病院は女の顔をしていない 後編

8月21日。

飯豊山行を中止して空いた時間は、カミさんの入院準備に費やすことにする。

朝5時起床。早めに朝食を済ませ、息子を叩き起こし、山形駅に送る。

山岳部OBということで顧問や部員に顔を出そうとも思ったが、あまり出しゃばるまいと考え直し、駅前で息子を見送る。

それから昨日、某内科医院に駐車してきたカミさんの車を回収。

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今年も、なんだかんだと追われるような生活をしている間に、稲が実っている。

この稲が黄金色になる頃、カミさんも良くなっているだろうか。

 

急ぎ自宅に戻り、カミさん入院生活用具の準備。

下着の仕舞っているトコは? 使っている歯ブラシは? 愛用している不織布マスクの銘柄はどれ? 

娘に一つ一つ確認しながら、その都度、夫婦でありながらカミさんの私生活に無頓着な自分を痛感する。

入院用具の準備を終えた後、入院のための書類作成。

買物ついでに姉の嫁ぎ先に立ち寄り、「保証人」のところにサインしてもらう。それからコンビニで主要書類のコピーを取る。

自宅で早めに昼食を取り、休憩なしに県立中央病院へ。

13時きっかりに、面会者を管理している警備員を通じて生活用具、入院に必要な書類を提出。

こんな状況下では気分転換が欠かせない。わずかな時間を利用して自宅に立ち寄り、仮眠と読書タイムを取る。

14時半、山形駅へ。

予定では14時42分山形駅着の電車で山岳部一行が戻るはずなのだが、誰も改札口に来ない。おそらく次の電車になるのだろう、と言い聞かせ、次の行動に移る。

カミさん実家に足を延ばし、義母にカミさんの経過状況を説明。断片的な情報でえらい心配をかけていたらしく、時系列で丁寧に説明、無用な心配は避けてもらう。

自宅に戻る途中で買物、今度は私の老母宅へ。ちょうど来客中のため、滞在は短く切り上げ。

登山計画書のBプランでは18時21分の電車で戻るはずの息子、LINEで「迎えに来て」連絡を送ってきた。

山形駅へ。

早く帰りたかったのだろう、山岳部員たちは米沢・山形間の新幹線に乗ってきたという。

ちょっとお疲れ気味の息子、モンベルのストームクルーザー姿で駅ビルから出てきた。沢登りという新しい世界を知った・・というより、「顧問のロープワークがグダグダだった」と上から目線。

帰宅後、カミさん不在の家で娘、息子、私はそれぞれ勝手なモノを喰う夕食。

私が率先して台所を片付けていたせいか、娘も自主的に炊飯器のご飯の処理、豚汁の温め、洗い物をしてくれていた。

ふと見ると、コンロの奥に誰も気が付かなかった鍋が一つ。

蓋を開けてみると・・・一昨日カミさんが作ったナメコ汁。連日の猛暑で、表面には白い膜が張り、かぐわしい香りを放っている。

ここは私の出番、腐ったナメコ汁を処分し、鍋を洗う。意味も無く敗北感。

気分に合わせ、鍋を洗いながらスマホで流すBGMは、

『遠すぎた橋』

それから息子の山行道具の後片付けの手伝い。

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息子「汚物、汚物」

私「こら、自分の命預けたスリングだろうが!」

コロナ禍で自粛自粛とやかましくなってきた今、息子に初めての沢登り、ロープを使ったクライミングを経験させていただいた事に感謝。

 

息つく間もない土曜日が終わる。

少しの時間でも大事にしよう。読書が全く進まない。

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病院は女の顔をしていない 前編

8月20日。

明日から一泊二日で飯豊本山に入る予定。

どうしても飯豊に登りたいという職場のS君の希望で、昨年からリクエストいただいていた。

17時、会社の定時を迎えたその時、私の携帯が鳴る。カミさんからだ。

別に不仲な訳ではないが、カミさんから来る電話は100%悪い内容である。

受け答えも「もしもし」ではなく、「何や一体?」

スマホのスピーカーからは、いつもより頼りない声で市内の内科医院に迎えに来いという電話。

上司のK君への挨拶もそこそこに、さっさと会社を退出し、不吉な予感を抱えて市内の某内科医院に車を飛ばす。

案の定、カミさんの体の具合が悪く、もう車の運転も危険な状態ということで、紹介手続きを済ませて山形県立中央病院の救急外来に私が載せていく。

救急外来でカミさんを下ろし、私は娘の通う短大へ。

短大で娘をピックアップし、自宅へ送り、再び病院へ。

救急外来で医師の説明を受ける。カミさんの緊急入院が決定したのが19時45分。

急ぎS君に電話、申し訳ないが飯豊山行の延期をお願いし、続けてカミさん実家、義妹に連絡。

コロナ禍のため、山形県立中央病院も厳戒態勢、患者面会は全面禁止で民間の警備会社が来訪者の応対をしている。

そんな中、待機室でひたすら待つ。

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ふと、待機室の天井を見上げる。無機質な蛍光灯。

父の死以来、山形県立中央病院には寄り付かなかったが、当時の記憶がよみがえる。

だいぶ待たされてから、集中治療室に入るカミさんと面会、それから入院手続きの説明を受ける。

帰宅したのが22時。

それから息子の山岳部山行の準備を手伝う。

意識高い系の上から目線ツイッターで「本物の山屋になりたいなら学校◎◎喰らえで山に行くんだよ」とあったが、我が息子が通学する魁男塾山形分校の山岳部、コロナ感染者数の最多記録が連日続く山形でも、平 常 活 動 。

明日は沢登り山行。新たな経験をしてほしい。その一心で息子のパッキング手伝い。

パッキング完了した24時過ぎ、息子には睡眠取るよう指示、私はダイニングテーブルで一人、今後のやるべきことをポストイットに書き綴る。

少しやりかけたところで、気持ちを切り替えて寝る。明日も忙しそうだ。

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