高原植木踊【令和6年5月5日】

Tk1

山形市高原(たかはら)地区の山ノ神神社祭典で披露される「高原植木踊」を見学。

名称から田植踊りの類と私は勘違いしていたのだが、文献によれば「願人(がんにん)踊り」に分類されている。

願人とは山伏・僧侶の別名である。高原植木踊りの由来は、今から約200年前、庄内から六十里越街道を通り移り住んだ伊豆国出身の三喜和尚という僧が村人に願人踊を教えたのがはじまりとされる。
高原植木踊の「植木」は旧地名に由来したもの。山形県内に残る願人踊りは蔵王半郷地区に残る「松尾願人踊」と今日の「高原植木踊」のみ。

開始15分前に山ノ神神社を訪れ、受付で奉納金を納め撮影のお許しをいただく。ぼつぼつ地区の人も集まり、踊り手OBらしい高齢の男性が車椅子や電動カートで集まってくる。待機していた踊り手たちが挨拶のため、踊り手OBの老人たちに挨拶を交わす。

「若いのに声掛けねと踊り手いねぐなるはー」(若者に声かけないと踊り手がいなくなりそうだ)

「みでっど血さわぐんねがや」(見物してると血がさわぐんじゃないですか?)

どこの民俗行事もそうだが、後継者不足に悩まされている様子。

14時、高原植木踊の奉納始まり。

Tk2

本日の高原植木踊は「本懐な(ほんかいな)」「やぁとこ」「三人あいがっぽれ」の三部構成。

初めの「本懐な」はさらに「あねさん」「おてらさん」「おきゃくさん」「やっこおどり」の四部構成で、おしとやかな踊りである。

踊り手背後にそびえる巨大な傘は「まんどう」と称し、踊り場を清め踊り手を護る意味合いがある。

三番目の「三人あいがっぽれ」は相撲の様子を模した踊りであり、動きも激しい。見物に来た地区のおばあさんは熟知しているのか、「これから激しいから踊り手は若いのだな」と教えてくれる。

Tk3

「三人あいがっぽれ」の一コマ。1人は行司役にまわり、2人で激しい踊りが続けられる。

本日の記録映像(ダイジェスト版)はこちら↓

約18分間の全収録版はこちら

参考文献 : 山形県教育委員会編 『山形県の民俗芸能 山形県民俗芸能緊急調査報告書』平成7年3月

| | コメント (0)

祭りの女性たち

山形県鶴岡市温海(あつみ)地区。

西は日本海に面し、東は起伏の激しい摩耶山地。小さな集落が点在し、山形でも貴重な民俗行事や風習が色濃く残る地域。4月14日から5月8日にかけて、各地区の例祭が連続する祭りの季節である。

かねてから見学したかった、小岩川地区の住吉神社例祭「神輿押し」を見学。小さな漁師町、それゆえだろうか、例祭では女性の立場が大きい。

Ko1

神輿行列は「神輿」が先頭、「お船様」と呼ばれる巨大な船の模型が続くのだが、お船様を引くのは集落の女性たち。正装(和装)してやってくる。

Ko3

11時、住吉神社前を出発。背後の緑はタブノキが繁茂。タブノキの植生地としても知られる。

Ko4

集落を進む神輿行列。住民たちは「おひねり」を沢山用意して待ち構える。ひねった和紙の中身は米。神への捧げものだ。

Ko6

細長い小岩川集落を往来するうちに、神輿は捧げものの米でいっぱいになる。

Ko5

神輿とお船様は港脇に設けられた「祝詞場」に到着。休憩が入る。女性たちが用意した庄内の「ごっつぉ」と酒。かつては日本酒100本以上を消費した時代もあった(※)が、今は皆さん控えめです。

Ko7

そして始まる「神輿押し」。現在の小岩川駅を境に集落は「上」と「下」に分かれている。神輿は上組と下組の人々が押し合いする。12回押し合い、上組が勝てば大漁、下組が勝てば豊作という作占いだ。以前は酒の勢いで3時間以上の激闘が続いたらしい。今はあっというまに勝負がつき、神事は終わる。

Ko8

「お船引き唄」を歌う当番の女性たちは、特設のテント下で勝負を見守る。

神輿押しの勝負後、立ち去る神主が深々と女性たちに頭を下げ「今年もお世話になりました」と礼を言って帰っていく。

Ko2

平日の祭りなので子供もいないとおもいきや、小学生らしい女の子3人組が太鼓係で参加していた。

神輿行列出発前、法被の帯が上手く締められてなかったため、唄当番の女性が「こっち来なさい」と声をかけて帯を締め直していた。

静かで小さい漁村の小岩川。この女の子も将来は進学か就職で集落を出ることになるだろう。

彼女が大きくなる頃、この祭りはまだ残っているだろうか。

本日の記録動画↓ 動画開始2:17から「お船引き唄」を収録。

 

※参考文献 : 温海町史編纂委員会 編纂『温海町の民俗 温海町史別冊』昭和63年3月

| | コメント (0)

たんぽ餅ができるまで

山形県 高畠町 二井宿(にいじゅく)に伝わる伝統料理「たんぽ餅」。

棒に米を握り固め、味噌を付けて焼く料理、無知無学な私は秋田県独特の食べ物かと私は思い込んでいた。秋田県南部と民俗・文化面で交流のある山形県最上地方や庄内地方ならともかく、なぜ山形でも南部に位置する高畠町の郷土料理に「たんぽ餅」があるのか?

その「たんぽ餅」の作り方を知るべく、高畠町二井宿地区公民館で開催された講習会をお伺いした。

Tanpo1

高畠町の「たんぽ餅」は二井宿の筋(すじ)集落で作られている。本日も講師は筋集落の皆様。講習参加者約20名はほとんど高畠町二井宿在住の女性の皆さん。外部からの参加者は東北芸工大の女子学生3名と私。女性ばかりで完全アウェイ状態。

作り方の様子は2分40秒の動画にまとめてみました↓

※【ご注意】たんぽ餅の作り方につきまして、二井宿地区公民館ならびに二井宿 筋集落では個別のお問い合わせには対応できかねますことをご了承願います。

講習はホントの始め、米を研ぐところから始まります。

女性A「この米なんだ?」から始まり、公民館館長が自ら栽培した天日乾燥の「つや姫」と判明すると、

「つや姫!ちょっと粘りがありすぎじゃない!?」

「新米でしょ、水少な目にしたほうがいい」

「いやいやウチでは昔から(ワンカップ瓶の)ここの笠のイラストまで水いれろって言われてた」

と、米の水加減から誇張表現抜きで『朝まで生テレビ』並みの激論になる。さすが農村の年配の女性、皆さん米のプロである。

Tanpo3

なんとかかんとか乗り越えてw、筋集落直伝の味噌ダレもできあがり。皆さん粘度にこだわりがありました。

米は10分水に浸してすぐ炊き、10分程で炊き上げ、一度かき混ぜてから10分程蒸らす。それから棒で軽く突く。

その米を棒に握り固めるのだが、これが凄く難しい。

固まったと思い、炭火で焼いてもらう段になって「ボロッ」と型崩れするのだ。

1人2本作るのだが、私のは早々にボロっと割れてしまい修復不能。みていると、他の女性参加者も結構型崩れしてしまっていた。いわく、「コロナ禍で久々に作ったから難しい」とのこと。

Tanpo2

私が作って型崩れした「たんぽ餅」(上)、炭火で焼く前に型崩れしたので焼いてません。下が本来のたんぽ餅の焼き上がり。

たんぽ餅が全部焼けた後は、皆で試食会。この際に筋集落の方からいろいろお話を伺う。

・コロナ禍で地区行事が全て中止となり、たんぽ餅を作る機会が無かった。(ご家庭で作らないんですか、と質問すると)囲炉裏が無いので今は作らないとのこと。囲炉裏がある時代の食べ物と言える。今は地区行事、祭り、子供会行事等で大型の炭火台が出せるときに作る料理だ。

・二井宿のたんぽ餅は焼いて食べるものであって、秋田のきりたんぽのように鍋に入れて煮込む料理は無い。

 この行事に参加する前にカミさん(上山市の農家出身)にも聞いたが、昔は農家でも似たような食べ物はあったという。囲炉裏が無くなってからは作っていないとのこと。

 そもそも、たんぽ餅の起源としては「炭焼きの際に冷御飯を棒に固めて焼いた料理が起源」「新米が収穫された時期、いわゆる「刈り上げ」の食べ物」として伝えられている。それが日本の高度成長期に伴い農家からも囲炉裏という施設が滅び、たんぽ餅も地区行事でのみ作られる料理に変化したという事だろう。

 今回の取材に際しては二井宿公民館職員の皆様、二井宿地区および筋地区の皆様、参加された皆様、ありがとうございました。

| | コメント (0)

山形県大江町 雪中田植えと小正月料理

能登半島地震でアップするのを躊躇しておりましたが、記録として公開。

1月14日、山形県 大江町立歴史民俗資料館の小正月行事「雪中田植え」を見学。

雪中田植とは、かつて農家が年始めに雪の中で稲の苗にみたてた豆殻で田植の動作を行い、一年の五穀豊穣を祈る儀式である。

Koso4

例年にない暖冬で雪が無いため、奥の「田ノ沢」地区からダンプ3台で搬入した雪で「雪中田植え」が開催される。

Koso3

山形県内でも雪中田植え行事が行われているが、大江町では女子中学生が早乙女に扮する。

Koso2

結界と「団子差し」に囲まれた「田んぼ」で早乙女が田植を行う。動画はこちらです↓

雪中田植えの後は、完全予約制の「小正月料理」の提供。毎年申し込みを考えていたのだが、年始は何かと野暮用が多く、今年ようやく予約にこぎつけた。

Koso1

会食会場は歴史民俗資料館の座敷。イミテーションではない、囲炉裏の炭火が暖かいです。

Koso5

毎年、大江町の歴史民俗資料館の小正月行事で提供される「小正月料理」。

左奥から時計まわりに、「青苧餅・きなこ、餡子」「田楽豆腐」「青苧餅・雑煮」「赤こごみお浸し」「漬物・白菜とワラビ一本漬け」「青苧茎煮」、中央は「青苧餅・なんば(みたらし風味)」 大江町の伝統作物「青苧」(あおそ)を生かした料理です。

昼を挟み、午前と午後の入れ替え制、各20人の完全予約制で参加費¥1,000。

Koso6

参加者は地元・大江町の年配の方が多い。昔を懐かしんでのことだろう。お世話になっている山形県朝日少年自然の家が大江町にあるため、散々大江町に通っているのだが、その町の文化となると私も知らない事ばかり。

年配の方のお話を伺うと、大江町では正月・小正月に田楽豆腐を食べる習慣があるらしい(私の住む山形市、両親実家のある天童市ではその習慣はない。) 「〇〇の豆腐屋さんでは、正月になると田楽用の豆腐売ってたのよね~」とのこと。ちなみに田楽豆腐は容易に型崩れしない硬い豆腐で、美味しかったです。

会食会場では、民俗学文献にも記載のない貴重な話が「昔話」として会話に流れ、記録されることもなく消えていく。小正月料理は変わることなく受け継がれている、大江町の小正月の風景でした。

| | コメント (0)

十三夜の餅は早く喰え

10月27日、十三夜。132勤務先にほど近い、山形市でも葡萄の産地として知られる本沢(もとさわ)地区。ここにはある伝承がある。

戦国時代、死傷者2千人以上を出す激戦となった慶長5年(1600年)の「長谷堂合戦」。

米沢から攻めてきた直江兼続軍と山形の最上義光軍が激突した合戦だが、ちょうど本沢地区の人々は十三夜の「刈り上げ餅」を準備していた。

貴重なご馳走である餅を食べようとしたその時、軍勢が集落に押し寄せ、住民たちは餅も喰えないまま着の身着のまま逃げざるをえなかった・・・

というエピソードにちなみ、以来400年「十三夜の餅は早く喰え」と言われ、この日を記念し十三夜には皆で寄り合い餅を食べる行事がある。

もともと農家の「刈り上げ餅」の習慣に興味があった私、本沢コミュニティセンターに問い合わせした上で「十三夜の餅」行事に参加させていただく。

133

例年ですと近くの山城ハイキングと餅つきを組み合わせたイベントなのですが、コロナ禍の影響もあり、昨年・今年は山城案内ボランティアガイド団体の講演を聴講し、

134

今年は白餅2袋を頂戴しました。家に持ち帰り、餅好きな娘と分けて美味しくいただきます。

131

十三夜。今夜の月は「薄月」。十三夜、十五夜と皆様はどんなお供え物、御菓子を召し上がりましたか。

| | コメント (4)

菅の獅子舞

8月から9月にかけ、東京の奥多摩周辺で盛んに「獅子舞」が演じられていた。

できればせっかく住んでいる地元・川崎の獅子舞を見たいと思い、工事機械の修理点検を終えた日曜、川崎市多摩区で開催される「菅の獅子舞」を見に行く。

Su1_20230910214201

開催前の静かな菅薬師堂の土俵。本来であれば午前中に恒例の「子供相撲大会」が開催されるのだが今年は中止。

神奈川県指定民俗無形文化財の「菅の獅子舞」、他の様々な民俗行事と同じく、コロナ禍のため4年ぶりの開催である。

Suga4

獅子舞の開始は午後2時から。少し前に天狗が土俵入り、「土俵あらため」を三度行う。三回目の土俵入りでは華やかに紙吹雪を飛ばし(上記画像)、場内から拍手が巻き起こる。

Suga3

あらためて、天狗を先頭に雄獅子、雌獅子、臼獅子が土俵に入場。

山形の置賜地方で盛んな獅子舞とは異なり、関東特有ともいえる、三体による獅子舞。

本来ならば1時間半以上ぶっつづけで踊るらしいのだが、猛暑を考慮して開始約20分ほどで休憩が入る。

気候変動も微妙に伝統民俗行事に影響している。

今回、天狗の「土俵あらため」から獅子舞(途中休憩まで)を動画で記録しました。↓

午後はまだ内業が残っているので、途中で退出。

ふと振り向くと、川崎のような大都市・住宅密集地の丘陵地にぽっかり薬師堂が残り続け、今も伝統行事が演じ続けられている。

Su2_20230910215401

獅子舞演舞で賑わう菅薬師堂の様子

今日も凄い人出だった。川崎に赴任して幾つかの民俗行事を拝見しているが、大都市の方が人が多い分、過疎地よりもマンパワーで民俗行事が残りやすいのだろうか。そんな事も感じながら帰途に就いた。

| | コメント (0)

神が山から下りる日

山から神が下りてくる。

丹沢大山、阿夫利神社秋季例大祭の遷幸祭「お下り」を見学するため伊勢原市へ。

「追分社出発」と「下社出発」の予定時間を勘違いし、私が現地に到着した時、まさに追分社に至る最後の石段を下るところだった。

Oku1

追分社に至る最後の急な石段を下る神輿

Oku5

追分社で神輿に供物が備えられ、氏子・関係者の皆様一同参拝。私も参拝させていただく。Oku6

追分社は風が通りとても涼しい。関係者皆様はここで一時間の休憩。

4年ぶりの「完全な形式」でのお下りということで、昔話に花が咲いていた。

とても涼しいところなのだが、セミの声が賑やか。秋季例大祭は夏山の終わりを告げる行事と聞いていたのだが・・

神社関係者の方のお話を伺うと、「昔は9月に行われていたが、台風での延期が生じるので今の8月催行ということになった」「関東大震災の年も中止せず、途切れた年は無い」とのこと。コロナ禍の際は大勢でのお下りは中止されたが、神輿ではなく唐櫃(からびつ)により行事を小規模化して続けられていた。

Oku3

追分社での休憩中に、木々に囲まれた空を見上げる。神様が鎮座した脇を、男坂・女坂を目指す大勢のハイカーが通り過ぎて行った。

風の吹き抜ける木陰で休んでいると、理屈なく「山はいいな」と思う。

約1時間後の9時45分、神輿行列は再び行列開始。商店街の立ち並ぶ「こま参道」で待機している武士・巫女・神職に扮した地元関係者皆様と合流し、大行列となった「お下り」が社務局まで行進する。

追分社から、こま参道までの「お下り」を動画に収録しました ↓

コロナ禍明け4年ぶりに完全な形式での催行ということもあり、錫杖を持つ行列で「(叩き方が) ちょっと違うんでないか?」とか、「まだ先頭来てないぞ!」などなど試行錯誤してらっしゃる姿もありました。伝統を引き継ぐのは難しい、1年でも途切れてしまうとなかなか難しいものなんだなあと思いながら見学しておりました。

まだまだ残暑厳しい神奈川ですが、神様も山も、秋の到来を告げに来たようです。

| | コメント (2)

夏祭り

土曜日。

諸事情で早めに作業が終わり、帰宅。全身汗まみれで重たくなった作業着を洗濯機に入れ、すぐシャワーを浴びて休息。

屋外から太鼓と笛の音、歓声が聞こえてくる。今日は近所の天満天神社の祭礼日。

F1_20230826190301

撮影機材を抱えて外に出てみると、古市場町内会皆様の神輿がデイサービス施設でデモンストレーションを終え、休憩中。

陽が高いのに、もう老若男女問わず、みんな缶ビールや缶チューハイを片手に休憩中。コロナ禍明けの神輿担ぎ。

子供達中心の山車、子供神輿に続いて大人たちの神輿が続く。

行列の様子を、1分程度の動画にまとめました。

川崎では8月上旬から夏祭りが続く。土曜日の勤務、さらに毎日熱中症気味だったのでなかなか見学の機会も無かったが、近所の天満天神社祭礼で夏祭り気分を味わう。今夜は様々なエンタティーナーはじめ、地元の愛好家がカラオケや日舞、バンドの音色を披露する。川崎の夏祭りでは「ご当地アイドル」の活動も盛んだ。その「明るさ」は、山形の夏祭りのそれとは比べ物にならないような気がする。

神輿行列を見学して気合を入れ、来週の冷凍弁当の調理。

D1_20230826191001

オリーブオイルとニンニクで下味付した玉ねぎ・豚ひき肉をひたすら炒め、赤ワイン入れてさらに煮込む。

D2_20230826191101

今回の低糖質代用メシは、いつもの木綿豆腐ではなく絹ごし豆腐とオートミールで調理。来週もどうせ暑いので塩を効かせる。

D3_20230826191201

来週の冷凍弁当はドリア弁当。昼間はひたすらドリア喰って現場作業頑張ります。

| | コメント (0)

虫送り 【神奈川県横浜市都筑区 南山田】

Photo_20230723091801 

横浜に虫送り行事が残っている。

農村の多い山形ですら、虫送り行事は数える程しか残っていない。

トラブルの多かった現場作業を終え、横浜市都筑区南山田を訪れた。

Mu1_20230723092001日没間近の19時、南山田地区のヤマト運輸店舗裏から松明行列が出発。凄い人、凄い子供達の数である。

Mu2_20230723092201

驚いたことに松明は竹製。竹は燃やすと破裂するのだが、よくよく見ると火を灯す部分は4本に割いて空き缶を利用した燃焼部が付いている。

この松明については後述のインタビューサイトに詳しい。

Mu3_20230723092301

19時過ぎ、お囃子を先頭に松明行列出発。

Mu4_20230723092401

耕作地の無い住宅街・大型車道沿いを松明行列が続く、都会の虫送り行事。

Mu5_20230723092501

大通りを離れ、夜の住宅街を進む松明行列。

かつてはこの山田地区も宅地開発前は丘陵地の農村であった。

虫送り行事としては太平洋戦争後、そして高度経済成長期に途絶しているのだが、三笠宮殿下がこの地を視察する際、地元教育委員会が殿下に見学してもらうべく復活させたという歴史がある。さらに横浜市無形民俗文化財に指定されたことが行事として生き残った要因であろう。

Mu6_20230723092901

松明行列は約一時間ほどかけて同地区の夏みかん公園に到着、ここでお焚き上げ、さらに獅子舞とひょっとこ踊りの演舞で観衆はクライマックスを迎える。

Mu7_20230723093001

出番を控えて準備する子供ひょっとこ達

Mu8

観客にちょっかいを出しながら踊るひょっとこ達。

南山田の虫送りの様子を動画に収めましたので、全体の雰囲気はこちらをご覧ください。

南山田の虫送り行事の歴史・復活した経緯については、下記サイトをご覧ください。

つづき交流ステーション 区民レポーターが行く!「虫送り」

「南山田の虫送り」の変遷は、害虫を追い払うという農村行事から人々の災いを払う行事への変遷だけではない。かつては大人だけの行事であったが、今は松明の持ち手はほぼ子供、子供向けの行事へと変化している。

昨年の川崎滞在から思うのだが、神奈川県は街中で「マスコミの言う少子化って本当だろうか」と思う位に子供の数が多く感じられる。本行事のお焚き上げでも相当な数の子供、親子連れが集う。山形県の県庁所在地・山形市でもこれだけの親子連れ・子供が集うイベントはそうそう無いだろう。そんな数の親子連れが、一町内会の行事に集まるのだ。

南山田の虫送り行事を拝見して、その凄い盛り上がりぶりから「民俗行事とは、本当に廃れていく一方なのだろうか」と強く思わざるをえなかった。コロナ禍明けで4年ぶりの開催ということを考慮しても、凄い人数と盛り上がりである。

大都市圏・横浜市に残る虫送り行事として、静かな伝統行事をイメージして訪れたのだが、その華やかな夏祭りとしての「虫送り」から、21世紀の現代に続く「民俗行事」のある種のしぶとさを感じた夜だった。

| | コメント (0)

水止舞(みずとめのまい)

東京都大田区・厳正寺(ごんしょうじ)で行われる水止舞(みずとめのまい)を見学。

今年700年目を迎えるこの行事、コロナ禍明けの開催ということもあり、凄い人出。

Miz1

水止舞、文章で書くと、

『渦巻き状に組まれた荒縄の中で男2人が水をぶっかけられながら法螺貝を吹き、市中を引きずり回される』

というなんともサディスティックな内容だが、これは「道行」(みちゆき)という雨乞いの儀式。

Miz2

二組の藁で編まれた竜神。雌雄二匹の龍を表す。

道行で市中を廻り、雌雄の龍は厳正寺に設けられた舞台に上げられます。そこで龍は解体され、藁は舞台を飾り、翌年の縁起物として藁が用いられます。

詳細は言葉では書ききれないので、雰囲気を撮影動画でご覧ください↓

Miz5

「ささら」を奏でる「花籠」は小6、中2の女の子が演じる。舞と舞の間には、給水や着つけに二人がかりでサポート。

ちなみに「ささら」の音は海の波音を表現しているとのこと。

Miz6

コロナ禍明けの開催、大勢の人々が厳正寺の舞台を囲んでいました。

Miz7

厳正寺で買い求めた水止舞のクリアファイル¥300也。水止舞の若獅子・雄獅子・雌獅子がシルエットで表されています。右側の袋は参拝者に配られた御護符。前回の水止舞で用いられた藁が3本入っています。これは雄獅子(大)、若獅子(中)、雌獅子(小)を表します。

今回の大田区や今住んでいる川崎を歩いていると、「海苔」の事業所が多いことに気が付きます。海苔の生産を巡り、昔から「雨乞い」の儀式が盛んだったのですが、残念ながらその行事のほとんどが途絶してしまっています。

今回の大田区・厳正寺の水止舞は貴重な雨乞い(または雨止め)の儀式として、どうしても見てみたい民俗行事でした。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧