、脂肪分がほとんど無いため、保存に適しているとのこと。

 なんとか都合をつけて、第2回教室も訪問したいと思います。

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御大日尊御開帳 山形県真室川町西川地区

山形県真室川町。

源義経一行が頼朝の軍勢に追われる逃避行において、泊めてもらった家に掛け軸を置いて行ったという伝説がある。

それから約800年、今も年に一度、御開帳として掛け軸 - 大日尊 - の絵が人々に公開される。

その日は旧暦の9月15日。御大日尊の御開帳として、古くから人々が参拝してきた行事を見学させていただいた。

 

山形県の北部、真室川町でも奥に位置する集落、西川地区の斎藤宅を訪れる。

参考資料の写真では、例年ならば幟旗が立っているのだが、みあたらない。やはりコロナの影響で中止だろうか・・・そんなことを思いながら斎藤宅を訪れると、「今年はコロナウイルスで人を呼んでないんですが、御開帳はやります。どうぞ上がってください。」と温かく迎えてくださった。

まずは御大日尊の祀られている奥の間に案内される。

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民家の奥の間に、御大日様を祀るための部屋があった。

蝋燭を1本いただき、火を灯して上座に供え、手を合わせる。

それから茶の間に通されると、参拝者らしい先客が三人。今年は私も含めて四名の参拝者らしい。

御開帳はきっかり昼12時から始まるという。

それまでは地元の方らしい三人、斎藤家の関係者であるお二人も交え、山菜の話から御開帳行事の話まで、貴重な地元の話題を伺う。

12時5分前、斎藤家のお二人は準備ということで奥の間に入っていった。

12時、斎藤家の奥様から

「御開帳始まりますよ」と声をかけていただき、ふたたび奥の間に移動。

斎藤家関係者の男性お二人が上座に登り、掛け軸を広げる。

参拝者は細く切った半紙を口にくわえ、手をあわせる。

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御開帳直後の様子(神聖な儀式のため、御大日様そのものの撮影は禁止です)

 手前に湯を入れた鍋が置かれ、湯気が立ち上る中、巻物が広げられ、再び巻き戻される。

 ほんの数分もかからず、御開帳は終わる。

 沈黙の中、皆手を合わせる。

 

 儀式の後、文献資料で調べた中から疑問だったことを尋ねる。口に半紙をくわえるのは、御大日様の様子について言葉にしないように、という意味合いがあるという。

 私は余所者なので、直会は遠慮するつもりだったのだが「ぜひ御神酒を」ということで、盛大な昼食を皆様と共にすることになった。

 今年はコロナ禍だが、800年続いた行事を絶やすわけにはいかないと話合った、と今年催行した理由を伺う。

 私含めて一般の参拝者4名、斎藤家の男性2名、女性3名。盛大な寿司、女性の皆様手作りの真室川の「ごっつぉ」が沢山。

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山盛りのゼンマイ料理に目を奪われる。

「例年ならば、私達も裃姿で御開帳するんですよ」

「いつもだと、もっとテーブル広げて大勢で食事するんですけど・・」

緊張しながら御馳走をいただいていたので写真撮影できませんでしたが、紫の菊の花を細切りの大根と共にあえた酢の物、鮮やかな黄色の沢庵。見た目も味も、素晴らしい。

 文献では、御開帳の後に鮭汁を食す風習があるとされていたが、今目の前に大きなホタテと舞茸を入れた汁椀がある。

 伺った話では、昔は御開帳の日は小学校も休みだったという。

 約800年続く行事もさることながら、地元の方々との語らいに、文献ではわからない生の「山の生活」を伺うことができました。

 真室川町・西川地区、斎藤家関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

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庄内の胡麻豆腐

庄内の郷土料理、胡麻豆腐の調理法を学びに鶴岡へ。

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 鶴岡市藤島地区(旧・藤島町)の たわらや が本日の教室。

 講師は庄内食文化フードコーディネーターの伊藤先生。羽黒山の宿坊・多聞館で教わったそうだ。

 

 胡麻豆腐はもともと江戸時代初期、明から隠元禅師によって伝えられた中国をルーツとする精進料理。

 ここ庄内では、出羽三山・羽黒山の山伏達の精進料理として知られる。

 日本全国をみわたせば、山形(出羽三山)、福井(永平寺の精進料理)、滋賀(法事の精進料理)、和歌山(高野山の精進料理)、山口(法事の精進料理)、佐賀(法事の精進料理)などが挙げられる(注)。各地方ごとに調理法・特に味噌だれ、醤油だれなど調味料も様々だ。

 会場に集まったのは12人、私以外は全て女性。意外にも高齢の女性が多い。3班のグループに分かれ、実習開始。

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 風味を大事にするため既製品の胡麻ペーストは使わず、胡麻をすり鉢で擦る。伊藤先生から配布されたレシピでは、擦り時間約2時間とある。伊藤先生いわく、宿坊では胡麻擦りは「ばば(婆)ちゃんの仕事」だそうだ。私が力任せに擦る一方、他の女性の方は手慣れた手つきで力むことなく擦る。本日は時間短縮のため、ある程度擦ったらミキサーに。

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ミキサーで約7分、胡麻をさらに擦る。ペースト状になったものを裏ごしし、残りかすはまたミキサーに。

ストップウォッチ付時計を付けているのは私だけだったので、料理に慣れない私がようやく役に立つ時w

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 本日は2品作るのだが、初めの黒胡麻豆腐は胡麻、片栗粉(葛粉の代用)、水だけのシンプルな材料。

 伊藤先生いわく、調理最大のポイントは「火入れ」。料理したことがある方ならおわかりでしょうが、片栗粉を溶いた液体に火を通すと、突然固まり始める瞬間がある。そこに注意しながら、ひたすらかき混ぜることが肝要とのこと。

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 固まり始めると、胡麻ペーストがもっちりしてきて凄い抵抗力。「ここは力のある男性に・・」ということで私がしばらくグルグルかきまわすが、かすかに焦げる香りを感じる。やべえ。

 先生に代わってもらったところ、私を上回る凄いペースでかき回す。画像でも先生の手がブレてますw

  固まったところで水で濡らしたトレイに入れ、冷え固まるのを待つ。

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黒胡麻豆腐は、黄な粉と黒蜜で試食してみました。

皆で試食しながら、庄内の料理談義。

ツイッターやネット界隈では「庄内の胡麻豆腐は甘い餡かけが伝統」と言われているが、参加者の方からは「東京や他県から来た親戚には甘い餡かけないで、って言われるのよ~」「うちもよ~」と、本音トークを聴く。

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教室の2品めは、貴重な吉野の本葛を使い、白胡麻と昆布出汁、わずかな塩で作ってみたもの。

画像の品は、白胡麻のミキサー時間が短すぎたため、胡麻の皮が残っており、舌触りが今一つ。

しかし、昆布出汁と塩のおかげで最初に作った黒胡麻豆腐より口当たりは良いように感じます。庄内では味噌汁の具にするとか。私は自宅に持ち帰り、ワサビ醤油で食べました。

羽黒山の宿坊・多聞館で教わった伊藤先生いわく、調理法、分量や火入れの時間を聞いても「だいたい」とか「ちょっと」とか、そんな答えしか返ってこなかったとか。庄内の女性の皆さんは身体で覚えているんでしょうね。

レシピ集に記録されている数字は、伊藤先生が数値化した貴重なものでした。

すり鉢で2時間も掛けて胡麻を擦る。伊藤先生いわく「山伏や修行僧の修行の一環」だそうですが、食事の下準備に一日のそれだけの時間を割くということに、「食べる」という行為の価値観の相違ということにまで思いを馳せました。

 

(注)参考文献 新潟県立大学名誉教授 佐藤恵美子執筆論文『ゴマ豆腐の文化と調整条件に関する科学』日本調理科学会誌vol.50 No.5

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貧乏の神送り 山形県 小国町 白子沢地区

飯豊連峰山麓、小国町・白子沢地区。

ここでは新暦の8月1日、「貧乏の神送り」と呼ばれる行事が行われる。

集落の住民たちが隣接する沼沢地区の境で、「貧乏の神」を描いた似顔絵を焼き、お供えを川に流すという、「病送り」「虫送り」が重複したような行事である。

夜7時半頃、住民の皆さんが集落奥にある「湯殿山」石碑の前に集合し、提灯や「貧乏の神」似顔絵を持った役員と思しき方を先頭に歩き始めた。

急いで三脚をセットしたスマホを抱えて追いかける。

皆さん集落を通過して約1kmを歩き、学校前のカーブのところまでやってきた。ここが「儀式」の場所らしい。

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「貧乏の神送り」儀式の場所に住民の皆さんが集う

 軽トラックに乗ってきた年配の方に自己紹介と見学のお許しを得て、撮影させていただく。

 お話によれば、本来は太鼓を叩いて唱え文句を唱えるのだが、今日は雨天だったため、太鼓を傷めないように今年は太鼓無しで行うのだという。

 文献によれば唱え文句「オックレ オックレ オックレヤー 貧乏の神 オックレヤー」と唱えながら歩くらしいのだが、今日は皆さん楽しく雑談しながら夜道を歩いていた。

「貧乏の神」似顔絵を挟んだ竹棒が道路脇の草地に立てられる。

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集落の子供が描いた「貧乏の神」はなんとも優しい表情である

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それからお供え物を「貧乏の神」前に捧げる。カボチャの葉で包んだ団子の類である。

研究者・菊地和博氏の著書によれば、人によっては「エサ」と呼び「人間の美味しいものは用意しない」との記述があるが、今日の見学で伺う限りでは「お供え」とおっしゃっていた。

「みんなあづまったが?」

集落の方々が来ていることを確認してから、代表の方が「貧乏の神」似顔絵に着火、燃やし尽くされる。

それから「お供え」が川の方向(闇夜でよく見えず)に放り投げられた。

30分ほどの行事でありながら、各世帯から誰かが参加するのだろう、手押し車を押す年配の女性から小さい子供まで、老若男女が参加する。

火の始末をし、再び歩いてきた夜道を皆さん戻っていく。

短時間の行事ながら、遥か昔から集落全体の健康と繁栄を祈って毎年続けられてきたのだろう。

つい先日、豪雨により山形県内各地で河川が氾濫し、深刻な被害を受けたばかり。

その一方で、今春の「やさら流し」に続き今回のように「川に災難を流し、集落の繁栄を祈る。河川が災難を引き受けてくれる。」行事を見学すると、古来の人間が抱いていた河川に対する想い、「自然観」のようなものを感じるのだ。

「貧乏の神送り」着火から「お供え」を流す(放り投げる)までを動画に収録しました。↓

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酒仙の墓

山形は酒どころ、らしい。

らしい、というのは、私は普段は晩酌もしないし、飲むのは会社と山仲間の飲み会だけなので、日本酒は詳しくはない。

以前別件で山形の石碑を調べていたところ、山形には「酒仙」と呼ばれる人の墓があることを知った。

コロナ禍で各地の民俗行事・年中行事が中止になっている今、「酒仙」の墓を訪れてみる。

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山形市・正覚寺の酒仙像

 山形市の古い市街地の奥に位置する正覚寺の「酒仙」の墓は、個人の墓石の隣に建てられている。

 高さ30cmほどだが、左手に酒樽を抱え、右手に盃を持った、堂々たる石像である。寛政4年(1792年)作。

 もう顔面は欠けていてよくわからないが、文献では「大笑い」している像とのこと。

 風化してよくわからないが、辞世が刻まれている。

 『一世を計てみれば樽の酒、酔ふも醒るも夢のゆめなり』

 資料には個人名が記されているが、ここでは伏せておく。この墓に埋葬された方は大百姓で、大の酒好きで知られ、ある時雷が激しく皆が震えている際にも一人悠然と盃を傾けていたという。

 

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山形市・妙見字地区の「酒仙の墓」

 山形市の妙見字地区の杉林にひっそりと建つ「酒仙の墓」は、法印定胤 という修験者(家は豪農)の墓である。

 これまた大の酒好きで「酒に明け酒に暮れる」生活を送っていたとのことで、その死後に弟子たちが建立したものだといわれる。

 この法印定胤の家も前述の墓主と同じく、子々孫々も酒豪だったため家が傾き、廃絶してしまったという。 

 

 私が参考にしたのは、民俗研究者として知られる武田好吉氏の資料(※)なのだが、氏の調査によれば山形県内において「酒仙」といわれる方の、ユーモラスなデザインの墓は14箇所確認されている。中でも、前記のような盃と徳利を重ねたデザインの墓が最も多い。

 製作年代も寛政年間から弘化年間(1792~1847)に集中しており、江戸時代の中でも比較的に平穏で、交通も信仰も盛んな時期であること、そして何より「建てる人」「建てられる人」「僧侶」の三者が共に「酒を肯定して」こそ、建てられたものだと武田氏は指摘している。

 亡くなった山仲間で「散骨」で葬られた方もいるし、最近は山形でも「樹木葬」などテレビCMが流れ、故人をしのぶ在り方は様々だ。

 昔の人々が故人を象徴する強烈なデザインを墓石に刻んでいた事実は、古来からの「酒と人」の結びつきを知るうえで実に興味深い。

 

※参考文献 山形の酒を語る会『酒仙の墓』昭和46年3月刊

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やさら流し 山形県遊佐町 樽川地区 令和2年4月4日

山形県飽海郡遊佐町には、月遅れの節供の行事として藁人形を川に流し「災厄送り」とする行事「やさら流し」が伝承されている。


「やさら」とは八皿とも弥皿とも書く。樽川地区では八皿と書く。由来・起源は明らかではない。ヤマタノオロチ退治に用いられた八つの酒樽になぞらえた、八種類の料理を備えるから、など諸説ある。


 月山から下山してそのまま樽川地区を訪れる。17時45分、集落中央部の三差路に皆さん藁人形を持って集合されていた。


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樽川地区は全戸数17戸。皆顔見知りだ。


この日は遊佐町広報担当の方、山形新聞の記者、荘内日報の記者、そして私が撮影機材を抱えて集まっており、女性の方からは「これから着替えてこようか」との言葉が出て笑いを誘う。


 伝統行事はどこでもそうだが、集まった住民の方は年配の方が中心。


 平成16年発行の山形県教育委員会による行事調査報告書では多くの子供たちの姿が写真として掲載されているのだが・・・住民の方からも、


「外孫でも連れてくるといいっけか?」と声が聞こえる。


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 樽川地区の「やさら流し」で用いられる藁人形。背丈は30cmほど、赤い椿が頭上に飾られる。背中には御馳走の入った「わらつと」を背負う。


 各家庭で藁人形を作り、お膳やお神酒を捧げられてから行事に持ち出されるのだ。


 18時少し前、「はじめましょうか」とゆるく行事は始まる。


 鐘と太鼓の拍子と共に、皆さん声をそろえて


『やっさらにんぎょう おくんぜ どこまでおくんぜ さんどがしま(佐渡島)までおくんぜ』と唱えながら集落を歩き、近くの洗沢川へ行く。


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 最後にあらためて唱え歌を歌い、一斉に藁人形を川に放る。災厄を川へ、海へと流すのだ。


 おりしもコロナウイルスが猛威を振るう日本。


 近くの平津地区では大きな藁人形を作り、若衆がお神酒を飲みながら藁人形を担ぎ出す行事なのだが、今年は神事のみだと伺った。


 帰路、歩きながら世話役の方から樽川地区の成り立ち、やさら行事のことなど色々伺う。


 樽川地区では、現在2~3歳の子供しかいないとのこと。


 それでも、年配の方を中心に途切れずに「やさら流し」が継続されてきたことは、地区の方々の平安な生活を願う「祈り」の賜物だろう。


 樽川地区の子供たちが大きくなる頃、どんな世の中になっているのだろうか。


 この日記録した動画はこちらです↓



コロナウイルス蔓延が問題となっている中、部外者の見学を快く迎えてくださった樽川地区の皆様のご健康をお祈りいたします。

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【山形の手仕事】由右エ門ほうき を作る

2月2日、鶴岡アートフォーラム主催による「由右エ門ほうきを作ろう」に参加。

庄内町・古関地区の米農家に伝わるほうき作りは、売るためではない、自分たちの生活で使うために作り続けられてきたほうき。

その特徴は、女性や老人が使いやすいように軽く細い持ち手が特徴。

このほうき作りを受け継いできた川井由右エ門氏は昨年夏に残念ながら逝去、その意志を受け継いで「由右エ門ほうき伝承の会」が発足、庄内を中心に各地で制作体験会を開いている。

今回は参加者17名、男性は私含め2名という状況で、女性の皆様にまじり、ほうき作りに挑戦。

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会場の庄内町・余目第四公民館にて。用いる糸の色ごとにグループ分け。私はもちろん情熱の赤を選択。

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材料となる「ほうきび」のきびを3束、配布されます。

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「ほうきび」はもちろん地元産の地産地消。黒い実をまくとほうきび実りますよ、と教えられる。

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力をこめて、綺麗に糸を巻いていく。

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ヤットコのような器具、ヌンチャクのような木製具で「ほうきび」を挟みます。

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 三本の「ほうきび」を2センチ間隔で、巻き結びで縛っていき、まとまったところで木製の心棒を叩き込みます。叩き込んでいるのは私たちの班の先生、斉藤さん。

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なんとなく「ほうき」の形になりました。ここからが遠く遙かな道でした・・・

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 時間と手間、器用さを要する「金糸の縫い付け」。バッテン形になるように、長さ20cm位の太い針でタコ糸を縫い付けていきます。この工程から、圧倒的に針仕事に慣れた女性の皆様に引き離される(笑)

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体験会は13時から始まり、17時に終わる予定でしたが、もう時間切れ。保存会の女性の方から柄頭の布袋を縫い付けていただきました。

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最後に太い針で柄を貫いてヒモを取り付け、ようやく完成。

 なんだかんだと、工程の8割くらいは保存会の皆様に手を掛けていただきました。

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完成した私の「由右エ門ほうき」 

 

 冬の農閑期の手仕事として伝わる「由右エ門ほうき」。

 作ってみた感想は、補強を兼ねた装飾(こごでは三本のほうきびをまとめる金糸の縫い付け)に先人たちはこんなにも力を注いできたのか、という思いです。

 補強材の竹や心棒を叩き込む力強さ、針仕事特有の繊細さ、両方が要求されます。先人達の力強さと器用さを痛感させられた体験会でした。

 鶴岡アートフォーラムならびに由右エ門ほうき伝承の会皆様には、貴重な体験をさせていただき深く感謝申し上げます。

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さんげさんげ 祈りの夜

12月7日、山形県 鮭川村の庭月観音で行われる年中行事「さんげさんげ」に参加。

「さんげさんげ」とは出羽三山信仰に由来し、唱え文句の「さんげさんげ」は「懺悔懺悔六根清浄」に由来する。

地元住民が集い、「さんげさんげ」と読経を唱え、翌年の家内安全・五穀豊穣を祈願する年越し行事である。

現在は山形県の最上地方、鮭川、真室川、新庄、大蔵村に残る行事である。

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庭月観音 祭壇には、前もって祈願依頼された方々の蝋燭が幾本も灯されている。

18時30分、ご住職の吹く法螺貝で始まり、読経開始。

この日集まったのは親子連れ二組、おばあさんと孫らしい女子高校生、私含め11人。

祭壇脇には地元関係者らしき男性3名が並ぶ。

初めに般若心経を読経、それから「懺悔文(ざんげもん)」と呼ばれる「さんげさんげ」独特の経を皆で読む。

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幼稚園年長か小学1年生くらいか・・・のお友達同士。この子たちが大きくなる頃には、この行事は残っているだろうか。

懺悔文は、

『懺悔懺悔六根罪性、御住連八大金剛童子一時礼拝』(さんげさんげろっこんざいしょ、おしめにはちだいこんごうどうじのいちじらいはい)

「さんげさんげろっこんざいしょ」の文句の後は「天照大神」「愛染明王」など様々に言葉が入れ替わる。

「羽黒三者権現」「補陀落三所の権現」などの言葉もみられ、そもそもは山岳修験の行事であることがうかがえる。

ご住職のお話では、もともと庭月観音は羽黒山系の寺院とのこと。庄内の「モリの山供養」のように本来の行事が仏教寺院の行事へと変化・受け継がれたものだろう。

読経は19時過ぎに終わり、それから前もって申し込みしていた方々のご祈祷、名前が読み上げられる。

もっと年配の住民が参加する行事と思っていたが、今日は若い親子連れが参加しており、それゆえ地元の方々の厚い信仰心がうかがえる。

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ご住職の短い法話の後は、子供達お楽しみ、御護符のみかんが撒かれ、皆で楽しく拾い集める。

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近年、映画化でも知られた「むかさり絵馬」

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行事後、寺院で用意したおもちゃの「あてくじ」を楽しむ子供達。ご住職のお話では、単に子供達のためのくじではなく、かつて「さんげさんげ」行事が盛んだった頃、露店も出店していた頃の名残だという。

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私がゲットした御護符のみかんとお餅。今年は山仲間の死、自分の車両事故、様々ありました。

「神頼み」を嘲笑するほど私は無神論者ではなく、何かにすがりたくなる時もある。

仕事仲間、ガイド仲間、家族、ブログをご覧の皆様の安全、欲張りにも沢山の祈願をさせていただきました。

「さんげさんげ」は、本来は2~3日かけて行者姿で「お籠もり」をして祈願する宗教行事。いつか機会を得て、こちらも見学してみたい。

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後ろを振り向いてはならない。 真室川町 病追い(やまいぼい)

11月9日夜、山形県 真室川町 ふるさと伝承館へ。

真室川町平枝地区で現在も続けられる伝統行事『病追い(やまいぼい)』を見学させていただく。

家の中に「病」が入らないように、家の中の「病」を追い払うために、餅をつき、餅を入れた藁人形を集落外れの水田に置いてくるという伝統行事です。

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 真室川町教育委員会を通じて地元区長様にもご紹介いただき、行事が始まる18時に訪れてみると、大人たちによる餅の杵つきが始まる。

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大人たちの手であらかた「こね」「杵つき」が終わってから、子供達による餅つき。

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つきあがった餅は藁つとに入れ、藁人形に背負わせる。

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 藁人形は2体作られ、子供達が持つ。

 この集落の子供達が行列を作り、一度集落の端まで移動。

 それから番楽の演奏と共に夜の集落を練り歩きます。さすが番楽の盛んな地区、先ほどの餅つきで「腰が痛い・・・」「明日筋肉痛だな・・・」とつぶやいていた若いお父さん方も、行列ではキリッとした表情でお囃子の横笛・太鼓を鳴らしていて格好いい。

 カメラが不調のため完全に収録できなかったが、餅つきから行列が練り歩くまでを動画に記録しました。

  夜の闇の中、刈り取り後の水田に棒を立て、藁人形を固定します。

 皆が「ほーっほーっ」と叫び、誰かが「ああ、これで病が飛んでった」とつぶやきました。

 それから大人達が子供達に

 「戻るぞー、絶対 う し ろ ふ り む く な よ ー!

 そうです、藁人形をたてた後は後ろを振り向かずに戻らなければならないという禁忌があるのです。私は見学のため、行列の最後を歩いていましたが、皆一斉に振り向かず、ふるさと伝承館にもどっていきます。

 「病」という「悪いモノ」を集落の外に追い出し、絶対に振り向かずに戻ってくるという習わしに、黄泉の国を訪れたイザナギの神話を連想させられます。

 地元の方に伺うと、藁人形はそのまま朽ちるに任せて放置しておくとのこと。基本的に「病」を封じ込めた藁人形なのであまり縁起の良いものではないらしく、地元の慣習を知らない新任の若い先生が、歩くスキーの授業で藁人形の立つ水田に近寄りそうになり、みんなが慌てて止めた、なんてエピソードもお話してくださいました。

 今回の行事、餅つきで用いた餅米は5升。行列が戻ってからは地区皆さんの直来となり、私は行列の見学にとどめさせていただき、退出。

 古い伝統行事が地区総出で大事にされている姿に感銘を受けた夜でした。

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さよなら、古寺鉱泉・朝陽館

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今シーズン限りで営業を終える古寺鉱泉・朝陽館に泊まる。営業最後の年のためか、週末はツアー等で予約いっぱいのところ、空いている日曜宿泊で予約成功。明日は古寺鉱泉から会社に出勤である。

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2階の部屋に案内され、宿帳に名前と住所を記入。ご主人から、

「あれ、山形市の○○に住んでるの?おれ近くの△△出身なんだけど」

同じ学区の出身ということで話が盛り上がる。

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同じ学区出身ということで?にこやかに宿の説明をしていただく。窓に置いてある布テープは「カメムシ君」(ご主人談)対策。カメムシがでてきたら、手に触れないようにしてテープに貼り付け、備え付けの袋に入れる。

「まず入浴して汗流しましょう!」

ご主人に勧められ、入浴。

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源泉は7.3℃の含二酸化炭素ーナトリウム・カルシウムー塩化物・炭酸水素泉冷鉱泉。それを沸かしたお湯が幾人もの登山者を癒やしてきた。

一風呂浴びて、夕食までの2時間、のんびり過ごす。

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窓からの光景。古寺川の流れる音。

初めて朝陽館に泊まったのはだいぶ以前、ツアー登山がまだ盛んだった頃。

大朝日岳の日帰りツアーから下山し、朝陽館の前に到着した時のこと。登頂できて涙を流すお客様をみて、山岳ガイドという仕事の素晴らしさを知った。

宿泊しなかったものの、ガイド山行で前を通り過ぎる時、これから山頂を目指す緊張感、下山した時の安堵感。

昭和12年築造の朝陽館にいつも見守られてきた。

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1階廊下の様子

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2階の階段から玄関を望む

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黒光りする木造の階段、手すり

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2階廊下の様子

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部屋を仕切る戸は障子です

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アルミサッシの内側、元の木戸の鍵はネジ式

「ちょっと早いですが・・・」

と、ご主人の声がかかり、1階の広間で夕食。

本日の宿泊客は私の他に、ご高齢の夫婦とトレイルランやっているという元気そうな息子さんの親子一組。

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ご主人から料理の説明。左下から時計回りに、山ウドの煮付け、大根の山葡萄漬、ワラビおひたし、だし(山盛の中に豆腐)、キクラゲのポン酢あえ、ゼンマイ煮付け、ブナハリタケ煮付け、岩魚塩焼、キノコ味噌汁(すんませんキノコ名前忘れた)、御飯は山形のブランド米つや姫。

 お隣の親子連れは横浜からいらっしゃったとのことで感激しきり。山形県人の私にとってはなじみの食材だが、県外から訪れる山岳部の先輩後輩、お客様には、こういう料理食べさせたかったなあ・・・と後悔の思い。

 夕食を食べていると、女将さんがわざわざ私のところにやってきて、

「大滝さん、山形市から来て十分帰れるのに、お泊まりになるのは、営業最後とかお聞きになったからですか?」

と核心を突かれる質問をいただく。

月山山頂小屋ではガイドとして御厚意をありがたく戴いているが、普段はあまり「山岳ガイド」という身分を振り回したくない。今回も普通の登山者として泊まっていたのだが、話の成り行きで昔ガイド山行でお世話になったことを話す。

女将さん「ガイドですってー!」

ご主人「なんだよー、それ早く言えよー!」

それからはガイド業、ツアー登山を巡る旅行業、朝陽館の今後、新設される登山センターの話で盛り上がる。ご主人の話から、横浜からいらっしゃった親子の方のお話から、いろんなお話。

朝陽館の夕食には、人との出会いがありました。

夕食後は部屋に戻る。

朝陽館の電話は衛星通信電話だ。電波の届かない楽天モバイルのwifiルーター、ガラケー、iphoneはポーチにしまう。気象情報を得るためのラジオも入りが悪い。普段はiphoneに録音しているエピック音楽を聴くのだが、それもここではやめる。

古寺川の水音、かすかに薪を焚く香り。通信手段から閉ざされた、静かな山の宿で、現代メディアの評論書を熟読。

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自家発電が止まる夜間、階段をほんのり照らすランプ

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しっかり睡眠をとった翌朝、布団をたたみ、ご主人らが朝飯の用意をする前に宿を退出。

さあ、これから会社。今週も現場作業に頑張ろう。

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早朝の玄関。さよなら、古寺鉱泉・朝陽館。

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