乳観音 (山口県光市 小野)

光市の里山に、「乳観音」なるお社があるという。
休日、さっそく訪問してみる。

情報は観光サイトにも何もない。
看板も何もない。
文献資料の略図をもとに探し当てる。

ごくふつうの民家の裏、「え、こんなところ行くの」という細い道をたどると、そこに「乳観音」はありました。

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カメラが傾いたんじゃありません。
普通の民家裏をたどると、全体に傾いた、急な石段。
そこを登ると、

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乳観音にたどり着く。

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鳥居を構えた神社の左脇に、観音堂がある。

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石造りの観音像(右)と、壁に奉納された乳模型。

乳観音の建立時期ははっきりわかっていないが文献から江戸時代中期とされている。
乳の出が悪い人は一対の乳模型を奉納すると、乳の出が良くなるといわれ、願いがかなった人は母乳を奉納すると乳児が無事に成長するといわれている。

観光情報の類いには一切紹介されておらず、知る人ぞ知る、という乳観音。

カミさんの育児を傍からみてきてはいるが、やはり男にはわからない苦しみ・悩みがあるのだろう。
奉納された乳模型に、女性たちの切実な願いをひしひしと感じる。

話は変わるが、山形県の某所、地名を挙げれば山形の人間なら誰でも知っている場所なのだが、その集落の奥にお社がある。
たまたま現場関係の仕事でそのお社をみる機会があったのだが、中を覗いてびっくり。
お社の中には数百はあるだろう、大量の木製の「男根」が奉納されていた。
子孫繁栄、子宝に恵まれるように・・・という願掛けのお社だと思われるが、民俗関係の資料でも一切とりあげられていない。

「性」に関する祈願はタブー視されるということなのだろうか。
時代は変わろうと、子作り・出産・育児は太古からの人間の営みに変わりは無い。
なんの目印も看板もなく、ひっそりとたつ乳観音にそんなことを考えた。

参考文献 : 古川知明著『失われゆく民間信仰 山口県光市にみる日本の原風景 路傍の御仏』

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けんちょう

さすらいの現場作業員、本日より戊辰戦争の宿敵・山口県は光市に滞在。
しばらく安ホテル生活。

今夜のおかずは

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山口県の郷土料理「けんちょう」。
大根の薄切と豆腐、人参を油で炒めて醤油で煮た惣菜です。

名前の由来は税金泥棒が働く公官庁じゃなくて(僕なにか変なこと書きました?)、けんちん汁の名前の由来ともいわれる鎌倉の建長寺からきているらしい。

東北地方だったらガンガンにしょっぱく煮付けるところだけど、西日本らしい甘めの味付けです。
明日からコンビニ依存生活に突入~

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じゅり馬祭り ~女たちが支えた琉球文化~

沖縄の旧暦に関する行事を見てみたい。

よそ者の立場で、ようやくその機会を得たのが沖縄県那覇市・辻で開催される「じゅり馬祭り」である。

旧暦の1月20日、二十日正月(ハチカソーグヮチ)という正月の祝い納めとして開催される「じゅり馬祭り」。

現在は各種風俗産業が立ち並ぶ那覇市・辻地区。
その昔1672年、琉球王府によって辻遊郭が公設され、そこで働く遊女たちは「じゅり」と呼ばれていた。

遊郭といっても、江戸の吉原のような性風俗の街並みではなく、今の「芸妓」に近い存在といえようか。
こうして辻地区では「女たちの、女たちによる女たちだけの暮らし」(じゅり馬祭り実行委理事長の言葉)が存在していた。

 親兄弟・家族から離れて暮らす彼女たちが、年に一度だけ、一人前になった自分の姿を披露できる機会、それが「じゅり馬祭り」といわれ、多くの見物人に混じって「じゅり」達の家族が見守っていたと言われている。

 しかし「じゅり馬祭り」は「公娼制度を容認するもの」という某女性団体の抗議により、1989年から2000年にかけて中断する。
 自治体からの支援も絶たれ、「那覇三大祭りの一つ」といわれながら、公的な観光サイトには紹介されず、祭りの開催団体も地元の料亭那覇という民間企業にゆだねられている。
 関係者の尽力により、ようやく復活したという経緯がある。

 私が一番見学したかった、「じゅり」たちの神事は旧暦1月20日、新暦の2月16日に行われ、こちらは残念ながら仕事で見学できなかった。
 奉納舞踊である「じゅり馬」を見学すべく、なんぶトリムマラソンを走り終えてから那覇市・辻に直行。

 あいにくの雨、会場である通りに足を運ぶと、関係者らしき方から、「じゅり馬見学の方ですか?今回は料亭の中で行いますので、料亭に入って下さい」と促される。

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那覇市・辻の料亭那覇。私のような平民はこんな機会でなければ行けないだろうなあ。

広い宴会室に、見学者でぎゅうぎゅう詰めになりながら、「じゅり馬祭り」は始まる。
とりあえず、クライマックスである「豊年じゅり馬」(一部)の動画がこちらです。↓


唄の内容は、「京の小太郎が作たんばい、やんざい行者馬舞者、みーはーはーとぅー、しーちょんちょん、しだりかチョンチョン、やーチョンチョン、ゆいゆいゆいゆい」

女性たちの声がそろい、馬を操る「ゆいゆい」という掛け声がとても印象的である。

じゅり馬に関しては、日大大学院芸術学研究科出身の浅香玲子氏が研究を進められ、『じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究 -本土(やまと)の春駒から沖縄のじゅり馬へ-』という論文集を発表している。
この論文集において、本土出身の浅香氏が辻という特殊な人間関係の中に飛び込んでいく中で拒絶され苦労された事がわずかに触れられている。

 苦労を重ねて人間関係を構築し、女性にしかできない、女性達で支えられた琉球文化を研究し保存につなげていった浅香氏のような人物こそ、現代の冒険家・探検家と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

2017年 じゅり馬祭り 冒頭の浅香玲子氏挨拶

2017年じゅり馬祭りの開催内容

2017年3月19日(日) 14:00~16:00(予定)
料亭那覇 三階にて開催(雨天のため)
次第
 理事長開会宣言
 理事長挨拶
 浅香玲子先生挨拶
 奉納舞踊
  弥勒節/マラヨウ節、四ツ竹(扇寿会)、貫花(玉扇会)、日舞(黒田節・料亭那覇)、谷茶前/チンボーラー(扇寿会)、黒島口説(料亭那覇)、金細工(玉扇会)、花(J-POPS舞踊 料亭那覇)、日舞(演歌「北の三代目」 料亭那覇)、加那ヨー天川(扇寿会)、稲しり(玉扇会)、古武道シリーズ(薙刀、櫓、ヌンチャク、トンファー、サイ、空手をとりいれた舞踊 料亭那覇)、民謡ショー(料亭那覇)、玻座間ショー、群舞あしびなー(料亭那覇)、じゅり馬の由来(しまくぅとばによる歌 西浜陽子)、豊年じゅり馬からじゅり馬(全員)
 16:20終了、解散

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晴天、山には行かない日。

2月12日、昼から晴天となる。

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でも山には行かない。

今日は旧暦の1月16日。
沖縄では「十六日祭(ジュールクニチー)」、または「グソー(後生)」の日。
すなわち、『あの世の正月を祝う日』。

沖縄出身の人と仕事をしているのだが、その人いわく、
「旧正月と十六日祭は沖縄の人は山に入りません」という禁忌があるとのこと。

今たずさわっている仕事でも予定では山に入らざるを得ない状況だったのだが、諸事情により旧正月の日は休工、十六日祭の日は日曜ということで、仕事では山に入らずに済んだ。

昨日も休工だったのだが、月曜の作業の下準備のため了解を得て山中にある現場に入らせてもらった。
途中、車で通りかかった大宜味村や国頭村の墓地では、十六日祭に備えてであろう、墓周辺の掃除をしている人が目立つ。
今日は日曜。
調べ物のため名護市立図書館に向かう途中、名護市内の霊園を通りかかる。

旧暦の行事も廃れつつあるのか、地域差があるのか不勉強でわからないが、民俗学の本で紹介されているような、墓地で盛大に重箱を広げてお参りする、という風景は見られなかった。
それでも名護市内の墓地では、幾つかの家族連れが墓を掃除したり、花を持ってお参りしている光景がみられる。

私は余所者として、さすがに「墓参り」という行為にカメラを向ける神経は無い。
しかし十六日祭という行事は、スーパーマーケットで身近に感じることができる。

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「十六日祭御供え」として、惣菜コーナーには煮物や餅、果物コーナーには果物籠、レジの近くには餅菓子が大量に並べられてある。
大陸の文化を反映しているのだろうか、容器が「八卦」を連想させる八角形の樹脂容器であることが興味深い。

名護市立図書館で調べ物をしていると、スマホにショートメールが入る。
一緒に仕事をしている沖縄出身の方からだ。
『今日は山には入らないでくださいね』
はい、郷に入れば郷に従えです。

晴天下、のんびり徒歩で図書館からウィークリーマンションに戻る。
その途中、
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イートイン可のパン屋さんで昼食。
キャベツとチーズを織り込んだパンが激ウマでした。
パン工房きしもと にて。

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ひんぷん山羊料理店

名護市内から作業現場への通勤。

毎朝すっげえ気になるのが、国道沿いに貼ってある「ヤギ汁」 「ヤギさしみ」の看板。
沖縄の人はヤギも好んで食べるらしい。

で、やってきました。
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ひんぷん山羊料理店

出張で来ているらしいサラリーマンの団体様で小さい店はいっぱいでしたが、カウンター席になんとか座らせてもらう。

本日は、
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山羊汁をいただきます。

ネットでは「臭いがダメ」という声も多くみられますが、私は大丈夫でした。
中国・ネパールあたりで羊・山羊喰った経験があったからでしょうか、さほど抵抗なく食べられました。
中身はヤギの骨付き肉、内臓、皮付き脂肪など、ほとんどの部位が入っているようです。
底に沈んでいた、たぶんフーチバ(ヨモギ)が見た目にも味わいにも良いアクセントになってます。

店は二人のおばちゃんでやっており、日曜の夜、お客さんいっぱいだったせいか、ちょうど私のヤギ汁でご飯が品切れ。
おとなりのサラリーマン団体様は「ヤギのさしみ」で話がもりあがってました。
ヤギのさしみは、今度来たときの楽しみにとっておきます。

沖縄の人々にとってヤギは売買の対象ではなく、農閑期や年中行事での栄養食という位置づけ。
飼育頭数は昭和10年の15万4千頭をピークに、平成11年のデータでは1万4千頭とされている。
一方、現在のヤギ肉の輸入量はヤギ7千頭に相当する180t。
研究者によれば、沖縄県におけるヤギ肉の需要は減少しているとは一概に言えないという。
現に、スーパーの食品売り場ではオーストラリア産のヤギ肉やレトルト山羊汁があったりと、まだまだ人気は根強いようだ。

 昔は妊婦の栄養食として、また梅雨があけた時には「体に溜まった湿気を抜く」と称して厚着をして汗をかきながら山羊汁を食べたという。
 たしかに脂っこいヤギ汁でしたが、さて、来週も仕事がんばろう。

参考文献:名護市史 本編9 民俗Ⅱ 自然の文化史 名護市史編纂委員会

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石敢當 (いしがんどう)

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沖縄に来てから、家屋、塀の隅っこに 『石敢當』 と書かれた表札のようなものをよく目にする。

「さすが沖縄、ずいぶん変わった苗字の表札だなあ。なんでこんな塀の片隅に埋め込まれてんのかなあ」

と思っていたのですが、これは 『石敢當』(いしがんどう シーガンタン)という魔除けです。
石は古代中国の実在の人物名、敢當は「あたるところに敵がいない」の意味、とされていますが、諸説あり民俗学の研究者の間でも論争が続いています。

 沖縄本によっては「沖縄特有」とされることもありますが、実際には北海道から鹿児島・沖縄まで日本全国に存在します。
 東北では秋田県が群を抜いて多く27基が確認、山形県では鶴岡市に1基確認されている。

 鶴岡の石敢當、明治時代に道路工事で取り払われそうになったとき、当時の初代県知事・三島通庸(鹿児島出身)が石敢當をよく知っており、そのために道路のルートを変えて石敢當を保存したというエヒソードがあるとのこと。

 中国から伝わってきた魔除けの文化が、おそらく琉球経由であろう、東北にも伝わっているとは知らなんだ。
 山形に帰ったら探してみよう。

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島暮らし日記 百人御物参

日曜午後、ちょうど首里城で伝統儀式 『百人御物参』 の日だったので見学に行く。
神女が首里城や周辺の聖域を参拝する伝統儀式である。
自分でも撮影したが、首里城公園の動画がよくまとめられていますので、こちらをどうぞ。

見学後はYさんと別行動、私は
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沖縄県立図書館にてちょいと調べ物。

で、夜は
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「島らっきょう」で飲んだくれる。

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島暮らし日記 具志堅の樋川(カー)

仕事の下準備のため、那覇市に滞在。

夜は、

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仕事の相方のYさんが頑張って順番に陣取ってくれたおかげで、ついに ジャッキーステーキ で夕食。
私、ステーキはレア一筋です。

日曜。
本島南部を車でまわる。
観光地はあまり興味がないが、ツボにはまって「Yさん車停めてっ!」と寄り道したのが、

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南城市・具志堅の樋川(カー)

カーとは、沖縄の方言で井戸や泉をさす。
私が立ち寄ったときはちょうど集落の人々が清掃中でした。
若い男性が笑顔で「あ、ここ飲めませんよ」と教えてくれる。

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脇のクーラーボックスには飲み物と菓子が用意されている。
町内会の行事みたいなもの、山形の農村でいえば集落いっせいに水路清掃するみたいなもんなんでしょうね。

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二十三人の祈れる男 【尾花沢市 愛宕神社 裸参拝 体験記】

2017年1月8日、尾花沢市延沢・三日町地区で行われる「裸参拝(はだかまいり)」に参拝者として参加。

真冬の尾花沢で、下帯姿で人々の前で水垢離をおこない、近郊の里山山頂にある愛宕神社に参拝するという行事である。この行事は一度途絶したが、23年前、地元有志により復活した行事である。

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尾花沢市公式ウェブサイトより引用

山形県内の伝統行事の姿を追い求めて、カメラ片手に各地をまわってきた。
その度に思うのは、「当事者として参加してみたい」ということ。
文献やネット、動画だけでは知ることの出来ない風景、人々。
私はそれを見たい・感じたいのだ。

幸い、尾花沢市の「裸参拝」は参拝者を一般公募している。
「この時期に風邪ひいたらどうするの?」 というカミさんの忠告は無視して粛々と準備を進める。
裸参拝実行委員長の豊島氏に電話連絡をとり、当日必要なもの、集合時間などを確認する。

参加者が持参するのは足袋とサラシ。
足袋は近所の「しまむら」で1200円で購入。
サラシはベビー用品店「バースディ」で1280円で購入。

8日、連絡いただいた集合時間16時前に現地に到着。
指定されたJA施設の駐車場に車を停め、そこから2~3分ほど歩いた路上が水垢離の会場、目の前の納屋が男達の控え室だった。

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16時、まだ誰もいない水垢離会場にて

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三体の木像が会場を見守る

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男達が浴びる冷水が、静かにそのときを待つ。

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納屋に続々と参拝者が集まってくる。
来た方から下帯の準備。初心者は地元の方にサラシを巻いてもらう。
私もサラシの巻き方は全く知らないので、素直に巻いていただきました。
差し入れの大量の握り飯と、下帯姿の男たちに「日本」を感じる。

米どころ山形、握り飯はとても美味しかったのですが、皆緊張しているせいかあまり手が伸びません。

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参拝者に配布されるワラジ。
全て地元の方々の手作りです。おろそかにできない。

開会は18時。
参拝参列の順序を決める方法はあみだくじ。

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本日の参拝者は23人の男達。
県外からの参加者も多く、北は北海道、南は福井から参加の方がおられました。
あみだくじの結果が次々と言い渡される。
私は「7番目」として第一陣に加わる。

開会18時が近づくと、皆そわそわしてくるのがわかる。
私も気分転換に外にでる。もう日は落ちて真っ暗。
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例年ならば雪灯籠が作られているのだが、山形でも豪雪地として知られる尾花沢でも今年は異常なまでに雪が少ない。
ペットボトルを利用して、可愛らしい灯籠が道端に設けられていた。

「今年は(暖冬で)例年より優しい初心者向けだなあ」
と実行委員会の方が笑っていたが、やがて外は強風が吹き始めた。

そして開会の時間がくる。
下帯姿に上着を着用して、地元住民の方々、多数のカメラマンが待つ会場へ移動。
参拝者は拡声器片手に自己紹介をする。住所、名前、祈願する思いを述べるのだ。

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ライトに照らされ、人々の前で自己紹介と祈願する目的を披露する。

私の番だ。
「おばんですっ! 山形市から参りました大滝と申します! 子供の健康を祈るために参加しましたっ!始めての参加ですよろしくお願いしますっ!」
と拡声器で叫ぶ。

・・・ごめんなさい尾花沢の皆さん、神様、仏様。

大嘘です。

心の中では、
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と祈りました。

自己紹介と来賓挨拶の後、全員納屋に戻り、上着を脱ぎ、ついに「裸参拝」が始まる。
23人は第一陣と第二陣の二つに分かれる。
たくさんの地元の方々、カメラマンが待つ会場に歩み進む。
もう体中にアドレナリンがまわっているのか興奮のせいか、あまり寒さは感じない。
始めに、結構綺麗な巫女さんからお祓いを受ける。
さあ、水垢離の時が来た。

納屋で行われた説明では、
一、心臓から離れた右肩後ろに最初に水をかける。
二、次に左肩うしろに水をかける。
三、最後に背中中心に水をかける。このとき頭からザブンとかけると後々冷えて大変なので、頭・首を避けて背中にかけること。
と言われていた。

地元住民の方の掛け声、多数のカメラマンのフラッシュに皆さん気合いが入ったのだろう。

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(尾花沢市公式ウェブサイトより引用 昨年の写真です)
最初の方から、おもいっきり頭の上にざぶんと水をかけている。
並ぶ参拝者の間で、
「おい、話とちがうぞ」
「みんな最初から振りきってんなー」
とささやきあう。

私の番。
会場に一礼し、台に登り、右肩、左肩に水をかける。
もう興奮しているので冷たさはあまり感じない。
そして最後に一発、水の入った桶を振りかぶって上から背中に水を浴びる。
背後に並ぶ参拝者から
「おおっチャレンジャーだっ」と声が漏れ聞こえたので、それなりに豪快に水かぶれたかな。
台座から下り、愛宕神社の鳥居目指して参道を突っ走る。

※参拝者としての節度を考えて、水垢離の前後はカメラを手にしていませんので自分の画像はありません。

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愛宕神社まで250段の石段を登らなければならない。
1番手が第一陣の皆を待ってくれていた。
松明片手に、寒さに耐えながら暗闇の参道を行く。
この非日常性。

皆が息切れする頃、山頂の愛宕神社に到着。
お社の中にはいり、あらかじめ渡されていた2本の蝋燭の内1本を灯して捧げ、全員で参拝。
続いて、すぐ脇にあるお稲荷様の社に残る1本の蝋燭を灯さずに捧げる。

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御幣の付いた腰縄は、ここの鳥居に奉納する。
濡れている上に苔の生えた石段を皆で慎重に下りる。

参道を走って戻り、途中の大鳥居に
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履いてきたワラジを奉納。
ここまで来ると参拝者皆に不思議な一体感を感じる。
皆で協力し、脚立を押さえてあげたりして全員奉納するのを待つ。
全員そろったところで、会場めざして走る。

会場にもどったところで、松明を持っている者はおさいどう(山積みされたワラ)に点火。
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折からの強風でメチャメチャ激しく燃える。

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手の空いた者は餅をつく。

そして納屋に戻る。
その暖かさ。
一人が戻る毎に「おつかれさまー」と声がかかる。
出発前とうってかわって、裸参拝をやり終えた親近感。

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納屋の隣の建物では多くの方々に餅と豚汁がふるまわれていました。

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ふるまう料理の準備に大忙しの三日町地区女性の皆様。本当にありがとうございました。

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ひととおり皆が着替えたところで、参拝者、実行委員関係者で公民館に移動し、直会(なおらい)。

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あらためて自己紹介と感想発表。
落ち着いた場所で、他の参加者の皆様ともいろいろな話を伺いました。
実行委員長の豊島氏の話では、行事を復活させた23年前は本当に小さな催しで、数えるほどの人の前で水をかぶっていたとのこと。
先ほどの盛り上がりを拝見するに、地元の方々の並々ならぬご尽力があったことは想像に難くない。

直会の自己紹介で、今年初めて参加された若い方でしたが、
「自分の地元にこんな行事があるとは知らなかった、これからは積極的に地区の行事に参加していきたい」とおっしゃってました。
地域の活発化って、どこぞの大学教授やコンサルの爺が指南するものじゃなくて、若い世代が自発的に行動するところから始まるんではなかろうか。
この行事でも、『地域興し協力隊』の方々が活躍されていました。

私の感想は、裸参拝の準備段階ではなんとなくよそよそしい雰囲気の男達が、行事が進むにつれて力と声をあわせていく一体感、達成感を共有できるひとときの素晴らしさ、それは何物にも代え難いと思いました。

最後に、私たち余所からきた参加者をも温かく受け入れて下さり、様々な準備を進めていただいた実行委員会の皆様、数々の美味しい手料理でもてなしてくれた地区女性の皆様、延沢三日町地区の皆様に、素晴らしい体験をさせていただいたことを深く感謝申し上げます。

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三日とろろ

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正月・1月3日の朝は健康を祈願して「三日とろろ」を食べます。
当ブログをご覧の皆様も、今年一年健康でありますように。

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