岩谷十八夜観音例祭

8月18日、山形県中山町の山奥に位置する、岩谷十八夜観音の例祭を訪れる。

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 この観音堂は眼の病を治す観音堂で知られると共に、山形一帯にかつて存在した『オナカマ』の総本山としても知られる。オナカマとは、いわゆるイタコ、口寄せなどとも呼ばれる、霊を呼ぶ巫女のことだ。

 私の実家の祖母・・・ここでは詳細は省くが、直接の血縁ではない・・・が、かつてオナカマだった。「祖母」は私が生まれる前に他界したので詳細はもうわからない。

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観音堂裏のガラスケースには、オナカマ達が使った儀式の道具が展示されている。なにか小動物の頭骨を用いた数珠にミステリアスなものを感じる。

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私が到着した時には、もう地元の方で境内はいっぱい。

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火渡り儀式の前に、観音堂のご住職が弓で破魔矢を射る。縁起物の矢を手に入れようと、見学者達が我先にと落下する矢に集まる。

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護摩談に火が付けられ、ご住職が炭をならし、塩をまき、参拝者が歩きやすいようにさらに材木を敷く。

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そして、つめかけた多くの参拝者が火の上を渡っていく。

破魔矢の儀式から火渡りまでを動画で記録しました。↓

 

私も撮影を終えてから、火渡りの列に混じり渡ってきました。

ここの例祭を訪れるのは今回が2度目。ガイド資格をいただいた頃、中山町の里山を調べているうちにたまたま訪れた行事で、その頃は今のように民俗学にはさほど関心がない時期でした。

今回は、家族のこと、会社の仲間、ガイド仲間の安全、ブログ読者様の安全まで欲張りに願掛けしてきました。

火渡りを終えて帰り際、「大滝さん?」と声を掛けられる。

ふりむくと、先日の某登山用品店様主催のガイド山行で御一緒した顧客のお二人。

「今日は山じゃないんですか?」

 「あ、今日は民俗行事優先です!」

ガイドとして不特定多数の方々と山に行っていると、思わぬところで声をかけられる機会がある。普段の行動も気をつけよう、いやそんなに悪いことしてないけど。

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金比羅樽流し 山形県中山町 川向地区 2019

金比羅信仰。

香川県琴平町「金刀比羅宮」を敬う信仰として水上安全祈願から江戸時代以降は諸願成就の神様となり、全国各地に「請」が組織され参拝が行われた。

この信仰が北前船で日本海、最上川を経由して山形県内各地へと伝わったのが「樽流し」の風習である。

しかし山形県内でもその風習は次々と途絶し、今現在は山形県中山町 川向地区に残るのみとなった。以前から見学したいと思いつつなかなか機会が得られなかったのだが、令和元年の6月1日、ようやく見学できる機会を得た。

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樽流し祭礼を控えた、中山町川向地区の「金比羅山」石碑。

石碑には大正三年と刻まれている。樽流し行事に関する資料は、大正三年の古文書が最古のものでそれより古いものは残されていない。山形県内の金比羅山石碑の年号が寛政年間(1789~1800)に集中していることから、それ以降に始まった行事と推測されている。

行事は朝9時から、長崎地区の天台寺門宗光秀院住職(地元の人は法印と呼ぶ)の法螺貝と読経、関係者の玉串奉納と続く。

それから樽、注連縄を持ち出して目前を流れる最上川に流される。

この行事は請の方も高齢のお二人だけとなり、途絶が懸念されたが、「樽流保存会」が結成され、中山町町長、山形県観光課課長も参列する行事になっていた。

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請の関係者、町長、県の課長も参列する行事とはいえ、ときおり農作業や地元の方の車が通る度、通行スペースを空けなければならない。ドライバーは祭事には全く関心が無いそぶりで通過していく。

人々の関心が薄れていく中で、樽流し行事を継続させていった地元関係者皆様の努力に頭が下がる思い。

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流される樽。かつては近隣の長崎地区の樽職人がいたのだが亡くなってしまい、今は山形市内の樽屋から3500円で購入したものを毎年使い回ししている。

 本来は中に酒を入れ、川に流す。下流で拾った人は中の酒を飲み、また酒をつぎ足して流してやるという。文献によっては、つぎ足すなどということもせずそのまま流すことが多かったと記録されている。

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文献では、復活した樽流し行事では樽がなかなか入手できないため、下流で網で樽を回収すると記録されているが、現在は樽にシャックル(U字型の金具)をとりつけ、ロープで結び、カヌーで樽を曳航する形式で行事が進められる。樽が流れる演出である。地元の方の話によれば、樽を流す場所は昔は水流があったのだが、今は水の流れが緩やかすぎて樽が流れていかないのだという。

 樽と注連縄を流す様子を動画に記録しました。↓

 

樽と注連縄を流し終えた後、石碑の前の捧げ物をみてみました。

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米と塩、御神酒とスルメです。スルメは千切って「御護符で皆に配れや」と関係者の方が指示していました。仏教では禁葷食のネギがささげられていることが印象に残ります。こちら中山町は山形で有名な「芋煮会」発祥の地と呼ばれ、ネギも地元の産品なので捧げられているのでしょう。

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奉納金を持参してお伺いしたところ、このような手ぬぐいを頂きました。樽曳航のカヌーにも貼られていた手ぬぐいです。川の流れと樽をシンプルに表現したデザインが秀逸です。また芳名帳に記入したところ、後日丁寧な御礼のハガキを頂きました。関係者皆様のご健康と行事の継続をお祈りいたします。

参考文献:山形県教育委員会編『山形県の民俗芸能』1995、野口一雄著『山形県の金毘羅信仰』2004、川向金比羅請中・中山町川向金比羅樽流保存会作成パンフレット『中山町川向金比羅樽流し』2019

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両所田植踊 山形県西村山郡河北町 両所神社

5月3日、山形県河北町 両所地区で開催される両所田植踊を見学。

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 歴史上、河北町でも初期に開拓されたという両所集落上部に位置する両所神社。例大祭ということで地元の方が開く露店も出る賑わい。

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 奉納田植踊・芸能祭という形でステージも設けられ、地元歌手の鈴木加奈子さんの歌謡曲や地元有志の方の大黒舞、舞踊などが披露され、最後に両所田植踊が披露される。

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 両所田植踊の特徴は、踊り手は爺(左)、婆(右)、ひょっとこの3人が面を被り踊る点にある。他の田植踊りのような「早乙女」は登場しない。その歴史は約250年前までさかのぼる。

 両所出身の山田熊次郎という人物が日和田(現・寒河江市)の石屋に弟子入りしていた。関西から来た旅芸人が石屋に宿泊した折、宿泊の御礼にと田植踊りを教えていった事がルーツといわれる。学術的には宮城県系の舞いとされ、用いられる面(弥十郎面)は春の訪れで覚醒した田の神が、泥田の中から這い上がる様を表すとされている。

 以来、両所田植踊は少しずつ変化していった。当初の演奏は三味線も含まれていたが、演奏が難しいとのことで廃れた。両所大黒舞、両所八木節が併せて披露されていたが途絶した。

 地元の方の懸念を受け、高度経済成長期末期の昭和49年には両所田植踊保存会が結成された。しかし青年層の人間は集まらず、その継続は地元の小学生に委ねられ、現在に至る。中学生が望ましかったらしいが、「部活と勉強で忙しい」という現実的な理由で小学生が引き継いだ。

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 第3の踊り手、両所田植踊の特徴でもある「ひょっとこ」の存在が大きい。ステージを抜け出し、観客にちょっかいを出し、笑いを誘う。一部の観客だけでなく、観客全体を廻っていくのだ。

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 ぶっちゃけ、「○○神楽」など古典芸能は見ていて眠たくなるときがある。

 しかしこの両所田植踊は「ひょっとこ」の存在で、踊り手と観衆との一体感が素晴らしい。見学者は高齢の方が多いが、孫・ひ孫のような踊り手にちょっかいを出されて皆笑顔だ。

 記録動画ではプライバシー保護のため撮影しなかったが、田植踊が終わった後、囃し手、踊り手の自己紹介がある。踊り手の子供達は自己紹介の時に「おじいさんは○○、お父さんは△△です」と祖父、父の名前も明かす。

 観衆はほぼ地元の方々の小さい祭典、誰も彼も顔見知りなのだろう。祖父や父の名前を聞くとあちこちから「ああ~」とか、「似てるずね~」と声が聞こえる。

 田植踊りだけでなく、他の歌謡ショーや舞踊の披露でも、地元の人がおひねりをステージに置いていく。背後の観衆の間では「お久しぶりです~」 「あの人、○○と同級生なんだど」など、地方のムラ社会でよくある会話が弾む。

 長い5月連休の中日での開催、子供達を見守る保護者や祭典を催す氏子の皆さんの苦労は大変なものだろう。両所田植踊も、山形の民俗関係の文献で特筆されているわけでもない、小さな集落の小さな祭典だ。

 私も山形県内の郷土芸能を数多く見ている訳ではないし、甲乙をつける筋のものでないことは承知の上であえて言おう。

 河北町の両所田植踊の雰囲気の素晴らしさは、郷土芸能の理想の1つではないか、と。

 地元の方による、地元の方のための祭典。人々が田植踊をはじめとする祭典を通じて親交を深め、笑って過ごす時間。ユネスコなんとかや世界遺産何とかに選定されることが重要ではなく、そこに暮らす人々が神々を敬い、近隣の人と楽しく過ごす行事は大小かかわらず、私の心に残る。そんな行事をこれからも追い求めたい。

両所田植踊の一部、ひょっとこが笑いに包まれながらステージに再登場する部分を動画にアップしました。


参考文献:河北中学校郷土研究部編『両所田植踊 地域の民俗芸能を訪ねて』1992、河北郷土史研究会『河北の歴史と文化』第8号 2012

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山の神を迎える人々

2月24日、山形県鶴岡市 戸沢地区。

戸沢地区で行われる、山の神を迎える神事 「山の神迎え」を見学させていただく。
集落に2箇所ある山の神の社(やしろ)の大木に、藁で作った巨大なノサ(御幣)を掛けるという行事である。

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会場は戸沢自治公民館の体育館。
バスケのゴールに荒縄で吊した藁束から、御幣の「綱ぶち」が行われる。

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幾本もの綱が伸ばされていく。
戸沢集落の青年8名、指導役1名で作業が進められる。

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昔は女人禁制だったが、現在は女性が御神酒の接待役にまわる。
御神酒を口にしながら、作業は進む。

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伸ばした綱を巻き上げてまとめ、床に下ろして仕上げ。
「結び目はこうで・・・」
「正面はこっちで・・・」
と、指導役の方の指導に従い、男性達が藁をない、まとめていく。
今年は集落内で不幸があり、参加人数も少ないとのこと。

13時半頃に始まった「綱ぶち」、ノサ(御幣)2つが完成したのは15時55分だった。

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ノサ(御幣)を担ぐ役2名、まさかりを担ぐ役2名が講堂で正座し、御神酒を授かる。

それから皆は公民館2階の和室に設けられた「神域」に入り、神事が始まる。
拝礼、謡、御神酒、そして

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担ぎ役の4名は顔に米のシトギ(水に浸した米を砕いて粉にして固めたもの)を塗りつける。

これら神事が終わった後、皆が部屋を出ようとしたところで、指導役の方から
「結界切れよ!」
と声が飛ぶ。
和室にはしめ縄が張ってあり、それを切ってから外に出よ、ということらしい。
神事では皆さん整然と謡を唱え、結界を築いている。
きわめて厳粛に神事が進められ、伝統が守られていることを感じる。

外に出て、担ぎ役は二手に分かれて集落を練り歩く。
「こちらの方が見学にはいいと思いますよ」
と、私に移動距離の短い組を進めていただき、ついていく。

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大声で『オヤマカセーッ』と唱えながら、山の神の社をめざす。

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お社の中で、あらためて拝礼、謡を唱える。
そして、お社に隣接した大木にハシゴがかけられる。

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綱を担ぐ役の方は大変そうだが、無事に今年のノサが大木に掛けられた。
正面は近隣の菅野代集落の方に向けるという。
昔はよじ登り、木のてっぺんに掛けるほどよいとされていたそうだが、今は「ハシゴで登れるところまででいいぞ」とされているようだ。

この後、民家を廻り自治公民館に戻って直会となる。余所者の私は大木にノサを掛けたところを見届けて退出させていただいた。

ノサ(御幣)の綱ぶちから大木のノサ掛けまでを動画に収録しました。

帰路、鶴岡市内を車で走っていると、雄大な月山・東面が夕陽でほんのり紅く染まり始めていた。
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紅く染まり始めた月山の、人間を寄せ付けないような美しさ。
山の神を迎える人々の信仰心を、改めて強く感じた瞬間だった。

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ウサギの巻狩り体験記

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 1月20日、山形県鶴岡市の山奥、朝日連峰の奥深くに位置する大鳥自然の家主催の『大鳥でウサギの巻狩りを体験しよう!』に参加。
 人様より少し登山経験はあるが、狩猟に関する経験は全く無い。
 何より、野生動物の「命」を「山の恵み」として狩猟する人々の姿を知りたい。
 (冒頭の画像は、大鳥自然の家玄関に飾られている熊の頭蓋骨)
 大鳥自然の家に集合してみると、同じ月山朝日ガイド協会会員で研修を共にしている あかねずみさん とばったり出会う。山岳文化に造詣深いあかねずみさんは三年連続で参加とのこと。

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開会オリエンテーションで巻狩りについてお話されている工藤朝男氏。

一般参加者20名はAからEの5班に分けられ、私はA班。
勢子(せこ)として、山中を叫びながら移動し、獲物を追い込む役割だ。
開会オリエンテーションで巻狩りの話をされた現役マタギ、工藤朝男氏に引率していただく。

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自然の家玄関口でわかんじきのレクチャー。
キリル文字は読めても空気は読めない私。
大鳥自然の家で用意されたわかんじきではなく、いつも愛用しているアルミ製わかんを素早く履いて準備していると、工藤さんから、

「狩りのときはな、みんなで同じ装備をつけないとダメなんだ。違うと遅れたりしてな。大勢で山に入るときは、人の足跡を忠実にたどっていくのが大事なんだ。」

と、やんわりと注意される。
少々表現に気を遣いますが、決して嫌みな感じではありません、諭すような言い方です。
今まで文献でしか知らなかった、マタギがグループで山に入るときの厳しい「掟」に触れたような気がして、私も緊張する。
登山を少しばかり続けてガイド資格を持っているとはいえ、ここでは私は全てにおいて一年生。
「はい!気をつけて登ります!」と直立不動で返答する。

そのまま、工藤さんの持ち物を見学。
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この銃で、どんな獲物が獲れたのだろうか。

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工藤さんが持っているのは雪ベラならぬ「かんじき」。
勢子は叫ぶだけでなく、この「かんじき」で立木を叩いて獲物を追い込むそうです。
山中で実際に耳にしましたが、カーンカーンと響き渡る音でした。

ウサギの巻狩り(まきがり)の様子を模式図に表すとこんな感じです。
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(大鳥自然の家配布資料を筆者が模写したもの)

10時20分、行動開始。私を含むA班、B班は自然の家正面の山を登っていく。
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稜線に出たところで休憩。
そのまま、各班が持ち場につくまで待機となる。
天候はあいにくの雨。
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杉林の中、気温0度に近い低温で雨の滴に打たれながら、待つ。
行動中は私語はもちろん、携帯などの電子音も禁止とされているのだが、待ち時間の間、猟に関する興味深いお話を色々伺う。

募集要項でも推奨されていたので、アマチュア無線の免許を持っている私は猟師さん達の周波数をあらかじめ教えて頂き、各班の無線を傍受しながら行動していた。
待つこと約20分、各班に分かれて行動開始。
勢子として、
『ホォーイ! ホォーイ!』
と叫び、どこかに潜んでいるであろうウサギを追い立てながら山中を進むのだ。

起伏のある山中を1時間近く、叫びながら歩いて行く。
雨のおかげで歩きやすいのを通り越して、雪が重い。
結構な急斜面をトラバースしていくため、写真も動画も撮る余裕も無く、ひたすら叫びながら、スタッフの砂山さん、佐藤さんの間を歩き続ける。

11時40分、傍受していた無線で
「ウサギの足跡みつがらねなぁ」
という報告が入り、まもなく下山の指示。
無線のイヤホンに
「空鉄砲撃つぞ」
という声が聞こえる。
しばらくして、山中に銃声2発。
間をおいて、もう2発。

歩いてきたトレースを忠実にたどり、下山。
今回はウサギの収穫はありませんでしたが、貴重な体験をさせていただきました。

自然の家では、スタッフの工藤さん三浦さんが美味しい郷土料理を準備して下さっていた。
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当初の計画では、あらかじめ仕留めていたウサギで汁を作る予定とのことでしたが、今年はウサギは不猟、なんと今年から鶴岡は朝日連峰の奥深く、大鳥地区にもイノシシが出現。で猟師さんが仕留めた、というわけで、

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昼食はイノシシ汁に、

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庄内の郷土料理『弁慶飯』です。味噌おにぎりを青菜で巻き、焼いたものです。

山に生きる人々の姿をほんの少し、垣間見ることができた休日でした。
大鳥自然の家スタッフ皆様ならびに大鳥地区の皆様に深く感謝申し上げます。

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どんづき搗き、尾花沢の「ごっつぉ」

12月24日、山形県尾花沢市 芦沢地区で行われる『どんづき搗き』行事を見学。

同地区の種林寺に祀られている延命地蔵堂の縁日に、子供達が「どんづき」(地面や土台を固めるための道具またはその作業を意味する)、地蔵の木像を持って各家庭を廻り、古くから伝わる「芦沢どんづき唄」を披露する。家の人は賽銭やお菓子を子供達に渡すという行事だ。

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年末を迎え、静かな芦沢集落。

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気温1℃、雪もぱらつく中、集落を巡るのは中学生以上の子供達。
小学生は地蔵堂の別当役を務めます。

どんづき搗き、地蔵堂の様子を約2分の動画にまとめました↓

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中学生たちが持つ「どんづき」。
地面や床に打ち付けず、ヨーヨーのように空中で叩きつける演技をします。

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各家庭を廻る地蔵木像。

「どんづきですー」
と子供達が玄関に入ると、大人達も「どんづきかー」 「ごくろうさまー」とあたたかい、ねぎらいの声をかけ、賽銭や菓子袋を差し出します。

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2時半頃、続々と地蔵堂に集まる集落の人達。

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年配の女性はお重を手にしています。
中身は地蔵尊に御供えする「炊き込み御飯」。

三脚と撮影機材を持ち、余所者然とした私にも「御護符ですよ」と炊き込み御飯を分けて下さった。
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これは2回目にもらった炊き込み御飯。クマダケ(山形弁・コウタケ(香茸?)と思われる)入りだよ、とご近所同士で話しが盛り上がる。尾花沢の「ごっつぉ」です。

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地蔵堂の様子。
お堂の地蔵をはさむように、女の子2人が別当役として座っています。
2人は座ったまま、集落の人々が次々と参拝に来る様子は、ネパールのクマリを思わせる光景でした。
この延命地蔵には、一年に一度、子供たちと一緒に遊ばせると、子供たちの無病息災と家内安全が叶うと言い伝えられています。
本来は子供達はお堂の中で別当役のはずなのですが、男の子たちは雪遊びに夢中でした。

大人達が子供達をあたたかく見守る行事が行われていき、静かな芦沢地区も新しい年を迎えていくのでしょう。

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森の山まつり・流れ灌頂の供養 山形県酒田市 持地院

山形県の庄内地方には、死者の魂は初めの数年は近隣の里山にこもり、それから月山にゆくという民間信仰がある。
それが「モリ供養」である。

死霊のこもる山へ行く 庄内・モリ供養 by 当ブログ2015.8.23

 前述の私のブログ記事には訂正箇所がある。モリ供養という行事は、古来の姿を残しているのは鶴岡市・三森山だけになってしまっているが、モリ供養という行事そのものは寺院の施餓鬼供養、先祖供養の行事として、平成21年の山形県教育委員会の調査によれば庄内42箇所にて確認されている。

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死者を弔う行事、また「山に行くのが大変」という現実的な理由から、多くの場所でモリ供養の「寺院行事化」が進んでいった。
今年は休暇の関係で25日しか動けなかったこともあり、モリ供養の様々な形態を見学したいと思い、酒田市の持地院で開催される「森の山まつり」を訪問した。

持地院の「森の山まつり」は、本来は水死者を供養する「流れ灌頂」行事と融合していることが特徴的である。

流れゆく仏 by 当ブログ2016.7.11

流れ灌頂の供養の時間にあわせて持地院に到着。
受付では先祖霊の木羽仏(\500)、没年月日の木羽仏(\400)の2種を受け付けており、私は亡父の没年月日の木羽板を購入。
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持地院入り口をふり返る。中央奥が木羽板の受付、右側では歯骨供養(\6000)、子供供養(水子供養、\5500)の受付となっている。左側には地獄絵が飾られている。

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会場に入ると、そこは寺院内で運営されている若草幼稚園の敷地。
唐揚やかき氷などの露店があり、ビールなども売っている。
幼稚園の敷地ということもあり、地元の親子連れが大勢来ている。

幼稚園のグラウンドらしい敷地を通り、持地院の名所である「酒田大仏」の裏が小高い丘になっている。この丘の頂きが「森の山地蔵堂」であり、森の山三尊像を祀る霊場である。

とにかく子供達が多い。地蔵堂を目指す途中、小学生低学年くらいの男の子が友達に、
「ここから先には閻魔様がいるから行かない方いいよっ!」
と力説している。
地方都市の子供達は、純だなぁ~。

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森の山地蔵堂に到着。
私が購入した木羽仏は、若衆や檀家の奥様方に促されて係の方に渡す。
画像の左にあるのが「流れ灌頂」で使われる船「大悲丸」、左の僧侶の脇にある盆に私の木羽仏が置かれ、読経とともに供養される。
中央にみえるのが森の山三尊像。画像ではみえにくいが、中央の無縁地蔵の前に置かれた厨子の地蔵尊が持地院のご本尊。森の山まつりの3日間だけ御開帳される。

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8時を過ぎた頃、森の山地蔵堂から「大悲丸」が若衆らによって下ろされ、場内を一周し、会場中央の焼き場に運ばれる。

そして僧侶達の読経の中、火が放たれる。その様子は動画に記録しました↓

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流れ灌頂に用いられる「大悲丸」は、昭和30年代までは港まで担がれ海に流されていた。
後に港が改修され、最上川も堤防で仕切られて以来、現在のような焼却するスタイルに変化したという。

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読経が終わり、僧侶達が帰っても、会場の多くの家族連れは帰ろうとせず、いつまでも炎を眺めているのが印象的であった。

炎と共に先祖の霊も、無縁仏も帰っていく。
庄内にも、秋が来る。

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持地院の「森の山まつり」全体の雰囲気を記録した素晴らしい動画も公開されています。↓

参考文献 『庄内のモリ供養の習俗 「庄内のモリ供養の習俗」調査報告書』 山形県教育委員会 平成21年

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海渡る神 忍路(おしょろ)神社例大祭 海上渡御

おそらく小樽滞在最後の日曜日。
小樽最後の山行を目論んで早朝出かけたものの、梅雨前線の影響で朝から強い雨、予定していた山行は中止。

一度ウィークリーマンションに戻り休んだ後、小樽市忍路(おしょろ)地区の忍路神社例大祭を訪問。

忍路(おしょろ)地区は小樽でも小さな漁師町だが、ここでは神輿を漁船に載せて海を渡る「海上渡御」が行われる。

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漁師町らしく、神社の鳥居には大漁旗が幾つも飾られている。

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10時から社殿内で関係者による神事が行われ、10時27分、神輿の組み立てが始まる。

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神輿は20分ほどで組み立てられ、奴を先頭に神輿が神社を出発。
奴(やっこ)を務めるのは地元の小中学生たち。男女とわず顔には髭のメイクが施されています。

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先頭を歩く氏子が山盛りの塩を持って振りまき、道を清めた後に皆が続く。

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忍路漁港で木造船に積み込まれる神輿。

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昔ながらに櫓を漕いで神輿を積んだ木造船が進みます。
忍路地区の海上渡御、一般見学者用の漁船もあり、地元の方のご厚意で私も漁船に乗せていただき、海上から見学することができました。

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忍路港を出る前、波の静かなところで大型漁船に積み替えられます。
さすが海の男たち、息の合った作業で神輿が乗り換えられます。

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地元の方を載せた見学船は2隻、その間に神輿の乗った漁船が進みます。

伺った話によれば、神輿を載せた漁船はただ回遊するわけでなく、周囲の蘭島神社などを表敬訪問する意味合いで海を廻るとのことです。

神輿の乗った漁船は蘭島地区方面の海上へ進み、私の乗りこんだ見学船は都合により早めに忍路漁港へ戻りました。

小樽に住み着いて以来、様々な「例大祭」を見学してきました。
ここ忍路地区の例大祭は露店が出店しているわけでもない、静かな例大祭です。
船に乗り込み神輿が進む様子を見学させていだき、大自然の中で神を敬う人々の姿を体感することができました。
見学船に乗せていただき、忍路地区の皆様に深く感謝申し上げます。

神輿の組み立てから神社出発、船への積み込み、洋上での積み替え、海上渡御を3分の動画にまとめました。

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小樽市 恵美須神社例大祭

6月22日、仕事が終わってから小樽市の外れ、祝津地区へ。
祝津地区に位置する恵美須神社例大祭の宵宮祭の日。

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祝津地区は漁港の街、生臭い魚の匂いが漂う中、かつて栄えた鰊番屋の隣に神社の入り口があります。

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急で狭い山道を登ると、笛の音が聞こえてきます。
道はオドリコソウの群生で花盛り。

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恵美須神社は小樽市で最も古い社殿と言われていますが、肝心の本殿は覆屋で隠れています。
その覆屋、拝殿は昭和初期に建てられたもの。
さすが港街、波の彫刻が見事です。

宵宮祭の日、社殿では関係者の方々が打ち合わせ中。
境内で笛の練習が行われていました。祭りの前の静けさです。

祭りそのものは漁港で行われるのですが、
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まだ準備中でした。

こうして小樽の祭りの日々は続きます。

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龍宮神社例大祭 本祭 神輿の宮入

6月21日、昨日に続けて龍宮神社例大祭に通う。
本日は神輿の宮入。
地区を巡回した二組の神輿が神社に還ってくる儀式である。

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龍宮神社鳥居から。中央奥の急な階段を登り詰めた奥が神社境内。

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沢山の見物人が集まった境内に、ついに神輿が帰ってくる。

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群衆に囲まれ、二組の神輿が時計回りで周回しながら、神輿に立つ男性が何かを捲き始めた。
「あ、餅まいてる」
という隣に立っていたカップルの話し声に、私のスイッチが入る。
撒かれたポチ袋に凄い勢いで人々が群がり、今回も競争率が高そうだ。
神輿が周回する速度、餅を撒くタイミングと方向から、地球に帰還する有人宇宙船回収のように推測して先回り、なんとかポチ袋2つを決死の思いでゲット。

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群衆の中、何度も社殿の前で追い返されながら、ようやく宮入を果たす神輿。
その模様を約2分の動画にダイジェスト版としてまとめました。

最後の三本締めは感動ものです。

 私、どちらかというと小さい集落の民俗行事ばかり見てきたのですが、こういう熱い行事もよいものだと思いました。
 住み始めて約4週間。
 小樽の人は荒いですね。車運転してても、毎日クラクションの音が聞こえない日が無いし。
 やっぱり漁師町、港街ならではなのかもしれません。

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ちなみに神輿からまかれたポチ袋、開けてみたら餅ではなくて稲穂と5円(御縁)と鈴でした。
当ブログをご覧の皆様にも、福が廻りますように。

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